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ノリコエルセカイ(攻城)

 二学期になった。唐突だけど、なったものは仕方がない。時間を巻き戻せないように死人が生き返らないように、仕方がないものは仕方がないのだ。

 二学期と言えば、うちの学校じゃあ体育祭に文化祭とイベントが盛りだくさんである。が、俺はちょっと人には言えないっつーか死んでも言いたくないバレたとしたら自殺もんの秘密がある身だ。身体を動かすことに対してトラウマがある。なもんで、体育祭なんて鬱る要素しかない。出来ることなら参加したくないし、したとしても玉入れとかでお茶を濁したい。

 そう思っていたのだが、今年の体育祭は少し事情が違った。あの瑞沢凜乃女史が、並々ならぬやる気を見せている。曰く、絶対に一組に負けるな、ぶっ潰してやれ、とのことだ。その理由を知る者は少ない。俺は知っている。理由、原因であろう現場を目撃したからだ。


『おやぁ、瑞沢先生ぃ。そういえば、そろそろ体育祭ですね。私のクラスには、宝野遥というエースがおりましてねえ、まあ、どこにも負ける気はしないんですよねえ』

『はあ』

『大変ですねえ、そちらは。気を悪くしないでいただきたいのですが、まあ、まあまあまあ、あまり、出来のよろしくない生徒が固まっているという印象を受けてしまうものでして。少なからず同情してしまいますねえ』

『……はあ』

『では、失礼。次は体育祭で会いましょう!』

『いや、明日も普通に学校はありますが』


 二学期が始まって最初のお菓子クラブの活動日。社会の山崎は家庭科室の前で瑞沢を呼び止めていた。偶々ではない。あのトカゲみたいな目をした嫌味ったらしいねちっこい教師は、わざわざ嫌味を言う為だけに瑞沢を探して、実際にそんなことを言い放ったのである。相性が悪いとは聞いていたが、さて、本当のところはどうだろうな。

 な、訳で、涼しい顔で受け流していたかと思われた先生だが、実は腸が煮えくり返って山崎をどうにかしたくて仕方がなかったんだろう。彼女は鉄仮面だし厳しいが、実は生徒のことを真に考えている。自分のことでどうこう言われるならともかく、生徒のことをとやかく言われては我慢出来なかったのだろう。……出来が悪い。出来が悪い、か。腹の立つ言葉である。けれど、優人や樋山くんみたいな優等生ならともかく、俺は言い返せない。でもやり返したい。先生も悔しいだろう。俺だって悔しい。

 しかし現実問題、体育祭で勝つってのは難しいだろう。全種目をぶっちぎるのは困難極まる。うちのクラスは頭はそこそこ良くても体力的な面はそうでもない。単純に足の速いやつが少ないのだ。ピンポイントで地味な競技を勝つのもいいが、出来るやつを全ての競技に突っ込むことも出来ない。ではどうするか。体育祭の花形競技と言えばリレーである。得点が高いのもリレーだ。ここで勝たなきゃ、他を取ってても厳しくなる。負けなきゃあいい。最悪、一組を封殺出来ればそれでいい。俺たちにとっては紅白なんてどうでもいい。一組にさえ勝てれば後はもうどうなったっていいんだ。



「はあ? 何を言っているか分かっているのかい?」

 アニメの主人公なら奇跡的な一手を思いつくことも出来たのだろう。あるいは、前世からの因縁かなんかで覚醒してめちゃめちゃパワーアップしたのかもしれない。けど俺にはそんな力がない。

 だから体育祭の当日、開会式が始まる前に、俺は一組のエースこと宝野遥との接触を試みていた。

「あー、まあ、お前がそう言うのは分かる」

「分かってて言ってるならもっと酷いよ。君は、舐めてる。よりにもよってこのボクに手加減をしてくれだって? 挙句、出来るなら棄権しろ? あのね、ロクスケ。これは公式の大会でもなんでもない。いわば、ただのお祭りだよ。でも、勝負は勝負だ。ボクは遊びであっても、それが勝負ごとなら決して手は抜かない」

 宝野はきっぱりと言い切った。彼の怒りも言い分も尤もである。俺はきっと、どうしようもなく駄目なことを言ったのだ。そんで、どうしようもなく駄目なやつだ。

「ごめんな。どうしても負けたくなかったんだ。だから、くだらねえこと言っちまった」

「うん。けど、君が負けたくない、か。珍しいこともあるものだね。いつもボクの勝負を無視するし、受けたとしても適当に流すくせにさ」

「まあ、ちょっとな」

「ふうん。もしかして、好きな子の為とか?」

「……いや、好きな子じゃあないよ。ただ、なんとなくだよ。なんとなく」

 あっそう、と、宝野はつまらなさそうに言って体を伸ばす。改めて見せつけられる。柔らかで、しなやかだ。努力のあとが伺える。ああ、やっぱり、こいつは俺とは違う。才能だってあるんだろうが、毎日の努力を欠かさなかったに違いない。俺なんかとは違うんだ。一緒じゃない。俺みたいなクズと友達でいてはいけない。

「宝野」

「何」

「もう、俺とは関わらない方がいい」

「何それ。冗談? 面白くないよ」

 本気だ。俺はじっと宝野を見据える。

「お前はやっぱ、俺とはちげえよ。もっとさ、ちゃんとした方がいい。あんまりあの二人のことを悪く言うつもりはないんだけど、俺らと遊んでてもいいことねえよ」

「ぜ、絶交って、こと……?」

 宝野はちみっこいがメンタルは強い。だから、ここで突き放そうと決意する。それがこいつの為なのだ。きついことを言うかもしれないが、全て宝野の為を思ってのことである。こっちの目論見をいとも容易くぶった切ったことに対して、恨みなんてない。私怨なんか一切ない。本当に本当だ。

「ああ、だな。絶交だ。金輪際、俺はお前と関わらねえし、お前も俺に構うなよ。次に顔を合わせた瞬間から他人どころか空気として扱うから。お前には一言だって声を掛けないし、視界にも入れないようにする。もしかしたら舌打ちしたり肩がぶつかっちゃうかもしんないけど、全部気のせいだし勘違いだから、そこんとこよろしく。ほな、ばいなら」

「わああああああっ!? 待ってよロクスケ、ヤダヤダヤダっ、そんなの嫌だっ! ボクと君は死ぬまでずっと仲良く友達をするんだろう!? どうしてそんな酷いこと言うのさ!」

「や、だから、お前の為を思ってだな」

「分かった! 分かったよ! 何でもするよ! 体育祭に参加しなかったらいいんだろ!? 安心してよ、仮病なんか使わなくったってボクは今、気絶しそうなくらいのショックを受けてるんだ!」

「そういうこと言ってるんじゃあないけどな」

 声がでかい。面倒くさい話をするつもりだったので、人気のない体育館裏を選んだのだが、誰かがやって来ないとも限らない。さっさと話を終わらせちまおう。

「もういいって。お前は全力で走り回って俺のことなんか一生忘れてお祭りを楽しんでくれよ」

「ぼ、ボクを弄ぶだけ弄んで捨てるの……?」

「弄ぶってお前なあ、人聞きの悪いことを」

「だってそうじゃないか! 君はいつもそうだ! ボクを甚振って、虚仮にして、それでもボクがっ、君を嫌いになれないことを知っているくせに!」

「おい、やめろって! マジでこんな会話、誰かに聞かれでもしたら」

 ふっと、何か嫌な予感がした。妙な気配を感じたのである。得てしてこういう時の予感は当たる。俺はそっと、気配のする方へ顔を向けた。するとどうだろう。ああ、やはりと言うべきなのか。俺の大親友である優人と樋山くんが、物陰からにやにやとした顔を覗かせているではないか。ああ、チクショウが。どうしてこんな面白いタイミングを逃さないんだあいつらは。

『違うんだ。そうじゃない』

 そんな弁解は不要だ。無意味だ。あの二人には証拠なんていらない。自分たちがそうだと思ったなら黒を白にすることなど容易いのだ。俺が順序立てて筋道の通ったことを述べたとして、聞く耳を持つことはないだろう。この現場を見られただけで終わりだ。

「はっはっは、見たぞ見たぞ禄助ー。どうやら、お前に相応しいソイルが決まっちまったみたいだな」

「うるせえボケが! 何を指差してやがんだ! てめえらをソイルにして犬の糞にぶち込んでやろうか、おお!?」

 俺に出来ることと言えば、ドッグよろしく吠えることだけである。

「くわばらくわばら。いかんなあ、石高。遥ちゃんを泣かしたら。せーんせいにー言ってやろー」

「それだけはやめてくれ。お願いだから」

「うわああああああああああん、ロクスケぇ! ロクスケェェェェェ! …………あ、ふう」

「ああっ、おい!」

 宝野が倒れた。マジで気絶しちまったらしい。

「なんてこった! タカノが殺されちゃった!」

「この人でなし!」

「死んでねえよ!」



 図らずも(めちゃめちゃ嘘だけど)宝野は戦線離脱した。彼は今、保健室でスヤスヤと眠っていることだろう。

「なあ、おい。土下座じゃあすまねえぞ」

「うん。分かってる」

「お前の薄汚い歴史の中でもな、さっきのは最低のエピソードとして残るぞ。めぐちゃんにも密告する。小学生の時に、モテようとしてデパートの屋上の胡散臭いマジシャンに月謝払ってヘコヘコ頭下げてた話の次くらいに最低過ぎる」

「うん。マジで分かってる」

 優人と樋山くんに好き放題蹴られまくっているが、抵抗は出来ない。やっちまった。俺は最低のクズだ! けど、心の隅っこではラッキーとか思ってるんだ! ホントごめん宝野! あとで何でもする!



 体育祭が始まった。

 俺たちのクラスは事前に決めていたとおり、ムカデ競争やら二人三脚(優人と組まされた。女の子と走りたかったのに。しかもムカつくのは異常なまでに息が合ってしまったことだ)なんかでポイントを稼いでいた。宝野の不在のせいで、一組は思うように競技で活躍出来ないでいた。比例して、瑞沢のご機嫌はどんどんと良くなっていった。

 ただいま絶好調の瑞沢と言えば、教師たちによる紅白対抗リレーでもぶっちぎりで、その際に因縁の相手である山崎を周回遅れにするという屈辱的な目に遭わせていた。

 クラス対抗リレーでも、意気の上がった俺たちのクラスは強く、一位を取った。勝った。勝ったんだけど、嬉しくはない。宝野一人いなくなったせいでこうなったとは思えないが、汚い真似をしたのは事実である。



「お前は行かないのか?」

「え?」

 俺は体育祭の打ち上げには行くつもりがなかった。宝野は目が覚めた後、俺を許すとは言ってくれたけど……。帰るに帰れず、かと言ってどこにも行く当てがない。制服に着替えた俺は、ぼけっとして、人のいなくなった昇降口の近くにじっと座り込んでいた。色々と、申し訳なかったからだ。宝野にも、自分にも、何より、

「打ち上げだ。皆、揃って出て行ったぞ」

「……謝らなきゃいけないことがあるんです」

 先生に。

「何のことだ」

 先生は俺の隣に腰を下ろした。彼女の顔を見られず、俯く。

「勝ちたいって、負けたくないって思ったんです。で、俺は……」

 本当は言いたくなかった。全部を嘘で塗り固めて、何でもないんですよ、あははーって誤魔化したかった。けれど、先生には嘘が通用しないとも分かっている。俺は洗いざらい喋って、沙汰を待った。が、先生は何も言わなかった。殴りもしなかった。蹴りもしなかった。

「あの、先生」

「……ああ、それは、私が悪かったな。少しばかり、発破をかけ過ぎた。量を間違えたな。余計なことをしてしまった。すまなかった」

「い、いや、先生が悪いなんてことは」

 先生はふるふると首を振る。

「どうして、そう思ったんだ。勝ちたいと、負けたくないと」

「すんません。俺、先生と、山崎……先生の話を聞いてたんです。あ、でも、仕返しって訳じゃあないんですよ。俺は、その」

「ゆっくりでいい。ちゃんと待っててやるから」

 俺は息を整えた。心臓がばくんばくんと鳴っている。

「今日の体育祭で勝てたら、先生、笑ってくれるかなって。そう思ったんです」

「私の為か」

 小さく頷いて答えた。

「そうか。……そうか。ありがとう。嬉しいよ。それで、宝野とは仲直りが出来たのか?」

「まあ、なんとか。何でもするって言っちゃいましたけど」

 先生は満足げに頷いた。

「なあ、石高。出来が悪い生徒なんかいないんだ。そんな言い方、間違ってると思わないか。仮に、何かが、誰かが悪いとしたら、それは教師だ。私たちが、お前たちの力を引き出してやれないのが悪いんだ。……他の生徒は知らんがな、お前たちはやれるんだよ。やらないだけだ。だから、少しやる気を出させてやろうと思ってあんなことを言ったんだが」

「丹下院とかは、先生が一組の山崎と賭けをしてるんじゃないか、とか言ってましたよ」

「そうか。ああ、いや、そうだな。賭けはしていたよ」

 げ、マジかよ。俺たちは必死こいてたってのに。

「早い話、付き合ってくれないかと言われていた。ここだけの話だからな。内緒だぞ」

「……返事はしたんですか?」

「したよ」

 と、先生は立ち上がって体を伸ばす。

「丁重にお断りさせてもらった」

 どうしてですかと理由は聞けなかった。それよりも、俺は自分が安心していることに気づいたのである。

「それともう一つ。賭け、というか、勝負をしていた。部員の連中とな」

「部員って、俺は知らないんですけど」

「商品はお前だったからな」

 ええー、なんすかそれ。初耳なんすけど。

「石高。お前は東山たちに好かれているんだ。お菓子を作れる男というのは、あいつらにとっては非常にいいものに見えるらしい。部員の中で、誰が一番体育祭に貢献出来るかというルールのもとで勝負はひっそりと、かつしめやかに行われていた」

「先生。俺、お菓子クラブに入ってよかったと心底思います。で、で! ですね、どなたが勝ったんですか!? 俺はこれからのしやリボンをを買ってきて自分につけて、勝者のもとにパジャマでお邪魔しなきゃいけないんで!」

「残念だが、勝利者などいない」

「嘘だって言わなきゃ発狂しますよ」

 俺のあずかり知らぬところで俺の貞操が賭けの景品になっていたのは許し難いことだが、同時に、筆舌に尽くし難い幸運だとも言える。遅過ぎる春が来たんだ。ぬか喜びさせんじゃねえぞ瑞沢ァ!

「不純異性交遊は見過ごせん。だから、結果だけで言うなら勝ったのは私だ」

「……は?」

「おい。教師をそんな目で睨みつけるな」

 つまり、何か? 目の前の堅物は東山先輩たちと俺が色んな意味でくっつくのを風紀的な意味で快く思わず、邪魔をしたって言うのか? ふざけんな! 俺が腐女子だったら机バーンって蹴ったあと『殺すよ?』 ってニコっと笑ってキレてるところだ!

「ああ、なんてことだ。なんてことだ……」

「そんなに気になるなら自分の方から言えばいいだろう。『俺と付き合ってください』と」

「や、だって、断られたら心が死んじゃいますよ」

「誰も断らないと思うが」

 あの人たちは遊び半分どころか全力全開で俺を弄んでいる節がある。いや、その節しかない。こっちが本気になった時点でウソみたいに冷めて、ゆるーい感じで拒否されそう。

「なんでもかんでも追っかけられてる内が華なんすよ」

「悟ったようなことを。それより、そろそろ家に帰ったらどうだ。遅くなると親御さんも心配する。風も冷たくなってきたから、身体を壊すぞ」

「あーーーー、なんか力が抜けちゃって」

 その場に寝っ転がって大の字になる。

「なら、送ってやろうか。今日はもう帰るつもりでいたからな」

「先生の車っすか?」

「そうだ。ああ、嫌なら」

 俺は手を使わずに跳ね起きた。

「流石に今日は、色々と疲れちゃいました。お言葉に甘えてもいいですか?」

 甘えるという言葉に反応したのだろう。先生は薄く笑い、ついてこいと言って背を向けた。



 体育祭が終わってから一週間が経った。次のイベントと言えば文化祭だが、まだ間がある。嬉しくないが、中間テストのが先だ。お祭り気分もすっかり抜けて、勉学に勤しむべき時期である。

 分かっちゃいるけどメリハリは大事だ。今日の放課後は図書室で勉強するのでなく、家庭科室でお菓子クラブの活動をする予定がある。優人たちに別れを告げ、ピロティを通っていたところ、ふと、窓の外を見遣った。ちょうど、人通りの少ない、裏門へ抜ける道をぼうっと見ていると、煙が視界に入った。たばこである。モクモクしているのは、うちのクラスのギャル・リア充集団だった。とはいえ、教師に告げ口するつもりはない。見なかったことにしようと思い、先の光景を頭の中から消そうと努力した。



 マジでバカってのは何を考えて生きてんのかね。と、放課後、図書室で勉強している時に思った。

「なあ石高くんさあ、ちょっといい?」

「こないだー、ウチらがやってんの見てたっしょ? ね?」

「だからさ、マジでちょっとだけでいいから来てって」

 何も見てなかったってのに、忘れようとしてたってのに。

 思わず、溜め息を零してしまう。今日は図書室でずっと赤本と睨めっこするつもりだったってのに、丹下院グループに捕まってしまった。

「つーか何? もしかしてベンキョーとかしてんの?」

「マジ? 超真面目じゃん。受けんだけど」

 俺は本を閉じて相手の人数を確認してみる。リーダーっぽい丹下院はいないみたいだが、向こうは四人もいる。上手いこと逃げ道を塞いでやがんな。無理矢理逃げ切れるかどうかは際どいところだ。一方的にボコられるってことはないだろうが、鬱陶しいことこの上ない。ああ、くそう。よりによってというやつだ。今日は職員会議かなんかで先生が見に来ない。本当なら俺も来るつもりはなかったんだけど、身についた習慣がそうさせた。優人たちも帰っちまったし、やばいなあ。

「……もしかして、たばこのことか? そんなら誰にも言ってねえし、この先だって言わねえって」

 女が二。男が二。四つの口が一斉に開いて、げらげらと笑い始めた。

「ンなこたあどうだっていいんだって。俺らはー、お前なんかに情け? っつーの? そういうのをかけられたんがムカついてしようがねえんだ。チクられようが何されようがカンケーねえんだって」

 は? なんだそりゃ? つーかそれって、問答無用で、自分たちがただ単にムカつくからやってやろうってだけの話じゃねえかよ。何もしてねえ。下手すりゃあ理由なんかないのかもしれない。見ただけで殴られるとか、夜行さんかよてめえらは!

「いいから、とりま立ってくんない?」

「あ? つーかさっきからポケットに手ぇ突っ込んでんだ……やべ、取り上げろ!」

 気づかれた!

 右サイドにいたやつに手を捕まれて、ズボンのポケットからケータイを引っ張りあげられる。存外、素早い動きでそいつを取り上げられた。助けを呼んでみたんだが、はたして、来てくれるかどうか。

「はあっ!? ちょっ、誰呼んだんだよ石高お前!」

「いやいやいや、助けとか求めたって無駄だから。図書室にはいっつも人こねえって委員のリューコが言ってたし、誰が来るか知らねえけど、普通に考えたら誰も来ねえって」

「クソが」

 ……ああ、何やってんだ、俺は。

 俺は馬鹿だから、駄目だから、ちゃんと勉強しなきゃいけないってのに。こんなところで、こんなやつらに絡まれて……そうか。天罰か、こりゃ。今まで母さんや、宝野や、先生に迷惑かけてたから、こうなったのか。

「立てって」

 襟首を掴まれた。無理矢理に立たされる。茶色い髪が揺れた。殴られるな、これは。

 覚悟した。だってのに、図書室の扉が轟音と共に開かれる。開けたやつが思い切り蹴りつけでもしたのだろう。俺を取り囲んでいた連中は驚いてそちらに目を向けた。

「やば……」


「お前ら、何をしているんだ」


 低くて、良く通る声。誰が来たかなんて見なくても分かる。

「てっめ、石高! とんでもねえやつ呼びやがったな!」

「いやー、俺は知らねえし?」

 先生だ。オーガ瑞沢が現れた! なんてことだ! まあ呼んだのは俺なんだけどな。いや、流石に焦った。来てくれて助かった。来てくれなきゃ俺は酷い目に遭ってただろうし。はあ、よかったよかった。けど、めでたしめでたしってわけにはいかない。どうするか。ここで、こいつらがたばこ吸ってて意味分からん理由でぼくに因縁つけてきてびっくりするくらいボコボコにされそうでしたとぶちまけてやろうか。

「石高? おい、平気なのか。何かされたのか」

「い、いや、瑞沢せんせ、俺たち何もしてねえって」

「黙れ。お前らには聞いていない」

 そう思っていたんだけど、先生はたばこや酒に、非常にっつーか、異常に厳しい。おまけに、予想以上にブチ切れていらっしゃる。ここでマジのこと言ったら、こいつら皆殺しにされそうだ。庇うつもりはさらさらないけど、先生に手を出させる訳にもいかないだろう。

「石高、どうなんだ」

 先生に、じっと見据えつけられる。この人には嘘が通用しない。だけど、俺の言いたいことは分かってくれると信じている。

「……遊んでただけっすよ。ちょっと熱が入っちゃって、そんだけです」

 メールで『たすけてください』と打っといて、呼びつけといてそりゃあねえって話だろうけど。

「遊びか。それはとても、とても熱が入っていたに違いなさそうだな」

「ええ、まあ」

 声が震えそうだ。逃げたい。けど、目を逸らしたら駄目なんだ。

「本当だな」

「勿論です」

 一分近くも見つめ合っていただろうか。やがて、先生が折れた。彼女は溜め息を吐きだして、いつの間にか俺の後ろにいた四人を見遣る。

「図書室で遊ぶのは感心しないな」

「そ、そ、そそそうっすよね! それじゃあボクタチは帰ります!」

「うっ、うん! うんうん!」

「じゃあな石高、ま、また明日な」

 四人はギクシャクした動きで歩いていき、図書室から出て行った。彼らの姿が見えなくなるや否や、先生は俺の両肩に手を置き、顔を近づけてくる。潰されるかと思った。

「で?」

 と、先生は笑った。

「私に助けを求めておいて、悪戯でしたで済ませられるとは思っていないはずだ。どうしてだ。何故、あいつらを庇った」

「手、出すつもりだったでしょう」

「当たり前だ。あの状況、誰が見たって何かあったと思うだろう。四対一の構図だぞ。ああ、くそ。私が来なかったらお前、どうするつもりだったんだ」

 その時はその時である。死にはしないし殺されもしないんだから、痛い思いこそすれ、どうとでもなっただろう。

「助かりました。ごめんなさい。でも、俺が黙ってるだけで丸く収まる場面だった気もして、つい。あと、先生はなるべく人を殴ったりしない方がいいです」

「あの四人を庇ったんじゃあなく、私を庇ったとでも言いたいのか?」

「……そうかもしれません。生意気でしたか?」

「いいや、男だぞ石高」

 見直した。そう言って、先生は俺の肩から手を離した。

「しかし、次はないからな」

「助けてくれないってことですか」

「いや、そう言う意味ではない。まあ、気にするな。どんなに些細なことでも構わないから、私の助けが必要な時は遠慮なく言ってくれ。出来る範囲でどうにかしてやる」

 相変わらず、そこらへんにいる男よりも男前な人である。

「あてにさせてもらいます」

「うん、そうしろ。私がお前たちにしてやれるのは今の内だけだからな」

 先生は何故だか、寂しそうな顔をしてそんなことを言った。

 今の内だけ、か。だよな。来年、俺はこの学校を(上手くいけば)卒業していなくなる。そうでなくとも、もしかしたら先生が別の学校に行っちまうかもしれない。ずっと一緒にいるわけじゃあない。先生と生徒って関係は、今だけなんだ。

「ありがとうございます」

「いや、いい。気にするな」

 ありがとうございます。先生が寂しがってくれて、俺は嬉しいです。そんで、俺も寂しくなりました。この気持ちは何処へ遣ったらいいんですか。どうしたらいいですか、先生。

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