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ロックンイガイダレモイナイセカイ

「おはよう、ろっくん」

 朝。目が覚める。部屋に奉子がいる。それは俺にとって当たり前の日常だ。

「……ああ、おはよう」

 いや、当たり前の日常だったと言うべきか。



 ある日の放課後、俺は珍しく一人で下校していた。奉子がホームルームの委員長会議に出るらしいので、先にスーパーで買い物をしてから家に帰ったのだ。

 家にはめぐがいたから、俺は何となくこんなことを聞いた。

「なあ。奉子って鍵持ってたっけ」

 小生意気なファッション誌を読んでいためぐは、じっとりとした目つきをこっちに向けてきた。

「……鍵って?」

「うちの鍵だよ」

 めぐはふと考え込むようなそぶりを見せて、それから、目を見開いた。

「お兄ちゃんが渡してたんじゃないの?」

「いや、俺はあいつに鍵を渡してない。父さんか母さんかにもらったんじゃねえかって思ってたんだけど。もしくはめぐが」

「よほどのことがないと渡さないわよ」

 じゃあ、奉子は鍵を持っていないのか。

 なら、どうして俺の家に、俺の部屋に入って来られるんだ? めぐが招き入れたのか?

 めぐに聞こうかと思ったが、奉子が帰ってきた。何となく、この話題は打ち切りとなった。



 翌日。俺は学校で奉子に呼び止められた。

「ろっくん。今日はアルバイトに行くんだよね。私も途中までついてっていい?」

「バイトの、途中まで? どうせなら店ん中で待っててもいいんじゃねえかな。頼んだらそれくらいは」

「ううん、いいのいいの。晩ご飯の買い物もしなきゃだし」

「そっか、そんじゃあ放課後一緒に帰るか」

「うんっ」

 …………俺、今日はアルバイトに行くなんてこと、奉子に言ったっけ?

 いや、奉子は俺のことをよく分かってる。この世で一番、誰よりも。たぶん、俺よりも俺のことを分かってる。



「ねえ、アルバイト辞めないの?」

「え?」

 帰り道、二人して坂を下っていると、奉子がそんなことを言った。

「……いや、辞める気ねえし。一回始めたもんをさ、そんな簡単にはやめられないって」

「へー、ろっくんのくせに。勤労意欲なんか湧いちゃってさ」

 うるせー余計なお世話だ。

「辞めねえよ。楽しいし」

「ふーん。そうなんだ」

「そうなんだよ」

 結局、奉子は本当に途中までしかついてこなかった。



 それからしばらくして中間テストが終わり、夏服に衣替えし終わった頃、俺は遊びに誘われた。誘ってきたのは丹下院である。どういう風の吹き回しっつーか、怪し過ぎんだろ。

「何のつもりだ……?」

「はー? 何もしないって、別に―」

「……そうなのか?」

 俺は思いっきり怪しんで警戒して、丹下院に意図を尋ねた。すると、糸って何の? という答えが返ってきた。

「しないって。でも、いいんちょは連れてくんなよ」

 丹下院は少しだけ声を潜めた。心配しなくても今頃奉子は委員長会議に出てるって。奉子を除け者にするってのは俺としても釈然としないが、二人だけでベタベタしてるってのも考え物だ。

「あたしらと遊ぶの、もしかして嫌?」

「そういうわけじゃねえよ。ちょっとびっくりしただけだって」

「そかそか。そんじゃ、テキトーにセッティングしとくから」

「任せていいのか?」

 おう、と、丹下院は威勢のいい声を発する。楽しそうだ。

「明日かー、明後日の放課後な。空けとけよ童貞くん」

「下品なやつだな」

 だけどちょっと期待してしまう俺。そんな自分が愛おしくて仕方なかった。



 だが、俺の期待は見事に裏切られることとなった。翌日、瑞沢先生の口から丹下院が入院したことを聞かされたのだ。他のクラスメートの話を盗み聞きするなりしたところ、どうやら丹下院は原付に轢かれたそうだ。命に別条はないが、腕の骨が折れているとも聞いた。

 ショックだった。

 遊びに行けないことが、ではない。知ってるやつがそんな目に遭うってのがだ。丹下院、昨日まであんなに元気で楽しそうだったのに……。

「残念だよね」

「え? あ、ああ、そうだな」

 朝のSHRが終わって先生が出て行った後、奉子が俺の傍に立った。

「怖いよね。入院とか、さあ」

 俺はどうしてだか奉子の顔を見られなかった。こいつが何か話すたび、そうだなとか、温いことしか返せなかった。



 そういやここ最近、宝野や小林先輩と話していないことに気がついた。ふと、遠くから彼女らの姿を見かけることはある。しかし、それだけだ。近づこうとしても見えなくなる。まるで避けられているかのように。

 だが、会ったところでどうしようもない。そんな気もしていた。ここのところずっとそうだ。圧迫感と閉塞感に苛まれ続けている。真綿で締めつけられているかのような、じりじりとした絶望感。脱する術は見つかりそうにない。



 その日の夕食を担当したのは奉子だった。

「……私、今日はもうお腹いっぱいだから」

 めぐが席を立ったのは、いつものように、俺、奉子、めぐの三人で晩飯を食べようかって時だった。めぐはまだ一口も飯に手を付けていない。奉子手作りのハンバーグを箸で割っただけだ。

「調子でも悪いのか?」

 めぐは俺と奉子の顔を見比べた後、首を横に振った。少し、辛そうな顔をしていた。

「ちょっと、今日は学校で友達と遊び過ぎて」

「疲れたのか?」

「ん、ごめんなさい。奉子ちゃん、せっかく作ってくれたのに」

「いいよいいよ、しんどい時に無理して食べてもしようがないもん。今日はもう寝といた方がいいね。それか、あとでおかゆでも持って行こっか?」

「んーん、いらない」

 奉子の言葉に頷くと、めぐはゆっくりとした足取りで二階に上がっていく。大丈夫だろうか。

「めぐちゃんがはしゃぐなんて、珍しいこともあるんだね」

 確かにそうだ。まあ、めぐもアレで小学生だもんな。

 俺は気を取り直して晩飯を食べ始めた。

「どう、おいし?」

「おー、今日のハンバーグは前に食ったのよりも……」

「どしたの?」

「いや、別に。美味いよ」

 顔をしかめるのを堪えた。俺は、口の中にある違和感の正体を、舌と歯を使って確かめる。がり、と、固い感触がした。ハンバーグの中に入っていた何かだろう。わざわざ奉子に報告するまでもない。たぶん、爪だな。俺もたまにやっちまう。食材と一緒に爪まで切っちまうんだ。そんで、気づかないまま料理を続ける。

 俺は気にしないで食事を続けた。すると、また口の中からがりっという音が聞こえた。さっきと同じ感触だ。……冗談だよな、奉子?

「なあ、奉子」

「んー。何ー?」

 奉子は、普通に飯を食っている。ぱくぱくと、いつもみたいに。

「……ああ、いや」

 どうしようもなく気になったので、俺はめぐの残した(というより手つかずの状態だが)ハンバーグを確かめようとして皿に手を伸ばす。しかしその手は横合いから叩かれた。

「こらー、ろっくん。お代わりが欲しいのは分かるけどさー、めぐちゃんのを取っちゃダメだよ」

「そういうんじゃなくって……」

「もう、しようがないなあ。私のを一個あげるから。はい、食べてていいよ。お皿は私が片づけるから」

 片づけられたら中身が見られない。

「いいよ、作ってくれたのはお前だし、片づけくらいは俺がするから」

「はいはい座ってて。いつもそんな風に気を遣ってくれると嬉しいのになー」

 あ。駄目だ。捨てられちまった。流石に、奉子のいる前でゴミ箱漁るような真似は出来ねえし、第一、そんな必死こいて確かめるようなことか? 飯に爪が混じってた。それだけのことじゃねえか。それで俺は、いったい何を確かめるつもりだった?

「ねえ、ろっくん。明日は何が食べたい?」

 どこまでも幸福そうな奉子の笑顔を見て、俺は邪念を掻き消した。



 掻き消した。

 だけど、駄目だった。忘れようとしても無駄だった。奉子が帰った後、俺は縋るような思いで、めぐの部屋の前に立っていた。

「寝てるか? 悪い、起きてたらでいいんだけど、聞きたいことがあってさ」

 ノックをしてから声をかけると、入って、というか細い声が聞こえた。

「入るぞー」

 部屋は暗かった。明りを点けようかとも思ったが、めぐはそれを望んでいないように思えた。俺はドアを背にして立ったまま、ベッドの上のめぐを見る。表情は見えない。かすかに、輪郭だけがぼんやりと浮かんでいた。どうやらめぐは上半身だけを起こしているらしい。

「聞きたいことって?」

「……調子、よくなったか?」

「それが聞きたかったの?」

 俺のことを見透かしているかのような言い方だった。そうだ。俺が聞きたいのはそんなことじゃあない。

「奉子ちゃんのことでしょ」

「ああ、じゃあ、やっぱり……」

「お兄ちゃんのハンバーグにも、何か入っていたの?」

 胸を抉られるような痛みを覚えた。

「爪が……めぐのも、そうだったのか」

「……私は、分からないの。疲れてたのは本当で、ちゃんと中を見ていなかったから。でも、私にはアレが髪の毛に見えた」

 髪、の毛……?

「冗談だろ」

「お兄ちゃんは……」

 めぐは一度口を開いてから、しまった、とでも言いたげな顔になる。そうして長い時間をかけてから話を切りだした。

「お兄ちゃんは奉子ちゃんと仲がいいから。でも、私はたぶん、嫌われているから」

「は? いや、そんなわけねえじゃん」

「奉子ちゃんが帰ってきた時にお土産をもらったんだけど」

「ああ、キーホルダーみたいなもんだったか?」

 めぐは緩々とした動作で立ち上がり、ベッドから降りる。机の引き出しを開けたかと思うと、あるものを俺に見せつけてきた。……不細工な、木彫りのキーホルダーだ。アフリカに行ってたみたいだからな、そこいらの土産だろう。

「これ、外国のものじゃないのよ。日本で売ってるキーホルダー」

「……え? そう、なのか?」

「この不細工なのは五寸釘くんって言うの。学校でね、嫌いな子にあげるのよ。それをもらった子はいじめの標的になるの。目印なのね、きっと」

 なんつー嫌な流行だ。

「いじめって……でも、めぐの小学校で流行ってる話だろ?」

 小さく頷くめぐ。

「だから私も勘違いだと思った。奉子ちゃんが、小学校で流行っていることまで知ってるとは思わないもの」

「だったら……」

「でも、どちらにしてもこれはアフリカで売っているお土産じゃないわ」

 キーホルダーのことは分からない。奉子本人に聞いてみるしかないだろう。だが、言いようのしれない不安が鎌首をもたげてくる。

「分かった。めぐはもう寝とけ。な?」

「お兄ちゃん、奉子ちゃんに今のことを話すの?」

「分からねえ。けど、めぐが嫌だったら黙っとく」

 めぐは難しい顔をしてこっちを見上げた。

「お兄ちゃんたちの関係が変なことになるのはダメだと思うの」

「善処するよ。じゃあな、お休み」

「……おやすみなさい」

 確かに、俺と奉子は幼馴染だ。長いこと一緒に付き合ってきた。だけど、めぐは俺の妹だ。大事な家族なんだ。



 俺はめぐの部屋を出た後、一階に降りようとした。父さんと母さんの部屋からは、かすかに物音が聞こえてくる。テレビでも見ているんだろうか。

 一瞬間、親に相談しようかと思った。だけど、俺の中で片づければ済む問題なのだとも思い直す。ひとまずリビングに降りてゴミ箱を開けた。中は空だった。新しいゴミ袋と取り換えられている。そういや、今日は奉子が新しいのに換えてたっけ。

 確か、いっぱいになったゴミ袋は外のゴミ箱の中に入れてたな。だけど。

「……そこまでするか……?」

 台所に一人。俺は思惟に耽る。ゴミ袋を検めて何を見つけようってんだ。見つけたところでどうする。奉子にそれを突きつけるのか? お前がやったのか、お前はめぐのことが嫌いなのかって。

 自然、奉子とめぐを秤にかける形になる。そういうのは苦手だが、他ならぬ奉子の疑いを晴らす為でもある。そうやって自分の行為を正当化する。分かっていながらも、俺は動いた。



 リビングの窓を開けて、スリッパに履き替えて外に出る。流石に暗い。俺は携帯電話の灯りを頼りに、庭に置かれているゴミ箱へ向かった。

 息を呑む。軍手くらい持ってくりゃよかったかな。

「まあ、ちょっと見るだけだ」

 ひとりごちて自分を鼓舞する。ゴミ箱にはパンパンになったポリ袋が幾つも放り込まれていたが、お目当てのものはすぐに見つかった。今日捨てたものなのだから、一番上の方に来ていて当然だった。

 俺は覚悟を決めてゴミ袋を解いた。先刻から漂っていた特有の生臭さが一層強くなる。この中から、めぐの残したハンバーグを見つけなきゃいけないのか。気が重くなるな。


「何してるの?」


 びくりと、体が震えた。

 声の主はブロック塀の穴からこっちをねめつけている。奉子だった。彼女の目が、俺の行為を咎めていた。

「……奉子、か。お前こそ何してんだよ」

「私は散歩してたの。そうしたらろっくん家の庭から物音がしたから。泥棒かと思ったの」

 奉子の言葉には嘘はないだろう。まさか、俺をずっと見張っていたなんてことはありえない。はずだ。

「ろっくんこそ、ゴミ箱開けて何してるの? 探し物?」

「まあ、そんなところだ」

「見つかった?」

「ああ。もういいんだ」

 そう。奉子は呟き、ブロック塀の穴に足をかけてこっち側に降り立った。彼女はその辺を見回してから、私が泥棒みたいだねと言ってはにかむような笑みを浮かべる。

「……なあ、奉子。今日の晩飯さ」

「うん。晩ご飯が何?」

「俺のハンバーグに、爪が入ってたんだよ」

「え? あ、やっちゃってた? ごめん、作ってる時にぼーっとしてたかも。でも、その時に言ってくれれば……あ、気ぃ遣ってたんだよね。ごめん」

 俺は奉子の顔を観察する。分からない。分からなかった。本当のことを言っているのか、嘘を吐いているのかが。

「あと、髪の毛も」

「髪の毛?」

 奉子は小首を傾げた。

「流石にそこまではないと思うんだけど……ホントにそんなの入ってた?」

「俺のには入ってなかったよ」

「ああ。あー、そういうこと? だからゴミ袋開けてたの?」

 くだらないとでも言いたげに、奉子は俺とゴミ箱を見比べた。

「めぐちゃんにそう言われたの?」

「確かめようって思ったのは俺だ」

 言ってから、俺は咄嗟にめぐを庇ったんだと気づく。

「でも、やめてよ、ろっくん。流石にそんな風に疑われるのって、けっこうしんどいし」

 奉子は心底から悲しそうに言ってみせた。

「ああ、俺だって嫌だ。だから、そのことはいい。でもさ、もう一つだけ聞いていいか」

「この際だからもう何でも言ってよ」

「お前、マジでアフリカっつーか、外国に行ってたのか?」

「どういう意味?」

「めぐにやったキーホルダーだよ。アレ、日本で売ってるもんなんだってよ」

 ああ、と、奉子は呻くような声を漏らす。

「バレちゃったか。うん、実はそうなんだよ。アフリカに行ってたのは本当だけど、向こうで色々あり過ぎてお土産を買う暇がなかったんだよね。だからこっちに戻ってきた足で、それっぽいやつを買ったの」

「俺の、あの不細工なクマもそうなのか?」

「ほんっとーにごめん!」

 ぱん、と、奉子は両手を合わせて頭を下げた。

「他意はないんだよな?」

「他意って?」

 俺は、五寸釘くんと呼ばれているキーホルダーについて話してみせた。話し終えたとき、奉子は天を仰いだ。

「アレ、そんなえげつないやつだったの……?」

「らしいよ。ま、えげつないのはそういうのを考えるやつだけどな」

 五寸釘くんに罪はない。

「今度めぐちゃんに謝っとく」

「あー、まあ、めぐも嫌われてんじゃないかって気にしてたから」

「ええ……なんかそれが一番ショック……」

 奉子は一通りショックを受けてから家に帰った。俺もゴミ箱の周りを片づけてから家の中に戻る。正直、真実が明らかになったような気はしていない。ただ、これ以上奉子を追求したって、めぐの望んでいない展開になるだけの気がして、引いた。



 家にいると余計なことを考えてしまいそうだったから、週末は榊原書店でバイトをすることにした。ユキさんとの癒しの時間を過ごしてメンタルポイントも回復したような気がする。やったぜ。



 週が明けた月曜日。

 俺は一人で登校した。少し、奉子と距離を置きたかった。というよりも一人になりたかったのだ。


「あれー? 今日はろっくん、先に行っちゃったの?」


 教室に着くと、その数分後に奉子も来た。俺は適当な言い訳をして場を取り繕った。



 教室がざわめき出す。珍しいことに、朝のSHRの時間になっても瑞沢先生が来なかったのだ。あのオーガは今まで遅刻をしたことがない。

 結局、先生は顔を見せなかった。代わりに他の先生が来てSHRを済ませて帰っていった。その先生も瑞沢先生のことには触れなかった。



 一時限目が終わって休み時間。俺はトイレに行ってすっきりした後、鼻歌まじりでトイレから出た。

 その瞬間、廊下を歩いていた女神と目が合った。

「う。せ、先輩……」

「あっ、石高くん! よかった、教室に行ってもいなかったから。あの、探してたんです」

 くそう。なんで用を済ませた後で原先輩とエンカウントしなきゃいけないんだ。すげー嫌だ。すげー気まずい。すげー恥ずかしい。でも、俺を探してた? 死ぬほど嬉しいです。

「あ、もしかして生徒会のお手伝いかなんかですか?」

「やっぱり、まだ知らないんですね。あの、こちらへ」

 原先輩は人気のない方へと移動し始める。俺はただただ彼女の後を追いかけた。やがて、俺たち以外にほとんど誰もいない渡り廊下に辿り着く。原先輩は周囲を見回した後、ふうと息を吐いた。

「今朝、瑞沢先生は?」

「え? ああ、来ませんでしたよ。鬼の霍乱とはこのことだなーとか思ってました」

「職員室で先生方の話を盗み聞きする形になっちゃったんですけど、その、気になることを耳にして……」

 ん? 何があったんだろう。もしかして瑞沢先生に関わることだろうか。

「どうやら、瑞沢先生の親戚の方のお家が火事になったらしくて」

「火事、ですか?」

「榊原書店って、確か、石高くんのアルバイト先ですよね?」

 ……まさか。嘘だろ。

「恐らく、そこが火事に……あの、お店の方は、先生のご家族なのですか?」

「あ、はい。先生の姉さんで、ユキさんって人が……ユキさんは、あの人は無事なんですか?」

 原先輩は首を振った。申し訳なさそうに目を伏せて。

「そこまでは、まだ」

 どくんどくんと、心臓が強く、早く、鳴り続けている。どうしたらこのうるさいのを止められるんだろう。

「火事は、今日起こったんですか?」

「あ、いいえ。確か、昨晩だったかと思います。先生方がそのようにおっしゃっていたので」

 昨日の、夜? 俺がバイトから帰った後じゃねえか!

「石高くん、お店の人と連絡は取れないんですか?」

「あ、店の電話番号は知ってるんですけど、ユキさんは携帯電話を持っていないっぽいんで」

「では、また後で私が職員室に行ってみます。上手くいけば話してくれそうな人に心当たりがありますから」

「お願いします」

 俺は深く頭を下げた。正直、今すぐにでもユキさんの無事を確かめたい。だけど俺に出来ることは少ない。今は原先輩に頼ろう。

「それから、気になることが……」

「気になることですか?」

 頭を上げる。原先輩は目を見開いていたが、俺を見ていなかった。俺の後ろにいる何かに気を取られているようだった。

 振り向くと、奉子がいた。休み時間が終わろうとしているのに教室にいない俺を探しに来たのかもしれない。あるいは……。

「石高くん」

「はい?」


「――――――」


 原先輩は俺の耳元に顔を近づけて、早口でとあることを告げた。そうして彼女は早足で去っていく。ややあって、彼女と奉子がすれ違う。奉子は原先輩を不思議そうに見送った後、俺に向けて手を振った。

「……? ろっくん、何してんのー!? 早く教室戻らないと遅刻するよ! もう、あちこち探したのにどこにもいないんだから! バカ!」

「ああ、悪い!」

 今はただ待つしか出来ない。歯がゆかった。そしてもう一つ、原先輩の言っていたことが本当かどうか、確かめる必要がある。



 二時限目、三時限目後の休み時間になっても原先輩は俺のところに来なかった。まだ何も話せるようなことを掴めていないのだろう。あの人が手こずっているのなら仕方がない。俺は出来ることをやろう。

 昼休みになって、俺は奉子と一緒に飯を食うことにした。机をくっつけて、弁当を広げる。

「なあ、奉子」

「んー、なにー?」

 奉子は箸をくるくると回している。弁当のおかずを何から食べようか考えているらしい。楽しげだった。

「お前さ、俺のバイト先って知ってたっけ?」

「あー、本屋でしょ」

「昨日、そこに行ったか?」

 回っていた箸がぴたりと止まる。奉子は真剣そうな顔でこっちを見つめた。

「なんで?」

「なんとなく。で、行ったのか?」

「はあ。またそんなこと言うんだ。また何かあって私を疑ってんの?」

「俺のバイト先が火事になったんだよ。さっき、原先輩に聞いた」

 奉子は玉子焼きを箸で掴んで、それを口の中に放り込む。

「ああ、だから休み時間に一緒にいたんだ」

「その人がな、こうも言ってた。『榊原書店の近くで岩田奉子を見た』ってさ」

 奉子は口の中の玉子焼きを噛み続ける。そうしてから、ゆっくりと時間をかけてそれを飲み込んだ。

「あんまり冗談がきついと、ろっくんが相手でも怒るよ。それじゃあ、何? 私がろっくんのバイト先を燃やしたって言うの?」

 そこまで言うつもりはなかったが、そういう風に聞こえて、捉えられるのも仕方ない話だろう。

「気になるんだよ。しようがねえじゃねえか」

「……行ったよ」

 え?

「ろっくんのバイト先。昨日の晩、見に行ったって言ってるの。20時くらいだったかな」

「き、来てたのか?」

「働いてるろっくんを見たかったけど、邪魔しちゃ悪いなーと思って。店の前まで行って帰っちゃった」

 20時って言うと、ちょうど、俺が店から出ようとした時だ。

「あのさ、バイト先が火事になったのは残念だと思うよ。ろっくんが色々心配するのも分かる。でも、その火事だって放火かどうかも分かんないじゃん。なのに勝手にいるかどうかも分かんない犯人を捜して、しかもその犯人を私にしようとするし。なんか、最近のろっくんはおかしい気がする」

 ……おかしい? 俺が?


『違うだろう。おかしいのはお前じゃねえか』


 と、言いそうになったが堪えた。

「それに」と、奉子はつまらなそうに口を開いた。

「原って人は私を見たんでしょ。じゃあ、その人もろっくんのアルバイト先の近くにいたってことじゃん。私だけ疑われるのって納得出来ない。バカ。ろっくんのバカ。ろっくんはバカ」

 確かに、そうかもしれない。こういう言い方はめちゃめちゃ失礼だが、原先輩も怪しいっつーか、容疑者の一人になりうる。……いや、もう止めようか。証拠なんてねえんだ。

「悪かった。今度、休みの日にどっか行こうぜ」

「は? 何それ。そんなんで私のご機嫌取ろうとしてるの?」

「好きなもん買ってやっから」

「……その日は、全部ろっくん持ちだからね。そしたらまあ、許したげてもいいかな」

 人を疑うってのは、随分と高くつく。金だけじゃなく、色々と。



 その日の放課後、原先輩からユキさんが無事であることを聞かされた。先輩は瑞沢先生と連絡を取ってくれたらしく、俺も電話口ながら、先生の口から直接『大丈夫だ』と聞いた。


『そもそも、あの姉さんが簡単に死ぬはずがない。地球が終わりかけても平然とした顔で白湯でも啜っていそうだからな』とは先生の弁だ。実の姉をよくもまあそんな風に言えるものだ。


 ユキさんは軽い火傷で済んだそうだが、大事を取って入院している。だが、お店は全焼したそうだ。商品も全滅だろう。この先どうするのかは、ユキさんが退院してからでいいだろう。



 色々と気になることはあったが、週末を迎えた。いつもなら家でゴロゴロ寝ているかバイトをしているかの二択だが、バイトは出来ない。なので寝るしかない。俺の土日はベッドの上で終わるのだ。

「ねえ、お兄ちゃんは行かないの?」

「あー、三人だけで行ってきて。俺はちょっと疲れてるから」

「そう? じゃあ、大人しくしててね。お菓子買ってきてあげるから」

「ああ、じゃあ楽しみにしとく」

 めぐは父さんと母さんに連れられて遠くのデパートに行った。俺は家族と一緒に買い物に行っても好きなものを見られないから、家で寝る。そう決めている!



 昼寝していると、ふと、人の気配がした。おかしい。めぐたちが戻ってくるには早過ぎる。

 ベッドから起き上がり、階下の様子を確かめる。……物音がする。かちゃかちゃと。なんだ?

 恐ろしかったが、俺は一階に降りることにした。

「あ、ろっくん」

「……は?」

 玄関に、奉子がいた。何でもないような顔で。

「なんで、ここにいんだよ? 鍵は……」

「え? おばさんからもらってるよ?」

 奉子は、不細工なクマのキーホルダーがついた鍵を、くるくると指で弄ぶ。


 おかしい。

 ああ、駄目だ。異常だ。


 こいつが俺の家にいるのは当たり前だったはずなのに、俺はそう感じてしまった。

「お前なあ、勝手に入ってきてんじゃ……!」

「何怒ってるの? 私はおばさんたちに頼まれたんだよ。ろっくん一人だから、お昼ご飯の世話をしてくれないー? って。あと、約束忘れてないよね? 次の休みの日、どっか連れてってくれるって言ったじゃん」

 言った。

 言ったけど、おかしいんだ。

 嫌なんだよ、俺は。



 だが、俺は強く奉子を拒めなかった。体調が悪いからと言って奉子を家から追い出したが、今後もきっと、無理だろう。距離を置こうとしても駄目なんだ。『当たり前の日常』を壊すことは、何よりも困難だと思えた。

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