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カクセイスルセカイ(夏休みの方程式)

「反省しました。もうしません。許してください」

 翌日。原先輩が二年の教室までやってきて、俺に向かって頭を下げた。何が起こったのか誰にも分からず、ただ、皆ざわついている。

「……え? えーと、あの……」

「私が浮かれ過ぎていたようです。小林さんにもちゃんと謝って許してもらいました。お願いです。どうか、私を捨てないでください」

「は!?」

 ふざけんなとか、何様のつもりだてめえとか聞こえてくる。

 とにかく誤解を招くような言い方はやめてもらいたい。

「先輩。先輩と俺は別に何でもないんですから。捨てるとか、そういうのは」

「ひっ、酷い! 酷いです石高くん、わーん!」

 原先輩は顔を両手で覆って泣く真似をする。ちらちらと指の隙間から俺の様子を窺っているのがバレバレでいい加減にしろよこいつ。

「人聞き悪いですから余計なことは言わないでください。あと、宝野とかなんとか院ってやつにも謝っておいてくださいね」

「もちろんです。あっ、そう言えば丹下院さんもここのクラスでしたね」

 原先輩は教室をキョロキョロと見回す。丹下院は遅刻ギリギリで教室に入ってくることが多いが、今日に限ってはドンピシャのタイミングでやってきた。

 先輩はにこやかな笑顔を作り、丹下院に近づいていく。俺はその様子を自分の席から眺めていた。

「おはようございます、丹下院さん。早速ですが」

「あ? はあ、なんすか」

「足を舐めれば許していただけますか?」

「は?」

「足だけでは満足出来ないんですか?」

 丹下院は先輩を無視して俺の方にずがずかと歩いてやってくる。そうして、彼女は俺の机を軽く蹴っ飛ばした。

「ウッザ。なんかもう意味わかんないし。どうせあんたがつまんないこと言ったんでしょ」

「いや、どう考えてもあの人がナチュラルに」

「あたしをムカつかせたりすんのなんかねえ、あんた以外にいないんだよバーカ!」

 ひでえ言い草だ。

「あのー、足を舐めさせてもらってもよろしいでしょうか?」

「うわ! 丁寧にヘンタイっぽいこと言うな! 嫌に決まってんじゃん!」

 原先輩が音もなく忍び寄ってきていた。気が強そうに見えるが、部員の中では誰よりもヘタレな丹下院が先輩から距離を取る。っておい。俺の後ろに回るな。

「では、どうすれば許してもらえるのでしょうか」

「えー、許すとかそんなんどうでも…………あ、ちょい待って。会長ってもしかして頭いい?」

「はい。丹下院さんよりは間違いなく」

「そんな余計なこと言わなくていいって。そんじゃ、テス勉教えてよ? したら許したげてもいーけど?」

 勉強? 珍しいっつーかありえない。丹下院の口からそんな言葉が漏れるとは。

「テスト勉強を教えればいいんですね?」

「そそそ」と、丹下院は歯を見せて笑った。

「放課後とかさー、部室使えばいーじゃんね。なー、石高?」

「勝手にしたらいいんじゃねえの? 生徒会長と一緒に勉強してるってんなら誰も文句言わねえだろうし」

 すると、丹下院の顔つきがは明らかに不機嫌そうなものになる。阿修羅怒りの面状態になった彼女は唾を吐き捨てそうな勢いで舌打ちした。

「いや、あんたもに決まってんじゃん。ついでに宝野とかも呼べばいーし」

「何が狙いだ。お前が好き好んで勉強なんてありえん」

「オーガにめっちゃキレられてんだよ。顧問やってるからって一々うぜーんだよな。つーわけで赤点取ったら親呼ぶとか言うからさー」

 そういや、丹下院って結構お嬢様なんだよな。こんなアホみたいな娘を持って親も不幸だろうと言うか、お前らのせいだろってやつだ。

「俺も瑞沢せんせーに赤点取るなって脅されてた気がする。じゃあ、原先輩、やっぱ俺も勉強見てもらっていいですか?」

「もちろんです! ちなみに私の得意な教科はですね、ほけ」

「保健体育とか言ったら軽蔑しますからね」

「保健体育が得意です!」

 俺は原先輩のことを軽蔑した。



 放課後になり、俺たちは部室へと向かった。既に部屋の中には原と小林先輩がいて、

「お? 珍しいな」

 待木まで顔を出しているようだった。

 これでウルトラメディアクリエイト部リアルバウトの部員が全員揃ったことになる。

「どうしたよ待木。家でテスト勉強するんじゃあなかったのか」

 俺がそう言うと、待木は面倒くさそうに教科書から顔を上げた。

「だって私だけ除け者になるのって、すごく嫌じゃないですか。まあ、センパイには分からないでしょうけどね。何せアホほど鈍いですから。と、そんなことよりどこが分からないんですか。お勉強をお教えして差し上げますよ」

「失礼な。後輩に教わるほどアホじゃねえよ」

 俺は待木の対面のソファにどっかり腰を下ろす。すると、原先輩が机の上にあるものを押し流してノートと教科書を並べだした。

「さあ、遊び道具は片づけてテスト勉強をしましょう。やるからには手を抜けませんからね。これも生徒会長の務めなんです」

 俺は何気なく原先輩のノートを手に取ってぱらぱらとめくった。何だかんだで頭のいい人だからな。どんな風にノートを取ってるんだろう。


『石高くんとの幸せな家族計画(以下、地上波では流せないような言葉が続く)』


「待木。やっぱりお前が教えてくれ」

「ええっ!? 嘘ですよね石高くん!?」

 よくもまあクソみたいなノートを俺の目の前に置いてくれたな。

「……えー、センパイ。本当に私でいいんですか?」

 宝野も丹下院も頭はよくないと言うか馬鹿の部類に入る。小林先輩は自分のことで手一杯みたいだし(二年生の教科書を読んでいるのは何かの間違いだろうか)、原とかいう人に教えてもらうくらいなら一人でやった方が幾らかマシだ。

「赤点出す部員がいたら部長は困るだろ」

「いいですけど、プライドはないんですか?」

「いまさらお前にかっこつけたってなあ」

「はっは、ですね」

 お前が笑うなよ。



 テスト期間中、俺たち部員はユキさんのところでお世話になったり、瑞沢に『部室で何を遊んでるんだ』と怒られそうにもなったが、泣き落としでどうにか切り抜けた。

 本番のテストも待木に教えてもらったところと丹下院の張ったヤマが当たり、俺の通知表に赤い数字が並ぶことはなかった。



「おああああっ」

 というわけで終業式も終わって夏休みである。しかし、まあ、特にやることはない。部活だってわざわざ休みにやらないだろうし、俺は去年と大して変わらないことをするだろう。即ちアニメとゲームである。

「ああああああああっ」

「うるせえんだよお前は」

 部室に向かっている途中、丹下院はくるくると丸めた通知表を廊下に叩き付けたり自分の頭に打ちつけたりして吠えまくっていた。

 隣にいる宝野は丹下院のことを哀れむような目で見ている。

「リューコにはいいところが一つもないんだね」

「そんなことないぞ。おっぱいが柔らかい。お前にはないものだ、宝野」

「ごおおおおおおおおおっ」



 部室にはお菓子を頬張っている小林先輩と、その姿をニタニタと見つめる待木がいた。

「おや先輩方、今日は来ないものかと思っていました」

「いやー、だって夏休みはここに来ないだろ? 次にお前らに会うのは一か月後の二学期だし、散々面倒くさいことに巻き込まれたけど名残惜しいっちゃあ名残惜しいからな」

 全くのウソだったがそれっぽいことを言うだけ言ってみた。

「はあ、そうなんですか。でもセンパイ。夏休みもウルトラメディアクリエイト部は活動しますよ」

「……冗談だよな」

「いいえ! だって私は嘘と冗談を言えない素直な性格だもん」

「今こいつ『だもん』とか言ったよな?」

 待木はソファの上に立ち上がり、こほんと咳払いする。

「部員が全員集まったところで、夏休みをどのように過ごすのかを発表しましょうか」

 俺は部室の中を見回した。

「原先輩がいないんだけど」

「いますよ」と、待木は俺の背後を指差す。俺の影になるかのように、原先輩がそこにいた。びっくりし過ぎて悲鳴を上げることすら出来なかった。

「なっ、何やってんですか」

 原先輩は絵に描いたようにしょんぼりした顔で三角座りを始める。

「石高くんに迷惑をかけてしまうので、なるべく目立たないように、口を開かないようにしていました」

「いったいいつから? ボクにも分からなかったよ」

「終業式が終わってすぐから、でしょうか」

 えっ?

 先輩、にっこりと微笑む。

「流石にトイレにはついていけませんでした。どうするか、めちゃくちゃ迷いましたけど、私にも女としての誇りがありますからね」

「もうそんなもんねーよ」

 いいやもうこの人は。気にし過ぎたらこっちの胃とかが先にやられる。俺は待木を見遣り、話の続きを促した。

 待木はこくりと頷き、胸を張った。ぼよんって揺れた。

「特になし! 以上です!」

「オッケーっ、解散しよ!」

 丹下院だけが拍手をする。彼女は鞄を持って部屋から出ようとした。その時、扉が開いて瑞沢が顔を覗かせる。

「うわああああああああああああっ!?」

 丹下院が悲鳴を上げてスッ転んだ。瑞沢はちょっとだけ哀しそうな顔をしていた。

「……私が何をしたと言うんだ」

「まあまあ。そこのヘタレは地上最強のチキンハートなんでしようがないっすよ。で、何の用っすかね」

 瑞沢は待木の顔を見遣り、それから、原先輩を見つめた。とても優しい目で。

「原、まだ伝えていないのか?」

 原先輩は小首を傾げる。マジで何も分かってないって感じだった。

「私物だ。この部室は他の部活動の者と共有すると言ったろう。お前らは高価なものを置いているみたいだからな。盗みを働く者がいるとは思いたくないが、トラブルの種になるものは各自持ち帰っておくように。今後も持って来るんじゃあないぞ」

 俺たちは顔を見合わせる。それから、原先輩を見つめた。とても厳しい目で。

「いや、どうしろってんですか……?」

 珍しく待木が狼狽えている。私物の量で言えば彼女がナンバーワンなのだ。こんなもん今日一日で持って帰られるはずがない。

「ダンベル……」

「はあー? つーかカイチョー言うの遅くない? そんなん前もって言っといてよー。ありえんしー、マジで。はあーっ、ダル」

「……私なんか冷蔵庫だぞ」

 全員の批難の目が原先輩にいく。しかし彼女は全く狼狽えるようなそぶりを見せなかった。

「いや、こんなに持ってくる方が悪いんじゃあないですか。部室を自分たちのロッカーとして使っている方に問題があると思います」

 しかもこっちが論破された。

「しゃあねえ。待木、お前こんなもんどうやって持ってきたんだ? 持ってきたんなら持って帰るのも出来るだろ」

「毎日コツコツ持ってきてたんですよ。流石に急過ぎましたからね、ヘリも呼べやしません」

「急じゃなかったらヘリを呼べるのか……?」

 本気なのか待木宵。

「坂道を何往復もするのは骨が折れるだろうな。じゃあな」

「はっ!? せ、センパイ!?」

 俺は帰り支度を始めた。待木は服の裾を掴み、ぐいぐいと俺の背中におっぱいを押しつけてくる。

「残念だったな。俺はこの部屋に私物を殆ど持ち込んでいない。お前を手伝う理由もない」

「私は部長なんですけど!」

「うるせえ」

「くっ、待木流奥義『アテテンノヨ』も通用しないくらいに面倒くさがっている……!」

 待木は頭を抱えた。他の連中は各々の私物を片づけ始めている。

「はっ、妙案!」

 待木は何か閃いたのか、山賊みたいな笑い声を上げた。

「ど、どうした待木」

「こんなもの盗まれたって構わないんですよ! なくなったらまた買えばいいんですから! 時は金なり! タイムイズマネー! 私にはこんなくそ面倒なことをする体力はありませんが、金なら腐るほどありますからね」

 はっ、と、作業をしていた全員が動きを止める。

「こんなもの盗む物好きはいなさそうだね」宝野はダンベルを床に置いた。

「パクったやつ見つけてぶちのめせばいいし」丹下院は化粧品を棚に戻した。

「……どうせ古いやつだし」小林先輩はパンを食べ始めた。

 今度は瑞沢が頭を抱える。

「おいっ、私が顧問なんだぞ。何かあったら私の責任問題になる。というかだな、この部屋は他のやつも使うんだ。きっちり体裁というものを整えてだな」

 さっきからだんまりを決め込んでいた原先輩が低く唸った。

「じゃあ、この部室は私たちだけで使うことにしましょう」

「なっ、何だと!?」

 瑞沢せんせーが原先輩に詰め寄る。

「そんなことが許されるものかっ。他の連中が可哀想だろう! だいたい、部室の共有化だの、活動していない文科系の同好会を解体するだのと言いだしたのはお前たち生徒会だったじゃないか!」

「だって石高くんが困っているじゃあないですか。ですから、そんなもの全部反故にしてしまえばいいんです」

「えええええ……?」

 瑞沢がその場でふらつき、くるくると回った。

 やばいな。えげつない人が権力を持つとこんなことに発展してしまうのか。

 だが、


「ヒャホー! さっすが原せんぱーい!」

「カイチョーもたまにはいいこと言うじゃん。超見直した」

「……原、お前もまともなことを言うんだな」


 まともじゃないやつらからの受けは異常に良かった。

「し、しかしだな、そんなものが通るはずが」

「部室や活動場所の定まっていない文科系の部活動には他の場所を割り当てます。場合によってはこっちで廃部にします。要は、ここを使うのが我々図画工作部であればいいんです。……こ、これでいいんですよね、石高くん?」

「石高ァ!」

「俺のせいにしないでくださいよ!」



 結局、夏休み中に私物は片づけるということと、原先輩のアホみたいな提案は、いったん棚上げにするということで話は収まった。

 俺たちは瑞沢の狂乱じみた説教から(後に待木は『カーリーみたいなキレ具合でしたね』と語った)蜘蛛の子を散らすように逃げ出すことに成功した。

「久しぶりにミズサワの本気を見たよ」

「俺もだ。死ぬかと思った」

 俺と宝野は二人で坂道を下っていた。他のまともじゃない人たちのことは知らない。

「しかも夏休みどうするか決まってねーし」

 また待木の思い付きで呼び出されたりするんだろうか。出来る限り無視しよう。

「ロクスケはどこにも出かけないのかい?」

「うーん。出ても駅前くらいじゃねーのかな。だって海行ったら溺れるかもしれないし、山行ったら遭難するかもしれないだろ。休載しまくりの漫画家が新連載に手を出すくらいなフラグ立てるんだったら、家にいるのが一番安全で安心出来る」

「ボクと一緒に汗を流そうよ。朝から走ろう」

「えー? やだよ。普通にやだよ」

「ん、そっか」

 おや、今日の宝野はしつこくない。おまけにめっちゃ凹んでいるみたいだ。……そういやこいつって転校生だったっけ。俺を追っかける為にわざわざ渡米したんだよな。友達どころか知り合いなんかもいないんだろうな、きっと。そんなやつが夏休みなんて長い間、一人で耐えられるだろうか。

「朝からジョギングってのは、まあ、ちょっと嫌だ。けど、普通に遊ぶくらいなら全然いいじゃん」

「え? ボクと?」

「そうだよ。つーか、男って俺とお前だけだし」

 あの部室は女が力を持ち過ぎている。何かあれば俺と宝野は部屋の隅でがたがた震えるくらいしか出来ないのだ。

「男同士もうちょい仲良くしようぜ」

「ろ、ロクスケ……ボク、ボク……!」

「おう?」

「好きだっ」

「あぶな!」

 宝野が抱き着いてこようとしたので、躱しながら裏拳を腹に見舞っておく。

「……ひどい」

「いや、もうちょいって言っただろ。人としてのラインを簡単に飛び越えようとするんじゃねえ」

「いいじゃないかハグくらい。欧米じゃあ当たり前のことなんだよ?」

 なんか意味深つーか、それ以外に含まれてる気がして嫌なんだよ。

「まあ、ボクも君と遊びたかったからね。じゃあ、いつにする?」

「今日だな。駅前に行こうぜ、いつも樋山くんとかと一緒に行ってるんだよ」

「あっ、じゃあ二人乗りで行こうよ。ボク、歩きだからさ」

「いや、二人乗りは危険だから駄目だ。お前は並走しろ」

「自転車を押していくって選択肢はないんだね」



 並走しろとは言ったし、宝野なら実際それくらいはやれるんだろうが、流石に可哀想だったので、俺たちは自転車を押して、時間をかけて駅前に到着した。とはいえ、まだ昼を回ったくらいだ。ビバ終業式。たった今から夏休み。

 だが、と、俺は宝野を見遣る。普通なら漫画でも買ってファミレスでだらだらしながら時間を潰して、ゲーセンで遊んで適当に冷やかしして帰るんだけど。こいつってそういうことに興味なさそうなんだよなあ。

「ああ、もしかしてボクのことを気にしてくれているのかい。いいんだよ、いつもと同じでロクスケで。ボクは、いつも通りの君と遊びたいんだから」

「あー、そうか? じゃ、とりあえずメイトにでも」



「あれー? 新刊出てると思ったんだけどな?」

「ないの? なんてタイトル?」

「『キミボーイ』ってやつ」

「ふーん。……あっ、あったよ!」

「でかした!」



「あれっ? やばい! コンティニューしたいのに百円玉がない」

「どうしたの?」

「もう少しでギャル○パニック全クリ出来そうなんだよ! でも、あと八秒しかない!」

「任せて、ボクが両替してきてあげるよ」

「すまねえ!」



「いやー、さっきは助かったぜ」

「いいよあれくらいは。ところでロクスケ、君の食べてるドリア、美味しそうだね」

「ああ、じゃあちょっとやるよ」

「ん、はむ……んっ、は」

「おい、無駄にスプーンをねぶるな」



「あっ、ボクこれ知ってる。こないだ一緒に見たアニメの人形だ」

「作り込んでるだろー。この服の皺とケツの食い込みがたまんねえんだよ」

「HENTAIのショギョーだね」



 気づいたらもう日が暮れかけていた。案外、宝野も楽しそうにしてくれてよかったよかった。でも、なんか付き合わせちまった感があるな。

「なあ宝野。アレだ。あのな、たまにだったら、朝、一緒に走るのも悪くねえかなって……」

「本当? 無理しなくていいんだよ?」

 おっ、そうか。じゃあやっぱりやめておこう。

「でも嬉しいよ。君と一緒に走れるなんて。ああ、夢みたいだ」

「…………そうか。じゃあ、うん。走ろうな、今度な」



 終業式の終わった翌日。夏休み。ド朝。石高家にチャイムが鳴った。俺はそんなアホ無視して布団の中でもぞもぞしていると、

「禄助、禄助っ! 起きて起きて! ほら、お友達が来てるから!」

「……はあー?」

 こんな朝早くに来る友達なんか知らないし要らない。俺は母さんを無視していたが、布団を引っぺがされてベッドから床に足で転がされた。ここまで来たなら仕方ない。

 寝間着のままで部屋を出て一階に降りる。三和土のところにちっちゃいやつが座り込んでいるのが見えた。そいつは俺に気が付くと、さわやかな笑みを浮かべて言った。

「おはよう! さ、行こう!」

「絶交だ」

「そうだね。今日は走るには絶好の天気だ。着替えておいでよ。それじゃあちゃんと走れないと思うから」

 宝野である。俺の頭の中の提督がファイエルと叫んでいる。正直、これが樋山くんだったら指の骨を一本ずつぺきぺき折っていたところだが、

「どうしたの?」

「……ちょっと待っててくれ」

 まあ、宝野だったら仕方ない。



 宝野とのジョギング(二十キロぐらい走らされた気がする)から家に戻ってくると、何故かくっついてきた彼を見た母さんが、朝飯を食べていったらどうかと提案しやがった。

「宝野。日本にはな、遠慮と言う言葉があってだな」

「いただきます!」

「はいどうぞ、ゆっくりしていってね」

「宝野くん、君ねえ!」

「やっぱり朝はパンだよね!」

 あっ。今気づいたんだけど、こいつ、明日から毎日来るんだろうな。



 宝野は昼前に帰っていった。俺はもう駄目だ。折角の休みだってのにくたくただ。とりあえずHPを回復させるために二度寝しよう。

 そう思って布団に包まって目を瞑る。するとケータイが鳴った。まるで俺が眠ろうとするのを遮り、あざ笑うかのような悪魔のタイミングである。原先輩だったらまずいと思って、一応確認だけはしておく。


『着信:宝野』


 今となっては原先輩に等しく面倒くさいやつからの連絡だ。どれくらいめんどいかって、全然当人らとは関係ないのに『浮気して苦しいのは○○の方なんだよ』ってでしゃばってくるアホ女並だ。

 俺は寝るから連絡するなとメールだけしておこう。

 ああ、眠たい。だんだん、眠く、なって……が、ま……。



「んん……」

 寝返りを打つと、顔に柔らかくて温かいものが当たった。なんだこれ。肉まんか。

 寝ぼけ眼を擦ってみると、すぐそこに宝野の顔があった。彼は規則的な寝息を立てていてぐっすりお休みの様子である。どうやら、俺が触れたのはこいつのほっぺただったらしい。

 俺は寝返りを打って、ここが自分の部屋だと確認した。ほーん、なるほど。ここは俺の部屋で、宝野は俺のベッドで俺と一緒にお昼寝してたって訳だ。

 大方、母さんが勝手に宝野を俺の部屋まで上げちまったんだろう。とりあえずこいつを起こそう。

 無言で宝野の鼻を摘まむ。時間が経つにつれ、彼は苦しそうに眉根を寄せて、口をパクパクと開けて空気を取り入れようとしている。宝野は遂に四肢をばたつかせ始めた。俺はこいつの鼻から指を離し、ベッドから降りた。

「××××!? ×××! はっ、はあっ!? あ、ああ、なんだ。ロクスケの部屋か。宇宙かと思った」

「デブリに当たって砕けて欲しいとは思っているけど、ここは宇宙じゃないんだなこれが」

「そっか。おはようロクスケ。よく眠れた?」

 誰かが布団に潜り込むのも分からないくらいにぐっすりとな。

「朝一緒に走ってやったじゃん。なんでまた来るんだよ」

「ノルマみたいに言わないで欲しいな。朝一緒にいたんだから、その後も一緒にいたっていいじゃないか」

 ふざけんな。俺はその場に座り込む。

「もう嫌だぞ。走るのも跳ねるのもな」

「違うよ。それはまた明日」明日もかよ。

「今は一緒に夏休みの宿題をやろうと思って」

 そういや、部屋の端っこに見慣れないリュックがあったっけ。宝野が持ってきたやつだったのか。

「いいけどさ、お前に教えられるほど頭良くないぞ俺」

「いいんだよ。一緒にこういうことをやりたいってだけなんだから」

 宝野は自分のリュックに駆け寄り、教材やドリルを取り出して、にっこりと微笑んだ。めっちゃ嬉しそうだった。

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