130.本当の勇者とは
130話目です。
よろしくお願いします。
一時間ほど経ってカイテンは目を覚ました直後に、一二三に頭を下げて教えを乞うた。
それは周囲の騎士たちが驚く光景だったが、当人にとってはまったく不思議なことではなかった。戦い方を広めた本人から直接手ほどきを受けることがプラスであるのは間違いないし、それで大切な人物を守れるならプライドなどどうでも良い。
「あたしは騎士としてイメラリア共和国を守るための力を得たい」
「目的なんかどうでも良い」
一二三はカイテンの言葉に対して、手を振って遮った。
むっとした顔をするカイテンは断られるかと思ったが、そうではなかった。
「強い奴が増えるのは大歓迎だ。行きの間は教えてやろう」
「帰りは?」
「まだお前が生きていたなら、な」
その後、数日の間荒野を進んだ一行は、小さな川を渡り歩くようにして進む。昼にも夜にも獣人族たちの襲撃は散発的に発生したが、ほとんどをヴィーネが撃退していく。
「あなた、思ったより強いのね」
「強くないと、ご主人様の近くにいられません」
ヴィーネとカイテンは、それぞれの武器を持って向かい合っている。一二三はやや離れた場所からそれを見ているだけだ。
「相手しても訓練にならないし、殺さない条件で戦うのは面倒だ」
と言って、もっぱら訓練の相手はヴィーネに任せているのだ。
カイテンとしては一二三との手合わせが希望だったが、想像以上にヴィーネも手ごわかった。
ヴィーネの動きは素早い。
しなやかな身体は両手がふさがっていてもするりするりと攻撃を躱し、地面に立っているだけではく、軽やかに飛び回ることで左右だけでなく上下の対応も迫られるのだ。
カイテンとしては初めて対峙する相手で苦戦の連続であったが、ようやく慣れて来た。
「あたしはこれでも、速度には自信があったのだけれど」
ヴィーネと対戦しているうちに、その自信はすっかり失われていた。一日目は消沈していたが、まず一二三には力も速度も追いついていないのだ。今さら落ち込むことでもない、と今では吹っ切れている。
「速さだけだと意味はありません」
カイテンはヴィーネの言葉に素直に従った。
見切りと観察力。
相手が動く方向や攻撃の種類を、行動が始まる直前に。あるいは動こうとする直後に見極め、行動する。
「“後の先”とかご主人様は言われていました」
ヴィーネの説明に、カイテンは驚愕を覚えた。
曰く、つま先の向きから筋肉の動き方で踏み出す方向や距離、速度を判断できる。
曰く、腰の動きが全ての動きの中心にある。全ての威力ある攻撃はまず腰から始まる。
曰く、視線は何よりも正直に目的を語る。
「まだ私もちゃんとできているとは言えませんけれど」
照れたように頭を掻いているヴィーネは、片耳をぴこぴこと動かしている。一二三から教わったことを発表しているのが嬉しく、また気恥ずかしいのだろう。
「助かる、と言いたいけれど、そんな話を簡単に教えていいの?」
「良いんですよ。そう決まってますし、ご主人様の命令でもあります」
八十余年前、一二三が治めていたトオノ伯爵領フォカロルでは、他領だけでなく他国からも人を集め、軍事技術や戦闘技術、そして統治のための人口管理や商工業の仕組みなどを惜しげもなく披露した。
当時のフォカロルはオーソングランデ王国において“もう一つの首都”と呼ばれるほどに隆盛し、今のオーソングランデやイメラリア共和国所属の貴族領はその頃の名残でしっかりと人口統計を取っているところが少なくない。
オーソングランデが強くなったのは、そうして人口の増加と経済の発展を成しえたことで税収が増加し、軍の強化が図られたことが大きい。
人々は一二三のやり方を称賛したが、その目的は強い兵士を作り、戦闘につぎ込む費用を稼ぎ、戦いの規模をもっと大きく激しくすることにあった。
また、大まかな知識しかない一二三のあいまいな目標を明確な政策へと落とし込んだ、カイムを始めとした官僚団の存在も重要だった。
「そして、今回は魔国で同じことをする、というわけね」
「はい。カイテンさんにはご主人様の技の素晴らしさを改めて広めてもらえたら助かります!」
にっこりと笑うヴィーネだったが、その両手には鈍い光を放つ釵が握られている。
カイテンの感触では、ヴィーネの実力はイメラリア共和国やオーソングランデの騎士たちに比べても頭一つ以上に秀でている。恐らく、数名の騎士を相手にしても楽に戦えるだろう。
「自分が小さい世界にいたことが実感できて、とても嬉しいわ」
「そうなんですよ。ご主人様と一緒にいると世界が広がるんです! だから私も、荒野を出てご主人様に会いに来たんです」
そして共に封印された。
カイテンにはそれが幸せかどうかは判断できなかったが、本人は幸福なのだろう。
「強くて、生き残っていれば世界は広がるし、新しいことを知ることができるんですよ」
「そうね……それじゃ、続きをお願いするわね」
手合わせで上がっていた息がようやく収まったカイテンは、両手の鈎爪をしっかりと固定しなおして腰を落とした。
以前のように悠々とした立ち方ではなく、どちらかと言えば獣人のそれに近い前傾姿勢だ。
「じゃあ、しっかり見ていてくださいね」
「ええ。必ずものにしてみせるわ」
カイテンはヴィーネの動きを一瞬でも見逃さないように、目を凝らしていた。
☆★☆
「では、早速ですが準備を進めましょう」
「……もう少し休ませて……」
談話室に乗り込んできたオリガの言葉に、ウィルはソファに寝そべったまま力ない言葉を返した。
「今回の旅は本当にキツかったのよ。帰りの列車も襲われるし、本当に散々だったわ。あと三日は何もしたくない」
魔国の王城に戻って一夜明けたところだが、オリガ以外の随行員も疲れ果てた顔をしている。
兵士たちは交代で休日を取れるが、文官たちは記録係が持ち帰った内容を精査し整理するために徹夜をしたようだ。
「あの程度、襲撃のうちに入りません」
一二三やヴィーネがおらず、ウェパルは遅れて帰着することになった帰り道、再び列車は襲撃を受けた。獣人や魔人族が混じったそれらの敵は、ほとんどがオリガの魔法で簡単に叩き潰されてしまったのだが。
「貴女はひたすら逃げ回っていただけでしょう」
「魔導球を全部使っちゃったんだもの。仕方ないじゃない」
「その魔導球の補充はしましたか?」
「予備は持っているけれど……」
「では、早速例の指示に従って召喚魔導陣の量産をお願いします」
オリガの言葉に、ウィルは絶望の顔を見せた。
「何か?」
「うぅん……正直に言うと、気が進まない」
ウィルの言葉で、オリガは一瞬だけ殺気を見せた。
談話室でウィルのための飲み物を用意していた侍女が悲鳴を上げてカップを落とし、ウィルはぎゅっと目をつぶった。
「一二三様の指示に逆らう、と?」
必死で詫びつつカップと盆を拾いあげる侍女に下がっているように伝えたオリガは、ウィルと向かい合うように座った。
「ちゃんとやるよ。でも、どうしてあんなことを考えるのかわからない」
「そうですか……」
オリガはウィルが懸命に言葉を選んでいるのを感じながら、先ほどまでの怒りはすっかり落ち着いていた。
一二三がウィルを連れ帰った理由は、その能力だけではないような気がして、オリガは嫉妬を覚えると共に彼女に対する考えを改めようという気になっていた。
力にただ従うだけでなく、行動に理由を求める。自分の技術に自信を持ち、彼女なりの行動指針があって、強制されても納得できなければ動く気が起きないのだろう。今までに一二三の周囲にはいなかったタイプだ。
「では、一二三様のお考えをちゃんと説明します。説教だとか、貴女に対して腹が立ったからとかではありません」
誤解しないように、とオリガが言うと、ウィルは座りなおしてしっかりとオリガの顔を見た。
「貴女にはこの行動を理解したうえで、この世界を良くするために協力して欲しいのです」
ウィルはこの世界の人間ではないが、それでも協力をお願いしたい、とオリガは頭を垂れた。
「そんな風にされても、困るよ……。良い世界って、一二三が言うのは戦いが続く世界でしょ?」
「違います。まずはそこからですね」
オリガは立ち上がり、侍女の代わりに二人分の紅茶を用意して、一つをウィルの前に置き、一つに口を付けた。
「正確に言えば、戦いによって成長する世界です。一二三様は人間たちの国をめぐり、自らが生まれ育ってこられた世界よりも、ずっと遅れていることをお知りになられました。その後も、荒野や森で色々な種族と出会い、それでもそのお気持ちは変わらなかったのです」
一二三がトオノ伯爵という肩書であったころ、オリガは直接彼からその目標を聞いた。
その時、オリガは改めて一二三という人物に好意を感じたのだ。
「戦う。敵がいるということは国や集落の結束を高めます。実際に戦闘が続いていなくとも、潜在的に敵対するであろう可能性がある相手がいるということは、緊張を強いることになるのです」
今はそれが一二三であり、魔国の役割となっている。もしソードランテの勢力を敵に回すとヨハンナたちが判断すれば、彼らも敵の一つとなるだろう。
「命がかかっている状況であれば、人は大きく進歩します。戦うための技術だけではなく、武器や兵器、そして戦費を賄うための経済についても必死で頭を捻るでしょう。税を増やすのは簡単ですが、それで国が潰れては元も子もありませんから」
イメラリアという女性は、一二三を排除することを目標にして当時魔人族の女王であったウェパルと密かに協力体制を作り、騎士たちを一二三の元で鍛えた。フィリニオンという騎士によってフォカロルの経済についても学び取り、敵であるはずの一二三から多くを吸収することでオーソングランデを強い国にしたのだ。
「しかし、一二三様がいなくなってからは停滞が始まったようですね」
全ては一二三が残した遺産の食いつぶしとなり、オリガが残した魔法技術が広がってはいたものの、新たな動きは出なかった。
ホーラントで内乱を起こしたイメラリア教が何かしらの研究を進めていたことと、ウェパルを追い落とし魔人族の王が戦力増強のための研究を行っていた程度だ。
「それじゃあ、一二三さんは自分が魔王になることで、世界が強くなって技術が進むことを望んでいるってこと?」
「半分、正解です」
オリガは微笑み、ウィルの回答に頷いた。
「一二三様は……主人はあの時言いました。誰かがいなくなってしまったら崩壊する仕組みでは不完全である、と」
「……まるで、一二三がいなくなること前提で話してない?」
「当たり前でしょう」
オリガは、自分とウィルを順番に指さす。
「私も、貴女も。そして一二三様も、いずれ死ぬのですよ? それが戦いの結果なのか、病気なのか寿命なのかはわかりません。ですが、その瞬間は必ず訪れるのです」
そうなった時、敵がいなくなったからと言って再び停滞期に戻るような世界を、一二三は望んでいない。
「自分を敵にする動きは、主人にとってはあくまでスタート地点に過ぎないのです。最終的に目指すべきは、成長のために努力を続ける人々の世界を作り上げること……」
オリガの言葉は、自慢げな響きがあった。
「あの人は勇者としてこの世界に呼び出されましたが……誰よりも勇者と呼ぶにふさわしい存在である、と貴女も思いませんか?」
「じゃあ、なんであたしの技術を使ってモンスターを世界に放つなんて考えになるのよ」
「人間は、自分たちで考えるよりも怠け者なのです」
一二三の指示は、ウィルの召喚魔導陣で強力なモンスターを呼び出し、世界各地にばらまくと言う、以前も似たようなことを行ったが、それをなぞるものだ。
「戦力増強の必要に迫られる状況を、態々用意してさしあげようという主人の優しさなのですよ」
ウィルは目標については理解したが、目的については今一つ理解できないまま、やらざるを得ない状況にすでに自分が立っていることをわかっていた。
自分が引き返せない位置に引きずり込まれていくのを感じながら、オリガやヴィーネのように“染まる”ことはできない、自分の半端さに思い悩むことになる。
それでも、時間は進む。五年の期限は、彼女にとっても短く感じられた。
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