38.皇国兵の罠
38話目です。
よろしくお願いします。
騎士爵のダムド・フェルアート・ヴァンターラクトは、爵位だけでなく肩書も騎士であり、領地を持たない貧乏騎士爵の一人息子として生まれ、今は当主として皇国の騎士という役目に就いている。
皇国騎士爵と言えば聞こえは良いが、皇国には掃いて捨てる程存在する下級貴族に過ぎない。領地開墾でもして領主にでもなれば別かも知れないが、彼もその前のヴァンターラクト家当主も、そんな行動力は無かった。
「犯人はまだ見つからないのか!」
そんな彼は今、かなり厳しい立場に立たされていた。
先日から三日の間に、実に二百人に及ぶ兵士や騎士が行方不明になったり、惨殺された姿で発見されたりしている。
戦闘してもいないうちに損耗率一割。上を納得させる原因が無ければ、部隊責任者どころか騎士の爵位すら失いかねない。
「新たに二十名程度の死体を発見いたしましたが、犯人の姿は見当たらず……。近隣の農村などにも調査の人員を割り振ってはおりますが、それらもまだ戻らない班もありまして……」
怒りを振りまいているヴァンタークラフトに、司令部として設営した天幕を訪れた部下の兵士が、さらに状況が悪化を続けている事を伝える。
十名や二十名毎の部隊に別れ、食料確保や情報収集の為にビロン伯爵領内を移動していた皇国の兵士たちは、毎日いくつかのグループが一二三と出会い、挑発に乗って武器を抜いたあげく皆殺しにされていた。
野営地に戻らない同僚たちの存在は、隠し通すにはあまりにも多すぎた。
日に日に数が減っていく仲間たちは、決して戦場に行ったわけでも故郷へ戻ったわけでも無いという事が広まると、当然の結果として士気は下がる。
「ヴァンターラクト隊長、今日だけで十五名の兵士が脱走したようです」
と、部下の兵士が持って来た報告に、ヴァンターラクトはもはや怒りすら湧かない。
野営地に戻らない班の中には、襲われたわけでは無く、そのまま逃げた者がいる可能性もあるのだ。
すでに、この野営地の軍団は瓦解しつつある。
「……こちらから打って出る」
「えっ?」
立ち上がったヴァンターラクトの言葉に、目の前にいた兵士は思わず聞き返した。その態度に再び腹を立て、ヴァンターラクトは声を大きく張った。
「打って出ると言ったのだ! 我々は襲撃者に舐められている!」
天幕を出たヴァンターラクトを、部下たちは急いで追いかけた。
「二百名だ。相手が何人か知らぬが、二十以下の少数を狙っているあたり三十人かそこらだろう。二百の兵士で押し包んでしまえば、一息で押しつぶせる」
「どのように相手を見つけるのですか?」
「少数の班を餌にする。爆発系の魔法が使える兵を含めて、敵が出たら合図をさせろ。そこに二百の騎馬兵で押し込む。騎馬で戦えない者は、近くまで行ってから降りて戦えば良い」
すぐに兵士を用意し、他には誰も外に出ないように、とヴァンターラクトが命じる。
「作戦は明朝から行う。攻撃部隊は私が率いる」
ヴァンターラクトの頭の中では、この事件を自分の手で片付け、上への報告には載せない事が決まっていた。死者については、何かの事故かホーラント内での戦闘で損耗した事にする。
「私は今のうちに休息を取る。準備は任せた」
ヴァンターラクトは専用のテントへと入って行く。
見送った兵士は、同僚と顔を合わせてため息を一つ吐き、言われた通りの準備に走りまわる。
彼らもヴァンタークラフトも、まさか相手が一人だと思っていない。むしろ想定より人数が多い可能性すら考えて準備を進めていた。
☆★☆
「ふーん」
「え、それだけですか?」
「だって、別にぼくが何かするような状況じゃないから。むしろ願ったり叶ったり」
夕暮れのビロン伯爵領主館を一人の若い皇国兵士が訪れていた。ランスロットの命令で買収され、野営地の情報を流している人物だ。
時折野営地を抜け出しては報告に来ているのだが、大きな動きがある為に急ぎ知らせるために領主館の裏口へと飛び込んできたのだが、ランスロットの反応は薄かった。
「報告はありがたいね。どうせ夜はホーラント側出入り口は閉鎖しているけど、明日は朝から一時的な通行止めしておこうか」
「わかりました」
秘書のサーラは命じられた事をさっとメモに書きこむ。後で自ら町の門まで行って伝えるつもりらしい。
「君も作戦に参加するつもりかい?」
止めるつもりで聞いたランスロットだったが、答えは否定だった。
「できれば、このまま野営地に戻らずに田舎へ帰ろうかと思います。……申し訳ありません。もう、情報を届ける事はできません」
「ん……そうか」
これで相手がヴァンターラクトなら激怒するだろう。だが、ランスロットはニッコリと笑って頷いた。
意外な反応を受けて、兵士はキョトンとした顔でランスロットを見ている。
「不思議そうだね」
ランスロット立ち上がり、棚から酒を出して手ずから二つのカップに注ぐと、立ったままだった兵士を応接に座らせた。
カップの一つを兵士の前に置き、もう一つを傾けて一口飲んだランスロットは「遠慮なく飲むと良いよ」と勧めた。
遠慮がちに琥珀色の液体を一口飲み込み、熱い息を吐いた兵士は、ようやく肩の力が抜けたようだ。
「おいしい、です……」
「ぼくはあまり酒には詳しくないけど、良い酒だと思うよ。ちょっとした知り合いからの貰い物なんだ」
嬉しそうに笑ったランスロットは、さらに一口飲んでカップを置いた。
「田舎と言っていたけど、どこから出て来たんだい?」
一瞬だけ警戒の色を見せた兵士は、手の中にあるカップに一度だけ視線を落としてから話し始めた。
「アマゼロト伯爵領です……と言っても、領地の端の小さな農村でした。食い扶持減らしに町へ出て、一年くらいは宿屋の下働きをしていたんですが、潰れちゃって」
他に働く場所も無かったので、そのまま王都まで仕事を探しに出てきて、兵士の募集に応じたそうだ。
「アマゼロト伯爵領と言えば、中々の名門じゃないか。そこで兵士になる手もあったんじゃないかな?」
とランスロットは問うたが、兵士は苦笑いで返した。
「それも一度考えたんですが……ご存知ですか? アマゼロト伯爵領は、皇国内で一番訓練が厳しいそうですよ」
ランスロットは曾祖父であるサブナクとの直接的な面識は無いが、祖父からいくつかのエピソードは聞いていた。
その中で、サブナクと同時代に生きたヴァイヤー・アマゼロトの話も聞いたことがある。英雄一二三に感化された彼は、自ら人一倍厳しい訓練を続け、自然と領内の兵士達も同じようにハードなメニューをこなしたとされる。
その分、領地運営の負担が妻であるフィリニオンにかかり、それが原因で喧嘩になる事も多かったそうだが、いつもヴァイヤーがすぐに謝っていたらしい。
ランスロットは思う。フィリニオンは未だ存命のはずだが、あの女傑が国内の混乱に黙っているとは思えない、と。
「田舎に帰って、仕事はあるかい?」
「わかりません。でも、他に行くところも無いので」
実家には兄夫婦も住んでいて寝る場所も無いだろう、と兵士は語った。だが、他に行く場所も無い。
「私は脱走兵です。今からそうなるわけです。まともに雇ってもらえる所を探さなくちゃいけませんが、なるべく遠くの方が良いんじゃないかと……」
ソファに背中を預け、腕を組んで聞いてたランスロットは、ちらりとそばにいたサーラに目を向けた。
サーラは小さく頷く。
「ぼくの所で働く気は無いかい?」
「えっ……ビロン伯爵様の兵士にという事ですか?」
「兵士じゃないね。君は兵士には向いていないと思うよ」
言っちゃ悪いけど、とランスロットは笑い声を交えて言う。
「雑用みたいなものだね。領主と言うのは何かと用事が多いけど、あちこち行くわけにはいかない不自由なものなのさ」
例の“英雄”は、ぼくのご先祖様に押し付けて自由に旅してたらしいけど、とランスロットは兵士の前で肩を竦めて見せた。
兵士は、今の野営地にいる皇国兵たちを襲っているのが、その“英雄”だとは知らない。
もちろん、ランスロットも確証があるわけでは無いが、ほぼ間違いないと思っている。
「や、やります! やらせてください!」
「快く引き受けてくれて良かった。とりあえず部屋は用意するから、正式な登録手続きは明日にでもすると良い。……早速だが、一つ仕事を頼むよ」
酔いが回ったらしく、少し赤い顔をしながら兵士は姿勢を正して聞き入った。
「君の出身地、アマゼロト伯爵領に行ってくれないか。あそこは王族との対立する可能性が高い場所だから、現状を見て来て報告して欲しい。ついでに、二日間くらいは休みにして、家族の顔を見ておいでよ」
「は、伯爵様……」
震える声で顔を見つめてくる兵士に、ランスロットは手を振って笑顔を見せる。
「やめてくれよ、ぼくは見目麗しい女性と見つめ合うのは大歓迎だけど、男どうしの趣味は無いんだ」
今日は旅に備えて早く休むようにと伝えて、ランスロットは案内の侍女を付けて兵士を帰すと、大きくため息を吐いた。
「大変感動していましたね」
サーラに声をかけられ、ランスロットはカップに残った酒を呷った。
「心が痛いね。ぼくはこうして危険な場所へ若い命をおいやったわけだ」
アマゼロト伯爵領は、明確に共生派を標榜しているわけでは無いが、フィリニオン女史は個人的に共生派に協力すると明言しているらしい。
領地の兵士はこれから始まるであろう排斥派との戦いに備えているであろう。あるいは、もう動いているかも知れない。そう思うと、彼が何かの問題に巻き込まれる可能性も少なくは無い。
「それでも、一人の青年が無頼になる可能性を防ぐ事にはなりました。大切な事です」
「君に言ってもらえると、ホッとするね」
ランスロットは立ち上がり、腕を大きく伸ばして身体をほぐす。
「明日は朝から騒々しくなりそうだ。少し早めに休もうかな」
「何かなさるおつもりですか?」
「何も。備えるだけさ」
☆★☆
「……しんどい」
ポロリと愚痴をこぼしたミンテティを、他のメンバーが睨みつけた。
一二三は気にせずにぐいぐい歩いている。
ミンテティだけでは無い。アルダートもクレも、イルフカも疲れ切っていた。
合流してから三日間、ずっと野営ですらない純然たる野宿を続けているのだ。ずっと歩き詰めで、何十人もの兵士を相手に嬉々として戦いを挑む一二三を観察しながら、周囲に気を配る作業は精神力を削る。
何度かは戦闘に巻き込まれて戦う形になったが、どうにか全員無傷で潜り抜けてきた。
一人だけ活き活きとしている一二三は、彼らより前から野宿を続けているにも関わらず、軽い足取りで標的を探し続ける。
以前に荒野を旅した時のように、木の上で眠り、川で身体を洗い、刀で髭を剃る。
そして今日もまた、夜明け前から移動を開始していた。
「あそこにいるな……十人か」
ふと立ち止まった一二三が、樹木が密集した場所から前方を指差す。
遠方には、確かに数人の姿が見える。
「いつも思うけど……良く見えるね、旦那」
「お前たち獣人族が衰えたんだ。荒野の連中はもっと敏感だったぞ」
こっちを見てないと判断した一二三は、そのまま近づこうとして足を止めた。
今までに無かった行動に、アルダートは訝しむ。
「どうした?」
「……遠くに大きな集団がいる」
地面に耳を付けた一二三は、顔を上げて目を閉じる。
「……あっちだな。百は軽く超える人数がいる。いよいよ本気で俺を討伐するつもりのようだ」
「ひゃ、百?」
驚いたクレが声を上げたのを、一二三が睨みつけて黙らせる。
「おそらく」
一二三は遠くにみえる小集団を再び指差す。
「あれは釣り餌だ。襲い掛かったら何かで合図を出して、大集団で襲うって算段だろうな」
単純だが効率は良い、と一二三は他人事のように評した。
「百以上は無理だろう。退くべきだ」
「そうしたければ好きにしろ。俺は行く」
アルダートの提案を一蹴した一二三は腰の刀を掴み、位置を調整する。
「百人を相手に戦うつもりか」
「百人“以上”だ。まだ正確な人数はわからん」
歩き始めた一二三は、見えている集団の方は向いていない。
「わざわざ餌に引っかかる必要も無い。主集団の方へ行く」
答えを待たずにどんどん遠くへ離れていく一二三を見遣って、アルダートは他のメンバーと顔を突き合わせて相談を始めた。
「付いていけば巻き込まれるだろうな」
「かと言って、このまま帰ったら依頼は失敗だ」
イルフカの言葉を聞いて、ミンテティが不満を零す。
「ここまでやったんだから、今まで通りに遠くから見ながら待ってようよ」
「どっちにしても、早く決めないと不味いぜ」
耳を揺らしながら、犬獣人のクレが怯えの色を見せた。
「もう始まったらしい。風に乗って、大勢の叫び声が聞こえてくる……」
「早いな。だが、人数差があるからな。逃げるなら今の内か」
アルダートが結論を出そうとしたが、クレは首を振った。
「いや……それが……」
「ハッキリ言いなよ。どうしたの?」
ミンテティに急かされたクレは、自分も信じられないが、と前置きした。
「悲鳴ばかりが聞こえるんだ。……あいつ、一人で大人数を圧倒している……」
しばらく相談していた四人だが、結局は状況を見に行くことになった。
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