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ノリコエルセカイ(殲滅)

 図書室でニコチンどもに絡まれた翌日の朝、教室に着くと違和を感じた。いや、誤魔化しても駄目だろうな。俺は今、めちゃめちゃ丹下院たちに睨まれている。うん。知らんふりを通そう。

「おいすー、禄助。お前さ、なんかやったんか?」

 優人が気色の悪い顔を下げてやってくる。こいつめ、俺の不幸を喜んでやがるな。

「なんでもねえよ。俺はマジで何もやってねえんだからな」

「ま、だろうな。でもな、せーぜー気ぃつけろよ。この学校にゃあ分かりやすい不良はいないけど、分かりにくい馬鹿はいるんだからな」

 んなこたあ昨日で痛いほど身に染みたけど、何せ向こうからやってくるんだからしようがねえじゃんか。先生に助けられたけど、次はどうなるか分からない。諦めてくれたんならいいけど、あいつらのあの態度を見る限り、その様子はなさそうだ。

「当分の間はお前らと遊ぶとするか」

「その言い方ムカつくわー。何様のつもりだてめえ」



 ひとまず今日は何も起こらないだろうと油断していた。午後の授業、六時限目の体育が終わったあと、俺は自分の携帯電話がないことに気づいた。代わりに、ズボンのポケットに紙切れが入っていたことにも気づく。

 俺は優人たちには何も言わないで、四つ折りになった紙を開いた。『放課後、屋上、一人で。持ち物は預かっています』と、予想通りのことが書かれていた。古いっつーかなんつーか。ラブレターですら見ないご時世なのに、よくもまあ、わざわざ。

「……わりぃ、優人。今日は駅前行くのやめとくわ」

「は? なんで?」

「野暮用が出来たんでな」

 ふうん、と、優人はそれきり何も聞いてこなかった。



 放課後になって、俺は丹下院たちが教室から出て行くのを確認した後、屋上へと向かった。無視してやってもよかったが、たぶん、あいつらは諦めないっつーか、しつこく嫌がらせを繰り返すつもりだろう。だったら面倒なことはさっさと終わらせるに限る。

 しかし、屋上て。鍵がかかってるだろうに。まあ、考えていてもしようがない。ケータイを人質に取られている。妙な出会い系サイトとかに登録されたら嫌だし、取り返しに行くとしよう。

「……と、すんません」

 階段を上っている途中、大きな紙袋を抱えた人とぶつかりそうになった。袋の中には、パンやお菓子といった大量の食べ物が詰まっている。

「……ん、平気だから、大丈夫」

 背の高い、腕に包帯を巻いた先輩らしき女生徒は、俺の方をろくに見ず、どこか嬉しそうにしたまま階段を下りていった。危なっかしい足取りである。が、気にしていられる余裕はない。



 階段を上り切り、屋上へと続く扉の前に立つ。ご丁寧に、そこには丹下院がいた。おお、リーダー自ら出迎えとは。

「うーわ、マジで来たよ」

「来いって言ったのはお前らだろ」

 屈み込んでいた丹下院は鬱陶しそうに髪を掻き分け、息を吐き出す。

「つか、馬鹿じゃん? ホントに一人で来るとか頭おかしいんじゃない?」

「だから……いや、いい。で、ケータイは返してくれるんだろうな」

「さあ? あたしは別にどうでもいいから。あんたがチクったって何したって、どーだっていい。舐められたくないって気にしてんのは、他のやつらだから」

 私は違うってかい。あるいは、てめえだけ責任逃れようとしてるってところか。こっちだってお前がいようがいまいがどうだっていいけどな。

「見張りやってんのは、一応の義理立てか?」

「……いいから行けや石高。あんま待たすと、何されっか分かんないよー?」

 丹下院は味方じゃない。ここでこいつと喋っても、たとえば助けてくれよって泣きついても無駄だ。

「ま、さっさと謝っちゃえば? そうしたらすぐに終わるって」

 俺は扉を開けて、屋上へ出た。……で、誰が誰に謝るって?



 屋上には揃いも揃って、てな感じに七人の不良がいた。内訳は男が四。女が三。どいつもこいつも俺が来た途端、敵意どころか殺意めいたもの丸出しの視線を向けてきた。

「おおー、来た来た。そんじゃあさ、石高」

「いいからさ、ケータイ返せよ」

 俺はアホを遮って手を差し出した。

「……え? は? や、マジかお前」

 一番派手な髪型をした、茶髪のボケが笑いだす。他のやつらもつられて声を上げた。ああ、楽しそうだ。思えば、こいつらはいつだってゲラゲラ笑ってる。

「あーあー、返す。返すって。けどさ、言うことがあるって分かってるよな? この前だって言ったもんな、おれら」

「何をだよ」

「はあァ!? つっか、ンでそんな強気なんだよおめえよォ!? あやまりゃあ許してやるって言ったよな!」

 いや、たぶん言ってない。聞いてない。俺はその場に座り込んで、適当なやつをじろりと睨みつけてやる。

「寛いでんじゃねえぞ」

「なあ、やるんならやれよ」

「は?」

「いや、は、じゃないから」

 俺はこんな奴らには捕まらない。本気で逃げりゃあ誰にだって捕まらない。ぜってえ屈しない。でも、それじゃあ勝てない。そもそも勝ち負けってなんだって話だけど、俺を呼んだこいつらは白黒ハッキリさせたいんだろう。立ち位置をしっかりしときたいんだろう。

 自分たちが上で、俺が下で。見下すことはあっても見下されたくはない。

 気持ちは分かる。でも俺にだって意地がある。普通にやってもボコられるだけで終わっちまうんなら、舐められっ放しで終わるってんなら、こうだ。

「俺は何もしねえから、好きにしてくれ。終わったらさ、ケータイ返してくれよな」

 七人の男女は顔を見合わせている。

「そんかし、俺は絶対に謝ったりしねえから」

「……ふ、ふざけんな……!」

「イカれてんのかお前よ」

 ちょっと前の俺だったら、こんな真似はしなかっただろう。先生のお陰で少しは根性がついたのかもしれない。そうだったらいいなと、心から思った。

「やれよ」

「やれって、お前、マジで言ってんの?」

「つめてえんだよ、ここは。なあ、さっさとしろって。……おい、なあっ。ケツが冷えまくっちまうだろうが!」

 最強の護身術は危険に近づかないことだと、誰かから聞いたことがある。とにかく逃げる。もう一つ、戦わないことだ。だから、俺を囲んでおいて手を出そうとしないこいつらは、正しいと言えば正しいのかもしれない。威圧的な言動とチャらそうな格好。普通のやつなら、好き好んで近づこうとは思えない。自分たちが危険なものだと喧伝して歩けばあぶねえもんがやって来ないのかもな。おお、ヤンキーってのは護身の完成形の一つなのかもしれねえ。

「てめっ、笑ってんなよ!」

 一回でも手を出したら収まらなくなる。ビビっていたのはお互い様だったが、遂に向こうが痺れを切らした。思い切り背中を蹴りつけられて、気が遠くなる。

「なあっ、笑うなって! なあ!」

 二、三、四、五、六……あれ? ちょっとこいつらやり過ぎじゃね? 痛い。痛い痛い、痛いし、強いし、なんだよ止めろよ!

 けど、我慢してやる。耐え切ってやる。

 頭踏まれて、肩蹴られて、転がされて踏みつけられて、無理矢理立たされて、腹ぁ殴られたって、何されたって……。



 何発殴られたか。何度蹴られたか。何回痛い思いをしたか。

 気を失うのは駄目って気がして、気持ちが折れないように耐え続けてきた。制服はぼろぼろになってるだろう。でもまだ負けてない。どうだ。この野郎。俺に喧嘩売っといて、そんなうまく事が運ぶわけねえだろうが。

「……こいつ、まだ笑ってる。ねえ、もうやめとこうよ。死んじゃうって」

「え、うちら、人殺しになるってこと?」

「死なねえって人間はそんな簡単にさあ」

「けど、さすがにムリ。疲れちまった」

「あー、じゃあ、もう置いてこうぜ、こいつ」

「は? いいの? 放置してたらマジで死んじゃうんじゃね?」

「そうなったらそうなった時だって! なあ、覚悟決めろや!」

「覚悟って、お前さあ」

「うわ、高橋さ、なんかキマってんの? 血ぃ上り過ぎだろ」

「あいつはほっとけ。とりま、ガッコ出たら匿名で電話しようぜ。『屋上に人が倒れてる』って」

「えー、この学校の電話番号とか知らないんすけどー」

 おい。ちょっと待て。

「なんか、天気予報見たら晴れらしいし、この時期に凍死もしないっしょ」

「そっか。じゃ、おい、石高。てめえ誰にやられたかばらしたらどうなるか分かってんだろうな」

「まだケータイ預かってんだからな。余計なことしたら、お前以外の誰かも痛い目に遭うかもしんないよ」

 ふざけんな。ここまでさんざんやりたい放題して、まだ足りないって言うのかよ。ああ、思い切り罵ってやりたいのに、口が開かない。声が出ない。

「高橋のやつ、ちょっと目覚めてねえ?」

「いや、これ以上は何やってもやばいって。手ぇ引こうとすんだろフツー」

 気が。

「好きにさせとけって。おれは何も知らねえ」

「うちもー。馬鹿じゃねえの、あいつ」

 遠い。

「あーーーー、つーか腹減った」

「人殴るのも疲れるもんだよな」

 遠くなる。

「少年Aのうちにいい経験が出来たんじゃねえの?」

「いやいや、捕まらねえから。ただの喧嘩じゃん」

 俺はいったい、何を。

「なんかあったらマジでボコボコにし直すって!」

「だからやめろって言ってんじゃねえか。やり過ぎだって」

 ああ。

 ああ、せめて、せめて。

 やり返すとか、そんなんどうでもいい。ここで俺がやられてるだけなら、それだけで済む話なんだ。けど、駄目だ。頼むから。俺の友達や、家族には何もしないでくれ。約束が違うだろう。早くケータイを返せよ。負けを認めて、もう二度と関わらないって思ってくれよ。……手も足も自由に動かない。這いつくばって進もうとしても、お腹が痛くて力が出ない。駄目だ。あいつらをあのまま外に出させたくない。

「…………せん、せい」

 助けて。



「うおおっ!? んだよ今の音!」

「は、何ビビって……あれ?」

「なんで、ドア、壊れてんの?」

「意味わかんね。意味わかんねえんだけど」

「え、あ、つか、リューコは? ね、あいつ、一人でどこにっ」

「そんなんどうだっていいって」

「なあ、それよっか、今なんか」

「がっ!?」

「あ、今、なんで高橋」

「お、おいっ」

「あいつ、飛んでね? ……うあ、やば」

「は? 嘘」

「オーガだ」

「え? オーガ?」

「瑞沢?」

「う、あああああああ、やべええええええええ、やべえってえぇええ」

「畜生どうしてまたあいつがいんだよ!?」

「ちょいちょいちょい! ちょい待って先生ってば!」

「おれたち別に何も悪いこと、あ、あ、げっ、えええええええええ……」

「うそ、うそ、めっちゃ吐いてるんですけど」

「逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ!」

「あああああっ、退けって! 邪魔だ!」

「ひっ、せ、ご、ごめ……ごめんなさ――――」

「教師が生徒ボコっていいと思ってんのかよ!?」

「違うっつーの! おれは手ぇ出してないって! やったのは全部高橋っ」

「そ、そそそそ! 高橋だから! あいつだけ!」

「いい加減にしてくれって! おれらが悪かったから! だからっ」

「いだっ、痛! いっ、でええええぇぇえええええええええ!? すっ、すんませ……あああああがががががあああああああ、いやだあああああああぁぁっぁぁ」

「な、なあ? 俺の腕さあ、曲がってねえ?」

「あ、ひ、ひっ、なんで、どして、う、うちは一回しか叩いてないのに、な、なんで」

「やめてええっ、やめてくださいおねがいしますううううううう!」

「あ、ああああああああああっ、ああああぁぁぁぁぁアああああああああああああ!」



 俺は無事に進級して、三年になった。



『だっくんさー、今日で私は卒業しちゃうわけだけどー』

『卒業、おめでとうございます』

『んん、ありがと。でさー、私と付き合わん?』

『唐突っすね』

『まーね。よし、付き合いましょう』

『や、お断りします』

『うっそ? あーあー、やっぱり』

『すんません。でも、初志貫徹すべきだと思うんすよ、俺は』

『……ふーん。私振ったの、後悔しちゃえ』

『いや、もうしてます』



 東山先輩たちも、へらへらしていっつも遊んでるように見えたが、しっかり皆さん卒業して、大学に行ったり、フリーターで遊んだり、家庭に入ったりする人もいた。ちょっと寂しい。

 お菓子クラブはなくなってしまった。部員が俺一人だけになったし、顧問がいなくなったからだ。……三年生の春。瑞沢先生は、学校から去っていった。別の学校に異動したのかもしれない。あるいは、教職から離れてしまったのかもしれない。何にせよ消えた。いなくなった。俺は何も知らないままだ。彼女は誰にも何も言わないで。彼女について誰も何も言わなかった。恐らく、というかほぼ確実に、あの日、屋上で起こった事件のせいだろう。思い出したくはない。もう終わったことである。何もかも終わって、関わったやつは、俺を除いて全員がどこかへ行ったんだ。

 取り返したケータイは完全には壊れていなかった。だけど、データを復元しても先生のもとにはメールが届かなかったし、電話だって繋がらなかった。ユキさんも、先生がどこに行ったのかを教えてくれなかった。傷が治った時に悟った。

 そうだ。何もかも終わったんだって。



「なあ、知ってるか禄助」

 三年になっても優人とは同じクラスだった。樋山くんは別のクラスになってしまったが、代わりに宝野と同じクラスになったのでプラマイゼロということにしておこう。

「何をだ?」

 昼休み、教室で、参考書片手にパンを食っていた俺のところに優人がやってきた。エセ眼鏡はいつになく真剣な顔で、しょうもないことを口にした。

「瑞沢のことだよ。あいつ、急にいなくなっただろ。ちっと気になったからさ、話を仕入れてきたんだ」

「……別に興味ねえよ。学校が平和になって、それでよかったってことでいいじゃねえか」

「お前が聞きたそうな顔をしてたからだよ」

 そんな顔をした覚えはない。

「まあ聞けよ」

 優人は俺の前の席の椅子に座って口を開いた。

「あいつな、教師になって一年目の時に、生徒をボコボコにして飛ばされたんだってよ。なんか、受け持ってたクラスでいじめがあったらしい。そのいじめの首謀者がさ、すげえ不良で、教室ん中でもたばこプカーっと吹かすようなアホだったらしいわ」

「なあ、俺は別に聞きたいなんて言ってねえだろ。勉強の邪魔だぞお前」

「いじめられてたやつは、結局、どうしようもなくなってさ、転校したんだって。教師に相談しても無駄だったらしい。その後、瑞沢は何を思ったか不良どもを文字通り一掃したんだってよ。笑えるよな。今更おせえんだって」

 だからどうしたってんだ。

「だからよ、今回もそうなんじゃねえかって思ってるわけよ、俺は。……禄助。お前さ、すげえズタボロになった時があったろ。二年の二学期。俺も、めぐちゃんだって何も聞かなかったし、聞いたとして、お前も絶対に答えなかっただろうな。けど、丹下院とツルんでたやつらは殆ど転校してったよな。ま、当の丹下院本人は残ってるけどよ」

「何が言いてえんだよ、優人」

「どうしたって言わねえんだな、禄助」

 俺と優人は至近距離で睨み合う。教室の端っこの方から黄色い悲鳴が上がった。おい。誰が何を想像しやがった。

「ま、そんならそれでいいよ。ただな、もう心配かけんじゃねえぞ。俺は喧嘩じゃあ全然役に立たないけど、そんでも、お前の味方だからな」

「えっ、いきなし何をクサいこと言ってんの?」

「……茶化すなよう」

「まあ、そんじゃあさっそく役に立ってもらおうかな。この参考書の、この問題さ、解説読んでも意味が分からねえんだけど」

「任せろ低能。まずは九九から始めようか」

「うぜー」



 新しい一年が始まった。だけど、俺はとっくのとうに戦う準備を進めている。先生から教えられたのだ。志は高く持て、と。

 春夏秋冬、休みなく机に向かった。地頭はどうしようもなくアレな俺だったが、空っぽだった分、詰め込むことには向いていた。二年の頃は最低に近しい成績だったが、三年の一学期、二学期と、自分でもびっくりしておしっこ漏らしそうになるくらい伸びていた。

 それもこれもみんなのお陰である。幸いなことに俺の友人たちは頭が良かった(ただし宝野は除く)。優人と樋山くんだって自分の受験勉強で手一杯だっただろうに、色々と手伝ってくれた。その甲斐あって、俺は志望の大学に合格出来た。優人は第一志望に落ちたらしいが滑り止めには受かった(それでも並のレベルではない。俺の数段上のところだ)。樋山くんはあの有名な東京の大学に受かった。驚きはしない。宝野はスポーツ推薦でよく判らんところに行くらしい。

 ひとまず、何とかなった。だけどここからだ。まだまだ、足りない。俺は、教師になる。その為にこれからも頑張るつもりだ。



 時が経つのは早い。俺たちにも、三年間お世話になった学び舎から巣立つ時が来た。とはいえ、大学に受かったと分かった後は、殆ど学校には行かないで息抜きしていたのだが。

 感慨深かったが涙は出なかった。泣くのはまだとっておこうと思うのだ。そう、俺には野望がある。そいつを達成するまでは、絶対に……!

「なあ、石高」

「あ? 何だよって……珍しいな、おい」

 式が終わり、校門を潜ろうとしていた時に声を掛けられた。『先輩の第二ボタンと貞操をください』って下級生かとも思ったが、そうではなかった。丹下院である。あの日以来、顔を見ることはあっても話すことなんかなかったってのに、どういう風の吹き回しだろうか。

「何か用かよ」

「あたしとはさ、口を利きたくないと思うんだけど、まあ、最後かもしんないから、言わせて」

 いつもの生意気な調子ではない。ふと、妙な予感がした。

 今になって思うと、丹下院はあの事件に積極的ではなかった。味方ではなかった。敵でもなかった、とは言い難いが、俺の中では、彼女だけはセーフという扱いだったのかもしれない。

「もしかして、先生のことか?」

「ん、うん。そう。あん時、あたしも何が起こってたんか見てたからさ」

「そういや、お前は先生に見逃されたんだな」

「あ、借りが出来たとか思うなよ。あたしだって、もう返してんだから。……あー、けど、そうじゃないかもしんない」

 何を言ってんだ、こいつは。

「先に言っとくけど、別に、瑞沢を庇おうって思ったわけじゃないから。あの後、事情聴取っつーか、まあ、他の先公からも色々うっとーしーこと聞かれてさ。ほら、あんたはまともに話せる状態じゃあなかったじゃん。ま、話ややこしくしたのは、あいつらだけど」

「あいつらって、高橋とか?」

「そ。結局さ、あんたに負けたんだよね。手ぇ出しちゃった。なのに、自分たちは何もやってない。一方的に瑞沢にやられたーとか、見苦しいこと言っちゃってんの。なんかムカつくから、あたしはちゃんとホントのこと言ってやったんだよ。したら、あたしの友達いなくなっちったけど。みーんなどっか行っちゃったからさ」

 その辺は知らん。自業自得だからな。

「よく分かんねえな。恩に着せたいのかよ」

「違うっつーの。教えといてやろうって思ったの。心配しなくてもさ、瑞沢は逮捕されてないよー、くろーいところが揉み消したよーって」

「……黒いって、学校がそうしたってのか?」

「さあ? もしくは、どっかの金持ちがやったのかもね」

 丹下院は無邪気な笑みを浮かべる。

「だから、信じてりゃあ会えるんじゃね? そう思ったの、あたしは」

 誰に言われなくても、俺はそう信じてる。

「どうしてそんなこと俺に言ったんだよ。黙っててもよかったのに」

「そう思ってたけど、最後かもしんないって思ったからだーって、さっきも言ったじゃん。それに、屋上でボコられてたあんた、ちょっとかっこよかったよ。寺嶋君には負けるけどね」

「げ、なんだよそれ。お前、優人のことが好きだったのか?」

「だったじゃねーし! 今も好きだし! あ、よかったら寺嶋君の連絡先、教えといて。同じ大学に行きたかったけど、ちょっとレベルが違うっつーか、世界が違うっつーか」

 やっぱり恩に着せてるじゃねーか! まあ、いいけど。ちょっとだけ安心したから。優人には悪いが、役に立つって言ったもんな、あいつ。流石親友だぜ。



 卒業式が終わって丹下院と話した後、俺はまっすぐ家には帰らずに榊原書店へ向かっていた。ユキさんに報告したいことがあるからだ。これから先、アルバイトを続けるのかどうか、とか。個人的にはお世話になり続けたいのだが、大学生にもなると生活リズムっつーか、環境が変わるから、もしかしたら、迷惑をかけることになりかねない。きちんと話しておきたかった。

 自転車を邪魔にならないところに停めて、建てつけの悪い戸を開く。ここを開けるのもすっかり慣れてしまった。

「こんにちはー、ユキさん、いますかー」

「こんにちは、石高さん。ええ、私はここにおります」

 ユキさんはカウンターの奥の椅子に座っていた。彼女の定位置である。今までも変わらず、これからも変わらないのだろう、きっと。

「ユキさん。石高禄助、無事、卒業しました。これもユキさんのお陰です」

「ああ、そんな。私は何もしていませんよ。全て、石高さんのお力によるものです」

 二人でぺこぺこと頭を下げ合う。

「ところでユキさん。アルバイトのことなのですが」

「……ええ、そうだろうと思っておりました。やはり、ここを辞めてしまうのですか」

「いや、続けたいんですけど、時間が合うかな、迷惑にならないかなーっと思いまして」

「石高さんの思うままになさってください。続けてくださるのなら、私も嬉しいですから。それより、大学生にもなると色々と要りようになるでしょう。うちのお給金だけでは心もとないと思いますが」

「ああ、それは……やりたいことがあるんで、四年間、遊びに行くわけじゃあないんです。親も納得してくれて、お金の面で助けてくれると言ってくれました。だから、俺にはここでのアルバイトで充分です。というか、他でバイトするってのはちょっと考えられないと言いますか」

 ユキさんは薄く微笑んでくれた。が、すぐに目つきを鋭くさせる。

「もしや、教職に就こうと思っているのではないですか。石高さん、悪いことは言いません。お止めなさい。あなたはまだ、あの子の……凜乃の影を追いかけているように見受けられます。石高さんはまだお若いのですから、過去を引きずるような生き方は」

「確かに、俺は学校の先生になろうとしています。けど、先生を理由にするつもりはありません。なりたいって思ったのは瑞沢先生のお陰ですけど、別に、あの人と会いたいから、近づきたいからって、それだけで先生になろうとしてるわけじゃないんです」

「本当ですか?」

 もちろん、と、俺は頷いた。

 瑞沢先生は自分を曲げない人だ。自分がどんな目に遭ったって、正しいことを貫こうとする。自分が正しいと信じている。後悔も、不安も、きっとないのだろう。俺はぐにゃんぐにゃんのふにゃんふにゃんな生き方をしていたけど、彼女を見習いたい。彼女のように生きて、彼女のように生きることを教えていきたいと思ったんだ。

「……ふう、あの子の頭の固さが移ってしまったのでしょうか」

 そう言うユキさんだが、どことなく嬉しそうである。

「では、頑張る石高さんに一つご褒美をあげましょう」

「おお、なんすか、なんすか」

 ユキさんは椅子から立ち上がり、居間へと向かった。今日は戸が閉まっているが、テレビの音が漏れ聞こえている。点けっ放しはよくないですよと言おうとしたが、彼女は俺が口を開くよりも先に戸を開いた。

「んんー? 姉さぁん、もうご飯が出来たのか……?」

 ……誰だ?

 畳の上に、ジャージ姿の女性が寝転がっている。非常にだらしない。髪の毛もぼさぼさだし、眼鏡の位置もずれてるし、まだ昼日中だってのにゴロゴロとしているのだ。ろくな大人じゃあない。

「って、姉さん?」

「凜乃。お昼ご飯はさっき食べたではないですか」

「ああー、そうだったっけ」

 り、の……? え、あ、えっ?

「ゆ、ユキさん。そこの干物のような女性は、もしや」

 ユキさんは大きく頷いた。

「はい。凜乃です。瑞沢凜乃です。石高さん、あなたの担任でもありましたね」

 俺は崩れ落ちた。起きながらにして悪夢を見ているような気分である。これが本当だとしたら、この世界は冗談というモノで構成されているに違いない。

「お、おおおお俺は、俺は」

「うーん? あれ、姉さん、戸を開けていいのか? まだ営業中じゃないか。お客さんが……お客……あれ? あれ?」

「俺はっ、教員免許取って! 先生になって! 赴任先の学校で先生と再会して! とか! そういうの! 想像してたのに! そういうことを考えて頑張ろうとしてたのにっ。してたのに!」

「ああ、やはり、邪なことを考えていらしたのですね、石高さんは。素敵ですよ」

 何してんですか瑞沢さん!



「で、私がモテないのはどう考えてもお前らのが悪いって顔をしてらっしゃいますが」

「私はそんな顔をしていない」

「今更取り繕われても……」

「しかし、しばらく見ない間に良い男になったじゃないか。うん、そんな気がする」

「嘘おっしゃい。石高さんがいらっしゃると、いつも陰からこそっと覗いていたくせに」

「うるさいぞ姉さん」

 瑞沢ショックから立ち直ったあと、榊原家の茶の間で、俺とユキさんと先生の三人でちゃぶ台を囲んでいた。先生はきりっとした顔を作ろうとしていたが、一年もの間ユキさんの家で甘やかされてだらだら過ごしていたのだろう。どこか締まりのない表情をしている。誰だ、あんた。

「どうして、ここにいるんですか」

「いや、だって実家には帰りづらいし。一人暮らしを続けるにも貯金が心許なかったし、姉さんの家に厄介になるのは自明の理だろう。って、そんな顔で見るな。いや、ちゃんとな、新しい仕事も探していたんだぞ? けど、クビになっちゃったから。そんな簡単には教員なんてなれないし、今まで気を張っていたんだから、少しの間くらいはいいかなと思うのもしようがないことだろう」

「言い訳がましいことを偉そうに」

「教師に向かってなんて口の利き方だ」

「もう先生は先生じゃないですし、俺は学校を卒業して、先生の生徒でもないですから」

 ぐ、と、先生は唸った。俺はお茶を啜った。

「……やっぱり、怒ってるよな。失望したよな」

「まあ、そりゃ。けど、一番怒ってるのは、どうして何も言ってくれなかったんだってことに対してですよ。何も言わずにいなくなったのは、これはしようがないです。けど、ユキさんのところにお世話になってるんだったら、言ってくれたってよかったじゃないですか」

 先生のついでに、ユキさんにも『なんでやねん』という気持ちを込めて見据えつけてみる。ユキさんは瑞沢先生の行方については、知らない、分からないと俺に言ったのだ。

「すみません、石高さん。凜乃から固く言われていたのです。絶対に教えるな、と。生徒さんに、石高さんに自分の情けない姿を見られるのが耐えられなかったのでしょう」

「そんなことはない」

「と、言っていますが」

 あー、そういや最近、ずっと戸が閉まってたっけなー! 気づかなかった俺も俺だが、しかし、実は先生は、今までも俺がアルバイトでここにいる間、居間の方でごろごろ転がっていたというのか。アホ臭くてやってられん。

「はあー、もういいです」

 びくりと、先生は肩を震わせる。

「先生。先生ってば」

「せん……あ、ああ、そうか。私のことか」

「俺、教師になります」

「そうか。うん、いいことだと思う。お前ならなれるさ。いい先生になれる」

 先生はぎこちない笑みを作ってみせた。迷惑だと思っているだろうか。いいさ、迷惑ついでに、伝えたかったことをぶちまけてしまおう。

「さっきも言いましたけど、俺と先生はもう、生徒と先生じゃあなくなりました」

「そうだな。ああ、言い忘れていた。卒業、おめでとう」

「ありがとうございます。そんで、俺は大学に入ります。とりあえず、四年です。卒業したら先生になります」

「うん。頑張れ」

「俺が先生になれたら、結婚してくれますか」

「うん。……うん?」

 先生は首を傾げた。

「あと、もう四年、待ってくれますか」

「い、いや、ちょっと待て。お前、何を言っているんだ。結婚? 私と? あのな、石高。軽く言うが、そういうものは」

「俺が毎日、先生の為にご飯を作ります」

「……ああ、ええと」

 まだるっこしい人だな。

「分かりました。結婚を前提に付き合ってください。返事をください。出来れば、今すぐに」

「え、ええと」

 ユキさんはくすくすと笑って居間から出て行った。残された先生は周囲に視線を遣ってみるが、どうしようもないと気づいたらしい。

 俺は息を整えて、先生を真っ直ぐに見つめた。

「『俺と付き合ってください』」

「あ」と、先生は顔を上げた。

 彼女も、あの日のやり取りを思い出してくれたのだろうか。

「……断られたら、心が死んじゃいますよ」

 先生は何か言いかけて口を開き、諦めたかのように閉じる。それを何度か繰り返して、柔らかな笑みを浮かべた。

「私でいいのか? もうすぐ三十だぞ。四年も待ったらおばさんだぞ。大学に入ったらな、絶対、他にいい人が見つかるぞ」

「一度、先生がいなくなってはっきりと分かりました。もう、どこにもいかないで欲しい。ずっとそばにいて欲しいって思ったんです。あなたがいいんです。先生じゃないと嫌なんです、俺。嫌だったら今のうちにはっきりと断ってください」

 それがお互いの為になります。そう付け足して、俺は先生を見つめた。

「石高、さん」

 長い沈黙のあと、先生は声を絞り出した。

「……は、はい」

 先生は困ったように頬をかき、照れくさそうに視線を逸らす。

「私なんかで、よければ。こちらこそ、よろしくお願いします」

「幸せになりましょう。二人で」

 だが、最後には真っ直ぐにこちらを見つめてくれた。そこからは耐えられなかったのだろう。はにかんで、顔を伏せた。ああ、やっとこういう風に笑ってくれたな、この人。

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