120.鬼の霍乱
120話目です。
よろしくお願いします。
甲高いブレーキ音を響かせながら、減速を続ける列車がゆっくりとホームへと入ってくるのを、プーセとメグナード・トオノ伯爵は直立不動のまま見守っていた。
木製の車両は悲鳴のように軋み音を立てるが、当然ながらしっかりとした構造で壊れるような様子はない。
予定より車両数が少ないことにプーセは疑問を感じたが、口には出さなかった。
金属製の簡単な構造をした鍵が開き、扉が開く。
降りて来たのは、一二三やオリガではなく、ウェパルだった。
「あら、久しぶりね」
プーセを見つけたウェパルは、彼女の前に近づくとメグナードへ一礼してから、口を開いた。
「魔王様のお出迎え?」
「そうです。ご夫妻とご子息。それとウェパルさん、貴女をヨハンナ様のところへご案内するように言われています。ヴィーネさんや、異世界からのお客様も。それで、肝心の魔王様と奥様はどうされたの?」
そしてヴィーネの姿も見えないことにプーセは言及する。
「そうねぇ。話すとちょっと長くなるけれど」
ウェパルは人差し指を顎に当てて首をかしげる。
「良い歳してそんな仕草はやめた方が良いですよ? 痛々しさの方が先に来ます」
「うっさいわね。そういう貴女も肌の艶が無くなってきているんじゃないかしら? エルフにしては老けるのが早いんじゃない?」
「アル中おばさんと違って、ケアはしっかりしていますからご心配なく」
にらみ合いが続く間、メグナードは口を挟むこともできずに周囲を見回していた。女性同士の喧嘩に割って入って、良い結果になった試しがない。
「ふん。それで、私たちの宿泊場所はどうなっているの?」
「ヨハンナ様がおられる公館のそばに、宿を丸一棟押さえています。警備体制はできていますし、従業員もしっかり身元を確認したものばかりです」
「上々……と言いたいところだけれど、警備の方は解散させて頂戴」
ウェパルの言葉に、プーセは理由を求めた。
「イメラリア共和国の沽券に関わる話です。何かあれば……」
「何かあれば、こちらで対処したいのよ。理由はわかるでしょう?」
「一二三さんですか……」
貴賓客を襲うような連中がどうなろうとプーセも知ったことではないが、襲われたという事実が発生するのはまずい。
「では、警備の範囲を広げて最低限の一般人は建物に近づかせないようにしましょう。何かあっても、対処はお願いいたします」
「もちろん。それと、ヴィーネとウィル……異世界からのお客さんね。二人は遅れてくるから」
「そうですか」
単なる遅延だろうとプーセは警備担当者や出入国の担当者へ連絡するためのメモを取る。
「ここへ来る途中に襲撃を受けたのよ。おかげで特製の列車が一台大破したし、もう一台も修理にしばらくかかるわ」
出費がかさむ、とぼやくウェパルに、プーセは眉をひそめた。
「また一二三さん狙いですか?」
「正体は不明だし、目的も不明。ヴィーネたちが来たら、何かわかるかもね」
ため息をつきながら、プーセは国境の警備をより厚くすることをメモに書き入れた。
「あと、魔王一二三殿は一旦宿にはいるから。急ぎの話があるなら私が先にヨハンナ女王に謁見するけれど?」
理由を問うプーセに、ウェパルは列車から出てくる一二三の姿を指した。
「あっ……」
顔と胸元にびっしょりと汗をかいている一二三は、ハジメを片腕に抱えたオリガに支えられながら、刀を杖のようにして歩いている。
その足取りは弱弱しく、荒い息をつく顔は蒼白に見えた。
「急病よ。本人は塩を舐めて水を飲んでいれば治る、と言っているけれど、今すぐに会談も相談も無理な話よ」
ウェパルの言葉が耳を通り抜けるのを感じながら、プーセは信じられないものを見たという表情で固まっていた。
☆★☆
「不予?」
プーセからの報告を聞いたヨハンナは短く問い返した。
「そのような言葉を使う相手かどうかはわかりませんが、具合が良くないのは一見してすぐにわかる程度には」
「見舞いをするべきかしら?」
そわそわとした様子を見せるヨハンナに、落ち着くように、とプーセは侍女が運んできた紅茶を受け取って差し出した。
「病気の内容がわからない以上は、迂闊に近づかないようにお願いいたします。もし伝染性のあるものであれば大問題です」
「ご病状は?」
「わかりません。とにかく安静にしておくということで、五日後の式典までには回復するだろうとは言われましたが……」
オリガはプーセと話すことなく一二三と共に宿へ入り、全てのやり取りをウェパルが行うことになっていた。
そのウェパルも、先に宿へと入っている。
「殺しても死なないような人ですが……」
と、プーセは言いかけてから一二三は戦闘で死にかけたこともあり、他にもプーセらエルフが居住地としていた森でも、魔力に反応して体内で凝固する物質に侵されて左手を失っていることを思い出した。
そして、今回の病でもし一二三が死ねば、それはそれで世界が安定するのではないかとさえ思える。
プーセは自分の考えが一二三に対して申し訳ないものとは思いつつも、優先順にとしてイメラリア共和国のことが先に来る以上は、仕方のないことだと自分に言い聞かせた。
とても、ヨハンナに話せるような内容でもないが。
それにウェパルから聞かされた要望を理由に、一二三の病気に対して疑惑すら持っている。
「ご報告の状況ではありますが、宿の周囲は魔国の兵で警備するので、なるべく近づかぬように、と要望を受けています」
「それは構わないけれど、大丈夫かしら?」
「問題ないでしょう」
即答したプーセに、ヨハンナは疑いの目を向ける。
「プーセ、貴女まさか……」
「何をお考えかわかりますけれど、女王陛下ともあろう方がそんなお顔をなさらないでください。大丈夫です。宿にはオリガさんやウェパルもいるのですから、早々一二三さんを害そうとしてもうまくいきません」
まして、式典を間近に控えて警備や巡回は増えており、兵士たちもピリピリと緊張感を増している。刺客がこのフォカロルの町に入るだけでも苦労するだろう。
「さらには、一つの依頼をされました」
ウェパルは一二三が病気であり、宿に臥せっていることを公表して良いと言った。むしろ広めて欲しいほどであるとも。
「どういうこと?」
普通であれば、一二三が病に倒れたなどというのは秘匿すべき情報であるはずだ。
だが、宿へ向かう様子は多くの兵士が見ているし、宿にいる侍女たちを始めとした世話役たちも見ている。隠そうと思っても難しいというのはあった。
これに関して、プーセは一二三の狙いが撒き餌ではないかと言った。
「以前も、敵を油断させるために大けがを負って見せたあとですぐに薬を使って回復
るなど、敵を呼び寄せるために自分が苦しむことを厭わない人物です。今回も、病気そのものが擬態である可能性もあります」
「では、どうするの?」
「放っておきましょう」
余計なものに手出ししていらぬ被害を受けることもない。
「やりたいようにやってもらって、こちらが迷惑をこうむるようなことがあれば、改めて抗議する形でよろしいかと」
「わたくしたちの国なのに、消極的なのね」
「陛下の国、陛下のおひざ元だからこそ、不埒物を引き寄せて処分してくれるのですから、これを利用しない手はありません」
☆★☆
実のところ、一二三の体調不良は本当だった。
「あー……怠い」
「お水をお持ちしましょうか」
「いや、熱い茶の方が良いな」
オリガは頷いて立ち上がると、侍女に話して湯を用意するように伝えた。身体を拭う分も沸かすようにと依頼する。
列車での移動中、立ち寄った場所で食べた何かがいけなかったのだろう。食あたりに罹った一二三は、脱水症状もあって列車移動の最後の一日はぐったりと眠って過ごしていた。
そしてフォカロルの宿に到着した今も、ベッドの上でべたつく汗に苛々としながら横になっている。
イメラリア共和国の警備を遠ざけた一二三は、魔国の兵たちにも特に警備をさせてはいない。随行員のための部屋で自由にしているように伝えている。
この部屋や上下左右の部屋からも人払いをしていた。近くに誰かの気配があると、一二三が落ち着かないためだ。一人だけ侍女を置き、あとはオリガが一二三の世話をする。
伝染の心配がないので、息子のハジメも同室にいる。
「む……」
オリガの細い手が伸びて、一二三の額に浮かぶ大粒の汗を拭った。
「ゆっくりお休みください。ハジメのことは私がやりますから。ウェパルさんもお手伝いしてくださいますし」
「……任せた……茶が来たら起こしてくれ……」
微睡んでいるらしい一二三に、オリガは微笑みと同時に答えた。
湯が沸くまではまだしばらくはかかるだろう。オリガは腕の中の息子を抱えなおしながら、一二三の寝顔を見ていた。
若干苦しそうではあるが、鉄扇を開いてゆるゆると風を送ると、少しだけ表情は和らいだ。
オリガは今、この時間が幸福で仕方がなかった。
体調不良に苦しむ夫を前にして不謹慎かも知れないが、何かと自分にまかせてくれるうえ、苦しい時に傍に置いて頼ってくれることが何より幸福だった。
誰よりも強い人で、大概のことは自分で済ませてしまう男と一緒になった以上仕方のないことではあるが、これまであまり妻として世話を焼くような機会は少なかった。
弱った状態で眠る姿を見せるのは、自分にだけ。
その特別さは何物にも代えがたい歓喜をオリガの中に呼び起こした。
もちろん、早く回復してほしいという気持ちも強い。そのためにはどんなことでもやってみせるという気持ちが確かにあった。
だが、この瞬間だけは許してほしい、とオリガは一二三の顔を見ながら内心で願う。
食べ合わせが悪かったのだろうか。少なくとも毒を盛られて気付かない男ではない。だとすれば不可抗力なのだろう。
オリガは自分にそう言い聞かせて、立ち寄った町の宿や食堂に対する怒りを押さえた。
夫の世話をする機会を得られたことで、帳消しにする。ただ、一二三が許さないと言えば、すぐに建物ごと叩き潰すつもりだが。
「こういう日がまた……」
と、望みを口に仕掛けてやめた。
オリガには、一二三が老いて衰えるというところが想像できなかった。体力が落ちて、世話をしなければならない状態にある夫を見ることは無い、と確信さえあった。
きっといつか、老いを待つことなく戦いの中で彼は死ぬのだろう。
共に過ごせる時間は短いかもしれない。だが、今を存分にかみしめることはできる。
「オリガ……」
「はい。私も気付いております。ここはお任せください。その間……」
立ち上がったオリガは鉄扇を畳み、ハジメを一二三の隣に寝かせた。
「少しだけ、ハジメを見ていていただけますか?」
一二三が小さく頷くのを見てから、オリガは一礼して部屋を出た。
「ひっ……」
廊下に出た瞬間、ポットを抱えて部屋に戻ってきていた侍女が小さな悲鳴を上げた。オリガの表情が、怒りに満ちたそれだったからだ。
触れるだけで細切れにされそうなほどに鋭い冷たさを持った視線は、建物の裏手の方を見ている。
「主人に紅茶を。少し冷まして飲みやすいように。子供がぐずっても、直接触れたりしないように。それと、何か扇ぐものを用意して、主人に風を」
「は、はいっ!」
「主人は臥せっているのです。お静かに」
「はいぃ……」
腰が抜けんばかりの様子でよたよたと部屋に入っていく侍女を見送ると、オリガは鉄扇を開いて口元を隠した。
ギリギリと噛みしめた口から、小さく唸り声が漏れた。
一二三と同じように、オリガも裏の窓からひっそりと侵入する人物を感知したのだ。
貴重な夫婦の時間を邪魔されたと感じたオリガは、当然ただで帰すつもりなどなかった。
ヒールが木製の床を踏みしめる硬質な音を響かせながら、オリガは侵入者の元へと歩みを進めた。
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