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シッソウスルセカイ(天国と地獄までは駆け足で)

「そうか。まさか。まさかなあ。いやあ、俺は全然気づかなかった」

 駅前で遊んだあと、俺と樋山くんはメイトの前のガチャガチャコーナー近くの壁に背を預け、炭酸の缶ジュースをぐいっと飲み干した。この辺りもすっかり秋になって、めっきり涼しくなった。

「だから、あんまり口外しないで欲しいんだ」

「おう、そりゃもちろん。流石にそういうことは言えねえよなあ」

 樋山くんはぐっと体を伸ばした。だらしない三段腹が揺れている。

「まさか、寺嶋がインターネットカラオケマンだったとはなあ」

「歌い手な、歌い手。そういや前に遊びに行った時、良いマイクを持ってたんだよ。今頃は歌もそうだけど、ゲームの実況動画までアップしてんだ。情けねえぜ、俺は」

「ところでその動画は押さえてるんだよな?」

「当たり前だ。再生数は伸びてるように見えるけど、実際は俺がF5を連打してるだけだったりする。コメントで『いつも楽しみにしています』とあいつのモチベーションをどうにかして維持してるんだ」

「そりゃあいい。このままコンテンツを育ててやろう」

 ゲヒャヒャと、樋山くんと俺は笑い合った。しかし、彼はすっと表情を消してしまう。どうしたんだろうと様子を窺っていると、溜め息を一つ。

「この後、石高はどうすんの?」

「ん。ああ、待ち合わせてるから、そっちに行くよ」

「そうか。じゃ、俺は帰るかな。あとでURL送っといてくれよ?」

「了解。じゃあ、またな」



 樋山くんと別れた俺は待ち合わせ場所へ向かった。途中、コンビニによって肉まんを買う。それをワシワシと食いながら、パチ公像(ハチ公のパクリみたいな犬の彫像なのでパチ公と呼ばれているらしい。しかし無駄にでかくて目立つので待ち合わせのメッカである)が見えるところまで近づく。人ごみの中、そいつはいた。俺は手を上げて歩いていく。

「早いな」

「そうかな」

 オレンジのパーカーを着てこっちを見上げているのは宝野であった。こいつは相変わらず平坦で抑揚がない。

「前から思ってたんだけどさ、なんか髪の毛伸びたよな?」

「……そうかな?」

 なんて言いつつ、宝野は前髪を指で弄び始める。

「短い方がいい?」

「いや、俺に聞かれても」

「つれないなあ」

 にいいと、宝野は意地悪い笑みを浮かべて、俺の腕を取った。まるで小動物のような所作である。

「腕組むな!」

「今更こんなことで恥ずかしがるなんてみっともないよ。往生際も悪い。君はもう選んだんじゃないか」

 そう言われると辛いものがあった。



 体育祭の後、口にするのはかなり憚られるが、結果的に言えば俺は宝野とデートをした。いや、一緒に昼飯食ってゲーセンとかで遊んだだけだ。今までと大して違いはない。俺の幻想は砕けてしまっている。淡い思いは雲散して霧消した。問題は宝野の方にあった。

『向こうじゃ同性愛なんか珍しくもなんともなかったよ?』

 宝野の方が乗り気になっていたのである。こいつは三年に上がる前にアメリカへ戻ると言っていたが、発言を撤回した。なんでやねんと思ったが、俺といる方が楽しいらしい。友達としてなら嬉しい言葉だが、絶対にそれだけでは済まないので嫌な予感しかしない。というか今のところ俺にその気はないんだ。



「刹那的でもいいじゃないか」

 映画を観終わってファミレスに入った後、注文した料理が出揃った時点で、宝野はそんなことを言いだした。

「何が?」

 俺はコップの水を勢いよく飲んだ。

「ボクたちのことだよ。君はまだ決めかねているみたいだけどね」

 そりゃそうだろう。

「はあ、何が不満なんだい。ボクに出来ることならどうにかするから」

「……性別」

 根本的な問題である。~ボーイ・ミーツ・ボーイ~なんか俺は嫌だ。せめてはるか1/2でもないと納得出来ない。いや、やっぱそれでも無理だ。

「手術を受けろと言うのかい?」

「そこまで言ってねえよ」

「どうしてもと言うのならそれも一つの手ではある。けれど、うーん」

 宝野は本気で考え込んでいるみたいだ。こいつはいつも涼しげで冷静だけど、実はそうでもない。頭の中身は俺には想像も出来ない。たぶん、混沌としたものがぐつぐつと煮え滾っているんだろう。

「恐らく、君が気にしているのは世間体だと思うんだ。この国には同性婚を禁止している法律はないけれど、戸籍上では認められていない。確か、養子縁組制度だったかな。ボクが調べたところそれが同性婚の代わりみたいだね。それもいいし、二人で海外へ行くと言うのはどうだろう。同性婚が認められているところへ行けば解決じゃないか」

「結婚……? 俺と、お前が……?」

 思わず、ハンバーグを切り分けていたナイフを落としそうになった。何故なら宝野のウェディングドレス姿を想像してしまったからだ。俺の馬鹿。

「しかもちょっと似合ってたし!」

「……? ああ、でも、そうなると今までの人生を捨てることになるんだよね。友達だったり、家族だったり」

 俺の脳裏をめぐ、父さん、母さん、優人たちが過ぎった。うん。そうだ。海外へ行って宝野と結婚したとしても、果たして本当に幸せになれるだろうか。もっと考えるべきなんだ。

「でもよくよく考えたら大丈夫だ」

 窓の外を物憂げに眺めていた宝野は微笑を浮かべる。

「ボク、友達いないし。家族よりも君の方が大切だからね」

「えーと、俺は友達じゃないの?」

「あはは、何を言ってるんだよ」

 涙が出ますよ。

 何とかしてこいつを諦めさせないといけない。

「だ、だいたいだな、確かに今のお前は……ああ、その、女の子にしか見えない。けど十年後はどうだ。すね毛の一本すら生えていないお前だっておっさんになるかもしれないだろうが」

「君に嫌われないように努力はするよ。いや、約束する。ボクはその辺の女よりも可愛くあり続けるって」

 なんだこの自信は。前々から思っていたが、こいつの自信ってのはどこから出てくるものなんだ。

「もう少し考えさせてくれるか? 高校卒業するまでには答えを出すから」

「いいよ。それに、一番大事なところははっきりしてるんだ」

「一番大事? なんだそれって」

「気持ちだよ」

 宝野は自分の胸を撫でた。

「ボクが君のことを好きって気持ちと、君がボクのことを好きって気持ちだ。自惚れてるとは思わないよ。きっと本当のことだろうからね」

 気持ち、気持ち、ねえ。

 確かに俺は宝野のことが好きなんだろう。でも、それって友人に向ける感情以上のものなのだろうか。こいつには憧れてるし、見て欲しいし、認めてもらいたい。そこんところは確かだけど。

「……まだよく分かんないけど、お前といるのは嫌じゃない。お前がいなくなったら嫌だってのも確かだな」

「そうか。嬉しいな」と、宝野は微笑む。最近、こいつは笑うようになった。以前はもっとむすーっとした顔ばかりだったのに。



 ファミレスを出た後、俺たちは石高家へ向かった。明日は休みだから宝野は泊まっていくらしい。別段珍しいことではない。最近は週末になるとこうなのだ。

「そろそろご両親に挨拶しないとね」

「冗談だよな?」

「どう思う?」

 うっ、表情が変わってないぞこいつ。怖いことを仰らないでいただきたい。

「ふふ、明日のごはんが楽しみだ。君の作る料理は絶品だからね」

「だから言ったろ。うまいって。あ、そういや着替えとかは? お前、今日は何も持ってきてないじゃん」

「君のを借りるよ」

「なあ。他意はないよな?」

 宝野は答えなかった。

「ねえ」

 街灯の下、宝野が立ち止まる。俺も彼に倣った。

「まだ、佐藤って先輩のことが好き?」

 大切な質問のような気がする。俺はきちんと自分の中で答えを出そうとした。

「……分かんねえ」

「分からない、か」

「お前だって言ってたように、あの人がいなけりゃ俺が陸上部に入ることはなかった。そのお陰でお前と会えたんだから、先輩には感謝してる。ありがとうって素直に言える相手なんだ。嫌いなはずがないよ」

「仮の話をしよう。もし、もしもだよ。その先輩が戻ってきて、君に『付き合って欲しい』と言ったら君はどうする?」

 宝野の考えてることは分からない。でも、こいつだって俺の考えてることが分からない。大っぴらにはしづらい関係だ。宝野だって不安なんだろう。俺は、その不安を少しでも和らげてやりたいと思った。

「ぶっ飛ばす。とはいかないけど、断るに決まってんだろ」

「そうか。……そっか。うん。いい。ボクはもっと欲張りだと思っていたけど、今はその言葉だけで満足出来てる」

 何か吹っ切ったような顔つきで、宝野は再び歩き出す。俺は急いで隣に並んだ。

「ああ、もう一つだけ欲張ってもいいかな?」

「おう、なんだ」

「手、繋いでもいい?」

 俺は答えず、小さな手を引っ掴むようにして引き寄せた。宝野は嬉しそうに微笑む。

 なんつーか、幸せってこんな感じなんだろうか。で、そんなことを思っちまった俺の答えってのはとっくに出てるんじゃなかろうか。



 俺は思う。

 今、俺は幸せなのか? これから先、どうなるんだ? 正直なところ先行きは怪しい。障害はたくさん待ち受けているだろう。

 だけど、宝野と離れることは考えたくなかった。例えば俺が幸せになれるってんなら、隣にはあいつがいなきゃ嫌だって思う。宝野にいて欲しい。あいつのいない人生は幸せではない。そう思えるだけで俺は幸せなのかもしれない。

 たとえ宝野が、もう君とはお先真っ暗だって言って諦めて、俺の前からいなくなったとしても、俺はきっと、必死になって走り回って、あいつを見つけ出すんだろう。……ん? あれ? やっぱり俺は宝野が好きなのか?

 ……だけど。もしも。そんなことを考える。俺が中学の時、佐藤先輩と出会っていなかったら。陸上部に入っていなかったら。宝野遥と出会えなかったら。俺はいったい、どんな高校生活を送って、どんな人間になるのだろう、と。決して今の石高禄助に不満を覚えている訳ではない。後悔なんかしていない。少し戸惑っているだけで、むしろ、幸せなんだ。

 例えば。仮の話だ。

 俺じゃない俺がこことは全然違う別の世界にいたとして、その世界の俺はどんな人と出会うんだろう。どんな風に生きていくんだろう。そんなことを考えてしまう。そんでもって考えたって無駄だと知る。今の俺は余計なことを考えている余裕なんかないんだった。

 願わくは、どんな世界のどんな俺も、今の俺みたいに幸せになってくれよ、と、エールを送っておく。なんてな。

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