ノリコエルセカイ
「先生」
駐車場で、自分の車に乗ろうとしていた先生を呼び止めた。
「どうしたの、石高君?」
緊張しっぱなしで喉がカラカラだった。何を言っていいか分からないくらい頭ン中がめちゃめちゃなのに、感覚だけはやけにクリアだ。橙色の陽もいつもより眩しくて、グラウンドから聞こえてくる声が妙に近く感じる。
「お、おれ」
先生はいつもみたいに笑顔を浮かべている。彼女はいつだって優しくて、クラスメート全員を、それどころか学校の生徒全員を分け隔てなく愛しているのかもしれない。
「んー? 歯切れが悪いなあ、どったの? なんかあった?」
「俺は」
言え。
言え。
言え。
昨日から。いや、ずっと前から決めてたことじゃないか。言うんだ。
「……私のこと、ここでずっと待ってたでしょ? いいよ。待つから、落ち着いて」
先生は何でもお見通しだ。俺は気恥ずかしくなって俯いた。
「お、俺は……」
「うん」
「俺は、先生のことが……」
「うん」
「せ、先生!」
「……うん」
「あ、や、やっぱり、いいです」
ぷつん。
「いいですじゃねえだろうがああああああああっ、焦らしてんじゃあねえよおおおおおおおおおお!? 男だったらさっさと言えや! なあにをぐずぐずやってんだよおおおおお!」
あまりのじれったさに、俺はゲーム機の電源を落として叫んだ。怒りしか湧いてこない。ぎゃー、とか、わー、とか、コントローラをクラッシャーする勢いで喚いていたら、母さんがノックもせずにドアを開けた(平常)。視線が交錯する。俺は身の危険を感じて窓から逃れようとしたが、回り込まれた。クロスアームブロックで凌ごうとするも、母さんは俺の頭を数発叩く。耐えられない。気が遠くなりそうだ。その場に沈む。しかし休ませてはもらえない。母さんは俺を無理矢理立たせた。ぐわんぐわんと痛みに支配される俺のハート。そうこうしている内に、腹に膝蹴りをお見舞いされる。
「こんな時間にご近所さんに迷惑かけて! 悪い子だ! チャランボ! チャランボ!」
「ご、ごめんなさ……っ!」
限界だ。俺は倒れ込む。母さんはやっと満足したのか、ドアを開けっぱなしにしたままで出ていった。
日曜日。
俺は夜襲を受けたせいで肉体に酷いダメージを負った。大抵のことは飯食って映画見て寝れば治るから、昼過ぎまでスヤスヤで、軋んだ体に鞭打ってリビングへと下りる。昼飯は用意されていなかった。
「う、き、傷が……う、疼く」
「おはようお兄ちゃん。どうしたの? 嫌なことでも思い出したの?」
リビングにはめぐがいた。しようもないお笑い番組を見ているが、妹は全然笑っていないから画面の中の芸人がすげえ可哀想になってくる。
「いや、昨夜は母さんにしこたま殴られたり蹴られたりしたんだ。ほら、ここ。痣とか出来てない?」
「ちょっとそんなの見せないでよ。だいたい、お兄ちゃんが夜中まで遊んでるから悪いんじゃない。高校生にもなって小学生と変わらないような生活をしている方が悪いのよ。受験、どうするの? 今から勉強したって遅いような気がするわ」
なんで休みの日に説教されなきゃいけないんだ。しかも小学生の妹に。こんなんバレたら恥ずかしくて情けなくて、飯も喉を通りにくくなるだろうし朝も起きれなくなる。
「つーかな、高校生らしいってなんだよ。どんなことすれば高校生っぽいんだ? ん?」
「彼女とデート行くとか」
よせ。
「部活動で汗を流すとか」
やめてくれ。
「アルバイトするとか」
「……ああ、バイトか。その手もあったな」
彼女もいないし部活もやってないが、実はバイトなら見つけてある。1年と2年の間の春休みに見つけた、商店街の古本屋だ。いや、古書店って言うんだったか? まあどっちにしろ古いしボロいし客も来ない。役目があるかどうかも分からない店番をするだけで金が稼げるという夢のようなシステムである。座っているだけでお金がもらえるし、店長のユキさんも美人だし、俺は今どうして家にいるのかが分からなくなった。
「こんな家出てってやるぜ!」
「夕飯までには帰ってきなさいね」
俺は頷き、出かける準備をしてアルバイト先の榊原書店へと向かうことにした。
日曜の昼間だと言うのに人気がない商店街(もういっそ廃れていく方向で話を進めて廃墟マニアの気を惹くくらいしか生き残る道がない)の奥まったところに榊原書店はある。木造で二階建ての店を見た瞬間、異世界に迷い込んだかのような感覚に陥った。
店の看板は斜めに傾いていて、強い風でも吹けばぶっ飛んでいっちまいそうである。しかしバイトするだけならどうでもいい。いや、むしろいい。やはりお客さんなんか来なさそうだと一安心。俺は自転車を停めて、立てつけの悪い硝子戸を開けた。
「ユキさん、おはようござい……」
「あっ、あっ、落ち着いてくださいね、凜乃」
「座ってないで! いいから脚立を押さえてくれ!」
店の中はよく分からない状況だった。
店長のユキさんはカウンターの奥に座っている。いつものことだ。
しかし全くいつもと同じというわけではない。誰だかよく分かんないスーツを着た女の人が、脚立の上でわたわたとしている。はたきを持っているから、棚の上を掃除していたのだろうか。いや、そんなことはどうでもいい。バランスを崩してしまったらしく、今にも倒れてしまいそうだった。
「ああ、おはようございます。今日はアルバイトに来てくださったのですか?」
「お、おはようございます。って、あの、いいんですか?」
ユキさんが薄く笑む。全く動じていない。
「ん? 誰か来たのか?」
「あっ、ちょちょちょ駄目ですって!」
脚立の上の女性は振り向こうとした。が、ぐらりと揺れて足を踏み外す。俺は脚立を支えようとしたが間に合いそうにない。落下してくる女性の背中を支えるべく両腕を突き出す。ってうわあああ重い。背に腹はなんとやらだけど、そんなこと言ってられなかった。
「にゃんぱ……!?」
お腹で女性を受け止める形となった。お昼に何も食べてなくてよかった。絶対に戻していただろう。
「石高さん!」
ユキさんがカウンターを乗り越えて、俺の上に乗っている人を突き飛ばした。女性は、店の隅に積んである古書にぶつかった。ユキさんは俺の上半身を抱き起して至近距離で見つめてくる。とんでもなくいい匂いがした。
「平気ですか?」
「こ、恋に落ちそうです」
「頭を打ったのかもしれません。起き上がれますか? あちらで具合を確かめます」
うーん。俺は自分の様子を確認してみる。別に頭を打った訳ではない。肋骨が何本か持ってかれちまった……! ってバトル漫画のキャラみたいには診断も判断も出来ないけど強い痛みは感じない。わりかし大丈夫そうだった。
「ちょっとびっくりしましたけど、何ともないですよ」
「いけません。何かあってからでは遅いのです」
心配してくれているのか。無理に断ることはない。俺は頷き、ユキさんに半分以上体を預けながら、今まで立ち入ったことのない、彼女のプライベートな空間まで歩いていく。居間は和室で畳だ。ちょっとテンション上がる。
「あ、あの、靴くらいは自分で」
「お気になさらず」
ユキさんに靴を脱がされた。俺は居間に上がる。そんで、ぐっと頭を捕まれてぐるりと寝かされてしまった。混乱している内に横向きにされて、後頭部には、やらかいものが当たった。
「あ、あの……?」
「ごめんなさいね、石高さん。枕が見当たらなかったので、私の膝で我慢してくださいな」
えっ? 俺、今、ユキさんに膝枕されてんの? すげえご褒美じゃん。即座に反転して彼女のシークレットな部分を見ようとしたが、意外に強い力で押さえつけられてしまう。
「若いですね、石高さんは。こんなおばさんに興味を示してはもったいないですよ」
「あ、え、ええと、そ、そういうつもりじゃあなくてですね」
ふっと、耳元に息がかかった。
「ですが、また今度で良かったら……」
ぞくりとした。鳥肌が立った。そうか。分かったぞ。ここが天国への階段だ! そして扉はもう開いているのかもしれない!
「何をしてるんだっ!?」
「ひっ!?」
何故か、俺はその声だけで身が竦んでしまった。思わず目を瞑ってしまった。恐る恐る瞼を開くと、そこにはスーツ姿の女性がいた。さっきの脚立の人である。……なんか見覚えがあるような気がするけど、俺の網膜は勝手にフィルターをかけていて、困ったことに良く見えない。はずなんだ。
「姉さん、私のいる前でそういうことをするな。いや、いないところでも止めて欲しい。で、その子の具合はどうなんだ」
「そうですねえ」
「言ってる傍から脱がそうとするな! 君、大丈夫か。この人は頭がおかしいんだ。運が悪かった……な……ん?」
女性と目が合った。見覚えがあるどころか知っている人だった。よりにもよってその人は、担任の瑞沢である。何故。どうして。ホワイ。
「あら、石高さんを知っているのですか?」
「……こいつは?」
「アルバイトの方です。とても良い方ですよ」
瑞沢は俺をねめつけ、納得したように頷いた。
「ぶち殺し確定だな」
俺は逃げ回ったが、店を出ようとしたところで瑞沢に襟首を掴まれて至近距離で睨まれた。絶対に恋には落ちそうにない状況であった。
「いやだああああああ助けてえ! 助けてええええ!」
「騒ぐな」
「ユキさああああん! 殺されちゃいます! いやだああまだ俺にはやりたいことがあるんだああああ、チチシリフトモモー!」
「煩悩の塊め」
瑞沢は虫でも見るような目つきで吐き捨てる。
「アルバイトは学校側の許可を得ない限り校則で禁止されている。石高、お前は届けを出していないな?」
「そこまでにしてください、凜乃。石高さんが怖がっています。これでは話も出来ませんよ」
ユキさんが止めに入ってくれるが、瑞沢は俺を離さなかった。
「話だと? する必要はない。ただ私が宣告するだけだ」
「凜乃。石高さんを離しなさい」
女性同士が睨み合う。何だか知らんがめちゃめちゃ恐ろしいものに見えた。龍虎相打つ、みたいな。いっそ殺してくれと思った矢先、瑞沢は俺から手を離し、つまらなさそうに鼻を鳴らした。
「姉さんはいつも甘い」
「そんなことはありませんよ。……平気ですか、石高さん」
俺はこくこくと何度も頷く。ユキさんに椅子を勧められ、そこに腰を落ち着けた。落ち着くと気になることが幾つか出てくる。
「あ、あの、もしかしてお二人って、姉妹、なんですか?」
ユキさんと瑞沢は顔を見合わせ、何とも言えない表情を浮かべた。
「出来の悪い妹で、恥ずかしい限りです」
「こんな姉を持って私は不幸せだ」
仲はそんなに良くないのだろうか。
しかし、そうか。姉妹か。なんか全然似てないって言うか。
「でも苗字が違いますよね。ユキさんは榊原だし」
「結婚したからな。榊原の旦那は死んだが、姉さんはまだ瑞沢に苗字を戻していない」
「クズって……」
瑞沢は俺を親の仇でも見るかのような目つきで睨んでくる。
「そしてお前はそのクズにそっくりだ。雰囲気がまるで義兄だ。クズ特有の」
「ちょっと!? 仮にも生徒ですよ俺は! クズクズ言い過ぎじゃあないですか!?」
「そうですよ凜乃。石高さんはクズではありません。はあ、あなたは、昔は口の悪い子じゃなかったのに。優しくてか弱くて、心根のまっすぐな子だったじゃありませんか」
「昔は昔。今は今だ。そしてクズはクズだ。私の目は誤魔化せん」
ユキさんが結婚してたってだけでもガゼルパンチ喰らったくらいの衝撃なのに、屑呼ばわりされる始末だ。頭がくらくらしてきた。……けどユキさんは未亡人なのか。なんか、いい。亡くなった旦那さんには申し訳ないけど。
「石高。私のいない隙にここでアルバイトを始めるとはな。しかしここまでだ。とりあえずクビにする。退学にしたいところだが、涙を呑んで停学だ。反省文は十五万字程度で勘弁してやる」
「ラノベ一冊分くらいじゃないですか! そんなん書くんだったらラノベ書きますよ! そんで出版社に応募してバカ売れしてアニメ化して声優さんも俺がキャスティングしてウッハウハになります!」
「不可能だ。もっと堅実的で現実的な将来を考えろ。人生を棒に振るぞ。だからお前はクズなんだ。さあ、来い。今から学校に連れてってやる」
馬鹿な。
終わった。アルバイトもクビになるし、て、停学だと? 嫌だ。優人たちに笑われるだろうし、家族にはブチ切れられる。ただでさえ母さんおかんむりだぞ。チャランボだけじゃ済まない。あああああめぐには絶対嫌われるだろうなああああ手が震えてきた。
「ダメです」
「……何? 何だと、姉さん。もう一度言ってくれないか」
「ダメですと言いました。耳が聞こえないのですか、凜乃?」
絶望的な状況だったが、女神が現れた。ユキさんはきっぱりとした態度で瑞沢に向かって言い切った。俺も反論したいし言い訳もしたかったが、聞く耳を持ってはくれないだろう。ここは黙るしかない。
「石高さんをクビにはしません。そもそも、あなたにはうちに口出しする権利がありません。ここは瑞沢の家ではなく、榊原書店なのですから」
「ほう、それで?」
「停学もいけません。反省文もいけません。凜乃、あなたはここで何も見なかったし、これから先もここで何も見ることはないのです。いいですね」
瑞沢は震えている。怒りをどこにぶつければいいのか分からないのだろう。あと、俺が思っていたよりもユキさんは無茶苦茶だ。庇ってくれるのは嬉しいが、瑞沢曰く俺みたいなクズよりも、この機会にもっと有能なやつを雇えばいいとは考えないのだろうか。
「そんなことが許されてたまるものか。姉さんみたいに引きこもっているやつには分からないだろうが、学校とは平等でなくてはならない。一人だけ見逃すなんてこと、私には出来ない。不公平じゃないか。石高だけでなく、隠れてやっていたバイトが見つかり、停学になった生徒もいるんだぞ。そいつらだって納得しないだろう」
ぐうの音も出ない正論だ。俺は覚悟を決めた。
「はあ、そうですか。で、凜乃。分かったのですか。分からないのですか。どっちなのかはっきりと言ってみなさい」
「……な、な、なにを?」
ユキさんは砕けなかった。つーか強過ぎる。正し過ぎる瑞沢の論を受けてもけろりとしていた。
「第一、私は公平とか平等とかいう言葉が嫌いです。そういったものを大事だと、大切だと声高に叫ぶ人たちのことを信用出来ないからです。そも、真に平等というものを想っているのなら、そんな風には言いません。……とにかく、世の中すべてが同じというのはありえません。凜乃。あなただってそうでしょう。見ず知らずの他人と仲のいい友人なら、誰だってお友達を助けるはずです」
「話を逸らさないでくれ。今はそんな大仰なことを言っているんじゃない」
「逸らしたのはあなたでしょうに。私は他の生徒さんのことなんか聞いていなかったじゃあないですか。だのに、平等だの、公平だの言い出すからいけないんです」
「う、そ、それは」
ああ、なんかすごい。やっぱり姉妹なのか。ユキさん、言ってることは『まあ私は甘やかしますけどね』って全然筋通ってないのに、めちゃめちゃそれっぽくて言い負かしてる感、パない。
「どうなのですか?」
ユキさんがずいと詰め寄る。誰が見ても瑞沢の旗色も顔色も悪かったが、流石はオーガだ。彼女は負けじとユキさんを見返した。
「分かった。はっきりと言おう。石高は許せん。バイトをクビにするかはともかく、反省文と停学だ。ここだけは曲げない。いいな。いくら姉さんと言えども……え、あ、んん、どこへ連れて行くつもりだ」
瑞沢とユキさんが居間に上がり、奥へと消えていく。今のうちに帰ってしまおうかとも考えたが、弱って、困っているオーガを見るのが面白くて、待つことにした。
時間にして五分経ったか、それくらいだろうか。青い顔をした瑞沢が戻ってきた。彼女はぎくしゃくとした動きで俺の前に立つ。顔は引きつっていた。もしかして笑おうとしているのだろうか。めっちゃ怖いんだけど。
「な、なんでしょうか、先生」
「…………んー? 今、声が聞こえたような気がしたな。まあ、気のせいだろう。じゃあな、姉さん。私は帰る。さようなら。また会う日まで」
「え? あ、はっ?」
瑞沢はマジで帰ってしまった。俺はただただ立ち尽くして、彼女の背中をじっと見送るしかない。そうしていると、まるで何事もなかったかのような風に、ユキさんはカウンター奥の椅子に座って本を読み始める。
「えーと、ユキさん? いったい、どうなったんですか?」
「石高さんが心配するようなことは何もありませんよ」
うふふと、ユキさんは泰然としていた。俺が助かったというのは間違いない。ただ、気持ちの悪い部分もある。明日は学校だ。瑞沢が何か言ってくるかもしれない。気楽に構えるのは止めておこう。
晩ご飯が出来たから早く帰ってきなさいという旨のメールがめぐから届いた。榊原書店でのバイトは自由だ。融通が利きまくる。何せシフトがない。ユキさん曰く、俺の好きな時に来て好きな時に帰っていい、とのことだ。アルバイト代は時給に換算され、その日の内に支払われる。
「すいません、お先に失礼します。お疲れ様でした」
「今日はありがとうございます。本当に助かりました。よろしければ、またお願いします」
深々と頭を下げられてしまった。お願いするのはこっちなんだけど、ユキさんは腰が低過ぎるきらいがある。しかし、そんな彼女が店長だからこそ、次も頑張ろうと思えるのだ。ちなみに、今日もお客さんは来なかった。
月曜日。
あくびを噛み殺しながらリビングに降りる。マイシスターがお砂糖とミルクをしこたま入れたブラックコーヒー(カフェオレじゃんと言っても『ブラックよ』と返される)を飲んでいた。優雅なもんだ。
「今朝は早いのね」
「そうか? あ、いや、そうかもしんない」
昨夜は中々眠れなかった。学校に行って瑞沢にボコられた時のことを考えていたのである。どうやって切り抜けようかシミュレーションしてみたけど、だいたいとっ捕まってエアバーストからの完全燃焼アタックを食らうエンドしか想像出来なかった。
「めぐ。最後かもしれないから全部話しておく。俺がいなくなったらベッドごと部屋を燃やしてくれ。あ、ベッドの下は絶対に見ないように」
「……不潔」
「あ、今何想像したんだ? いけないなー、めぐ。まだまだちんちくりんの小学生なのに卑猥なんだからー。母さんに言ってやろっかなー? ホントはベッド下には何もないんだよー? 埃くらいしかないんだよー?」
「超ウザいしキモいんだけど」
「な、何だその言葉遣いは!?」
俺は衝撃を受けてうな垂れた。四つん這いになってケツを突き上げた。さながら、銀色のサーファーがゲームオーバーした時のようなポーズだったろう。
「俺はお前をそんな風に育てた覚えはない!」
「早く学校行けば?」
ぷいっと顔を逸らされる。めぐがやさぐれモードに入ってしまった。仕方ない。今日は学校の帰りに甘いものでも買っておこう。
駐輪場にチャリを停めて学校までの坂道を上っていると、後ろから『いよーす』と背中を叩かれた。俺は振り向くと同時にエネミーの足を払い、そいつの顔を確認してから腹パンをお見舞いする。
「ギャース! 何すんだよ!?」
「こっちの台詞だ。気安く触ってんじゃねえよ」
樋山くんだった。彼とはクラスメートであり、それ以上でも以下でもない。俺が樋山くんのことで知っていることと言えば、エロが様々な媒体で普及した現代でも、裏ワザのいっぱい載ってる本のちょっとエッチな画像でウキウキする、くらいのものだろう。やっぱりクラスメート以下かもしれない。俺はこいつを軽蔑する。樋山くんは俺を睨みつけたまま立ち上がる。
「朝からムカつくことすんなよな。更新の遅いWEB小説家気取りが新作に手を出すくらい腹立たしいわ」
「誰のことを言ってるか知らんが、プロでもないし金をもらってるわけでもないんだからいいじゃねえか!」
「だ、だから怒るなって」
「ああ、すまん。ちょっと、学校が近づくにつれて凶暴性が増してきてるのかもしれない」
半分本当だ。俺はまだオーガ瑞沢にビビっている。いや、恐怖しない方がおかしい。むしろ世界は綺麗なお姉さんの髪の毛なんかに嫉妬してないで、こんな状況下でも失禁しないでいる俺を称えるべきだ。
「樋山くん。王である俺が死んだら、臣下の君も一緒に死んでくれ」
「オッケー任せろ。リンボまで付き合うぜ。腹が減ったら帰るけどな」
何て心強いんだ。友達って素晴らしい。
学校に到着し、靴を履き替えて教室にも着いてしまう。自分の席に座る。ただそれだけのことで心臓がバクバクしてきた。あと数分もして瑞沢がやってきたら俺はどうなってしまうんだろう。出会い頭にスパイン・バスターとかされるんじゃなかろうか。
「どうした禄助。アウトローのくせに震え出しやがってよ」
「実はな、こないだ瑞沢に……」
優人がのこのことやってきた。こんなやつでも互いのことをよく知っている幼馴染だ。不安を吐き出そうとして口を開きかけた瞬間、瑞沢が姿を見せた。
「おっと、その話はまた後でな」
「あ、ああ」
俺は戦慄した。優人が自分の席に戻っていき、ちらりと瑞沢の顔を見た時だ。彼女は確かに俺の方を見ていた。そうして、口の端をつり上げたのである。
「石高」
「あ、は、はい」
「今日はいい天気だな」
「そ、そそそそうですね」
他の生徒には何のことだか分からなかっただろう。俺にもよく分からなかったが、よくないことが起きるのだとは分かった。
しかし、その日は何も起きなかった。その日どころか、その後も特に何も起こらなかった。普通にバイトにも行ったけど、瑞沢はユキさんの店に来なかったし、学校で呼び出されるようなことだってなかった。そこでピンときた。なるほど。借りだ。
俺は瑞沢を庇ったことになっている。実際その通りなんだが、つまり、彼女は借りを返した。そういうことなんだろう。こいつはいい。情けは人の為ならずだ。やはり普段から善行は積んでおくに限る。俺は人生というものを悟ったのであった。




