ノリコエルセカイ(敗戦)
大学生になって初めてのゴールデンウィークを迎えた。今日は、久しぶりに四人で会う約束をしている。俺は実家から通える距離にある大学へ進学したが、他の三人は街から出て一人暮らしだ。樋山くんに至っては東京だしな。
久しぶりだし、俺たちはもう大学生だ。が、今日だって、集まってやることは高校生の時と変わらない。言ったって、一か月しか経ってないからなあ。
駅前のクッソ不細工な犬の彫像の前で待つこと十分弱、キャップを被った宝野が改札の方からやってきた。相変わらずちっこいし、薄手のパーカーを着ている。飽きないなあ。彼は俺の姿を見つけると、手をぶんぶんと振って走り寄ってきた。
「ごめんね、待たせちゃった?」
「いんや、全然。つーか、やっぱ変わらねえよなあ、そう簡単には」
「だってひと月しか経ってないじゃないか」
やっぱりそうだよな。
「けど、なんか、ロクスケ……服のセンスが変わった? 前までは着てなかったじゃないか、そういうの」
俺ではなく、彼女のセンスなんだが……どうしよう。言おうか、隠しておこうか。いや、何も疚しいことはないんだ。けど、とりあえず四人揃って、機会を窺っておこう。
それから更に十分後、ホストみたいな恰好をした優人と(殺すぞ)、スーツを着た樋山くんがやってきた(卸すぞ)。
「ういー、おひさー」
積もる話はあるだろうが、とりあえず駅前のメイトへ向かうことにした。
「次はいつ集まれるかなー」
「夏休みじゃね? 特に樋山くん、マジで来てくれると思ってなかったよ。あっちのが色々と充実してるんだよな。羨ましいぜ」
「アキバも飽きてきたけどな。それに、向こうにはお前らがいないし」
「ボクならいつでも遊べるよ!」
「今日は禄助んちに泊まろっかなー」
「おーい、俺、今いいこと言ったと思うんだがー?」
みちすがら、取り止めのない話をしていると優人が立ち止まった。
「そういやさ、どうなんだよ禄助」
「何が?」
「いやいやいや、つーか、お前の方から言うと思って待ってたんだけどなー」
だから何がだよ。イラつきながら聞き直すと、優人はチェシャ猫のように笑った。
「いやだなあ、りのちゃんのことだよー」う。
「だ、誰からそのことを」
「いや、お前のおばちゃんから、俺の母さんの方へ話が流れてきました。あと、めぐちゃんにも教えてもらった」
これだから幼馴染は嫌なんだ! プライバシーもクソもない!
「りのちゃん? あっ、は、は、はいだらァ! ふざけんなよ石高ァ! てめえいつの間に女作ったんだ! 飼い犬に手を噛まれるとはこのことだ! お前の勉強を見てやったのは俺だ! 俺に何の断りもなく、畜生が!」
おおー、一か月ぶりに樋山くんの叫びが炸裂した。
「えー、ボクも聞いてない。なんだよう水くさいなあ、ロクスケ。それで? 相手はボクたちの知ってる人なの?」
「まあ、知ってるはずだけど」
「同級か。誰? もう焦らしとかナシな」
言いよどんでいると、樋山くんと宝野が詰め寄ってきた。観念する他ないか。
「瑞沢先生だよ。下の名前、凜乃って言うんだ」
二人は顔を見合わせて、爆笑した。
「焦らすなって言ったじゃん。そういうのいいって。で、どこのりのちゃん?」
「だから、瑞沢。オーガ」
「ロクスケー、TENDONは一回でお腹いっぱいだよ」
「だから、マジなんだって」
優人もうんうんと頷く。樋山くんはごくりと唾を呑んだ。宝野の顔色が青くなり始める。
「え……な、なんで? 消えたはずの瑞沢が石高の女に? つーか、分からん。東大生の俺にも分からないっ」
さりげに自慢するのやめろや。あと、東大は東大でも全然別もんのところに入学しただろうが。
「気でも狂ったの?」
「お前もナチュラルに口が悪いんだよ」
長い時間をかけてじっくりと説明してやると、樋山・宝野の両名も、俺が優人と組んで仕込んだドッキリではないことを分かってくれた。二人のショックは小さくなかったみたいだが、駅前をぶらついている内に、徐々に立ち直ってくれたみたいである。
日も暮れかけて、優人を先頭にだらだら喋りながら歩いていると、駅前から離れていくことに気づいた。気づいた時にはもう遅い。
「あっ、なんで俺の家に来てんだよ!?」
「いや、気づくのおっせーわ。さ、行こうぜ! 勝手知ったる禄助の家で躊躇いなく遊ぶんだ!」
「ヒャッホー!」
「わーい!」
「あっ、おいちょっと待てって!」
確か、今の時間は……。
三人は初めて海を見た山奥の田舎者のようにはしゃいで、ドアを開けて、勝手に家の中へ入っていく。瞬間、三重になった悲鳴が上がった。だから待てって言ったのに。
「いやー、しかし、お久しぶりですねえ、先生」
「相も変わらずお美しい」
「ほ、本当に、そ、そのう、うん、はい」
ジャージの上からエプロンを羽織った瑞沢先生を前にアホ三人が縮こまっている。慣れ親しんだ俺の部屋のはずなのに、三人にとってはここがレバノンか金ヶ崎のように見えていることだろう。
先生はベッドの縁に腰かけて、正座している三人をじろりと見回した。
「お為ごかしはいい。それより話には聞いていたが、三人とも進学したんだな。しかも樋山は東大か。学校も鼻が高いだろうな。もちろん、私も嬉しいぞ」
「ははーっ、ありがとうございます」
「なんだ、それは」
先生が苦笑して、面を上げいとふざけて言った。
「けど、ええと、マジなんすよね? 禄助と、その……」
「うん。そうだ。私は石高さんとお付き合いしている」
「じゃあ家にいたのも。おお、家族公認って訳ですか」
「う、ううん、それは」
おー、先生が困ってる、困ってる。
その時、難しそうな顔をしためぐが部屋に入ってきた。彼女は俺たちの顔を見回して、仕方なさそうに溜め息を吐く。
「先生、分からないところがあるのだけれど」
「そうか。すぐに行く。悪いが、失礼する」
助かったとばかりに先生はいそいそと部屋を出て、めぐを連れて行った。説明を求める、そういった視線を受けて俺は息を吐いた。
「今、先生はめぐと俺の家庭教師兼ボディーガード兼石高家のお手伝いさんとして働いている。決して無職ではない」
「いや、別にそこを突っ込むつもりはなかったけどよ。けど、そうか。それならめぐちゃんも安心だな」
「めぐも先生に懐いてるしな」
先生は一か月前からうちに出入りするようになった。俺がお願いしたのもあるが、実は、母さんも前々から彼女に打診していたらしい。あの二人、気が合っていたからなあ。
「……ロクスケってさ、まだ『先生』って呼んでるの?」
「そういや、オーガ……じゃなくて、瑞沢先生はお前のこと、石高『さん』とか言ってたな」
「先生はいつになっても先生だよ」
「んだよ、つまんねえな。死ねよ」
優人がぺっと唾を吐く真似をする。だん、という音が隣の部屋から聞こえた。ヘタレの優人は咄嗟に身構えてから、亀みたいにその場で丸まる。瞬間、ノックなしでドアが開くと、先生が俺を認めて、次いで三人の顔を順繰りに睨みつけ始めた。
「今、不穏な言葉が聞こえたが気のせいか」
「ええ、気のせいですよ。めぐの勉強を見てやってください」
「ああ、分かった」
しばらくして優人が顔を上げる。
「何、今の。お前のスタンドか何か?」
「この家で俺に害を為そうとしてみろ。ボディに二発、鉄の拳が突き刺さるぞ。ガードしても拳の痕がつくからな」
「ふっざけんな! 固有結界使うならもっと分かりやすく詠唱とかしろよ!」
隣の部屋から、だん、という音が聞こえた。
外が暗くなった頃、先生が部屋に戻ってきた。俺はベッドで寝転がっていて起き上がろうとしたけど、やっぱりやめた。彼女は気を遣うが、気を遣われることを嫌がる節がある。特に、俺には。
「寺嶋たちは帰ったのか?」
「え? ああ、はい、そうです」
あの後、優人たちはすぐに帰ったのである。気を遣われてしまったのか、はたまた身の危険を感じて逃げ出したのかは判らないが。まあ、明日も会おうって約束をしたし、半端な再会にならなくてよかった。
「今日は皆、一か月ぶりにママの料理を食べられるって喜んでましたよ」
「なんだ。ここに泊まると思って、せっかく布団の用意をしていたのに」
先生はドアを閉めて、ベッドの縁に腰を落ち着かせる。
「めぐの調子はどうですか」
「相変わらず優秀な生徒だ。私が教えることも殆どない。将来が楽しみだな」
自慢の妹である。俺の人生が上手くいかなくても、めぐに養ってもらおう。……そんなことを口にしたら、先生に嫌われてしまいそうだから言わないが。
「じゃあ、そろそろ夕食の支度をしないと。あ、先生も食べていきますよね」
頷きかけて、先生は顔をしかめた。
「いつか、お前の腕前を超えないとな。お手伝いと言うことで雇われたのに、雇い主に料理を作らせてしまうとは」
「だって俺のが上手いんですもん」
「ぐ、いや、事実だからな。今は勉強させてもらう」
「そうしてくださ……お、なんすか」
起き上がろうとしたら、押し留められて転がされる。先生はベッドサイドに置いてあった耳かきを手にして、悪戯っぽい笑みを見せた。嫌な予感がして、両腕で顔面をガードし、両足をぴったりと閉じる。
「今はこんなことくらいしか出来ないが」
「えー、いや、何をする気なんすか?」
ぐぐぐと、閉じてた足を腕力でこじ開けられた。先生はそこに自分の膝を潜り込ませて、俺の背中の下に腕を差し込む。あっという間に抱えあげられてしまった。もはや逆らうつもりはない。俺は流れに身を任せた。ややあって、柔らかな感触が後頭部に伝わる。……ああ、そういうことか。
「……膝枕してくれるんなら、最初からそう言ってくれればよかったのに」
「うるさいな。動くと危ないぞ」
身体を横向きにされる。真っ白い壁を前にして、俺は身じろぎした。
「こら、危ないと言っただろう。ただでさえ私は不器用なんだからな」
誰かに耳かきされる、というか、耳の穴の中を覗かれるというのは酷くくすぐったい。普通なら嫌悪感が先立つんだろうが先生になら何をされてもいい。むしろ気持ちいい。
「先生と初めて会った時は、こんなことをしてもらえるような関係になるなんて思ってなかったです」
「当たり前だ。私は教師で、お前は生徒だったんだからな」
「じゃ、今、先生はどんな気持ちですか」
「……うるさいな」
「あいたっ」
耳たぶを軽く抓られた。いかんいかん、からかい過ぎるとカウンターが返ってくる。もう黙っておこう。
「なあ、石高」
「なんすか」
黙っておこうと思ったら向こうが話しかけてきた。案外、寂しがりな人なのだ。
「どうして、私を好きになったんだ」
「先生こそ、どうして俺と付き合ってくれたんですか。正直、未だに不思議なんです」
そりゃ、先生は勉強を見てくれたり、屋上にも来てくれた。色々と助けてくれたけど、あくまで教師として生徒を助けてやったに過ぎない。そう言われても否定は出来ないんだ。
「私にも分からん。だってお前は生徒だったんだぞ。普通なら、ありえん。だけど、姉妹なのかな、やっぱり」
「何がっすか」
「好みとか、似るのかもしれないなって。姉さんはお前のことをかなり気に入っているからな。ほら、あの人はクズが好きだから」
「……その話だと、俺もクズで、先生もクズが好きってことになりませんか?」
それはないと先生はきっぱりと言い切る。本当かよ。
「だってお前は私を庇ってくれたじゃないか。姉さんの店でも、学校でも。勉強も頑張っていただろう。私に嫌な顔一つせずに……とはいかなかったが、付き合ってくれたじゃないか。そんなことは教師になって、いや、生まれて初めてだったんだ。『何故か』皆、私のことを怖がるからな」
あれ? もしかしてこの人って、自覚がなかったのか?
「学生の時だって、私は普通に笑っているだけなのに、皆に謝られたこともあったなあ」
感情表現というか、やっぱり、色々と不器用な人なんだな。そこんところ、ユキさんはちゃんと分かって、先生の気持ちってのを読み取っていたんだろう。
「優しくされるのに弱かったんですね、先生は」
「そんなことはない。私に弱点などないからな」
「ああ、そうですか」
今更俺に見栄を張ってもしようがないってのに。
「なあ。なあ、私と姉さんと、どっちの膝枕がいい?」
えー、いきなりなんだそりゃ。とりあえず寝た振りして黙っておこう。と思っていたが、先生は俺の頬っぺたをぺたぺたと触り続ける。鬱陶しい。
「なあ、どっちがよかった?」
「せ、先生に決まっているじゃないですか。俺は、枕にはある程度の固さが必要だと思うんですよ。その点、先生のお膝には適度な筋肉があって」
「ああ、もういい。悲しくなってきた」
「でも先生、そりゃあ柔らかさで言ったらユキさんに勝てる人はいないっすよ。けど先生、俺は先生の膝枕が一番です」
「ああ、そうか。もういい。もういい」
拗ねられてしまった。アラサーの拗ねる姿は可愛くもあるが痛々しくもある。
「なあ」
「あ、おい。口の利き方が」
「ごめんな、凜乃」
ぴたりと、先生が手の動きを止めた。心なしか顔が赤くなっているような気もする。どやあ、ざまあみろ。
「……不意打ちだぞ、それは!」
「いっ!? 痛っ、み、耳がっ、ミミガー!」
俺は思う。
今は、俺は幸せなんだ、と。
先生とならどんな壁にぶち当たっても平気だ。彼女が一緒にいてくれるなら、俺はどんなに高い壁だって乗り越えてみせる。そも、先生ならどんなに分厚い壁だって真正面から打ち砕いてくれるだろう。
俺は先生と出会って強くなったと思う。心とか、頑丈さとかが。
でも。しかし。ただ。……もし、先生と出会えなかったら、彼女を『凜乃』と呼ぶことが出来なかったなら、いったい、俺はどんな風になっていたのだろう。どんな風に生きていくのだろう。今の俺には想像出来ないが、俺じゃない俺ってのがいたとして、先生と出会えた俺みたいにちゃんと頑張ってくれるのかな。やりたいことを見つけて、真っ直ぐに進んでくれるのかな。
いや、不安に思うことはない。どんな俺でも、俺は俺なのだ。難しい問題にぶち当たっても、縛られても、必ず越えていく。好きな人が待っているのならどんな障害だって越えていくはずだ。俺たちはきっとルールを越えて、また恋をする。誰に乞われるまでもない。誰にも壊すことは出来ない。好きになって、一緒になる。それが俺たちのルールというやつで、幸せの形なのだ。




