37.あの時の彼のように
37話目です。
よろしくお願いします。
ヴィーネの訓練は順調に進んでいる、とオリガは自画自賛していた。それと言うのも、ヴィーネよりも一足先にオリガが覚えた治癒と回復の魔法により、休息をかなり減らすことが出来たためだ。
毎日ボロ雑巾のようになり、「くちゃくちゃ」と呼んだ方が合うような状態で帰ってきては、魔法で無理やり回復されて魔法の勉強をする。
次第に目から光が失われていくヴィーネの姿に、屋敷の侍女たちは密かに同情していたが、オリガへ面と向かって抗議するわけにもいかず、ヴィーネ自身も現状を受け入れているので、そっと差し入れなどをする程度だった。
それに、妊娠中であるオリガも次第につわりが収まりつつあるとはいえ、精力的に自らの修行を行っており、ヴィーネの為に食事メニューを考えたり、訓練場へ同行していたりと、決して楽をしているわけでも無い。
「とは言うものの、精神的に疲れてきましたよ……」
厳しい稽古の後、勉強までの一時的な休憩時間を、ヴィーネはソファにもたれかかって過ごしていた。
使用人たちが用意してくれた、疲れていても食べやすい軽食と果物を食べながら、ヴィーネは幾度目かの弱音を吐いた。
「仕方ありませんね……」
読んでいた最新版の魔法教本を閉じて、オリガは近くに控えていた侍女に声をかけた。
「馬車を手配してください。行き先は、この町のギルドです」
「畏まりました」
「ギルドですか?」
侍女が出て行ったのを目で追って、ヴィーネは片耳を揺らしながら尋ねた。
「訓練も試合も室内。勉強も室内では、息苦しくなるのも仕方がありません。たまには外へ出て、広い所でのびのびとやりましょう。お弁当も持って行きましょうか」
大きなバッグに教本を詰め込みながら、オリガは立ち上がった。
「……お外に行くのは大賛成ですが、なぜギルドへ?」
恐る恐る聞いてくるヴィーネに、オリガはにっこりと笑う。
「ただ遊んでいるような暇があるわけないでしょう。外で魔法の実践練習です。魔物なり盗賊なり、適当な的を探してから外へ出ますよ」
都合よく、場所柄“荒野”も近いから、都合が良い、とオリガは外出の準備を進めている。
「あんまり外に出ない方がいいんじゃないですか?」
自分の疲れは脇に置いて、ヴィーネが真剣にオリガとお腹の子供の事を心配している様子がその表情から見て取れる。
オリガは彼女の気遣いに感謝しながらも、一二三と彼女の為に厳しい言葉を言わねば、と息を吸う。
「少しくらいは私も運動しなければいけませんし、戦うのはあくまでヴィーネ、貴女です」
「わっかりました!」
荒野に出ると聞いて、少しは元気が出て来たのか、あるいはオリガを守る為に気合を入れたのか、ヴィーネはぴょこん、と飛び上がるようにしてソファから立ち上がった。
「武器を持ってきなさい。お弁当は角のレストランに頼みましょうか」
「じゃあ、隣のお店のタルトも買って行きませんか?」
オリガはいつも持ち歩いている手裏剣の他に魔法媒体のナイフや鉄扇を持ち、ヴィーネは釵と小さな杖を握る。
二人並んで、どこのお店のお菓子が美味しいか、外で食べやすいのは何か、あれこれと楽しそうに語り合いながら馬車へと向かう姿は、仲の良い姉妹にも見えた。
☆★☆
「……自信無くすぜ……」
何度も鼻をヒクつかせていた犬獣人のクレは、がっくりと肩を落として呟いた。
ミュンスターの町を出てから、たっぷり三時間は探し回っているが、姿かたちも、クレの嗅覚には臭いすら感じられない。
アルダートたち四人の冒険者は、早朝からギルドに呼び出されて無理やり受注させられた依頼の為、ミュンスターを出て国境方面へと向かいながら、こそこそと一二三を探していた。
皇国騎士や兵士に見つかると面倒になるので、周囲を警戒しながら街道を外れての移動は、たった三時間でも四人を疲れさせるには充分だった。
行けども行けども成果が出ない事が、余計に皆の足を重くする。
「どうして引き受けたのさ。面倒事は嫌いだったんじゃないの、アルダート」
「ギルド長から脅された。領主からの依頼だから、断ったら町にいられなくなるんだと」
おまけにギルド内での評価を下げるとまで言われた、とアルダートは苦虫を噛み潰したような顔でつぶやいた。
ひどい話ね、と聞いた事を後悔したミンテティは苦笑いだ。
「しかし、実際問題としてどうする?」
クレが臭いを感じ取れないとなると探しようがない、とイルフカは周りを見回しながらアルダートに言う。
「他の方法を考えるべきだぜ、アルダート。臭い自体は憶えてるんだけどよぉ、血の臭いがキツ過ぎる」
牙を剥いて、クレが舌打ちをする。
その言葉に、アルダートは引っかかった。
「血の臭い? どこかで戦闘でもあったか?」
「わからねぇけど、結構な大きさのが数箇所……もう少し近くに行けばわかる……と思う」
クレの歯切れの悪さに、アルダートは首を傾げた。
得物を探すために、彼の嗅覚に頼る事は多い。それだけ正確で信頼がおける能力なのだ。
「いまいち判別できねぇんだ。色々混じったような感じで……」
「一番近い臭いの場所まで案内してくれ。このまま歩き続けても、無駄足だ。それに……」
「それに?」
顔を覗き込んでくるミンテティは、興味深げにネコミミを揺らしている。が、アルダートの返答を聞いて、ぺったりと潰れる事になった。
「その血の臭いの原因が、探している男かも知れない」
アルダートが代表でギルド長に会った時、依頼の内容と共に一二三という人物についても聞いていた。
出発前にメンバーにもその内容を話しており、全員一致で「まずは観察から」という事になっている。余計な戦闘に巻き込まれたとして、生き残れる自信が無かったからだ。
「本来は秘密にしておくべき事項だが、領主ビロン伯爵の意向により、特別に教える」
と、ギルド長は言った。
「『正確な情報こそ何よりも身を守る武器になる』と、ギルド長が伯爵様から聞いたらしい」
「しかし、あの旦那が伝説の英雄だったなんてねぇ……眉唾だと思ってたけど、実在したわけね」
そっと移動しながら、アルダートは改めて確認するように話をする。
「ギルドの裏組織なんてもんじゃ無かった。あれはもっと根の深い、噂すら止めておいた方が良いタイプだ」
深入りすれば、ホーラントで発生している内戦どころか、皇国内での対立に巻き込まれる。
「政争になんて巻き込まれたら、オレたち程度の冒険者なんて、使い捨ても良い所の扱いしかされない。なんとしてでも、機を見て足抜けさせてもらおう」
アルダートが決めた基本線に、全員が頷いた。
そうしているうちに、血の臭いの発生源にたどり着く。
「うえっ……」
警戒しながら近づいて、ミンテティはぺろりと舌をだしてえづく。
「これは……皇国兵か」
一山に重ねられたのは、死体の山だった。
二十体程度と思われるが、パーツが分かれてしまっている物も多く、正確な数まではわからない。
魔人族のイルフカがそっと近づき、姿勢を低くして死体を一つ一つ見ていく。
「……血の凝固具合から見て、まだあまり時間は経っていないな。鋭利な刃物で斬られたか、一突きで急所を貫かれている。一部は首を折られているな」
「鋭利な刃物ね。やっぱり一二三の旦那かな?」
見たくないと思いつつもチラチラと視線を送りながら口にしたミンテティの予想に、誰もが同意した。
「少なくとも、これほど見事に切断された人体を他で見たことは無い。それにしても……」
立ち上がったイルフカは、仲間に向き直った。
「この人数を一人で相手したのか? 中には騎士も混じっている。一つの部隊を始末した事になるぞ?」
信じられない、と肩を竦めた瞬間だった。
「褒めて貰って光栄だな」
白刃が、イルフカの喉元に突きつけられる。
「何をしに戻ってきた。俺に賞金でもかかったか?」
死体の山の傍に隠れていたのか、身を低くして飛び出した一二三は、イルフカの背後から他三名をまんべんなく睨みつけている。
驚いて身構えていた三人だが、武器を持っている事の危険に気付いたアルダートの指示で、全員が武器を放った。
「待ってくれ。あんたに用があるのは間違いないが、討伐やらの話じゃない」
「なんだ、つまらん」
刃を引いて、イルフカを仲間の方に蹴り飛ばすと、一二三はつまらなそうな顔をして納刀する。
「それで、用件は何だ?」
「領主のビロン伯爵があんたに会いたがっている。オレたちはあんたを探して、その伝言を伝える為に来たんだ」
正確には、案内して引き合わせる所までが仕事になっているが、とアルダートが説明すると、拍子抜けする程に一二三は簡単に了承した。
「だが、すぐには無理だな。残りを片付けるのに数日はかかる」
「……何をする、いや、何をしているんだ?」
聞くべきでないかも知れないと思いつつも、アルダートは聞かざるを得ない。これがその辺にいるチンピラ程度なら、適当に痛めつけて連れて行くのだが、軽い気持ちで戦いになれば、その直後には殺しに来る相手だ。
アルダートの質問を受けて、一二三はニヤリと笑った。
「あの時、兵士の動きが思ったより良かったんでな。ちょいちょいつついてみた。三分の二くらいは気の抜けたつまらない連中だったが、残りはしっかり統率がとれていて、いかにも“軍”という感じだったな」
面白かった、とカラカラと笑い声を上げる。
「かなり人数がいるからな、全体で二千くらいは野営している。興が乗って百くらいは減らしたが、まだまだ残っている」
犠牲者は目の前にいる死体の山だけでは無いらしい。クレが言っていた“数箇所”は全て同じように山になっているのかも知れない。
「その二千を殺しつくしていくつもりか?」
「おいおい、物騒な奴だな」
一二三はアルダートに笑いながら首を振った。
「あまり減らしてホーラントの内戦があっさり終わってもつまらないからな。ある程度で我慢するつもりだ」
だから、と指先で柄頭をとんとん、と叩きながら、一二三は言う。
「数日待て、とサ……ランスロットに伝えろ」
アルダートは仲間たちを見た。全員と目が合って、胃の痛みを感じながら、一二三に向き直る。
「悪いが……冒険者として引き受けた仕事で、最後まで見届けないといけない。邪魔はしないから、しばらく同行させてもらいたい」
「同行?」
ふむ、と一二三は腕を組んで考え始めた。
両目を閉じてはいるが、アルダートから見て、どこかに攻撃を加えるような隙は無い。
「邪魔をしないなら良い。だが、巻き込まれて死んでも知らないぞ?」
「オレたちは、これでもミュンスターでは名の売れた冒険者なんだ。自分たちくらいは守れるさ」
アルダートはぎこちなく笑って、肩を竦めた。
「分が悪けりゃ、さっさと逃げるさ」
「はっはは! それならいいさ」
なるべく早く終わらせてくれ、と思いつつも口には出さず、アルダート達は一二三の楽しみに付き合う事になった。
☆★☆
獣人族の町“ヘレンとレニの町”のギルドには、当然ながら獣人族の冒険者が多い。
ギルドと冒険者のシステムはフォカロルから入って来たものだが、この数十年でしっかり定着しているらしく、特に獣人族たちは“荒野”と呼ばれる未開発地帯に入る土地勘と実力を持った者が多いため、荒野からの採集物の依頼が多い。
そういった理由も有り、町の規模の割にはギルドは人が多い。
そこに、人間の女性が二人連れで訪れたとき、ギルド内にいた誰もが依頼の発注に訪れたと考えた。まして、オリガやヴィーネが着ている物は仕立ても良く、貴族や豪商の家族に見えても不思議では無い。
カウンターにいる職員ですら、そのつもりでニッコリとスマイルを浮かべて対応する。
「ギルドへようこそ。ご用件をお伺いします」
「日帰りで行ける範囲の魔物を教えてください。もしくは盗賊か賞金首の情報でも構いません」
「……えっ?」
きょとんとした顔の女性職員に、オリガとヴィーネは揃ってギルド証を見せた。
「本物……えっと……」
「ギルドが違っても使えると思ったんですが、違いますか?」
「いえ、大丈夫です! ま、魔物の情報は奥の部屋に資料を用意しておりますのでご自由に閲覧いただけます。持ち出しはできませんが、書き写すのは自由です。賞金首や盗賊の情報は、あちらのボードに掲示しております」
礼を言って、先にボードを確認しましょう、と連れだって歩き出したオリガ達の前に、上背が二メートルを軽く超える、熊獣人の男が立ちはだかった。
「ひ弱な人間の女が、犯罪者といえ獣人族を倒せるわけがねぇだろ。悪い事はいわねぇから、帰りな」
熊獣人の言葉に、周囲の冒険者たちは口々に同意している。
マズイ、と咄嗟に感じたヴィーネが前に出ようとしたが、遅かった。
「身体が大きいだけで、自分が強いと勘違いしているようなのが偉そうにしているあたり、ここの冒険者も程度が知れますね、ヴィーネ」
名前を出さないで、と思いつつ、否定も肯定もできないまま、ヴィーネは息を飲む。
「んだと!? こっちは親切心で言ってんだ!」
腹に響く様な低い声がとどろいた。
が、オリガは何故か口の両端を引き上げて興奮気味に笑っている。
「何がおかしい!」
男が背負った大剣に手をかけた瞬間、オリガは口の中で小さく「来た」と呟き、相手の目を見て、押し殺したような低い声で言い放つ。
「それを抜いたら殺します。そのつもりで選びなさい。退くか、死ぬか」
それは以前、一二三がこの世界で初めてギルドを訪れた時に言い放った言葉。少しだけ違うが、状況に合わせればこれが適当だろう。
オリガが内心で期待した通り、熊獣人は激高して大剣を抜き、白刃を晒した。
「抜きましたね」
押えているつもりだが、オリガの声には喜悦がはっきりと含まれている。
直後、開かれた鉄扇が熊獣人の目の前を上から下へと流れていく。
「……へっ、何をするかと思えば、風でも送って……」
笑っている間に、熊獣人の身体は左右がずれて崩れていく。
扇に沿って発生した風魔法の刃によって切断され、内臓を撒き散らし、床にびしゃりと広がった熊獣人は、目を見開いたまま死んでいた。
「ヴィーネ」
「は、はいっ!」
鉄扇を畳んだオリガは、笑顔で振り返った。
「このように、動きを付けて魔法のイメージを作ると、発動も速く精密な扱いも容易になります。憶えておいてください」
「わかりました!」
背筋を伸ばして返事をするヴィーネに、オリガは「何を緊張してゐるんですか」と声をかけ、何事も無かったかのようにボードへと向かった。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。




