カクセイスルセカイ(そしてクズになる)
「はーい、二名様ごあんなーい! 中は怖いからねー、泣きそうになったらギブアップって言ってねー。お化けさんが出口まで連れてってくれるからねー」
受付の、三年生の女子がめぐの頭をなでなでした。俺もして欲しい。ナデナデシテー。
「そんじゃ行くか」
俺はめぐに手を差し伸べたが、可愛げのない妹は俺の手を見て鼻で笑った。
……お化け屋敷は三年生の教室を二つも使った、大きめのそれであった。さすがに教室の壁をぶち抜くってのは無理だったらしく、三年一組と二組の間の廊下の半分が暗幕で覆われている。入ってみなきゃ分からないが、この暗幕もお化け屋敷の一部となっているんだろう。
俺はお化けとか、幽霊とか、そういったものを信じていない。何となく怖いなってのはあるが、これはお化け屋敷だ。生徒の作ったもので、子供騙しである。
しかし無性に嫌な予感がする。立ち止まっているとめぐに視線だけで早く来るようにと促された。
頼りなげなペンライトを持たされて入り口を潜ると、もう一つカーテンのドアがあった。想像はしていたが、やはり中は暗い。窓には暗幕や、黒く塗った何か(恐らく段ボールだろう)やゴミ袋らしきものが貼りつけられていて外からは一筋の光も入ってこない。天井も妙に低い気がする。もしかして、上も何かで覆っているんだろうか。
「めぐ、あんまし先に進むなよ」
ライトを点けてめぐの顔を確認すると、まあ、いつも通りの表情をしていらっしゃった。
ライトで先の道も確認してみる。天井は、俺が屈まなきゃいけないくらいに低い。トンネルみたいな構造にでもなってるんだろうか。
「じゃ、俺が先に行くから」
「はいはい」
「曲がり角が多いな……」
「お化け屋敷だからじゃない? 先が見えたら怖くないから」
ああ、なるほど。
「道が狭いのも、おどろおどろしいBGMも怖がらせるための仕掛けね」
「おわっ、なんか下が柔らかい?」
「通路に布団でも敷いているんじゃない? 足元が不安定だと心も不安定になりそうだから」
「ん? 何かこの壁に穴があるな。ははーん、読めたぞ。この穴から……」
「あ、たぶん反対側から何か出てくるわよ」
「わーっ!? 冷たい!? 何かされた!?」
「……お兄ちゃんって、すごくいいお客さんよね」
叫んだり喚いたりしながら進んでいると、隙間が見えた。覗き込んでくださいと言わんばかりである。
「うっ」
姿勢を低くして覗いてみる。最初に見えたのは人間の足だ。靴は履いていない。靴下だけってのはポイントが高かったりするんだが、残念ながら裸足だった。その足の先っちょには血が付いている。
ははーん。血糊だな。で、この足はマネキンのだな。
俺に倣ってめぐも隙間からマネキンを覗く。
「どうだめぐ、あいつ動きそうか?」
「どうかしら。……あ、ちょっと動いた」
「ははーん、はっはーん、やっぱりな」
「それよりお兄ちゃん。お兄ちゃんが先に行くと私が楽しめないんだけれど」
えー。俺はめぐを守ってやろうと思ってたんだけどな。
「一人で全部引っかかってわーわーうるさいから」
「……面目ない」
というわけで、俺はめぐにライトを持たせて場所を交代した。
「それじゃあ行きましょうか」
「ほいほい、行きましょう」
めぐがひょこひょこ進む。俺はその後を追おうとして、
「――――ッッ!!!???」
冷たい感触に身震いする。心臓が飛び出るかと思った。マジでびっくりした時って声が出なくなるもんなんだな。
なんてことを考えながら、俺の首筋に触れたものの正体を確かめようとした。だが、口を『手』で塞がれてしまう。これでは声が出せない。めぐに助けを求められない。
「んー、んーっ!?」
め、めぐーっ! めぐー! 先に行かないで! お兄ちゃんやばい!
「お静かに。声を出すと本気で襲います」
ひっ!?
……ん? 手? 俺は今、誰かに捕まっているのか? ちょっとー、お化け役積極的過ぎるんじゃねえの。まあ、人間だってことが分かってよかった。何だよもう、オシッコちびりそうになったじゃねえか。
「静かになりましたね。さ、それではこちらに」
俺はされるがままずるずると通路を引きずられる。ここはどこだ。お化け屋敷、というか教室の中ってことに間違いないだろうが、不安で死にそうだ。
「いいですね。今から大きな声を出した瞬間、私はあなたを襲います」
耳元で囁かれる。脳髄が痺れそうだった。そんで、その声には聞き覚えがあった。
「は、原先輩ですね」
「……いいえ。私はお化けです」
「絶対原先輩じゃないすか」
くそう、まさか原先輩のクラスがお化け屋敷をしていたとは。もっと調べるべきだった。
「妹が来てるんです。勘弁してください」
「妹さんが? ……ああ、では、私たちがこうしているところを見られると」
「困るんです。分かりますよね」
「見られると、『あ、この二人は付き合って、好き合っているんだな』と思われるわけですね」
ああっ、ポジティブシンキング!
「というかですね石高くん。私のことが嫌いですか?」
そう言われると困るというかなんつーか。
「決して嫌いというわけでは……」
「では好きなんですね」
「もちろん」
はあ、と、耳元で溜め息を吐かれる。ぞくりとした。
「他に好きな人がいるんですか?」
他に、好きな人。
その言葉を聞いて、俺の頭はメディアクリエイト部のメンバーを思い浮かべた。だけど、特定の誰かってのは思い浮かばない。
「いないんですね。だったら私でもいいはずじゃないですか。拒む理由があるんですか?」
柔らかな感触。耳から入って脳みそを痺れさせる声。俺は今までどうして原先輩を拒んでいたんだろう。この真っ暗闇の中ではその答えは見つかりそうになかった。
「お。俺は」
「ろく高くん! いないのか!?」
ちっ、と、原先輩が舌打ちする。
今の声は、小林先輩、なのか?
「出てこい原。私にはこのお化け屋敷を無茶苦茶に壊すという覚悟があるぞ」
「あの小林さんがそこまでする覚悟……仕方ありませんね。ここはいったん引いておきましょう。では石高くん、お化け屋敷の続きを楽しんでいってくださいね」
すう、と、原先輩の気配が薄まる。どこに行った。何をしたんだ。お化けよりも怖いんだけど。
何だかさんざんというか淫靡な目に遭った。
出口では三年の女子に囲まれているめぐがいた。どうやらお菓子を与えられているらしい。無駄だ。その子に餌付けはあんまり通じない。
「あ、お兄ちゃん遅い。どこ行ってたの?」
「どこって……あ、まぶし」
光が目に痛い。
ふらつきかけると、横から誰かに支えられた。
「……ろく高くん、お疲れ」
「あ、どうもです」
小林先輩がこっちを心配そうにして覗き込んでくれている。
「ああ、これをあげる。お化け屋敷をゴールした人に渡しているんだ」
和菓子をもらった。お、これは小林堂の饅頭じゃないか。
「さっきも助けてもらって、ありがとうございます」
「いや、いい。今日はお祭りだからな。原も、いつもより馬鹿になっているだけなんだ。許してやって欲しい」
「え、ええ、まあ」
……小林先輩って、何だかんだで俺たちより年上で、大人なんだよなあ。優しいし、皆のことを意外と見てる。他の人たちがアレだから、すげー落ち着くし。
「ん? どうしたんだろく高くん?」
「や、そろそろ一人でも立てますんで」
皆が見てるんで。見られてるんで。
「そうか」と、小林先輩は俺から離れた。彼女が名残惜しそうにしていたのは、俺の妄想、はたまた激しい思い込みだろうか。
「さっきの小林さんって人も、お兄ちゃんと同じ部活の人なの?」
「ああ、先輩だ」
卒業式を迎える前に成人式を迎えたという逸材なんだ。ってのは黙っておこう。
「めぐ。お腹空かないか?」
「そうね、少し減ったかも」
よし、じゃあどっかで食べよう。ちょっと疲れたから、屋台で何か買ってそこらで食うより、椅子のある場所でゆっくり食べたい。
めぐも俺の意を汲んでくれたのか、比較的近い場所にある、中華のお店がいいと言ってくれた。
「中華か。えーと、家庭科室でやってるみたいだな」
「この時間だから混雑しているはずだけど、仕方ないわね」
「こういうのは待つのも醍醐味なんだよ」
てぽてぽと二人して歩き、特別教室棟へ。そこも人は多かったが、目的地の家庭科室の前は、そんなに混んでいなかった。変だな。昼時だし、こういう店は人気がありそうなもんなのに。
店構えは悪くない。すごく頑張ってる感がある。家庭科室の扉は開け放たれて、正門にあったアーチのような、何かを模した真っ赤な門が。門の両脇には柱があり、東洋の龍が巻きついている。雰囲気あるなー。……非常に嫌な予感がする。やっぱりここは止めた方がいいんじゃないか。
「空いてるなんてラッキーね」
「あっ、ちょ」
そんなことを考えていたら、めぐが中に入ってしまった。
「いらっしゃ~い。って、お? あれー、だっくんじゃん? 何~そっちのちっちゃい子。だっくんの彼女? あ、そっか。だ~から私らやりのちゃんに靡かなかったんだね」
「俺の妹ですよ!」
「まー、だろうねー」
やっぱりというか、東山先輩がここにいるってことは。
「……お菓子クラブなのに、中華料理やってるんですか? お菓子すらまともに作れないのに?」
俺は家庭科室を見回した。……家庭科室である。外観はそれっぽいのに、中はほとんど変わっていない。ただの家庭科室である。
東山先輩は俺とめぐの視線に気づいたのか、にへらと笑った。
「やー、外の龍とかは頑張ったんだけどさー、そこで力尽きちゃって。お客さんも全然来やしないの。楽出来るからいんだけどねー」
「あはは、そうですか。じゃあ帰ります」
めぐの手を引いて背を向ける。急いでここから立ち去ろうとしたが、東山先輩は俺の制服をがっちりと掴んで離さなかった。
「お腹減ってるからうちに来たんじゃないの? さすがに私らもヒマヒマだからさー、ちょっと食べてみなよー」
「うっ、お菓子クラブ特有の押しの強さ……!」
「はい二名様ごあんなーい」
俺たちは強引に、適当な椅子に座らされた。
「ほい、これがメニューね」
薄っぺらい紙切れを一枚渡される。ざっと目を通してみると、まあ、確かに中華っぽい料理名が並んでいる。並んでいるが。
「東山先輩。これ、誰が作るんですか?」
「私じゃないよー?」
「お兄ちゃん、大丈夫なの?」
大丈夫かそうでないかと言われれば、俺は大丈夫ではないと答えるしかない。
「あ。へーきへーき大丈夫だって。今日はね、特別顧問が来てるからさ」
お菓子クラブに特別顧問?
「りのちゃんのお姉さん」
先生のおね……あ、ユキさんか。え? ユキさん来てんの? やったぜ。あとで会わせてもらおう。
「あ、じゃあ俺はこの日替わりセットで。めぐはどうする?」
めぐは死ぬほど悩んでいたが(悩んでいたのはメニューではなく、ここで何かを食べることについてだろう)、俺と同じものを注文した。
「あいよー、日替わり二つねー」
東山先輩は俺たちと同じテーブルに座り、携帯電話を操作し始めた。あの、注文は。
「あー、今メール打ったからさー、もうちょいしたら来ると思うよ」
Q。どうして接客する店員も客と同じテーブルに座っているのですか?
A。東山先輩だから仕方ない。
「せめてチャイナドレスでも着ててくれればよかったのに」
「やー、さっきまで着てたんだけどさー、胸がきつくてやっぱりやめたー」
そんな! って、あ! 痛いっ、めぐさん足を踏まないで!
東山先輩のガバガバな接客を受けていると準備室の扉が開いた。
「あ、ああ……!?」
そこから、チャイナさんが姿を見せた。
ざっくりスリットの入ったそこから、眩しい太もも(俺はさ、ふとももを『太腿』って全部漢字で読ますよりも、全部ひらがなで『ふともも』ってよりも『太もも』ってバランスのが一番だと思うんだよね。硬過ぎず、かと言って柔らか過ぎずみたいな)が。
料理を乗せた盆を持ち、顔を真っ赤にしてチャイナドレスを着てこっちに近づいてくるその姿はまごうことなき瑞沢先生。
「お待たせしました」
先生は何食わぬ顔を装って、テーブルの上に料理を置いていく。恥ずかしいならそんなの着なきゃよかったのに。
「やー、りのちゃんもまだ全然イケてるよねー」
グラスを持つ手が震えている。先生は烏龍茶がなみなみ入ったそれを零さないようにするのに必死っぽかった。
「似合ってますよ、先生」
「う、そ、そうか。……ん、そっちの子は、石高の妹か?」
先生がめぐを見る。我が妹は会釈をした。
「石高愛、小学二年生です。担任の先生ですか? 兄がいつもお世話になっています」
「……本当に石高の妹なのか?」
どういう意味だ。
「まあ、ゆっくりしていってくれ。どうせ他に客もいないしな」
「いいんですか? 先生が廊下で客引きしたら、ガッと押し寄せてきそうなのに」
「嫌だ。見世物みたいじゃないか」
「もったいない」
俺は烏龍茶を一口飲み、勢いよく手を上げた。
「シェフを呼んでください」
「何……?」
「というかユキさんに会わせてください」
先生は俺をじろりと見下ろして、駄目だと首を振る。何故なのか。
「姉さんは確かにいる。しかし部外者だ。易々とのさばらせるわけには」
「あら石高さん、いらっしゃってくだすったんですね。そちらの、お味の方はどうですか。中華はあまり自信がないのですけれど」
「あ、ユキさん」
「呼ばれた気がしたので来ました」
いつの間にか、ユキさんが先生の後ろから顔を覗かせていた。残念ながらチャイナ服ではなく、割烹姿である。いつものエプロンも素敵だが、ユキさんにはやはり和のものが似合うような気がするので俺も大満足さ。
「表に出るなと言ったろう!」
先生が怒鳴り散らすも、ユキさんは溜め息を一つ吐くだけで動じていない。
「朝から急に人を呼びつけておいて、料理をしろと閉じ込めて、挙句勝手に出てくるな、ですか。恥を知りなさい、凜乃」
「うるさいな」
「いい歳してそんな恰好をして……マジで恥を知りなさい、凜乃」
「うるさいなあ!」
姉妹喧嘩をよそに、俺とめぐは普通に飯を食べ始める。
「だっくんだっくん、ちょっとそのマーボ分けて」
「嫌ですよ」
料理を食べ終わり、俺は満足感に包まれてお腹を撫でた。
「お兄ちゃん。そういうの、お父さんみたいよ」
「……え? あ、うーん。気ぃつけるわ」
しかし美味しかった。流石はユキさんである。結婚するなら料理の上手い人がいい。
「というわけでユキさん。俺はユキさんみたいな人と結婚したいですね」
「あら。どうせなら私みたいな人ではなく、私としましょう」
ユキさんはにっこりと微笑む。大人の余裕って感じだ。
「馬鹿な。馬鹿なこと言うな、姉さん。石高もだ」
対して先生はいつも余裕がない感じである。
「冗談なのに」
「冗談でもだ。時に、姉さんは本気にすることがあるからな。……ほら、ご飯を食べ終わったら早く行くんだ」
「えー。もうちょい先生のチャイナドレス見てたいなー」
先生は俯いて拳を震わせ始めた。
「あ。だっくん、やばいよ。りのちゃんそろそろ限界っぽいから」
「い? マジすか」
「マジマジ」
俺とめぐは東山先輩に背中を押されて家庭科室から追い出された。ああ、もうちょい。あともうちょい太ももとか見たいのに。
家庭科室を出た後、俺とめぐは体育館へと向かった。ちょうど、軽音楽部の演奏が終わった後らしい。ぞろぞろと人が出てくる出てくる。パンフレットで演目を確認すると、この後は演劇が行われるみたいだ。
「題目は『ロミオとジュリエット~新訳~』か。めぐ、どうする?」
「面白そうじゃない。どんな風にあの話を解釈しているのか、すごく興味があるわ」
どんなことに興味を持ってんだ。
「ところで、この演劇は二年生がやるのね。お兄ちゃんの友達が出るんじゃない?」
「二年? ……あー、宝野のクラスか」
ということは宝野も何らかの役で出るんだろうか。ただ、あいつはそのことについて触れなかったな。大方、裏方だろう。あいつチビだし。宝野が出てきたら出てきたで、後で弄ってやろう。
ともあれ、俺たちはなるべく前の方の空いている席を探して、そこに座った。開演までもうしばらく。体育館は薄暗いからちょっと眠たくなってきたけど。
ぼけーっと演劇が始まるのを待っていると、今日はまだ待木に会ってないことに気づいた。ただ、このタイミングで連絡するのも遅い気がするし、もうじき俺たちは屋上で集まることになる。話をするのはその時でいいだろう。
「あ、始まるみたいよ」
「おっ、そうか」
壇上に貴族みたいな格好をした男子生徒が現れた。どうやら彼が司会進行役らしい。めぐはわくわくしているが、俺はロミオとジュリエットの話を良く知らない。だから正直どうでもいい。さっき、めぐにだいたいのストーリーは教えてもらったが。……ロミオもジュリエットも死んじまって、そいつらの周囲の人間もあらかた死んじまって、どうしようもなく悲しくて、アホみたいな話だった。
悲恋というやつだ。バッドエンドってのも嫌いじゃないが、今の俺たちが生きてる世界にはそぐわない。携帯電話だってあるんだからすれ違いだってそうそう起こらない。現実的じゃない。ファンタジーだ。他人事なんだ。
ああ、そうか。
他人事だから、面白いのか。
劇が始まった。
話の流れは元ネタと変わらない。しまった。どうせならめぐにネタバレ聞くんじゃなかった。退屈極まりない。というかめぐも眠そうだし。
「くあ……」
あくびを噛み殺すことすらしようと思わない。せめて宝野が出てりゃあネタにでもなるんだけど、やっぱり普通に裏方だったみたいだな。
劇は結局、大した山場もなく、めぐが期待していたような大胆なアレンジもなく、原典をなぞるような形で終わった。
演劇が終わった後も、俺とめぐはその場に残り続けた。
気づけば、文化祭は終わりに近づいている。ある意味、最後の演目として文化祭を終わらせるのが俺たちメディアクリエイト部なわけだ。
「外、暗いな」
「ん、そうね」
まだ雨は降っていない。曇り空のまま。どうなるか分からないが、屋上に行かなきゃならない。さて、どうするか。
「あのさ、めぐ」
「……あ、お父さんから連絡が来てた。こっちに向かってるんだって」
「ああ、それじゃあ、父さんが来たら俺は行くから」
「んー」
めぐはいよいよおねむらしい。朝早く起きてたみたいだし、ここら辺が限界だろう。父さんにめぐを託して、俺は屋上へ行こう。
一人になって、階段を一歩ずつ上る。一段上るごとに文化祭の終わりが近づいてくる。
屋上まではあと少し。もう、俺以外の皆は集まっていることだろう。
階段を上り切り、扉に手をかける。なぜだろうか。扉はいつもよりも重く感じられた。金属の軋む音を聞きながら、地面を叩く雨音を知る。
「あ……」
俺は耳を塞ぎたくなった。目を瞑りたくなった。それでも堪えて、皆の元へ歩き出す。
雨だ。
雨が降っている。ならば、俺たちのツリーは。
「どうしますか、センパイ」
待木が言った。
俺は答えなかった。
見かねた原先輩が今の時刻を確認して、告げる。
「……閉祭式まで間がありません。風は強くなってきていますが、ツリーを立たせるなら、今しか」
作り物のクリスマスツリーは雨に濡れている。ライトアップ、出来るだろうか。感電とか、そういうの、平気だろうか。
「やるだけやるしかないですよ」
俺はそう言って、ツリーに近づこうとした。でも、待木が俺の肩を掴んで止めた。
「違いますよ。元生徒会長も、何を誤魔化したことを言ってるんですか」
「え?」
訳が分からない。今はツリーの話をしているんじゃないか。俺は不思議に思って皆を見回す。どうしてだか、皆は目を合わせてくれなかった。
「待木。意味が分からねえぞ」
ふう。
聞こえよがしな溜め息を放つと、待木はつかつかと歩いて俺の前に立ち、ビンタを繰り出した。スナップの利いた、すげえ痛いやつだった。ビンタを喰らったのは俺だ。……何でだ。どうしてだよ。
「今のは私の八つ当たりです。やり返すのならどうぞ、ご自由に」
言葉が出なかった。
意味が分からなかった。
何だよ。何でだよ。俺はただ、皆より屋上に来るのが遅かっただけだ。それだけで、どうしてこんな空気になってんだよ。どうして叩かれなきゃいけないんだ。
「どうしますかと聞いたのはツリーのことではありません。センパイが誰を選ぶかってことなんです」
「はあっ? いや、誰って……」
「分かってますよね」
俺は何も言えなかった。けれど分かっていた。だけど、こんな時に、こんな状況で言われるなんて思ってなかった。でも、もしかして、俺がいない間に、そのことで揉めてたのか?
……ああ、そうだ。
俺は先延ばしにして逃げていた。こんな状況、長くは続かないだろうって踏んでた。気づいていたんだ。爆弾ばっかだったってことに。導火線にはとうに火が点いていて、爆発したのがたった今だったって話なんだ。
「どうして、今なんだよ」
「さあ。分かりません。でも、皆さんスイッチが入ったみたいで。止まりませんでした。だからセンパイ、今選んでください」
選ぶ。
選ぶ?
俺が? 何を?
「センパイは、誰が好きなんですか?」
待木は……いや、皆が俺に問いかけていた。
運命ってのは、人生ってのは残酷だ。突然、訳も分からねえ時に、予想も出来ない角度からとんでもないものがやってくる。
今日は楽しい文化祭だったはずなのに、修羅場に巻き込まれた。でも、その原因を作ったのは俺なんだろう。いや、俺がその原因そのものなんだろう。
俺は…………思う。
今、俺は何なんだ、と。
分からない。分からないから教えて欲しい。助けて欲しい。なあ。誰か。
「俺は」
雨の勢いが強くなる。
「俺は……」
もう逃げられない。もう駄目なんだ。先延ばしには出来ない。ここで口を開き、言葉を紡ぐのが正しいかどうかは分からない。だけど、今の俺にはそれしか許されていないのが分かる。
ぐるぐると。
ぐらぐらと。
目が回って足元がおぼつかない。
「――――が、好きだ」
それでも。俺は。言った。




