197.メルティ・ホテル
197話目です。
よろしくお願いします。
イメラリア教本部へと先に到着したのは、オリガたちではなくプーセたちだった。
そこに到達するまで、オーソングランデの兵士たちからの妨害は一切無く、監視だけがついていて、不気味なほどにノータッチのままここまでたどり着いた。
「どうするの?」
ウィルが問うも、プーセには答えが出せない。
「まさかオリガさんよりも先にこの町にたどり着くとは思っていませんでしたから。一つ前の駅で待っていて……それだと合流することもできないかも知れませんし……」
ブツブツと独り言を言っているプーセに、ウィルは肩をすくめた。
小さな手でぺちぺちと一二三が収められた木箱を叩いて、彼女はとにかく拠点を作ろうと言った。
イメラリア教本部がある都市はそれなりに広い。
大人数でも宿をとるのは難しくないだろうとウィルは言う。
「ですが、私たちは敵対する勢力の軍事力ですよ?」
「ここまで何も邪魔してないんだから、平気よ。気にすることは無いわ。夜中に襲ってこないように監視を付けて、町の入口と駅に連絡役を置いてオリガさんが来るのを待ちましょうよ」
それともこのメンバーで荷物でしかない一二三を抱えたままで教団本部へ乗り込むか、と問われて、プーセは答えに窮した。
「さっさと彼の箱を宿に移しちゃいましょうよ」
「そうね。そうしましょう」
木箱を抱えた兵士たちの集団を率いる二人の女性が、訝しむ目を受けながらも宿へと入ったのは、まだ昼過ぎのことだった。
三階の部屋全てを借り切った状態で、廊下の各所に兵士たちが配置された警備体制を取ったところで、プーセはウィルと同室に入り、ベッドへとばったり倒れた。
「疲れた……」
「ウェパルは大丈夫かしら?」
ウィルの方はまだ元気が残っているようで、室内の片隅に置かれた木箱をぺちぺちと叩いて呟いた。
「あの人は大丈夫でしょう。元魔王で、一二三さんがいた時代から魔人族をまとめてきた女傑なんですから」
「プーセ、あんたもそうなんでしょう?」
オリガやウェパルからプーセについての話を聞いていたウィルは、興味深げに尋ねた。
「大昔に一二三が大暴れした……」
「大昔ではありません。ひと昔前といったところです」
大昔、と言われるとまるでおばあちゃんのように感じられて嫌だ、とプーセは年甲斐も無くむくれて見せた。
「……ひと昔前に、一二三が暴れていたころにウェパルは魔人族の代表で、プーセもエルフを率いていたんでしょう?」
「正確には、率いていた人のお手伝いをしていただけです。たまたま一二三さんと話をする機会があって、エルフの集落で彼の世話役のようなものをしていた縁があっただけですよ」
「じゃあ、一二三と昔恋人だったとか、そんなじゃないの?」
「オリガさんに聞かれたら殺されますよ? ……私はエルフとして彼の存在を危険だと思っていた方です。彼のせいでめちゃくちゃにかき混ぜられてしまった世界で、必死に立て直そうとしていた当時の女王イメラリア様の御心を思えば、彼に惹かれる理由はありません」
「ふぅん」
自分のベッドへと腰を下ろし、ウィルは木箱をちらりと見てから、自分もプーセを真似て横になった。
見上げた天井は少し黒ずんで奇妙に入り組んだ木製の梁に支えられている。
「あれだけ強かったら、王様とか……にはなっているのか。でも、昔いたオーソングランデでは王様にならなかったのね」
「そんな気は無かったみたいですよ」
すでに目を閉じていたプーセの声は気だるげで、疲労と睡魔に押しつぶされそうな息苦しさを漂わせている。
「結局、一二三さんは王様に収まるタイプではないのでしょう。最前線で戦うために生まれた人間で、ただ自分の都合で戦いを引き起こしやすいように、貴族になる話を受けた。それだけなのです」
始まりは召喚だった、とプーセはイメラリアから聞いて知っていた。女王となったイメラリアがそのことを悔いていたのか、あるいは一二三との出会いを肯定的に受け止めたかまではプーセも推し量れていない。
幸福と不幸は、他人どころか当人ですら判別がつかない時がある、とプーセは知っている。
「私も、魔人族も獣人族も、人間たちの世界に来て困惑や怯えはありました。でも、国どころか違う世界に来たというのに、一二三さんは遠慮も慎重さも見せず、ただひたすらに自分が良いと思うことを力づくで推し進めてきたのです」
単純な人なのだ、とプーセは呟いて、そのまま寝息を立て始めた。
ウィルは自分もうとうととしながら、では、イメラリア教という連中は一二三にとって“都合の良い”存在ではないかと考えていた。
息子であるハジメさえ取り戻してしまって、それを喧伝しさえすれば世界は一二三が率いる魔国と非道な研究を進めていたイメラリア教との対立を中心として、国家を巻き込んだ抗争を引き起こすだろう。
「いずれにせよ、当人がこれじゃあね……」
横向きになって木箱を見ながら、ウィルは困ったように微笑んだ。
「この世界にしてみれば、このまま一本の木になって記念樹にでもしてしまった方が平和なのかも知れないけれど……」
ウィルはハジメやオリガのことを思い出しながら、眠りに吸い込まれていった。
☆★☆
襲撃は深夜だった。
見張りの兵士たちは一度睡眠をとってから交代で配置についていたこともあって、しっかりと冴えた目で周囲を見回していた。
にも関わらず、彼らは自分に迫る危険に気付くことなく、ついには命を失うその瞬間にも、何が起きたか正確には理解できなかった。
「あ……」
隣にいたはずの同僚が倒れ、自分の身体も動かないと気付いた時には、すでに彼の下半身は溶け始めていた。
痛みを感じる間もなく、腰から下が床の上に流れてしまった時に、ようやく自分の背後に誰かが立っていることに気づく。
のけぞるように見上げた彼の頭上に、背後から見下ろす一人の女。
敵襲だと気付いた時には、彼の横隔膜はすでに失われ、呼吸もできなくなっている。
「あ、あぐ……」
「しーっ……」
暗い瞳をした女は、滴をぽたぽたと零す人差し指を立てて唇に当てると、その指を死にゆく兵士の額に当てた。
指先が、皮膚を突き破り骨を抜け、ずぶずぶと沈み込んでいく。
指先が完全に頭の中へと埋まったときには、兵士は完全にこと切れていた。
「あとは、老いたエルフと戦えないガキ。つまらない任務ね」
ずる、ずる、とボロボロになった布切れの様な服を引きずりながら、女は歩いていく。
目的はプーセとウィルが眠っている部屋だ。場所はすでに宿の連中から聞き出している。もう、その者たちも完全に溶けてしまった頃だ。
扉の前に立ち、女は木製の扉へとそっと手を当てた。
ずるり、と手は扉へと埋まり、そのまま突き抜ける……はずだった。
「なに、これ……!」
手をかき回してドアの中央をぽっかりと開けると、その向こうには半透明の壁があった。薄い氷のようだが、手を押し当て、溶解液を擦りつけても壊れることが無い。
それはプーセが作り上げた障壁だった。
エルフの秘術とも言われる障壁は、ほとんどの攻撃を寄せ付けない。
「悪いけど、兵士たちだけじゃ不安だから、別口で監視はつけていたのよ。おまけに早いうちに寝ちゃったもんだから、こんな夜中に目が覚めちゃって」
夕食も食べ損ねた、と障壁を挟んだ室内でウィルが言う。召喚したスライム状のモンスターが兵士たちとは別に天井に貼り付いて監視していたのだ。
プーセの方は障壁の構築に集中しており、女の姿を見ても無反応だった。
「ふぅ……じゃあ、ここで待たせてもらうわ。どうせ宿の外からは誰も入ってこないようにしているし、宿の中にいた連中は“誰も残っていない”し」
ドアを全て溶かし、周囲の壁も溶かしたが、障壁が部屋全体を覆っていると知った女は、そのまま両手の先だけを下げるように腕組をする。
「見たところ、随分と神経すり減らしてやっているみたいだけれど、どれくらいの時間もつものかしら?」
「もちろん、ただ黙って見ているつもりは無いわよ」
ウィルが一つの魔導球を放り投げると、障壁に小さな穴が開き、女の足元に召喚陣が形成される。
素早く下がった女の目の前で、召喚陣の中から一体の男性が怒り狂った表情で飛び出してきた。
全身のあらゆる個所から鋭い刃を生やした裸形の男は、血走った眼で目の前にいる女を睨みつけている。
「魔物!?」
「どこかの世界から呼び出した怒れるモンスターみたいね。彼に相手してもらってね」
自分はのんびり観戦しているから、とウィルは部屋の片隅にあった椅子を引っ張ってくると、モンスターと女が対峙する様をじっと見据えた。
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