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陽炎が消える頃

作者: 二本狐

 開いていただきありがとうございます。

 僕が彼女と出会ったのは、夏の日の気まぐれによる偶然だ。

 ただ、その偶然というのはどこか運命と似ていて、筆舌しがたい必然性を感じる。

 運命と偶然は一体何が違うのだろうか。そこを考えた時、僕はすぐに『手に入れたか否か』という点だろう。偶然は人生の中で一瞬で過ぎ去り、大抵の場合後から気づく事柄であるからだ。これは尾を引く彗星と同じだと僕は思っている。

 そう考えれば、今回の僕はきちんとこの偶然を観測し、ものに出来たのだから運命と言えるのだろう。もしかしたら、彼女から見てこの出会いは偶然であり、運命だったのかもしれない。その偶然と偶然が重なりあった結果と言えば良いのだろうか。

「え、えっと! その本って、もしかして()(さか)(しん)(いち)(ろう)の小説ですか?」

 冷房が効いた区の図書館。そこで真っ白な紙に世界を創りだそうとペンを持っては置くという作業のようなことをしていたとき、彼女はおずおずと、しかし心なしか目を輝かせながらそう切り出してきた。

 僕は女性との関わりに飢えていたという点については否定しない。だが、「は、はい……」と目を合わせることができず、もごもごとそう答えることしかできなかったのもまた事実だ。こういう不測な事態に対して、僕はあまりアドリブが効く方ではない。

 もう一つだけいうのならば、僕は急に距離を縮めて来ようとする人に対してかなり警戒心を持つ方だ。それは、確かに女性と関わり持ちたいと思う僕の欲求とは矛盾しているようみえるかもしれない。ただ、欲求が女性との関わりを持つことなら、警戒心は抑制に入るわけで、さながら矛と盾を同時にぶら下げた状態である。

 冷房が効いているというのに背中が汗で濡れ始める。そんな僕の様子に気付いた様子はなく、彼女は「やっぱり!」と絶妙な小声で僕との距離感を物理的に縮めてきた。そう、さっきまで机とプライベートルームを作るためにちょっとした遮る板があっての会話だったのだが、さっと僕の隣までやってきたのだ。さすがの僕も驚いて彼女の方を見た。があまりの近さに僕は彼女の顔を間近でを見る状態になり、顔が赤くなる。

「あ、あの、近い、です」

「あ、すみません」

 そう言って謝ると、「つい興奮してしまって……」と恥ずかしそうに身体を引っ込めた。

「えっと、それでその小坂慎一郎の本って、もしかして新刊ですか?」

「そう、ですが」

 せっかくの女性とのお近づきのチャンスだというのに、僕は未だに声が上ずり気味に、しかも突き放すようなことしか言えないのだろうか。唯一幸いしていることは、彼女が未だに嫌な顔を見せていないことである。

「えっと、新刊と言っても一年前のものですけど」

「新刊は新刊ですよ。この図書館には入っていないし、でも買うにはちょっと高いと思ってまして。あ、別にケチっているわけじゃないんですよ? ただちょっと買うにはお金が……」

 あはは、と笑う彼女の笑顔には、どう考えても『少し訳ありなんです』と書いてある。ただ、そんな彼女の笑顔が少し綺麗だと思ったのだろうか。それとも下心なのだろうか。

「よければお貸しいたしましょうか?」

 ついそんな言葉を投げかけてしまっていた。

 もしかしたら彼女との繋がりを作っておきたいという心が働いたのかもしれない。そうだとしたら、僕はなんてゲスなんだろうか。男という生物としてはよくやったと言えるだろう。しかし、社会的に見たら蔑みの対象になる。この世界は正しく機能するために、欲求というものを全て抑制してできている理不尽な世界なのだから。それがきっと、みんなの首を締めつけている。それも、最近では変に女性に権力があるため、やれ痴漢だ冤罪だという言葉がすぐに出てくる。そういう生業だってあるぐらいだ。草食系男子というのも、社会的に抑制されているがために生まれた副産物的な存在なのだろう。

 ただ、そういう社会を支えているのが女性であり、やはり下心だ。

「本当ですか! ありがとうございます!」

 その言葉で僕の心に温かいものが染み渡った。それはまるで、死にかけの大地に種を植えこまれたかのような、そんな気持ちになることはできたのだ。




 それから僕は彼女と一週間ごとに会うようになった。

 時間はどうしてか決まって四時過ぎに彼女が来るというものから始まる。そして小声で本の感想を聞き、そして僕がその部分について解釈を入れる。

 『小坂慎一郎』という人物は様々な本を世に送り出した時の人、だった。だが、この一年本をだしていない。その理由について彼女――名前は春咲(はるさき)結衣(ゆい)というらしい――にこのことをどう思っているか訊いてみたところ、『きっと大作のプロットを書いているんですよ!』と力説された。質問する前に「スランプで筆を折ったのではないかな」と言ったのが間違いだったのかもしれない。そういった瞬間に彼女は頬を限界まで膨らませたのだ。

 春咲さんは子供っぽいところがある。というのは、先ほどからの行動からでもわかる通り、彼女は怒るときは頬を膨らます、笑うときは百%の笑顔を咲き誇らせる、疲れているときは話している途中でうとうとし始めて、最後には机に突っ伏して寝てしまう。こういった子供らしさは僕にとって彼女の最大の魅力なのだと思っている。

 またもう一つ彼女の最大の特徴と言えるものは、知識を求める探究心だろう。

「そういえば小坂慎一郎の処女作、『手作りロケット』が出版されたのは彼が高校生の頃だって言う説があるんですが、知っていますか?」

「知ってるよ」

「でしたら、彼が影響を与えた作家がたくさんいたというのもご存知ですか?」

「いや、それは初耳だ」

「そうですか。この小坂慎一郎が時の人になる前に有名だった(たか)(ぎし)(ゆう)()、女性の心を深く描写する(おか)()ますみ、味わいのある文章を得意とする(ふか)(ざわ)(みのる)など、たくさんの著名人に多大なる影響を及ぼしたんですよ」

 と言った具合に、小坂慎一郎だけではなくたくさんの著名人の本も網羅しているようだった。さらに噂や情報などもより精度が高いものばかりをきちんと仕入れているようだった。そのことに僕は感心する半分、少しばかりの恐怖を感じざるを得なかった。

 普通なら恐怖を感じるようなことではないだろう。ただ彼女を感心して褒めて終わりだ。しかし、あまりにも豊富な情報量の多さに、そしてその情報を得ようとする貪欲さに恐怖を感じたのだ。

 ただ、これは惹かれた弱みなのだろうか。その恐怖は全て『魔性』に変換され、僕も感化されるように彼女のことをもっと知りたいと思うようになっていた。

 一ヶ月が経つとそろそろ木々に赤みが増す時期となり始め、段々とあの蒸し暑さが消え失せ始めていた。そうなると、彼女がまるで陽炎のように二度と会えなくなる、というようなことはなく、より一層深い関係へと進むかのように安い喫茶店で話しをするようになり始めた。

 本を買うお金がないという言葉を覚えていたのもあり、お金は僕が払うと進言したところ、春咲さんは申し訳無さそうな顔をして一度は止めたが、日本人の慣習のような押し問答をしたのち、やはり彼女の分は僕が払うというところで落ち着いた。

 この慣習についてなぜ日本人はこういうことをするのかと僕がそう切り出すと、春咲さんは顔を赤らめてながらもきちんと答えてくれる。律儀なところも彼女の性格の一つなのだとこの頃には納得していた。

「きっと日本人の礼節が深く関係しているんです。相手が一度口に出したことを反論しておかないと、相手より優位に立っているという優越感に浸れない、そのような心理が奢る側にも奢られる側にも働いているからあのような押し問答が出るのではないのでしょうか」

 こんなこと言われたら、僕も思わず押し黙るしかない。

 確かに相手より優位に立つという考えがないとは言えない。というのは、今回は彼女の好意をまたあげたいという思いもあるからだ。だが、ぴったりと言わずともニアピン賞をあげられる、しかも無意識化で思っていたことを言われてしまえば誰でも押し黙ってしまうだろう。

 ただ、言い当てられたことに関して不思議と嫌な気分にはならなかった。きっと、彼女にとって一種の意趣返しみたいなものなのだろう。もしかしたら僕が質問した内容が、素朴な疑問としてではなく意地悪めいたものだと思ったのかもしれない。

「じゃあもし僕が君より上にたったとして、優越感に浸る理由ってなんだと思う?」

 さっきのが無意識な意地悪だとしたら、今度は恣意的な意地悪をする。その証拠に、僕の口端は少しあがっているだろう。

 それに気づいているのかいないのかわからないが、彼女はチラチラと僕を見ながら「ひみつっ」と小さく答えた。

 秘密も何も、きっと自前の知識目録(データベース)は自動的に答えを算出しているのだろう。しかしその答えが春咲さんの口から飛び出すことはなく、その日は終わった。





 五ヶ月も経つと僕は自然と彼女のことを『結衣さん』と呼ぶようになり、彼女も僕のことを『しんさん』と呼ぶようになった。そしてごくごく自然に僕と結衣さんは付き合い始めた。

 しかし、付き合い始めても彼女と僕が会えるのは週に一度だけ。ただ、場所はまちまちとなり、喫茶店の中だけではなく、ショッピングモールや本屋さん、それに図書館に出かけることだってあった。その先々で合間合間に本の話をする。他愛のない話も本の話をするのも僕にとってはただただ幸福であった。

 あの時図書館で『小坂慎一郎』の本を持っていたことがここまで運命に多大な影響を及ぼすとは思いもよらなかった。

 でも、だからこそ僕はきちんと歯車が重なりあう音を聞き逃すべきではなかった。

 運命に運命が重なることが僕と結衣さんの出会いであり必然だとするのなら、どうしてそうなったかという必然を露わにするべきだったのだ。



 ――――出会って一年後、僕は春咲結衣と音信不通となった。





 外で鬱陶(うっとう)しいほど蝉が鳴く季節は毎年この図書館で過ごしている。

 その理由は、図書館は天才の頭の中にいるような気分に浸れるためだ。僕が決してダメなのではなく、この偉大なる先人がいるからこの世界に僕が埋没させられる。

 目の前には真っ白な紙と鉛筆。

 『小坂慎一郎』の本を持っていたちょうどこの日、僕はその本を左側に置いてくるかもわからない彼女を待っていた。

 ちらりとその本を見ると、タイトルには結衣さんが新刊だと言っていた『観光ゲーム』というタイトルが書かれている。そこまでは同じだが、その下に視線を下ろしていくとバーコードが貼ってある。正真正銘の図書館のものだ。しかも、日付を確認したら発売されて二ヶ月後ぐらいにはすでにこの図書館にあったようで、返却日のカードのところにたくさん判子が打ってあった。

 しかし、たしか彼女はこの図書館には入っていないと言っていたはずだ。一年も経つとやはり記憶が曖昧で本当にそのようなことを言っていたのかと疑問が湧き出てくるが、おおよそ合っているはずだ。

 彼女の知識量は膨大だと付せることができるほどだ。つまり、結衣さんは何かしらの理由で嘘をついたとなるが、その理由が皆目検討もつかない。

 唐突に彼女が失踪した僕の喪失感は、まるで心にポッカリと穴が開いたようだ。いや、胸をを掻っ捌き、心の臓をえぐるようにして痛みを最大限引き出してから出すようなものかもしれない。

 どちらでもいい。僕は最大限の脱力感を今身にしみて感じているのだから。

 ただひたすらにペンを持っては放り投げる作業を延々とする。四時をすぎ、六時を過ぎてそろそろ帰ろうかと考え始めた時、なんとなく本を捲る。

 パラパラとめくっていたとき、とあるページでめくれるのが止まった。そのページには山折りになった紙が挟んであって、その紙をとるとそっと開いた。


『休憩中の小坂慎一郎さんへ。

 なんて書き始めましたが、なんて書けば良いのかわかりませんね、こういうのって。

 とりあえず単刀直入に書かせていただきます。

 私は春咲結衣です。

 ……なんて書いてみても、余計混乱するだけですよね。

 あなたは記憶に無いかもしれませんが、あなたが作家として仕事をし始めた時からよくこの図書館に来ていましたよね? 私はそれを知っています。家が貧乏で、家のお手伝いを終わらせてから来ると、いつもあなたは指定の席に座って紙になにか書いていました。それを一度だけ後ろから覗いて、一瞬であなたが小坂慎一郎だっていうのを見抜いちゃいました。だって、書き方がとても特徴的でしたもん。

 あなたからしたらはた迷惑かもしれないのだけれど、その時からきっとあなたに惹かれていたものがあったんだと思います。改めて言うと恥ずかしいので、文章には書きませんね。って、書いちゃってます……。あの、ボールペンなので消しませんが、読まなかったことにしてください。

 それで、今回私が消えてしまった理由について、お話します。

 簡単な話です。

 スランプに陥ってしまった小坂慎一郎さんにインスピレーションをわかせるための、時間を掛けた策なんです。誰かにやれと言われたわけではありませんので、そこのところは勘違いしないでください。

 でも、最初は本当にそれだけでした。世界にはたくさん人がいて、私はその中の一人の、本が好きな女の子でしかありませんから。だから小坂慎一郎さんを少しだけ策にかけて、それでさよならしようとおもってました。


 でも、しんさんはどんどん私の中に入ってきました。

 好きに、なってしまいました……。


 だから、だんだんおしゃれもして、綺麗になろうとがんばっちゃって。

 でも、あなたを図書館で見るたびに、真っ白な紙に頭を抱えている姿を見て、とても心が痛みました。

 だから、私は、姿を消しました。

 コンプリートです。ミッション完了です。

 もともとの目標を思い出したとある女の子は、任務を遂行して、陽炎のように消えてしまいました。


 怒っていますか? 呆れちゃいましたか? きらいに、なっちゃいましたか?


 それで、いいんです。

 私はあなたのことが好きです。大好きです。

 でも、ごめんなさい。

 同じぐらい『小坂慎一郎』の小説が好きだから、あなたのことを振ります。

 二つを天秤にかけてしまった私はおこがましいかもしれません。ですが、これが最適解なのだと私は信じています。

 できれば、あなたが私の事をわすれてくれることをいのります。

 あなたの一番のファン 春咲結衣より』


 ところどころにある涙の跡と滲んだボールペンのインク。

 これだけで、彼女の苦渋の決断が十分に伝わってくる。と、同時に僕は結衣さんに対して酷く申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになった。申し訳ないという言葉じゃ足りないのかもしれない。

 だけど、僕はもっとぴったしとある言葉を見つけるよりも先に、席に座り直してペンを持つと、彼女の涙を無駄にさせないために一心不乱にペンを動かしてここ二年間ずっと真っ白だった紙に世界を作り始めた。




 必然が偶然と偶然が重なりあった結果だとするなら、奇跡とはなんだろうか。

 僕が思う奇跡とは、偶然が二回重なりあうのが必然とするならば、奇跡は偶然が三回重なったものがそうなんだと、そう思う。

 ただ、『この広い世界で君と出会えた奇跡』というのが奇跡だというのは間違ってる。というのは、君と出会えたのは相手側の背景に何かしらの必然性を見いだせるから。

 『論理性の奇跡』というタイトルで売り出された小説は瞬く間にベストセラーとなった。

 売り出し文句には『三年目の魔術師』と書かれてあってとても恥ずかしかった。ただ、本が出せてよかったと僕は心の底からそう思っている。その思いの先にはやはり彼女がいるからだろう。

 僕がこの本を売りだして最も先にやったことは、この本をこの区の図書館に贈呈することだった。図書館は不平等社会という概念がない、ある意味一番安心で安全な平等社会が成立する場だろう。その図書館は発売と同時、もしくは一週間以内に棚に並ぶということはまず無い。なら、その平等云々の体裁を整えようと寄贈するのが普通だろう。

 ただ、僕には平等云々は建前だと堂々と宣言できる。全ては一人の女性のために、と。

 彼女に出会ったのが一回目だとするならば、今年で三回目の夏。暑苦しい外から冷房の効いた図書館に入り、僕は誰に指定されたわけでもなくいつもと同じ椅子に座り込む。

 すると、目の前にいた女性が肩をぴくりと動かした。

 そのことになんとなく目がいき、頬が緩む。ただ、すぐに顔をぺちぺちと叩いて緩んだ頬を整えると、机の邪魔にならないところに『論理性の奇跡』を置く。

 そして、僕はまた緩みそうになりながらちらりと顔を前に向けると、なんて意地悪をしようかと考えながら彼女の言葉を待った。


「え、えっと! その本って、もしかして小坂慎一郎の小説ですか?」

 お読みいただきありがとうございます。

 今回は文章かためにしてみました。

 初めて読まれた方、本当に有難うございます。いつもの私はこれをあと軽く十倍はぽわわ~んとした小説となっておりますので、是非長編・短編をお読みいただければ嬉しいです。

 何度か私の小説を読んでいただいている方、「二本狐さんらしくねぇ!?」っと思われましたか? 少なくとも作者である私は思いましたので安心してください! 逆にいつもどおりだな、って思われたらくまりますね!

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