129.訓練と真意
129話目です。
よろしくお願いします。
荒野に踏み出した一行は、最初の一日は無事に乗り切った。
夕暮れが近づくあたりで見晴らしの良い場所を選び、宿営する。水源は見つからなかったが持ち込んだ水で充分に足りた。
「交代で見張りを立てましょう」
カイテンは部下たちを三つの班に分けて朝まで交代で歩哨に立つことを先に決めて、夕食の用意に入る。
一二三とヴィーネは自分たちで持ち込んだ食料を食べており、プーセとカイテンらは馬に退かせてきた荷車から食料を取り出し、焚火であぶりながら干し肉や固いパンに噛り付いた。
幌馬車の檻にいる二人は目を覚ましており、檻の隙間から食事を差し入れると、それぞれに枷をはめられた手で食べにくそうに口に入れた。
「一二三さん。ご相談があります」
食事が終わり、最初の班が周囲の警戒を始めたころ、薄暗くなりはじめた野営地を歩いて話しかけてきたのはカイテンだった。
オレンジの髪を長めに伸ばし、赤い口紅を引いてはいるが彼は男であり、制服は男性向けの騎士隊服を着ていた。
腰にはサーベルの他に、手甲と一体化した凶悪なカーブを見せる鈎爪が提げられている。
「なんだ?」
「以前にホーラントの正統イメラリア教本部でお会いした時は挨拶すらろくにできませんでしたので」
いつもの言葉遣いはなりを潜め、カイテンは一二三を慎重に観察しながら膝をついた。
「改めて……マット・カイテンと申します。元は皇国の騎士でありましたが、亡きフィリニオン・アマゼロト様に良くしていただきまして、今はフィリニオン様のご遺志を継いでヨハンナ様にお仕えさせていただいております」
「それで?」
一二三は食後の訓練をするため、刀を収納へ放り込んで木刀を取り出している。稽古相手のヴィーネは釵をそのまま使う。
「魔王陛下の真意をお教え願えませんか。フィリニオン様はこの世界の平穏と多種族の共存を望んでおられました」
「だろうな。そして、孫がそれに反する立場にいたから、俺に殺害を依頼した」
「断腸の思いだったことでしょう。ですが、それを知って尚陛下はこの世界に騒乱と危機を広げようと……」
語り続けるカイテンに、一二三は木刀を逆さに持って柄を向けて差し出した。
「訓練の時間だ。話がしたければ参加しろ」
「……わかりました。胸をお借りします」
「おう。死なない程度に頑張れ」
一二三は新しい木刀を取り出し、カイテンと対峙した。
「ヴィーネ。お前はカイテンのサポートだ。隙があれば俺に攻撃してみろ」
攻撃の手段は限定しない、と一二三が言う。
ヴィーネは固唾を飲んで頷くと、両腰の釵を引き抜いて順手と逆手でそれぞれ構えた。
「さあ、かかって来い」
一二三の言葉が終わるのを待たず、カイテンは踏み出した。
右手に掴んだ刀を突き出す。その速度は一二三が見る限りこれまでの敵に比べても悪くない速度だった。
「言葉を放っている隙を狙うのは、悪くない。人は話していると話す内容、言葉を向けている相手の反応、色々なことに気を回す。特に言葉の終わり際は」
突きに対して、救い上げるように木刀の切っ先で弾くという恐ろしい対処をやって見せた一二三は、笑っている。
「そうも悠々と人間離れしたことをやられながら言われても、素直に頷けません!」
弾き上げられた木刀を離すことなく、カイテンは前蹴りで一二三との距離を取ろうとする。
しかし、一二三は軽く一歩だけ下がることで蹴りを空振りさせ、バランスを崩したカイテンの軸足を払うように木刀を振るった。
「うわっ!」
軸足を刈り取られて簡単に転ばされ、カイテンは尻もちをつきながらも素早く後方に回転して距離を取る。
それは、フィリニオンの夫であるヴァイヤーがオーソングランデ騎士たちに広めた動きだった。その大元は、一二三の指導にある。
「騎士の割りには、平気で地面を転がるんだな」
「貴方の指導の賜物ですよ。ヴァイヤー様やサブナク様は、貴方のやり方を広く広めました。もちろん、カイム氏やアリッサ卿も」
カイテンは立ち上がり、木刀へとちらりと目をやった。
「本来、私の武器は剣ではありません。儀礼上腰に提げてはいますが、ほとんど使わないのです」
「なら、得意な武器を使え。その爪でも何でもいい」
「では、お言葉に甘えまして」
木刀を置き、カイテンは両手に鈎爪を固定した。手慣れた様子で、数秒で装着は完了する。
「私の主武器は馬上槍。そしてこの爪です」
「御託は良い。再開するぞ」
言いながら、一二三は刺客から飛んできた石つぶてを木刀で叩き落した。
「ああ、惜しい!」
「どこかだ。もっと工夫しろ」
馬鹿め、と石を投げたヴィーネに目もくれずに言い放ち、一二三は自ら前に出た。
鈎爪の方がリーチは短く、接近すれば有利になるのを分かった上での行動に、カイテンは舐められていると感じた。
「貴方は! 誰に対してもそうやって!」
爪は先端が鋭く、曲がってはいても突きでも充分に刺さるように研ぎ澄まされている。
腹を突く一撃と同時に、喉を切り裂く攻撃が横から来る。下がっても腹は貫かれ、横に避けても首へ爪が届く。
一二三は、豪胆にも前に出た。
「なんて真似するのよ……」
驚愕するカイテンは、言葉に地が出て来た。
胸が当たるほどの距離に近づき、両手の鈎爪は空振りした。やや一二三の方が背は低いが、前傾姿勢であったカイテンは一二三の胸にしがみつくような格好で見上げることになる。
「すべての範囲が危険な攻撃など存在しない」
カイテンは気付いた。いつの間にか木刀を手放していた一二三の両手がカイテンの頭を掴んでいることに。
人差し指はこめかみを押さえ、中指が耳に入ってしっかりと固定している。そして、親指は目の前に来ていた。
「骨にひびを入れて目を潰す。それだけでお前はもう戦えなくなるな」
「……参りました」
「そうか。じゃあ、仕切り直しだ」
背後からそっと近づいてきたヴィーネを押しのけるように蹴り飛ばし、一二三はカイテンを離して木刀を拾った。
「痛いです」
「失敗したからだ。足音はしていなくても鼻息がうるさい」
指摘を受けて鼻の穴を人差し指で押さえたヴィーネは、片耳をぴくぴくと動かした。
「三人近づいてきますね」
「そうだな。大した奴らじゃないようだから、お前に任せる」
「わかりました!」
鼻を押さえたままのヴィーネが走り出す。
「三人? 敵襲?!」
「どこへ行く」
駆けだそうとするカイテンを止め、一二三は木刀を向けた。
「敵が来たのなら、私はプーセ様を守らなくては……!」
「ヴィーネが行った。それにプーセならあの程度の敵を問題なく対処できる。あれでも森に棲んでいたエルフだぞ?」
それよりも、自分の稽古が終わっていない。一二三はヴィーネがいない分、しっかり相手をするようにと言う。
渋々爪を構えなおしたカイテンは、一二三の隙を突くために慎重に観察をしながらゆっくりと円を描いて歩き出す。
「……本当に、こんな相手がいるなんてね……」
思わず呟いたのは、一二三の隙の無さに対してだった。
背後に回る間も、一二三はその場から動かずに右手に木刀をぶら下げているだけだったのだが、どこを攻撃しても反撃を受ける未来しか見えなかった。
「それがわかるだけ、マシというやつだな」
一二三が動いた。
振り向きざまに横なぎに走った木刀は、確実にカイテンの首筋を狙っている。
「くぅっ!」
身体を引いてかろうじて避けることに成功したカイテンは、木刀でもまともに受ければ死ぬ、と背筋が寒くなる。
だが、それだけで終わるわけにはいかない。
大きく息を吐きながら、木刀を蹴り上げ、斜めに宙返りをして見せたカイテンは、ちゃくちと同時に一二三の懐目掛けて走った。
突きを中心に一二三を狙うが、刃物であるというのに木刀で簡単にあしらわれてしまう。
「闘争は……」
一二三の言葉を聞きながら、カイテンは攻撃を止めない。
「戦うというのは、人間を始めとした生き物の本能だ。戦って、勝利する。そうして土地を得て、権力を得て、国を作り、安全を確保する」
「でも人間には理性がある。話し合うことで血を流さずに理解しあうことができるはずよ!」
「語ろうとして殺されれば、そこで終わりだ」
突きを反らした一二三の木刀は、そのまま柄頭でもう一方の爪を殴りつけた。
「痛ぅ……」
一瞬の怯みを見逃さず、一二三の蹴りがカイテンの身体を三メートルほど後方へ吹き飛ばした。
「俺が思うに、語り合いは同じレベルで戦える間でしか成立しない。そうでなければ、語り合いに見えるだけで強い側が命令を下しているに過ぎない状況にしかならない」
「イメラリアはわかっていたはずなんだがな。俺の存在があることで、強い力を前にすることで多種族が共存する世界ができる、と」
「ならば、なぜ……」
どうして封印されてまでイメラリアの前から姿を消したのか。カイテンは新たな疑問を口にした。
「簡単だ」
一二三は木刀を地面に突き刺し、両手を自由にした。
「一個人の存在に頼る組織なんて何の価値も無い。何も生まれないし何も育たない。お前は、“この世界の平穏と多種族の共存”を願っていると言ったが、俺がやっていることも同じだと言ったら、どうする?」
「……えっ?」
驚きに見開いたカイテンの目。そこに映ったのは、つむじ風のように軽やかに、しかし素早く近づいてくる一二三の姿だった。
「よく考えろ」
掌底打ちで脳を揺らされたカイテンは、一二三の言葉を聞きながら気を失った。
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