カクセイスルセカイ(菓子を乞うひと)
ウルトラメディアクリエイト部も部員が四人になった。あとは部員を一人と、顧問と、活動場所か。
「何ともならないんじゃないのか」
漫画を読んでいた待木は顔を上げて俺を見た。宝野と丹下院は初心者らしく格ゲーをガチャプレイで楽しんでいるようで何よりだ。
「何がですか」
「いや、部員はともかく顧問と場所がだよ」
「センパイ、心配しないでください。あと一人の部員に関しても全く心当たりがありません」
条件は一学期が終わるまでに満たせばいい。それでも残り時間はそう多くない。六月が終わればすぐに期末テストだ。テスト期間中はみんなまともに話を聞いてくれないだろうし、テストが終わればもう夏休みも間近と言うところまで迫る。
「丹下院さー、なんか適当に誰か誘ってくれよ」
「はー? 無理無理。あたしがこんなオタっぽいつーか丸出しの部活に入ってるのも隠してるんだし。あんたもさ、ここ以外であたしに話しかけようとか思わないでよ」
丹下院にとっては部室はあくまで避難場所である。今の口ぶりからも分かる通り、積極的に協力するつもりはないんだろう。宝野も転校生で知り合いはいないだろうし、待木もオタを隠そうとしてるし、俺は手あたり次第に当たったが弾切れだ。
「何かの活動をしていて成果が上がれば、顧問になってくださいって先生にも頼みやすいんですけどね」
「ここって一応図画工作部だろ。なんか作ってみるか」
「……想像してみたんですけど絶対に嫌ですし無理ですって。私たちは所詮オタクですから。人様の作ったものを食いつぶすことに関しては天下一品。略して下品です。あはは」
待木は相変わらずやる気があるのかないのか分からないやつだ。……俺だって別に頑張ろうぜって気持ちになったわけじゃない。けど、何もしないで潰されるのは嫌だなあって思うくらいには、この部活に愛着が湧いたような気がする。
「ちょっと飲み物でも買って来るわ」
「おっ、マジ? あたし紅茶な」
「ボクはスポドリ」
「お前らなあ……まあ、いいけどさ。待木は何がいい?」
待木はソファから起き上がり、漫画を棚に戻した。
「私は自分で選びますから、ついてきますよ」
そう言って待木は意地の悪い笑みを浮かべる。どうやら、俺のやろうとしていることはお見通しだったらしい。
放課後の学校には妙な空気が漂っていると思う。吹奏楽や軽音部の調子外れの楽器の音色。金属バットでボールを叩く音。それを追いかける足音や声。太陽は沈みかけて空は薄暗くなりつつある。中学の時を思い出して懐かしささえ覚えた。鮮明に思い出し過ぎてちょっと泣きそうだった。
「部室を一歩出たら、ちょっと別世界って感じがしますね」
「あー、だな。独特だ」
俺と待木は並んで歩く。特別棟から渡り廊下へ。昇降口から食堂へ。残っている生徒は殆どいない。皆、部活か何やらの目前のことに集中しているんだろう。俺たちみたいにぶらぶらしているやつはいない。
「青春って臭いがしますよね」
「クッサ」
「青臭くて楽しいこと、します?」
「ああ? って、おい」
待木は俺の襟元を掴んで、ぐぐぐと背伸びしてきた。顔が近い。
「丹下院さんのおっぱいはやーらかかったですか? 私のと比べてみます?」
俺は唾を呑み込んだ。マジかよ。どうした待木。なんかいいぞ。
「丹下院さんの時は躊躇わなかったのに、私のには中々触ってくれないんですね。ギャラリーがいると恥ずかしいですか?」
振り返る。食堂のベンチに背の高い女子が座っていた。彼女は興味がない振りをしているが、ちらちらとこっちを覗き見している。どっかで見たことがあると思ったら、前に俺の財布を拾ってくれた小林棗先輩だった。急に恥ずかしくなってきた。これじゃあまるで、俺がおっぱいを触りたがっている変態じゃないか。
俺は小林先輩をじっと見つめる。彼女はばつが悪そうな顔をして、続きをどうぞと言った。出来るか。
「……邪魔をしたみたいで、ご、ごめん」
しかも謝られてしまった。悪いのは俺だ。いや、待木だ。しかし当の本人は素知らぬ顔で、紙パックのいちごミルクをストローでじるじる飲んでいる。
「いやいや、今のは先輩の勘違いっすよ。俺たちは別に疚しいことを何もしていませんからね」
「そうなのか」
小林先輩は缶ジュースをごみ箱に捨てて、俺と待木を見比べる。待木は大きく頷いた。
「はい。センパイはただ獣のような欲望に駆られて、私の胸にむしゃぶりつこうとしていただけです。私もまんざらではなかったので聖母のような心で受け入れて上げようとしただけです。もちろん、その後センパイをしかるべきところに突き出そうと思いますが」
「……そうか。最近の子は複雑だ」
「そいつの言うことに耳を貸さない方がいいですよ。何せこいつの本名はジョナサン・エリザベス・マツキと言って、カメハメハ大王の親類なんですから」
先輩は目を輝かせていたが、嘘だと分かるとあからさまにがっかりしていた。
「ろく高くんは嘘つきだなあ。そういうことばかりだといい大人になれないから気をつけた方がいい」
小林先輩はどこからか取り出した饅頭を口に入れると、どこからか取り出したペットボトルの緑茶をごくごくと飲み始めた(蓋を開けようとして上手く行かず涙目になっていた)。
「センパイセンパイ」
「なんだ後輩」
待木は俺の耳に顔を寄せて、べろりと舌を伸ばしてくる。殺すぞ。
「今のは冗談です。ところであの人は知り合いなんですか? 上手いことやって部に引き込みましょうよ。なんだかぼんやりしてて扱い易そうな人ですし」
「稀代のクズかお前は」
「イッヒッヒ。私にすべてお任せください」
魔女みたいに笑うと、待木は小林先輩へ近づこうとした。だがその瞬間、先輩は小動物じみた機敏な動きで魔女から距離を取る。鈍い人かと思っていたが、存外、素早かった。
「……おや?」
「殺気を感じた。ろく高くんの後輩。私に近づかない方がいい。いや、近づくな。君からは原と同じものを感じる」
小林先輩はめちゃめちゃ警戒しているみたいで、待木からじりじりと距離を離し、いつの間にか俺の後ろに隠れてしまった。いや、この人背が高いから隠れきれてないんだけど。
「あの子はまずい。なんかまずい」
「っていうか原先輩と同じものってどういうことっすか。確かに待木もバストだけなら負けてないとは思いますが」
「ろく高くんは原の恐ろしさを知らないんだな。それはとても幸せなことだ。知らない方がいいということも世の中にはたくさんある。だから私は飲食店が産地を偽装しているようなよく分からないものを使っていても見ないふりをしている。美味しければそれでいいからな」
「そこは見ときましょうよ」
……原先輩が恐ろしい? そんな馬鹿な。そんな馬鹿なことがあってたまるか。
「ちょっとー小林さんとやら逃げないでくださいよ。私はただ、あなたに部活に入って欲しいなあって話がしたいだけなんですから」
「部活」と小林先輩は訝しげに待木をねめつける。
「い、いやだ」
「そんなこと言わないで図画工作アンリミテッドマッチ部に入ってくださいってば。悪いようにはしませんよ」
「なおさらいやだ。そんな部活聞いたことがない。何をしているのかも何をされるのかも分からない」
先輩の不安は尤もだ。俺だって時たま『マジかこいつ』って感じで待木が宇宙人に見える時がある。気づいた時には尻小玉引き抜かれていたってことになっても不思議じゃあない。
「とらとら屋のたい焼き」
「……な、なに?」
「アールアールクールジェイのワッフル」
「う」
待木が呪文を唱え出したかと思えば、先輩は一々反応して頭を振ったり涎を啜ったりし始めた。
「この時期ですと、キール・ド・ロワイヤルのアイスクリームも美味しいですよね」
「よ、よせ。何のつもりだ。私を餓死させる気か」
「小林堂の和菓子なんかもいいですよね」
「それはいらない」
あっ、それはいいんだ。
「ケーキに葛餅。かき氷にクッキー。チョコに……そう言えば石高センパイ。今日のおやつはなんでしたっけ」
「外国から取り寄せたモンブランだっけ。アレは美味かったなあ。栗を何個使ってんだよいいんすかってくらい濃厚でさ」
「は、はああああっ。き、君たちはもしや、いつもそんなものを口にしているのか」
「いつもではありませんよ。こないだは石高センパイがマシュマロを持ってきてくれました。手作りだったのでめちゃめちゃ警戒しましたけどね」
するな。
「図画工作アンリミテッドマッチ部に入れば、今言ったようなお菓子を食べられますよ。しかもリクエストだって受付中です。さあどうしますか。ちなみに私たちは急いでいるので一分以内に返事をお願いします」
「一分……? そんな、カレーが四回しかおかわり出来ないくらい短いじゃないか」
アホなこと言ってる間に二十秒くらい経ちましたよ先輩。
ところで。詐欺師ってのは相手に考える時間を与えないらしい。いや、今の状況とは全く関係ない話だけど。
「はい、一分経ちましたよ。どうしますか」
「……う、ううん、ええと」
「仕方ないですねえ」
待木は小林先輩の傍に近づき、何事かを囁いた。先輩の表情が青いものに変わるが、いったい、待木は何を言ったんだろう。
ややあって、先輩は部活に入るから今のことは誰にも言わないでくれと頭を下げた。後で待木に聞いてみよう。
小林先輩が逃げるように俺たちの前からいなくなった後、俺は待木の顔を見遣った。
「けど、小林先輩が食いしん坊だってことがよく分かったな」
「分かったと言うか、分かってたと言いますか。まあ、塩を送られたって感じですかね。センパイは難しいことは気にしないでください」
うーん? まあ、部員が増えたんだからいいか。
ちなみに、この後で部室に戻ったらジュース買ってこなかったことを宝野と丹下院にネチネチと責められた。あいつら性格悪いわ。
性根の腐った連中といたら疲れるし、こっちまで性根がひん曲がって腐り落ちてくるような錯覚に陥る。家に帰ってめぐに癒されよう。
「たっだいまー! めぐー! いるかー!」
「……おかえり」
めぐはリビングで寛いでいたらしく『うわあめんどいのがきたなあ』みたいな目で見られる。俺は兄だぞ。冷たい対応にも屈することなく、俺はめぐを抱え上げる。
「めぐも大きくなったなあ。前より重くなった」
「今日のお兄ちゃんはいつにもましてデリカシーがないのね」
「今日は何が食べたい?」
「そう言えば、クラスの子は夏休みに旅行へ行くらしいの。しかも海外」
へえ、いいなあ。
「俺だって北海道と沖縄に関しては詳しいぞ」
「それはギャルゲーで得た知識でしょう」
早く3が出ないかなあ、アレ。
「じゃあ、めぐがもっと大きくなったら兄妹水入らずでランラランと北へ行こうか」
「ええー、お兄ちゃんと……? まあ、行けたら行くわ」
「そっか! 楽しみにしとくからな!」
「と言うわけで北の幸が食べたいの」
うちの妹は無駄に舌が肥えていた。甘やかし過ぎたかなあ。しかし、同時に俺の頭の中では両親から渡されている生活費めいたお小遣いや冷蔵庫の中身を鑑みて、妹を喜ばせてやりたいと計算し始めている。
「い、いくらとかカニとか?」
「松前漬け」
「渋いなあ」
翌日。俺は学校に着くや否や職員室へと向かった。部員が揃った今、残すところは顧問と活動場所である。
「おはようございます、瑞沢先生!」
「…………おはよう、石高」
と言うわけで顧問候補の瑞沢にプレッシャーをかけに行くことにした。
瑞沢は職員室の前で待ち構えていた俺を見て死にそうな顔になっていた。
「い、今から職員会議だから」
「いや、もうちょっと時間ありますよね」
「ない」
言い切り、瑞沢は職員室の中に逃げ込む。俺は後を追った。
「部員が五人揃ったんですよー。これも瑞沢先生のお陰です」
「そうか、よかったな」
「あとは顧問の先生だけなんですけどねえ。これがなかなか難しくて」
瑞沢は自分の席に荷物を置き、俺を睨みつけた。
彼女は「何が言いたいんだ」と分かり切ったことを口にする。
俺は「顧問になってください」と決まりきったことを言い切った。
「どうして私なんだ。他の先生に頼んでみたか?」
「や、俺は先生一筋なんで」
つーか面倒くさいし。瑞沢だったら一々事情を話す手間も省けるし。
「とにかく俺は瑞沢先生がいいんです」
「……お前なあ」
何か言いかけた瑞沢だったが、どうやら、本当に朝の職員会議が始まりそうな雰囲気になってきた。仕方ない。今朝はこのくらいにしておこう。
昼休みになり、俺は樋山くんと食堂に向かった。いつもどおり、その途中で宝野がついてきて、昇降口のところで待木とすれ違う。彼女はクラスメートの女子連中と楽しそうにお喋りしていた。そして目で語るのだ。近づくな、と。
「今日は何食おうかなあ、俺」
「ヒヤマは何も食べない方がいいんじゃないかな。太り過ぎだよ。見るに堪えない」
「こいつ酷くねえ!? なあ石高、ステイツじゃデブのが多いんだろ!?」
俺に聞くなよ。
「ちくしょう。今日はこの食堂で一番メシを食ってやる。食えなかったら氷水被ってやる」
食堂は今日も混雑していた。席を取るのすら難しいだろうが、そこは肉弾戦車の樋山くんと身体能力の高い宝野のお陰でどうにかなる。
「オラァどけよ一年!」
下級生を恫喝する樋山くん(空腹時限定)に続いていると、お盆を持っておろおろしている小林先輩を見かけた。席が見当たらなくて困っているのかもしれない。俺は先輩のもとに駆け寄った。
「先輩、分かりやすく困ってますね。よかったら俺たちと一緒に食べませんか?」
「……助かる。お言葉に甘えさせてもらいたくてしようがない」
「オケです。あっちにデブとチビがいるのが分かりますか。あそこの席へどうぞ」
頷き、先輩はふらふらとしながらテーブルへ向かう。俺はカウンターを見遣った。おばちゃんたちに生徒たちが群がっている。黒い群れの中、黒いギャルが見え隠れしていた。丹下院である。珍しい。あいつはいつもコンビニで何か買ってたはずだ。教室でげらげら笑いながらメシ食ってるってのに。
でも、ここは無視だ。というか話しかけるなって言われてるしな。
俺は凸凹コンビと合流し、おばちゃん目指して走り出す。ここでのエースは樋山くんだ。俺と宝野が壁を崩して中に彼を送り込む。身体がでかく、当たりの強い樋山くんを最前線に押し込んで、
「おばちゃあああああん! 日替わり三つうううううう!」
でかい声を出させる。彼のオタク特有のよく通る甲高いボイスは他の追随を許さない。ここは弱肉強食だ。声の小さい者はより大きい者に呑み込まれるが常である。
「くそうっ、またあのデブの二年だ!」
「なんで学食の注文ごときでチームプレーしてんだよこいつら! どけ!」
三年の男子を背で防いでいる時、丹下院と目が合ってしまった。彼女は何か言いたげである。
「あ、あたしもっ、あたしも日替わりでいいから! 代わりに頼んで!」
というか言った。こいつ……俺には話しかけるなとか言っときながら。
「はあ? お前ふざけんなよ。俺たちは命を燃やしてるんだボケ。今がその時なんだよ」
「ちょっとマジで頼むって! 何でもするから! お腹減って死んじゃうって!」
「マジか何でもするのかよ! 樋山くん、おっぱ……脇……太もも……じゃなくて日替わり一つ追加だ!」
「ちょ、あんた何させるつもりで」
「分かった! おばちゃああああん、おっぱい追加だあああああああああ!」
「お前もしっかり聞いてんなよ!」
戦利品を受け取った俺たちは小林先輩が待っているテーブルへ戻った。
「あー、喉疲れた」
「おい宝野、うちのエイサ・ブレイナードに水を」
「ヤだよ。自分の汗でも舐めてればいいんだ」
「ショック過ぎて苦笑すら出来ん」
宝野は樋山くんに辛辣である。
「……君たちは仲がいいんだね」
「あれ? 先輩、そのきつねうどんはいつの間に」
薄く微笑む小林先輩。しかし箸を動かす手は止めていなかった。
「あーーーーマジだるい。食堂っていつもこんなん? めっちゃだるいね」
どっかりと椅子に腰かける丹下院。何でお前がそこにいるんだ。
「あ? 何その目。あたしがいたら悪い?」
「いや、別にいいけどさ。お前は俺らと関わりたくないとか言ってたじゃん」
「だって座る場所他にないし。ま、アレ、今だけ特別に喋ってやるって」
なんだこいつすげえムカつく。この腹いせに、樋山くんにはガチで氷水被ってもらおう。この場この時に限って言えば、小林先輩を超えられる胃袋の持ち主など他にはいないのだから。
「おい宝野、あとでうちのエースに氷水を。バケツいっぱいにな」
「うん、分かった」
「分かんなよ!!!」
「うあ、樋山声でかくて気持ち悪い」
今日も散々な樋山くんだったが、彼はM気質なのでへっちゃらである。むしろお腹も満たされてるしちょっと嬉しそうだった。
放課後。
俺は待木と一緒に生徒会室へ向かった(その前に職員室に寄って瑞沢と世間話をしてきた)。
「わざわざ報告しなくてもいいと思うんですけどねえ」
「まあ、一応。アレでも原先輩って俺らのことを気にかけてくれてるような気がするし」
待木はぶつぶつと愚痴っていたが、俺は元気良く生徒会室の扉を開いた。中には原先輩しかいない。よし、無駄に長話をしてこの部屋の空気を体内にたっぷり取り入れよう。そして二人は俺の体内で混ざり合って一つになるわけですよ。
「先輩、今日は」
「ふふ、困っているみたいですね」ん?
原先輩は俺を遮って、何か『ふふん』って感じで話を始めた。偉ぶってる先輩も可愛らしくてお美しい。
「分かっていますよ。部員が足りなくて困っているんですよね。いいですか石高くん。私も鬼ではありません。あなただってうちの生徒なのですから、手伝ってあげたいと言う気持ちはあるんです。ですから、今回だけは特別で」
「あ、部員なら五人目が決まりましたので」
話が長引きそうなのを察して面倒くさくなったのか、待木は原先輩を遮って要件を告げた。
「……ご、五人目が決まったんですか?」
「はい。……あ、石高センパイ。小林さんが呼んでますよ。なんかパソコンがおかしくなったって」
「えー? アレだろ。またなんか変なところ触ったんだろ」
「『何もしてない』という弁解が」
「絶対ウソだぞ。あ、じゃあ呼び出されちゃったんで俺たちはこれで」
ちょ! という原先輩には似つかわしくない焦った声で叫ばれてしまった。俺と待木は立ち止まり、机を乗り越えようとしていた先輩を見遣る。
「小林と言うのは、もしかして三年生の小林棗さんではないですか?」
「そのとおりです。あ、そうか。先輩と同じクラスだったりします?」
「はい。もっとも、小林さんはめったに教室には来ませんが。そんなことより、どうやってあの人を……」
「まあ、その、色々と」
色々。原先輩は口の中で何事かをぶつぶつと呟いていた。
俺は待木に促され、こっそりと生徒会室を出ることにした。何か部屋の中から『まちーや』とか関西弁が聞こえてくるが気のせいだろう。
「……いったい、原先輩は何を言おうとしてたんだろうな」
「さあ? どうせろくでもないことだとは思いますけどね」
部室に戻った俺は部屋の中を見回した。……テレビの前には宝野と丹下院が。パソコンの前には小林先輩が。隣には待木が。これで、俺を含めて五人の部員がいることになった。成し遂げたぜ。
「はい! 皆さん注目です!」
ちょっと自分に酔いしれていると、待木は手を叩いて全員の目を自分に向けさせた。何を言うのかと思えば、廊下に出て、ちょいちょいと俺たちを手招きして、地上を指差した。そこには教師たちが使っている駐車場があるみたいだが。
「部員の問題は片付きました。あとは顧問と活動場所を捕まえるのみです。というわけで、まずは顧問をどうにかしましょう」
「どうにかってどうするのさ」と、至極もっともな質問を宝野がした。
「決まっています。かの諸葛亮孔明を陣営に迎え入れる際、劉備が三度尋ねたと言う三顧の礼は知っていますね」
「なるほど。出向いてお願いするんだね」
「いえ、違います! そもそも三顧の礼は目上の人間が格下に対して三度も礼を尽くすってことですから。私たちは生徒でやつは教師です。ちょっと当てはまりませんね。と言うわけで、とにかく突っ込みます。瑞沢先生がもう勘弁してくれって泣き出すところまで追いつめましょう」
瑞沢と聞き、丹下院が青天井のガチャに三万円突っ込んで爆死してしまったような顔になった。
「ぶっ殺されちゃうって」
「平気です。ねー、石高センパイ。瑞沢って先生、そんなに怖い人じゃあないですもんね」
「は、はあ? 知らねーの? あいつオーガとか言って、ヤンキーくらいなら百人くらいまとめて相手してボコれんだよ?」
俺は最近の瑞沢を思い出す。
『い、嫌だ!』
『私に近づくなっ』
『頼むから来ないでくれ!』
あれ? なんかあんまり怖くないぞ。と言うか別に殴られたりしてないし、何だかんだで面倒を看てくれてるような気さえしてきた。
「大丈夫じゃね?」
丹下院は天を仰いだ。
「そうと決まれば早速行きましょう。ええと、確か……今日はお菓子クラブの活動日ではありませんし、職員会議もじきに終わるでしょうから、駐車場で待ち伏せしときましょう」
『……あ、こちら宝野。ええと、オーバー』
「いや、普通でいいんだぞ」
『だってヨイが雰囲気を出せとか言うから』
「くだらねえ」通話を切ってやった。
俺たちは一塊になって駐車場にいたが、これだと瑞沢にばれてしまうとのことで、バラけてスタンバイすることになった。
宝野と待木が昇降口近く。丹下院が職員室近く。俺と小林先輩が駐車場だ。
俺と先輩は軽のワンボックスカーの影に潜んで瑞沢が来るのを待っている。
「いやー、来ませんねえ」
「……ろく高くんたちはいろいろやってるみたいだけど、普通に頼めばいいんじゃないか?」
普通に頼んで断られまくっているからこんなことをしている。
「じっとしているとお腹が減ってくるな」
「何を言ってんすか」
俺はふと、小林先輩の横顔を舐め回すように見た。いつもはナツメ・ハラヘッテルネンと食いしん坊キャラバンザイって感じだが、大人しくしていると実に美人である。スタイルいいし。絆創膏だらけだが、お肌は白く、物憂げな(ただお腹が空いているだけ)表情は原先輩にだって負けていない。噛み砕いて言えば小生と付き合って頂きたい。
「先輩。実は俺の趣味は料理を作ることです」
「……いきなりどうしたんだ?」
「ついさっき、先輩に毎日、俺の作ったお味噌汁を飲んでもらいたいと思ったんです」
先輩はごくりと喉を鳴らした。そんで彼女のお腹がぐーと鳴った。
「ろく高くん。味噌汁と一口に言っても種類は様々なんだ。味噌の種類、汁に投入する具材によってはとんでもないことになる」
「石高家では豆腐とわかめが定番です」
「……うちも、そうだ」
「朝は赤味噌。夜は白味噌と使い分けています」
「なんてことだ。う、うちもそうなんだ」
だが、と、先輩は立ち上がって首をゆるゆると振る。
「こう言っては何だけど、私は人よりちょっとだけ食べる人間だ。ろく高くんにどれだけの腕があり、レパートリーがあるのか知らないが、私の胃を満足させられる人とじゃないと、その、そういうことは」
「和洋中なんでもいけます。デザートもお手の物ですよ」
「今、私はスペインの食べ物にハマっていて」
「任せてください。一日五回だって十回だって先輩の為に料理を作ります!」
「あ、ああああ、ろ、ろく高くん……。き、君って人は」
「じゃあ結婚しても大丈夫ってことですよね!?」
その時、電話が鳴った。俺は舌打ちしながらケータイをポケットから取り出す。どうやら職員室付近で張っていた丹下院からのようだが、邪魔くさくてしようがない。
「……今、いいところだったんだぞ。俺はもう少しで小林先輩と結婚出来るところだったんだぞ」
『えっ、マジで? おめでとう。あのさ、瑞沢、駐車場の方に行かねえんだけど』
何?
『なんかー、職員室出てー、あいつあたしの顔見たんよ。そしたら急に引き返してさ』
勘付かれたか!
「今すぐ職員室に入れ!」
『はっ? え? なんで? ……あっ、は、反対側から走って出てった!』
やられた。そもそも配置に難があった。丹下院のような問題児を職員室近くに置いといたら誰だって怪しむはずなんだ。
「今すぐ追いかけろボケが!」
『命令すんなバカ!』
俺は電話に強く耳を押し当てた。丹下院は俺が思っているよりもノリがいいやつで、はあはあ言いながら瑞沢を追いかけてくれているらしい。はあはあ喘いでいる丹下院の声に、ちょっと興奮してしまった。
「な、なあ、もうちょっと本気で走った方がいいんじゃないかな?」
『ああっ、くそっ、あのババア! トイレに隠れやがった!』 後で怒られるぞ。
通話口の向こうから、だん、という音が聞こえる。丹下院がトイレのドアを蹴飛ばしたのだろう。
『あれ? どこにもいない……』
「そんな馬鹿な……窓だ。窓から逃げたぞ!」
『ウソ? えー、どうしよう』
俺は電話を切って宝野のケータイにかけた。
『どうしたの?』
「瑞沢が逃げた。ホシはトイレの窓からどこかへ向かっているはずだ!」
『え、えっと』
「今すぐに探してくれ!」
『そんな! 手がかりは』
俺は電話を切った。
「……でも、どこに逃げても最後には自分の車に戻って来るんじゃあないのか?」
先輩の言うとおりだが、今日の瑞沢からは、なんか凄みを感じる。絶対に捕まらないぞと言うオーラを感じる。俺は待木に電話をかけて指示を仰いでもらうことにした。
『もしもし。センパイ、宝野さんがものすごい勢いで走りだしていったんですけど、何を言ったんですか』
改めて聞くと、待木の声質は落ち着いている。ザ・お嬢様って感じだ。この透明感のある声で罵倒されるのはかなりのダメージだ。ちょっと気を緩めたら新しい世界へ連れて行かれそうな。そんな気さえする。が、今はそんなことを考えている場合ではない。
「い、今どんなパンツ履いてるんだ……はあ、はあ」
『黒くてエッチなやつの上に毛糸のオーヴァーパンツ履いてます』
「ふざけんなボケ! 白いの履かないくらいだったらもう何も身に付けるんじゃねえよ! 一人でチムドンドンしてろ!」
『私はいつもセンパイにチムドンドンしていますが』
俺は小林先輩の冷めた目を見て我に返った。
「違う。待木、話を逸らすんじゃない。瑞沢が逃げたんだ。駐車場にはまだ来てない」
『…………はあ。もう少し待ってれば来るんじゃないんですか』
「いや、何か嫌な予感がする……」
その時、俺たちの前を一台の原付が横切った。そいつはゆっくりとしたスピードで裏門の方へ向かっていく。俺はハッとした。ヘルメットで顔が隠れていたが、その闘気だけはどうやったって隠せない。
「み、瑞沢だ! あの野郎、原チャリに乗ってやがる!」
『先生は車通勤のはずです』
「いいや間違いない!」
やられた。車を囮に使いやがった。俺は急いで追いかけるも、バックミラーでこっちの姿を確認したらしい瑞沢はアクセルを目いっぱい吹かした。原チャリに乗ったオーガはすぐに見えなくなってしまう。駄目だ。俺では追いつけない。
「……い、今のが瑞沢先生だったのか?」
「はい。宝野じゃないと捕まえるのは無理でしょう」
「いや、宝野くんにだって無理じゃないか?」
くそう、あの原付をどこから調達したってんだ!
その後、俺たちは駐車場で集まり、全員で溜め息を吐きだした。待木は悔しそうな顔で裏門をねめつける。
「原付があるとは予想外でしたね」
「宝野、今から追いつけるか?」
「ボクを何だと思ってるのさ」
「足の速いストーカー」
ところで、さっきから動物園の檻に閉じ込められたゴリラみたいに同じところをうろうろしている丹下院は何をしているんだろう。
「どうした? 気でも狂ったのか?」
「いや、あたしのバイクがないんだけど」
はあ? バイク?
「今日は遅刻しそうだったから原チャで来てさ、この辺に隠しといたんだけど」
…………。
俺は待木に視線を送る。彼女は頷き、丹下院の傍まで走り寄ってがっちりと羽交い絞めにした。
「てめえ一年何してんだこるるぁ!」
「ほらっ、くすぐりの刑ですよ! 三回泣いたら許してあげますから!」
「わーーーーっ!? やめろっ、嫌だ! よりによって石高は無理だって! ホントムリ! マジごめんって、だっておかしくない? 生徒のもんセンコーが使う!? 悪いのは全部瑞沢だってー! ぎゃー! あっ、あははははははっ、や、やめてっ、やめてえ!」




