121.荒野の向こう
121話目です。
よろしくお願いします。
「ウィルの件といい、敵の正体を確認しなければなりませんね」
オリガは独り言を呟きながら、宿舎の中を歩いていく。
「イメラリア教の残党でしょうか。……残党というのは変ですね。まだ首魁は健在のはずですから」
鉄扇を閉じる音が響く。廊下ですれ違った使用人に、建物内にいる全員は一か所に集まっているように命じる。
返答を待たずに再び歩き始めたオリガは、侵入した者が何かを探すように見回しながら建物内を移動しているのを感知していた。
エコーロケーション。
風魔法に関して右に出る者がいないレベルと言われるオリガの最も得意とするオリジナルの魔法であり、一二三から教わった洞窟に住む動物が視覚の代わりに頼りにする音響感覚が元になっている。
任意の範囲に微細な空気の揺らぎを発生させ、物に当って反響する空気の流れからエリア内の物体を感知する。
習熟していくにあたってオリガは数キロ範囲で使用することができるが、他の魔法使いではまず不可能な芸当だ。
「五人、ですか」
使用人とは違う人物の数を数え、まずは一番近くの窓から侵入してくる人物の下へと足を向けた。
廊下へと降り立った人物に向かって、カツカツとヒールを鳴らしながら歩くオリガ。その姿を見て、侵入者は驚きながら身構えた。
「まず、目的を聞きましょうか?」
顔は隠しているが、むき出しになった腕から見るに侵入者は魔人族や獣人などではなく、人間の男性のようだ。
オリガの問いに答えることなく、侵入者は腰からナイフを抜いて身構えた。
だが、それすらもオリガにしてみれば遅い。
「ぬあっ!?」
見た目の華奢な雰囲気とは裏腹に、一息で踏み込んできたオリガに侵入者は驚いた。魔法使いが近接戦闘を仕掛けてくることも予想外だったようだ。
まず鉄扇が手首を殴りつけてナイフを落とさせた。
同時に、オリガの左手は人差し指の第二関節だけを突出させた拳で右目を殴りつけている。
「うぐっ!」
視界を奪われたと同時に、侵入者は右手首の骨が砕かれたことを感触で知った男は、即座に背を向けて左手を窓枠にかけた。逃げるつもりのようだ。
瞬時に撤退を選らんだあたり、手慣れた人物らしい。
しかし、オリガは逃がす気などさらさらない。
「なんだ!?」
侵入した窓から飛び出そうとした男は、突然窓の外から吹き込んだ突風に身体を押し戻された。
廊下に向かって、後ろ向きに倒れる男の背後にはオリガがいる。
「風魔法っ!」
「気付くのが遅いです」
倒れる男の喉に手をかけたオリガは、そのまま落下の勢いを使って床に後頭部を叩きつけた。
「ぐあっ!」
板張りとはいえ、大きなダメージを受けた男が頭を抱えて転がった瞬間、ちらりと見えた首筋に向かって、オリガは開いた鉄扇を振り下ろした。
斬首の動きは一二三によく似た振り下ろしの姿であり、違うのは左手が背後に向けられているところくらいだろう。
その左手から、風魔法で作られた不可視の刃が無数に奔り、後方から音もなく近づこうとしていた別の敵を切り刻んだ。
声も出せずに倒れた別の敵は、虎の獣人らしい。
「あと三人ですね」
金属が擦りあう音を響かせて鉄扇を畳んだオリガは、それぞれの死体を一瞥だけして共通の装備が特にないことを確認して、再び歩き始める。
「どうやら、正規の兵ではないようですが……」
そうなると、身元を探るのは難しくなる。
ふむ、と次の敵が侵入した部屋。そのドアの前に立ち、オリガはそっと魔法を発動した。
ほどなく、部屋の中から何かが倒れ、もがく音が聞こえてくる。
「そろそろでしょうか」
ドアを開くと、風が廊下から室内へ向けて勢いよく吹き込んだ。
魔法で室内の空気を薄くしていたせいだ。
オリガは乱れた髪を丁寧に整えながら、倒れている相手の右腕を踏みつけて折った。
それから顔を確認する。獣人の女だ。
「聞こえますね?」
「はぁ、はぁ……」
恐怖に染まった顔で見上げた女は、顔つきからしてどうやら犬系の獣人らしい。苦しみもがいたことで大量によだれをまき散らした跡が見える。
「な、なにをした……」
「質問をするのは私の方です。五人で侵入したうちあなたは三番目。答えないなら貴女は処分して、残り二人に聞きます」
ぎりぎりと歯を食いしばる女に、無感動な目を向けてオリガは言葉を続けた。
「侵入した目的と貴女たちの所属を答えなさい」
「チッ!」
苦しさと痛みで脂汗をたっぷり書きながらも、女獣人は起き上がりざまに左手を振るってオリガの顔を鋭い爪で引き裂きにかかった。
その手は開かれた鉄扇で防がれただけでなく、払われた直後には手首から先が切り飛ばされていた。
「ぎゃあああ!」
血が噴き出す手首を抱えた女獣人を蹴り飛ばし、仰向けになった胸の上にオリガの足が乗った。
胸骨に当たっているヒールが、骨をきしませるほどに押し込まれる。
同時に、オリガは空気を調整して女の頭部周辺の空気をゆっくりと薄くしていく。
「……があっ!?」
再び息苦しさに喘ぎながら血走った眼を見開いている女獣人を見下ろしたオリガは、抵抗する力が弱まったところで空気の濃度を元に戻す。
「はぁっ……?」
訳が分からないながらも、女はオリガが何かやっていることだけはわかったらしい。
「答えを」
「荒野の向こうから……。一二三を、殺すために……」
二言目を聞いたオリガは思わず即座に殺してしまおうと思ったが、どうにか堪える。
「荒野ではなく、その向こうからだというのですか」
「ふふ、アンタたちに忘れ去られた町がある。復讐は、必ず成される……」
一言だけうめき声を残して、女獣人は息絶えた。失血性ショック死のようだ。
「荒野の向こうというと、以前一二三様が行かれた国がありましたね」
音を聞きつけて二人の男が部屋に躍り込んできたのを、オリガは部屋中に風の刃を乱舞させることで瞬時に細切れにしてしまった。
赤く染まり、肉片が散らばる。
「主人に聞いてみましょう。それと、私たちが封印された後、荒野がどうなっていたのかも改めて確認すべきですね」
言い終わった直後、オリガが発動したエコーロケーションが新たな侵入者を感知した。それは二階にある一二三が眠る部屋。その窓から飛び込んできたのだ。
「鳥獣人!」
大きな翼をもつそのシルエットまで感知できるオリガは、すでに走り出している。
☆★☆
「きゃあっ!」
鳥型の獣人は、両手の翼を畳みながら木戸が開かれたままだった窓から文字通り飛び込んできた。
一二三の枕元でお茶を入れていた侍女が蹴り飛ばされ、床を転がっていく。
部屋の中でくるりと滑空して方向転換し、窓際のベッドへと鳥獣人が向き直った。
上半身は布を巻きつけたような服を着ており、両手は猛禽類のような翼になっている。下半身は人間のそれで、女性的なラインをみせる足にぴったりと張り付くようなパンツを穿いていた。
「一二三って奴は……」
と、言いながらベッドを見下ろしたが、そこに眠っているはずの人物は見えない。
「あぁん?」
上空から部屋の様子を見たときには、確かに確認できたはずの一二三を見つけられずにかしげているその首に、視界の外から一二三の足がからみついた。
横になっている間、袴を穿いておらず、柔道着と同様の下ばきを付けた姿だった。
「なにっ?」
肩に乗るような格好で、一二三の左足が相手の首を、右足が右の羽根をしっかりと絡めとっている。
さらに、脱ぎ捨てた上着が鳥獣人の顔に覆いかぶさっていた。
「ぎゃん!?」
羽ばたくこともできず、視界を塞がれた鳥獣人は胸から床に墜落する。
力の入らない足だが、一二三はつま先をうまく引っ掛ける形でしっかり関節を固定しており、バサバサと羽根を暴れさせている鳥獣人にしっかりと乗って押さえつけている。
「……で?」
「貴様が一二三か?!」
「それで?」
全身に怠さを感じている一二三は、先ほどの跳躍だけでも随分とくたびれてしまっていた。顔が熱く、喉が渇く。
ちらりと後ろを見ると、蹴り飛ばされた侍女は大きな怪我はなかったようで、頭から血を流しながらじりじりと下がっている。
「湯は?」
「は、はい?」
一二三から熱っぽい視線を向けられ、侍女は素っ頓狂な声を上げた。
「湯は残っているか?」
「あ、えっと……」
ようやく、紅茶を淹れるために用意したポットの湯の話だと気付いた侍女は、部屋をぐるりと見回した。
「こ、こぼれてしまってます……」
この侍女は宿で元々働いている従業員であり、目の前で鳥獣人を押さえつけている病人が魔王だということも知っている。
自分のせいではないが、湯がこぼれてしまったことを叱責されるかも知れないと思うと、声が震えた。
「はぁ、しかたないな。こういう時に冷蔵庫やら自動販売機やらが恋しくなる」
「れ、れい……?」
「湯を入れなおして、茶の用意をしてくれ」
「わかりました!」
とにかく部屋から逃げたい一心だった侍女は、ようやく自分が理解できる指示が聞こえたことで、這うようにして部屋を出て行った。
「お、お前を殺せば、我々の悲願が!」
「悪いが」
眼下で暴れている鳥獣人の後頭部を軽く殴りつけた一二三は、熱を帯びたため息交じりに言葉を放った。
「調子が悪いんだ。簡潔に」
まるで子供のような扱いをされて、鳥獣人は悔しさに歯を食いしばった。
「お前が死ねば、“町の勢力”で我々の脅威になる存在はいなくなる!」
「町の勢力、ねぇ」
それがどの程度の範囲を示すのか、一二三のぼんやりとした頭では考えることも億劫だった。
「何が目的なのか言え。とりあえずそれで良い」
「わ、我々は荒野の向こうでずっと爪を研いできた! わたしが死んでも、荒野の向こうには何千という戦士がいる! 我々の存在をないがしろにして発展した町の……」
「待て。ちょっと待て」
話が熱を帯び始めたところで、一二三は暑苦しいといって言葉を止めた。
「どこまで人を馬鹿に……!」
「興味があるのはお前らの恨みとかそういうのじゃない。どうでも良い。だけどな、数千の戦士って言葉にはちょっと惹かれるな」
「お前が作った国も、獣人や魔人族を格下扱いする国も、全て我々の勢力が飲み込んでみせ……」
「だから、そういうのは良いんだ。数千人戦える奴がいて、ここにここに攻め込もうとしているんだな?」
一二三の頭には、随分前に行った荒野の向こうの国が思い起こされていたが、それも微妙に靄がかかったようなもので、どうにも汗が噴き出すような頭では思考が整理されない。
ただ一つ、認識できるのは新しい敵の存在だけだ。
「気になるのは、あー、あれだ。お前程度の奴ばっかりなのか?」
そういうことだ、と一二三は多少前後に揺れながら問う。
完全に馬鹿にされている、と鳥獣人は両足をばたつかせたが、一二三を払いのけるほどの勢いは無い。
「わ、わたしは空が飛べるから、一二三が弱っているという情報を得て奇襲をしただけだ。……悔しいが、わたしでは歯が立たないような強者が我々の勢力には複数いる。調子に乗っているようだが、正攻法でも我々は負けはしない!」
「そうか、そうなのか……ふふっ……」
堪えられず、一二三は天井を仰いで呵々大笑して見せた。
「な、何がおかしい!」
「おかしいというより、腹が立っている。自分にな」
適度に指導をして、八十年間をおいても多少手ごたえがある程度のレベルアップだった。だが、放置されていたエリアにはまだ強者がいるらしい。
「あんまり余計な手を出さない方が良かったのか、それともイメラリアのせいかわからんが、俺が求めるものがそんなところにあったとはな」
頭の中が多少すっきりしてくるのを感じながら、一二三は右手を振りあげた。
「朗報をもたらしてくれて、感謝する」
振り下ろした肘が、鳥獣人の頭蓋を破壊する。
ぐったりと脱力して息絶えた鳥獣人を踏みつけて立ち上がった一二三は、ふらふらとベッドに座り込んだ。
「あなた!」
駆け込んできたオリガに向けてにやりと笑った一二三は、隣に座るようにと言うと、隣に座ったオリガの肩を抱いた。
「楽しいことがわかった。荒野の向こうの何とか言う国に、ひそかに勢力が育っていたらしいな」
喉の奥から湧き上がるように笑い、一二三は膝を叩いた。
「それで、折角だから魔王らしいことをしようと思う」
「はい。何でもお手伝いしますし、お傍におります」
即答したオリガに、こいつは変わらないな、と一二三は揺れ始めた視界に目を細めた。
「イメラリア共和国とイメラリア教残党。オーソングランデとついでにホーラントも」
指折り数えながら、一二三はばったりとベッドへと倒れこむ。
「全部荒野の連中と手を組ませよう。ついでにウィルも、手伝いにくれてやろう。そうすれば、楽しめるぞ。存分に、たっぷりと……」
敵対勢力に協力させるという無茶苦茶な案を語りながら眠ってしまった夫を見て。オリガはそっと椅子へ座り直し、鉄扇を開いてゆるゆると風を送りはじめた。
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