ノリコエルセカイ(包囲)
放課後になった。優人たちは俺に散々罵声を浴びせて帰っていった。今日のところはあいつらの相手をする暇はなかったが、明日は駐輪場で待ち伏せして報復してやろうと思う。
そんなことより部活見学だ。確か、家庭科室でやってるとか言ってたっけな。
家庭科室は俺たちのよく使う校舎とは違って、ピロティや渡り廊下の向こうにある特別教室棟の一階にあった。そこが俺のシャンバラである。
逸る気持ちを抑えてスキップで理想郷へと向かっていると、家庭科室の前に誰かがいた。綺麗な人だ。どこかで見たような覚えがある。
透き通った銀色の髪。愁いを帯びた横顔。長い睫毛とぱっちりとした目。気品のある立ち姿だ。怜悧な美貌は見る者をハッとさせ、惹きつけてやまないだろう。俺は思わず立ち止まり、彼女の姿をじっと見つめていた。すると、その女性は俺に気づき、にっこりと微笑む。……あ。この人、生徒会長だ。会長の原先輩だ。どうして先輩がこんなところにいるのかなんてどうでもいい。今はこの奇跡に感謝しよう。
「もしかして、君もお菓子クラブの?」
こ、声を掛けられてしまった。俺は返事を試みたが、上手く喋られない。咳払いして変な間を誤魔化し、喉に全神経を集中させる。
「け、見学者です。瑞沢先生に誘われて」
「まあ、そうだったんですか。実は、私もなんです」
ま、マジかよ。なんという奇遇だ! これはもう結婚してもらうほかない。
「盗み見してるみたいで気が引けていたんですけれど、もう始まっているみたいなんですよ。ちょっと入り辛くて」
照れくさそうにしている原先輩も素敵だ。
「どんなことしてるんでしょうね」
どれどれと、俺は窓からそっと様子を確かめる。お。瑞沢だ。黒板に何か書いてる。部員は……彼女が言っていた通り、全員が女子だった。知った顔がない。上級生ばかりなのだろう。先輩方は板書の内容をノートに書き記していく。なんか、思ったよりも真面目だ。もっとこう、きゃっきゃうふふしてると思ったんだけど。
「なんか、みなさん真剣な表情ですね」
「何をなさっているんでしょうか」
ふわりと、鼻腔にいい香りが届く。目だけで確認すると、原先輩の横顔が近くにあった。彼女の髪の毛が揺れたのである。たったそれだけで風景が変わったような気がした。俺たちは同じ窓から家庭科室の様子を見ている。だから距離が超近い。何これ。おかしい。先輩は、な、何を考えているんだ畜生。こんなもん絶対勘違いするに決まってんじゃねえか。
「ちょっとだけ窓を開けてみましょう」
先輩は中にいる人たちに気づかれないように、ゆっくりと窓を開けていく。意外だ。皆のアイドル、センター原先輩もこういう悪戯っぽいことをするんだな。お茶目で素敵だ。
「では、続いて……」
瑞沢の良く通る声が聞こえてくる。何の話をしているのだろうと、耳を澄ませて黒板をじっと見つめてみた。そこには何故か、包丁の歴史や由来、あごだのしのぎ筋だの、構造がびっしりと書かれている。
「研ぎに入る」
……とぎ? 何だそれ。もしかして夜伽の伽だろうか。もしかすると俺の知らないだけでお菓子とは何かの隠語だったりするんだろうか。
楽しい想像に耽っていると、部員たちは傍に置いてあったバケツから(何故バケツがあるのか俺は見ないふりをしていた)大きな石? つーか、レンガみたいなものを取り出した。
「前回も言ったとおり、天然砥石は水につけ過ぎると割れる恐れがある。今回は人口砥石で研いでもらうが、刃物と石にも相性があるからな。何より、研ぐ者の力量も大切だ。要はバランスだ。お前たちには経験を積んでもらい……」
「とぎって、まさか」
「刃物を研いでいますね」
原先輩は何でもなさそうに言ってのける。
「お、驚かないんですか?」
「ええ。瑞沢先生のお菓子クラブは、こういったことも教えてくれると聞いていましたから。私も刃物の研ぎ方は是非、知りたいです」
どんな趣味してんだろう、この人。
俺の困惑など知る由もないのだろう。瑞沢は包丁の研ぎ方についてこんこんと説明し続けている。
「……ああ、つまり、お前たちには一端の研ぎ師になるべく」
「って違うだろ!?」
「むっ、誰だ?」
しまった。思わず突っ込んでしまった。ごめんなさい。だからみなさん、どうか包丁を構えないで、俺に向けないでください。
「見学はいいが、邪魔をするなと言ったろう」
えー。いきなり瑞沢に怒られてしまった。なんか納得いかねえ。原先輩は『まだまだ脇が甘いですね』とか意味分からんこと言って帰っちゃうし。
「お菓子クラブじゃあなかったんすか?」
「菓子を作るのも活動内容の一つだが、料理全般について学んでいく必要がある。包丁を研ぐのもその一環だ」
嘘だろ。てっきりグリーンベレーとかスペツナズみたいな軍隊の訓練かと思ったわ。……しかし、あながち間違いでもないような気がする。部員の皆さまは物静かだ。というか、無駄口を叩かない。美人さんが多いような気はするが、なんとなーく、全員が顧問の瑞沢に似ている。今にも直立し、アッテンションとか言い出しそうな空気が漂ってるし。
「もっとお菓子お菓子した活動してくださいよ。一瞬ここが海軍基地に思えましたからね」
「言うのは簡単だ。ならば石高。お前はお菓子クラブに何を求めている?」
「お菓子に決まってますよ! クッキーとか作って振舞ってくださいよ!」
俺の意見は尤もだと思う。だが、お菓子クラブのメンバーは深刻そうな表情で俯いてしまう。瑞沢に至っては意味ありげに『クッキー……か』とか呟く始末だ。過去に何かあったのかな? ってふざけんな。
「難しいことを言うんだな、お前は」
「どこがっすか!? 生地作って好きに型抜いて焼いたらおしまいじゃないですか! クッキーなんか簡単過ぎてゲロ吐きます。あんなもん、ちょっと賢いチンパンジーにだって出来ますよ、たぶん」
「……なんだと」
えっ? ちょっとおかしいですよ瑞沢さん。なんか、空気がざわざわし始めてる。八方からめっちゃ睨まれてるし。美人さんの冷たい目ってめちゃめちゃ怖い。
「クッキーは難度が高いぞ。火を使うからな。まずは火の取り扱いについて教える必要があるんだ」
「いや、火っていうか、オーブンっていうか……むしろクッキーが駄目なら、何がいけるんです」
すると瑞沢は黙り込んでしまう。嫌な予感がした。その予感に間違いはないとも思った。
「お菓子クラブは去年から活動を始めた。今年で二年目だ。私はその前にラグビーやテニスを教えていたが、何故か毎年配置換えされてしまう」
俺は察した。
「その間、まともな菓子を作った覚えは……」
顧問が部員たちを見る。彼女らは一斉に目を逸らした。
「えっ、ないんすか。マジっすか。ここで二年も何やってたんすか? 枝毛でも数えたりしてたんすかね」
「マウントから殴りつけてやりたいところだが、反論出来ないので我慢しよう。そうだ。認めよう。我々はクッキーすら満足に作れない」
うっそだろ。軽蔑するわ。じゃあ何か、この人らはいわゆるメシマズ集団って訳なのか。いやー、駄目だろ。三人寄れば……とは言うけどさあ、下手が下手に習ったってしようがないじゃねえか。
「それでよくもまあ俺を見学に誘えましたね。勇気だけは認めますよ」
「……お前、私を馬鹿にしているだろう」
「すんません。けど、クッキーすら作れないお菓子クラブって」
噴飯ものである。
「あははははっ、ひひひ、ヒヒャーハッハッ! いや、マジでごめんなさい。よかったら俺が教えましょうか? クッキーでもケーキでも、何でも大丈夫っすよ」
ちょっと言い過ぎちゃったかな。お菓子クラブ(仮)の人たちも真剣な様子である。俺みたいな部外者にここまでコケにされちゃあ腹も立つだろう。そろそろ逃げる準備をしておこうと思い始めた時、一人の部員が立ち上がって俺を見た。
「先生、お願いしましょう!」
「な、し、しかしだな」
「だって私たち、ちゃんとしたお菓子が食べたいんです! ふわふわしたものとか!」
先輩の叫びには魂が込められていた。
「このクソ生意気なやつを顧問にしてください!」
えー!? さり気なく馬鹿にされたけど顧問待遇だー!?
「私はどうなる!?」
と、瑞沢。
「それじゃあ、こいつは特別顧問にしましょう。ね、君? いいよね?」
ゆるふわパーマの綺麗なお姉さんに『この世に大好きと殺したいって感情しかなかったら、君は私のことをどう思うかな?』 と言われている。俺としちゃあ断る理由はない。誰が断れるのか知りたい。
「じゃ、じゃあ、とりあえず俺は部員として。そんで、皆さんにちょっとしたアドバイスをします。と言うことで、どうでしょうか……あの、それで勘弁してもらえないですか」
瑞沢はぐぬぬという感じで俺のことをねめつけていた。長いこと悩んでいたらしいが、甘いものを欲する部員たちに押されて、折れる。
「…………める。み、みと、める」
「やったー!」
部員の皆さんは大喜びだが、瑞沢は覇王の卵に大切なものを捧げたかのような、苦しそうな顔をしていた。彼女が捧げたのは生贄ではない。自らの誇りであろう。
石高禄助、高校二年生。お菓子クラブに所属しています。……俺がお菓子クラブの特別顧問に就任してから、二か月ほどが経過していた。
「やべー、超似合うわ俺、お菓子クラブ」
「最高に楽しそうだなあ、禄助」
「おうよ」
もう何度か活動してきたが、部員のクッキング能力は最低だった。瑞沢含め、料理のボトムズである(あの人、どうして家庭科の先生になれたんだろう)。初めての時はクッキーを作っただけで胴上げされそうになった。めぐなんかクッキー程度じゃあ表情を変えないどころか、眉毛の一本すら動かさない。甘やかし過ぎたというか、小学生のくせに舌が肥えているのだった。
「今日は何作るか決めてんのか?」
期末テストも終わり、夏休みも間近に迫った暑い盛りである。夏服に衣替えしたのはいいが、全く全然暑くて死んじゃう。
「手作りの氷菓をリクエストされてるけど、めんどいからかき氷食いたい」
「そんなんで部活って言えんの?」
言える。言えるのだ。
つーか、あの人らは最初こそ俺を有り難がってちやほやしてくれていたけど、最近じゃあお菓子作るのを手伝うことすらしなくなった。俺が初めて見た時の軍人のような規律はどこへやら。お菓子が完成するまでおしゃべりしたり宿題したり彼氏とメールしたり(絶対許さない。見つけたら量を少なめに渡して制裁)、ガバガバである。なんだかサークルをぶっ壊す女みたいな立場にいるような気がして、瑞沢に申し訳ない。当の瑞沢は現状を憂えているのかどうか、まだ怖くて聞いていない。基本的には口出ししなくなった。あんまりにも部員が騒がしい時は、睨んで黙らせるくらいだろうか。言葉を発したかと思えば『美味い』か『まあまあ』だなの二択である。
俺は本当に楽しいのか?
イエスだ。俺はお菓子を作らされているが、周りは皆女性である。想像していたのとは少しどころかかなり違うが、ハーレム的な状況にあるのは間違いない。あと、単純に美味しそうに食べてくれるのが嬉しかったりもする。
放課後、お菓子クラブの活動の為、俺は家庭科室へと向かっていた。ピロティを抜けて特別教室の棟へ行こうとしていた時、ゆるふわパーマの先輩に声を掛けられる。彼女は三年生の東山先輩だ。俺にクラブへ入るように、強要まがいの真似をした人である。
「だっくん、ちーす」
だっくん。……うん、だっくん。
俺のことだ。石高の『だ』を起点にしたあだ名である。適当なネーミングだろう。舐めやがって。
「ちーす先輩。今日も相変わらず緩そうっすね」
「あ、髪ぃー? でしょー? 結構気合入れてるんだー」
「へー、そうなんすか」
東山先輩が緩いのは髪だけではない。雰囲気とか喋り方とかもそうだ。男関係はどうなんだろうとちょっとドキドキするが、流石に言えないし聞けないし夏。
「今日はさー、何食べさせてくれんのー?」
もうこの人からは自分で作ろうという気概が感じられない。いったい、何の為にお菓子クラブに入ったんだろうか。
「瑞沢先生がかき氷機を知り合いから借りてきたらしくて、今日はそれにしようかと思ってます」
「えー? 手抜きじゃーん。こないだのなんとかケーキみたいなのが食べたーい」
「それはまた今度っす。白くまって知ってますか。今日はアレです」
「えっ、ウソー。コンビニで売ってる高いやつ? おー、いーねー、それー」
たとえば。
そう、たとえば、今の台詞を優人や樋山くんに言われたとしよう。俺はきっと、二人を許さない。二人を不老不死にして、百年どころか千年、万年、何か敵っぽいものと戦わせ続けてやる。そんでもってバッドエンドにしてやるオニ。
しかし、東山先輩っつーか、お菓子クラブの先輩たちならロクスケ的にもオールオッケーである。なんだかんだで可愛がられている感があるのだ。きっと彼女たちの罠というか、計算だろう。俺を生かさず殺さず、家畜のように扱っているに違いない。うおォン、俺はまるで体のいい人間菓子製造機だ。構わなかった。
「やー、ホント欲しいなー、だっくん。私のうちに来ない? 飼ってあげるからさー」
東山先輩は身体を摺り寄せてきて、悪戯っぽい笑みを浮かべる。ああ、お願いだ。神様お願いします。どうか先輩の趣味が童貞狩りでありますように……!
夏休みになった。通知表を返されて、絶望の淵に近づく暇すらない。即、ドボンだ。三者面談である。親! 俺! 瑞沢! 夏休み開始後まもなく、地獄のサンドイッチを喰らわされる羽目になる。即、絶望だ。淵とかそんなん関係ない。今まで楽しかったお菓子クラブの活動が遠い日の記憶のように思える。
不幸中の幸いというやつだろうか、俺の通知表には赤い文字がなかった。ただ、全体的にギリギリである。マッマはカンカンだった。
「禄助。余計なこと言ったらぶつからね」
「……はい」
俺と母さんはタクシーで学校に向かっている。……うちの両親は共働きだ。母さんが仕事の合間を縫ってくれているわけだが、有難迷惑である。どうせなら来て欲しくなかった。
今日の母さんは余所行きという感じだが、瑞沢から話を聞けばどうなるか分からない。流石に、教師の目の前で四十八の殺人技をかけられるようなことはないと思うが、万が一、ということもある。覚悟だけはしておこう。
教室の前で待っていると、前のやつが死にそうな顔で母親と同伴で出てきた。名前順で俺の一つ前にあたる木村くんだ。彼はいつも休み時間に、友達と楽しそうに週刊誌のグラビアを見て『おっほっほう』とか言ってはしゃいでいる。が、今や見る影もない。
俺は木村くんとはあまり話さないが、すれ違う時に少しだけ目が合った。俺たち二人は頷き合い、何か、通じ合ったような気がした。
「石高さん、どうぞ」
教室の中から瑞沢の声が聞こえてくる。嫌だ。帰りたい。歯医者で虫歯削られる方がまだマシだ!
「は~い」と、母さんがいつもより二オクターブくらい高い声で返事した。俺は逃げようとしたが、腕をぐっと掴まれて身動きが取れない。
「……禄助。外で恥かかせんじゃないよ」
ぼそりと。低い声で囁かれた。怖い。
「し、失礼します」
俺は扉を開けて、教室の中を確認した。……教室の真ん中に机が一つ置かれている。その周りに椅子が三つあった。なるほどそこに座れってことか。
「おはようございます。石高さん、よろしくお願いします」
「ああー、いえいえ、こちらこそお願いしますぅ」
瑞沢は立ち上がり、深くお辞儀をする。なんか、いつもの瑞沢とは違うな。スーツもパリッとしてるし、髪型もばっちり決まってる。いつもより化粧もちゃんとしてるような……。母さんも余所行きなら、彼女もまた余所行きなのだろう。いつもと同じなのは俺だけだ。
三者面談が始まった。
瑞沢は何かの紙を持っている。恐らく、俺の内申書ではないだろうか。閻魔帳にも等しいぞ。
「早速ですが、石高君の成績についてお話します。……一年生の時と比べると、全体的に下がっていますね」
母さんの顔から笑みが消えた。俺は咄嗟に窓を見た。
「これは私見ですが、石高君は勉強についていけていない訳ではないと思います。他の先生方も同じように仰っていましたが、授業中にぼーっとしていることが多いんですね。しかし、ここを答えてみろと当ててみれば、すんなり答えられる」
「は、はあ」
「テストの点数も著しく下がった訳ではありません。問題は石高君の授業態度にあります。少し言いにくいのですが、日頃の行いが成績に反映されているのでしょう」
瑞沢の口調は淡々としている。私怨があるのかどうか、定かではない。
「何かこいつが問題でも起こしたのでしょうか。特に連絡は受けていなかったと思いますが……」
「な、何もしてないって!」
アルバイトは隠れてしてたけど。
「喫煙、飲酒、暴力行為等は起こしていません。当然ですが、石高君はそんなことをしないと私も信じています。ただ、少々悪ふざけが過ぎるようです。彼がお友達と騒いでいる場面を良く見かけますから」
「けじめがついてないんですね。うちのバカ息子は」
母さん、ちょっと、抑えられなくなってませんか……。
「石高君は線引きが上手いのかもしれませんね。怒られるかどうか、ギリギリの線を往ったり来たりしているような……」
「小賢しいだけですよ。全く。はあ。情けない」
「特に問題を起こしている訳でもありません。強いて言うなら、うちの学校には分かりやすい不良生徒がいませんから。だからこそ、石高君のような生徒が目立つのでしょう。実際、授業中に上の空というのは印象を悪く与えがちです」
闘気を感じる。母さんの身体から、それが立ち上っているのが分かった。帰ったらめちゃめちゃタックルされそう。
「小賢しいと言えば聞こえが悪いですが、抜け目がなくて要領がいいとも捉えられます。そうですね、内申が気になるなら……部活に入ってみる、とか」
「部活、ですか」
母さんは困ったような顔になる。まあ、そうだろうな。
「うちは、共働きですので」
「ええ、伺っています」
「下の子がいるんですが、小学校に上がったとはいえ、まだ小さくて。禄助に面倒を看てもらうことが多いんです。この子も、放課後に時間を取られるようなことはしたくないと、前に言ってましたから」
「ほう、そうなのか」
と、瑞沢は驚いたように俺を見る。
「じゃあ、家では家事を手伝ったりしているのか」
「つっても、料理ばっかりですけど。ああ、洗濯とか掃除は妹のが得意なんです」
母さんは申し訳なさそうに作り笑いを浮かべていた。
「お菓子クラブに、本格的に入部するのはどうだろうか。もちろん、石高の都合のいい時に来てくれればいい」
「あら? 禄助、あんたそんなことしてたの?」
「めぐのこともあるから、正式には入部してないんだけど」
「籍を置くだけでも印象が違うし、それに、私も書くことが増える」
おや、珍しい。瑞沢の愛想笑いだ。
「よろしいんですか? その、顧問の先生にも迷惑が」
「顧問は私です。石高君には才能があるのかもしれませんよ。彼のケーキは絶品でしたから」
「あらー、そうだったんですかぁ」
正式に入部、か。そういや、俺って他にも部活に入ってたような気がするけど、まあいっか。
「どうだ、石高」
「それじゃあ、お願いします。俺も、お菓子作るのは楽しいですし」
「分かった。手配しておこう。……それから」
三者面談は、俺が思ってたよりも穏便に事が進み、平穏無事に終われそうだった。
平和に終わる。そう思っていたのだが、
「いやー、この子ったらホントにねー、そいで、アルバイトなんかもしててー」
いきり出した母さんが、親馬鹿を発揮して余計なことまで言ってしまった。アルバイトは駄目だって。それは禁句なんだって!
「あ、あのさ、バイトというか、なんつーか」
「うーん? 本屋でバイトしてんでしょ?」
俺が焦り始めたことに気づいたのだろう。母さんは舐めるように俺の顔を見て、何かを察したようだ。
「……あんた。許可出してないね。先生に黙ってやってたの?」
「い? え、ええと、それは」
「はっきり答えなさい」
「石高さん、落ち着いてください」
「禄助っ」
平手が飛んでくる。躊躇とか一切ない。昔はスケバンでもやってたのか、この親は。喧嘩っ早過ぎる。俺は両腕をクロスさせて頭を庇う。が、瑞沢が身を乗り出して母さんの腕を掴んだ。は、速い。
「躾の範疇かもしれません。が、私の前では止めてください」
母さんは好戦的な笑みを浮かべる。おい。『やりますね。私の攻撃を止めるとは』みたいな顔をやめてくれ。
「それに、石高君はアルバイトの許可を出しています。私も許可しましたから」
「先生。それは本当ですか?」
「ええ。問題ありません」
一触即発の空気である。どうしてこうなったんだ。誰か説明してくれよ!
リアル針の筵に座った方がマシだと思えた時、母さんの携帯電話がぶるぶると震え始めた。
「どうぞ」と瑞沢。目が怖い。
「すみません」と母さん。目も怖い。
瑞沢に腕を掴まれたまま、母さんは電話に出る。どうやら仕事の話らしい。緊急の用事らしくて、母さんは苦虫を噛み潰したような顔になる。
「お仕事ですか?」
「はい。申し訳ありませんが……」
瑞沢は母さんから手を離して、非礼を詫びた。母さんは居住まいを正して、彼女を真っ直ぐに見た。
「……先生。昨今、体罰というのは悪く捉えられがちです。自分の子供が殴られた、ぶたれた。『それだけで』学校側に文句を言う親もいます。けれど、うちの子はどうぞ好きにしてください。痛みがなければ覚えません。筋の通った体罰ならば私も納得します。あなたになら安心して禄助を預けられると、確信しました。どうか、よろしくお願いします」
お、おい、母さん、何を言い出してんだよ。いやだよ俺。体罰なんか絶対嫌だって。どこの師範代みたいなこと言ってんだよマジで!
「分かりました」
分かるなよ! おい! 何二人で頷き合ってんだよ!?
「そんじゃ禄助。お母さん急ぐから! あっ、これタクシー代!」
「いや、いいって。歩いてゆっくり帰るから」
「そ? それじゃあ先生、すいませんお騒がせして! うちの子、よろしくお願いします! ああ、それから!」
「いいから行ってくれよ!」
母さんは何度もお辞儀して教室の外に出る。瞬間、獲物を見つけた肉食動物のように駆け出した。廊下は走るな。
母さんが行った後、瑞沢は大きな息を吐いて椅子に座った。
「危なかった。PTAに告げ口されたらどうしようかと焦った」
「うちの母親に限ってそれはないと思いますけど。つーか、母さんはああ言ってましたけど、俺は殴られたら言いますからね。校長や学年主任にもPTAにもチクりますし、ツイッターで拡散希望しますし」
「ああ、分かった分かった。……しかし、面白い人だな、お前の御母堂は」
どこがだ。ただの暴力女である。今日び、あんなのがラノベのヒロインだったら四方八方から叩かれまくりだぞ。
「にしても、俺のケーキを絶品って。あの時、全然そんなリアクションしなかったじゃあないですか。むしろ仏頂面で」
「そうか? いや、美味かったぞ?」
鉄面皮め。
「……バイトのこと、庇ってくれてありがとうございます」
「まあ、全部が嘘ではないからな。私『は』許可を出している」
「マジで助かりました。あの平手喰らったら三日は痛みが取れないんですよ」
「はは、そうか」
瑞沢は笑った。普通に笑ったので、ちょっとびっくりした。
「石高。帰りは歩きなのか? よかったら送ってやってもいいぞ。今日の三者面談はお前で最後だったからな」
えっ? 何それ怖い。瑞沢と狭い車内で二人きりとか。
「い、いえ、大丈夫です」
「そうか。それじゃあ気をつけて帰れ。それから、次の活動日は……」
三者面談が終わった。瑞沢が所々庇ってくれたりしたのは意外だったが、親受けを狙ったのだろう。彼女も彼女で、やはり小賢しい。
ナニハトモアレ、補習を受けなくても済みそうだったので、俺の本当の夏休みは今日をもって始まる。ヒャホー!




