108.アリジゴク
108話目です。
よろしくお願いします。
魔国ラウアール王都は、正式な王の帰還を盛大に祝う声で満たされた。
新たな王が就任してからこれと言って変化は無いのだが、国のトップが人間になったことと、元王であるウェパルが新たな魔王である一二三に仕えることを表明したため、魔人族を優遇する雰囲気はすっかり鳴りを潜めていた。
さらには、魔王に子がいることも公表され、その子の名前が「一」であると伝わった頃には、町の中で酔った民衆たちから「王子殿下万歳」の声が上がり始めた。
「狂乱。というよりは圧力から解放されて、とにかく騒ぎたいという雰囲気ね」
一部の獣人兵も、オリガの強さや獣人以外の戦いに感化されて新たな境地を目指してこの国に残っている。
今は、彼らも含めて城下で魔人族や人間、獣人が入り混じって酷い騒ぎだ。
「まあ、今のうちくらいは精々浮かれていることね」
ウェパルは酒の追加を求めて、自室を後にした。
☆★☆
一二三自身は怪我も治癒魔法で癒えたこともあり、日々充実した訓練生活を送っている。
「……で?」
「で、じゃないわよ。毎日毎日、あんたの妻にまともに歩けなくなるほどしごかれるんだから!」
魔人族や獣人族の兵たちと朝の訓練をしていた一二三は、水を浴びて汗を流して食事へと向かうところでウィルの突撃を受けた。
「そりゃ、お前の希望で始めたんだろうが。俺に言わずオリガに直接言えよ」
「……怖いもん」
「はあ?」
「オリガさん怖いもん! 何か言い返そうとしたら一言目を言う前に察知して睨んで来るし、魔力操作が上手くできないと罵倒されるし!」
もう嫌だ、と号泣するウィルを見て、一二三はオリガの実力に改めて感心していた。
ウィル自身は前の世界でも魔力の量はさておいてもその技術については第一人者として認められる程度には習熟している。実際、魔導陣などを開発する際にも、魔力を操作して特定の形状を形作るということをやっているのも見ている。
ところが、そのウィルですら投げ出す程のレベルをオリガは要求しているらしい。
「良かったじゃないか。つまり、オリガはお前より随分上の場所にいるってことだろう?」
一二三の結論はそうなった。
赤く充血した目で、口をぽかんとあけて一二三を見上げるウィルは、自分が泣きつくべき相手を間違えたことに今更気づいた。
「理屈は理解できる! でも気持ちは納得できない!」
地団太を踏んでいるウィルだったが、彼女の肩を叩いたほっそりとした手の感触に全身を振るわせた。
「元気が有り余っているようですね」
「え……?」
振り向くと、笑顔のオリガがいる。
「……っ!」
背中を走る悪寒に硬直した直後、ウィルは果敢にも逃走をはかった。
しかし、走り始めた直後に軸足を鉄扇で払われ、脇腹を強かに地面に叩きつけて悶絶する結果に終わる。
「無駄な事を。あなた、朝から騒々しくてすみません」
「そういう日もある。それよりも飯にしよう」
「ええ。ではご一緒させていただきますね」
ウィルはオリガに抱えられて、じたばたと暴れながらもむなしく夫婦に連れ去られて行った。
これが大体毎日見られる光景だった。
一二三は王となってからもこれといって政治をどうこうするつもりも無く、以前に伯爵領を治めていたころと同様、思いついたような政策を口にしては、部下たちにやらせてその成果を聞くだけだった。
成功すれば「良くやった」と言い、失敗すれば「そうか」で終わる。
魔国の王城に仕える者たちは、魔王と呼ばれる王の存在に最初こそ恐れていたものの、対立さえしなければ今までのどの上司よりもやりやすいことに気付いた。
「魔王のお城になったんですよね?」
「そうね」
「……魔王の町になったんですよね?」
「そうね」
「それにしては、随分と賑わっていますし、兵士達もみんな笑顔ですね」
魔人族であり、引き続きウェパルの部下として働いているフェレスは城の前庭でベンチに寝転び、日光浴をしているウェパルの隣に立って質問を投げかけた。
魔王という言葉から受ける印象とはうらはらに、町は活気づいており、金に頓着しない一二三が決めた給金は兵士達にとって充分以上に満足できるものだった。
そんな一二三は依然と同じようにふらふらと街へ出かけては金を使い、その店へと兵士達や文官も通う。
全ては良く知らないまま王となった人物の人となりを知っておこうという彼らの処世術の一環であったのだが、王政府が兵士や文官に支払った給金が正常に町へ流れる効果は間違いなくなった。
この世界、末端の兵士などは多少なり粗野粗暴であるのが普通だったのだが、町の問題はすぐに王の耳に入るので、少なくとも王都内にいる兵士は大人しい。
「ある種の恐怖政治なんだけどねぇ……こんなに効果があるなら、私も王様やってるときにやれば良かったわ」
「ウェパル様……」
「冗談よ」
それが不可能なことは、ウェパルは重々承知していた。
一般的な恐怖政治は、強権を持つ一部が民衆を弾圧し、思想や言論に圧力をかけることが目的に有る場合が多い。暴力と権力で為政者の考えに異を唱えさせないのだ。
しかし、そういった恐怖政治は民衆の不平等感を煽り、最終的には抑圧からの解放を求める反体制派の発生で瓦解するのが落ちであり、為政者側の内部でも問題が発生するものだ。
ところが、今の一二三が敷いている体制は恐怖政治であるものの、恐怖の対象が基本的に一二三ひとりでしかない。
「ある種の強固なカリスマと言っていいわ。“逆らえば殺される”。シンプルすぎてどうしようもないけれど、その対象が一つの人格ならば、逆に民衆は楽に感じるものみたいね」
奇妙な話だが、兵士達も文官も民衆も「しっかり国を回してます」というアピールを一二三に向かって懸命に行う形が出来ている。
「……今更、考えても致し方ないことね。統治の形は色々ってことよ」
「国王が直々に挑戦者を募るのも、当地の形ですか?」
「そこはそれ。趣味の一環でしょ」
ウェパルは一二三から魔国の運営についての補佐を任されていたが、本人の意向もあって仕事の量はかなり少なくしていた。
自分が王であった頃の官僚を呼び戻し、フェレスやニャールを筆頭に依然と同様の体制を組み上げたことで国家運営の連続性を保ったウェパルは「そのままやって頂戴」とだけ言って、多くを官僚たちに任せてしまった。
「一二三のやり方に倣っただけよ」
などと言っていたが、ウェパル本人が政治に関わる興味をほとんど失くしていたことは否めない。
そんなウェパルは、ごく一部、調整が難しい案件や重要案件のみに顔を出す。
フェレスが言った“挑戦者募集”に関しても、ウェパルが責任者になった。
「とりあえず、強い誰かを宛がっておけば大人しくしているんだから、別に良いじゃない」
「個人として高い戦力を持っている人が減ることになるかと」
フェレスも一二三が誰かに敗れるという想像はできないらしい。
「致し方ない犠牲と思いなさい。大量の将兵が無駄に損耗する戦争をホイホイ起こされるよりマシよ」
ウェパルはベンチから起き上がると、フェレスを伴って城へと戻っていく。
「私たちの役割はね、フェレス。何の目的も無い戦いを避けて、多くの命が失われるのを避ける方法を考えることよ」
「ウェパル様……」
それは魔人族を守るための決意だった。しかし、フェレスはウェパルの言葉の中に違和感を感じた。
「……私“たち”?」
「あたりまえでしょ。貴女もニャールも、もちろん他の官僚も全部よ。当然、ヴィーネにも手伝ってもらうわ」
一人だけ苦労するなんて御免よ、とウェパルはのしのしと歩いていく。
☆★☆
「……見世物をするつもりは無いんだが」
「これも経済振興策よ。宣伝して情報を拡散するだけでも結構なお金がかかっているの。文句は聞かないわよ」
百人弱程集まった参加者については一二三も満足していた。強い物が混ざっていればそれで良し、いなくともこれだけの数がいればしっかりした稽古になる。
しかし、その周囲に数千人集まった観客と、それに当て込んで設営された飲食店については不満があった。
一二三としては単純に殺し合いがしたいだけなのだ。
とはいえ、全てのお膳立てを任せた以上、一二三はこれ以上不満を言うのはやめておいた。
集まってきた者たちは、武術や魔法など、戦闘に関して一定以上の自信をもっている者たちだ。
魔人族が多いが、人間や獣人族、中にはエルフもいる。
募集条件は自分の力量に自信があり、死ぬ可能性を納得できる者。それだけだった。
武器を使おうが魔法を使おうが、複数人で組んでも良いとさえされている。
「それでは、説明をはじめまーす!」
壇上に立ったヴィーネは魔国の将軍という肩書を名乗ると、衆目を集めたことに緊張しつつ手元のメモを読み始めた。
「予選とかは無いです。全員で魔王に挑戦してもらいます! 途中棄権は駄目です。王が死ぬか皆さんが全滅するまでです。死にたくない人は最初から参加しないでください」
この説明には、殺気だったざわめきが広がった。
「俺たちを馬鹿にしすぎじゃないか?」
誰かが不満を述べる声を上げると、ヴィーネは首をかしげた。
「そうですか?」
「この人数差を相手に一人だろう? 複数の傷で王が死んだら、誰が勝ちってことになるんだ!」
方々からの不満に、片方だけの兎耳をぴくぴくと動かして文字通りの聞き耳を立てていたヴィーネは再び声を上げた。
「判定は会場の周囲に配置された私たち見届け人が行います。明らかな致命傷を与えた人が勝者とします!」
そして、説明は勝者に与えられる商品へと続く。
「勝者には、この国の王座を差し上げます!」
この言葉に、参加者たちの間で歓声が広がる。
ここにいる殆どが、腕一本で最高の地位を得られる可能性に釣られて来た者たちだ。明言された報酬とこの上なく有利な条件に、彼らの眼つきはギラギラと危険な光を帯びている。
しかし、ヴィーネの目は憐憫に近いものだった。
「いいのかな……」
熱狂の怖さを目の当たりにしながらも、彼女は自分に気合を入れて叫んだ。
「では、三時間後にこの場所で開始します! その間に参加希望の方は受付をお願いします!」
ゾロゾロと指定の受付場所へ向かう参加者たち。
彼らは観衆からは勇ましい挑戦者に見えているのかも知れないが、ヴィーネを始めとした政府関係者からすれば、単なる無謀な者たちにしか見えなかった。
「三時間後か……会場で何か食ってくるか」
「では、お供しますね」
赤子を抱え、オリガは一二三に寄り添って歩いていく。
「ご主人様、緊張とかしないのかな」
不思議に思いながらその背中を見ていたヴィーネだったが、すぐに壇上から飛び降りて一二三を追いかけていった。
「わたしもお腹がすきました!」
本人に自覚は無いが、ヴィーネも随分と神経は太い方である。
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