シノビヨルセカイ(土日月)
土曜日。俺は駐輪場で優人と樋山くんを待っていた。休みの日とはいえ、部活は普通に行われている。がらがらというわけではなかったが、いつもよりかは空いていた。……休日に学校へ来るのは久しぶりだ。これが補修や部活の練習だったら死にたくなるけど、今日は原先輩と仲良くなれるかもしれないって日なんだ。心が躍る!
「おーす禄助、はえーなーお前」
「石高やる気満々じゃん。昨日までのヘタレっぷりが嘘みたいだね」
この頼もしい友人たちが、何かあってもフォローしてくれると言っている。期待はしないで神に祈ろう。
「あー、原先輩と素敵なことがしたいなー。スチル回収したいなー」
「具体的にはどんなイベントだよ」
「夏だったらにわか雨で透けブラ。今くらいだと、やっぱ神風でパンチラかな。CERO上がっちゃうけど」
「上がらねえよ」
駄目だ。こいつらじゃ駄目だ。青い引き換え券やパニック映画の警察くらい頼りねえ。
校門に着くと、既に何人かの生徒が集まっていた。原先輩は俺に気がつくと、手を振って近づいて来た。
「ナイス脇」
「ああ、ナイスだな」
こんなやつらを呼んだ自分が恨めしい。
「おはようございます、石高くん。そちらの人たちは、確か、この前の……」
優人と樋山くんはよそ行きの笑顔を作った。
「はいっ、2年の寺嶋優人です。先日はご迷惑をおかけして大変申し訳ありませんでした。石高くんとはクラスメートで、ボランティア活動に興味があったので参加させてもらいました」
「僕は樋山です。石高くん、寺嶋くんとはクラスメートなんです。何か学校のお役に立てるんじゃないかと思って参加した次第です。今日はよろしくお願いします」
誰だこいつら。
「石高くんのお友達って、優秀ですねえ。ふふふ、そんな固くならなくても大丈夫ですよ。私は3年生の原里美と言います。今日はこちらこそよろしくお願いしますね」
「よろしくお願いします!」
「最高です!」
先輩の口から『固くなる』とかならないとか、最高です!
その後、サッカー部連中がやってきた。流石に俺に絡んだりはしなかったが、ガンだけは飛ばしてきやがった。野郎。
「それでは、全員が集まったところで清掃箇所を……」
原先輩が掃除場所を発表して、何人かのグループでそこに繰り出していく。俺たち3人は同学年の女子たちと、坂道を少し上った先の住宅街へ向かった。
「最悪だな」と、優人が零した。
「何がだよ」
「原先輩と話せたのは最初だけじゃねえか。先輩、全然違うグループに行っちゃうしよう。くそ、陰キャラと一緒くたにされちまった」
優人は火バサミをカチカチ言わせながら不満を口にする。調子こいてんじゃねえぞクソ野郎と言いたいところだが、なんだか俺も騙されたなあと思っていた。樋山くんはどう思っているのか聞きたいところだが、彼は近くに女子がいると口を噤み、挙動が不審になり、気持ちの悪い貝になってしまうので無視した。
「禄助お前さあ、原先輩にいいように使われてるだけじゃね?」
「よせよ。そんなこと……」
有り得ないと、すぐに言えなかった。今やってんのはボランティアだってのに見返りを求めてしまう。だけどしようがないだろう。俺は聖人君子じゃあないのだから。
「このままバックれちまうか。だってよ、こっちがいい顔したって3次元の女は答えてくれないんだぜ。つーか、押しても引いてもあの原先輩だもんな。何にも起こりゃあしないって」
優人が悪魔的な言葉を投げかけてくる。やめてくれ。俺は、俺は、原先輩を信じる。
「誘ってもらっといてわりいけどよ、ま、テキトーに抜けるわ。テキトーに言い訳しといてくれ。得意だろ」
もはや俺もお前もクズでしかない。
結局、優人はいつの間にかいなくなっていた。俺は肝心なところでヘタレるアビリティ持ちなので、樋山くんと一緒に黙々とゴミを拾い続けていた。ちなみに、同じ班の女子どもはケータイを弄り始めている。皆が皆、友達同士なのかどうか分からないが、輪になってディスプレイを見つめる姿はどこか滑稽で、恐ろしくもあった。
「なんかこええな」
「あ、体力回復したかも」
樋山くんがケータイの画面を指でスッ、スッと動かし始める。……恐らくモバイル的なゲームだろう。彼はお小遣いの何割かをゲームに課金しているらしい。フン、クズだな。おい、クズのことを樋山くんって呼ぶなよ! 呼んでいいのは俺と優人だけだ!
「お、石高。新しいアイドルが追加されるらしいぞ」
「マジかよ!」
やったぜブラザー! 俺はケータイをチェックした。課金? クズの所業さ。ああ、俺は大丈夫。俺は無(理をしない程度の)課金者だから。ダイジョウブ。ダイジョウブダカラダイジョウブ。
「全くよう、ゲームのデータに金を落とすなんてありえないよな」
「ああ、もし入れ込んでるゲームがサービス終了したら手元には何も残らないんだぜ。ホント、ヤのつく商売だよな」
ちなみに、俺は去年の夏休みに大打撃を食らった。とあるケータイゲームのイベントで、俺はランキング上位に食い込んでいたのだが(しかも一人ギルド)、単に過疎っているだけだった。呆気なくサービスは停止した。アホほど課金したのに。死にたくなった。しかもその当時に荒れていた俺を見かねたのだろう、妹は1週間近く口をきいてくれなかった。これが一番つらかった。だもんで、サービス終了の文字列は今でもトラウマである。更新情報を見るのが嫌になる時だってある。しかし中毒性は半端ない。
「ひひひ、あああ、脳がとろけそうだぜ」
「この思考を停止させられてる感がたまんないよな」
その時、坂の下から優人が走ってくるのが見えたが、せっかく回復した体力を放置するのはもったいないので俺はゲームを続行した。
「大変だぞ禄助っ。って、いつまでそんなもんやってんだ!」
「何が大変なんだよ。俺はプロデューサー業で忙しい。つーかお前な、サボりはよくねえよ、うん」
「……お前、サッカー部に死ぬほど叩かれてんぞ」
叩くとは言うも、実際に暴力を振るわれているわけではない。つまるところ、俺がディスられているのだ。
「あることないこと……いや、殆どあることばっかりだったけど、その話を原先輩が真に受けてる」
「な、なにぃ……! あの話か? それともあっちの話? いや、まさか、授業中樋山くんにめちゃくちゃ電話かけた時のアレかっ。樋山くんのケータイの待ち受けを褐色肌の幼女がやたら粘ついた牛乳を浴びている画像に変えた時の話も捨てがたいな」
「お前かよ石高! 全部お前かよ! アレなあ、友達にバレてすごい目で見られたんだからな!」
くそっ、非道だぞサッカー部。
「そんな話、止めろよ親友!」
「ぼくにはとてもできない」
急に無理矢理やらされた小学生の読書感想文みたいなことを言いやがって!
「しかもはらせんぱいがこっちにきているよ、ろくすけくん」
咄嗟にケータイを制服の内ポケットに隠したが、もう遅い。そんな気がした。
原先輩は怒っていた。彼女の後ろには獅童くんがいる。野郎、原先輩(と言うより瑞沢たち教師陣)に逆らうのを恐れて、ごま擦って取り入ろうって作戦に切り替えたわけか。見下げ果てたクズだな! ここにはクズしかいないのか! 誰ぞ塩を撒けい!
「……石高くん。見損ないました。君は、いい人だと思っていたのに」
「先輩。待ってください。あなたは誤解しているんです」
どうでもいいけど、こういう時の誤解ってアニメなりゲームなり何でもいいけどさ、解けたことないよね。
「先ほど、サッカー部の人たちから色々な話を聞きました。もちろん、私だって彼らの言葉を鵜呑みにするつもりはありません。ですが、火のないところに煙は立たないとも言います。全てが真実でないのなら、全てが嘘でもないのでしょう」
獅童くんはにやにやとした笑いを浮かべていた。ざまあみろとでも言いたげだった。
「この……」
いったい、原先輩はどんな話を真実だと思ったのだろう。しかし、俺には余裕があった。何故なら、俺に痛手を与えるであろう話は、サッカー部連中は何も知らないのだ。本当にやばいことは表ざたになっていないし、優人たち親しい間柄の人しか知らないし、そもそもまだ隠し通せているはずだ。まあ、何が飛び出て来たって作り話だし、好きに裏を取ってもらって構わない。何せ証拠なんざ何もないのだ。
「変態っ」
「ええ!?」
「うわっ、いいなあ石高」
いきなりご褒美を食らった。しかし、俺は樋山くんのようにあちら側の業界人ではない。つーか変態って。2次元のキャラクターからならまだしも、実際に浴びせられるときつい言葉であった。
「石高くんはとんでもない人だったんですね。こ、この人を……」
先輩は獅童くんを指差す。俺はごくりと唾を呑んだ。原先輩はふるふると指を震わせて、きっとした目つきでこっちを見た。雪のような肌に赤みが差している。
「と、とても、人前では言えないようなあだ名を付けて辱めるなんて!」
「そっちかよ!」
よりにもよってその話を間に受けちゃったのかよ! しかもそれ、真実だよ! 最悪だ。紛れもなく名付け親は俺だった。おまけに優人や樋山くんまで頷いて同意している。逃げ場はどこにもなかった。とりあえず言うだけ言ってみよう。
「ち、違うんです。俺は辱めるつもりなんて、と言うより、その話はたぶんえらくねじ曲がって伝わっていると思うんです」
「どっちなんですか。本当に、あなたが……?」
原先輩はじっと俺を見据える。その視線に耐えられなかった。
「事実です(震えた声で)」俺は胸を張って答えた。もはやどうでもいい。原先輩はかーっとなっているに違いない。
「ひゃひゃひゃ、石高、そっちが悪いんだぜ。つーかな、俺もこれくらいしないと先輩にしばかれるんだ。悪いな」
獅童くんは全然申し訳なさそうじゃなかった。絶対楽しんでやがる。
「ふざけんなっ。お前なあ、そんなアホな話を原先輩にしてんじゃねえよ」
「お、おい、やめろってー」
ちょっと脅かしてやるつもりで前に出て、獅童くんの胸ぐらを掴もうとした。だが、彼は俺が触るか触らないかのタイミングで、独りでに後ろへ下がり、スッ転んだ。さも、突き飛ばされたかのような所作であった。
「きゃあああああああああああああああああああああ! ちょっと何してんのこの人ォォォォォォォォ!?」
「あの人倒れてるんですけどォォォォォ!?」
俺にとっては運の悪いことに、今の光景を休み時間に教室の隅っこの方で少年向けの週刊漫画を回し読みして仲間内で悦に浸っているタイプの陰キャラの女子が目撃して、山頂あたりに住んでいて麓の村では守り神として崇拝されている鳥のような金切り声を上げた。獅童くんは喚きながらその場に転がった。
「ふっ、ふざけんなよカウパ……いや、獅童くん! 俺は何もしてねえだろうがっ。自分で勝手に痛がってんじゃねえよ! ち、違います原先輩、こいつ、サッカー部だから痛がる振りが上手いんですよ」
「ぐおおおおお、レッド、今のレッドカード!」
「何がレッドだボケが!」
助けを求めるつもりで優人と樋山くんに視線を遣ったが、2人は少し離れた場所でゴミ拾いをしていた。ここまでくると清々しい。俺の友達らしさ全開で嬉しくもある。もしも俺がガンスリンガーだったら得物を使わずにその辺の石ころを使って撲殺しているところだ。
「いい加減にしてくれよっ」
「うわああああああいってええええ、いてええよおおおお」
「猿芝居もいい加減に……!」
「石高くん」
俺の前に原先輩が進み出た。彼女は表情を完全になくしていた。まるでマネキンみたいだと思った。次の瞬間、ぱん、と、乾いた音が響く。その少し後で、頬っぺたが熱くなっているのに気付いた。
「手を出してしまったのは、すみません。私のことを学校に言ってもらって構いません。どんな処罰だって受けるつもりです。けれど、酷過ぎます。言い訳をして、嘘をついて、非を認めないで謝らず、あげく、暴力を振るって…………最低です」
原先輩が背を向ける。獅童くんも流石に冷静になったのだろう。転がるのを止めて、茫然とした様子で彼女を見上げた。
「今日の活動はこのくらいにしておきましょう。皆さん、お疲れ様でした。校門にクーラーボックスを置いてあります。先生方からの差し入れがありますので、受け取ってください」
「あー、石高羨ましいなあ」
樋山くんの呟きが風に乗って聞こえてくる。俺がガンスリンガーだったら、とっくに自分のこめかみを撃ち抜いているところだった。
「まあ、あんまり気を落とすなって。いい女は他にいるさ」
「本当かよ」
「……どっか、違う世界にはいるんじゃねえのかな」
「なあ、俺が自殺したら原先輩はどう思うかな。死ぬまで俺のことを覚えていてくれるかな」
俺は冷えた缶ジュースを頬に押し当てていた。とっくに温くなったそれを飲みたいとは思わなかった。
「怖いこと言うなよ。思考がおかしくなってるぞ。なあ。だ、大丈夫だって禄助。先輩とも仲直り出来るさ。樋山くんもそう思うよな?」
「うん? ああ、うん。思う思う」
「おい、こういう時くらい慰めてやれって。いつまでスマホ弄ってんだよ」
「だってさ、自業自得じゃない? 実際、原先輩が信じ込んだカウパー話はマジなんだし。そりゃ、可哀想っつーか、色々と重なっちゃった感はあるけどね」
「案外ドライだな」
死にたい。死にたいよう。どうしてこんなことになったんだろう。……自業自得か。正にその通りだな。
「明日から学校に行きたくない……」
「大丈夫だ禄助。明日は日曜日だから元から学校ないぞ」
「じゃあ明後日から」
「お前、実は結構余裕だろ」
ペダルを漕ぐのすら辛かった。行きはよいよい帰りは……ってか。ボランティア活動は早めに切り上げられたけど、今日はもう何もする気が起きなかった。家に帰ったところで親は仕事だし、めぐも友達の家へ遊びに行っているらしかった。
「イエイェーッッ!」
無駄にシャウトしたが寂し過ぎる。気を紛らわそうとして音楽をかけるも、耳に入ってこない。目を瞑れば、原先輩の無表情な顔しか浮かばない。何を考えても思っても、最終的には彼女のところへ行きついてしまう。
「くそっ、くそうあの女ぁ……俺を辱めやがってえ……」
可愛さ余って憎さ100倍。だってさ、別にあんなところであんな風に言い出さなくてもよかったじゃねえか。皆の見てる前でこき下ろされるし叩かれるし、来週からいい笑い者だ。晒し者だ。絶対陰から後ろ指さされ組だ。つーかあだ名が先走りくらいで何をあんなに怒ってんだよカマトトぶってんじゃねえぞ。キレる場面じゃねえだろ。いつキレるの? 今でしょってそんな話があるか死に晒せ。サッカー部なんかの話を真に受けやがって馬鹿じゃねえの? ああああクソクソクソ! ムカつく。美人だからって何をやっても許されると思ってんだ、あいつ! くそう!
「畜生やっぱりすげえいい女なんだよなあ!」
結局、俺は原先輩を腹の底からは嫌いになれない。ただ容姿が整っているからって理由じゃない。あの人とは少ししか話せなかったし、知り合って間もないけれど、それでも、いい人なんだって分かった。くだらない話だったのに、今でも原先輩との会話を覚えている。一緒にいると楽しかった。馬鹿みたいに心臓が跳ねた。
だけどもう、ないんだろうな。と言うよりも、知っていた。俺は、あの人が俺をどう思っているのか分かっていた。原先輩はきっと、俺を異性としてではなく、近所のガキンチョと同じ感覚で接していたのだろう。石高禄助という人間は、原里美という人間にとって、そういう対象ではなかった。だから優しかった。だから普通に話せた。今俺が抱えている気持ちは失恋というやつなのだろうか。胸にぽっかりと穴が空いたような、
「オゲエエエエエッ、まずい、と、トイレ……」
気分が落ち込み過ぎて吐き気がしてきた。
気づくと、体をゆさゆさと揺すられている感覚で目が覚めた。部屋の明かりは点いているが、外は暗くなっている。どうやら、俺はあまりのショックで気絶してしまったらしい。何やってんだろ俺。死にたくなる。
「お兄ちゃん。もう、いつまで寝ているの。夕ご飯、冷めてしまうわよ」
「うう、め、めぐか。う、うううう」
「唸ってないで、起きてちょうだい。折角お父さんとお母さんが帰ってきているのに。……泣いているの?」
咄嗟に目を擦ったが、たぶん、赤く腫れているはずだ。あくびのし過ぎだと誤魔化したが、めぐはすぐに嘘を見破った。
「もしかして、誰かにいじめられたの?」
めぐの目がきゅっと細められる。
「本当にそうなら学校に言った方がいいと思うわ」
「心配してくれてありがとう。けど、ちょっと違うんだ」
俺は迷った。妹に、今日の出来事をすべて話すのはどうかと思ったのである。俺は兄だ。そして男だ。めぐに相談するような女々しい真似はいかがなものだろうか。いかにめぐが大人びていて生物的には女なのだとしても高校生の、こう、思春期の機微を理解出来るとは思えない。
「実は……」
なので、俺は上手いことボカして話してみることにした。話を聞き終えためぐは、最初に一言だけ告げた。
「馬鹿ね、その人」
「うぐ」
「あら、どうしてお兄ちゃんがそんな顔をするのかしら。その先輩とやらに嫌われてしまったのはお兄ちゃんではなくて、お兄ちゃんのお友達なんでしょう?」
全て見透かされている。
「ど、どうして馬鹿だと思うんだ?」
「だって、先輩に謝ったらよかったって話じゃない。その先輩だって、お兄ちゃんのお友達にそうして欲しかったと思うわ。悪いことをしたら謝る。誰だって知っているはずよ。けれど、歳を取れば余計なものを抱え込んでしまうのね。プライドとか、見栄とか、体裁とか。そういうものを気にして、当たり前のことを当たり前のようには出来なくなってしまうと思うの。そうね。『お兄ちゃん』のお友達には身から出た錆、という言葉を贈っておくわ」
弾丸のような速度で論破された。もう嫌だこの妹。
「でも、出来ることならお兄ちゃんのお友達には謝らないでいて欲しいわ」
「なんで?」
「だって、その先輩と仲直りしてしまったら、お兄ちゃんを盗られてしまうような気がするもの」
「……俺じゃなくて、俺の友達な」
「ああ、そうだったわね」
めぐは微笑んだ。俺、シスコンでいいや。
日曜日。
俺はベッドから動かなかった。動けなかったと言った方が正しいかもしれない。昼飯は食べなかったが、晩飯はしこたま平らげた。美味かった。
明日、俺はどうなってしまうのだろう。何せ、あの原先輩を怒らせて嫌われてしまったのだ。とんでもない笑い者にされて、クラスどころか学校全体から無視されてもおかしくはない。あの人の信奉者みたいな人に殺されたって不思議じゃあない。
「……今のうちに転校のやり方でもググっておこう」
そうなったらそうなったらで新しい出会いがあるかもしれないな。新生活に乾杯だ。
月曜日。
俺はいつもより遅い時間にリビングに顔を出した。めぐはこうなることを予想していたのだろう。おはようと言って、食パンを焼いてくれた。しかも手ずからジャムを塗ってくれた。至れり尽くせりである。
「めぐは将来、いい奥さんになるな」
「ありがと。でも、私はお兄ちゃんが結婚するまではうちにいるつもりよ」
俺を待っていたんじゃ、一生『石高』の姓を名乗り続けることになるぞ。
「……弁当まで用意してくれたのか。悪いな、めぐ」
「あら、私に謝るくらいなら、先輩に謝った方がいいんじゃないかしら」
「それもそうか。ああ、そうだよな」
謝る、か。果たして、そんな機会は与えられるのだろうか。原先輩は、もうまともに話してくれないような気がする。ノコノコと顔を出したら、もっぺんしばかれるかもしれない。あの時は痛さよりも驚きのが勝っていたが、案外、いい張り手であった。いや、変な意味じゃない。思ってたより痛かったという意味である。だから、今度はもしかしたら往復ビンタされるかもしれない。……何往復されるかなあ。
「まあ、頑張るよ」
「ええ、頑張って」
頑張るとは言ったが、何をどう具体的に頑張ればいいんだろう。というか頑張ったって仕方なくね? 努力が実を結ぶなんてスポ根な話、現実にはありえねえって。
「ちーす。おう禄助、ちゃんと来たな」
「まあな」と、俺は優人に返した。
優人は、教室を見回してから、気楽そうな顔で笑った。
「なんか思ってたよりも大丈夫そうだよな。俺はもっと、お前が腫れ物扱いされんのかと思ってたから」
「そうなったら優人、お前も俺から距離を置けよ。一緒くたにされても困るだろ」
「は? なんで? んなことする必要ねえだろ」
「そっか。ありがとな」
ぬっと、キモオタが顔を見せる。と思ったら樋山くんだった。
「俺は距離を置くけどね」
「別にいいよ。でもさ、俺たちと距離を置いたら樋山くんは誰と友達になんの?」
俺がそう尋ねると、樋山くんは考え込んでから死にそうな顔になった。
「ひたすらツイッターでオンライン上の友達とやり取りするよ」
「お前をフォローしてんの、それ全部botだから」
「違うよ!」
……思ってたより、何もないな。サッカー部だっていつもと同じだ。俺にちょっかいかけようともしない。助かるっちゃ助かるが、はて、なんでだろう。
それから1週間、俺はいつもと同じ日常を過ごした。いいことも悪いことも起こらず、穏やかに過ごした。
ただ、優人はまだ俺がへこんでいると思ったのだろう。リア充グループに頼んで、俺を遊びに連れ出した。気乗りしなかったが、女の子がいたので話は違った。めちゃめちゃ楽しかった。仲良くなった子とはアドレスを交換し、学校外でもちょくちょく連絡を取るようになった。アレだよね。これだよね。こういうのが青春だよね。まあ樋山くんは俺たちのことを時たまものすごい目で見ることが増えたけど。