150.城を守るもの
150話目です。
よろしくお願いします。
「そうですか。ヴィーネが……」
フォカロルへ戻ったプーセは、まだ痛む腰をこらえてヨハンナへの報告を済ませると、休むことなく魔国にいるオリガへと使者を送った。
その書状は列車を使って数日でオリガの下へと届き、彼女が内容を確認したのは、丁度ヴィーネがソードランテへの前へと到着したのと同じころだった。
魔国の王城、その最上階近くにある自室にて、一人で使うには広すぎるベッドの上に座り、オリガは荒野がある方角を見つめる。
「あの子は成長していますね。私も負けないように訓練をしなければなりません」
今は息子のハジメも一歳に近い歳になり、オリガも王妃としての職務を優先してニャールやフェレスに世話を任せている。
この機会に普段の訓練を独身時代に一二三から指導されていた頃のメニューに戻すことを決めた。
決意をすれば即座に行動するのが、冒険者時代からのオリガの性格だった。
立ち上がり、透けるような生地ながら丁寧な裁縫が施された夜着を脱ぎ捨てると、オリガは以前から愛用しているデザインの服を着て、蒼いローブを纏う。
「五年後、私も主人と共にしっかりと戦えるようにならなくては」
ヴィーネが一二三の元にいることは納得していても、妻として、最初の弟子として、そして最大の敵としての立ち位置は譲るつもりは無い。
オリガは細く引き締まった足をブーツに差し入れ、しっかりと固定した。
「ウェパルさんも戻っていましたね。どうせならウィルも混ぜて一緒に訓練しましょう」
言いながら、腕には魔法の媒体となるナイフを仕込み、クローゼットに並ぶいくつかの鉄扇から、シンプルで最も重量がある訓練用の物を掴む。
その重さを確認するように揺らし、鋭い音を立てて開く。
鈍色に輝くその表面に自分の顔が映っているのを見て、オリガはふと頬に手を当てた。
「……多少はお化粧をしておきましょう」
冒険者のころはそこまで手入れをすることも無かったが、一二三のパートナーとして表舞台に出るようになり始めた頃から、少しずつ化粧をするようになった。
「ウェパルさん程の厚化粧は不要ですが、これもたしなみというものでしょう」
実際にやってみると、これがなかなか楽しい。それに一二三もチラチラと自分の顔を見るようになったので、オリガはすっかり化粧が気に入っていた。
汗で流れることは前提で軽く眉を整える程度にして、薄いピンクの口紅だけはしっかりと引いて、軽い足取りで部屋を後にする。
「ヴィーネが戻ったら、訓練もですがお化粧も教えましょう。そうすれば、きっと一二三様も喜ぶでしょう」
オリガにとって、ヴィーネも含めて英雄のそばにいる女性は力を象徴するものの一つである。そして、この世界ではその考えが普遍的でもあった。
妻が複数存在することは珍しいことではなく、裕福であったり、権力者であれば多くの女性を娶って養うことは当然のことだった。
だと言うのに、一二三はオリガ以外の妻を持たない。
性格的な部分も大きいのだが、オリガにとって嬉しいことであり、同時に一二三の存在に自分が重荷になっているのではないか、とも思えてしまう。
「いえ、そんなはずはありません」
と、自分に言い聞かせて廊下を進んでいく。
幾人もの侍女たちが道を譲り、魔王の妻へと首を垂れる。
「あの方に“重荷”になれる者など存在しませんから」
もし、自分が一二三に影響力を持っているとすれば、それはオリガにとって幸福なことではないだろうか。
国境も人種も肩書も全て無視して、自分の手で殺し、壊していく人物。
前の時代には誰にも止められず、自由に世界を飛び回り、あちこちでその価値観を文字通り叩き壊して回った。
想い人と共に破壊を尽くした前の時代。そしてとうとう子を成した幸福。
オリガは思い返すたびに身体が震えるほどの高揚感を覚え、また五年後に始まるであろう波乱の中を、主人と二人……あるいはヴィーネも入れて三人で駆け抜ける日が待ち遠しくてたまらない。
そんなオリガを不愉快にさせる伝令が来たのは、談話室にてウェパルを見つけた直後だった。
「所属不明の軍が、こちらへ向かっているようです! 確認できただけでも数は二千弱! すでにホーラント側から国境を越えて国内へ侵入しております!」
挨拶を交わしたところでその言葉を聞いたウェパルは、酒で少しだけ紅潮した顔を覆った。
「どこの誰だか知らないけれど、面倒なことをやってくれるわね。ねえ、オリ……うわぁ……」
氷の彫刻のような冷たさを思わせる無表情で、オリガは伝令の魔人族兵を見つめていた。
「……五年。たった五年待てば、最高のもてなしをしてくださると一二三様が宣言したというのに……」
わなわなと震えるオリガを見て、ウェパルはこっそりと逃げ出そうとしたが、オリガに呼び止められてしまった。
「ウェパルさんにも手伝ってもらいます。ウィルを探して会議室へ連れてきてください」
「……わかったわよ」
仕方ない、と近くにいたフェレスに酔い覚ましの水を頼みながら、ウェパルは出ていく。
そして、オリガの視線は魔人族の伝令に向けられた。
恐怖に震える伝令兵は、この場に居続けるよりは前線で戦った方が気が楽なのではないかとすら思えていた。
「予想される進路の全ての町は封鎖して、敵軍をやり過ごさせなさい。戦闘は全てここで引き受けます。略奪などが始まった場合は、ここから打って出ます。情報伝達の体制はしっかりと維持するように」
「か、かしこまりました!」
叫ぶように返事をして逃げていく兵士に、オリガはすぐに興味を無くした。
それよりも準備をしなくてはならない。
「勝ちすぎてもいけません。敗北感を与えて、さらに努力して強くなり、今度は主人のために死力を尽くしてもらわなくては」
折角来たのだから、最大限に“もてなして”返さねば、とオリガは会議室へ向かう間に、今回の侵攻に対する指針を定めた。
『恐怖と絶望を与えながら追い回し、大半の兵は国へと帰す』
会議室に集まった面々が、オリガの決定に反対することは無かった。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。