34.初戦
34話目です。
よろしくお願いします。
一二三が八十余年ぶりにミュンスターの町に入ったのは、城を出て五日後の昼間だった。王都からの列車に揺られ、途中の町でのんびりと地元の食事などを愉しみつつ各地で宿泊して、ゆっくりと移動していた。
それでも、騎馬や馬車、もしくは徒歩が移動の基本だった以前にくらべれば、遥かに速い移動速度だ。
「ここは大して変わって無いな」
ミュンスターはホーラント国境に最も近い町として、戦争終結後は交易の拠点としての機能を取り戻し、安定した発展をしていた。
ただ、反対側の魔国側とは違い、他種族の出入りは少なかったため、フォカロルやその周辺程の発展はしなかった。とはいえ、国内でも景気が良い地域の部類には入る。
「ちょっと待て」
列車を降りて、街中へと向かおうとする一二三を呼び止めたのは、警備をしていたビロン伯爵家所属の兵士だった。
見慣れない服を着た人物が見えたので声をかけたのだが、武器を携帯している事に気付くと、やや緊張した面持ちで問いかけた。
「冒険者か? 何のためのミュンスターに?」
「一応は冒険者だな。ホーラントまで……そうだな、観光だ」
証明だと渡されたギルドの所属証に視線を向けながら、兵士は首を傾げた。
「観光? ……戦争に参加するんじゃないのか?」
「別に決めていないな。こっち側からホーラントを見に行って、そこでどうするか決めるさ」
「そうか……町の中は当然だが、外にも王国所属の騎士と兵士がいる。揉め事を起こしてくれるなよ」
行って良い、と促され、一二三は「そうか」と言って町中へと向かった。
魔国側と同様、ミュンスター側からも、それなりの数の冒険者がホーラントへと入り、戦争に参加している。
多くが排斥派の軍勢に与するのだが、戦況を見て決める者や、途中で鞍替えする者も珍しくは無い。現金と言えばそれまでだが、不利と見れば逃げるのは、名を上げるために戦場に来た事を考えればおかしな話では無い。
小遣い稼ぎに盗賊でも狩るつもりだった一二三は、ギルドに行こうかという足を止めて、匂いにつられて食堂へと入った。
サンドイッチなどを持ってはいるが、出来立てを食べたいと思うのは仕方ない、と適当なテーブルについて、二、三人前適当に持ってくるように注文する。
「この匂いは?」
「魚醤で焼いた魚です。この町の名物ですよ」
即決で追加注文にいれて、のんびりと食事が来るのを待つ。着席中は刀を腰からはずして、少し考えて傍らに立てかけておくことにした。
一二三の背後、店内の奥の方にいる兵士らしき連中の視線に、妙な雰囲気を感じたからだ。
「お待たせしました」
最初の料理が来て、片端からモリモリ口に放り込んで行く。
魚醤は少し癖があるが、淡白な白身の川魚には良く合う。久しぶりに米が欲しいと思いつつ、蒸しパンのようなもちもちとしたパンを噛み千切った。
「まふぉえ」
口の中にたっぷり詰め込んだまま、一二三の両手が素早く動いた。
置いていた刀を掴み、中ほどまで引き抜いた白刃が、背後から刀に手を伸ばしていた鎧を着た男の首に押し当てる。
小さな悲鳴を上げて硬直した男を見下ろしたまま、ゆっくりと口の中の料理を飲み込んだ。
「後ろで食ってた一人だな。人の獲物に手を伸ばしたんだ。それなりの覚悟の上だろう」
「ま、待て! 俺はオーソングランデ王国兵だぞ!」
「知るか」
喚き続ける男の喉に、刃が食い込んで行く。
喉を掻き斬りながら、一二三は男の頭部を押えて、その身体をテーブルの下に蹴り込んだ。飛び散る血が料理に入らないようにするためだ。
「貴様!」
刀の血を拭い、鞘に納めてそのまま食事を再開した一二三の背後に、どかどかと数人の男が迫った。
食事を続けながら視線を向けた一二三に、先ほどの男と同じような鎧を着た者たちが怒り心頭の表情で迫った。
「我らの仲間になにをする!」
「王国兵の身分を名乗ったというのに……これは王国に対する反逆だぞ!」
殺気だった兵士たちは、剣に手をかけながら口々に仲間の擁護を始めたが、一二三は冷めた目をして見ていた。
ごくり、とパンにはさんだ魚醤味の焼き魚を飲み込むと、怯えている様子の店員に視線を向ける。
「俺はそこまで国の法律に詳しくは無いんだが」
足元に転がった死体を蹴り飛ばしながら、店員に尋ねる。
「この国では、兵士なら誰かの物を盗んでも許されるのか?」
そんな法は無いはず、と思いつつも兵士を気にして店員が答えに窮している間に、それを聞いていた兵士たちが完全に剣を抜いた。
「それ以上侮辱する事は許さん! 王国兵を害した罪は、その命で償ってもらう」
来た、と一二三はほくそ笑むと、「埃が立つ。外に出ろ」と刀を掴んで外へ向かった。
「戻って喰うから、料理はそのまま置いておいてくれ。すぐ戻って来るから、まだ出してない分も作っておいてくれていい。同じ量を持って帰るから、それも頼む。魚のやつ多めにな」
散歩に行くかのような気楽な調子で追加注文まで付けた一二三は、するすると店の外へ出た。
「待て!」
後を追うように兵士達が出ていくと、店員は血塗れになった床と転がった死体を見て呆然としていたが、厨房から出てきた同僚に声をかけられて我に返った。
「何か騒動があったみたいだが……うわっ!?」
死体を見て驚いた同僚に、店員は先ほど一二三が出した注文を伝えた。
「私は町の兵士を呼んでくる」
「あ、ああ……あっ!」
死体と一緒に体よく置き去りにされた事に気付いた厨房の男は、逃げるように料理に戻った。
☆★☆
全くの偶然だったが、食堂の店員が道行く兵士に声をかけた時、そこにビロン伯爵の秘書であるサーラもいた。王国兵への対応状況を調査したいと考えた伯爵の指示を受けて動き始めたところだったのだ。
「王国の兵士たちと、一人のお客さんが揉めて、兵士が一人斬られて……」
と、多少の混乱をしながら店員が伝えた時、サーラは店員が言い間違えただけで、一般客が王国兵に害されたと思っていた。
現場に到着した時点で、勘違いしていた事に気付かされる。
人々が遠巻きに見ている中で、倒れているのは王国の兵士ばかりだったからだ。
「彼は……!」
声を上げたサーラは、未だに乱闘が続く中に飛び込もうとする領兵を止めた。
「サーラさん、どうかされましたか?」
「あの男性に見覚えがあります……変に飛び込むと、貴方達も巻き込まれて殺されますよ」
腕に自信のある兵士はサーラの言葉に不満を覚えたが、血の気の引いた彼女の顔を見て、押し黙った。
そして、実際に乱闘の光景を見て、サーラの意見が正しい事を知る。
既に倒れ伏している兵士は三人。血溜まりに突っ込んでいる彼らは、微動だにしない。
「後三人か。もう少し長持ちすると思ったが、騎士に比べると腕は落ちるな」
中央で細い片刃の剣を振るった男が呟く。刃から飛び散った血が、地面に模様を描いた。そして、男はサーラの顔を見て片眉を上げて何か気付いた風な顔をする。
「ん? まあいいか。ここの兵士だろうが、こいつらは俺の敵だ。邪魔をするなよ」
言っている男に対して、王国兵が斬りかかる。得物は配給されたシンプルな両手剣だ。
上段からのまっすぐ切り下げる動きは、ビロン領兵から見ても基本に則った悪くない動きだった。速度もある。
だが、刀と呼ばれる、大昔の英雄が使ったと言われるものと同じ形の細い剣を持った男の方は、少しも動じることなく対応する。
「なんという腕だ……」
交差するようにすくい斬りに振り上げられた刀は、鎧の無い敵兵の脇をかすめ、切っ先数センチを使って、鎧に僅かも引っかける事無く斬り裂いた。
動脈を切断された兵士は、血を噴き出しながら倒れ伏す。そして二度と動く事は無い。
残った二人の兵士は同時に襲い掛かったが、どちらの武器も切っ先すらかすめる事は無い。
一人は首すじに刀を差しこまれ、血の泡を噴いて倒れた。
直後、もう一人は突きだした腕を掴まれ、くるりと身体をひっくり返された。
自分が突っ込んで行った勢いをそのままに、うつぶせに倒された兵士は、地面に思い切り顔を叩きつけられ、痛みに呻く。
兜ごと首筋を踏みつけた一二三は、最後の敵へと刀を振り降ろす。
「待ってください!」
「何のために?」
「その男は、この事件の参考人として捕縛させてください」
間一髪、サーラの言葉で、鎧の隙間に差し込まれる直前の切っ先が止まった。
「一二三・トオノ伯爵ですね。わたしは見ての通り魔人族のサーラと申します。わたしの雇い主であるビロン伯爵にお会いいただけませんか? そこでお願いしたい事があります」
「名前は初めて聞いたが、思い出した。お前、ウェパルの部下だった奴だな」
「……年齢がばれるので、その辺りでご勘弁願えませんか?」
ふん、と鼻で笑った一二三は、足元で倒れている兵士の顎を蹴って気絶させると、刀の血を拭った懐紙を放り捨てた。
「飯の途中だ。食い終わったら行く。得物を一つ譲るんだ。それだけ楽しい提案が聞ける事を期待している」
「……お待ちしております」
領主館の場所は変わっていない事を確認した一二三は、悠々と食堂へ戻って行った。
「捕まえなくてよろしいのですか?」
「捕まえられますか?」
尋ねてきた兵士は、逆に質問で返されて言葉に詰まった。
「彼はあらゆる意味で特別です。わたしは伯爵に報告してきますから、後の処理をお願いします」
「王国騎士への連絡はどうしますか?」
「こちらからの依頼を無視して町中に入った兵士を、法に則って領主が処分するだけですから、気を遣う必要はありません。伯爵の名前で抗議しておきますから、気にせず生き残った兵士は投獄しておいてください」
サーラは、この機会をうまく利用して、王国の兵力を追い出せないかと考えていた。
「まったく……町の雰囲気は悪くなる一方。戦うならさっさと戦場へ行けば良いのに」
☆★☆
「なんでこんな事に……」
固く突き固められた土で形作られた闘技場は、左程広くは無い。普段稽古している“兎飛翔拳”の道場と変わらない程度だった。
周囲には数名の観客が立ったり座ったりして、彼女と、その目の前に立つ立派な体格をした虎獣人の男性を見つめている。
琉球空手で使われる釵に似た武器を両手に握りしめたヴィーネは、ゴクリと息を飲んで、目の前の虎獣人へと向けていた視線を、ちらりと横へ滑らせた。
そこには、特別に用意された椅子に座り、じっとヴィーネの様子を見ているオリガの姿がある。
翠の相貌は、ヴィーネの敗北を決して許さない思いを孕み、物理的な圧力すら感じる程だ。正直に言って、目の前の虎獣人より怖い。
稽古を始めて七日。
当然ながら、最初から町で一番強いドルトザンと戦えるわけもなく、対戦する権利を得るため、ヴィーネは初めての対戦に挑んでいた。
試合であるため、互いに木製の武器だが、下手をすれば命に係わる。
「それでは、双方よろしいか?」
立会人と名乗った猫の獣人が、ヴィーネとその対戦相手双方の顔を見た。
「では、はじめっ!」
掛け声と共に、ひょいっと後ろへ下がった立会人。
入れ替わるように、虎獣人はガチガチの筋肉で覆われた肩を突出して突進してきた。
「ひゃあっ!」
先ほどの猫獣人よりも鋭い動きで身をかわしたヴィーネだったが、巨体が通り過ぎる圧力にすっかり萎縮してしまっていた。
必要以上に距離を取り、釵を握りしめる手にも力が入っている。
釵は両サイドにフックがついた短剣のようなもので、今は試合用に木製の物を使っているが、普段の装備では金属製で、中央の四十センチ程の棒は、先端から中ほどまでが鋭利な刃物になっている。
柄とフックを鷲掴みにするように持ち、くるくると持ち方を変えながら扱う武器だが、稽古の中でヴィーネの手に一番馴染んだため、最近はずっと訓練に使っている。
手甲代わりに使い、防御や受け流しが出来るうえ、フックを使って相手の武器や服を絡め取る事も出来る。
十手に近い武器だが、刺突・斬撃もできるようになっている、扱いは難しいが変幻自在に使えれば、相手は対応に困るのは間違いない。
「うおおっ!」
通り過ぎた虎獣人は、気合いをいれる雄叫びと共に、再びヴィーネへ迫った。
先ほどのような猪突猛進とは違い、しっかりと足を踏みしめて、手に持った大剣を模した二メートルを超える長さの木剣を振るう。
当たれば大怪我は免れない、暴風のような一振りを、ヴィーネは長い耳を押えながら、しゃがむ事で避けた。
「ヴィーネ」
それは決して大きな声では無かったが、しっかりとヴィーネの耳に届いた。
ぶんぶん、と乱暴に振り回される木剣を避けながら、聞こえる声に意識が引っ張られる。聞き逃すわけにはいかない気がする。
「今の突進を避けた時、相手が踏み込んで来た時、そして今、剣を振り抜いた直後。少なくとも三度は相手を殺せたはずです」
「ころ……」
あくまで試合なのだけれど、とヴィーネは思ったが、あくまで“それくらいのつもりでやれ”と言っているのだろうと無理やり納得する。
「この程度の相手に苦戦していたら、一二三様が設定された目標に届くはずがありません」
一二三が帰ってきた時、落胆させてしまうかも知れない。いや、それ以上に興味すら無くされてしまう可能性が高い。
それは、ヴィーネにとって何よりも恐ろしい状況だった。
「が、がんばらなくちゃ!」
固く握りしめていた釵を、少しだけゆるく持ち直す。
「舐めるな!」
オリガの声が聞こえていたらしく、虎獣人は牙を剥いた怒りの表情で、さらに勢いを付けて木剣を振り回してきた。
だが、それはヴィーネに対して悪手だ。
力み切った大ぶりの斬撃は、ヴィーネには楽に見切る事が出来る。
「ぇえいっ!」
両手の釵を木剣に引っかけたヴィーネは、そのまま飛び上がって身体ごと木剣を捻った。
無理な方向へ持って行かれた木剣を、虎獣人は両手の力だけでは支える事ができず、たまらず手を離す。
明後日の方向へと木剣が飛んで行くのを無視して、素手になった虎獣人の肩へと飛び乗ったヴィーネは、釵の切っ先で相手の首を挟んだ。
武器が本物であれば、そのまま軽く引くだけで殺せる体制だ。
「そこまで!」
立会人の言葉が響き渡り、やった、と顔を上げたヴィーネ。
その頭に飛来した木剣が命中し、彼女は虎獣人の上から転がり落ちた。
「あ、頭がぁあああ!?」
訳も分からないまま転げまわるヴィーネ。
観客は見ていた。弾き飛ばされた木剣がオリガへ向かって飛来したのを。そして、緊張した観客たちの目の前で、オリガによる風魔法で吹き上げられ、山なりにヴィーネへ向かって飛んで行った事を。
勝者への賞賛はそこそこに、観客たちは勝ったのに正座して反省させられているヴィーネに、温かい目を向けていた。
同時に、オリガが“怖い人間”として獣人族たちの間で名前が広まる事となった。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。