ロックンイガイナニモイラナイセカイ
「え? 委員長が?」
だから、俺は樋山くんに相談することにした。奉子のことを相談するのに、毒にも薬にもならなそうでちょうどよかったからだ。
「はっはっは、冗談だろ。委員長がそんなんするわけねえじゃん。第一、証拠もクソもないしな」
駅前のメイトでこんな話をするのは場違いだろうが、それでも話さざるを得なかった。一人で抱えているのが苦しかったのだ。樋山くんは俺の悩みをアホかと切り捨てて笑い飛ばしてくれる。嬉しかった。
ああ、そうだ。おかしかったのは、俺だ。俺だった。奉子は普通の女子で、頭がよくて運動の出来る委員長だ。料理に髪の毛を混ぜないし、放火だってしない。誰かを傷つけることなんか、出来っこないんだ。
「ホント馬鹿だなー、石高は」
樋山くんは四段腹を揺らして笑う。
「俺から言わせれば死ぬほど贅沢な悩みだ。三次元の女の子のことで悩むなんて、季節が何回巡り巡ってもありえねー。いいか石高。お前は今な、長々と自慢話をしてたようなもんなんだぞ」
「そりゃー悪かった。ファミレスでドリンクバーでもおごるわ」
「肉っぽいものも頼んでいい?」
「自分のを齧ってろよ」
「こんなもん似ても焼いても食えねえ」
ひとしきり笑ってから、樋山くんはふっと真面目な顔になった。
「まあ、委員長がおかしなこと言ってるかどうかなんて当人同士じゃ分からねえって」
「そうだろうな」
「第三者がいたら遠慮して本当のことを言わないだろうし」
それもそうだ。奉子は猫を被る。最近はそうでもないが、人目があるところじゃあ俺のことを『ろっくん』といつものように呼ばないし。
「……なあ、マジで困ってるっつーか、悩んでるんだよな? 委員長の様子がおかしいんじゃないかって」
「え? ああ、でも、今日樋山くんに聞いてもらったから……」
「いや、一つな、手がないわけでもないんだけど」
「手?」
ああ、と、樋山くんは遠慮がちに頷く。
「お前と委員長、二人きりの会話なんかを他の人に聞いてもらえばいいんだよ」
「どうやって? たとえば、樋山くんがどっかに隠れて盗み聞きするのか?」
「それもありかもしれないけど、ICレコーダーで録音すりゃいいんじゃね? 盗聴になるかもしれねえから、すげえ言いづらかったんだけどさ」
録音……いや、盗聴か。倫理的にはよくないが、俺には名案のように思えた。
「でも、そんなもん持ってないしなあ」
わざわざ買うにも躊躇われる。
「あ、それなら俺が持ってる」
「え?」
俺は樋山くんから距離を取った。
「おォい! 不審人物扱いすんなよ! レコーダー持ってるだけじゃねえか!」
「充分警戒に値するんですが、それは」
「パソコン部の先輩からもらったんだよ。何に使ってたかは聞かなかったけどな」
もううちの学校のパソコン部を叩けば、アホほど埃が出てきそうな気がしてきた。
「まあ、お前に貸しとくよ。今度持ってくるわ」
「いいのか?」
「ああ。使うかどうかは好きにしてくれ。俺はどうせそんなんいらねえし」
「悪いな。肉っぽいものもおごるよ」
「デザートも頼んでいい?」
「氷でも齧ってろよ」
さて。
ICレコーダーを借りたはいいが、どういう風に使えばいいんだろうな。アレか? とりあえず俺の部屋のどっかに仕掛けて、奉子に何か喋らしてみるか? うん、そうだな。とりあえず、一度試してみよう。
というわけで、俺は奉子を呼び出すことに決めた。決行は今晩、俺の部屋だ。ICレコーダーの使い方は樋山くんから聞いたし(やつはレコーダーを使わないと言っていたのに、使い方は熟知していた。やはり怪しい)。
「あれ、めぐちゃんいないの?」
20時ごろ、俺の部屋にやってきた奉子は室内を見回して不思議そうに小首を傾げた。
「もう寝てるよ」
「ふーん、二人っきりか」
「はっはっは、そうだな」
俺は生まれて初めて、奉子を前にしてどきどきしていた。罪悪感とか、ちょっとした期待感とか、今から行うことに対してびびっているのかもしれない。
「なんかこういう風にしてるのって懐かしいし、嬉しいな」
「嬉しい?」
奉子はベッドの端に腰を下ろして、窓の方を見つめた。
「最近、私たちってちょっと変だったからさ」
「……ん、まあ、そうかもな」
「ずーっと、なんでもない幼馴染でいられたらいいのにね」
ずっと、か。人生ってのは何が起こるか分からない。何が起こっても不思議じゃあない。それでも、俺も奉子と同じ気持ちだった。
「ところで、今日はどうして私を呼んだの?」
「ん? あー、まあ、なんだ」
やばいな。さっきまで昂っていた気持ちが一気に冷え込んでしまった。つーか、俺はどうして自分たちの会話を録音して第三者に聞かせようしてたんだ。奉子は何も悪いことしていないし、何もなかったんだ。全部が全部、タイミングの悪さばかりが目立ってて俺は本質に目を向けていなかった。そうに違いない。
「あー、昨日、DVDを買ったんだよ。それを一緒に見ようかと思ってさ」
「どんなやつ?」
「サメが空から降ってくるやつ」
「またサメー? 好きだなあ、そういうの」
「好きなもんは好きだからしようがねえんだよ。……っと、あれ? どこに置いたっけな?」
もしかしてリビングに置きっ放しだったかもしれない。
「わりい、ちょっと待っててくれ」
「あーい」
少し時間はかかったが、お目当てのDVDを見つけて、奉子と一緒にげらげら笑いながら鑑賞し終えた。もう日付が変わる。明日は学校だし、そろそろ解散だな。ぼけっとしてる奉子を促し、玄関まで見送ることとなった。
「そんじゃー、また明日ね」
「おう。サメ、面白かっただろ?」
「んー? うーん、私はグロイの苦手だなー」
「……昔、おじさんがサメと格闘してるのを手伝ったとか言ってなかったっけ?」
「えー、違うよ。モリを打ち込んだだけだよ」
だけって。
奉子を見送った後、俺は、レコーダーを設置していることを思い出した。同時に、スイッチを入れ忘れていたことにも気づいた。なんだ。結局、あのレコーダーを使う機会はなかったんだ。これから先もなくていい。明日、樋山くんに返そう。それでおしまいだ。何もかもを終わらせよう。
あくびを噛み殺しながら、レコーダーを仕込んでいた、ベッドの下に手を差し入れる。
「……んん?」
感触がない。俺はベッドの下を覗き込む。携帯電話の光で照らすも、レコーダーは見当たらない。おかしいな、もうちょっと奥に行っちまったかな。
立ち上がって伸びをする。と、机の上にあった。探していたものが。
「あ?」
ICレコーダーが、机の上にあった。俺は急いでそれを手に取る。
は? なんでだ。どうして、どうしてこれがここにある? しかもランプが点滅している。心臓が止まるかと思った。馬鹿な。俺は確か、レコーダーのスイッチは入れていなかったはず、だ。
注意深く確かめてみると、何かが録音されているらしいことに気づく。俺はこれを使った覚えがない。なら、俺以外の誰かがこれを使ったということになる。
「まさか、奉子……?」
レコーダーのランプがちかちかと光っている。確かめてみろと、いつまでも立ちすくんでいる俺を急かしているかのようだった。
指は震えていた。こんなの生まれて初めてだった。
『……………………』
何も聞こえない。いや、こすれるような音だけが微かに聞こえている。イヤホンをつければよかったのだが、それすらも出来ないでいた。
息を呑む。
『……き……』
「あ」
何か、聞こえた。誰かが、何か言っている。俺の声じゃない。女の声――――奉子の声に聞こえた。
音量を上げるも、ぼそぼそと呟いているから分からない。俺はじれったくなってレコーダーを耳に押し当てた。
『だ い す き』
「――――っ」
ひゅっという音が俺の喉から鳴った。悲鳴が出なかったのだ。俺は思わずレコーダーを取り落してしまう。慌てて拾いかけるも、
『だいすき。だいすき。だいすき。だいすき。だいすき。すきだよ、ろっくん。だいすき……』
駄目だった。体が一瞬間、動かなくなった。
俺は耳を塞ぎたくなるのを堪えてレコーダーを掴み、電源を切った。こんなもの、ぶち壊してしまいたかった。
気づけば、掌に痕が残るほどレコーダーを握り締め続けていたらしい。俺は息を吐きながら、握っていたものを離した。
息を整えて冷静さを保とうとする。だが、耳の中で、頭の中で、あの声がリフレインしている。まるで耳元で囁かれているかのようだ。
「……あ、……ああ」
この部屋にいると、何者かに見張られているようで怖気がした。目を瞑っても耳を塞いでもどうしたって逃げられそうになかった。強迫観念に突き動かされた俺は、部屋から、家から飛び出した。
あてどなく歩く。明日が学校だということも今となってはどうだってよかった。奉子のことしか考えられなかった。あいつが異常だってことを認識させられた。……あいつだ。あいつがやったんだ。全部だ。全部、あいつが、俺の嫌なことは全部あいつがやったんだ。
ああ、ちくしょう。ちくしょうっ。ああああああああああああああちくしょう! 俺は、俺はなんなんだ!? 俺の全てが岩田奉子に見透かされてて支配されている!
『おはよう、ろっくん』
俺の足が速いのはあいつから逃げる為だ。
『今日は私がご飯を作るね』
俺が料理をするのは身を守る為だ。
『だいすきだよ、ろっくん』
石高禄助は岩田奉子に創られた。そうとしか思えないほどに俺たちはハマっていた。
「あああああああああああああああっ!」
夜に吼える。誰が近くにいたって関係なかった。
いつしか俺は、公園のベンチをけっ飛ばして、それに縋りつくようにしてしがみついていた。情けなかった。哀しかった。どうしてこんな目に遭うんだろう。こんな思いをしなきゃいけないんだろう。ちょっと前まではあんなに楽しかった。いいことが起こりそうだって、毎日がきらきらしてたってのに!
「可愛い幼馴染。突っかかってくる転校生。アルバイト先の美人な店長。屋上で出会った先輩。皆に親しまれる生徒会長。ちょっと不良な同級生。一見強面の女教師。部活の後輩は、今回は違うか」
後ろから声がした。俺は弾かれるようにして振り向く。男が立っていた。アロハシャツで、黒ぶちメガネで、雰囲気だけはイケメンの男だった。よくよく見れば俺と同じくらいの年だった。
「……なんだ、お前?」
メガネ男子はふっと笑って髪の毛をかき上げた。ムカつく。
「『俺の考えた最強のギャルゲーだったらこんなことにはならなかったのに!』 って、そんなこと考えてたんじゃないのか?」
「は……?」
「違うぜ親友。この世界も、どの世界だってゲームなんかじゃない」
こいつ、なんだ?
いきなり出てきて、俺の名前も、俺のことも、俺がどんな思いでいるのかも分かってますって顔しやがって、無茶苦茶なことを言いやがって。
「お前が今しんどい思いをしてるのはな、全部お前自身によるものなんだよ。浮かれてたかよ、禄助。お前はエロゲーの主人公でも戦国時代の殿さまでもねえんだ。ただの男子高校生なんだ。あっちこっちに手ぇ伸ばしても、結局どこにも届かないくらい不器用だったってどうして気づけなかったんだよ」
こいつの頭はおかしい。完全にイカれてる。だってのに、俺はこいつの声を、言葉を聞こうとしていた。
「……お前は、何なんだ?」
俺はメガネを見上げた。すると、そいつは何故だか、妙に寂しそうな顔で笑った。
「お前の友達だよ、俺は」
「お前なんか知らねえ」
「こっちは知ってんだ」
一方的に知られてるのか俺は。気味が悪い。
「岩田のことで悩んでたんだっけな、今のお前は」
「……ああ、そうだよ」
やけっぱちになって答えてやった。どうして、見ず知らずのこいつが俺たちのことを知っているのかなんてことはどうだってよかった。人生ってのは何が起こるか分からないし、何が起こっても不思議じゃあないからだ。
「岩田のことは教えてやるよ。全部な」
そう言うと、眼鏡はベンチに座ってにっと笑った。
俺はメガネの横には座らず、いつでも逃げ出せるように立っていた。やつはそんなことは気にしないで話を始めた。だが、近頃のアニメはどうだだの、あのゲームは面白かったかだの全く関係ない世間話ばかりだった。
「おい。俺はお前の性癖なんか興味ないんだぞ」
「あー悪い悪い。ついな」
「……丹下院ってやつが事故に遭ったんだ」
「ん? ああ、丹下院さんな。それがどした」
意を決して、俺を口を開いた。
「その事故は、奉子がやったのか?」
「へ? 禄助お前、そんなん考えてたのか?」
小さく頷く。眼鏡はかかかと笑った。
「お前マジかー、クッソ笑えるわ。そんなわけねえじゃん。つーかどうやって岩田が丹下院さんを事故に遭わすんだよ」
「突き飛ばす、とか……」
「岩田がそんなことしたと思ってんのか?」
かちんときた。
「分からねえから話してんだろうが!」
「わーっ、怒るなよ! びっくりするじゃねえか」
俺を見透かしたようなことを言うからだ。
「宝野や小林先輩とも会えなくなった」
「いや、たまたまだろ。約束も何もしてねえんだから、むしろ会う方がレアじゃね?」
「ユキさんの店が火事になった」
「だからたまたまだろ。それとも何か、岩田が火ぃつけたって?」
「……そうじゃ、ねえのかよ」
メガネ男はつまらなそうに息を吐く。
「火事は火事だろ。ちげーよ」
「ハンバーグに、爪が入ってた。めぐのには髪の毛が」
「爪は入ってたかもしれねえけどさ、髪の毛は見たのか? めぐちゃんの見間違いじゃあなかったのかよ?」
髪の毛は、確認していない。
「爪が混じってたのはしようがねえだろ。岩田も疲れてたんだ」
「知ったようなことを言うんだな」
「つーか、なんで岩田を敵視するかな」
え?
「お前さ、岩田と幼馴染なんだろ。よーく考えろよ。たとえば、お前と岩田の立場が逆だったらどうするよ」
「逆って……」
「だから、お前が親父の都合で海外にちょくちょく行ってたらどうするって話だ。友達だって作りづらいぜ。クラスでだって浮いてるかもしれねえ。学校には来ないのに、たまに来たかと思えばよう、頭もいい、運動も出来るし、顔だって性格だっていいんだ。そりゃあ他のやつは面白くねえよ」
……奉子のことだ。
「そんな状況だったらさ、唯一気兼ねなく話せるのは昔から一緒にいてくれる幼馴染だけだ。そいつに突き放されて裏切られたら、もう自分には味方なんかいなくなる。違うか?」
「違わないんじゃ、ねえかな」
「心配にもなるだろ。たとえば、お前が数週間ぶりに日本に戻ってきて、岩田の周囲に自分の知らない男ばっかりいたら? 誰なんだよそいつらは。大丈夫なのか、お前。とか思わねえか?」
俺は言われるがまま、目を瞑って俯いて想像した。その状況は、全くもって分かりやすかった。
「色々と調べたり、先生に聞いたりもするんじゃねえかな。特に丹下院さんなんかは素行が良くないからな。お前が不良になるんじゃねえかって心配するに決まってるよ。他にも、突っかかってくる転校生とか」
自分の知らない間にアルバイトを始めてた、とか。
「岩田が……あいつが四六時中お前の近くにいたのは、お前が心配だったからだ。いや、もう分かってんだろ。幼馴染だからってだけじゃない。お前のことが好きだからだ。もっとも、お前は岩田のことを怪しんでたかもしれねえけどな」
「奉子が……」
「お前の為に必死になって慣れないことをして、お前に疑われて犯人扱いされて、そりゃあ疲れるだろうよ」
俺も、どっと疲れた。気が抜けた。メガネの横に座って、夜の空を見上げた。
「レコーダー」
「ん?」
「レコーダーに、奉子がひたすら俺のことを好きだって吹き込んでたんだよ。死ぬほど怖かった」
「自慢じゃねえか」
自慢になるのかよ。俺はメガネを睨んだ。睨み返された。妙な迫力があった。
「岩田はお前に怪しまれていることを分かってた。気づいてたんだ。そんな時にお前がICレコーダーみたいなもんを仕掛けてたらどう思うよ。他ならぬ幼馴染に仕掛けられたんだぜ。哀しいだろうが。ムカつくだろうが。ちょっとびっくりさせてやろう、困らせてやろうって思うのはそんなに悪いことなのか?」
「いや、だからすげえ怖かったんだけど」
「それは何となく分かる。分かるけど、岩田のこともちょっとは分かってやれよ。ずっと一緒にいたんだろ」
証拠はない。
奉子が何かをやったという証拠はない。同時に、このメガネが言っていることだって本当かどうか分からない。適当に推測を並べているだけかもしれない。
「ああ、そうだな」
だけど、俺はメガネを――――いや、奉子を信じようと思った。
「俺が行ったら、ちゃんと岩田に連絡してやれよ」
「分かってる。……あー、なあ」
「どうした?」
冷静になったら、このメガネって何者なんだろうな。俺たちのことを知り過ぎてる。ストーカー、だよな。正直、これは無視出来ない問題だと思います。
「お前さ、マジで誰なんだ? さっきは俺の友達とか言ってたけどよ」
すると、メガネはベンチから立ち上がってこっちを見た。
「なあ、禄助。お前はこういうの信じるか。この世界には、石高禄助の『幼馴染』が『一人』だけしかいられないってことを。役は被らねえ。同じキャラは二人もいらねえってことなのかな」
「なんだそりゃ」
つーか質問に答えろよ。
「信じるか?」
「……分かんねえよ、そんなこと」
「そういう風に出来てんだよ、世界ってのは。どこに行ったってお前の幼馴染は一人きりだ」
幼馴染は一人って、そりゃそうだろ。俺の幼馴染は奉子だけだ。当たり前じゃねえか。
「つーか、どこの世界とか言ってるけどな、世界ってのは一つきりだ」
「あるんだよ、他にも。じゃあこれはどうだ。俺がここ以外の世界を見てきたって言ったら信じるか?」
ここ以外の世界?
「異世界ってことか?」
ちょっとワクワクした。剣と魔法とドラゴンとファンタジーだ。
「いや、そういうんじゃねえかな。お前じゃないお前がいて、俺じゃない俺がいる世界だ。そっちの世界じゃあ、お前は原先輩と付き合ったり、丹下院やオーガとも好き合ったりする」
「はあ!? 俺が? 原先輩と!?」
しかも先生や丹下院とも?
「転校生ちゃんともな」
「ええー……宝野って男だぞ?」
メガネは仰々しく頷く。冗談きついぞ。
「誰とも付き合わなかったりってのもあったし、結構悲惨な目に遭ったりもした」
「悲惨?」
「死んだり殺されたり」
「その世界の俺が何をしたって言うんだ……」
こことは違う世界。
俺じゃない俺がいる世界。
「まあ、信じないとは思うけどよ」
「いや、信じるけどな」
「……え?」
メガネは『信じられない』とでも言いたげにこっちを見た。
「お前みたいに意味分からねえやつがいるくらいだし、そもそも、俺はその世界を見たことがねえ。明日になったらどうなるかは分からねえけどさ、見たことがないもんを即座に否定する理由はねえよ」
「信じて、くれるのか」
「信じないってのと同義かもだけどな」
「いや、充分だよ」
メガネはその場にしゃがみ込んだ。
「そういう、違う世界があってもいいんじゃねえかって思うぞ、俺は」
「……そうか」
「おい、メガネ。でも、お前はどうなんだ?」
メガネは無言でこっちを見上げてくる。
「色んな世界を見てきたんだろ、お前」
「ああ、まあな」
「お前はどうなるんだ?」
「俺……?」
頷いて返した。
「いや、色んな世界に行くのはいいけどさ、お前はその時その時、どんな立ち位置なんだろう、とか思ったんだよ」
「ああ、そういうことか。いや、別に……気にはならねえよ。色んな世界があるって言ったろ。たとえば、俺は今、この世界じゃあ『別の世界があるってことを知ってる』。でも、他の世界の俺はそんなことを知らないかもな」
? ? ?
「他の世界には岩田がいないってパターンもある。そもそも俺がいないってこともあるし、原先輩や丹下院とか、お前の知ってる人がいない世界もあるんだよ」
「……頭がこんがらがってきた」
「めぐちゃんじゃなくって、お前に弟がいる世界もあったし、一人っ子だった世界もあったな」
信じらんなくなってきたな。
「お前は、その、色んな世界ってのを全部知ってるのか? 実際、見たのか?」
「さあー、どうだろうな。正直、ちょっと分からねえ。頭がおかしいのかもしれないし。ただ、既視感ってやつだな。分かるし、見えるんだ」
既視感。デジャヴってやつか。
「ま、気にすんな。俺は俺で楽しくやってる。お前はお前で楽しくやってくれ」
「つってもよ」
どうすりゃいいんだ。
「俺に聞くか?」
「何でも話すって言ったじゃねえか」
「……普通に、岩田と付き合えよ。お前だって好きなんだろ」
ぐっ。こいつ、マジで何なんだ。痛いところを突いてきやがる。
「好きなんだろ?」
俺は口を開きかけて、閉じる。ゆっくりと目を瞑り、奉子のことを考えてみた。
「……ああ、そうだよ。好きだよ」
怖かったけど。
けど、奉子とずっと二人でいるだけじゃあ気づけないこともあった。他のやつと関わって初めて、俺はあいつが好きだってことに気づけた。
「選べたっつーか、俺は他のやつより奉子が好きなんだって分かったよ」
「選ぶ? 選んだってか?」
「? ああ、選んだ」
「アホか。しっかり『選べ』。ちゃんと自分の意志で選んで、『こうだ』って決めろ。そこまで出来て初めて『選んだ』って言えるんだ」
選ぶ、か。簡単に聞こえるけど、実際、そうするのは酷く難しいんだろうな。
「禄助よう。お前は馬鹿なんだ」
ぐ。
「馬鹿だから、一つのことにしか集中出来ねえんだよ。よそ見するな。お前は凡人なんだ。ただの人だ。ただの石高禄助だ。だから、お前の全部を好きなやつに向けるくらいじゃないと上手くはいかねえ。俺が言うんだ。間違いねえよ」
「知った風なこと言いやがって。……もっぺんだけ聞く。なんか、こう、俺のことを助けてくれてるっぽいけどさ、俺はお前のことを知らねえんだよ。だから、なんでだ? なんで俺を励ますようなことを言うんだ?」
「友達だからな」
「友達?」
ああ、と、メガネは言った。
「それ以外に理由が要るか?」
「……俺はお前のことを知らないんだぞ」
「それでもいい。俺はお前のことを知ってる。一方的でもいい。お前が上手くいくことを、俺はお前よりも望んでる。そんだけ」
…………そうか。
まあ、そういうこともあるんだろう。だってしようがねえ。俺はこいつの言葉を嘘だとは思えなかったんだから。マジで他の世界がどうとかってのは置いといて。
「いいから、もう行けよ禄助。早く岩田に電話でもしてやれ。何を話すのかは、もう決まってるだろ」
「ああ、けど、お前は。お前は……いいのか?」
「いいのかって、何が」
俺は答えられなかった。こいつを放置したままでいいのか。そう思ったんだけど、その理由が分からなかったからだ。
「行けって。俺は、ここに残っとくから」
「……正直、よく分からねえけど分かったとしか言いようがない」
「明日になったら忘れてるよ。名残惜しいから、さっさと消えろ」
「なんだ、そりゃ。まあ、ありがとうな」
俺はメガネに背を向けて歩き出し、携帯電話を部屋に置いてきたことに気づいた。
「……あ、お前の電話を貸してくれりゃあ」
振り向いた時、そこには誰もいなかった。
それから。
それからは、まあ、特に言うことはない。
俺と奉子はお互いの気持ちを確認し合って、誤解を解き合った。あー、まあ、本当にそれだけ。……俺のプレイしたことのあるギャルゲーは、主人公とヒロインが付き合って、それでおしまいってのがほとんどだった。二人が付き合ってから何をどうしたのか、何がどうなったのかってのはザックリとしか語られない。
人生もゲームもそんなものなのだ。
一つだけ分かっているのは、きっと上手くいくってことだけだ。俺も、その物語を観終わったやつもそう思うはずだ。
俺は幸せだ。
俺は俺の幸せを見つけて、掴んで、こうだって決めた。願わくは、俺じゃない俺ってのがいたとして、そいつにも幸せになって欲しい。
……。
…………。
………………。
ただ、一つだけ気になることがあった。
こことは違う世界。俺じゃない俺がいる世界。それは、いい。信じてもいい。
だけど、あいつは……あのメガネはどう思ってるんだろう。たぶん、一人だけ。あいつだけが知っているんだ。他にも世界があるってことを。自分じゃない自分がいるってことを。それはきっと、優越感を抱かせるようなものではない。ただただ寂しいんじゃねえか、辛いんじゃねえかって、俺はそう思う。
だから、俺じゃない俺だけじゃなくって、そいつにも幸せになって欲しい。そう思うんだ。俺は。




