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迷い、尽き。

 お化け屋敷を出た後、俺たちは適当に学校の中を見て回った。

「おや、センパイ。体育館の方で軽音楽部がはしゃいだり、演劇をやったりしているようですよ」

「演劇……あ、ロミオとジュリエットをやるんだって。新訳って書いてる」

「めぐちゃんはロミジュリ知ってるんですか?」

「うん。アレをどういう風に解釈するのか気になる」

 我が妹ながら、嫌な小学生だ。

「じゃあ体育館に行ってみるか」

 体育館まで人の流れに乗る形で歩いていくと、ギターのじゃかじゃかした音が大きくなってくる。

「軽音!」

 待木が奇声を上げた。

「え?」

「……楽部といえばゲリラライブですよね。うちのバンドメンはそういうのやらないんですか?」

「あー、ゲリラね。去年やらかしたところがあったんだけどさ、オーガこと瑞沢先生とか、ヘラクレスにボコられたんだよ」

「なるほど、納得です」

「お兄ちゃんの学校には何がいるの?」

 俺が聞きたい。



 体育館の中は程よくうるさく、人で賑わっていた。

「座れますかねー」

「今やってる軽音が終わったら、大抵のやつは出てくと思うけどな」

 隅の方で待っていると、軽音楽部の出番が終わり、前の方に陣取っていた連中がぞろぞろと体育館の外へ引き上げていく。

「はあ、やはり文化祭の華は楽器ですね」

「かっこいいからなあ。ほら、ギターとか」

「かっこいいですかあ? センパイがギターを持ってても様にならないと思いますが。要は顔ですよね、顔」

「お兄ちゃんだったら、リコーダーとかピアニカの演奏会になりそうね」

 好き勝手に言いやがって。

「ほら、席空いたぞ。前の方に行くか?」

「ん、そうする」

 俺はめぐの手を引いて最前列付近の椅子を確保する。

「そうやってると、やっぱり『お兄ちゃん』って感じがしますね」

 待木はへらへらと笑っていた。まったくこいつは。

 適当に座ると、俺の右隣にめぐ。左隣に待木がスタンバった。

「両手に花ですねえ、センパイ」

 にいいと、悪役もかくやという嫌な顔の待木。

「……片方は毒持ってそうだけどな」

「あ、私が花だってことは認めるんですね」

「うるせーなー、もう、向こう行けよ」

「いやー意地悪―。めぐちゃんにあらぬことを吹き込みますよ」

「妹を盾にしやがって」

 心温まる話をしていると、俄かに体育館の入り口の方が騒がしくなった。同時に体育館の照明も落ちていく。じき、舞台が始まるのだろう。

「そういえば、今からやる劇は二年一組のようですね。確か、宝野さんのクラスではなかったですか」

「あー、そういやそうか。宝野のクラスだな」

 とはいえ、あいつが舞台上に出てくるかどうかは分からない。期待しないで適当に待っていよう。

「……ん?」

 壇上に貴族みたいな格好をした男子生徒が現れた。どうやら彼が司会進行役らしいが、何だか裏に引っ込んだり、また出て来たりを繰り返している。トラブルでもあったんだろうか。

「不安を煽ってきますね」

 うーん。まあ、俺たち学生は何かにつけて素人もいいところだからな。

 どうなるものかと思っていたが、幕が上がった。『ロミオとジュリエット~新訳~』の開演である。



「今出てきたマキューシオってやつ、死にますよ」

「えっ」

「ティボルトも死にます。ロミオがやるんですよ」

「お、おい」

「黒幕はジュリエットです」

「それは嘘だろ」



 普通に劇を楽しもうとしていたが、待木が横からネタバレしてくるので気分はげんなりだった。当の待木は真顔で劇を見つめている。こうして黙ってりゃあ普通に可愛いのになあ。口を開けばアホなことばっかりだ。ただ、アホなことを言わない待木はもはや俺の知っている待木ではない、とも思う。

「ん?」

 あれ? なんか、劇っつーか、舞台っつーか、おかしいな。じっと目を凝らして、舞台上を動き回る役者を観察する。そこで俺は違和感の正体に気がついた。

「なあ、さっきと人が変わってないか?」

 待木はふっと微笑んだ。

「え? ああ、場面ごとに演じる人を変えてるんですよ。そうでもしないと台本なんて全然覚えられませんからね。……あと、出番の多い役を独占してると色々と揉めますし」

 なるほど。そりゃそうだ。俺は納得する。


「おおロミオ! あなたはどうしてロミオなの!?」


 ジュリエット役の女子生徒の迫真の演技が光っていた。すると、ひょこりと小さな影が姿を見せる。もしかしてこいつ、ロミオ、なのか?


「こ、このまま黙って……き、聞いていようか。それとも、その、えーと。ああ、声をかけようか……」


 登場したのはたどたどしいロミオであった。つーか、

「宝野さんではないですか」

「めっちゃ棒演技だな。これが地上波で流れてたらネットで叩かれてただろう」

 宝野だった。

 あいつ、ロミオ役だったのか。そんなこと一言も言わなかったのは、大根ぶりを観られたくなかったからに違いない。ちょっと手でも振ってやろう。

「ああ、ジュリエット。僕は……? ……っ!」

 あ、宝野も今俺たちに気づいた。俺と待木は更に手を振る。宝野は視線をあちこちに泳がせた。


「え、えーと? 僕はロミオで、お言葉通りに」

「ちょちょちょ、今は宝野く……じゃなくってロミオの台詞じゃないって!」

「あ? えっ、ご、ごめん」


 観客席から笑いが漏れる。やばい。余計なことしちまったかな。

「センパイに見られて動揺してるのかもしれませんね」

「ちょっと席を外して……ああ、ちょうどいいや。電話だ。待木、めぐを頼む」

「アイサー」

 宝野に気を遣って席を立とうとしたところ、電話がぶるぶると震えた。俺はそそくさと体育館の隅に移動する。誰からの着信だろうと電話を確認すると、父さんからだった。そういや忘れてたなあの馬鹿親父。めぐをほっといてトイレに引きこもってたんだっけ。

「おう、どうしたんだよ」

『あっお前禄助、今父さんに生意気な口を利いたな』

「めぐを放置してるからだよ。で、どこにいんの?」

『トイレだ』

 まだ腹壊してんのか。

『実はな、父さんチケットをなくしたんだ』

「……チケットって、入場券?」

『ああ。それでさっきから不審者扱いされて、追っかけ回されてる』

「冗談で言ってるんだよな?」

 父さんは答えを返さなかった。俺は頭を抱えた。

「え? マジで追われてる? 不審者として?」

『マジなんだって! チャイナドレスのすげえ怖い女に追われてるんだ! 頼む禄助、お前が説明してくれ。生徒の父親だって分かれば許してもらえるだろ! 父さん嫌だぞ、息子の文化祭に招待されて、記憶に残ってるのはトイレだけなんて!』

 なんて情けないファーザーなんだ。しかし血が通った肉親を見捨てられようか。

「父さんは今どこにいるんだ?」

『トイレだ! 禄助はどこにいるんだ?』

「体育館だ」

『本当か? 父さんな、今体育館のトイレに隠れてるんだよ』

 すぐそこじゃねえか。

「分かった。俺も事情を説明するから、父さんはとりあえずトイレから出てきてくれよ」

『あ、ああ、分かった。すぐに…………う? うおっ!?』

 なんだ?

『ひ! こ、こんなところまで追っかけてきやがった!』

「父さん?」

『チャイナだ! チャイナドレスにターミネートされる!』

「父さん!?」

『くそおおおおただではやられんぞぉ、石高家当主として情けない真似などはうああああああすみません! 禄助っ、禄助早くきてくれーっ!』

 電話が切れた。

 俺は携帯電話を握りしめたまま、その場に立ち尽くした。


「あああっ、もう! いいからロミオ! あなたは早くモンタギューの名前を捨てて! ほらロミオ、『分かった。僕はジュリエットの恋人だ』って言うの!」


 舞台上。ヒステリックな金切り声を上げるジュリエット。

 ロミオは一向に返事をよこさない。ふと、俺は舞台を見た。ロミオが――――宝野が俺の方をじっと見つめているのが分かった。


「……ボクは、ジュリエットの……」

「そう! そのまま!」


 宝野ロミオが、俺の方を見ながら、


「いや。ボクは、ボクだ」

「は? あの、ロミ、オ?」

「お芝居でも嘘を吐けない。ボクが好きなのは、ロクスケなんだ」


 言った。

 ……言いやがった。

 観客席から、舞台上から、どよめきが、悲鳴のような声が上がった。


「ロミオっ、ちょっとぉ! セリフと違うっつーかロクスケって!?」

「ロクスケはロクスケさ。ああ、ちょうどいい。ボクはありったけの想いをここで伝える」伝えるな!


 俺は逃げようとした。既に宝野にロックオンされている。このまま体育館に残っていたら厄介なことになることは間違いない。だが、


「うおおおおおおおおおおおお!?」

「待てい!」


 体育館のトイレから盛大な物音が。

 トイレから現れたのは冴えない風体の中年の男と、チャイナドレスを着た女だった。……俺の父さんと、瑞沢先生だった。



 物音に反応した人たちの悲鳴の後、体育館はしんと静まり返っていた。

 俺は出入口にほど近い、体育館の端にいた。体育館のトイレは出入り口の近くにある。トイレの前で攻防を繰り広げていた父さんと瑞沢先生が俺の姿を認めるのはすぐのことだった。

「おっ!? 禄助か!」

「何、石高! この不審者の知り合いなのか!?」

 口を開こうとした瞬間、館内から一斉に声が上がる。


「えー? 何? これも劇なん?」

「……うわ、オーガ、チャイナ着てんじゃん」

「今あのおっさん、ロクスケって言わなかった?」

「チャイナはやべえだろ」

「いや、これ絶対ロミジュリ関係ないだろ」

「ジュリエットめっちゃ焦ってるもんな」

「ロクスケって言ったよね?」

「あ、あいつがそうじゃないの?」

「石高じゃん」

「え?」

「いや、ロクスケって石高のことだろ」

「あー、五組の石高?」


 大多数の人が、俺のことを話して、俺のことを見ていた。


「ロクスケー!」

「あ、コルルァ宝野くん! もう容赦しないっつーの!」

「ロミオを止めろォ!」

「行けー!」


 舞台では、ロミオこと宝野を止めようとしてキャピュレット家とモンタギュー家の面々が飛び出していた。

「おおい禄助! なんかすごいことになってるなお前んところの文化祭! それはさておきこのキリングマシーンを止めてくれ!」

 父さんが半泣きで叫ぶ。

「神妙にするがいい!」

 切れてる先生。

「ロクスケ! ボクの話を聞いて欲しい!」

 駆ける宝野。

 あと、追っかけてくるジュリエットたち。

 おお、ゴッドよ。おお、ファーザーよ。俺は今、どうしてこんな風に立ってるんだろう。

 このままでは、俺はどうにかなってしまう。お願いします。どなたか助けてください。と、神に祈ったところでしようがない。俺は体育館から逃げ出した。



「はあ、はあっ、ああああああ……おおぅ」

 俺は物陰から周囲の様子を確認した。とりあえず、近くに人影はない。校舎裏に逃げ込んだのはいいがこの有様だ。楽しいはずの文化祭でえらい目に遭った。明日から……というより今日から変な目で見られてしまうのだろうか。体育館の囁き声の中に『やっぱり』とか『石高と宝野って前から怪しいと思ってたんだよね』みたいな幻聴が聞こえたが気のせいだろう。そう思いたい。

「センパイ」

「うおあ!?」

 後ろからぬっと声をかけられて、俺は飛び上がりそうになった。

「おお、いいですね今のリアクション。口から心臓が飛び出すような勢いでした」

 そう言ってくひひと笑うのは待木である。彼女の傍にはめぐもいた。そういや、待木には俺がここに隠れてるって連絡しといたっけ。

「体育館はえらい騒ぎでしたよ。劇どころではなくなってしまいましたからね」

 もしかして、俺のせいだろうか。

「まあ、センパイにも微妙に責任があるかもしれませんね」

「……やっぱりそうか」

「私は、誰に謝るってこともないと思いますけど。いいじゃないですかこういうのも。せっかくのお祭りなんですし」

「私はどうなるかとハラハラしてたわ」

 めぐが息を吐く。そういや、父さんはどうなったんだろう。

「なあ、めぐ。父さんは」

「やめて。お父さんの話は当分聞きたくない」

「あ、そ。……まだヤバそうな感じか?」

「いいえ? 言ったじゃないですか、お祭りだって。センパイのことなんかとうに忘れられてるかもしれませんよ」

 だったら非常に有り難いんだけどな。

「……それよりセンパイ。宝野さんの想いとやらを受け止めなくてよかったんですか」

「はあ? なんで?」

「一世一代、愛の大告白だったかもしれませんよ」

「宝野のか? ヤだよ。俺もあいつも男なんだ。どうせ告白されるなら可愛い女の子からされたいし、そもそも、俺はシャイボーイなんだよ。大勢に聞かれるようなやり方は好かん。理想は校舎裏に呼び出されて、みたいな感じ」

「めぐちゃん。あなたのお兄さんはあんなことばかり考えているんですよ」

「本当、ヨイちゃんの言ったとおりだわ」

「お前なあ!」

 兄の威厳がなくなったらお前のせいだからな!

「校舎裏に隠れてるのも飽きましたね」

「まあ、そうだな」

 さて、次はどうするかと考えていたところ、丹下院から連絡が来た。樋山くんが全然来ないからかなり怒っているようだった。

「どうしました、センパイ」

「いや、うちのクラスでさ、サボってるやつが出てるんだよ。で、丹下院がそれについてブチ切れてる」

「サボり筆頭の丹下院さんが?」

 自分がサボるのはいいけど他人がサボるのは許せないんだろうな。

 待木はうーんと唸った後、メイド喫茶を冷やかしに行かないかと提案した。ちょっと歩き疲れたし、座って休むのはいい考えだ。俺たちはメイド喫茶へ行くことにした。



「樋山ァああああああああああああ!」

「……うわー」

 メイド喫茶こと、二年五組前の廊下にはメイド服を着た鬼がいた。つーか完全に丹下院だった。メイドがブチ切れているので客も寄りつかないらしい。閑古鳥が鳴いていた。

「大丈夫ですよめぐちゃん、あの黒ギャルは基本的にヘタレなので」

「は? 今誰か何か……あっ! 石高と部長と……石高の妹じゃん! よーす久しぶりー」

 丹下院がお盆を持ったままずかずかと歩いてくるので、めぐは待木の後ろに隠れた。

「え? あたし怖がられてんの?」

「そりゃ、さっきまでアホほど怒鳴ってたしな」

「違うってー、樋山が来ないから悪いんだってー。めぐだっけ? まーまーまー、うちに寄ってきなって。サービスしてあげるからさー。ケーキとかあるよー」

 おおー、丹下院がめぐをあやしている。すげーレアな光景だな。

「お、聞きましたか。サービスしてくれるみたいですよ」

「俺、ケーキ百個な。丹下院のおごりだろー?」

 待木に続いて俺も店内に突入する。

「あっ、ちょ! 百個とかえぐい!」



「あ、いらっしゃーい」

 メイド喫茶に入ると、すげー気だるそうにしているギャルっぽいメイドに、すんげー面倒くさそうに挨拶された。

「あー、適当に座ってていいよー?」

 にへらと笑みを返される。言われた通り、俺たちは適当な席に座った。


「あー、つーか竜子ー。私さー、カレシが来てんだよね。ちょっと出ていい? 客いないからいいっしょ?」

「は? そしたらメイドがあたしだけになるじゃん?」

「どうせもう誰も来ないから大丈夫だってー。あ、この服着てくね。なんかー、こういうのが好きなんだって」

「ちょ! あぅ、勝手に行くなって! っておぉい話聞いてんの!?」


 そして(丹下院以外の)メイドがいなくなった。

「メイド喫茶じゃねえじゃん!」

「ただの喫茶店になりましたね」

 もう何でもいいわ。

「ちっ、あのヤロー。……もういいや、注文決まった?」

 丹下院はメニューで自分の肩を叩きながら、その辺にあった椅子に座り込んだ。

「お兄ちゃん。私はケーキ食べたい」

「私もケーキと……紅茶にしましょうかね」

「よしよし。おいメイド、この店で一番美味いケーキと紅茶を3人分よろしく」

 俺は指を三本立てた。丹下院は椅子から立って、俺の指をぎゅっと握って折ろうとしてきた。

「だああああああああっ、何してんだクソが!」

「生意気だったから。つーかー、美味しいのが食べたいんだったら別の店に行った方がいいと思うけど」

「いいから用意しろや!」

「るっせーなあ」

 丹下院は不機嫌なのを隠そうともしないで奥に引っ込んでいった。

「あー、くそ。指が曲がるかと思った」

「センパイの根性ほどは曲がらないんで大丈夫ですよ」

「お前に言われたくねえよ!」

 へそ曲がりの根性曲がりが。



 しばらく待っていてもメイドはやってこなかった。

「……ケーキと紅茶って、こんなに時間がかかるんですか?」

「私たちしかお客さんがいないんだけど……」

 仕方ねえ。

 俺はキッチンの様子を見に行くことにした。

 カーテンをめくって声をかけてみる。全く、午後の部の連中は何をやってんだ。

「おい」

「あ、こら。勝手に入ってくんじゃねえよ」

 って。

 あれ、キッチンには丹下院しかいない。

「他のやつらはどこ行ったんだ?」

「全員サボってんだよ。しようがないからあたしが作ろうとしてんの」

「はあー!?」

 ふざけんなよボケども。先生にチクってボコボコにしてもらおう。

「在庫は……ああ、そうか」

 言いかけたが、午後の部の在庫は俺たちがサボったんだった。罪悪感でいたたまれなくなる俺。でもよく考えたらサボってる午後のメンバーが悪いのですっきりする俺。

 丹下院はキッチンで悪戦苦闘している。こいつも一応はお嬢様なんだったっけ。料理なんかしたことないんだろうな。はあ。

「いいよ、もう」

「……いいって、何が」

 俺は頭を掻いた。

「エプロン、適当に使わせてもらうぞ」

 手を洗って、ケーキを作る準備を始める俺を見て、丹下院は目を丸くさせていた。

「え? あんたがやってくれんの?」

「お前に任せるよりかマシなもんが出来るだろうからな。つーか、こういうのは元からお前の仕事じゃねえだろ。サボってるやつらが悪いんだ」

「じゃあ、あんたにもカンケーないじゃん」

「うるせえなあ腹が減ってんだよ俺は。いいから、紅茶だけでもやっといてくれ」

「…………分かった。ありがと」

 感謝の言葉。

 丹下院が口にした。

 ……ちょっと気味悪いな。

「あ。紅茶ってどうやって作るの?」

「…………俺がやっとくから、めぐと待木の機嫌でもとっといてくれ」

「ういー、そういうのは得意だわ、あたし」

 丹下院は表に出ようとしたが、ふっと足を止めてこっちを見てきた。

「あのさー、石高」

「んー?」

「文化祭。部長と二人で回ってんだね」

「めぐもいるだろ。三人で、だ」

 違う。丹下院はやんわりと俺の言葉を否定した。

「あんたはたぶん、選んだんだよね」

「……選んだって。何をだよ」

「いいんだって。たぶん、あたしらはもう分かったっぽいからさ。でも気ぃつけなよ。あの人だけは最後の最後まで納得しないだろうからさ」

 はあ?

「そんじゃあご機嫌でも取りに行こうかなー。そんなことしなくても、部長はもうご機嫌なんだろうけどさー」

 丹下院は妙な鼻歌を歌いながら待木たちのところへ向かった。俺は釈然としなかったが、ケーキと紅茶の用意を進めた。



「お待たせしました」

「遅いですよ、執事」

 いつから店が変わったんだ。まあいいけど。

 俺は四人分のケーキと紅茶をテーブルに並べて椅子に座る。ああ、やっと人心地ついたって感じがするな。

「あれ、というかやっぱりこのケーキはセンパイが作ったんですか?」

「ありがたく食べてくれよな」

「家で食べるのと変わらない……」

 文句を言っていためぐだが、美味しいものは美味しいらしい。黙々と食べ始めていた。さっきまでうるさかった丹下院も大人しい。かと思いきや、やつはじっと待木を見ている。突っ込むのも面倒だから放っておこう。

「……んー? あのさー、部長さー」

「はい、なんですかリボルケ院さん」

「部長って中学、あたしと同じところだったよね?」

 丹下院が待木にフォークを向けた。危ないからやめろ。

 しかし、いきなり中学ってなんだ?

「私と丹下院さんが、ですか?」

「中学ってさ、駅の、ほら、はす向かいの聖女でしょ? なんかさー、初めて会った時から部長のこと見覚えある気がしてたんだよね。さっき思い出したわ」

 待木と丹下院が同じ中学。ああ、そういやずっと前にそんなことを言ってたっけな。まあ、両方お嬢様なんだしそういうこともあるだろう。俺は何とも思わず紅茶を啜った。

「私は中学の時分に丹下院さんと会った覚えはありませんが、同じ中学校に通っていたことに間違いはなさそうですね」

「ふーん。そんじゃあさ、なんで部長はあそこからこっちに来たん? うちって公立じゃん。別、そんないい学校でもなくない? 聖女にいれば人生安泰って感じしない?」

 ……そうか。聖女はエスカレータ式のお嬢様学校だったな。

「丹下院さんこそ、どうして公立に来たんですか」

「あたしは馬鹿過ぎたからさー」

 エスカレータ式の学校に落ちた女、丹下院竜子。

「で? 部長はなんで?」

「私は」

 待木は何か言いかけたが、口をつぐんだ。んだよ、気になるから言えよ。

「……まあ、色々な事情があるのです」

 それだけ言って、待木は紅茶を口に含んだ。

「あ、そっか。ヨイちゃんだ」

「ん? どうした、めぐ?」

 ケーキを食べ終わっためぐが待木を見る。

「だから、ヨイちゃん! やっと思い出した。お兄ちゃん、どうして黙ってたの?」

 んん? 何を言ってんだ?

「私とヨイちゃんが会ったことないなんて言ってたけど嘘だったじゃない」

 俺は訳が分からなくて待木に助けを求める。こいつはよそ見をして知らんふりを決め込んでいた。

「どういうことだ? めぐは待木と知り合いだったのか?」

「え? 忘れたの? 私が三歳くらいの時、一緒に遊んでたじゃない」

「……さん? え? 待木と? 俺たちがか?」

「うわ、本当に忘れてる……」

 めぐが三歳の時? えーと、めぐは小学校の二年生で、今は八歳だろ。だったら五年前の話ってことか。五年前。……俺が小五か小六の時か。なるほどな。

「覚えてないんだけど……?」

 つーか小学校の時なんて『あの頃はよかった』ってことしか思い出せねえ。俺は、本当かよって意味も込めて待木を見た。

「えー? もしかしてヨイちゃんも覚えてないの?」

 待木は何も言わなかった。肯定も否定もしなかった。



 父さんが釈放されたらしい。俺たちはアホにめぐを預けることにした。

「丹下院も一緒に来ればよかったのにな」

「気を遣ったんでしょうよ。まったく」

「気? まあ、あいつもいなくなったらメイド喫茶でもなんでもなくなっちまうからな」

 今、俺は待木と二人でいる。もう少し文化祭を見て回りたかったが、祭りはそろそろ終わりだ。終わりが近づくってことは、俺たちの出番も近づくってことだ。

「行きましょうか、センパイ。他の皆さんも、じきに屋上へ来るでしょうから」

 俺は頷きかけたが、やはり、めぐの言っていたことが気になっていた。

「なあ、待木。俺たちって、五年前に会ってるのか? 一緒に遊んだことがあるのか?」

「センパイは何も覚えていないんですよね」

「……たぶんな」

「じゃあ記憶違いだと思いますよ。五年前と言えば私は十歳。蝶よ花よと可愛がられていましたからね。何分、お金持ちの家に生まれたものですから、易々と家の外にも出られませんでした」

 そりゃあ、そうか。一般市民の俺とお嬢様の待木には、お互いが『普通に』暮らしてりゃあ接点がない。接点が生まれるはずもない。

「もう一個、聞いていいか? なんでこの学校に来たんだ?」

「事情があると言ったじゃないですか」

「俺はその事情が聞きたいんだよ」

「どうしてですか?」

 問われると、不思議と言葉に詰まった。喉に何かつっかえている。俺はそいつを吐き出せそうになかった。

「面白半分に私の事情に首を突っ込むつもりなら、それなりの覚悟をしてください。お願いします」

 覚悟はあるのか。

 そう問われていた。

 俺は長い間、何も言えずにいた。

「私、先に行きますね」

 待木は屋上へ向かったらしい。一人で、先に。俺はしばらく、この場に留まっていようと思った。あいつもそれを望んでいるように思えたからだ。



『………………』



 ピロティでぼけっとしていたら、ノイズ交じりの声が聞こえた。放送委員が文化祭の終わりを告げたのだろう。昇降口の方に目を遣ると、一般の参加者が校門へと歩いているのが見えた。その人ごみの中に父さんとめぐもいた。ああ、もう本当に終わりなんだなって気分になってくる。

 俺も、もう屋上へ行こう。



 一人になって、階段を一歩ずつ上る。一段上るごとに文化祭の終わりが近づいてくる。

 歩く。ぺたぺたと。てくてくと。

 回る。くるくると。ぐるぐると。

 頭の中は待木のことでいっぱいだった。


『センパイに嘘を吐いたことは――――』


 以前、やつはそんなことを言った。そうかもしれない。あいつは嘘を吐かない。何も言わないだけだ。本当かどうかなんて分からない。俺が『そうかもしれない』って判断するしかない。

 五年前。五年前。五年前、か。あの頃、父さんと母さんは忙しくなってて、めぐの面倒を俺がよく看ていたっけ。あいつの手を引いて、その辺を散歩していたな。……本当は嫌だった。俺はあの頃、めぐが嫌いだった。あいつの面倒を看なきゃならねえから、同級生とはあんまり遊べなかった。あいつの手を引いているところを友達に見つかると、茶化されて嫌な思いもした。『お兄ちゃんでしょ』って諭されるのが嫌だった。だから、か? 俺は待木のことを思い出せないんじゃない。あの頃の自分を忘れたいだけなのかもしれない。

 でも。

 俺は立ち止まって、自分の上ってきた階段を見下ろした。

 そうだ。一秒前の俺も、一週間前の俺も、五年前の俺も、俺だ。今までの俺が今の俺を形作っている。石高禄助という人間は確かに在る。否定しちゃいけない。肯定するんだ。


『そうやってると、やっぱりお兄ちゃんって感じがしますね』


 ハッとした。ついさっき、待木に体育館で言われた言葉を思い出す。聞き流していたはずで、なんでもないはずの言葉が妙に引っかかった。俺は、前にも似たようなことを言われた気がする。

 思い出せ。

 きっと、きっとそれは、俺にとって必要なことなんだ。



 ◇◆◇◆◇◆



 俺があいつと出会ったのは、高校二年の春休みだったはずだ。確か、アルバイトの面接が終わって、学校に宿題を忘れていたのを思い出して、学校まで取りに行ったんだ。


『センパイ』


 そこだ。

 学校の昇降口で、俺は待木と出会った。


『……?』

『石高センパイ、ですよね?』

『ああ。石高は俺だけど?』


 俺は、おっぱいのでかい女子に覚えがなかった。その時は、入学の決まった新入生が見学に来ていたんだろうとか考えていた。


『センパイはまだ部活に入っていますか? 陸上部とか』

『……いや、帰宅部だけど。つーか、誰? 新入生?』

『はい。春からこちらの学校でお世話になる者です。それより、センパイはまだ部活に入っていなかったんですね。それは好都合です』

『好都合?』

『私、新しく部活を作るつもりでいるんです。今日はその下見に来ました』


 なんとやる気のある新入生なんだろう。俺とは真逆だ。


『石高センパイにも部活に入ってもらいたいんです。センパイじゃないと意味がないので』

『え? なんで俺なんだ? というか何の部活なんだ?』

『何でもいいんですよ、部の内容は。とにかく、センパイじゃないと駄目なんですよ』


 怖い。

 その時の俺はそう思った。同時に、


『私の胸ばかり見てましたよね』

『…………いや、そんなことはない』

『きひひ、見てもいいんですよ、別に。大きくなったでしょう?』


 大きいのはいいことだ。とも思った。



 ◇◆◇◆◇◆



 思い出せ。

 俺が待木と出会ったのは、本当にその時が初めてだったのか? 高校で会う前に、どこかで会っていなかったか? 五年前。俺はめぐを連れてどこへ行った? どこで遊んでいた? 誰と遊んでいた?


『――――……くん』


 俺は、屋上へと続く扉を見上げた。あと数段も上ればそこに手が届く。だけど足を踏み出せない。ビビっているのか。思い出すことを。思い出せないことを。

 ……馬鹿な。今更じゃないか。笑い飛ばして思い出せ。今の俺は、めぐのことを嫌いじゃない。そんでもって、俺は待木あいつが好きなんだ。



 ◇◆◇◆◇◆



 五年前のことだ。土曜日か、日曜日のどっちかだったと思う。天気は良かった。俺はめぐの手を引いて、駅前まで散歩に来ていたはずだ。駅前なら色々な店やものがあって、めぐは俺以外の何かに興味を示す。俺が相手をしなくてもめぐはきょろきょろしているだけで楽しそうにしていた。俺も楽を出来た。

 しばらく駅前のベンチに座っているだけで、少なくともめぐが退屈するであろう時間は潰せた。じき陽が暮れる。そろそろ家に帰ろうとしたところで、めぐは俺の手を強く引っ張った。


『おにいちゃん。あれ』

『……あれ?』


 めぐが指差していたのは、黒猫だった。その時の俺には、そう見えていた。

 俺と同じくらいの背丈をした女の子が、路地裏の汚らしい壁に背を預けて顔を伏せていた。その女の子が着ていたのは、この近くで有名なお嬢様学校の制服だった。真っ黒で飾り気がなくて、俺はその制服を見かける度に辛気臭いなあとか、そんなことを感じていた。


『あの子はどうして一人なの?』

『え?』

『あの子はどうしてあそこにいるの?』


 俺は返答に困った。

 めぐは何にでも興味を持つ。俺が……いや、大人だって答えられないようなことをまっすぐに聞いてくる。


『あっ、おいバカ』


 めぐは俺から離れて、路地裏の方へと駆け出した。まだ小さいめぐの足は遅かったが、俺はすぐには追いかけようとしなかった。

 俺が路地裏に着いた時には、めぐは制服の女の子になんで、とか、どうして、とか、質問攻めにしていた。女の子にとってはさぞ迷惑だっただろう。やべえなあとか思ってたけど、その子は笑っていた。


『どうして一人なの?』

『友達がいないからだよ』

『ここで何をしているの?』

『隠れているの』

『どうして?』

『私にもわかりません』


 笑っていた。

 今思い返せば、不細工な笑顔だった。笑うことに慣れていない、ぎこちないそれであった。


『……めぐ、お前なあ』


 女の子は俺の姿を認めてぎょっとしたが、気を取り直して笑みを浮かべてみせた。余所行きの笑顔であった。


『あなたは?』

『俺? あ、俺は』

『おにいちゃん! 私のお兄ちゃんなの。こくだかろくすけって言うの!』

『こくだか……』

『ん、ああ、禄助って言うんだ、俺』


 当時、俺は妹が苦手だったから、女子も苦手だった。特にうるさいやつが。だけど、この子は大人しくて、俺は不思議と嫌悪感を抱かなかった。


『ねえ、私と遊ぼう?』

『え? 私、と?』

『そう!』


 めぐが女の子の手を引く。だが、その子は路地裏から出るのを嫌がっているようだった。


『やめとけ、めぐ』

『どうして?』

『その子が嫌がってる』

『私には、そう見えないよ』

『……あの、平気ですから』


 女の子は意を決して、めぐに導かれるようにして路地裏から抜け出た。



 その後は、週に一度か、二度、駅前で女の子と会えば何をするでもなし、ただ三人でいたような覚えがある。俺は、妹がもう一人増えたような感覚だった。……近所を散歩するくらいしかなかったし、その子は喋る方じゃなかったからあんまり覚えていなかったんだな。

 だけど、それきりだ。俺が中学に上がる前にその子とは会えなくなった。いいとこのお嬢様っぽかったし、恐らく、路地裏に隠れていたのは家出のつもりだったんだろう。家族とか、先生とか、そういう人たちに見つからないようにしていたんだろうな。

 その子がいなくなって、俺よりもめぐが悲しがっていたし、寂しがっていた。



 ◇◆◇◆◇◆



 俺は、屋上へと続く扉を見上げた。

 あの子が、待木だったのだろうか。そうとしか思えないが、俺はあの子の名前を覚えていない。めぐは『ヨイちゃん』と呼んでいたが、記憶違いだってことも十分に考えられる。

 だけど、俺は心のどこかでは確信していたんだと思う。

「ヨイちゃん、か」

 五年前。俺はあの子のことを何と呼んでいたんだろう。俺はあの子に何と呼ばれていたんだろう。

「聞けば分かるか」

 今度こそ、覚悟とやらを決めて、選ぶ時なのだろう。

 俺は階段を上り切り、扉に手をかけた。なぜだろうか。その扉は以前よりも軽く感じられた。

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