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今、強き世界

「先輩、来てくれたんですね」

 下駄箱にラブレターなんて古めかしい、ともすれば悪戯としか捉えられないような真似をしたのは部活の後輩であった。阿呆臭い。からかわれているのかもしれないと思いつつ、校舎裏に来てくださいとだけ書かれた文に従うまま、のこのこと顔を出した俺も俺だが。

 ともあれ、後輩の顔を見た俺は安堵の息を漏らす。気の弱い彼女は、俺が呆れてしまったとでも思ったのか、常から小さい体を更に縮こまらせた。俺は、違うよと、いつになく優しい声で取り繕う。

「差出人の名前が書いてなかったから、悪戯かと思った」

「え? あ、あっ、うそ、ご、ごめんなさい」

「や、いいよ。なんとなく分かってた」

 俺たちを取り囲む冬枯れの景色は、俺自身の心を映しているかのようだった。

「先輩」

「ん?」

「好きです」

 驚いた。体も、気も小さい後輩ははっきりとした物言いを好まない。いや、出来ないのだ。いつも自信がなさそうで、誰が悪いわけでもないのにすぐに謝る。だと言うのに、今日の彼女はこっちを真っ直ぐに見つめて、決して視線を逸らさない。ぶつけられた熱情が、後輩の白い呼気と混じって立ち上っているかのように夢想した。

 考えていなかったわけではない。頭の中でフローチャートを作って、ここに辿り着くまでの間に何度もイメージした。繰り返してやり直したパターンが、ぐるぐると渦を巻く。

 ああ、声が出ない。答えが出そうにない。

 けれど彼女は、ずっと待つのだろう。たとえ俺が立ち去ったとして、ここで立ち続けるのだろう。

「なあ、俺は」

「……は、はい」

「好きだよ」

「え?」

「好きなんだよ。俺も、その、お前のことが」

 俺は目を逸らした。恥ずかしかったからだ。

「せ、先輩。私、嬉しいです」



 俺はセーブしてからゲーム機の電源を切った。画面にはガッツポーズをしている俺が映っている。やった。やっとクリアしたぜ。この前はゲーム機の電源が落ちやがったがリベンジ成功である。

「えんだああああああああああ!」


「ろくすけええええああああああああああぁぁぁ!! こんな時間になぁぁぁにを叫んでるのォォォォ!?」

「ひっ!?」

 鬼より蛇より怖い母が出た。



 ◇◆◇◆◇◆



 翌朝、三和土で靴を履いていると、眠そうな眼をしためぐが口を開いた。

「お兄ちゃんのくせに、毎日が楽しそうね」

 さて、どうだろう。人生の酸いも甘いも知らない小学生の妹の意見を素直に受け入れたくはなかったが、確かに、今の俺は充実しているのかもしれない。

「楽しいのはいいことじゃん」

「ええ、そうね。車に気をつけていってらっしゃい、お兄ちゃん」



 駐輪場に自転車を置いて学校までの坂道を上っていると、後ろから軽快な足音が聞こえてきた。宝野だな。

「おはよう、ロクスケ」

「おう、おはよう。いよいよ明日だな」

 隣に並んだ宝野は薄く微笑む。

「そうだね。時間ってあっという間に進んじゃうんだね」

 そう、あっという間だ。もう十二月。じきに一月。あっという間だ。まるで文化祭の準備という過程をすっ飛ばしたかのように。



 校門をくぐり、昇降口に着く。ふと、俺は尿意を催した。クラスの違う宝野とはここで分かれて、俺は小用を済ませた。

「センパイ」

「おうっ!?」

 トイレから出た瞬間に話しかけられるのってすごいびっくりする。俺はプレーリードッグ顔負けの警戒態勢で相手を見た。相手の胸を見た。

「なんだ、待木か」

 待木は悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「今、私の胸を見て私だと判断しましたね」

「そんなことはない」

「それはともかく。……明日、晴れるといいですね」

「……ああ、だな」

 明日の天気は朝から曇り空。いつ雨が降ってもおかしくないらしい。文化祭は屋内の催しもたくさんある。雨天決行だが、俺たちにとっては困る。何せ屋上を陣取ってクリスマスツリーを見せびらかそうってんだ。雨が降ったら上手くいかないかもしれない。

「正直、雨が降っても、ツリーが立たなくても、どうにかなるとは思うんですよ。私たちのやってること、生徒会の人たちも見てくれていますから。だから、上手くいくかどうかってより、私たちが納得出来るかどうかなんです」

「そうだな。うん、晴れた方が気持ちいいしな」

「はい、そうです」

 待木は、珍しくふっつーに笑ってみせた。

「それじゃあセンパイ、私は行きますね。ここでセンパイと話しているところを知り合いに見られたら恥ずかしいので」

 そう言って待木は小さく手を振る。


『――――』


 ざあっと、ノイズが。

 頭の中で何かが鳴った。あるいは、聞こえた。

「なあ、待木」

「……はい?」

 俺は思わず待木を引き留めていた。何を言おうとしているんだ、俺は。

「あの、用がないのなら」

「あー、明日の文化祭なんだけどさ、よかったら一緒に回らないか?」

 待木は俺の顔をまじまじと見た後、その場でくるりと回った。

「私とですか? はあ、別に構いませんが」

「俺、午前はクラスの出し物の係なんだよ。準備とかしなくちゃいけねえんだ。昼からでも大丈夫か?」

「ええ、うちのクラスは文化祭の看板をよそよりたくさん作ってたので、クラス単位での催し物はないんです」

「あ。それから、実はうちの妹を招待してるんだけど……」

 ああ、と、待木は察してくれた。

「一緒でも構いませんよ。妹さんを案内してあげましょう」

「なんか悪いな。もしアレだったら断ってくれてもいいぞ」

「……二人っきりじゃないのは涙がちょちょ切れんばかりに残念ですが、センパイと二人では間が持ちそうにありませんからね」

「なんだそりゃ」

「冗談です」

「ったく、それじゃあ……」

 明日、俺の用事が済んだら合流するって約束をして、待木とは別れた。あいつがいなくなった後、息苦しくなっていることに気づいた。



 文化祭当日の朝、俺はいつもより早く目が覚めてしまった。いつもの土曜日だと昼までぐーすか寝てるんだけど。まあ、たまにはそういうのも悪くない。そもそも、今日は昼まで寝てたら皆に殺されるかもしれないし。……窓を見る。曇り空だった。最悪、このままの天気だったら助かるんだけどな。



「石高ァー! 早く来てくれ石高ァー!」

 その後、めぐよりも一足先に家を出て、丹下院と一緒に登校して、教室に着くや否やキッチンに連れ込まれた。



「わー!? 全然ケーキとかなくなってるじゃんかー!?」

 さらにその後、俺たち午前の部の担当は蜘蛛の子を散らすようにして教室から逃げ出した。



 さて、そろそろ父さんがめぐを連れて学校に来るはずだが、連絡が来ないでやんの。今の内に待木と合流しておくか。

『ジュンビデキタシ ピロティニテマツ イソイデゴウリュウサレタシ』

 とメールを送っておこう。

 携帯電話をポケットに戻してから、俺は周囲を見た。うるさかった教室と比べると幾分かは静かだった。ピロティには文科系の部活の展示品がある。ここを通り抜ける人はそれらには目もくれないでどこかへ向かっているらしかった。

 ピロティでしばらく待っていると待木からではなく丹下院からメールが来た。『あのクソデブ知らねえ?』 と。そういや樋山くんは午後からキッチンだったっけ。彼は何をしているんだろう。パソコン部の催し物とかあったっけな? つーか樋山くんのことで頭を使うのは無駄過ぎる。丹下院には『知らん』とだけ返しておこう。



 ふあーっとあくびを噛み殺していると、向こうから小走りで駆けてくる女子が見えた。おっぱいが揺れていた。

「センパイ、お待たせしました」

「先輩を待たせるとは何事かね、ちみ」

「あれ、妹さんはいないんですか?」

「まだ連絡がなくってさ、合流してねえんだよ」

 ふむ、と、待木は腕を組む。胸を強調するポーズだった。くそう。

「では昇降口で待っておきましょうか。連絡が来るにしろ来ないにしろ、合流するには手っ取り早いかと思います」

「だな」

 俺と待木は連れ立って歩き、ピロティから昇降口へと向かった。

「そういえば、センパイのクラスはメイド喫茶をやっているんですね。センパイもメイドの格好をしていたんですか?」

「え? いや、俺はキッチンだよ。裏方、裏方。つーか男子がメイドになったってそんなもん誰も見たくねえだろうが」

「案外需要ってのはどこにでもあると思いますよ」

 くだらない話をしていると昇降口に着いた。招待客は昼からの入場である。ここいらには屋台も集まってるし、かなり混雑していた。

「うーん。この人混みではセンパイの妹さんを見つけるのは至難の業ですね」

「そんなことねえよ」

 俺は人混みをじっと見る。確かに人は多いが、家族を見落とすほどのものではない。と、お、やっぱりな。こっちに向けて手を振るめぐが見えた。……だが、父さんがいない。あの馬鹿、めぐを一人にして何やってんだ。

「妹がいた」

 俺もめぐに向かって手を振り返す。妹はとことこと俺たちの方へやってきた。

「……地味にすごいですね、センパイ」

「まあ家族だしな。おお、めぐ、父さんは? 一緒に来たんだろ?」

「トイレだって。お腹を壊したみたい」

「……もしかして、何かに当たったのか?」

 俺は出店を見回す。

「来る前からそうだったのよ。さっきまでアシカみたいに呻いていたわ。そしてペンギンのような歩き方でトイレに向かったの」

「そ、そうか」

 ならばしようがない。今頃、父さんは気張りながら般若心経を唱えて指で十字を切りまくっていることだろう。

「ところでお兄ちゃん。あの、そっちの人は?」

 めぐは待木を見て首を傾げた。ああ、そういやそうだ。紹介してなかったな。

「こいつは待木宵。俺と同じ部活の後輩だ」

「どうも、妹さん。ご紹介に預かりました、待木です。気兼ねなくヨイちゃんって呼んでね☆」

 お前そんなキャラじゃなかったろ。

「あ、どうも。石高愛です。兄がいつもお世話になっております」

 めぐは深々と頭を下げた。待木は口をぱっくりと開けて俺を見た。

「あの、もしかして血とか繋がってない感じですか?」

「失敬だな! ……とりあえず三人で見て回るか。めぐ、チケットは?」

「持ってるわ。サインもしてもらったから。これを持っていないと不審者扱いされるんでしょう? 気をつけないといけないわね」

「ああ、そうだな。それをなくしたら大変なことになるからな」

 ふっと、めぐが俺の傍に近寄って制服の裾を引っ張ってきた。俺は屈んでめぐに目線を合わせる。

「どうした。トイレか」

 ぱあんと、軽く頬を張られた。

「お兄ちゃん、お兄ちゃん。待木さんってもしかして、お兄ちゃんの彼女? それとも弱味でも握って連れ回しているの?」

 俺は熱くなった頬っぺたを摩りながら答える。

「部活の後輩だって言ったろ」

「ふーん。そうなの。ねえ。私、待木さんと会ったこと、あった?」

「え? いや、どうだろうな。たぶん知らないと思うぞ。初めて会ったんじゃないか?」

 めぐは何故だか、意地悪い笑みを浮かべた。

「どうされました石高家のお二人」

「いんや、別にー」

「そうですか。ところでセンパイ、普通にお願いがあるんですが」

 俺は続きを促す。待木は自分のお腹に手を当てた。

「お腹が空きました。さっきからくうくう言いそうで困っています」

「あー、そんじゃあ……」

 昇降口の近くには屋台がたくさんある。適当に買って食べればいいだろう。

「あ。駄目です。私、屋台と言うか、出店と言うか、ああいう不衛生なものは食べられないんです。せめて屋内のお店じゃないと妥協すら出来ません」

「お嬢様め!」

 色々な方向に喧嘩を売るんじゃない!

 どうしようかと悩んでいると、めぐが文化祭のパンフレットを広げて見せた。

「喫茶店ならいっぱいあるみたいだけど」

「だってよ、待木」

「うーん……いや、普通にお腹減ってるんで」

 サンドイッチやケーキでは満足出来ない状態らしかった。

「中華ならあるぞ。ほら、特別棟のとこ」

「とりあえず行ってみない? 混んでたら他のところにすればいいんだし」

「そうですね。……あ」

 待木は俺を見た。俺もこいつの視線の意味に気がついた。……俺たち、小学生に仕切られてる……。



 ぽてぽてと三人で歩き、特別教室棟へ。ここいらも人は多かったが、目的地の家庭科室の前はそんなに混んでいなかった。妙だな。昼時だし、こういう店は人気がありそうなもんなのに。

 中華を掲げた店構えは悪くない。すごく頑張ってる感がある。家庭科室の扉は開け放たれて、正門にあったアーチのような、何かを模した真っ赤な門が。門の両脇には柱があり、東洋の龍が巻きついている。雰囲気あるなー。

「空いているし、ここでいいんじゃない?」

「そうしましょう。限界です。もう一歩も動きたくありませんから」

 ならここでいいだろう。そう思ったが、家庭科室の中から手招く者の姿を認めてその意気を削がれた。俺たちを見てへらへら笑っているのは東山先輩である。彼女がここにいる。なぜ? ホワイ? ……いや答えは一つだ。

「……待て、待木。ここ、もしかしなくてもお菓子クラブじゃないのか?」

「は?」

 パンフレットを広げて再確認する。めっちゃお菓子クラブって書いてた。

「駄目だ駄目だ! こんなところで食べられるものが出てくるとは思えん!」

「えー? ひどいなー、ろっくんはー」

「うわああ!?」

 東山先輩にしな垂れかかられていた。俺の背中に柔らかいものが押し当てられている!

「うちの前でそんなこと言うー? 営業妨害だにゃー、これはー」

「だって本当のことじゃないですか! 一枚のクッキーだってまともに焼けやしないのによりによって中華って!」

「ごちゃごちゃ言わないでー、ちょっと寄って見てってよー」

「わーっ、嫌だー! 焦げた何かを食わされるんだー! 俺は嫌だー! せめて食事に関してだけは誠実でありたーい!」

 ごちゃごちゃ言ってたが、東山先輩の押しは凄まじく、あれよあれよと言う間に店内(家庭科室)に押し込まれて席に座らせられた。

「ほい、メニュー」

「あ、どうもです」

 対面の席に座った待木とめぐは気楽そうにメニューを眺めている。

「注文決まったらメールしてねー、裏でゴロゴロしとくからさー」

「さっきから無茶苦茶ですね……」

 俺が溜め息を吐くと、待木がじろりと睨んできた。なんだよ。

「……いえ。特には」

「あっそ」

「お兄ちゃん」

 ん?

「さっきのゆるーい感じの人。お兄ちゃんの知り合い? 彼女?」

「東山先輩か? あの人は誰に対してもあんな感じだぞ。お兄ちゃんはな、役得だなと思っているだけだ」

「妹になんてことを言うのよ」

「いたっ!?」

 足を踏まれた。爪先を的確に踏み抜かれた。くそう。俺は正直に話しただけじゃねえか。

「……ん?」

 気づくと、待木がめぐの頭を撫でていた。微笑ましい。微笑ましいが、どうした。なんかキャラが違うぞ。どっちかと言うと『私って子供が好きじゃないっていうかむしろ嫌いなんですよね。ほら、何を考えているのか分からないところが蟲とそっくりじゃないですか』とか言いそうなのに。

「おー、いってえ……お前ら、何食べるか決めたか?」

「私とめぐちゃんは日替わりにしようかと」

「そんじゃあ俺も同じもんでいいや」

 東山先輩の姿を捜したが、マジで裏に引っ込みやがったらしい。家庭科室には誰もいない。仕方ないので、さっき言われたとおりにメールしてみる。3秒くらいで『オッケー!』 と返事が来た。お茶くらいください。



「いやー、さっきまでチャイナドレス着てたんだけどさー、つまみ食いしてたら汚しちゃってー。りのちゃんにめっちゃ睨まれて目だけで殺されそうになっちったー」

 そんな!?



 東山先輩のガバガバな接客を受けていると準備室の扉が開いた。

「あ、ああ……!?」

 そこから、チャイナさんが姿を見せた。

 ざっくりスリットの入ったそこから、眩しい太もも(俺はさ、ふとももを『太腿』って全部漢字で読ますよりも、全部ひらがなで『ふともも』ってよりも『太もも』ってバランスのが一番だと思うんだよね。硬過ぎず、かと言って柔らか過ぎずみたいな)が。

 料理を乗せた盆を持ち、顔を真っ赤にしてチャイナドレスを着てこっちに近づいてくるその姿は俺の見間違いでなければ瑞沢先生。

「お待たせしました」

 先生は何食わぬ顔を装って、テーブルの上に料理を置いていく。恥ずかしいならそんなの着なきゃよかったのに。

 俺と待木は顔を見合わせる。

「おー。これは意外です。これは意外でしたよ瑞沢顧問。まさかこの場所にこんな伏兵が潜んでいたとは。今孔明と称された私もびっくりです。つーか力技」

「先生すげえサービスするじゃないですか! いやー、俺は前から先生は足が綺麗だなーって、殴られるよりは蹴ってもらう方がいいんじゃねえかなーって思ってたんですよねー!」

「そ、そうか。……? 待木、その子は君の妹か?」

 先生は料理を並べ終えた後、待木の横に座っているめぐを認めたらしかった。いや、こいつの妹じゃないっす。俺の妹っす。

「石高愛。小学二年生です。担任の先生ですか? 兄がいつもお世話に……ご迷惑をおかけしています」

「…………え? 石高の妹なのか?」

「どういう意味っすか」

「お前、妹の前でアホみたいなことを口走るなよ」

 あれ。俺、なんかアホなこと言ったっけ。

「しかし石高と待木か。やはり仲がいいのだな」

「ええ、家族ぐるみの付き合いをさせてもらっています」

 よく言うぜ。今はめぐといるから嘘じゃねえけどさあ。

「まあ、ゆっくりしていってくれ。どうせほかに客はいないんだ」

「なんでですかね。東山先輩も先生も美人なのに。俺だったら長時間居座りますよ」

「さあな、分からん。料理だって問題ないはずなんだがな」

 料理。

 俺はハッとした。そういや、目の前で湯気を立てている美味しそうな料理さんは、いったいどこのどなたが作ったものなのだろうか。

「これ。先生が作ったんですか?」

 俺がそう聞くと、先生は明らかにばつの悪そうな顔をした。まさか、外部の人間を拉致って無理くり作らせてるんじゃあないだろうな。ちょっと食べるのが怖くなってきた。

「いただきまーす」

 待木が麻婆豆腐を口に入れて咀嚼してしばらくしても何もなかったのを確認してから、俺もメシに手を付けた。……しかし、普通だ。普通に美味い。悔しいが、俺よりも上手い。

「……美味しいわね」

「びっくりだな」

 舌が肥えているはずのめぐも目を見開いた。兄妹揃って衝撃を受けた。

「シェフを呼んでください」

「何……? いや、それは出来ない。表には出せない」

 先生は俺をじろりと見下ろして、駄目だと首を振る。何故なのか。

「確かに、料理を作っているものは存在する。しかし部外者だ。やつをのさばらせるわけにはいかない」

「あら石高さん、料理のお味の方はどうですか。中華はあまり自信がないのですけれど」

「あれ、ユキさん?」

 いつの間にか、先生の背後からユキさんがぬるりと現れた。血涙を垂れ流しそうなくらい残念だが、彼女はチャイナ服ではなく割烹姿である。いつものエプロンも素敵だが、ユキさんにはやはり和のものが似合うような気がするので大満足さ。

「というか、やっぱりユキさんが作ってたんですね」

 まあ、ここの人たちにまともなものが作られるとは思っていなかった。

「よろしければお代わりもいかがでしょう」

「ちょ、姉さん! 表に出るなと言ったろう!」

 先生が怒鳴り散らすも、ユキさんは溜め息を一つ吐くだけで動じていない。

「朝から急に人を呼びつけておいて、料理をしろとこんなところに閉じ込めて、挙句勝手に出てくるな、ですか。恥を知りなさい、凜乃」

「うるさいな」

「いい歳してそんな恰好をして……マジで恥を知りなさい、凜乃」

「うるさいなあ!」

 姉妹喧嘩をよそに、俺たちは食事を再開した。

「センパイセンパイ。あーんってしてあげましょうか、あーんって」

「妹の前でそんなことが出来るか」

「めぐちゃんがいなかったらしてもらうつもりだったんですか?」

「当たり前だろ!」

「……お兄ちゃんなんかのどこがいいのかしら」



「ごちそうさまでしたー」

 ああ、美味しかった。流石はユキさんだ。

「結婚するなら料理の上手い人だよなあ、やっぱ」

「出た。出ましたよ。男って嫌ですね。結婚相手に……女に料理を作ってもらうつもりでいるんですから」

「自分で作れって言うのか」

「はい。働いて家に帰ってきて、自分で作って自分で後片付けをしてください。そして朝は一人で起きて勝手に仕事へ行ってください」

 嫌だよ!

「その口ぶりだと、待木は料理が出来ないんだな」

「料理人の仕事を取るつもりはありませんから。待木家は雇用を促進しているので」

「お嬢様め」

 気に食わん。

「ねえお兄ちゃん。ヨイちゃんのところで雇ってもらえば?」

「え? センパイを雇う、ですか? でも、もう道化師は間に合ってますし」

「なんでだよ。今の話の流れだと料理人としてだろうが」

 つーかお前のところは道化師を雇ってんのかよ。宮廷かよ。

「さて、腹ごなしも済んだところでぼちぼち出るとしようか」

「そうですね」

「せんせーい」

 先生を呼んだ。彼女が奥から出てきた瞬間、俺は携帯電話のカメラで先生を撮った。

「……今、撮ったろ?」

 俺は無言で首を横に振る。

「ところで先生。髪型もチャイナっぽくしてるんですね。ちょっとくるっと回ってもらえませんか?」

「嫌だ」

「じゃあせめて背中を見せてください」

 先生は渋々ながらこっちに背中を向けた。撮った。

「今撮っただろう!?」

 俺は無言で首を横に振った。

「消せ!」

「ヤですよ。撮られるのが嫌だったらそんなん着なきゃよかったのに。あと、人にはあげませんって。個人的に利用するだけなんで法律的なものにも触れないと思います」

「私が嫌なんだ!」

 先生はぎゃあぎゃあ喚き始める。後ろから東山先輩たちが先生をフィルムに収めまくっていた。

「もーう、分かりましたって。ちゃんと後で消しときますから。……ユキさーん、美味しかったですよ!」

 ユキさんは奥の方から顔を覗かせて、小さく手を振ってくれた。あー、可愛らしい。



 家庭科室を出た後、待木があくびを噛み殺しているのが目に入った。

「食ったら眠くなるって……すげえ欲望に忠実な体だな」

「センパイに言われたくありませんよ。それで、次はどこに行きますか」

「うーん。パソコン部を冷やかすかなあ」

 どうしようか悩んでいると、めぐに服を引っ張られた。

「どうした。お兄ちゃんのことが好きで好きでたまらなくなったのか」

「うん、そう。私、ここに行ってみたい」

 するっと流されてしまった。哀しい。

 めぐはパンフレットのとある場所を指していた。俺と待木はそこを覗き込む。

「ほーう。お化け屋敷ですか」

「行ってみたい。行ってみたいの」

 おや珍しい。めぐの目がキラキラとしている。いつもはハイライトなんか入ってないのに。

「待木。お前ってお化け屋敷とか平気か?」

「ううん、どうなんでしょう。お化けとか、幽霊とか、よく分からないものは苦手ではありますね。自分の目で見たことがないものは否定も肯定も出来ませんから。そもそもお化け屋敷に入ったことがないので。どうなんですかね。怖いですか?」

「まあ、同じ人間が作ったものだし、プロじゃなくて生徒が作ったんならそうでもねえだろ」

 ほうほう、と、待木は興味深げに頷き始めた。

「そんじゃあ行ってみるか」



「はーい、三名様ごあんなーい! あ、そこのお嬢さんや、中は怖いからねー、泣きそうになったらギブアップって言ってねー。お化けさんが出口まで連れてってくれるからねー」

 受付の三年生の女子がめぐの頭をなでなでした。俺もして欲しい。

「センパイ。今、『俺も頭を撫でて欲しい』とか思いませんでした?」

「思ってないよ」

「Look into my eyes!」

「ひっ。俺の罪を暴かないで!」

「何を遊んでるの?」

「お? おお、そんじゃ行くか」

 俺はめぐに手を差し伸べたが、可愛げのない妹は俺の手を見て鼻で笑った。

「私が言うのもなんですが、あまり可愛げのない妹さんですね」

「照れてるだけだから! なあ、そうだろめぐ! めぐっ、先に行かないで!」

 ……お化け屋敷は三年生の教室を二つも使った、大きめのそれであった。さすがに教室の壁をぶち抜くってのは無理だったらしく、三年一組と二組の間の廊下の半分が暗幕で覆われている。入ってみなきゃ分からないが、この暗幕もお化け屋敷の一部となっているんだろう。

 待木もさっき言ってたが、俺もお化けとか、幽霊とか、そういったものを信じていない。何となく怖いなってのはあるが、これはお化け屋敷だ。生徒の作ったもので、子供騙しである。ふ、所詮はアマチュアのやることだ。全部読めていた。

 というわけでRPGの初期装備並に頼りなげなペンライトを持たされて入り口を潜ると、もう一つカーテンのドアがあった。想像はしていたが、やはり中は暗い。窓には暗幕や、黒く塗った何か(恐らく段ボールだろう)やゴミ袋らしきものが貼りつけられていて外からは一筋の光も入ってこない。天井も妙に低い気がする。もしかして、上も何かで覆っているんだろうか。

「めぐ、あんまし先に進むなよ」

 ライトを点けてめぐの顔を確認すると、まあ、いつも通りの表情をしていらっしゃった。

「待木もな」

 ライトを点けて待木の顔を照らすと、原先輩の顔がそこにあった。

 ……え?

「……あれ? 待木……?」

 暗がりの中、ぼうと浮かんだ原先輩の顔が俺を捉えて、にっと笑った。

「ひ」

「こーくーだーかーくーん」

 警戒レベル最大のエネミーとエンカウント! しまった! この暗闇では不利だ!

「捕まえました」

 後ろからぎゅっと抱きしめられた。ときめくはずなのに俺の心臓はきゅっと縮まった。


「ひぎあああああああああああああ!? ああああああああああああああっ!?」


 べろんと耳を舐められる。俺は首を振って体を捩って必死に抵抗するも、原先輩からは逃げられない。

「お、お兄ちゃん? え? 何? どうしたの?」

「ここは私に任せて、めぐちゃんは先に行った方がいいですよ」

「たああああああああすけてえええええええええ! たすけてー、たすけてー!」

「ええ……すごく助けを呼んでるんだけど」

「まあまあ」

 まあまあじゃねえええ! 助けてよ!

「はあ、はあ……ああ、本当はもっと奥で仕掛けるつもりでしたが、石高くんがこの空間に足を踏み入れたって分かった瞬間から我慢出来なくなっちゃいました」

「待木ー! 待木―、駄目だーおしっこ漏らしちゃーう!」

「ああ、石高くん。もしも漏らしたらその時は私が飲み干してあげますね」

「この変態をどうにかしてくれー!」

 数十秒ほどもがいていたら、待木が俺の前に立っているのが分かった。彼女はすーっと動き、原先輩の脇腹に何かを押し当てる。次の瞬間、原先輩の体が弾けるようにして跳ねた。そうして先輩はゆっくりと床に倒れ伏して動かなくなる。

 俺は先輩を見下ろして、傍にいるであろう待木に声をかけた。

「や、やったのか……? ちゃんと仕留めたんだろうな?」

「いや、さすがに手加減はしてますけど」

「……というか、どうやってこの人を止めたんだ?」

「それは企業秘密です」

 待木は何かを後ろ手にして隠した。黒い、棒状の何かだ。えーと。ペンライト、だよな? いや、うん。ペンライトだったってことにしとこう。俺は何も見ていない。

「まったく、何がおしっこ漏らしちゃう、ですか。めぐちゃんは呆れてましたよ。しようがないから先に行かせましたよ。感謝してくださいね」

「な、なにを」

「兄としての威厳をぎりぎり保てたでしょう」

 グ、グムー。もう遅い気はするが、一線は守られた感じがするな。

「すまん。普通にありがとう。マジで助かった。ほら見てみ、手が震えまくってる」

「どれどれ」

 何となく差し出した手を、待木は両手でぎゅっと握ってきた。

「ああ、確かに震えてますね」

「ま、待木?」

「何か?」

 ……まあ、別にいいけどさ。



 お化け屋敷を出ると、光が目に痛かった。

「あ、お兄ちゃんたちおそーい」

 廊下では三年の女子に囲まれているめぐがいた。どうやらお菓子を与えられているらしい。無駄だ。その子に餌付けはあんまり通じない。

「あー、悪い悪い」

「つーかさっきの悲鳴って誰の? もしかして君の? いやー、すごかったすごかったよ。おかげでお客さんがかなり増えちゃってさー」

「……は、はあ」

 人知れず売り上げに貢献したらしい。

 しかし、はあ、安心したら力が抜けた。と、ふらつきかけると、横から誰かに支えられた。

「ああ、もう。何をしてんですかセンパイ」

「すまん。すまんとしか言えん」

 待木は俺を支えながら文句を言ってくる。甘んじて受け入れよう。廊下の壁に背を預けると、小林先輩がこっちに向けて手を振っていた。

「……ろく高くん、お疲れ。そこまで怖かったか?」

「あ、先輩。まあ、はい。とんでもない仕掛けがありましたよ」

「そんなものあったのか……よかった、お化け役をやらなくて」

「ところで先輩は何を?」

 ああ、と、小林先輩はきんちゃく袋から小さなお菓子を取り出した。……おお、これは、小林堂の饅頭じゃないか。

「ゴールした人に配っているんだ。よかったらもらってくれ」

「いただきます」

 俺と待木は饅頭を受け取る。俺はポケットの中に入れたが、待木は即座に食っていた。なんだ。まだ腹が減ってたのか。

 小林先輩は静かに微笑んでいたが、ふと、めぐを指差した。

「ところで、あの子は?」

「あー、俺の妹です。めぐって言うんです」

「そうだったのか。……そうか、両手に花だな、ろく高くん」

 へ?

「私はここでお菓子を配っているから君の花にはなれないけれど、君の今日一日が上手くいくことを願っているよ」

「ど、どうもです」

 小林先輩はかっこよさげな台詞を言った。そして定位置の椅子に戻ろうとしたところですっ転んできんちゃく袋の中身をぶちまけた。



 花。花。花、か。両手に花。めぐはともかく、

「ん、何か私の顔にくっついていますか?」

「目と鼻と口が」

「まったく。つまらないことを言うセンパイですね」

 待木のことは、なんか意識しちまうな。

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