カクセイスルセカイ(いま会いにゆきますからそこを動かないでくださいね!)
期末テスト一週間前になって、部活動は全面的に禁止となった。俺はともかく待木は部活動以外では優秀な真面目野郎なので、今頃はテスト勉強に勤しんでいることだろう。他の皆は勉強しているんだろうか。
俺は特に気にしない。テスト一週間前になって勉強したところで無駄なものは無駄なのだ。今まで通り家に帰ってゲームしたりゲーセンに行ってゲームしたりするつもり満々である。
『石高。赤点取ったらどうなるか分かっているよな』
そのつもりだったが、瑞沢に釘を刺されてしまった。
職員室で説教喰らった帰り道、昇降口で靴を履き替えていると、
「あ、どうも、こんにちはです」
「…………ああ」
原先輩とエンカウントした。
何だか先輩の顔を見るのは久しぶりな気がする。しかし、どうしたことか。彼女のテンションは非常に低かった。覇気がないと言うか、笑顔にも陰りがある。勉強のし過ぎで疲れているのだろうか。アンニュイな先輩も相変わらず美人だが。
「お疲れみたいですね。やっぱ、生徒会ってこの時期も色々と忙しいんですか」
「……え? ええ、まあ、そうですね」
先輩は心ここにあらずって感じだ。けど、ずっとこっちを見ている。何だったら睨まれているぐらいの勢いだ。美人の鋭い眼差しってたまらないものがあるな。
「あの、先輩?」
「石高くん。石高くん。石高くんは、私のことが嫌いなんですか?」
は?
「嫌いなわけないじゃないですか!」
「本当、ですか? よかった。それじゃあ、あの……どうして、どうして――――」
先輩は笑った。
「――――どうして、私を無視していたんですか?」
満面の笑みでそんなことを言われてしまう。ぞっとした。
「む、無視だなんて」
「部活のっ!」
先輩は下駄箱をグーで叩く。木製のそれが、みしりと軋みを上げた。俺も、近くにいた生徒も驚いて飛び上がりそうになる。
「部活のこと、報告してくれなかったじゃあないですか」
あ。
そういや忘れてた。というか先輩、めっちゃ怒ってる。もしや疲れてるとかじゃなくて、ひたすら俺に腹立ててたのか? まずい。さっさと話を切り上げて逃げよう。
「瑞沢先生に伝えてたので、そっちから、その、話がいったんじゃないかなって、思いまして」
「私は石高くんの口から直接聞きたかったんです。顔を見て、ちゃんとどうなったのかを聞きたかったんです。石高くんの声が聞きたくて、顔が見たかったんです。だから、生徒会室に来てくれないし、私に会いに来てくれないから、嫌われてしまったのではないかと思って夜も満足に眠ることが出来ませんでした。あなたはいつだって私の方を見てはくれませんでしたね。私はずっと、石高くんを見て、気にしていたのに」
早口でまくし立てられる。何を言っているのか殆ど分からなかった。
「……すみませんでした。廃部を免れて、浮かれてて、つい」
「今、謝るまでに間がありましたよね。その間、何を考えていたんですか。面倒くさいやつだなあとか、そんなことを思いませんでしたか」
「めっそうもないです」
「よかった」
あれ? なんか、原先輩ってこんなに面倒な人だったっけ?
「じゃあ、私を無視していた訳ではないんですね。私を嫌っているって訳じゃないんですね」
近い。先輩はずいと詰め寄って、俺の手を両手で取った。彼女の体温が低いのか、握られた手は冷たくて、爬虫類を連想してしまい、怖かった。
「もちろんです」
「じゃあ、私のことを愛してくれているんですよね?」
「は?」
「違うんですか?」
「いや、あの……いってえ!? ちょっと何するんすか!?」
さっきの『違うんですか』のところで、おもっくそ手を握られた。俺は相手が原先輩と言うことも忘れて、突き飛ばす勢いで手を振り解いて距離を取る。
ちくしょうめちゃくちゃ痛い。この人の握力ハンパねえ。あんなに細くて白いのにどっから力湧いてんだ? 頭沸いて脳みそのリミッターでも狂ってんのかもしかして。
「あ、ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。あの、石高くんに対する思いが強過ぎて、つい、力が。でも、その分だけ、私が石高くんのことを思っているんだって分かってくれますよね」
しかもポジティブ!
「何をすっ飛ばしたこと言ってんすか、先輩」
「石高くんも私のことを好きだと言ってくれたじゃあありませんか」
確かに言ったが程度が違うんですよ。
「ちょ、ちょっとガチ過ぎやしませんか……?」
「あれ? じゃあ、石高くんは冗談で私に好きって言ってたんですか?」
「冗談ではなかったんですけど、いや、まさか先輩が本気にするとは……え。っていうか本気なんですか? 本気で俺のことを好きなんですか?」
「やっ、そんな意地の悪い! そんな恥ずかしいこと言えないですよ。さあ、石高くん。結ばれましょう」
先輩は腰を低く落とす。何をするつもりだとは問わなかった。
「怖い!」
俺は背を向けて駆け出す。運動靴に履き替えていて助かったぜ。
「なっ、石高くん待ってください! 待って!」
意味が分からなかった。どうして、何故、俺は原先輩から逃げているんだ。本当なら彼女を受け入れて付き合ってハッピーエンドってやつになるはずなのに。
でも、逃げねばならない。今は天国から地獄に突き落とされた気分だ。
通学路。坂道を必死になって走って下る。後ろからは原先輩の声が聞こえてくる。距離は空いているらしいが、中々撒けない。
「クソが!」
俺は、横に並んで通せんぼしている女子生徒どもをジャンプで飛び越えた。邪魔だ邪魔だ。
後ろを振り向くと、女子生徒を突き飛ばしている原先輩が見える。髪を振り乱して走る彼女は山姥のように恐ろしかったが、おっぱいがばるんばるんと揺れているのでプラマイゼロだ(錯乱)。
そして、もっとよく見たいと言う本能には逆らえない。先輩の胸を見る為に、俺の速度は独りでに落ちてしまう。しまった! このままでは捕まってしまう!
「……何をしているんだ?」
「あっ、た、助けてっ。助けてください!」
一台の車が俺と並走し始めた。乗っていたのは瑞沢である。彼女は運転席から、こっちを冷めた目で見つめていた。俺は後ろを指差した。
「原? なんだ。何が起こっているんだ。いや、見なかったことにしよう」
先生はパワーウインドウを上げて、速度を上げた。俺は離されまいとスピードを上げる。
「殺される! 俺はっ、今日! ここで!」
俺の魂の凄絶極まりない慟哭に瑞沢Carは速度を緩めた。
「乗せてください!」
「いや、無理だ」
「殺されてもいいってんですか!?」
「どうやって乗るんだ? いったん停めるか?」
「追いつかれます! そのままの速度で、助手席の窓を開けてください!」
「ど、どうするつもりだ」
俺はさっきよりもスピードを上げ、ガードレールを跳び越える。瑞沢は何事かを叫びつつも、ぎりぎりまで車を路肩に寄せてくれた。
「何やってるんだお前は!?」
俺は助手席に飛び移ると同時にシートベルトを締めた。
「助かりました、先生。超好きっす」
サイドミラーで原先輩の姿を確認する。
「さあ早く! もっと飛ばしてください! 先輩に捕まらない、見つからないところまで!」
「……いや、本当に何なんだ?」
「訳は後で説明するって言ってんでしょうが!」
「分かった、分かったから泣くな」
俺は自分の顔をミラーで確認した。涙が、流れていた。俺はその時になって、恋が終わったのだと確信した。
「先生」
「なんだ」
「ここ、どこっすか」
原先輩を撒いた(と信じたい)俺と瑞沢は、潮風を浴びていた。二人して缶コーヒーを飲み、橙色に染まった海を眺めている。
路肩に停まった車体が夕陽を照り返して、瑞沢は眩しそうに目を細めた。
「高速は使ってないから、そう遠くではないと思うが。どこだろうな、ここ」
人も車も全く通らねえ。
その時、風が吹いて物音がした。俺は咄嗟に振り向いてファイティングポーズを取った。……よかった。誰もいない。
「お前、原と何があったんだ? いや、お前が原に何かしたのか? したんだろう?」
「してませんよ。されそうになったんです」
「何を」
「少年誌では言えないようなことをですよ」
「原が、か?」
俺は大きく頷く。
「信じられんな。原は大人しい生徒だと思っていたし、そもそも、どうしてお前なんかを好きになるんだ」
「なんかって」
瑞沢は俺の頭から足のつま先までじろじろと見回す。
「……アレかな。母性本能かな」
「なんか言いました?」
「聞こえてないならいい。帰るぞ」
「母乳が何とかって聞こえたんですが。流石にそんな趣味は……」
「耳がおかしいのか? 死ねば治るかもな」
その後、カーナビを搭載していない瑞沢のポンコツ車で家まで送ってもらった。
久しぶりに母さんの作った晩飯を食って人心地のついた俺は、めぐと一緒にゲームをして遊んでいた。
「めぐー、次はこっちの格ゲーやろうぜ」
「えー? またそれ? ジャンプばっかりで面白くないのよ」
「いやいや、絵は似てるっつーか殆ど同じだけど、これは別物。地上戦メインの立ち回りゲーだって。コンボは長いけどな」
「……こんなの持ってた?」
めぐはゲームのパッケージを手に取り、その後、俺を疑わしげに見遣る。
「丹下院が置いていったんだよ。家じゃやらないからって」
「ああ、丹下院さんの。新作ね。ちょっとやる気が出たわ」
クカカ、新作ならそう簡単にはめぐに負けんぞ。何だったら、このゲームは丹下院と一緒に練習してたし、アドバンテージは俺にある。
「私はこの白髪のお爺ちゃんにしようかしら」
「あー、そいつはやめといた方がいいんじゃないか? 同じ白髪ならこっちの眼鏡使っとけば?」
「いやよ。ナイスミドルを使いたいの」
くっ、強キャラ引きやがった。めぐの嗅覚はずば抜けている。彼女の触るキャラはたいていキャラランクで上位だったりするのだ。
ゲームのオープニングが始まった瞬間、ケータイが鳴った。俺は舌打ちしつつ、ケータイの置いてある方へ向かう。同時に、家のチャイムも鳴った。
「こんな時間に珍しいわね」
「だな。いったい誰が……はあああっ!?」
「どうしたの? また太ももを攣ったの?」
俺は急いで部屋着から外着に着替えて、財布とケータイをズボンのポケットに突っ込む。窓を開けて、外に誰もいないことを確認した。
「めぐ、十五分経ったら連絡をくれ。俺が電話に出なかったら警察を呼んで周囲を捜索してもらうように頼んでくれ」
「安心して。警察じゃなくて病院に連絡したげるから」
「頼んだぞ。とああああっ!」
俺は窓から飛び降りた。裏庭の芝生に着地し、靴下のままで塀を乗り越える。背に腹は代えられん。宝野に連絡して助けてもらおう。
「石高くんっ」
「ひ!?」
誰もいないと思っていた街灯の下に原先輩がいた。何故、ここに。
「電話もしたしチャイムも鳴らしたのに中々出てきてくれませんでしたから。もしかして、石高くんが私のことを嫌っていたら、こうやって部屋の窓から外に逃げるんじゃないかと思って」
全部読まれていた。
「嫌いなわけないじゃないですか、あっはっは」
「じゃあどうして逃げたんですか?」
真顔で距離を詰められる。俺は逃げようとしたが、靴下だし、後ろは塀だ。すぐに追いつかれてしまうだろう。
「私のことが嫌いなら、嫌いだとはっきりと言ってください。思えば、私は石高くんの口から何も聞いていないんです。私には石高くんの気持ちが分からないんです。私のことを好きだと言ってくれましたね。アレは、本当だったんですか? 嘘だったんですか? 私みたいなやつをからかう為に言ったんですか? 答えてください。答えてくれないなら私にも考えがあります。そして、私のことを嫌いだと言うのなら、どこが嫌いなのか包み隠さず教えてください。全て直しますから」
「……どうして俺なんかを気にしてくれるんですか。だって、先輩ならもっとかっこいいやつだって、頭のいいやつだって選びたい放題ですよ」
「私は石高くんだから好きになったんです。石高くんにとって『好き』って言葉は『こんにちは』って挨拶なのかもしれません。軽い気持ちで、何とも思っていなくても口にすることの出来る言葉なのかもしれません。けれど、私にとっては重いんです」
俺はハッとした。原先輩は真面目な人なんだ。融通が利かないって風にも思われるかもしれないけど、人の言葉をしっかりと受け止められる人なんだ。俺みたいなちゃらんぽらんなやつとは違う。
「やっぱり、先輩は俺みたいなやつと付き合わない方が」
「イヤや」
「い?」
「でも、分かりました。死ななきゃ治らないって言葉もあります」いや、あの、ちょっと。
「だから、死にます!」
原先輩は俺んちの隣の家の塀を見たかと思うと、助走をつけて頭突きしようとした。俺は必死になってそれをカットする。その拍子に先輩の身体を触りまくってしまったが嬉しくもなんともなかった。
「死ぬって頭突きで!?」
「乙女の一念っ、岩をも通すと!」
「通してどうすんだっ。やめてくださいやめてください。馬鹿は死んでも治らないって言うじゃないですか」
「わ、私が馬鹿だって言うんですか」
俺は咄嗟に否定することが出来なかった。
「……で、でも、石高くんのせいで馬鹿になっちゃってるかもしれませんね。ふふ、責任を取ってくれますか?」
「上手いこと言った感を出すのはやめてください」
なんてことだ。先輩がこんなエキセントリックな人だとは思っていなかった。彼女はかなりおかしいことになっている。精神的に不安定なんだろう。ここからの対応をミスるわけにはいかないな。
「石高くんは私に死んで欲しくないんですね」
「もちろんです」
「でしたら付き合ってください」
こ、この人! 自分の命を盾にしやがった!
「卑怯ですよ」
知らん顔でにっこりと微笑まれる。計算なのかそうでないのか分からない。
「いきなり付き合うとか、そういうのよく分かんないんで、少しずつ距離を縮めていきましょう」
「セックスから始まる恋もあると言うことですね」
「俺の話を聞いてました?」
全然話聞いてないし、あの原先輩がセックスとか言っちゃったよ。もう一つも嬉しくない。
「石高くんの声を聞き逃すはずがないじゃないですか」
しかし話を理解しているとは思えない。
「石高くんこそ私の話を聞いてくれないですよね。いえ、決して責めている訳じゃないんです。嫌いにならないでくださいね。そんなつもりはないですから。それで話を戻すんですが、前に待木さんと生徒会室に来た時、私は待ってと言ったのに勝手に部屋を出て行ってしまいましたよね。あの時、私は部活に入ってあげますよと言いたかったんです。あっ、う、上から目線になったみたいで、気を悪くしないでくださいね。でも、石高くんが、石高くんが部員を探すのに困っているだろうと思ったんです。力になりたかったんです」
「は、はあ。少し遅かったみたいですけど」
「……え?」
先輩は固まった。『お前何言うてんねん』みたいな顔をしたまま。
「いっ、今からでも遅くなくなくないですか?」
「入部ですか?」
「距離を縮めようと言ってくれたじゃないですか! 石高くんと同じ部に入れば、色んなことが出来ると思ったのに!」
「最初からそう言ってくださいよ」
「だって、入部しようなんてはしたないかなって」
「どこで恥ずかしがってんですか」
それ以上に恥じるところがあっただろうに。
「じゃあ、付き合うとかそういうのはひとまず置いときましょう。偉そうな言い方になっちゃいますが、俺らの部活に入部して、で、そこからってことで」
「期待はしてもいいんですよね?」
俺は目を逸らす。先輩は俺の視線の行く先に回り込んできた。
「ゴールは近いってことでいいんですよね」
「神のみぞ知るってところです」
「FUKANZENNAKETSUMATSUはないって考えてもいいですよね?」
答えなかったし頷かなかったが、先輩は何故か満足そうに笑顔を作る。
「最後に聞かせてください。石高くんは私のことが好き、ですか?」
「今の先輩も素敵だと思います」
「『て』は要らんで?」
「……好きです」
「やーん、めっちゃ嬉しい! あー、もう死んでもええわー」
くねくねとアホみたいにくねる原先輩。学校の皆が見たら何て言うかな。何を思うかな。というか俺に言わせといて何抜かしてんだこの人。
「ふう。名残惜しいですが、その分だけ明日が楽しくなるってことですから、今日のところは我慢します。入部届けや手続きはこちらで済ませておいても大丈夫ですか?」
「え、ええ、お願いします」
「最後にキスしてくれたらめっちゃテンション上がるんですけど、大丈夫ですか?」
「じゃ、また明日か来年くらいに会いましょう」
俺は手を振って、目を瞑ってキスを待っているであろう先輩に背を向けた。
翌朝。俺は電源を落としていたケータイを点けながらリビングに降りた。
リビングには既にめぐがいる。彼女の朝は今日も早い。
「モーニン、めぐ」
「モーニン、お兄ちゃん。……あら?」
ケータイがピカピカ光ってテロテロ音を鳴らした。しかも中々鳴り止んでくれない。こんな朝から誰だろう。メールなんかを確認すると、アドレスを教えていないはずの原先輩からメール爆弾が大量に爆撃されていた。
「迷惑メール?」
「間違いじゃないな。しかも電話までかかってきた」
無視しよう。めぐとの朝の時間を邪魔されたくはない。最近、色んな人と出くわしたり振り回されたりで心が疲れている。癒やしの時間が必要だ。
「というわけでめぐ。俺を癒すなり励ますなりしてくれ」
「がんばれがんばれお兄ちゃん。まけるなまけるなお兄ちゃん。はい。これでいい?」
「ありがとう! 超元気出た!」
学校へ行くために家を出ると、通りに怪しい人が立っているのが見えた。原先輩だった。気づいていない振りをして通り過ぎようとしたが、先輩は俺の反応などお構いなしに前ステップで近づいてくる。
「おはようございます石高くん! 愛してますから愛してくださいね!」
美人さんとはいえ、徹夜明けのテンションで来られると流石にウザい。
「おはようございます。って、あれ? 隈、酷いですね」
「ええ。昨夜はあまり寝られなかったもので。あの後、警察の人に職務質問されて、ずっと逃げ回っていましたから」
「もしかして、ずっと俺んちの前で張ってたんですか……?」
「いいえ。一度は家に戻りましたよ。だって石高くんに会うんですから、やっぱり綺麗な体でいたいじゃないですか。あ、今のめっちゃ乙女っぽい発言で私のことを好きになってくれましたか?」
俺は無言でケータイを取り出し、それを先輩に見せた。
「? 舐めていいんですか?」
「めちゃめちゃメール送って来ないでくださいよ。サーバー落ちたらどうすんですか」
「落としたいのはサーバーじゃなくて石高くんなんですが」
「あっ、また! また上手いっぽいこと言いましたね! そうじゃなくって反省してくださいよ! 迷惑メールよりたちが悪いんすよこんなことされたら」
先輩は照れ臭そうにして、ほっぺに両手を当てている。駄目だ聞いてない。都合の良過ぎる耳をお持ちでいらっしゃるようだ。
「もういいです。それじゃあ、また放課後に」
「えっ、一緒に行きましょうよ。何の為にここでスタンバイしていたのか分からなくなっちゃうじゃありませんか」
もしかしてこの人、朝からずっとここで張ってたんじゃないだろうな。
「いや、俺、自転車ですし。並走する気ですか?」
「そうしろって言うんならそうします。けれど、自転車の二人乗りにも憧れちゃいますね」
「ダメですよ。二人乗りは危ないですから」
「じゃあしようがないですね」
原先輩はアキレス腱を伸ばし始める。しようがないのはこっちの方だった。
俺は自転車を元の位置に戻して、徒歩で原先輩のところに戻る。
「一緒に行きましょう。アホほど強い先輩だって一応は女性ですからね。女の人を放っていくのはどうかと思いますし……って、先輩?」
「………………………………あっ。ちょっと、あの、石高くんがカッコ良過ぎて放心していました」
「そうですか。変なことしないでくださいね」
例えば、勝手に腕を組もうとしたり、手を繋ごうとしたり。
「もちろんです。さあ石高くん、おんぶしてあげますからどうぞ」
「先に行きますからね」
学校に着くまでの間、俺は好奇と羨望、そして嫉妬の視線に晒され続けた。何せ容姿だけは学校で一番どころか、文字通り芸能人顔負けのフェイスをお持ちの原先輩と一緒に登校していたんだ。俺が。
ただし先輩の中身は魔女の釜の底を浚ったようにぬるりとしているというか、カオス極まりない。
「どうしたのロクスケ。元気がないね」
俺は教室の自分の席に座って溜め息を漏らした。気分はギャルゲーの主人公だ。宝野は普通に心配してくれているみたいだが、クラスメートの男子からは殺気をびしびしと浴びている。特に鋭い殺気を放っているのは樋山くんだ。隙あらば俺を仕留めてやろうって感じがナイスである。
「部員が一人増えそうなんだ。あの生徒会長の原先輩なんだけど」
「そうなのかい? でも、ボクは君がいれば誰が来たって、誰がいたって構わないよ」
にっこり微笑む宝野。俺が潜在的ホモだったらこいつとピアノで連弾していたんだろうか。想像しただけで人生をやり直したくなってきた。
「おいーすホモ。今日って部活やんの?」
「……やるんじゃねえの?」
丹下院がえらいナチュラルに話しかけてきた。
「あ? なん、その目」
「いや、俺と関わりたくないって前から言ってたから」
「別にもう気にしてないし。今更だし。んじゃ、また放課後ね」
ひらひらと手を振ると、丹下院は黒ギャル集団の方へと向かい、ぎゃははと下品な笑い声を発し始めた。女ってのは分からん。
放課後。俺は部室に向かうことにした。その途中で宝野と丹下院と合流する。
「ロクスケ。今日は何をするの?」
「うーん。……あっ。いや、しまった」
俺は立ち止まり、腕を組んで目を瞑った。
「忘れてた。そういや昨日からテスト前で部活禁止だったんだ」
「はあ? 先言えようぜーなー、使えねーしマジで」
「お前だって気づいてなかったろ! ああ、そうか。勉強とかしないから関係ないんだもんな」
「あんただって今まで忘れてたんじゃん」
ブーメランが返ってきた。
「瑞沢ティーチャーには勉強しろって言われてんだよな。赤点取ったらお前を殺すって言われたし」
「いーじゃん。とりま部室行けば。もし誰か来ても勉強してましたーって言えばいいんだし」
「卑劣だな」
しかしここまで来て家に帰るのは微妙だ。俺の身体は『部室に行ってお菓子喰いながらゲームする』という風に準備万端である。
「よし、その手で行こう」
部室の前に着く。どうやら鍵は開いているらしかった。
「誰かいるのかな」
「待木じゃねえのかな」
がららとドアを開く。
「あっ、石高くん! 待ってたんですよ!」
がららとドアを閉める。
「宝野、もういいよ、帰ろう。帰って野球しよう」
「石高くんっ、どうして閉めるんですか! 私も図画工作部の一員になったんですから! さあ早くしましょう!」
「何を!」
原先輩がばーんっと登場して俺の腕を引く。引きずり込まれる。必死に抵抗するも彼女の力には逆らえない。
丹下院は先輩を指差して、一歩退く。
「……この人って生徒会長だよね? こんな人だったっけ?」
「俺も知らなかったんだ! 助けて宝野!」
「任せて」と、宝野が一切の躊躇いを見せず跳躍し、原先輩に踵落としを見舞おうとする。彼女は名残惜しそうに俺から離れて攻撃を回避した。
「暴力はいけませんよ、宝野くん」
「ロクスケが助けてと言ったんだ。だったらボクはそうするまでだよ」
睨み合う二人。今のうちに帰ろうかな。
「あー、何スか? もしかして生徒会長って石高のこと好きなんスか?」
「もちろんです。好きと言うよりも愛しています。ですから」
原先輩はポケットから一枚の紙を取り出した。
「石高くん以外の部員には辞めていただいて、ここを私と石高くん、二人の愛の巣にします」
「はあっ!? ざっけんなよ横暴じゃん!」
「生徒会長命令です」
「五人集めろとか言ってたじゃないですか。部として成り立たなくなりますよ」
「そんなんどうなったってええねん」
先輩の目は据わっていた。流石にやり過ぎだ。ここは一発ガツンと言ってやろう。けど後のことがとても怖い。
躊躇していると、ふらりと誰かがやってきた。大量の菓子パンを抱えた小林先輩である。彼女は原先輩の存在に気が付くと、可愛らしい悲鳴を上げた。
「原。お前、ここで何をしている」
「何をって。私も図画工作部に入ったんですよ」
「ろく高くん。私は退部する。今までお世話になったな。じゃあ」
「ちょっとー!? 助けてくださいよ、なんかもう無茶苦茶なんです」
小林先輩は菓子パンをもぐもぐとしながら原先輩をねめつけた。あんまり怖くない。
「何があったのか分からないけど。原、ろく高くんが困っているから止めろ」
「小林さん。テスト勉強をしなくてもいいんですか。これ以上留年してもいいんですか?」
え? 留年?
何かの間違いだろうと思って小林先輩に目を向ける。彼女は銜えていたパンを落としそうになるほどまで狼狽えていた。
「あー、そうだったんだ。マジすかセンパイ?」
追い討ちをかける丹下院。
「ち、違う。私は……」
小林先輩は蒼褪めながらもパンを次から次に食べていた。完全に理性を失っている。
「私は、違うんだー!」
「ああっ、先輩!」
違うも何も留年してるのは百パー本当だろう。
しかし、これを利用しない手はない。
「原先輩、見損ないましたよ。人には秘密にしておきたいことがあるんです。それを暴くのは最低の人間なんですよ!」
びしっと指差してみる。原先輩は分かりやすく狼狽えていた。
俺は宝野と丹下院に目配せして、部室に背を向けた。
「俺たちは小林先輩を連れ戻してきます! 先輩は入れ違いになってはいけないのでここで待っててくださいね!」
「は、はい。ごめんなさい。ごめんなさい、そんなつもりはなかったんです。でも、石高くんと私の仲を邪魔されてちょっと頭に来ちゃったって言いますか、ああ、言い訳じゃないんですこれはそうではなくてですね」
「ほっといていいの?」
「今のうちに逃げよう」
「つか、あんた会長となんかあったん?」
「まあ、おいおい話すよ」
廊下で盛大にずっこけている小林先輩を救出して、俺たちは四人で一緒に帰ることにした。
先輩は留年のことを気にしているみたいだったが、俺は別に気にしてないと、本心から彼女に伝えた。宝野も丹下院も特に気にしている風には見えなかった。ただ、丹下院は留年ネタでいじる気満々だろうな。
「……なあろく高くん。この前の話、ちょっと本気にしてしまうかもしれない」
「え……あ、ああ、そうですか。ええ、どうぞどうぞ」
別れ際、小林先輩からそのようなことを言われたが、この前の話がいつの話なのか分からなかった。




