29.彼女の事
29話目です。
よろしくお願いします。
一二三がエクンに案内された役場は、フォカロルの旧領主館にそっくりだった。
「ここはフォカロルを見学されたレニ様のたっての希望によってこの形で建造されました。他に同道されたヘレン様やゲング様も、賛成されたそうです」
他に役場として使用されている建物を見ても、フォカロルの物以上にシステマティックに動いている役所を見る事が無かったせいだが、エクンとしてはこれが一二三に対する憧憬の表れの一つだと思っているらしい。
エクンの顔は広い。
職員たちからの挨拶を返すと、勝手知ったるという様子で二階へと向かう。
そんなエクンの後ろを、足音一つ立てずについていく一二三について、何人かはうっすらと感づいたらしく、ひそひそと話し始めていた。
「入りますよ、族長」
「うぇ? ああ、エクンか」
一つの部屋の前で立ち止まったエクンは、ノックと共に質会いに声をかけた。居眠りしていたのだろうか、寝ぼけたような声が帰って来る。
振り向きながら苦笑いをして、エクンは扉を開ける。
「またこんなに散らかして……」
書類が散乱する部屋には、デスクと棚と小さな応接があるだけで、応接のソファに犬獣人の男が、鼻面に眼鏡を乗せてぼんやりと座っている。
どうやら、居眠りでは無く、ソファでしっかり眠っていたらしい。年のころは、一二三が知るゲングと変わらない。というより、見た目は瓜二つだ。
「寝ている所に悪いが、聞きたい事があって来た」
「いえ、そんなことは無いんだが、あんたは……」
真正面にどっかりと座った一二三を見て、一瞬顔をしかめた犬獣人の男は、目を擦って改めて一二三の顔を見ると、慌てて立ち上がった。
「え、ちょ、ちょっと! ちょっと待って!」
急いで立ち上がった犬獣人は、書棚の横に積み上げられた紙束の中から、ピンポイントで一冊のひもで綴じた書類を引き抜くと、爪の長い指で器用に紙を捲って行く。
「あった! やっぱり!」
戻ってきてた犬獣人が見せた書類には、多少美化された一二三とオリガの姿絵があった。
「なんだ、こりゃ?」
「何って、本人ですよね?」
嬉しそうに目の前で次々と紙を捲って行く。
「爺さんには絵心は無かったけれど、忘れてしまう前に、ってあれこれ注文つけて似顔絵を描かせたんです」
自慢げに見せられるイラストは、どうやらゲングが直接目にした姿だけでは無いらしい。町がある程度安定した頃、この町を訪れた一二三を知る何人かの人物から話を聞いて、その内容を絵と文章で遺したらしい。
「ふぅん。良く描けてるな」
フォカロルの兵などからも話を聞いたのだろう。懐かしいと思えるような、対ヴィシー戦の絵なども残っていた。
「貴方は殺されたわけじゃなくて、封印されただけだったから、是非一度見てもらいたいと思ってたんです。人間は妙な飾り言葉を付けて貴方を“大昔の権威”にしてしまったけれど、爺さんは違った。貴方が確かに誰かに見せた事、何をできたのかをしっかり遺して、それを懸命に真似る事に余生を奉げたんです」
その結果の一部が、先ほど見てきた獣人族の道場らしい。他にも、ゲングが遺した資料が基になっている武術は多い、と彼は言う。
「そろそろ、きちんと挨拶をしなさい」
「ああ、これは失礼」
エクンの注意を受け、犬獣人の男は一二三に頭を下げた。
「ゲングの孫、フルヴです。見ての通り戦いはからきしですが、獣人の事なら字が読めるようになってからこっち、ずっと研究しておりますんでね。何でも聞いてください」
顔を上げて、ニカッと笑う表情も、ゲングそっくりだった。
「ふふん、良く似ているな。笑えるくらいだ」
「そうでしょう。吾輩も、彼と会うたびにゲング様を思い出します」
まあ、何でも聞けと言うなら都合が良い、と一二三は単刀直入に切り出した。
「ホーラントの町で虎獣人と人間のハーフと思しき女に会った。そいつは殺したが、そいつ以外にハーフを見たことが無い。どういう事だ?」
一二三の質問を聞いて、フルヴは頭を掻いて立ち上がり、先ほどとは別の書類の山に手を突っ込み、二冊の紙束を抱えて戻ってきた。
「……普通に交配しても、他種族間では子供はできません。獣人族同士では子はできますが、父母どちらかと同じ獣人として生まれます」
顔を上げず、フルヴは説明を始めた。
「ですが、たまに例外があるのです」
開いた書類を一二三に差し出す。
そこには、“混ぜ者”と書かれ、兎のような耳がはえた熊のような顔をした子供が生まれた事がある、と書かれている。
「新しく獣人の町を作る際の入植希望者を募る為に、勧誘して回る為の一団が組まれた事がありました。その時に聞き取りして回った者が遺した記録です。熊獣人の集落の年寄りから聞いたようですね」
そのハーフの子は忌み子として処分されたらしい、と聞き書きの記録には残っている。
「しかしこれは獣人同士の事。さらに種族を越えて人間と獣人族のハーフとなると、あっしも聞いた事はありません。ただ、あまり良い話ではありませんが、想像できる“方法”が二つ」
そう言いながら、フルヴは先ほど持って来た書類の残り一つを開いて見せた。
線画で描かれたそれに、エクンが顔をしかめる。
「あっしが生まれる少し前、先代の族長が密かに処理した案件です。未熟な状態で生まれちまった子供ですが、すぐに死んだようです」
それは人間のようにも犬のようにも見える顔をした胎児だった。
早産だったのか、かなり未熟な状態で産まれたらしい。
「この子の母親はあっしと同じ犬獣人だったのですが、次に生まれたのはちゃんと犬獣人だったようです。で、疑問を覚えたあっしは、たまたま兎獣人の妊婦が事故で亡くなった時に流れた子供も確認できましたが、ちょうどこんなふうに、人間みたいな顔が混じってました」
偶然だったうえ、線画の記録は残せなかったが、兎獣人同士の夫婦から生まれる予定だった兎獣人の特徴もありながら、人間のような顔つきをしていたらしい。
「あっしの推論としてはこうです。獣人は母親の中で人間と獣人の特徴を経て、獣人として完成した状態で産まれてくるんじゃあないか、と」
腹を開いて確認するわけにはいかないんで、あくまで想像ですが、とフルヴは苦笑する。
「ですから、その人間と虎獣人のハーフも、何らかの理由で未熟な状態で成長して生まれたんじゃないか、とも考えられる訳です」
「本人や周囲がハーフだと勘違いしていた、というわけか」
フルヴは頷く。
だが、一二三は今一つ納得がいかない部分があった。今や疑問符がついた虎ハーフのセメレーが持っていた、異様なまでの獣人族などの異種族に対する恨みに似た感情だ。
殺してしまった以上、事情などは聞けないが。
「……偶然では無く、人工的に生み出す技術があるとしたら?」
一二三の質問に、フルヴは息を飲んだ。
「……はっきりとは言えませんが、魔法で産まれる前から何らかの“操作”を行えば、あるいは……。そんなこと、人の理に反しますがね」
平気で胎児を観察できるフルヴでも、そこは許せない部分があるらしい。
「いえ、待ってください……。そうですね。子が形になる前に、他種族との無理やりつなげて固定できるような、魔法的な影響を与えやすい微少な魔法媒体があれば、そういう実験もできるかも知れません」
全くの机上の空論ですし、そんな事に協力するような母親など居ないでしょうが、とフルヴは続けた。
「魔法的に影響を与えやすい、微少な媒体な」
一二三は左手の手袋を外し、真っ黒な指先を砂状に変えて少しだけテーブルの上に零した。
エクンもフルヴも息を飲み、黙って見ていた。
「……ここにある。そして、魔人族はもっとたくさん持っている」
ひょっとすると、彼女が憎んでいたのは魔人族と、その実験に協力した母親である獣人だったのでは無いか、と一二三は思い至り、微笑みを浮かべた。
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