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カクセイスルセカイ(THE有頂天ブックストア)

 瑞沢を捕まえられなかったので、今日は早めに解散することになった。スーパーのタイムセールまではまだ時間があったので、時間を潰しがてら、ユキさんのお店でアルバイトしようと思い立ったのだが、

「……マジか」

 榊原書店の前に見覚えのある原付が停まっていた。っていうかさっきまで瑞沢が乗っていたやつで、丹下院が没収されたものである。鍵穴のところが無茶苦茶に壊されていた。これって一応、丹下院のやつなんだよな。必死過ぎだろ、瑞沢。

 しかし、そうか。瑞沢はユキさんのところに逃げ込んだんだな。ヒヒヒヒ!

「たのもう! おはようございますユキさん!」

 ユキさんはいつものようにカウンターのところの椅子に腰かけて、小難しそうな本をじっと読んでいた。彼女は俺に気が付くと、ゆっくりと顔を上げて、本を閉じる。

「おはようございます。今日は、どうされたのですか?」

「アルバイトに来たんですけど、その前に聞いておきたいことがあって。あの、表の原付は?」

「ああ、それは凜乃のものらしいです。ただ、あの子は」

「ここにいるんですか?」

 いいえ。そう言って、ユキさんは申し訳なさそうに首を振った。

「アレを置いて、どこかへ走り去ってしまいました。そう、まるでましらの如く」

 実の妹をサル呼ばわりするユキさんに痺れつつ、俺は丸椅子を借りてそこに座った。溜め息が独りでに零れてしまう。

「お疲れのようですね。それとも何か、お悩みでも? 私で良かったら、好きに吐き出していってくださって構わないのですよ」

「……実は」

 俺は、ウルトラメディアクリエイト部に入ったことと、今、自分たちの置かれている状況について、ユキさんに思う存分ぶちまけた。彼女は余計な相槌は全く打たない。聞き上手で、俺がべしゃりの達人になったような気さえしてしまうほどだ。

 一通りの話を聞き終わると、ユキさんは何度か頷き、指を一本、ぴんと立てた。

「石高さんのお悩みを一つ解決することが出来るかもしれません。よろしければここを使ってくださいな。うちの居間で良ければお貸ししますよ」

 ユキさんが天使に見えた。渡りに船だが、はたしてお言葉に甘えてしまってもいいのだろうか。

「そんな、悪いですよ」

「毎日でもいいんですよ?」

「うーん。週に二、三回使わせてもらえるんなら有り難いっちゃあ有り難いんですけど。でも、本当にいいんですか」

「もちろんです。石高さんの為になるなら何でもしますよ」

 一瞬、ユキさんの服が透けて見えた。

「これで後は顧問だけなんですけどね。瑞沢先生が捕まらないし、中々うんと言ってくれなくって困ってます」

「ああ見えて凜乃は義理堅い子です。……この間、石高さんが凜乃が脚立から落ちたところを助けてくださったでしょう。アレをダシに使えばよろしいかと」

 なるほど。それはグッドアイデアだ。だけど、俺は首を横に振る。

「それはちょっとずるいと言うか、先生との貸し借りは済んでますから。第一、先生は卑怯なことを嫌いそうな人ですし。俺も、人の弱みにつけ込むような真似はしたくありません」

「石高さんは凜乃のことを好いているのですか?」

 いっ? 好いてって、いや、そんなことはないと思うけど。

「…………うーん。うーーーーん。よく分かんないんですけど、でも、前よりかは先生のことを怖いって思わなくなりました。むしろ面白い人って言うか、可愛い人って言うか」

「生徒さんに好かれるだなんて、あの子も随分と教師らしいことをしているんですね」

「先生は立派な人だと思いますよ、俺。……ん?」

 今、居間の方から何か音が聞こえたような。ユキさんはここで一人暮らしをしてるって言ってたけど。強い風でも吹いたんだろうか。この建物、台風が来たらぶっ飛びそうな雰囲気だし。

「凜乃のことですが、好きか嫌いかで言うと、やはり好きなのですね?」

 なんか今日のユキさんはしつこいな。

「好きですよ」

「だそうです」ん?

 何を思ったか、ユキさんは居間へと続く戸をがらりと開いた。部屋の中にいた人と目が合う。正座で聞き耳を立てていたらしい瑞沢がいた。

「あ、あっ、姉さん、何を!」

「凜乃。ここまで石高さんがあなたのことを慕ってくださっているのです。顧問の一つや二つ、引き受けるのが教師の役目だとは思えないのですか。ああ、情けない」

「何のことだ。私は何も知らない。聞いていない」

 嘘吐け。

「石高さん。凜乃のことは好きですか?」

 目が告げていた。言え、と。ユキさんは策士である。

 ……好き、か。いろいろすっ飛ばしてるような気もするし、ちょっとずるいけど。

「好きか嫌いかで言えば、もちろん好きですよ」

「……お前。私のことを怖がっているんじゃあないのか?」

「前までは。最近はそうでもないっすよ」

 瑞沢は頭を掻き、心なしか、恥ずかしそうにしてこっちから目を逸らす。

「分かった。顧問を引き受ける。ただし、お菓子クラブとの兼任だからな。毎日は面倒を看られないぞ」

「マジですか? やった、ありがとうございます!」

 これで顧問と活動場所が揃った。俺たちの部活は廃部を免れたのだ。

「凜乃が看られない時は私のお店に来てくださればいいですから。凜乃。私は外部コーチと言うことで、学校には上手く言っておいてくださいね」

「ああ、分かった。……石高、調子に乗るなよ。大人しく、慎ましくしろ」

「了解です!」

 特に。強く前置きして、瑞沢は店の外を指し示す。

「丹下院にはよく言っておけ。あいつは余計なことばかり起こすからな。原付はいったん没収して、反省文でも書かせてから返すつもりだ」

「任せてください。言うことを聞かなかったらボコボコにしときますよ」

「……お前なあ。いや、まあ、いい。手続きは私がやっておくから、明日にでも部の皆に報告するといい」

 なんだ。やっぱり優しいところもあるじゃないか、瑞沢。

「ところでだな、石高」

「はい?」

「私とお前は教師と生徒だからな。そこを忘れるなよ」

「はあ?」

 何言ってんだこの人。

 俺は不思議に思ってユキさんを見遣る。彼女はすっごくいい顔で笑っていた。



 翌日。放課後。俺はいつものように宝野から逃げながら部室に辿り着く。部長である待木はソファの上でふんぞり返っていつでも俺に罵声を浴びせられるようにスタンバイ済みだ。

「センパイ、愛してます」

「黙れ。みんな聞いてくれ。今日は報告したいことがあるんだ」

 俺がそう言うと、丹下院はとても悲しそうな目をして、俺の肩に優しく手を置いた。

「何で捕まったん? 痴漢?」

「……ろく高くんは性欲過多なんだね」

「そうなの? だったらボクに相談してくれればよかったのに」

 こいつらは最悪だ。

「違うっ。昨日、顧問と活動場所を手に入れた。部員も揃ったし、これで廃部を免れたってわけだ。はい、拍手」

 待木は小首を傾げた。あっ、こいつ全然信じてないな。

「顧問って、どなたが?」

「瑞沢。昨日、あの後な、発見してお願いした。活動場所は俺のバイト先の本屋」

 おお、と、感嘆の声が漏れ始める。ちょっと気持ちいい。俺だってやる時はやるんだからな。

「そんじゃさ、あたしの原付はどうなったの?」

「本人に聞け。あとで瑞沢ティーチャーも見に来るから。顧問として」

「……それ、やばくないですか? この部屋を見てくださいよ。およそ図画工作からはかけ離れているような気がしませんか?」

 俺は部屋の中を見回した。ゲームやDVD、漫画だけじゃあない。物が増えてしまった。宝野はトレーニングの為に変な器具を持ち込んだり、丹下院は香水だの化粧品だの教科書だの私物を放置している。小林先輩に至っては小型の冷蔵庫まで持ってくる始末だ。言い逃れできるとは思えなかった。

「参考資料で押し通すんだ!」

「さっさと隠した方がよくないですか?」

「いや、瑞沢は結構アホなところがあるから誤魔化せるような気がする」

 待木はううんと唸り、俺の後ろを指差した。

「いや、たぶん無理でしょうね」

 俺は振り向く。ドアは半分程度開いており、その隙間から瑞沢が顔を覗かせていた。終わった。

「ようこそ先生! お待ちしていましたよ!」

 精一杯媚びた笑顔で出迎える。瑞沢は何も言わず、扉をゆっくりと開いていき、俺を抱きすくめた。俺は咄嗟に手を瑞沢の尻に回す。

「ケツ硬いっすね……」

「この世に教育委員会さえなければ、お前の一族郎党を根絶やしにしているところだ」

 瑞沢が力を込めたらしく、俺の身体からごきりと音が鳴った。あばらを百本くらい持ってかれたかもしれない。

 俺が倒れ込んでごろごろと悶えていると、瑞沢は部室の中をじろじろと見回し始めた。他の部員たちは彼女と目が合うのを恐れてか、露骨に目を逸らしている。

「ほう。随分と楽しそうな部屋じゃないか、図画工作部と言うのは。ソファに菓子まで持ち込んで。……れ、冷蔵庫まであるのか」

 まずい! 俺は待木を見遣った。頼む待木! 何とか説得しろ! めっちゃ接待して誤魔化せ!

 我が意を得たりとばかりに待木は頷いた。

「先生。図画工作とは言いますが、私たちは創作活動を主にしています。これらの漫画やゲームはその際の参考資料になるのですよ。だいたい、他の部活動だってこれくらいのものは部室に持ち込んでいるはずです」

「程度があるだろう」

「遊びではありませんから。私たちと他の部活動と一緒にしないでください!」

「他の部のことを言いだしたのはお前だろう!」

 急に怒り出す待木。硬軟織り交ぜた素晴らしい交渉術だ。闇の炎に抱かれて消えて欲しい。

「資料は分かったがテレビは必要ないだろう」

「いえ。映像資料もあるので」

「ゲーム機は」

「実際にプレイすることで分かることもありますから」

「飲食物を持ち込むことはだな」

「ああ、これはお菓子クラブにおすそ分けするつもりでした」

「……何?」

 瑞沢の表情が変わった。お菓子くらいで反応し出しだぞこの人。

「教師を買収するつもりか」

「いいえ、そんなつもりは毛頭ありません。ただ、先生には顧問を引き受けてもらいましたし、お菓子クラブの皆さんにも迷惑をかけてしまうかもしれませんから。差し入れするくらいは当たり前のことじゃありませんか。あ、ちなみにリクエストも受け付けていますよ。何でもおっしゃってくださいね」

 まさか、瑞沢は小林先輩と同じ方法で陥落おちるんじゃなかろうか。流石に情けないので、ここは待木に負けないように頑張って欲しい。

「ちなみに石高センパイの手作りケーキは絶品でした。次はシュークリームを作ってくれるらしいですね。ああ、楽しみです。先生にもぜひ召し上がってもらいたいですね」

「くっ、す、好きにしろ」

 堕ちるのが思ってたより早かった。女騎士かよ。

「つーかセンセー。あたしのバイク返してくんない?」

「てめー余計なこと言ってんじゃねえぞ! 漢字も読めないくせに空気まで読めねえのか!」



 瑞沢はクッキーの入った包みと丹下院を持って去っていった。小林先輩は寂しそうな目つきで彼女の後姿を見つめていた。

「ひとまず何とかなりましたね」

 ソファにふんぞり返った(ああっ、あともう少しでパンツが見えそう)待木はせんべいを齧りながらガハハと笑った。山賊か。

「これで心置きなくゲームが出来ます。もう頑張る必要なんてないんですよ。あっ、そうだ。今からパーティを開きましょう。石高センパイ、pizzaでも頼みましょうか」

「……え? あの、丹下院ちゃんはいいの?」

 意外だ。小林先輩は目の前の食べ物に食いつかず、丹下院の心配をしているらしい。

「ペナですよ、ペナ。ウルトラメディアクリエイト部120%に迷惑をかけた罪は即座に償ってもらいます。懺悔院さんは略式裁判でハブの刑に決まりました」

「じゃあ仕方ない。よし。四人いることだし、ド○ポンでもやって絆や友情を深めようぜ」

「ワーイ! でもロクスケ、このゲームには友情破壊とか書いてるんだけど」

 気にすんな! とりあえず宝野一人に嫌がらせを集中してやろう。



 翌日の朝。俺がだらだらと通学路の坂道を上っていると、すっと追い抜いていくやつがいた。宝野である。珍しく無視されてしまった。気づいていないのかとも思ったが、彼はちらちらとこっちを見ていたので、まあ、恐らく昨日のドカ○ンの意趣返しなのだろう。それならそれで都合がいい。朝から面倒くさいことにならずに済みそうだ。

 俺は宝野のことを全く気にせず、むしろ彼と距離を空けるためにゆっくりと歩く。

「どうしてだよロクスケっ。なんでボクを無視するのさ!?」

 一分も経たない内に向こうからやってきた。

「いや、無視してたのはお前じゃん」

「だってロクスケが悪いんだよっ。よってたかってボクをいじめるから! いじめ抜くから!」

「誤解されるような言い方はよせ」

「ボクはただ楽しく遊びたかっただけなのに。ひどいや」

 そんなに気にしてたのか。ちょっと悪いことしたな。

「ごめんごめん。じゃあもうお前とは一生ゲームしないから」

「極端だよ! もうちょっと、あと、ほんのちょっとだけ優しくしてくれればいい話じゃないか!」

「俺は勝負事では手加減出来ない男だ」

「すごいやロクスケ、クールだよ。君がそこまで言うなら何も言わない。ボクを好きにしてくれて構わない」

 通りすがりの女子生徒にすんごい目で見られる俺たち。もう好きにしてくれ。



 宝野を撒いて教室に着き、自分の席に座る。その瞬間、後ろから固いもので頭を叩かれた。

「殺すぞ」

「やってみろ」と、下敷きを構えているのは丹下院であった。

 なんで俺がしばかれなきゃならないんだ。じっと睨んでやると思い切りガンつけられた。

「あんたら、あたしが瑞沢に捕まってる時にめっちゃ楽しいことしてたみたいじゃん」

 丹下院はケータイを突きつけてきた。画面には写真が。ピザを囲んで必要以上に大はしゃぎする俺たちウルトラメディアクリエイト部が写っている。待木が煽りとして送ったんだろう。

「えー、だってお前が悪いんじゃん。校則違反しまくってるからだろ」

「待っててくれたっていいじゃんって話なんだけど?」

「いや、そんな話してねえし。つーか、さあ」

 俺は教室を見回す。俺と丹下院がぎゃあぎゃあ話しているのを不思議そうに見ているクラスメートが殆どだった。彼女もようやくそのことに気づいたのか、分かりやすく『しまった』という顔になる。

「あ、ああああ、明日っ、ちゃんと金持ってこいよ!」

「テンパリ過ぎだろ」

 どうして誤魔化す為にカツアゲしてましたって結論に達するんだこいつは。



「は? 続編? いや、3はなかったから」

「4はないんですね?」

「まあ4だけで稼ぎ過ぎてるゲームもあるけどな」

「アニメ化はまだですかねえ」

 今日は金曜日だ。瑞沢のお菓子クラブは月・水・金に活動するらしく、火・木曜日にはこっちの様子を見に来る。つまり、今日はフリーダムだ。

 とはいえいつもとやることは変わらない。今日は昔のゲーム機を引っ張り出して、皆で多人数プレイをしている。基本的には四人まで対応しているので、自然、一人だけ画面を見ているしか出来ないのだが。

「あーっ! また死んだ! 死ねよ!」

「死んだのお前だから。ほら、先輩と代われよ」

 俺たちの中では丹下院が一番ゲームが下手だった。小林先輩もあんまりゲームは上手くなかったが、勘がいいのか操作をすぐに覚える。しかし丹下院はアホなのでシステムを全く理解しない。

「丹下院さん。この部屋ではゲームの腕前だけが物を言うのです。あなたは私と石高センパイに跪くべきなのです」

「るっさいしバカじゃねーの? うぜー、もういいし。あたし漫画読んどくから」

 丹下院はのそのそとした動きで立ち上がり、漫画本を棚から取ってカーペット(待木が家から持ってきた)の上に寝そべった。

「丹下院、漫画を読む時はもっと足を広げなさい」

「うるせーよ童貞」

「ところで明日からどうしますか。運動部なら土日も活動すると思いますが」

「あたしパース。お前らと休みの日まで一緒にいたくないしー」

 丹下院アホに同意するのはムカつくが、土日はユキさんのところでバイトする予定である。

「俺もパス。バイトあるから」

「なるほど。バイトと言えば、我々の活動場所でもある本屋さんですよね」

「おー、そうだな」

 なるべくなら来て欲しくねーけど。



 土曜日。昼飯を食べ終わった俺はチャリンコで榊原書店に向かった。建てつけの悪い戸を無理矢理に押し開くと、カウンター近くに座っていたユキさんはにっこりと微笑んでくれた。癒しの笑みである。

「おっ、石高センパイやっと来たんですか。クッソ遅いですよ」

「な、なんでお前が」

 待木がいた。彼女は居間の縁に腰かけて詩集を読んでいたらしかったが、俺を見てにっこりと微笑みやがった。卑しの笑みである。

「ゆ、ユキさんっ。こいつは出禁ですよ。今すぐ追い出しましょう」

「あら? こちらの方は石高さんと同じ部活のお友達ではないのですか」

「違います」

「嘘はいけませんよ」

「すみません!」

 後悔。懺悔。謝罪。それらを一瞬で済ませた俺は待木をねめつけた。彼女は週刊の少年誌をげらげらと笑いながら読んでいる。

「こいつまた腰痛で休載してんよー。……おや? どうしました、石高センパイ。我々はこちらの居間を借りてウルトラメディアクリエイトエピソード1ファイナルクルセイド部の活動をやっていますから、気にせずにアルバイトに精を出してください」

「……わ、我々だと?」

 途轍もなく嫌な予感して、そのフラグは一瞬で回収された。ひょっこりと顔を覗かせた宝野と小林先輩が、俺を見て何とも言えない表情を浮かべる。何だその顔は。

 助けてください! ユキさんをちらと見遣るが、彼女はいつもと同じ笑みを浮かべるだけだった。

「いいですね、部活って。私も学生の頃を思い出します」

「何を仰いますか。榊原さんだってうちの一員なんですよ。ほらほら、一緒にゲームやりましょうよ」

「テレビゲームはやったことがないのですが、それでも構いませんか?」

「ウェルカムですよ!」

 では、と、ユキさんは本を閉じて椅子から立ち上がる。

「えっ、あの、ユキさん?」

「ふふふ、ちょっとだけ店番をお願いしますね」

「任せてください!」

 脊髄反射で答えてしまったが、居間の戸も閉められて、俺は完全にハブられた形になってしまう。なんてことだ。ユキさんとのハピネス空間が侵食された。


『これはどういうゲームなのですか?』

『色んなヒーローと悪役がスリーオンスリーで殴り合うゲームです』

『まあ、刺激的ですね』

『……鉄パイプを持った市長が、次から次にヒーローを殴って、楽しい』

『棗ちゃんは友達が出来てよかったですね』

『ちなみに、アシストで出てきたキャラを巻き込んでコンボに入った時はハッピーバースデーと叫ぶのがルールです』

『了承しました』


 ああー! 楽しそう! 楽しそう!

 クソが待木め。俺を苦しめる為だけに皆をここに集めやがったな。絶対に復讐してやる。具体的にはおっぱいを舐め回すように見つめてやるぜ。



 すぐ隣で楽しそうにしている。めっちゃ格ゲーしてる。その様子を聞きながら小一時間ほどが経っただろうか。この状況を作り出した諸悪の根源が現れた。

「暇そうですねえ、センパイ」

 待木はカウンターの方にやってきて、頬杖をつく。おっぱいが台の上に乗っていて、神様はどうしてこんなやつにこんなものを取りつけてしまったのだろうかと苦悩した。

「お前らは楽しそうだよな。虫唾が走るぜ」

「んー、私は石高センパイがいないと今一つって感じですね。ああ、どうですかセンパイ。皆さん、あっちの方でゲームに夢中になっているみたいですが。私たちは別のことで楽しい思いをしてみませんか」

「……なんだよ」

「んー? なんでしょうかねえ」

 こ、こいつ……! まただ。また誘ってやがる。しかし手招いているのは天国でなく底無し沼だ。待木はいつもこうだ。俺をおちょくってにやにや笑う。そう簡単に乗るかってんだ。

「お前の好きにはさせん。させんぞ」

「センパイは部の為に一生懸命になって頑張ってくださいました。労いの意味も込めて、私のボディを好きにしてもいいんですよ。と、私は言っているんですけど」

「ど、どうせ嘘なんだろう。お前は嘘つきだからな」

「私はセンパイに嘘を吐いたことはないんですけどね」

 じっと見つめられる。待木の瞳は潤んでいた。否。騙されるな。何回してやられた? 何度痛い目に遭った? こいつは俺を弄ぶ為なら何でもしそうな女である。しかし俺の手は彼女の胸へと真っ直ぐに伸びていた。

「さ、どうぞ」

 動かない。動かないじゃないか! 待木は抵抗する気配すら見せない。このままだとマジで触れちまうし揉んじまうぞ。駄目だ。なんて柔らかそうなんだ。

「センパイは私の胸を目当てに部活に入ったんでしょう? 何も言わなくても分かります。目は口程に物を言うってやつですよ。センパイが待ち望んでいたものは、手を伸ばせば届いて鷲掴みにして揉みしだくことの出来る距離にあるんですよ? 何を迷うことが、何を躊躇うことがありますか」

 触りたい。待木だっていいと言っているんだ。けど、なんでか、ダメだと思った。俺の全細胞が必死で、そう訴えかけていた。俺個人の意思というよりも、大げさに言えばもっと大きな神様のような存在が。神様が触るなと言っている。そんな気がして、俺は待木の頭を撫でた。精いっぱいの抵抗であった。

 待木は目を見開いて、軽蔑するような目で『臆病者』と吐き捨てる。しかし、俺の手を払おうとはしなかった。

「……あの、センパイ」

「なんだよ。触ってもいいんだろうが」

「まあ、そうは言いましたが。……はあ」


「あっ、やっぱここにいたんじゃん!」


 俺は目にも止まらないであろう速度で待木から距離を取る。彼女は手櫛で髪の毛を整えて、何でもなかったような表情を取り繕った。

「あーあーあー。まーたあたしだけハブにしてさー、すんごいムカつくんですけどー」

 派手な格好をした丹下院が榊原書店を見回して、こほんこほんと咳をする。

「埃っぽ! 何ここ!?」

「お前こそ何なんだ!?」

「えっ、石高なんで半泣きなん? 花粉症?」

 えげつねえタイミングで出やがってさあ! クソが。あともうちょっとで! ……もうちょっとで、どうなってたって言うんだ……?

 考え込む俺をよそに、待木は丹下院に向き直った。

「この場所がよく分かりましたね。丹下院さんにだけは教えないでおこうと思ったんですけれど」

「え、なんで? つか言えよ。誘えよ」

「誘ったじゃありませんか。けど意地を張ってパスとか言うから。用事もないのに見栄を張るからいけないんでしょうが」

「いやフツーに遊んだ帰りだから。暇になったから見に来ただけだし」

 ここに来てリア充特有のコミュ力の高さを見せつけやがって。

「最初から来るって言えばよかったんですよ面倒くさい。ホント次にやったら殺しますからね」

「……あれ? あたし今敬語ですごいこと言われなかった?」



 アルバイト+部活動の帰り道、俺は自転車をちゃりちゃり漕いで帰宅した。陽はとうに暮れて、お腹もぐうぐう鳴っている。今日の晩飯はなんだろうな。

 門扉を開けたところで、すぐ後ろに原付が停まったのが分かった。振り向くと、メットを外してこっちに手を振る丹下院がいた。俺は見なかったことにして駆け出す。

「ちょっと待てやオラァ!」

「ついてくんじゃねえよ! 何しに来やがったテメエぶっ殺すぞ!」

「あんた馬鹿なん? 女子が来たらもっとテンション上がるでしょフツー。それか上がり過ぎてそんな感じになってんの?」

 だって何されるか分からないし怖いんだもの。

 丹下院は原付のエンジンを切って、鍵をくるくると回して弄ぶ。

「……まあ、アレ。アレよ。あんたってさ、ゲーム上手いじゃん? だから教えてよ」

 はあ?

「つーか教えてね。これ決定だから。あたしもうゲーム機買っちゃったし、後に引けないって言うか、そんな感じになっちゃったから」

「ハード買ったのかよ? マジで? なんで?」

「だって負けっぱなしじゃムカつくし。あと、アレってDVDとかも見れんでしょ? ゲームしなくてもいいしね、別」

 そう言うと、丹下院は莞爾とした笑みを浮かべた。

「軽い気持ちで買うもんじゃねえと思うけどなあ。あ、でも、そうか。お前って金持ちだったりすんの? 名前に『院』とか入ってるし」

「名前はカンケーねーよ。まあ、金持ちだとは思うけどさ」

 ふうん。もしかしてこいつ、午前中にゲームを買いに行ってたんだろうか。もしそうなら、ちょっと面白いな。

「そういや丹下院は俺らと中学違うもんな。どこだったんだ?」

「聖女」と、丹下院は嫌そうに、短く言った。

 確か、そこってエスカレータ式のお嬢様学校だったような気が。

「……マジで?」

「うるせーな。昔はカンケーないじゃん、昔は。……けど、あの生意気な一年も、中学で見たような気がすんだよね」

「待木のことか? そういや、あいつも金持ちだしなあ」

「まあどうでもいいけどね。それよか教えてよゲーム」

 待木の中学時代は気にならないでもなかったが、丹下院は彼女の話をするつもりはなさそうであった。

「けど、何のゲームを教えりゃいいんだ? 結構色んなゲームで対戦とかするだろ」

「あたしもそう思ってさー、とりま一番新しいやつ買った。店員にさー『格ゲーありますかー』って聞いたらリミテッドとかボックスとか言われたけど、一番高いやつ買っとけば問題ないよね?」

 丹下院は電器屋の袋を俺に手渡す。中身は……おおー、先週出たばっかの格ゲーじゃん。しかも限定版。このソフトはまだ手を出してないし、部室にも置いてなかったはずだ。

「やった! ありがとな丹下院!」

「いや、あげないから。あたしのだから。とりあえず部屋入れてよ。んでゲーム教えて」

 ……女子を、俺の部屋に上げる。

 初めてだ。初体験だ。まさかお部屋の処女を丹下院に捧げることになるとは思わなかった。

「優しくお願いします!」

「なんであんたが頭下げてんの? まあいいけど。あ、あとお腹減ったし喉乾いたからなんかちょうだい」

 ギャルがオタに優しいってのは都市伝説なのだと思っていたが、こんなに素敵なエピソードを用意してくれるんだから丹下院ってなんていいやつなんだろう。今度樋山くんにそれとなく自慢しよう。



 俺の部屋に上がった丹下院は、テレビの前でどっかりと胡坐をかいてコントローラとお菓子とジュースを要求した。

「うわー、部屋綺麗じゃん。テレビでかっ。あ、つーかさ、つかさ、めっちゃあんたの家族にガン見されたんだけど」

「あー、俺があんまり友達を家に呼ばないからな。珍しがってたんだろ。あと、女子だし」

「げ。もしかして彼女とか思われてんのかな。うーわ、ほら見てみ。鳥肌立った」

 失礼なやつだな。

「じゃ、とりあえずインストールすっから」

「は? 何の話? つかあたしんちのゲーム機もさ、今度設定とかしてくんない? でも部屋に入ったらコロスから」

 どうしろってんだ。

「インストールって何? まだ出来ないの? なんか眠いから寝てていい?」

「うるせえな!」

「禄助ー、ジュースとお菓子持ってきたんだけどー!」

「ノックしろよ!」

 マッマが足でドアを開けて、お盆をテーブルの上に置く。丹下院は愛想よく『あざーす』と返事した。

「ねねね、よかったら晩ご飯も食べてかない? 今日はねー」

「もういいって! 迷惑だって!」

「マジすか? めっちゃお腹空いてるんで、あたし何でも食べられますよ」

「あらー、よかった!」

 よくねえよ! お前も断れよ!



 結局、丹下院は普通に晩飯食ってゲームして帰っていった。俺は家族からの質問攻めを避ける為にいつもより早く部屋の電気を消してベッドの上で布団に包まった。

「お兄ちゃんお兄ちゃんっ、さっきの丹下院さんってまた来るの? 来るの?」

 しかしめぐは電気を点けて布団をめくって俺の身体を揺さぶってくる。

「知らないって。もう寝るから。お休み」

「女子高生って色々知っててすごいね。お兄ちゃんよりずっとすごい。私、お姉ちゃんも欲しいなあ」

「さり気に酷いこと言ったぞ!」

 めぐはすっかり丹下院に懐いてしまった。黒ギャルのコミュ能力、侮りがたし。俺の妹を返して。

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