二つの白滝
人間がこの世界に誕生する以前の話である。
高い山々が背後に連なる深い渓谷があったが、地殻変動によりこの地域に大きな土地の隆起があった。その結果、高さが10m以上にもなる垂直な断崖ができあがった。
満々と清流をたたえていた谷川はその断崖で、真白い滝に変身して、深山の昆虫や周辺の木々の目を楽しませた。
この大滝には大きな特徴があった。それは、断崖の上の谷川のほぼ中央には八畳もある大きな岩があって、綺麗に二股に別れていた。
真っ黒い岩肌の断崖をバックに、二つの真白な滝は、ある時まではただそこに滔々(とうとう)として存在していたに過ぎなかった。
ある時とは、世界の山々を渡り歩いている神の使いが濃い霧に乗ってここに立ち寄った時である。
神の使いは、この二つの白滝のみごとさに感嘆して、向かって右の滝が東側に位置していたため、東龍、左側の滝に西龍と名付けて、見ること、聞くこと、体が感じることの三感と感情や意思を与え、木や石、昆虫や鳥などの名前を教えた。
それからまた長い時が経つと、彼らは、自ら落ちる水の流れを変化させることによって、音の変化を付け、隣の滝同士や鳥たちと単純な会話もできるようになった。
「お~い、西さん、何しとるんじゃ?」
「何って、ただぼんやり滝壺をながめたり、谷川の音を聞いているだけさ」
「つまらんの~。この前までは、わしの背中の断崖に、かわがらすの巣があって楽しみじゃったが今は巣立ってしまったしな」
「東さんにそんな楽しみがあったなんて、はじめて聞いたよ。何故そのとき教えてくれんかった?」
「わしだけ楽しみが多いと西さんに悪いと思っての~」
「気使いは無用だよ。ところでここんところ山の方に雨が降らんようで、体が半分くらいに細くなってきたのが気になるんだけど、東さんはどう?」
「確かに今までないくらい細くなっているが、三分の二といったところかな」
「うらやましい~、このまま雨がずっと降らんかったら、どうなるんかいね?」
「考えるだけで恐ろしくなるが、死んでしまうってことになるんじゃろな」
「ええっ、死ぬんかい?それも東さんよりおれのほうが早そう。どうしようかいの~」
「今度、神の使いが来たら、相談してみるとしよう。わしらにはどうすることもできん」
「はがゆいな~、鳥のようにどこかに飛んでいけたらいいのに」
「まこと、他の世界を見てみたいものじゃ」
そう言うと、二人は体をくねらせて背中のかゆいところを後ろの断崖にこすりつけました。これを長年のくせとして続けてきたので、断崖は少しづつ後退していきました。
言葉を覚えた頃には、東龍と西龍を分けている八畳岩は断崖から出ていなかったのに、いまでは2m近くになるまで八畳岩が飛び出していました。
「それに西さん、気がかりなのは我々の上にある目の上のたんこぶのような八畳岩じゃ」
「そうそう、この前その岩で休憩していた鷲に聞いたら、岩の半分のところまで断崖がきていると言ってたよね」
「時間の問題で岩は滝壺に落ちるな」
「東さん、岩が落ちたら我々はどうなるんかいね?」
「今はわしと西さんがそれぞれ別々に生きておるが、これが一つになるってことは、そこにわしも西さんも同居して生きていることはないじゃろうから、どちらかがのっとる形で生きていかねばならないじゃろうな」
「ええっ!そうしたらどちらかが死ぬってこと?」
「そういうことになるんじゃなかろうか」
「そのときは体の大きな東さんに譲るしかなさそうだけど……、死ぬのはいやだよ~」
それからというもの、体の小さな西龍は死んだらどうなるのか、生きている間にもっと楽しいことはないのかと、あれこれ考えるようになり、寝れない日が度々あるようになった。
そして、背中がかゆくても断崖にこするのをできるだけがまんしていたが、長年の体に浸みついたくせのため、無意識にこすってしまうのだった。
そんな西龍の話相手になっていた東龍も、それ以来、生死のことや生き甲斐などを考えるようになり、以前のように心が穏やかではなくなっていった。
それからしばらく経ったある日、大きな直下型の地震がこの地方を襲った。
八畳岩が転げ落ちると同時に垂直の断崖も大きく崩壊して、綺麗な白滝は渓谷にあるただの急流へと変わってしまった。
その後、そこを訪れた神の使いは、あの二人が元の世界に戻ったことを確認すると、「彼らを安らかにしてやるには、これしかあるまいて」とうっすら微笑んで、深い霧とともに立ち去っていった。
<完>