ロクデナシノセカイ
ざあっと、ノイズが。
「ろくすけちゃん、おはよう!」
……ん。んん、もう朝か。おー、おはよう。
俺が返事すると、そいつは嬉しそうに笑った。まったく、何がそんなに嬉しいんだろうな。
「もう、だめだよー。今日からおばさんたちいないんだから、ちゃんと起きないと遅刻しちゃうよ」
ああ、悪い。
「ろくすけちゃん今日は日直でしょ? もう朝ごはん用意してるから、着替えて早く下りといでよ」
分かった。
「? どうしたの? 早く起きなってば」
…………。
「ろくすけちゃん?」
いや、お前がそこにいると起きられないんだって。
「え? ……あっ。もう、ろくすけちゃんのエッチ」
不可抗力の生理現象なんだからしようがねえだろうが! 着替えるからさっさと出てけ!
「はいはーい。あ、ろくすけちゃん」
なんだよ。
「ふふ、んーん、なんでもない」
はあ? 訳の分からねえやつだな。
「それよりろくすけちゃん、早くもあうbckpkぺおえこけfこえこふぉfもえm
「ああ、くそ。またバグった」
俺はコントローラを手放し、ゲーム機の電源を切ろうとした。画面には幸せそうな顔をした『俺』の幼馴染が映っている。何を言おうとしているのかは分からないが。
……樋山くんから借りたギャルゲーは実に面白い。いや、面白かったと言うべきか。ただ、なんつーかこう、幸せ過ぎる。主人公がいて、理想のヒロインがいて、特に起伏もなくお互いを好きになる。展開は読めている。たぶん、主人公と幼馴染のヒロインとの間に他のヒロインがやってきて、二人の気持ちはすれ違ったりするのだろう。その手の話はもう飽きた。つーか幼馴染なんてもん、どこがいいんだ?
「日曜か……」
俺は立ち上がって窓の外を見る。いい天気だった。昨夜から寝ずにギャルゲーしまくってた自分が酷く不様な存在に思えてしまう。ここでベッドに倒れ込むのもいいだろう。そうして夕方くらいに目が覚めて『ああ、今日も一日を無駄にした』と心地よい罪悪感を抱くのだ。
いや、駄目だ。ここで動かなきゃいけない。たまにはアクティブに。ハートをアクティブにしなきゃ。
「つーわけでバイトに行ってくる」
リビングでのんびりしていた妹のめぐにそう言うと、怪訝そうにこっちを見つめられた。
「なんだよ、その顔は」
「珍しいこともあるものね、と」
うるさいな。
「でも、いいことだと思うわ。休日に、一人きりで、ゲーム画面とずっと向き合っているなんてストイック過ぎるもの。地獄の苦行よね」
なんてことを言うんだ。どこが苦行だ。楽園だぞ、楽園。
「ともかく行ってくる。……帰りにコンビニ寄るけど、なんか欲しいものあるか」
「えー? もう、子供じゃないんだから」
「プリンか?」
「……クリームの乗ってるやつ」
子供じゃねえか。
アルバイト先の榊原書店に着くと、店の中から大きな声が聞こえてきた。ユキさんではない女の人が何か喚いているらしい。俺はその怒鳴り声のせいで体が固くなって動けなくなる。
「……く、クレーマー?」
まずい。ユキさんにそんな乱暴なやつの相手をさせられるか。俺はわざとらしく声を出して、建てつけの悪い戸をがらっと開けた。中にはユキさんと、担任がいた。
「ん?」
「あっ」
担任が、である。
俺のクラスの担任、オーガこと瑞沢が。
目と目が合う。呼吸が止まって一秒。
『キケン! キケン!』
脳内アラームが警戒度レベルマックス発令。ただちにここから退避せよと大本営からの通達。0、1秒で回れ右して駆け出そうとするも、それよりも早く襟首を掴まれて持ち上げられた。
俺はその状態のまま振り向き、相手の視界を奪おうとして目突きを放った。が、右手の指をがっちりキャッチされあまつさえ力を加えられて折られそうになる。
「あああああああいだだだだだだだ!?」
「お前……教師に向かっていきなり目を狙うとは」
「ええええんぐん! しきゅうえんぐんを!」
「私は敵か!」
敵以外の何者でもねえよ!
「凜乃、離しなさい」
「ぬ、姉さん」
いつの間にか、ユキさんがオーガの背後に回っていた。オーガは俺の上司に気圧されたのか、俺を解放してくれた。
「うわああん、ユキさぁん」
俺は急いでユキさんの後ろに隠れる。
「大丈夫ですか、石高さん。あとで看てあげますからね。その前に、ああ、保健所に連絡しないと」
ユキさんがオーガをねめつける。
「……誰が狂犬だ」
「いえ、ゴリラかと」
「誰がだ!」
お前だよクソゴリ。
「え? 姉妹?」
先まで榊原書店で何があったのかという話を聞き終えた俺は、ユキさんとオーガを見比べた。
「私は未だに何かの間違いだと思っています」
「ああ、そうだ。死ぬほど嫌だがな」
……ああ、やっぱ姉妹かな。変なところで息が合っている。
「はあー、なるほど。いやー、世間って狭いですね。それじゃあ僕はここいらでお暇させていただきます」
「待て。お前、届け出なしでアルバイトをしていたらしいな」
うっ、このまま逃げようとしていたのに。
「いかんなあ、いかんぞ。見過ごすわけにはいかんなあ」
ま、まずい。このままではユキさんと一緒の空間が破壊されてしまう。つーかこんなに楽なバイトは他にないんだ。嫌だ、やめたくない!
死ぬほど困っていると、ユキさんが薄っすらとした笑みを浮かべた。
「石高さん」
「な、なんでしょうか」
「私には死に別れた夫がいるのです」
「お!? うぐぅ……」
は? なんすかそれ? なんでそんなカミングアウトするんすか? ショックでゲロ吐きそうになったんスけど? でもユキさんの喪服姿を想像して思ってたより似合っててエロくてちょっと元気になりましたけど?
「いきなりこんなことを言って申し訳ないと思います。ところで石高さん、凜乃はとある人物に片思いしていた時期があったのです」
「は?」
泣きっ面に蜂かよ。今のメンタルポイントでオーガのコイバナとか聞きたくないんですが、それは。
「は、ちょ、姉さん……?」
「その人物とは」
ユキさんはカウンターから、居間の方を指差した。
「私の夫です」
「……ん?」
一瞬、訳が分からなくなった。
「凜乃は私の夫を好いていたんですよ。嫌ですね。そんなところで自分たちは姉妹で、近しい血が流れているのだと気付かされてしまって」
「ね、姉……」
「それから」
「や、やめろ! やめてくれっ」
オーガ、狼狽。
俺はそんなオーガを見て更に狼狽する。
「なんでだ! 何でいきなりそんな話をするんだ! もう済んだことじゃないか!」
「……? 私は石高さんと世間話をしているだけなのですが」
「TPOを考えてくれ!」
それから、ユキさんはオーガの恥ずかしい話をし続けた。オーガが何を言っても金で釣っても宥めても猫なで声を使っても(気持ち悪かった)無駄だった。そうして最後に、
「分かった。すいませんでした。私は今日、ここには来なかったし、何も見ていないし聞いてないし知らなかった」
折れた。つーかとっくに折られてた。
こうして俺はユキさんによって助けられたのだった。
「あの、先生……」
榊原書店からの帰り道。俺は何故かオーガと一緒に歩いていた。なんつーか、ちょっとこう、あまりにも痛めつけられ過ぎて可哀想で放っておけなかったのである。もとを正せば悪いのは俺なのだ。きちんと届けを出してアルバイトをしていれば済む話だった。そうしていれば誰も傷つかずに済んだのである。
「先生? 先生ってば」
オーガは頑なにこっちを見ようとしなかった。……ああ、そうか。ユキさんとの約束で、少なくとも今日一日は俺という存在を無視しているんだな。
俺はオーガの前に回り込み、彼女の足を止めさせた。
「……なんだ。アレか。どうせ明日、姉さんから聞いた話でクラスの笑いものにするつもりなんだろう。そうなんだろう」
「いや、そんなんしませんって」
やさぐれオーガは面倒くさかった。
「あの、ユキさんは俺を庇ってくれましたし、先生も俺のことは知らなかったって約束してくれました」
「ああ、だからもう許してくれ」
「それ、ナシでいいです」
「何?」
自分でももったいねえし馬鹿だなあって分かってる。
「俺、反省文でも停学でもなんでも罰を受けます。さっきは助かってラッキーとか思ってましたけど、でも、他の人に悪いし、なんかずるいなって思ったんで」
オーガはずっとこっちを見ていた。流石に怖かったので目を逸らしてしまった。
「そうか」
ふ、と、オーガは存外、優しい顔で笑った。
「思っていたより、石高はちゃんと考えていたんだな。まあ、あまり気にするな。私も一度口にした言葉を取り下げるつもりはない。今日だけは見逃すと決めたんだから、お前は甘えていればいい」
「いいんですか?」
「今日だけだからな。明日、私の前で届けを書いて提出しろ」
「了解です!」
「……あと、今日姉さんが言ってた話だがな」
「誰にも言いません。俺も、今日は何も聞いてないですし、何も見てないんで」
俺がそう言うと、先生は安堵の息を吐いた。
「全く。お互い、酷い一日だったな」
俺は頷きかけたが、そうでもなかったことに気づいた。
家に帰って部屋に戻ると、めぐがスラップでハッピーな格ゲーをやっていた。この間手に入れた石高家の最新作(二世代くらい前のソフトだが)である。ずっと探していたゲームだが、格ゲーではなく音ゲーのところに突っ込まれていたのを中古のゲーム屋で奇跡的に発見したのである(実話)。実はゲーム自体にも音ゲーの要素が含まれているが。キャラクターはアメコミ調で若干取っつきづらそうに見えるが、コンボは簡単でルートもそこそこ豊富。テンポもよくて普通に楽しいから買って遊んでみて、どうぞ。
「おー、やってるな。どう、なんか発展した?」
「ネットに攻略が載ってないのよね。全然上手くいかないの」
とか言いつつ、めぐは既にトレモで永久コンボを決めていた。
「じゃ、ちょっと対戦しようぜ」
「お兄ちゃん、持ちキャラは決めたの?」
「まだ。……その様子だと、めぐはもう決めたらしいな」
めぐは薄く笑った。ああ、既に『めグラム』(めぐの定めた格ゲーの対戦ダイアグラム)は完成したらしい。
「お兄ちゃん、よわーい」
「…………あ、アルバイト先で膝に矢を受けたんだよ」
「どんなアルバイトをしてるのよ。というか言い訳になってないし」
永パ決めてくる小学生の妹とか要らない! 嘘! 要る! 好き!
「あー、くそ。もう今日は寝る」
「アニメ見なくていいの?」
「録画してる」
「ソーシャルゲームのイベントはいいの?」
「……いい」
「間があった」
翌朝、俺はめぐを見送ってから学校に向かった。自転車を漕いで駐輪場に置き、坂道をえんやこらと上るルーティンワーク。ああ、たまらねえぜ。心が殺されていくようだ。
坂道を五分ほど歩いていると、前方にちっちゃい女子が見えた。いや、さっきから見えていたしじっと見ていたんだけど。
そのチビッ子は制服ではなく、パーカーを装着している。同じ学校の生徒だろうか。何となく気になって見ていると、そいつがちらりとこっちに振り返った。やばい、見ていたのを咎められるかもしれない。俺は目を逸らして、もう一度、視線を前方に向けた。
「ねえ」
「おわあ!?」
ごく普通にびっくりした。いつの間にか、そのちっちゃくて(チェストが)薄い女子が俺の目の前に立っていた。忍者かよ。
「さっきからボクのことを見てたろ。背中越しでも分かるんだよ」
「す、すい……」
謝ろうとしたが、ここで謝ったら本格的に俺が悪者になってしまう。そんな気がした。
「吸いつくような肌をしていらっしゃいますね」
なので謝るのではなく褒めてみた。確かに小さいしその胸は貧しいが、恐らく健康的な運動で日焼けしたであろう肌は美しい。
「……ありがとう」
HENTAI発言だったが、その子も満更ではなさそうだった。押せばいけそう。
「というか、君が俺の前を歩いてんだから嫌でも視界に入っちゃうわけだ。他意はないのであしからず」
女の子はじっと俺を見上げてきた。なんつーか、愛想も表情もないので可愛げがない。
「確かにそうかもしれない。ボクの勘違いだった…………あれ。君、君は、コクダカロクスケじゃないか……?」
「確かにそうかもしれない。いや、俺も有名になったな」
とはいえ俺は動画サイトに顔出しでゲームの実況してるわけでもなし、フェイスブックやツイッター的なもののアイコンはアニメのキャラである。あれ、なんでこいつ俺の名前を知ってんだ。
「そうか。さっきからそうじゃないかと思っていたけど、やっぱり君がコクダカだったわけだね」
「……お、お前は? なぜ俺を知っている……?」
「ボクは宝野遥。君のことは中学の時、陸上の大会で見たんだ」
う。ブラックヒストリーが一気に蘇ってきて吐きそうだ。
「そ、そうか。あの、その辺は俺にとって非常にデリケートなゾーンの問題でさ、出来れば触れられたくないし、触れるにしても死ぬほど優しくしてくれないと」
「そう。陸上はもうやっていないのかい?」
「話聞いてた?」
「やっていないのか……」
女の子は顔にこそ出さないが酷く残念そうだった。もしかしてアレか。中学時代の俺を知ってるってことは、ファンか。ファンってやつなのか。あなたの走りに惚れました的な。マジかよ。バンギャ食っちゃうバンドマンになった気分だ。
「仕方ない。けど、ケリをつけるまたとない機会だ」
「うん?」
「ボクと勝負して欲しい」
勝負?
「え? その、付き合うとかじゃなくて?」
「付き合うって?」
「男と女として」
「……ここには男と男しかいないけど」
は?
俺はもう一度、目の前の人間を観察する。いや、貧乳だけどパッと見は女にしか……。
「ああ」
女の子(九割)は意地悪っぽく笑った。
「じゃあ、確かめてみるかい?」
「やっぱやめにしとこうかな」
「何か言った?」
「…………いや、何でもない」
俺と宝野は、西校舎(だいたいの生徒は特別棟と呼んでいる)四階のトイレの前まで来ていた。理由は簡単。朝のHRが始まる前のここなら滅多に人が来ないからである。一目を避ける理由も簡単。ここで、その、確かめるからだ。宝野遥が男なのか、女なのかを。
常軌を逸している。つーか俺は宝野の冗談かと思った。しかしやつは本気だ。本気で見せようとしている!
俺はここに来るまでで色々なことを考えた。この国の未来について。紛争のなくならない地域について。女優が照れた時に手で顔を仰ぐ動作について。結婚したのか、俺以外のやつとって宣伝してたゲームは今どうなっているのかについて。
そんでもってメリットとデメリットについても。たとえば、たとえばだ。
・宝野が男だった→局部を見せられる。あまり嬉しくない。誰かに見られたらおしまいだ。
・宝野が女だった→局部を見せられる。嬉しいかもしれないが、ちょっと引くかもしれないし誰かに見られたらおしまいだ。
あれ? そんなにメリットなくね? やっぱりやばくね? つーかやべーよ。絶対やばいって。
「なあ、ちょっと……っておぉい!?」
宝野はトイレの中に入っていった。躊躇のねえやつだな。俺は仕方なくやつのあとを追いかける。
「だっ!? ばか!」
「何?」
宝野は既にズボンを下ろしかけていた。
「せめて個室に入ってくれよ!?」
「どうせ誰もいないんだからさ。早く済ませたいんだ」
ええええええ。
「と、とりあえず、ほら」
俺は宝野の手を引いて個室の中に入った。そうして扉を閉めると、ああ、女の子(かも知れないやつ)と密室に二人きりでいるんだなと実感する。
「コクダカはそこに座ってなよ。そっちのが見やすいと思うから」
「え、あ、うん、うん」
促されるまま、俺は便座の上に腰かけた。顔を上げると、目の前には宝野の下半身があった。真理を間近にしたような気分に陥りかける。
俺はたまらず、宝野の顔を見上げた。やつは先まで無表情だったくせに、ここに来て恥ずかしそうな顔をしていた。
「じゃあ、脱ぐから」
ああ、とも、うん、とも言えなかった。
宝野の手が、ズボンに。そうして、ゆっくりと。
「あ」
その時、頭の中で何かが弾けた。
一秒が一分に。一分が一時間に。一時間が気の遠くなるくらいの時間に感じられた。宝野以外には何も見えない。彼(女)が発する音以外には何も聞こえない。研ぎ澄まされた感覚。俺はそれを好ましいと思った。
さあ、示せ。
見せてみろ。
宝野遥! お前の全てを!
「うわー、引くわー」
「い?」
突如、俺たちの上から声が降ってきた。びくりと全身が震える。宝野は下ろしかけたズボンを穿き直して顔を伏せた。俺たちは声の主を確かめることは出来なかった。しかし、特徴のある甘い声には心当たりがあった。
「んー、どったん? 早く続きやればー?」
その声の主は、俺と同じクラスの黒ギャル、丹下院だろう。どうしてここにとは問うまい。いるんだから仕方がない。過程を求めたところで意味はない。
「やらないんならさー、とりま、ドア開けね? ねー、ちょっとお喋りしようよー」
宝野が俺を見た。助けを求めているかのような視線だった。俺は小さく頷き、宝野に扉を開けさせた。
ゆっくりと開かれる扉。そこには、やはりと言うべきか、丹下院がいた。すんげー愉しそうにこっちを見て笑っている。『さーて、どうやって脅そうかなー。こいつらからいくら巻き上げて学校中の笑いものにしてやろうかなー』なんてことを考えているに違いない。
俺と宝野は丹下院が口を開くのを待った。
「やー、石高さー。あんたが一組のテンコーセーと一緒にいるのが珍しくてさー、しかも? なんかー、人気のない方に行っちゃうからさー、ちょっと追っかけて来ちゃったんだよねー」
く、つけられていたのか。
「で? 何してたん?」
俺は宝野にアイコンタクトを送った。
『余計なことを言うな。ここは俺がどうにかして誤魔化すから』
『分かった』
宝野がこくりと頷き、口を開いた。おい、余計なことを言おうとするな。
「ボクが男か女か、コクダカに確かめてもらおうとしていたんだ」
「は? どうやって?」
「もちろん、じかに見てもらって」
丹下院は俺を見た。軽蔑とか、まあ、うん。そういうのが全部詰まったような視線を感じた。
「クッソ変態じゃん!? マジかよ石高、うわー、えー? うわー」
もう言い逃れは出来まい。これで宝野が男なら俺はホモの烙印を押されるだろう。女だったら退学では済まないかもしれない。というかもうこの町にはいられないかもしれない。同窓会とかで『そういえば石高ってやつ覚えてるー?』 みたいに酒の肴にされるんだ。
「あは、どうしよっかなー? ねー、石高くんさー、石高くんはさー、どうしたい?」
俺は覚悟を決めた。毒を食らわば皿までである。
丹下院にばれないよう、俺は便座から少しだけ腰を浮かして、もう一度宝野にアイコンタクトを送った。
『丹下院を捕まえるぞ』
『分かった』
宝野が少しだけ移動し、スペースを作る。
「え? あ、ちょ、何? なん、おい石高てめえ! やめろって!?」
俺は丹下院に突っ込み、両肩を捕まえてぐるりと向きを反転させる。そうして丹下院を便座に座らせた。俺と宝野は即座に位置を交代する。
「てっめ……! マジふざけんなや! 何するつもりだ…………よ…………?」
丹下院の前に宝野が立つ。そう、先まで俺たちがそうしていたような体勢で。
「な、なに……お、お前ら」
「ふ、ふふふははは」
丹下院の顔が青ざめる。
「丹下院。お前には共犯になってもらおうか。というわけで、俺の代わりに宝野が男か女かどうかを確かめてもらう」
「あ? は、はああ!? ヤに決まってんじゃん!? ンだよその変態プレイ!?」
「じゃあここで見たことは黙ってろよな」
「あたしを脅す気かよ! ぜってーヤだし! 無理! お前らぜった……わあああズボンに手ぇかけんな!」
ふ、その宝野というやつに躊躇とかはあんまりないぞ。
「分かった。何にせよお前には口約束とか無意味っぽいな」
「こいつが男だったらどうすんだよ!?」
「お前の目の前にチ○コがぶら下がるかな」
「ゲス過ぎんだろうがあ!」
少女漫画の王子様キャラだってこんなことやったら死刑だろうな。
「こんなんバレたら、その、タダじゃ済まないから! オーガとかに殺されるし、あたしの親にぶっ殺されるよ!」
「それは困るな。宝野、そいつの胸ポケットを調べろ」
「分かった」
宝野は丹下院の胸を触った。こいつマジですげーな。
「あ。何か四角くて固いものがある」
「乳首か?」
「てめえマジで殺す!」
俺だって何の勝算もなくこのような暴挙に出たわけではない。確信があった。さっきは過程を求めることに意味はないと言ったが、違う。違うな。丹下院がトイレに来た理由だ。こいつは俺たちをつけてきたと言ったが、それだけじゃないはず。その理由が、こいつのポケットの中にある。
「あ、タバコだ」
「くっ。くっく、クカカカカ! よくぞ見つけた!」
丹下院は不良である。素行も頭もよくない。いいのはスタイルと顔だけだ。こいつが学校のどこそこでタバコを吸ってた、みたいな話を聞いたことがある。こいつは今朝もこの『男子トイレ』で(タバコを)吸おうとしていたに違いない。
「形勢逆転だな」
「は? それが何? 何にもならないと思うんですけどー!」
「ボケが。俺たちはただ、ここでタバコを吸おうとしていた女子を『そんなことはよくないぞ』って止めただけだろうが」
これでやっと理解したのか、丹下院は少しの間だけ黙り込んだ。
「……は? つか、あたしだって言うし。あんたらが変態っぽいことやろうとしてたって」
「さて。頭は悪いが特に問題行動を起こしたことがない俺と、頭は悪いし素行も悪いお前。教師はどっちを信じるかな」
「てっめ、この! ぜったい! 絶対許さないし! いい加減にしろよてめえ!」
うわ、女子が本気で怒ると結構こええな。でもここで引くのはやばい。
「待て待て。だからさ、お互いもう忘れよう、黙ってようぜ。俺らはタバコのことを言わねえし、お前は、その、さっきのことを」
「シンヨー出来ないんだけど」
「このままどっちも折れなきゃ、マジでどっちもどうしようもなくなるぞ」
俺は丹下院を強く見据えた。彼女はぐぬぬと唸り、焦ったり怒ったり蒼褪めたりコロコロと表情を変えた後、長い溜息を吐き出した。
「……分かった」
「マジだな?」
「分かったって。こんなん、他の子にも言うに言えねーし。つか、もともと言うつもりなかったし。ただ、パシリが二人出来たなーって考えてたくらいで」
ホッとしたような、ふざけんなってキレたくなるような。まあ、いいや。うん。
「よし、宝野、丹下院から離れていいぞ」
「いいの?」
「やり過ぎた感はある。あー、その、俺もそこまで脅かすつもりはなかった。すまん。悪かった。パシリくらいなら使ってくれていいからさ」
「……覚えとけよ」
「おう。あ、返すわ、これ」
丹下院は立ち上がり、俺からタバコの箱をひったくった。そうして、大人しく立ち去っていった。ふう。よかった。ひとまず丸く収まったか。
「何とかなったな」
「そうだね」
「……で。お前って男なのか女なのか。どっちなんだ?」
俺がそう言うと、宝野は疲れた風に息を吐き、諦めたような顔で笑った。
「じゃあ、今度こそ確かめてみなよ」
昼休み。
俺は一人で食堂にいた。……結論から言えば、宝野は男だった。スポーツってのは結果が大事だ。過程も大事だが、結果には及ばない。というわけで、宝野が男か女かをどのように確かめたのかはもう忘れたい。
「ふう……」
今日はやけに疲れた。もうゆっくりしたい。
「あの」
「え?」
声をかけられて顔を上げると、おお、そこには背の高い美人さんがいた。どうしてだか体中に包帯を巻いている痛々しい(色んな意味で)格好の人だけど。
「どうしました?」
言ってから俺は気づいた。その人はお盆を持っている。俺に声をかけた後でも辺りをきょろきょろと見回していることから、ご飯を食べたいのに席がないんだろうと思われた。
「その、すまない。相席、いいだろうか」
相席。
美人さんと。形だけでも一緒にご飯を食べられる。
「もちろんです。俺も一人で食べてたんで」
「そうか、ありがとう。助かった」
「いえいえ。三年生、ですよね」
「うん、そうなんだ。私は小林棗という」
小林先輩か。何だか話し方も佇まいもクールな人だ。
「小林さんですか。俺は石高っていいます」
「ろく高くんか」
「いや、石高です」
先輩は合ってるだろうとでも言わんばかりに小首を傾げた。いや、まあ名前くらい別にいいんだけど。
「そういや小林と言えば和菓子の小林堂ですよね。あ、知ってますか。俺、その近くでアルバイトしてて、たまにその関係でそこのお菓子を……どうしました?」
「い、いや、なんでもない」
その割には椅子からずっこけそうになってたけど。
「ろ、ろく高くんはアルバイトをしているんだな。偉いなあ。その、ちなみにどこで?」
「榊原書店ってとこです」
「そ、そうか。……ああ、そうか」
小林先輩は遠くの方を見つめた。この人、クールそうに見えて意外とリアクションがでかいし、面白い感じがする。折角の機会だし、もうちょっと楽しませてもらおう。
「相席ありがとう」
「え? もう食べ終わったんですか?」
うん、と、小林先輩は何事もなかったように頷く。信じられないが、お皿は綺麗になっていた。嘘だろ。食い盛りのラグビー部だって日替わり定食を完食するのにもうちょっとかかるだろ。
「は、早いですね」
「そうかな?」
ああ、ちょっと残念だ。名残惜しい。
「でも、まだ食べたりない感じがする。ちょっとお代わりしてきてくる。あ。また相席をお願いすると思うけど……」
「も、もちろん大丈夫です!」
「そうか。ありがとう」
その後、小林先輩とはとりとめのない話をして別れた。いや、なんか普通に楽しかったな。




