1.王都脱出
拙作『呼び出された殺戮者』の続編となります。
よろしくお願い申し上げます。
「早く! こちらです!」
皇国魔法技術顧問プーセは、年若い皇女の手を引いて、城の隠し通路をひた走っていた。わずかな荷物と書類を詰め込んだ鞄と、時代遅れと知りつつも手放せなかった魔法杖を抱えて。
エルフである彼女は、齢百歳を過ぎて数十年経ってなお、未だに外見年齢は三十代に見えるかどうかと言ったところだ。森で生活していた頃に比べると衰えたが、走る事は出来る。
「プーセ、どこへ行くの?!」
息を切らして走る皇女は、銀色の髪を揺らしてプーセを見上げた。その瞳は、黒々として何かを見透かしているような雰囲気がある。だが、実の所は“聖女の生まれ変わり”と持て囃された箱入り娘に過ぎない。
「私の知り合いが残してくれた場所があります。そこへ向かいましょう。駅まで行けば、後は列車で行けますから」
「列車に乗るのは初めてだわ。……ひょっとして勇者様の像もそこに?」
「……ええ、私の知り合いにお願いしました」
「良かった! また勇者様がみられるのね!」
皇女が瞳を輝かせて喜んでいるのを見て、プーセは本心を言えなかった。あの男を勇者と呼ぶのにはとてもとても抵抗がある。
ふと、魔法で流していた風の動きが変化した。
「止まってください」
プーセは、皇女を抱きしめるようにして彼女を止めた。すぐに魔法を発動し、結界を張る。
ゆっくり息を整えていると、薄暗い隠し通路の向こうから、城内を警備する騎士たちが姿を見せた。白い鎧を装備し、左腰にサーベル、右腰に一発だけ撃てる単純な構造の拳銃を提げた、近衛騎士たちだ。
「プーセ……」
「静かに。少しの我慢ですよ」
プーセが張った不可視の結界はしっかりと効いているらしく、彼女たちの存在に全く気付かない様子で、近衛騎士たちはキョロキョロと周囲を見回しながら通り過ぎて行った。
彼らの足音が遠くまで行くのを待って、二人は再び走り出す。
オーソングランデ第二の首都と呼ばれる、トオノ伯爵領を目指して。
☆★☆
神聖オーソングランデ皇国。
聖女イメラリアを始母として生まれ変わったとされるこの国は、イメラリア本人の没後数十年の間に、聖女イメラリアを崇拝する宗教“イメラリア教”を国教と定めた宗教国家へと変貌していた。
それまでイメラリアが推し進めてきた共存政策によって、人間や獣人、エルフや魔人族は、主な居住地こそ別れてはいたものの、交流は多かった。工業技術や魔法技術は発展し、オーソングランデは強いリーダーシップを発揮したイメラリアの指導の下、急激な成長を遂げる。
だが、イメラリアから彼女の孫へと玉座の主が代わり、その後彼女が六十代の若さで病死を遂げると、オーソングランデ王家が持つ求心力は急速に衰えた。
トロッコを発展させた魔力列車の鉄道網がトオノ伯爵領と王都を繋ぎ、人や物、技術がトオノ伯爵領から王都へと流れ込むと、王家の発言力はさらに落ちた。
そんな中、限りない美辞麗句と大小さまざまな嘘を散りばめた“歴史書”を元に聖女イメラリアを崇拝する“イメラリア教”の勢力は増大し、貴族社会にまで浸透すると、現在王オレステ・ランテ・オーソングランデはその勢力を利用する事を考えた。
イメラリア教は王を皇王と改めて、教主を兼任する宗教的な最大権力者に据え、その娘であるサロメとヨハンナを“現代の聖女”と公表する事で、イメラリア教を国教と定め、国家に保護される最大宗教としての地盤を固める事に成功し、皇家は信者たちをそのまま支持層として囲い込む事が出来た。
こうして、新たな国家“神聖オーソングランデ皇国”が誕生した。
だが、これがオーソングランデという“多種族国家”に崩壊の危機を呼ぶ事となった。
イメラリア教が“正史”として唱えるイメラリアの生涯を綴った書物の中にある大きな嘘。「イメラリアは人間族が最も優秀であり、他種族は人間の導きがあってこそ善く生きる事ができると信じていた」という記述の存在だ。
オーソングランデは、短期間の間に人間至上主義国家へと急速にその在り方を変えていったのだ。
そんな中、明確に王族と対立した貴族がいる。
国内最大規模の経済圏を有するトオノ伯爵領の領主、メグナード・トオノ伯爵だ。
☆★☆
城外の協力者を頼って切符を手に入れたプーセ達は、列車でまる二日かけて、ようやくトオノ伯爵領の中心都市であるフォカロルへたどり着いた。
ここまで来れば、皇国の兵士や騎士の手は伸びて来ない。プーセはようやく安心して、顔を隠していたスカーフを外す事が出来た。
「わあ……王都よりも賑やかなんじゃないかしら! こんなに長い時間かけて遠出するのは初めてだけれど、こんなに発展した町が王都の他にもあったのね!」
「ヨハンナ殿下。お疲れではありませんか?」
「大丈夫。ずっと座っていたから少しお尻が痛いけれど、平気よ」
馬車の荷台をそのままつなげたような不細工な格好の列車だが、馬や馬車で移動するよりも何倍も速い。フォカロルにいるドワーフ達が作り上げた極秘技術を使っているらしいが、プーセはそのヒントを一二三という男が遺した手記からの物だと聞いたことがある。
揺れもあるし、時折線路のトラブルで立ち往生をするのが難点だが。
「トオノ伯爵領のフォカロルという町です。列車の技術もここで作られたのですよ」
「ここがそうなのね! あの勇者様の領地だった所!」
「ええ、そうです。さあ、列車が止まりました。降りましょう」
皇女の細く小さな手を引いて、プーセは多くの人が行きかう駅へ降り立った。
「私が最後に来たのは、もう三十年以上前の事ですから、随分と様変わりしていますね……」
不安げに周囲を見ていると、兵士の詰所が目についた。
そこへ向かおうとすると、ぎゅ、とプーセの腕を握りしめる小さな手。視線を向けると、ヨハンナが怯えたような表情で見上げていた。
そっと微笑み、プーセは彼女の頬をそっと撫でた。
「大丈夫ですよ。ここの兵士たちはとても優しいですから。ほら、周りを見てください。犬獣人や猫の獣人、私と同じエルフ。それに灰色の肌の魔人族も歩いていますけれど、兵士は誰にも怒鳴っていませんよ」
「本当だ……」
「さあ、私の知り合いを探しましょう。その子に彼の像も預けていますし、宿もお願いしなければいけません」
詰所にやって来たプーセ達を見て、兵士たちは彼女とヨハンナの美しさに緊張した様子を見せた。
「すみません。お尋ねしたいのですけれど」
「は、はい! 何でしょうか!」
びし、と姿勢を正した兵士を見て、プーセは笑いを堪えていた。こんなふうに兵士を従えていた、あの男の後継者となった女性を思い出したからだ。
「シクというエルフの女性に会いに来たのですが、彼女の所在をご存じであれば、教えて欲しいのですが」
「シク顧問ですか? 失礼ですが……」
「私はプーセと申します。彼女の友人です」
「プーセさん……プーセ様!? しょ、少々お待ちください!」
兵士が慌てて詰所に飛び込むと、別の兵士が出てきた。
「プーセ様。すぐに確認して参りますので、中に座ってお待ちください」
「ありがとうございます。さあ、中へ入りましょう」
詰所に居た三人の兵士たちは、緊張した面持ちで彼女たちの様子を見ていた。
プーセと言えば皇国の魔法発展に寄与した人物であり、聖女イメラリアの時代から国を支えてきた偉人だ。一兵卒レベルではどう接していいかわからない。
一人の犬獣人兵士が、シクの居場所を探すために詰所を飛び出していったのだが、一刻も早く帰って来てくれないと、誰かが緊張で倒れてもおかしくない程だ。
「勇者様も、列車で移動していたのかしら?」
「彼がいた頃は、まだ鉄道は通っていませんでしたよ。大体は歩いているか、馬に乗っていましたね」
詰所から見える駅前の大通りには、馬車だけでなく列車から運び出された荷物を台車に載せて走っている人足の姿が多く見える。力自慢の獣人が多いが、中には筋骨隆々の人間族もいる。
「馬に乗ってらしたのね! きっととても素敵な姿だったんでしょう。プーセは直接目にする事ができたのね。羨ましいわ!」
「もうすぐ本人に会えます。気難しい人ではありませんが、あまりあれこれお願いしてはいけません。レディとして、慎ましくしていなければ」
「そ、そうよね! 折角会えても、嫌われちゃったら悲しいもの。そう言えば、勇者様の奥様も、やっぱり立派なレディだったのでしょう? 素晴らしい魔法使いで、“オリガの手帳”は物凄く高価で、世界中の魔法使いが欲しがっているって聞いた事があるわ!」
きらきらとした目で聞いてくるヨハンナに、プーセはどう答えるべきか迷っていた。
オリガという女性をプーセは見知っている。王城で顧問として雇われた当初、幾度か言葉を交わした事もある。
「レディ……まあ、冒険者の出身ではありましたけれど、貴族に混じって食事をしても問題無い程度には、綺麗な所作をする方ではありましたね」
ヨハンナが言う“勇者様”の為に、眉ひとつ動かすことなく人を殺せるような人物であった事は伏せておく。夢を壊す必要も無いはずだ。
「プーセさん!」
一人の女性エルフが、手をぶんぶんと振りながら駆けてくる。
エルフには珍しく、ショートカットで快活な印象を受ける女性だ。全体的にスレンダーな印象で、中性的な美女だった。プーセと左程年齢は変わらないのだが。
「シク。急に呼び出してごめんなさい」
「気にしないで、プーセさん。魔法顧問なんてやってるけど、結構時間はあるんだ」
弾けるような笑顔を見せたシクは、プーセの隣に座っているヨハンナへと跪いた。
「ヨハンナ殿下ですね。トオノ伯爵に魔法顧問として雇われております、エルフのシクと申します」
「プーセのお友達なのね?」
「ええ。まだ僕たちが森で生活していた頃から、プーセさんには色々教えてもらいました」
エルフたちは元々、魔人族たちを一定のエリアに封印し、そのエリアに隣接する森で暮らしていた。ところが、ヨハンナの言う“勇者”によって魔人族は解放され、居住地を追有れてしまったのだ。結果として、風土病が無くなり、エルフ本来の寿命を取り戻したのだが。
シクは人間族との共生を目指すエルフたちと共にオーソングランデへ残り、人々に魔法を教えて暮らしていた。
「じゃあ、勇者様も知っているの?」
「勇者様?」
シクが聞きなれない言葉に首をかしげていると、プーセが困った顔で補足した。
「先日、王都から運び出して貰った石像……一二三さんの事よ」
「ああ、あの人……」
シクは苦い顔をして、ヨハンナは「やっぱり知っているのね」と無邪気に笑った。
☆★☆
フォカロルの大通りは人で溢れていた。
プーセの記憶にある大通りよりもかなり幅が広くなっていたが、それ以上に人の数が増えている。
獣人も魔人もエルフも入り混じり、商魂たくましいドワーフがそれぞれの商品を所狭しと並べ、道行く人々の視線を受けていた。
「トオノ伯爵領の人口は七十万を越えましたよ。フォカロルだけで四十万以上の人がいます。きっと王都より多いですね」
「駅の周囲もすごい数だったわ。ヨハンナ様、私の手を離さないようにしてくださいね。迷子になってしまいます」
「ええ、わかってるわ」
シクの先導で、人混みの中を進む。
とはいえ、シクの顔は知られているようで、自然と道を開けてくれる人も多く、周囲の様子に比べてスムースには進んでいる。
「旧領主館を僕が管理しています。例の石像もそこに。定期的な清掃の為に人も出入りしていますけれど、石像を安置した場所には誰も入れていません」
「ありがとう。広場からこっそり石像を運び出すのは大変だったでしょう?」
「そうでもありませんでしたよ」
プーセの気遣いに、シクは苦笑いする。
旧領主館に近づくにつれ、道を往く人の数は減り、ずっと静かになった。ようやく、プーセにも見覚えのある街並みになった。
「僕たちの魔法で隠ぺいしたフォカロル兵たちに、王国兵はまるで気が付きませんでした。王城は、もっと魔法に対する警戒を厳しくするべきですね。路地まで運んで布でぐるぐる巻きにして、トオノ伯爵専用の物資を乗せる貨車に紛れ込ませてお終い、です」
館の二階まで運び上げる方が大変だった、とシクは笑った。
「王城への出入りはしっかり監視しているのよ? 不特定多数が出入りする広場までは無理よ」
そんな話をしている間に、三階建ての建物の前に到着した。
門は閉ざされて施錠され、『改装中』の看板が下げられている。
「先日までは資料館として開放していたんです。一二三さんがいた頃の資料なんかを並べて。でも、大体フォカロルに来る人は就学と買い物目当ての人が多いですからね、いつもガラガラでした」
錠前を外し、玄関も開いて中へと入る。
一階には広いスペースがあり、待合の椅子やカウンターなどがそのまま残されていた。いくつかのプレートが張り付けられ、当時の説明が書かれている。
「ほとんど、八十年前のままです。二階の執務室や会議室、三階の居住区も。そのまま使えますから、使ってください。使用人も信用できる者を何人か用意します」
「苦労をかけるわね。……ヨハンナ様。ここが勇者様が住んでいた館なのです。一階、二階では多くの人が働いていて、本人と奥さんたちは三階に住んでいました」
プーセの説明に、ヨハンナは目を輝かせて室内をキョロキョロと見回している。三階の一部屋をヨハンナの部屋として荷を解き、隣をプーセが入る事にした。身分を考えればヨハンナは領主の部屋でも良かったのだが、「そこは勇者様がお戻りになる部屋だから」と彼女自身が固辞した。
そして、二階の元は会議室として使われていた場所へと集まる。
「勇者様……」
中央に鎮座した三人の石像。細い剣を腰に帯びた男性は、小柄で美しい女性を右腕に抱きしめ。もう片腕には片耳の兎獣人が寄り添っている。
その目の前に跪いたヨハンナは、細い指を組み合わせて静かに祈った。薄く開けられた目は石像の足元を注視し、ただただ黙してした。
「私が生きている間に、彼を復活させる事になるとはね……」
離れた場所でヨハンナの祈りを待っていたプーセは、小さな声で呟いた。彼女はイメラリア教徒ではないので、祈祷などはしない。そのせいで、城内でも次第に浮いた存在になっていた。
ヨハンナは生まれながらに聖女として教育を受けたイメラリア教徒ではあるが、プーセとの交流の結果、他種族に対する隔意を持つことなく成長している。
「本当に封印を解くんですか?」
シクが不安げに尋ねると、プーセは「まだ公表はされていないのだけれど」と首を振った。
「ヨハンナ様の妹であるサロメ様を使って、王は再び異世界からの勇者を呼び出したの。その力を利用して、異種族排斥をさらに進めるつもりでね」
だから、と奥歯を噛みしめる。
「イメラリア教に洗脳されないように私も勇者に接触を図ったけれど、王派閥のせいで完全に締め出されちゃった。残念だけれど、勇者の実力は私より上。しかも二人いるのよ」
「異世界から、二人も……?」
まだ百年も経っていないと言うのに、この国は再び混乱を招きいれようとしている。いや、すでにこの世界に新たな異邦人が来ている。
「散々悩んだけれど、ヨハンナ様と相談して決めたのよ。勇者には勇者で対抗しましょう、と」
祈りを終えたヨハンナが立ち上がり、プーセへと向き直った。
その表情は、緊張で強張ってはいたが、若かりし日のイメラリアに良く似て、美しい。
「プーセ、始めましょう。異世界からの勇者、一二三様復活の儀式を」
頷き、進み出るプーセの背を見つめながら、シクは再び混乱へと向かうであろう世界に同情していた。
お読みいただきましてありがとうございます。
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