168.追跡者の姿
168話目です。
よろしくお願いします。
ウィルの視界が少しずつかすんでいく。
大きな振動を感じて、萎えていく力を振り絞って見上げてみると、大挙して押し寄せる兵士たちの向こうで巨大な骸骨が崩れ落ちていくのが見えた。
咆哮を上げるかのように顎を大きく開いて天を仰いでいるが、何も聞こえない。二十メートルはあった身長も、今やは半分以下の高さしかない。すでに腰から下は崩れているのだろう。
「……役立たずね」
文句を言ってから、ちょっとあんまりだったかな、とウィルは思い直した。
「頑張ったじゃない。次に呼び出すときは、もっと頑張ってもらうわね」
そう言っている間に、上空をふらふらと飛びながらウィルを守っていた龍型モンスターも墜落した。
土埃を上げながら、城跡のクレーターに大きな溝を刻みつけるようにして滑っていく巨体。
巻き込まれた兵士が悲鳴を上げて潰され、羽根に触れた者は弾き飛ばされた。
「おおおっ!」
守護者がいなくなった、とばかりにウィルへと兵士が殺到し始めたが、その先頭集団に大きな尾が叩きつけられる。
「きゃあっ!」
小石や砂がウィルの顔に当たる。
舞い上がる風には叩き潰された兵士たちの血も混じっており、嫌な臭いがまとわりついてウィルは唾を吐いた。
「ぺっ、ぺっ……ちょっと、もう……」
文句を言おうとしたウィルだったが、目を向けた飛行モンスターの目は、ウィルを見たまま光を失っていた。
そして、ゆっくりとその姿が書き消えていく。
「……はぁ……」
終わったか、とウィルは目を閉じてがっくりとうなだれた。
ちらりと目を向けた彼女の手首からは、血がゆっくりと流れ出ており、魔導陣へと流れ込んでいる。
そこから直接魔力も流し込んでいるのだが、まだ一二三の存在を掴むには至っていないようだ。魔導陣は発動していない。
「これh、ちょっと、失敗、かなぁ……」
魔力の枯渇が近いのを感じる。
血が流れて心臓が止まるのが先か、魔力を失って気絶するのが先か、という状況でウィルは泣き笑いの表情を見せている。
「遅いじゃない、一二三……」
目を閉じたウィルの身体が横たわる。
巨大なモンスターたちのせいで三分の一の数が減らされた兵士たちだったが、意地になって逃げずに戦った者たちは、勝利を確信した。
国の代表を失い、象徴である城も失われたが、最後に国は残ったのだ、と。
彼らは口々に雄叫びを上げた。勝利を確信した叫びは、民衆にも伝わる。
そして、中の一人がウィルの下へと近づいていく。ソードランテの兵士たちの大半が、彼女と共にやってきたモンスターに殺されたのだ。
「死体を吊るしてやろう」
相手が少女であることなど、憎悪の前では躊躇の理由にはならなかった。
猫獣人の兵士は刃の欠けた剣を振り上げ、ウィルの心臓を一突きして完全に止めを刺そうとする。
切っ先を下に向けて振りかぶった。
その直後だった。倒れたウィルの下に描かれている魔導陣から、光が漏れる。
「な、なんだ?」
「逃げろ! また何か来るかも……!」
魔導時から溢れ出した緑色の光は、先ほどまで暴れていたモンスターの姿を兵士に思い起こさせ、近くにいた兵士たちは逃げ出す者や武器を構える者、ただ茫然と状況を見守る者など、混乱している。
剣を振りかぶった兵士は、ぴたりと動きを止めた。
かと思うと、彼の身体は胴体部分を斜めに両断され、左右に分かたれて地面へと落ちた。
「……死の匂いがする」
「うわぁ、これはすごいです」
一二三の声に続いて、暢気なヴィーネの声が響く。
「ひえっ、ウィルさん!?」
「自分の血を使ったか。そういうやり方もあるんだな」
倒れているウィルにヴィーネが駆け寄る。その周囲から自分の足元まで広がっている魔導陣を見て、一二三は感心するように頷いた。
そして、再び周囲を見回す。
驚いた様子で武器を持っている獣人族や魔人族の兵士たち。そして、すり鉢状に落ちくぼんだ土地。大きな爪痕。
「何か大きなものが暴れたような感じだな」
ウィルが何かしたのか、と一二三はちらりと彼女の方を見る。ヴィーネが急いで応急処置をしているのだが、血を失って蒼白の顔でウィルは完全に気絶しており起きる様子はない。
「ヴィーネ。ウィルは任せる」
「は、はいっ!」
先ほど兵士を斬り捨てた短刀を振るい、血を飛ばした一二三はくるりと手の中で短刀を逆手に持ち替えた。
左手は無いが、殴る程度のことはできるだろう。肘を使えば相手を拘束することもできるはずだ。
「まだまだ敵はいるなぁ」
一二三は嬉しそうにカラカラと笑う。
「よしよし、何がどうなったかは後でウィルに聞くから、お前らは遠慮なくかかって来い」
その言葉を皮切りに、兵士たちはクレーターに飛び込むようにして一二三に向かって殺到した。
最初に到達した男を左ひじで殴りつけ、相手の脇を通り抜けるように突き出した右手の短刀が、掬い上げるようにその後ろにいた兵士を斬り捨てる。
そのまま手前の敵を肘で抱えあげて横倒しにして蹴りつけ首を踏みつける。同時に、後ろから来た敵を斬った。
横から殺到した男を足払いで横倒しにして、躓いた後続の喉に刃を滑らせる。
「やはり、人類の繁栄は重要だ」
誰もいない亜空間を思い出しながら、一二三は結論を述べる。
「敵がいない世界なんて、つまらないからな!」
立て続けに十人近くを殺害し、まだまだ敵がいることを喜び、一二三の動きは滑らかさと速度を増していく。
☆★☆
オージュに逃げられたオリガだったが、すんなり帰るような彼女ではない。フェレスとニャールにウェパルへの伝言を頼むと、そのまま国境へ向けてオージュを追跡し始めたのだ。
ハジメの反応は感知範囲外に行ってしまったが、手傷を負ったオージュを負うことは難しくない。
途中の村で手に入れた古いマントをすっぽりとかぶり、くたびれた旅人のような格好で道を歩く姿は、農夫たちが自然と道を譲るほどに威圧感を放っていた。
国境に近い一つの町で、オージュの反応がとどまった。
ハジメの気配も含めて、他の誰かと合流したような雰囲気は無い。ただ宿を取って休息をするつもりらしい。
「……迂闊に接触はできませんか」
追っていることを知られたくないオリガは、感知しやすい距離にある別の宿を取って部屋に入ったが、眠ることはできなかった。休んでいる間にオージュが逃げてしまう可能性もある。
人手が欲しいと思ったが、兵士たちをうろうろさせて警戒させたくはない。また、あの場にいた以上フェレスやニャールも気づかれる可能性がある。
というより、極力オリガ自身の手で取り返したいという気持ちが強かった。
「私が、助けなければ……」
しかし、この調子で追えば数日を待たずにオリガの体力が限界を迎えるだろう。
舌打ちする。
オリガは宿を出るまで、自分の目で一度宿を見ておくかと思っていたが、考えを変えた。
「冒険者を雇いましょう」
この町にも小さいが冒険者に仕事を斡旋するギルドがある。そこで数人を雇い、自分が休んでいる間の監視を依頼することにした。
ただし、手出しはさせない。それはオリガがやらねばならぬことだ。
「少し、よろしいですか?」
「はい。なんでしょう」
ギルドに入り、自分が冒険者であったころを懐かしみながらカウンターの男性へ声をかけたオリガは、マントの陰からそっと身分証を見せた。
受付の男性が息を飲む。
「内密に冒険者を雇いたいのですが。それも、今すぐに」
「……奥へどうぞ。すぐに責任者を呼んで参ります」
こうして、オリガは四人組の冒険者を雇い入れ、宿の監視をさせることになった。王妃としての身分を明かして雇ったのだ。ギルド側が裏切ることはないだろう。
夕暮れが町を包み、ようやくベッドに横たわることができたオリガは、目を閉じてもしばらくは眠ることができなかった。
ハジメはちゃんと食事を与えられているだろうか。眠れているだろうか。不安に泣いてはいないだろうか。
心配しても仕方のないことだが、焦って全てを台無しにしては元も子もない。
「すぐに迎えに行きますからね……」
小さな呟きだったが、力強い決心が込められていた。
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