184.新たな皇王へ
184話目です。
よろしくお願いします。
ヨハンナが立ち上げた正統イメラリア教は本部をイメラリア共和国に置き、現在では元々の神聖イメラリア教から多くの信徒が籍を移している。
同じイメラリア教ではあるが、敵対する関係にあり、同じ町の中に分離した二つの教会があるというのも現在では珍しくない。
しかし、元来の豪奢な建物を使っている神聖イメラリア教に対し、既存の建物を便宜上教会として使っている正統イメラリア教の教会は、目立たない。
分裂は多くの信徒を戸惑わせ、中にはどちらの教派にもつかず独自に女王イメラリアの功績を讃える派閥など、小さな教派が無数に発生していた。
最大数はまだまだ神聖イメラリア教であり、ヨハンナに従って分派した勢力はまだ全体の三分の一に過ぎない。
しかし、神聖イメラリア教の勢力は日に日に衰えている。
一つには教主であるはずのオーソングランデ皇国皇王が死亡し、皇子もまったく人前に姿を現さなくなったことが大きい。
司祭長フィデオローはまだまだ現役であったが、彼は表向きには事務的なトップでしかなく、もともと目立つ立ち位置にはいない。
数多く行われる行事などで陣頭に立つはずの教主は死に、それを受け継ぐはずの皇子が譲位を受けた宣言をしないため、信徒たちに不信感が募っているのだ。
オーソングランデ王城には信徒たちが連日詰めかけており、皇子の姿を見せろ、と半ば悲鳴のような声が響いていた。
しかし、それでも皇子は姿を現すことも無く王妃が時折顔を見せては、特に何かを話すことなく国民たちを睥睨するようにバルコニーから見下ろしては城の中へと入っていく。
城の正門は固く閉ざされ、過剰ともいえる人数の兵士が並べられていた。
そんな王城内に、フィデオローが呼び出されて姿を見せたのは、とある日の夜間だった。
信徒たちの嘆願も真っ暗になる夜ともなれば自然と解散してしまい、馬車を使って裏口から入った彼を見とがめる者はいなかった。
珍しく城へとやってきた彼を見て訝しむ者は何人かいたが、司祭長である以前に皇王の臣下である彼が登城すること自体は不思議ではない。
城にいる者たちから目を向けられているのは、実のところ彼自身ではなく彼に付き従う者たちに対してだ。
幾人かの侍女や騎士が道を譲るのを、フィデオローはゆっくりと謁見の間へ向けて進んでいく彼には、五名ほどの侍従が付き従っていた。
その全員が騎士のようにきっちりと整った制服を着ており、腰にはサーベルや拳銃を下げている。
異様であったのは、覆面をしていることだ。
ボロボロの布袋に穴を開けただけのような覆面からは、鋭い眼光で周囲を見ている目だけがギラギラと目立っていた。
ふぅふぅと荒い息を吐くたびに覆面の口元が揺れ、近くにいる者は異臭を感じて顔を顰めた。
そんな護衛を連れ、自分を呼び出した皇子の下へゆっくりと向かっていたフィデオローに、一人の騎士が声をかけた。
「フィデオロー様」
「何か?」
「陛下は奥の部屋でお待ちですので、こちらへどうぞ」
近衛の者であるという騎士の言葉に、フィデオローはしばらく目を細めていた。一人の侍従が彼の耳元に顔を寄せて何かを呟くと、フィデオローが大きく頷く。
「わかった。では、案内を頼む」
騎士はその様子に不快感を覚えたが、どうにか表情には出さずにいた。
そのつもりだったが、フィデオローには気付かれてしまったらしい。
「これらはわしの護衛であり、イメラリア教の騎士たちだ。気にすることは無いとも」
「は、はあ……。では、こちらへ」
騎士の先導で謁見の間への入り口を通り過ぎ、さらに奥へと向かう。
途中、騎士たちによる厳しい警戒が敷かれた場所にたどり着くと、案内の騎士が振り向いた。
「フィデオロー様。ここから先はお一人でお願いします」
「当然じゃな」
フィデオローは素直に従い、護衛たちにこの場で待つように命じる。
警備の騎士たちは異様な集団を前に待っていなくてはならないかと思うとうんざりしていたが、そこは城内で最も厳しい警備を担う者たちだ。表情一つ動かすことはなかった。
そのまま、フィデオローは王族のプライベートルームの一つへと案内された。
そこに待っていたのは、皇子ニルス・ランテ・オーソングランデだ。
「フィデオロー。良く来た」
自らが足を投げ出す様に腰かけているカウチソファ。その向かいにある椅子へ座れ、とニルスはフィデオローに命じると、傍らにある酒杯を傾けた。
「お元気そうで」
「元気なものか。お前たちにかくまわれていた時よりもマシだが。ここでも息が詰まる思いをしている」
ニルスが言う通り、国王オレステや王女サロメが殺害された後、彼とその母親である王妃は城を抜け出し、しばらくフィデオローら神聖イメラリア教の手の者にかくまわれていた。
一二三たちがオーソングランデを離れたところを見計らって城へ戻ったのだが、以来表舞台へはほとんど顔を出していない。
「今日、お呼びになられたのは、どのような御用でしょう?」
「そろそろ時期が来ているのではないか、と思ったのだ」
「時期、ですか」
フィデオローは老体から苦しそうな声で問い返した。
「おれが皇王になり、オーソングランデ皇国の威光を取り戻さねばならん時期が来ていると言っている」
フィデオローは黙して答えず、その態度にニルスは鼻を鳴らした。
「不満か」
「いえ。そのようなことはございません。確かに、かの一二三が五年後と言った今が外患の心配も少ないかも知れませぬ。かのイメラリア共和国も……」
「あのような国、おれは認めておらぬ」
フィデオローの言葉を遮り、ニルスは憎々し気に吐いた。
「妹のくせにおれを差し置いて王を僭称するなど許しがたい。そのこともあって、今こそおれが皇王として立ち、国をまとめねばならんと言っているのだ」
ニルスは足をおろし、前のめりになった。
「あの男のせいでオーソングランデ皇国は崩壊寸前に追い込まれた。だが、おれが陣頭に立って兵たちを指揮し、ヨハンナを蹴落として再び元のオーソングランデ皇国の姿を取り戻す」
そして、ニルスの野望はまだ先がある。
「傍観を決め込んでいるホーラントも潰す。必要があれば荒野の連中もすべて叩き潰しておれの手下に加えても良い。全ての兵力をおれの指揮下にすることで、一二三に対してまとまった戦力で戦いを挑むことができる」
二、三年でそれを成し遂げ、準備不足の魔国を襲って一二三を討伐する、とニルスは語った。
フィデオローは口をはさむことなく聞いていたが、その表所は動かない。
「どうだ? ついでに分裂したイメラリア教もまとまることができるし、教主としてのおれの功績も他に比類なき輝きを持って後世に伝えられるだろう」
イメラリア教からニルス教に改名しても良いな、とニルスが笑う。
それでも、フィデオローはにこりともしなかった。
ニルスはフィデオローの様子など気にも留めず、とにかく戴冠と同時に教主を引き継いだと皆にわかるような儀式を執り行う準備をせよ、と命じた。
「……問題が二つございます」
「なんだ? 申してみよ」
水を差された、と気分を害した様子のニルスに、フィデオローは「一二三がオーソングランデへ向かっている」と伝えた。
「なっ……何故だ? 奴は五年後だと明言したではないか!」
「目的はわかりませんが……」
フィデオローは嘘を吐いた。
「兎角、今はオーソングランデが危機であることは明確です。狙いはわかりませぬが、いずれにせよ無視して良い状況ではありません」
ただ、とフィデオローは指を立てた。
「一つ良い方法がございます」
あまり大声では言えない、と言うフィデオローに、ニルスは近くに寄るよう命じる。
「なんだ? どうすれば良い」
父親と姉を殺害された記憶がよみがえっているのか、ニルスは顔を青くして狼狽していた。
「我々が作り上げた“混ぜ物”たちが、間もなく完成いたします。それらを使えば一二三など容易く撃退できましょう」
「そ、そうか……。それが何かは良くわからんが、とにかく任せる!」
「ですがもう一つの問題がございまして」
「うっ……!?」
トン、と軽い衝撃を受けてニルスが視線を落とすと、フィデオローが握っていた長い針が、ニルスの腹に突き立っていた。
「混ぜ物完成のために、一二三の因子を集めているのです。陛下の中にもあるでしょう。それを利用させていただきます」
「き、貴様……」
意識が薄れていくニルスを見下ろし、フィデオローは呟いた。
「ご心配はありませんとも。死にはしません。ただ少し、中身をいただいて代わりを詰め込み、わしの良いように動くだけの生き人形になるだけですとも」
直後、布袋を被った護衛たちが返り血に塗れた姿で部屋の中へと入ってきた。
「騎士の死体は隠したな? では皇子を運び出せ。裏口から馬車へと積み込むだ。余人に見られたなら、殺せ」
フィデオローと共に皇子が姿を消したが、数日部屋に籠ることも珍しくなかった皇子だったので、残された替え玉が食事を消費することで城内の者たちもごまかされてしまった。
その間に、皇子は城へと密かに戻された。
フィデオローの操り人形へと調整された姿で。
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