カカリアウセカイ(平坦恋愛~ノーマルエンド~)
「ろく高くんには将来の夢とか、ないのか?」
「なんつーか、いきなりですね。うーん、でも、今は何も思いつかないです。あ。先輩にご飯作ってあげるのが俺の今の夢ですね」
先輩は俺をじっと見た。俺はその目が苦手と言うよりも嫌いだった。
あの日、あの時、文化祭は終わった。いや、もっと別のものが、俺にとって大事なものが終わった瞬間でもあったのだろう。
俺は小林先輩を選んだ。そのことについて後悔はない。……はずだ。
だって、そうじゃないか。順調なんだ。俺たちは上手くやれている。小林先輩は留年してしまったが、俺と一緒に卒業した。そうして、俺は今、大学受験はせず、小林先輩の実家、和菓子屋の『小林堂』で見習いとしてアルバイトしている。
ゆくゆくは――――なんてことを先輩の親父さんは言っていた。親父さんは厳しい人だが嘘は言わない。何のとりえもないと自分では思っていたが、俺には料理の才能みたいなものがあるらしい。勘がいいとか、そんなことも言われたことがある。
料理を作るのは楽しい。和菓子は難しいが楽しい。先輩に俺の作ったのを食べてもらうのはもっと楽しくて、嬉しい。なあ、そうだろう?
学校を卒業した俺は小林堂の見習いとなった。
俺は頭が悪く、特につてもなかったから、他に道はないとも言える。ああ、そうなんだ。ここで、こうして、人生を終えるのだ。もう誰の背も、影も、何も追わなくてもいい。
……先輩は優しい。一緒にいて楽しい。
「ろく高くん?」
「あ、いえ、なんでもないっすよ」
優しくて、楽しくて、だけど、それだけなのかもしれなかった。
「そ、そうか。あ、あのな」
「なんですか?」
先輩は珍しく、何か言おうとして、しかしそれをいつまで経っても切り出せないでいた。常ならあれが食べたいこれが食べたい、今日はこれを作って欲しい、なんてことを簡単に言ってくるんだけど。
「あの……父さんや母さんと話してたんだ。その、ろく高くんさえよかったら、ど、どうだろうって」
「……? 何をですか?」
「う、うちに来ないか……って」
先輩は俺を見て、すぐに目を伏せた。
うちに来ないか。って、つまり、そういうこと、なのか?
「ろく高くんは長男だから、婿養子みたいなのは嫌がると思うんだけど」
「むこようし」
俺はオウムのように同じ言葉を繰り返す。その時、自分の目の前に何本もの棒が見えた。それは籠だった。いや、檻かもしれなかった。なるほど、そうか。俺はもう逃げられないのか。
「それは、その、結婚ってこと、ですよね」
「そ、そうなる、かな」
俺は顔を伏せた。小林先輩に悟られないように。
恥ずかしかったんじゃない。俺は今、どうしようもない顔になっていることだろう。脳裏を過ぎったのは同年代の男友達。たとえば、そうだ。樋山くんなら何をしている頃だろう。大学に行ってオタク系のサークルで出来た友達と、昨夜見たアニメやこないだ買ったばかりのゲームの話をしているのかもしれない。
怖かった。
結婚することじゃあなく、『ここ』に留まることが。
父さんも母さんもめぐも反対しないだろう。もしかすると既にその気になっているかもしれない。
前々から俺を苛んでいた漠然とした不安。鎌首をもたげていたそれが、遂に実体を伴って俺の前に姿を現したのだ。
小波が生き物のようにうねった。只中にいる俺ではどうにも逆らえない。このまま流されて、弾き飛ばされて、吹き飛ぶ。そんな気さえ起こった。
「いきなりでびっくりしただろう。い、嫌だったら」
「嫌なわけないじゃないですか」
そう。嫌ではない。先輩のことを嫌いではないのだから。
嫌なのは俺の意志がどこにも見えないことだ。石高禄助という一個の生命体が何を考えているのかがまるで分からないことだ。
そも、俺は何に対して不安を抱いているんだ?
しかし答えに辿り着くことは出来ない。辿り着けばよくないことが起きる。それだけは分かっている。
後ろ髪を何者かに引っ張られている。言うな、と。行くな、と。まだ間に合うかもしれないぞ、と。脳内。俺はそいつを見もしないでぶん殴って黙らせた。
敷かれたレールの上を走る。誰かに指示されて動く。結構なことじゃないか。レールや指示するやつが存在するだけマシだ。俺は精いっぱいの笑顔を作って先輩に笑いかけた。
「ありがとう、ろく高くん」
先輩はにっこり笑って俺を見た。俺はその目が苦手と言うよりも嫌いだった。
腹いっぱいで戻しそうだ。
俺は今幸せなのかそうでないのか分からない。小林先輩のことを好きなのかどうかでさえも。俺は俺の意志でここに立っているのかどうかすら。
いい時も悪い時も、金持ちん時も貧乏の時も、病める時も健やかなる時も。共に歩み、他の者に依らず、死が二人を分かつまで、愛を誓い、先輩を想い、彼女のみに添うことを誓えますか、か。
そんなの決まってる。俺は――――。




