ロクデモナイセカイ
放課後。
俺は普通に帰ろうとしたが瑞沢先生に呼び止められた。
「おい。何を普通に帰ろうとしているんだ」
「? じゃあ側転で」
「普通じゃない方法で帰れと言っている訳じゃあない。アルバイトの届け出。忘れていたのか?」
あ、忘れてた。
「あはは、冗談ですよ。職員室で書くんですか?」
「その方が手っ取り早いからな。ついてこい」
「うぃ、了解っす」
職員室ってのは苦手だ。基本的には生徒の立ち入る場所って感じじゃないし、ここに来る=怒られるみたいなイメージが強い。
入口の前でぼーっと待ってたら先生に手招きされたので、そっちにひょこひょこ向かっていく。
「そこに座って、とりあえず分かるところだけ書いていけばいい」
「これ、先生の椅子ですか」
「そうだが」
「この、熊の顔のクッションも先生の?」
「……そうだが?」
意外と可愛らしい趣味をしてんだな。なんてことを思ってたらでこぴんされた。脳みそが内部で爆発したかと思った。
さて、アルバイトの届け出なんて書いたことないんだけど、別段大したことを書かなきゃ駄目ってことはなさそうだった。ん? アルバイトの志望理由? そんなもん金が欲しいからに決まってんだろ馬鹿じゃねえの。しかし先生がずっと見ているのでくだらないことを書いたらしばかれるだろうな。
「あの、瑞沢先生。すみません、少しだけお時間よろしいでしょうか」
アルプスの雪解け水のように綺麗な声が聞こえた。俺はばっと顔を上げる。そこには原先輩がいた。美人の。生徒会長の。皆の嫁候補の。
「美女と野獣だ」
「え?」
「あ、いや、すんませんすんません。何でもないっす」
い、今! 今! 原先輩とちょっとだけ会話した! 話したよな! そういうことにしとこう。明日、クラスの連中に自慢してやろう!
「ああ、大丈夫だ。それで、何かあったのか?」
「サッカー部の勧誘がしつこかったのか、一年生が怒っちゃって正門前で喧嘩になったんです」
「喧嘩は収まったのか?」
「いえ、他の部も巻き込んでヒートアップしてて。流石に私一人だけで止めるのは難しいと思って」
「そうか。分かった」
俺はアルバイトの届け出を書く振りをしながら、先生と原先輩の会話に耳を澄ませていた。しかし、そうか。毎年のことだけど、この時期の部活動の勧誘はしつこいことこの上ない。生徒会が監視してるけど、抑止力は抑止力だ。起こるもんはどうしたって起こる。
「春来先生、正門で問題が発生しました。手を貸していただけますか?」
「問題?」
「生徒間の喧嘩です」
「なるほど、俺向きだ」
いっ!?
マジか。オーガ以上の武闘派と恐れられる『あの』春来が出るのか。数学教師でありながら、学生時代に100:1=マジヤバイというアホみたいな計算式もとい戦力差をひっくり返したという、あの伝説のヘラクレスが!
オーガとヘラクレスが出てくるのか……正門にいる生徒はお気の毒だな。まあ、殺されはしないだろうから。
「というわけで石高」
「あ、はい」
瑞沢先生は申し訳なさそうに俺を見た。
「ちょっと行ってくるから、そこで大人しく待っていてくれ」
「分かりました」としか言えない。
「ああ、原。ちょっと悪いが、お前はそこでそいつを見張っていてくれ」
え?
「私でいいんですか?」
「頼む」
原先輩は何か言いたげだったが、ぐっとそいつを呑み込んだように見えた。
というわけで。オーガ・ヘラクレスという暴力を具現化したようなコンビが出て行ったので、俺は今、原先輩に見られながらアルバイトの届け出を書いている。いったい何だろうな。嬉しいんだけど、なんつーか。
「……あの、は、原先輩」
「はい、なんですか?」
先輩が俺の為に時間を割いてくれているのは死ぬほど嬉しいが、申し訳ないという気持ちの方が大きい。
「他に用事もあると思いますし、行っちゃっても大丈夫ですよ。俺に構ってても時間がもったいないです」
「そんなことはないですよ。あ、そこ、字が間違ってます」
「え? あ、ホントだ。どうもです」
原先輩は小さく笑った。ああ、あなたは天使だ。
「石高くんはアルバイトをしているんですね」
「は、はい」
「あはは、そんなに緊張しなくてもいいじゃないですか」
いや、だって、あの原先輩と話せているんですよ。
「え? あの、私って下級生からどんな風に見られているんですか」
「女神様みたいな感じっす」
「めがみ……」
原先輩は困ったような顔になった。
「そんな、いいものじゃあないと思います。生徒会長なだけですよ」
「でも、俺に付き合ってくれてますし、少なくとも俺にとっては女神様みたいな人ですよ」
「石高くんって面白い考えをする人ですね」
「そうですか?」
「そうです。……あ、アルバイト先って本屋さんなんですね」
「ああ、そうなんですよ。商店街って分かりますか。あの、すげー寂れてる」
「あ、知ってます。最近はそっちに行かないんですけど。へー、あそこ、本屋があったんですね」
よかったら遊びに来てください、なんてふざけたことを言おうとしたけど、ぐっと我慢した。俺如きが何を調子に乗ったことを。
「よかったら今度遊びに行ってもいいですか?」
「え?」
「石高くんのアルバイト先に、です」
ああ、と、俺は納得した。なるほど、社交辞令だ。男子高校生ってのは分かっててもこういうのに弱い。要らぬ期待をしてしまうのだ。
「ああ、どうぞどうぞ。俺が言うのもなんですが、結構ボロいんでびっくりすると思いますよ」
そんなことを言ってるうちにアルバイトの届け出は書き終わり、オーガとヘラクレスが戻ってきた。返り血の一つや二つ浴びてそうな雰囲気だったが、そんなことはなかったのでよかった。
「なあ、めぐ。傲慢かもしれないが、俺は今日すげー、なんか、よかったって感じの日だった」
帰宅後、俺は夕食前にめぐと格ゲーで遊んでいた。
「よかったって、何かあったの?」
「うーん、そうだなあ」
「女の子とたくさん話せたの? 『消しゴム落ちたよ』、『どうも』って風に」
それは話した内に入るんだろうか。
「ちげーよ。違うけど、まあ、そうだな。女の子といっぱい話せたような気はする」
「お兄ちゃんが楽しそうで何よりね」
「そんなことより違うゲームにしようぜ。さっきからナイスリズムでボコられっぱなしで全然ハッピーじゃない」
「えー? 何するの?」
俺は棚から一つの格ゲーを取り出した。
「嫌よ。何、そのパッケージ」
改めてゲームのパッケージを見る。まあ、確かに女の子がメインになってるというか女の子しか写ってないけどさー。
「さ、三国志のゲームだから」
「……これが?」
「そう。これが孫権。こっちが曹操」
「中国の人に怒られないの?」
何かもう今更だし、それを言うならこの国は世界中に喧嘩を売ってるような気がしてならない。
「意外と緊張感のある渋いバランスなんだって。やったら絶対ハマるから」
「ふーん」
↓
「あ、普通に面白い。なんとなくサムライ的なソウルを感じるわ」
「だろう」
翌朝。
「ろっくん。ろっくん。ろっくーん」
「……あー? 何?」
身体を揺さぶられて耳元で囁かれて覚醒する。
「めぐちゃんが起きてきなさいって」
俺は枕もとの携帯電話で時間を確認した。いつもよりは少し遅いけど、全然平気じゃねえか。
「久しぶりに見たかと思えば、相変わらずうるせえなあ」
「相変わらず失礼だなあ、ろっくんは」
「ろっくんはやめてくれ」
俺の部屋に何かがいる。
見慣れた光景だった。正確に言うなら、そう、一週間ぶりくらいの。
「えー? ろっくんはろっくんなのに」
そう言って笑ったやつの髪が揺れた。ちけえんだよ。髪を垂らすな、口に入るだろうが。
「……はあ」
俺は起き上がって侵入者をじっとねめつけた。
「あは、なになに?」
黒髪ロングで、背は俺より少し高くて、目鼻立ちはくっきりしてきたか。胸も大きくなってきた気がするが、なんつーか、特に何ともは思わない。夏休みに朝顔の自由研究をしているような感覚だ。そんでもってそいつは、俺と同じ学校の女子の制服を着ている。
女子だ。一応。女の姿をしているが、俺自身はそう認識していない。何せ付き合いが長い。お互いが男か女かも分からねえくらいガキの頃からの付き合いだ。こいつを女として見ることは出来ん。同年代だが、こいつは俺にとってめぐと同じく妹のようなものである。……岩田奉子。こいつは、まあ、腐れ縁というか、幼馴染というやつだった。
俺と奉子の付き合いは長い。ほとんど、生まれた時から一緒のようなもんだ。家も近いし、学校もクラスもずっと同じ。何をするにもだいたい一緒で。そんな話をするとクラスの男子は羨ましがるし妬まれもしたが、俺からすりゃあ『なんでだよ』である。奉子のどこがいいんだ。うるさいだけだぞ、こいつは。
リビングに降りると朝飯は既に出来上がっていた。めぐはとっくに食べ終わっていたらしく、奉子と楽しそうに話をしている。まあ、奉子がいる時の朝はこんなもんだ。どっちかが朝食を作って食べて学校に行く。
『自分ちで食ってくりゃいいだろ』
『……え? なんで?』
『マジで言ってんの?』
『んん?』
以前、奉子とこんなやり取りをしたことがある。不毛だった。もはや問うまい。俺も楽が出来るし別に構わない。
「はい、めぐちゃんにおみやげー」
「わ、ありがとう。開けていい?」
「もちろん。めぐちゃんに似合うと思ってさー」
俺はめぐと奉子のやり取りを見ながら、奉子の作った朝飯をもしゃもしゃと食べていた。……もはや舌に馴染み過ぎていて美味いのか不味いのかすら分からない。
「あ、ろっくん。一週間ぶりの私のご飯はどうかな。おいしいだろー?」
奉子はにかっと笑った。
「分かんねえ」
「素直じゃないなあ」
だってマジで分からねえんだもん。
「そういや、今度はどこに行ってたんだ?」
「んー、なんか、アフリカのどっか。ちゃんとした国とか、そういうとこじゃなかったっぽい」
「ああ、そう。よくもまあ無事に帰ってこれたもんだ」
「えへー、心配してくれたの? 大丈夫だって、私も父さんもタフだもん」
知ってる。
……奉子の家は特殊だ。こいつの親父さんは『ちょっと』変わった仕事をしているらしく、世界中を飛び回っている(俺も数回くらいしか見たことがないし、なぜか、顔と体型が出会うたびに変わっていたような気がする)。奉子も親父さんと一緒に出かけることがあって、長い時には一か月も帰ってこなかった。今回の『旅行』は短い方だったな。
「でも父さんはまだ仕事が片付かなかったらしくてさ、とりあえず私だけ帰ってきたの」
「なんで?」
「えー、そんなのろっくんに会いたかったからに決まってるじゃん」
「ああ、はいはい」
俺が適当にあしらうと、奉子はつまらなそうに頬を膨らませた。ガキっぽいことすんな。
「あ、そういや俺の土産はねえの?」
「んー?」
俺と奉子は学校まで歩いて行く、ことになっている。自転車は持ってるんだけど、奉子が徒歩で行きたがるから仕方がない。無視して一人で自転車で登校したこともあったが、数日間は口を利いてくれなかった。鬱陶しいので自転車での登校を諦めた次第である。
「お土産欲しいの? 欲しいのか。うーん、そうかあ」
「もったいぶるなよ。なかったらなかったでいいから」
「寂しいこと言うなよ、ろっくーん。ちゃんとあるからさ」
ほい、と、奉子はポケットから茶色い物体を取り出した。それは、クマっぽい顔をしたマスコットのついたキーホルダーだった。
「……不細工だな」
「財布にでもつけときなよ、ほら、私みたいに」
奉子が財布を見せつけてくる。げっ、同じキーホルダーじゃねえか。なんで被らせんだよ。
「お揃いだね!」
「いや、お前が同じの買ってくるからだろ。つけねえからな、こんなの」
「えー、なんでなんでなんでー」
うぜえ!
学校までの坂道を上る。生徒も増えてくる。
「……なあ」
「ん、禄助。なんか言った?」
「いや、別に」
そうすると奉子の口数は減ってくる。俺のことも『ろっくん』とは呼ばなくなる。こいつは妙に外面がいいんだ。いい子ちゃんぶろうとしているのかは知らないが、学校での奉子は優秀な委員長である。俺に構ってくることも少ないし、気楽でいい。
「おーす、石高と岩田さん」
「おはよう、四方木くん」
「今日も二人で来てんの? 仲いいねー」
「違うよー、家が近いだけだって」
「式はいつ?」
「挙げないってば!」
奉子は人気者だ。誰に対しても平等で、分け隔てなく接する。こいつのいるクラスはいじめとか、そういうのがない(とはいえ、俺と奉子はだいたい同じクラスなんだけど)。だからなのかは知らないが教師からの信頼も厚い。
いつも隣にいる俺としちゃあ、ちょっとだけ鼻高々って感じだ。うるさいやつだが、幼馴染が褒められて悪い気はしない。
昇降口でも、階段でも、廊下でも、教室でも。同級生上級生下級生教師問わず、奉子はどこでだって誰にだって声をかけられる。
俺は奉子と誰かの話が終わるのを傍でじっと待っている。苦ではない。一週間ぶりで忘れかけていたが、これが俺の日常なんだ。
「ごめんね、ろっくん」と、話し終わった奉子がこっそり耳打ちしてくるのもいつも通り。
「別にいいよ」と返すのもいつも通り。
いつも通り、いつも通り。……だった、よな。
放課後。
俺は、奉子が職員室で用事を済ませるのを待っていた。あいつと一緒に帰る為だ。どうせ晩飯も一緒に食うし、二人でスーパーに寄るだろうし、そもそも置いてくと後でうるさいし。
職員室前の廊下で、携帯ゲームで暇を潰していると、
「お、石高じゃーん」
「げ」
丹下院に見つかってしまった。思い切り絡んでやるぜ、げへへ覚悟しろよ、みたいなツラをしてやがる。めんどくさいことになりそうで気が重い。
「……なんだよ」
「えー? なんだよってなんですかー?」
丹下院は俺の肩を叩き、ゲスな笑顔を浮かべた。
「そんなことよりさー、覚えてるかなー。賢い石高くんは覚えてるよなー」
「な、なにを」
「パーシリになってくれるって言ったじゃーん。あたしさー、喉乾いてっしー、ちょっとお腹も減ってるしー、あーそーいや宿題出てたっけ。アレもやって欲しいなー」
ぐ。しまった。そういやパシリになってやるとか言っちまったんだっけ。つーか丹下院もマジに捉えてんじゃねえよ。
「い、今じゃないと駄目か?」
「駄目に決まってんじゃん。あたしが餓死してもいいん?」
「いいに決まってんだろ」
「なんかムカつくこと言うな!」
ぎゃあぎゃあと喚き合う俺たち。アホみたいだがここで退いてはならん。
「約束が違うじゃん!」
「してねーし!」
「――――ろっくん?」
ぴたっと丹下院の動きが止まった。何事かと思いきや、職員室から奉子がこっちを覗ているだけだ。
「丹下院さんと二人で何してるの?」
「ん、ああ、ちょっと話してた」
「あは、そうなんだ。へえ。あ、用事、もうすぐ終わるから。もう、職員室の前だよ。静かに待っててよね」
「ういー」
扉が閉まっていき、奉子の姿が見えなくなる。同時、丹下院は俺から離れた。ん? 心なしか、こいつの顔色が悪くなってるような気がするな。
「なあ、もしかして体調悪い?」
「や、別に。んだよ、いいんちょ待ってたんなら先に言ってよね。そーゆーわけだったらさ、今日はもういいから」
「お、そうか?」
助かった。
丹下院はさっきまでウザかったのが嘘だったかのように、すたすたと立ち去ってしまった。
帰り道、ふと気になったので、職員室での用事とは何だったのか奉子に聞いてみた。しかし答えてはくれなかった。今となってはどうだっていいことだから。なんてことを言われてしまうと、もうどうしようもない。こいつの頑固なところは嫌というほど知っている。これ以上追及したって無駄だろう。そんなことに脳みそを使うくらいなら、今晩の献立について考えを巡らせる方がいくらか建設的である。
「なあ、向こうじゃあ何を食ってたんだ?」
「え? うーん。虫とか」
「冗談だよな?」
「結構おいしいんだよ?」
……冗談、だよな?
「じゃ、今日は何が食いたい?」
「ろっくんが作ってくれるの? わー、久しぶりだなあ。何がいいかなあ」
「ま、何でもいいよ。腕はふるってやるからな」
「イエス! じゃあねー、んとねー」
うちで晩飯を作って、食って、ゆっくりしていった後、奉子は自分ちに帰る。俺とめぐはゲームで遊んで、寝て、起きて、学校へ。
これが石高禄助と岩田奉子の日常である。もう何年もこんな感じだ。
「おはよう、ろっくん」
「いこっか、ろっくん」
「じゃあね、ろっくん」
「おやすみ、ろっくん」
何年も。
「おはよう、ろっくん」
「いこっか、ろっくん」
「じゃあね、ろっくん」
「おやすみ、ろっくん」
何年も。
「おはよう、ろっくん」
「いこっか、ろっくん」
「じゃあね、ろっくん」
「おやすみ、ろっくん」
これが正しい。
「おはよう、ろっくん」
「いこっか、ろっくん」
「じゃあね、ろっくん」
「おやすみ、ろっくん」
何も、間違っていない。
「おはよう、ロクスケ」
登校中、後ろから声をかけられた。振り向くと、転校生の宝野遥がそこにいた。
「お? あ、おお、お前か」
「お前……ボクの名前を覚えてくれていないのかい」
「いや、宝野だろ。覚えてるよ」
「ああ、そうか。なんだ、嬉しいな」
宝野は静かに微笑む。可愛い。しかしこいつは紛れもなく、れっきとした男なのだ。
「コクダカ、よかったらボクと」
「あ、ろっくん急がないと遅刻しちゃうよ」
「え?」
宝野が何か言いかけたところで奉子が割って入った。遅刻という言葉に反応した俺は携帯電話で時間を確認する。
「……いや、まだ遅刻って言うほど」
「急がなきゃ! あ、宝野くん、だっけ? またね」
俺は奉子に手を引っ張られる。無理に抵抗する気も起こらなかった。ただ、俺たちを見送る宝野の顔が妙に寂しそうに見えたから、胸がちくりと痛んだ。
結局、遅刻はしなかった。それどころか教室のクラスメートはまばらなくらいだった。
朝のSHRが終わり、一時限目が終わる。俺はふと立ち上がろうとしたが、やってきた奉子に押し止められた。
「知ってる? アフリカってさー……」
「え? マジ? マジで全裸で暮らしてる部族がいんの?」
「いるいる」
くだらない話をしてたら休み時間が終わった。
「ろっくん、一緒に食べようよ」
昼休みは食堂に行かず、奉子と一緒に教室で弁当を食べた。
「帰ろっかー、ろっくん」
放課後。俺は誰かに呼ばれている気がしたが、奉子が全部終わらせてくれたらしい。これで気兼ねなくこいつと一緒に帰られる。
奉子と一緒に家に帰ると、めぐが不思議そうな顔をしていた。なんだ?
「どうしたー、めぐ。兄ちゃんがかっこ良過ぎてびっくりしてんのか」
「そうじゃなくって、今日はアルバイトに行くって言ってたから」
アルバイト? 俺が?
「今朝は確かに、そう言ってたと思うけど?」
「あははー、ろっくんは忘れっぽいからなー」
奉子はそう言うとキッチンの方へ向かった。今から晩飯の支度をするつもりなんだろう。
「疲れてるんじゃないの?」
「ご飯出来たら呼んだげるよ。ちょっと寝てきたら?」
めぐと奉子に促されてしまう。二人してそんなこと言ってくるもんだから、マジで疲れてんのかな、なんて風に思っちまった。
制服から部屋着に着替えてベッドの上に寝転がる。……なんだろうな。なーんか、つまんねえような気がする。いつもと同じはずだってのに、なんつーか、スカスカっていうか。二十四時間ってのは、こんなにも味気なく過ぎてくものだったか?
「うーん」
寝返りを打つ。枕元の携帯電話が光っていることに気づいた。樋山くんからの着信だった。一瞬、いや、一分くらい出るかどうか悩んだが、鳴らされまくってるのでしようがないから電話に出てやった。
「有り難く思えよ」
『何の話!?』
相変わらず声のデカイ男である。
『まあいいけどよー。……あのさー、これな、言っていいかどうか分かんねえんだけど……』
嫌な予感がした。言っていいのかどうか迷うことは俺にもある。そして、大概の場合は言っちゃいけないことだったりする。
『石高さー、委員長と仲良いじゃん』
委員長とは奉子のことだろうな。
「まあ、悪くはねえよ」
『俺らっつーか、周りもさ、そういうことは分かってるんだよな』
「だから、何?」
『怒るなって。ただ、なんか最近委員長が露骨じゃね? って、そんな感じになってんだよ。気づいてなかったのか』
露骨? ……ああ、いや、心当たりはあるっちゃあ、あるな。以前にもまして奉子は俺にべったりしてるような。
「つーか、周りってことは」
『まあ、うん。結構みんな気になってんだよ』
出たよー、魔法の言葉だよな『みんな』って。
『石高。俺は敵味方とかあんまり好きじゃないんだよ。でも、それでも言うんなら、俺は別にお前の味方をするつもりないからな。でも、敵にも回りたくない。委員長といちゃいちゃすんのは楽しいだろうけどさ』
「いや、そういうわけじゃねえんだ。ただ、なんつーか……」
『まあ、まあまあまあ、たまには周りも見た方がいいって。あ、あとな、そういう話っちゃあ話なんだけどさ、丹下院さんからお前の連絡先を教えろって言われたんだよ』
丹下院が?
「教えたのか?」
『なぜかって理由を聞いたらケツ二発蹴られちまったぜ』
「そ、そうか」
『ありがとな』
ドMが。
「で、教えたのか教えてないのかどっちなんだよ」
『教えたー。まだ連絡来てないか?』
「ああ、多分」
『そうかそうか。そんじゃあ、たまには他のやつと遊んでみろって』
樋山くんはたぶん、いいやつだ。俺と奉子がクラスで浮かないように(手遅れかもしれないが)気を遣ってくれている。つまりだ。奉子と少し距離を置いたらどうだ、的なことを言っているんだろう。
「考えとくよ。ありがとな」
電話を切った後、思わず、長い溜息が漏れ出た。
気づかなかった。俺と奉子はそんな風に見られて、思われていたのか。別にいいじゃねえか、ほっとけよと突っぱねるつもりはない。俺自身もそんなことを考えていたんだから。
「お?」
今度は見知らぬ番号から電話がかかってきた。十中八九、丹下院だろう。下手すりゃどっかで見てたんじゃねえかって絶妙のタイミングだ。
「あい、もしもし」
『おー、石高? あたしあたし、丹下院。これあたしの番号だからさ、登録しといて』
やっぱりな。
「樋山くんを蹴ったんだって?」
『……あいつ、気のせいか喜んでたんだけど』気のせいではない。
『つーか樋山から聞いたっぽい?』
「まあ、色々と」
そかそか、と、丹下院は一人で納得するかのように呟く。
『そしたらさ、いいんちょと距離置きなよ』
お? 随分とまあストレートに切りだしてくるんだな。
「なんでだよ」
『なんでって、あたしはあんたの味方してやろうって言ってんだけど。あんたは将来のパシリになるんだしさ』
味方だと。信用出来ねー。
『ぶっちゃけたこと言えばさ、あんたか、いいんちょか、どっちの味方するかなって感じなんだよね。で、どっちがよりムカつくかってこと考えたら、敵に回すんならいいんちょかなーって』
「ちょっと待てよ。そもそも、なんで俺と奉子が敵になってんだよ」
『はあ? 当たり前じゃん。頭ぁよくて何でも出来て美人の女がさ、どうして誰の敵にもならないのって話なんだけど。知らなかった? いいんちょはさ、大抵の子に嫌われてるよ』
丹下院は至極あっさりとそんなことを口にした。天地がひっくり返るような衝撃ではなかったが、やはり、俺は軽くショックを受けた。
「そうだったのか……」
『石高はいいんちょのおまけで気に入らねーって感じかな。でもさ、こないだ話したらあんたは面白かったから』
だから俺の味方になってやるってか。有り難い話だな。
『別にどーこーしようって話はないけどさ。せめてうちらの見えるとこでベタベタすんのはやめてよね。ムカつくから』
そう言われると、なんだかこっちが悪かったのかなって気になってくる。何にせよ、俺と奉子がよく思われていないのは確からしい。少しは気にする必要があるだろう。俺にとっても奉子にとっても悪い話ではないはずだ。
『恋は盲目ってやつ?』
「恋とか、そんなんは分かんねえけど。まあ、気にしてみる」
「ろっくーん? ご飯出来たよー?」
奉子に呼ばれた。これまた切りのいいタイミングである。
「あ、ああ、すぐ行くよ! ……じゃあな、丹下院。とりあえず、よく分からんけどありがとうとは言っておく」
『ん? ああ、まあ。そんじゃあ』
俺は電話を切って、急いでリビングに降りていった。テーブルには奉子の作った、美味そうな料理が並んでいた。




