102.使命
102話目です。
よろしくお願いします。
ある意味では穏やかな日々が続く間、ウィルが一二三の妻であるという誤解が発生して直後に正されたり、王都の犯罪者が激減したりと些細な出来事が積み重なっていく。
その裏で、兵士達の間で新たな英雄を歓迎する派閥と敵視する派閥ができたりと、ハルカン王国王都内はじわじわと一二三を問題とする流れが出てきた。
「問題とする程のことか? 彼は実際には我々に敵対するような様子も無ければ、少々手荒ではあるものの治安維持に貢献しているだろう」
国王は部下からの報告に首をかしげた。
だが、クラファトなどから聞いている一二三の戦闘力を考えれば、彼自身に問題が無くとも“問題がある”と考える連中がいることの方が危険だ。
「クラファトに命じて、それとなく彼らの周囲を警戒させよ。妙なことを考える輩がいるかもしれん」
文官が命令を伝えるために王の執務室を後にすると、国王トーマルタンは深いため息をついた。
「頼むから、騒動なぞ起こさないでくれよ。ただでさえウルハッドとの停戦交渉で休む暇もないというのに……」
これなら戦場で剣を振るっていたほうがずっと楽だ、と王は一人ごちた。
☆★☆
周囲の騒動や王の不安など無関係に、一二三とウィルは自分たちの目的に向かって行動を進めていた。
「その“アクアサファイア”ってどんなの?」
という、ウィルの質問に答えて一二三は木炭でがりがりと羊皮紙に形を描いていく。
「だいたいこんな形で、色は濃い青だな。透き通っているが」
「適当にも程がある説明だけど……それの見た目をきちんとイメージできる?」
「大丈夫だ。ハッキリ憶えている」
二人は今、ウィルが研究室として使っている部屋の中央に向かい合って座っている。床にべったりと。
ウィルは異世界からの召喚魔導陣を応用した送還魔導陣の原型ができたと言って一二三をこの部屋に呼んだ。
「と言っても、ちゃんと送り返せるかどうかは実験してみないとわからないし、試そうにもここから消えたところまでは見えても“ちゃんと狙った場所へ行けたか”までは確認のしようがないのよ」
「まあ、そうだろうな」
呼んだなら結果は目の前にあるが、送ったなら結果は別のどこかにあるのだから。
ぶっつけ本番になるから、と短い警告を終えたウィルは早速、送還先の目印になるものとしてアクアサファイアを指定することにした。
「あんたを召喚した際に使われた魔導陣……魔法陣だっけ? まあいいわ。魔導陣の重要な触媒として使われていたなら、道を作る目印に使えるはずよ」
ただし、とウィルは人差し指を立てた。
「あんたがしっかりイメージをして、魔導陣に魔力を流して。そうじゃないと正確な目標設定ができないから。そこで明確な想像ができてないと……どこか別のところに飛ばされるかも」
「わかった。で、それはいつ可能になる?」
「ここだと余計なものまで巻き込む可能性があるから、裏庭に改めて魔導陣を描きなおすわ。明日の夜まで待って」
その日のうちに、侍女たちには一二三から城へ戻るように告げられ、話を聞きつけた商人デリスが慌てて駆け込んできたのに対して、一二三は礼を言った。
「そろそろ帰る……帰れるかどうかはわからんが、この屋敷ももう必要ない」
「帰られるとおっしゃられますが、どちらにいかれるのです?」
デリスの質問に、一二三は首をかしげた。
「説明のしようが無いな」
「一二三がもともと存在していた世界よ。この世界とは別のところから来たんだから、そんな言い方しかないでしょ」
研究室から出てきたウィルが、デリスと固い握手を交わした。
「本当に、他の世界から来ておられたのですね……。残念ではありますが、お引止めもできません。どうか一二三様、お元気で。貴方様のおかげで、私は得難い縁を作ることができました」
半泣きのデリスは一二三とも握手を交わし、王への連絡も引き受けると言った。
「そうしてくれ。城には何度か行ったが、妙な目を向けてくるやつも多いからな。相手するのは構わんが……」
「相手にしてもつまらない、ということでしょう?」
「わかってるじゃないか」
一二三はモンスターを狩ってはデリスに卸し、賞金首を狩っては兵士に死体を引き渡していた。その中で時折口にしていた言葉を、デリスは憶えていたらしい。
「あたしもいなくなるから、ここは処分してね。残念だけれど、持っていけない道具も多いのよね」
「それは構いませんが……ウィル様も一緒に行かれるのですか?」
デリスは驚きに目を見開いていた。
ウィルが一二三と恋仲というわけではないことを知っている彼は、彼女が一二三について行くことが奇妙に感じられたのだろう。ただの旅ではない。一二三の口ぶりからすれば、失敗する可能性もあるのだろう。
「だって、新しい世界と新しい魔導の技術が見られるかも知れないのよ? こんな機会、今を逃したら二度とないわ」
研究者らしい言葉だ、とデリスは感心した。
「必要な物はありませんか? 喜んでご用意させていただきますよ」
一二三とウィルは、同時に口を開いた。
「食べ物」
侍女を帰すのが早すぎて、今日明日の食事が無い。おまけに転生先で充分な食糧があるかもわからないので、その準備も必要だった。一二三が持っている食料も少なくなっている。
最強の戦士と最高の魔導陣研究者だというのに揃って腹を減らしているという現状に、デリスは思わず吹き出してしまった。
☆★☆
王からの感謝状を添えた食料品は、その日の夕方には屋敷へ届けられた。
明日の夕方には、デリスが温かい食事を運ばせると約束している。この世界での最後の食事を用意させてほしいという彼のたっての希望だった。
王とは会わない。一二三のように目立つ人物が城に出入りすることも、王がこの屋敷に入るのも、変に耳目を集めるとして避けられたのだ。
それでも、王も一二三もそれで良いと思っていた。
ウィルは食事もそこそこに裏庭へと向かい、特殊な魔力吸収性能がある塗料を使って魔導陣を描き続ける。非常に複雑で一般の者には意味が分からない幾何学模様の羅列であるが、魔導陣の知識があるものが見れば舌を巻くだろう内容だ。
念のため、この世界に戻ることを考えたウィルは目印として自らが記した書物を一冊残していた。デリスが保管を引き受けている。
「ここに座って。意識を集中してアクアサファイアのことをイメージしながら魔力をしたの魔導陣に向けて流して。後は魔導陣が勝手に魔力の流れを整えて起動するから。あ、その前にこれ全部、あんたの闇魔法で収納しちゃって」
ウィルが指差したのは“これ”で済ませられるような量ではない、研究資料や魔力塗料の生成道具など、ちょっとした小部屋が埋まる数だ。
「結局、お前も来るのか」
「当たり前でしょ」
漆黒の円を生み出して一気に荷物を回収してしまった一二三が言うと、ウィルはポーチの中身を確認しながら答える。
「あたしは研究者なのよ。命の危険は知識を諦める理由になんてならないのよ」
「ふふっ……」
「ちょっと、笑わないでよ!」
そういう命の賭け方もあるのか、と一二三が感心すると同時にウィルの言葉に笑みを浮かべた。
「そう怒るな。これでもこの世界が楽しかったと思っているんだ。さあ、余計な邪魔が入る前にさっさとやってしまおう」
「こんな時間に邪魔なんてはいらないわよ」
時刻は日が沈み、すでに夜の時間帯となっている。通りは人の往来が途絶え、飲み屋の集まるあたりだけが明るくなっている。
「そうだな。邪魔にはならない」
一二三はそうつぶやくと、屋敷の前に感じる数名分の気配と、同数程度の屋敷に近づいてくる足音を遠くに聞きながら魔導陣へと座り込んだ。
☆★☆
「私としたことが、後手にまわるとは!」
クラファトは鎧の重さに呪いの言葉を吐きつつも、部下を引き連れて懸命に走った。
一二三の屋敷を見張らせていた部下が、数名の武装した人物が日没と共に屋敷の前に現れたのを知らせてきたのだ。
その正体は不明だが、一二三やウィルを襲うつもりであろうことは明らかだった。
「最後の日、ぎりぎりまで何もなかったからと油断していた……!」
敵国ウルハッドの工作員なり、殺害された犯罪者の仲間が襲撃する可能性も考え、王命を受けて監視業務を行っていたクラファトは自分の失態に顔を紅潮させていた。
「万が一にも、護衛対象に怪我ひとつ負わせてはならん!」
それにしても、なぜこのタイミングを敵は選んだのだろうか。クラファトは考えたが、答えは見つからなかった。
ようやく屋敷の前に到達したところで、監視人員の一人が惨殺された状態で屋敷の前に倒れており、残り数名が懸命に屋敷前に陣取って戦っているのが見える。
「おのれ! 全員突撃!」
駆け付けた勢いそのままで、兵士たちは剣を抜いて敵集団へ殺到する。
途端に挟み撃ちの形になった敵は、彼我の人数が不利に傾いたことに気付いた様子ではあるが、戦う意思は消えなかった。黒く塗りつぶした刃を振るい猛然と戦っている。
乱戦が始まり、見えにくい武器を相手にしながらもクラファトたち優勢に戦いが進み始めた矢先だった。クラファトの前に剣を掴んで出てきた人物がいる。
「クラファト!」
「マッカ!? どうしたんだ、こんなところで!」
それは同期の騎士であり、クラファトが一二三と共にウルハッド国境の渓谷に着任する前の前に国境戦責任者だった男だ。
「渓谷で怪我を負って養生していると聞いていたが、回復したのだな!」
「ああ。どうにか俺は軽傷で済んだからな……」
「とにかく手伝ってくれ! この屋敷を守らねばならん!」
数が多いと言っても、圧倒できるほどではない。クラファトは知人の騎士がいれば助かると言って助力を乞うた。
マッカと呼ばれた騎士は、渓谷では敵の魔導具によって部下の半数を失い、その余勢で反攻してきた敵をどうにか押さえたものの撤退を余儀なくされたという敗戦歴はあるものの、個人の武勇では騎士の中でも飛びぬけて高い。
クラファトもその剣の腕には惜しみない賞賛を送る一人だ。
だが、マッカはゆっくりと首を横に振る。
「相変わらず、注意力が足りない奴だな」
「なんだと……うっ!?」
暗闇の中、黒く塗られたマッカの剣が振るわれる。
「その剣……まさか!」
「俺は襲う側だ。邪魔をするな。そこで大人しくしていろ」
右肩を切り裂かれたクラファトが跪くのを見て、マッカは「知人の好だ。殺すのは後にする」と言って背を向けた。
「邪魔だ」
他の襲撃者と対峙していたクラファトの部下を背中から切り捨て、マッカは悠然と屋敷の中へと向かって歩き出す。
「あいつを止めろ!」
クラファトの叫びに突き動かされた部下たちだったが、その前に襲撃者たちが立ちふさがる。
「くそっ! 一体何を考えてるんだ!」
鎧を脱ぎ捨て、服を引き裂いた布で無理やり肩を縛り上げたクラファトは、取り落とした剣を左手に掴んで立ち上がった。
このまま屋敷に入っても一二三を殺害することはできないだろう。しかし、遭遇の順番次第ではウィルが殺されてしまうかも知れない。それだけは許すわけにはいかなかった。
クラファトは自分が命じられた護衛任務が失敗することも怖かったが、それ以上に民間人が自分の失敗で命を落とす方が何倍も怖いと思っている。
そう考えると、彼はプライドをかなぐり捨てても最上の選択肢を選ばざるを得なかった。
「ひ……一二三殿! 敵がそっちへ向かった!」
騎士として、軍属ですらない誰かの手に委ねるのは悔しかった。血が流れんばかりに奥歯を噛みしめたクラファトは、それでも力が抜けそうな身体に鞭を打って剣を振りかぶった。
「ぬぅん!」
血煙を上げて転倒する敵を見ることもなく、クラファトは自らに課せられた使命を全うするめに足を引きずるようにして前へ前へと歩いていく。
右腕は肩から流れる血で真っ赤に染まり、彼の後ろには赤い点が続いた。
騎士として人を守るという単純かつ重大な使命を帯びた誇りが、彼の足を動かしていた。
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