ヤワラカナセカイ
「お兄ちゃん。私たち、実は血が繋がってないの……」
俺は持っていた皿を取り落した。甲高い音が大きく響いたのかもしれない。だけど、俺は妹の言葉以外何も聞こえなくなっている。
「私、戸籍謄本を見たのっ。そしたら、そこに、ああっ」
俺は、今度はマグカップを取り落した。中身の液体が足にかかったが、何も気にならなかった。
「義理だったの……! 本当は、私、私っ」
俺は妹を抱きしめた。彼女は胸の中ですすり泣く。
「私、お兄ちゃんのことが好き! 大好きなの! こんなこと許されないと思っていたのに、ねえ、どうしたらいいの!?」
なん、だと……? 俺は銜えていたパンをぽとりと落とした。勿体なかったが、そんなことはどうだってよかった。
妹が俺のことを? いや、お、俺だって妹のことを……!
「お兄ちゃんっ」
「ああ、妹よ!」
「お兄ちゃん!」
「好きだ! 俺だって好きだ! 結婚しよう! 俺たちのことを誰も知らない遠くへ行って、それで!」
「キメェ」
俺は電源を落とした。画面からは仲睦まじく抱き合っていた兄妹が消える。面白いギャルゲーだと思っていたのに、これだよ。こういう、近親ものを忌避している訳じゃあないが、明日は樋山くんに文句を言う必要があるな。まず気に入らんのはこのシナリオが果たして本当に必要だったのかどうか、だ。義理に逃げるってんなら最初からそうしろってんだよ。妹がヒロインだったんなら、血が繋がってるからこそ背徳感とかがあって面白いし盛り上がるんだろうが。更に言うならやっぱり嫌悪感が先立つ。実の妹でもそうでない義理の妹でも、そういう感情が起こるはずがないんだ。こんな話を作ってる奴らには妹がいないんだろう。ぶくぶくとした気味の悪い、『妹』に対する幻想とか妄想をそのまま書き殴ったに違いない。ああ糞。やっぱり収まらねえ。
というわけで夜中だったけど樋山くんに電話した。
「おい、俺だ。殺してやる」
『……ええええ、いきなしなんだよ本当。どっちかって言ったら殺すぞはこっちの台詞じゃねえか』
「貴様から借りたゲームだがな」
かくかくしかじか。
まるまるうまうま。
『ああ、そこな。そのシナリオはやっぱ賛否両論あったよ。けど、移植されたから変わったんだ』
なんと。俺が借りたゲームはエロゲーからの移植だった。コンシューマに移植されたことでシナリオに変更があったらしい。実の妹から義理の妹に変更を余儀なくされ、時間もないから細かい台詞に手を入れることも出来なかったらしい。
「マジかよ!?」
『マジだよ。やっぱ家庭用で温くなっちまうのはしようがねえって』
「オッケー、明日絶対殺すから覚悟しといてくれよな!」
『ちょ』
電話を切った。
翌朝、リビングに降りると妹のめぐがいた。ウェーブがかった茶色い髪を揺らすと、めぐは薄く微笑む。
「お兄ちゃん、おはよう」
「相変わらず早いなあ」
「お兄ちゃんもコーヒー飲む?」
「いや、牛乳だけでいいよ」
冷蔵庫から牛乳のパックを取り出して、マイカップに注いだ。
「なあ、めぐ」
「何」
「結婚しようか」
長い間返事がなかったので振り向く。めぐは俺を見ていた。軽蔑し切った目である。
「結婚しようか」
「いや、あの、聞こえてた。どうしたのお兄ちゃん。今日はいつにもまして気持ちが悪いわ」
「思うところがあって、めぐの反応を確かめてみたかったんだ」
他意はない。
めぐはコーヒーにミルクと砂糖をたっぷりと入れた飲み物に口をつける。そうしてから、面倒くさそうに息を吐いた。少し押しが弱かったか。
「言いたいことは分かる。俺たちは血が繋がってるし、兄妹で結婚なんて常識的に考えてありえない。でもさ、神話の神様は」
「私たちは神様じゃなくて人間だから、そういう例を持ち出すのは筋違いじゃないかしら」
「え、えーと」
「お兄ちゃんは本当に馬鹿ね」
俺は椅子に座って、牛乳を一口飲んだ。めぐはテレビのワイドショーを見遣り、俺の方を向かなかった。
「馬鹿で、駄目で、どうしようもない。でも、お兄ちゃんなのよね。世界に一人しかいなくて、どうしたって繋がりがある。そこに好悪は関係ないの。たとえ憎み合っていたとしても、私がお兄ちゃんの妹であることに変わりはないし、変わることだってない。変わることは許されないのね、きっと。だから、お兄ちゃんが世界中の人間を敵に回したって、私だけは味方でいてあげる。可哀想だもの。お兄ちゃんがどんなに悪いことをしたって、私だけはお兄ちゃんを庇ってあげる。結婚はしてあげられないけど、死ぬまでずっと、一緒にいてあげるわ。兄妹ってそういうものでしょう?」
俺は大きく頷く。うん、その通りだ。しかし、妹に諭される形になってるってのはどういうことだろう。
「この先お兄ちゃんには彼女が出来るかもしれないし、彼女が出来たら私のことを蔑ろにするかもしれない。お兄ちゃんにはやっぱり彼女が出来なくって、私に彼氏が出来るかもしれない。そうなったとして、私はお兄ちゃんを蔑ろになんてしないわ。……そうね。こう言ってしまうのは微妙な気持ちになるのだけれど、ある意味、お兄ちゃんよりも大事な人っていうのは見つからないのかもしれない」
「……ん? えーと、どういう意味?」
「分からないのならいいわ」
めぐは時々俺にだって分からない小難しいことを言う。
「そういや、俺は言われたことなかったなあ。仲のいい妹ってのはさ、自分の兄ちゃんとか父ちゃんに『わたし、大きくなったらけっこんしてあげゆー』とか言うじゃん。漫画とかアニメとかでさ」
「あら、私だって小さい頃に言ってたわよ?」
今だって十分小さいじゃないかってツッコミはしないでおく。っていうか、言われたことあったっけ?
「お兄ちゃんはだらしないから、私が一生面倒みてあげるって。ふふ、こういうのも一つのプロポーズの形なのかしら」
「なんかそれって、めちゃめちゃ情けなくねえか?」
「そう思うんなら、もっと自分の生活を見直すことね」
オーブントースターのタイマーが鳴る。俺は立ち上がろうとした。
「座ってていいわ」
「そっか? じゃ、お願い」
ええ、と、めぐは何故だか機嫌が良さそうに笑う。
「全く。お兄ちゃんは本当にだらしないんだから」
幸せなのか。
たぶん、幸せなんだと思う。普段と何も変わらない一日で、いつもと同じ朝の時間だ。でも、変わることは本当に幸せなのか。変化と幸福はイコールじゃあない。むしろ不変だからこそ幸せなのかもしれない。
おはようと言えばおはようと返ってくる。
ただいまと言えばおかえりと返ってくる。
俺がいて、めぐがいて、互いには兄と妹がいる。そういうのも一つの幸せなのだと、なんとなく思った。
……俺じゃない俺は、どんな風に生きているんだろう。そんなことを考える。どんな世界の俺にも、めぐっていう妹はいるんだろうか。いるんなら、願わくは、仲良くして欲しい。女の子といちゃいちゃすんのもいいけど、家族ってのを大事にしないと駄目だ。幸せなんか、案外すぐ近くにあるもので、自分自身が気づいていないだけかもしれないんだから。




