115.訓練の成果
115話目です。
よろしくお願いします。
緊急回避策として転移を選んだウィルは、魔導陣に飛び込んだ直後に川へと落ちていた。
「ふあっ? ちょっ……」
土手に作られたらしい転移先の穴から飛び出したウィルの身体は、魔導陣突入時の速度そのままに飛び出して、水面へとまっさかさまに落下する。
じたばたと手足を振り回しても無駄で、思い切り水面に腹を打ちつけた。
「あばばば……」
泳げないながらに必死で水を引っ掻いたウィルは、運よく浅い部分まですぐに辿りつくことが出来た。流れも緩やかだったことも幸いだった。
ゴロゴロとまるい石がころが転がる川岸にようやく這い出ると、飲んでしまった水を吐き出してぐったりとうつ伏せに潰れる。
「あっつい!?」
日差しに焼かれた石はウィルの頬にあたると「しゅっ」と音を立てた。
慌てて起き上がったウィルは、そのままバランスを崩して再び水の中に仰向けに倒れてしまう。
浅い部分で顔の半分を水面から見せたウィルは、自分が作った水しぶきが顔に落ちてい来るのを感じながら途方に暮れた。
「……ここどこ?」
世界を越えたわけでは無いはずなので、今いるのは一二三の世界なのは間違いない。
「川沿いなら、誰かいるかも」
ウィルは再び川岸まで上がると、服を脱いで思い切り絞った。そして、濡れたままだが我慢して着る。裸で外をウロウロするような趣味は無い。
「けっこう暑いし、歩いているうちに乾くでしょ」
石だらけの歩きにくい水辺を避けて、土手を登って川沿いを下流に向かって歩く。
「川沿いなら、誰かに会うわよね」
歩きながらポーチの中身を確認する。布に包んでいた飴は中身が濡れていなかったので、一つ取り出して口に放り込む。
甘い香りが口の中に広がるのを感じながら、他に魔導球も残っていることをみると、ウィルは少しだけホッとした。
人が生きるには水が必要で、ウィルがいた世界でも川辺には人が住む場所や川魚や蟹などをとる漁師がいるかも知れない。
「まずこの場所を聞いて、町がある場所を聞かないと……」
まだ魔国の領地内のはずなので、どこかの町に行けばなんとかなるはずだった。兵士がいれば、ウィルのことを城に連絡してもらって迎えに来てもらえるだろう。
「まったく、うんざりするわね」
それまでどれだけ歩かなければならないか想像すると、ウィルは歩く速度が遅くなった。
川沿いなので水の心配はないが、食料はない。火を起こす道具もないので、とにかく人に会うまでは食料は手に入らないだろう。
「なんでこんな目に……」
前の世界でも、単に知的好奇心に突き動かされて研究していただけなのに貴族たちに追われ、新たな世界に来ても厳しい訓練を受けさせられる。
「魔法。そういえば魔法が使えるのよね」
指先に魔力を集中し、火を灯す。今の時点でウィルが使える魔法はこの程度でしかないが、その光景をぼんやりと見つめると感慨深いものがある。
「前の世界だとこういうことすら魔導具を介しないとできなかったのよね。逆に一二三が本来いた世界では魔法どころか魔力の概念すらなかったようだし」
考えながら歩き続けると、次第に服が乾き始めて少しは軽くなってくる。逆に、思考はどんどん深くなっていった。
「世界の何かが影響しているの? 何かの研究資料で“人は空気中にある魔力を吸収することで体内の魔力を補充する”という説を見たことがあるわね。ということは、この世界の魔力を吸収したことで、その魔力を放出して使う“魔法”が使えるようになったということ?」
この世界の魔力は放出の際に人の意思で変質する性質を持ち、前の世界の魔力は魔導陣などの加工が必要ということだろうか。
そう簡単に行き来できるわけでもないので、実証実験を行う機会がいつ訪れるかはわからないが、もしそうならばこの世界で魔法を使える者でも別の世界へ行けば魔法の行使ができない可能性も出てくる。
もう一つ、次第に歩く速度を速めながらウィルは気になることがあった。
「もっと“魔力”について研究しておかなくちゃ」
体内で魔力が流れる感覚や、放出するまでは前の世界でも可能だった。ところが、ここにきてからオリガやウェパルなどの上級者は他者の魔力を感じることすらできるという。
その魔力とは何か。
流れる感覚はあっても実体の無いそれについて、前の世界ではほとんど研究されたことがなかったらしい。というより、計測も観測もできないために研究しようがなかった。
「ひょっとしたら、この世界なら……」
きらり、と目を輝かせ、ウィルは顔を上げた。
「魔力の基礎研究からできるんじゃない?」
しかしそこには大きな問題があった。
「オリガさんとウェパルさんに頼むのかぁ……」
魔法の行使についてはこの二人が最高位である、と城の者たちは文官武官問わず口をそろえて言う。
ウェパルの水系統魔法は並ぶ者なく、派手に展開されるそれは大人数を相手にしてもまるで揺るぐことはない。
そして現魔王の妻であるオリガ。彼女についての評価はとにかく“敵にしたくない”という表現一色だった。
「とにかくわけのわからないままにやられる。隠れていても無駄で、どんなに腕のある斥候でもたちどころに居場所がばれるんだ。あの方に風魔法で発見され、殺された連中は多分、自分がどうやって死んだかすらわからないだろう」
ウィルにその話を教えてくれた魔人族の兵士は、顔を青くして証言した。
「でも、この世界で魔法のあり方を大きく変えた偉人らしいのよね」
恐怖と好奇心を天秤にかけていたウィルは、これも天才魔導陣使いに課せられた使命である、と自分を奮い立たせた。
考え込んだまま三時間ほど歩いていただろうか。不意に何かにぶつかる。
「あうっ……ほへ?」
前を見ていなかった、と顔を上げたウィルの前にいたのは、中年の男だった。
「人がいた……けど……」
男は垢染みた汚い服を着ており、刃のかけた剣をむき出しのまま握っている。
「えっと……猟師……じゃないよね?」
見れば周囲には幾人もの似たような恰好をした男たちが居た。人数は三十人ほどいるだろうか。川に入って身体を擦っている者や、裸同然の恰好で服を洗っている者も見える。
「じゃ、邪魔しちゃったみたいね。ごめんなさい」
「おっと。待てよ」
と、あわてて逃げようとするウィルの腕を目の前の男が掴んだ。
「やだ、離して! 臭い!」
顔を近づけられ、生臭い吐息に吐き気を覚えながらウィルが顔をそむけると、その頬を激しくぶたれた。
「腹が立つな、小娘のくせに!」
「丁度良いじゃねぇか。適当な村でも襲うつもりだったが、こいつでもいいだろ」
「じゃあ、俺が先な」
などと言っている男たちが何を考えているか、ウィルにはわかってしまった。太ももから這い上がってくるような嫌悪感に、頬を抑えたままウィルは逃げようとしたが、腕は痛いほど握り絞められている。
「い、嫌だ! 離せ、この!」
男の胸を殴り、足を振り上げて膝を蹴り飛ばす。
しかし、ウィルの細腕では大した威力も出ない。むず痒いと言いながら再び殴りつけられ、ウィルは腰が抜けてしまった。
「そうそう。おとなしくしていりゃあ、大して痛い目には……」
男の声が止まり、不思議に思ったウィルが見上げる。
その頬に、ポタリと血が落ちた。
「困るんですよ。この方はご主人様のお客様なんですから」
背後から細い刃で首を貫かれた男は、自分の方に乗っている何者かを見上げ、声の出ない口をパクパクと開閉した。
兎族の獣人が持つ特徴的な長い耳。片耳だけのそれを小さく揺らしながら、男の肩に乗っていた女性は突き刺していた釵を引き抜く。
溢れてこぼれた血が、さらにウィルの服を赤く染める。
「ヴィーネ……?」
「はい。私です」
にっこりと笑ったヴィーネは、倒れる男から飛び降りると、ウィルに離れているように言った。
「たった一人で戦うつもり? 相手は大人数じゃない!」
「問題ありません」
仲間を殺された男たちは、それぞれに武器を握ってヴィーネたちを包囲するように集まってきた。
その動きに手慣れたものを感じ、明らかに盗賊たちだと思われる相手を前にしても、ヴィーネは少しも怯えた様子を見せなかった。
「こう見えて、盗賊相手の戦いは慣れさせら、いや強制、いや訓練してきたんです」
目の前の盗賊ではない何かに気を使ったように言い換えながら、ヴィーネはウィルに心配しなくて良いと伝える。
両手に持った釵をくるりと回転させ、左は逆手、右は順手にして構える。それは一二三が時折見せる右手右足を前に出した構えとよく似ていた。
「ここはご主人様の国です。貴方がたのような存在は許容されません」
言いながら、ヴィーネは「本当は違うけどね」と心の中で舌を出す。だが、盗賊が居なければ一二三の無茶苦茶な訓練も少しは内容が穏やかになるのだ。
「抵抗すれば殲滅します。容赦はしませんよ? というより、できませんよ?」
殺すための訓練はしていても、捕縛の訓練などしていない。
「ふざけるな。適当にいたぶって、お前も小娘と一緒に嬲ってやろう」
「了承できません。私の身体はご主人様のためのものです」
ポン、と集団の後ろで何かがはじける音がする。
それはヴィーネができる風魔法の一つで単に音を出すだけのものであったが、盗賊たちの視線を誘導するには充分だった。
踏込み、ヴィーネが突き出した右手の釵が一人の心臓を貫く。
刃を寝かせ、胸骨の隙間をするりと抜けるように入り込んだ刃は、次の瞬間には引き抜かれている。
そして、ヴィーネは飛んだ。
殺した相手の上を身体をひねりながら悠々と越えたかと思うと、着地の際に一人を切り裂き、起き上がりざまに右手の釵を投げて別の男の目を貫く。
再び地面を蹴ったヴィーネは、棍棒を振るう大男の身体を駆け上がり、喉笛を切り裂きながら男の身体を踏み台にして再び空へと舞いあがる。
「クソッ! 強えぇ!」
「もういい、殺せ!」
ヴィーネを弱い女としか見ていなかった盗賊たちは、いよいよ殺気立ってヴィーネへと集中した。
もはや、座り込んだままのウィルなど見ていない。
ヴィーネの着地点へと男たちが殺到したが、また破裂音がして土が四方八方へと弾け飛ぶと、その足が止まった。
「空気が弾けただけなんですけれどね」
苦笑しながら無事に降り立ったヴィーネは身を低くして、動きが止まっている男たちの間をすり抜けていく。
その間に、盗賊たちの足を撫でるように切り裂いていく。的確に膝や踝の腱および靭帯を傷つけられ、男たちは次々に倒れていった。
「痛ぇ!」
口々にうめきながら転がっている連中には目もくれず、そのまま一人の死体に駆け寄ったヴィーネは、その目に突き刺さっている釵を引き抜いた。
「ふぅっ」
大きく息を吐きながら、今度は両手の釵を同時に投擲し、二人を倒す。
正面へ駆けたかと思うと、一人の相手の顔に向かって飛び上がり、頭を抱え込んで押し倒した。
倒れると同時にヴィーネの膝が相手の鼻先を押し込み、後頭部が地面へと叩きつけられる。運悪く石に強打した頭蓋骨は割れ、男は命を失う。
立ち上がろうとするヴィーネの背後から、別の男が剣を振りかぶって迫ってきた。
「死ね!」
「嫌ですよ」
死なずに済むため、主人である一二三の近くで戦い続けるために、才能などないとわかっていても必死で訓練してきたのだ。
「大きな相手の方が、使いやすい技もある……」
以前に厳しい訓練中、二三に言われた言葉が思わずヴィーネの口から出ていた。
右手を伸ばし、男が剣を握る両こぶしの間に手を差し入れて柄を握る。
身体は相手の下に潜り込むように踏み込み、お互いが十字になるようにして腰の上に相手の腹を乗せた。
「よっ、と!」
剣を振り下ろす勢いそのままに相手の身体はくるりと前に回転し、ヴィーネの腰の上を滑りながら真っ逆さまに頭から落ちた。
首が折れた。
「ふぅーっ……」
一二三から教わった投げ技の一つだが、実戦でやったのは初めてだった。
受け身が取れなければこうなるのか、とヴィーネは一二三からの訓練で最初に嫌というほど受け身をさせられたことを思い出していた。
そして、いつの間にか敵は誰も立っていない。三十人もの盗賊を一人で片づけたヴィーネは、再び大きく深呼吸をしてから、ウィルへと向き直った。
「大丈夫ですか?」
にっこりと笑ったその頭上で長い耳が一本だけ、ぴこぴこと揺れている。
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