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シッソウスルセカイ(剣、カンカン)

 逃げ出した先に楽園なんかない。そんなことを言ってたのは誰だったっけな。いい場所だと思っていた図書室にはフールスモーキー丹下院がいて、しかも結局宝野に追いつかれる始末。

「ボクはこの本にするよ」

 何故か俺は宝野と速読で勝負することになっていた。さっきまでごちゃごちゃ言ってた丹下院も諦めたのだろう。今は図書室の隅でぷかぷかと紫煙を吐き出すだけのマシーンとなっていた。

「……いや、それじゃあ意味がないんじゃねえの?」

 俺の対面に座った宝野は小首を傾げる。彼女が持ってきたのは聖書であった。

「どうして? 聖書はいいよ。日本人にはなじみの薄いものかもしれないけど」

「そうじゃなくて、同じ本を読まなきゃ勝負にならないんじゃないのか? 文章の量とかさ、フェアじゃねえもん。ちなみに俺はライトノベルしか読まねえから。俺は国語の教科書じゃなくてラノベで漢字を覚える性質だ」

「ライトノベル……?」

 生憎、この図書室にはラノベなんか入ってこない。仕方ないので、俺は鞄の中から最近になって読み始めたやつを取り出す。三冊あるが、いずれも目の大きいきゃるーんとした女の子が表紙にどーんと載っている。

「漫画かな?」

「小説だよ。一応な」

 宝野はラノベを手に取って、ぱらぱらとめくり始めた。

「そうか。薄々は分かっていたけど、君はナードだった訳だね」

 ナード? なんだそりゃ。

「スクールカーストの一番下。今の君みたいな人のことだよ。くそ、どうして君が、こんな……××××!」

「おい、今なんつった。また悪口言ったろ」

「言ってない。さあ、勝負だ」

 宝野は立ち上がり、俺の隣に座る。汚いものでも触るみたいにラノベを摘まみ、ページをぺらりと開いた。あまつさえ椅子をぐいぐいと近づけてくる。彼我の距離は数センチもない。

「近……!?」

「こうしないとお互いが同じ本を読めないじゃないか」

 間近で見ても宝野は可愛かった。やはり男とは違う。睫毛も長くて、肌もきめ細かい。ニキビとか、そういうものに悩まされたことはないんだろう。流石ハーフだ。強い。それだけじゃなくって、なんかふわーっといい匂いがする。彼女が身じろぎする度、石鹸でもシャンプーでもなく、ザ・女の子って感じの香りがしてくすぐったい。無表情だし貧乳だし愛嬌もないが、それでも宝野は……。

「さあ、始めようか」

 宝野がページをめくる。アカン。字なんか読めない。集中出来ない。お、俺はどうすればいいんだ。

「……へえ、そういうこともするんだね」

 艶然とした笑みを浮かべる宝野。気づいた時にはもう遅い。俺は彼女の身体を持ち上げて膝の上に乗せて後ろから抱きすくめていた。あ、あれ? っかしーなー。

「不可抗力でござる」

「邪魔をするつもりみたいだけどボクはこの程度で怯まないから」

 もはや勝負なんて関係ない。やばいんだよ。こいつ、柔らかい。朝から坂道を走ったりでトレーニングしてるくせに全然固くない。ぷにぷにしてるしふわふわしてる。俺は在りし日の妹を思い出した。めぐも昔はこうやって甘えてくれてたりしたんだっけ。今となっては、顔を合わせば小言を言うし皮肉も言うしストレートな悪口も言ってくるし、ああ、懐かしい。

「うう、めぐ、めぐ……」

「気味が悪いな」

 宝野はぺらぺらとページをめくって本を読み進めていた。

「うん? ねえ、この『闇獄超球大火焔』というのはなんて読むんだい」

「めぐ……あ、これは『ゲヘナ』って読むんだ。前のところにルビ振ってなかったか?」

「日本語は奥が深いな」

 むしろ業が深い。

「しかし分からない。どこが面白いの?」

「俺にも分からん。けどさ、今これが流行ってんだ。読まなきゃ追いてかれるだろ」

 誰にと宝野が問う。世間にと俺は答えた。

「ふうん、そうか。流行もある意味速度が大事なのかもね。ところでいつまでボクを掴んでいるんだい。そろそろ離してはくれないか」

「名残惜しいが」

 俺は宝野を解放する。彼女はゆっくりと俺から離れて、立ち上がって四肢を伸ばした。しなやかな動作であった。

「宝野。一つだけお願いがあるんだけど」

「ボクに?」

「ああ。通報だけはやめてもらえると助かる」

 ふ、と、宝野は鼻で笑う。

「別に。ボクはあれくらい気にしないよ。背中を頬ずりされた時は怖気が走ったけどね」

「マジで!? じゃあ今度は前から抱き着いていい?」

「……ドHENTAIだな君は。嫌だよ。忘れてないかい。ボクと君はライバルなんだ。勝負しているんだよ」

「ああ、そういや、速読はどっちの勝ちなんだ」

「ノーコンテスト。勝負にならない。君は本を読む気がなかったし、ボクじゃあさっきみたいな本は読めない。好き嫌いの話じゃなくってルビが難解だからね」

 宝野との勝負自体は引き分けに終わったが、勝ち負けの話じゃない。俺はもっといいものを得たのだ。ありがとう。ありがとう。



 日曜日。

 昨日はバイト行ったし、夜遅くまで優人たちとゲームしてたから超眠かった。結局、今日は昼過ぎに目が覚めて、今の今までベッドの上でだらだらとしていたのである。

「お兄ちゃん、お昼ご飯は?」

「えー、めんどい。食べたいけどめんどい。めぐ、食べさせてくれ」

 めぐは俺を無視してゲームをセットし始めた。

「何すんの?」

「わくわくする格ゲーをするの」

 石高家ではアリーナと言えば会心の一撃を連発する方じゃなくって、わくわくする方を指す。このゲームはプレイアブルキャラが少ないが、その分、濃い。世に出るのが10年ばかり早かったとは誰が言ったのか。全くもってそのとおり。

「じゃ、俺はオートマタの子を使うわ」

「私は魔界大帝を使うわ。お兄ちゃんなんか1秒でコロスデス」

「ラスボス使うなよ!」



 わくわくする格ゲーで遊んでいるとケータイが光り出した。優人から電話が来ている。面倒だったが、しつこかったので仕方なく出てやった。

『出るのおっせーよ!』

「今さー、妹と水入らずで遊んでんだよ。頼むからお前はこの世界から消えてなくなってくれよ」

『お前んちの前にいるんだけどよう、厄介なことになっててな』

 優人が俺んちの前にいるってだけで厄介なのに、更に厄介なことが起きたと言うのか。

「んだよ」

『転校生ちゃんがいるんだよ』



 俺は慌てて家の外に出た。優人は門扉を勝手に開けて、敷地の端っこに自転車を停めている。こいつはいい。いつものことだ。問題なのは宝野である。何故か、こいつまでここにいる。門扉の外で俺たちをじっと見つめているのだ。怖い。

「いやー、暇だからお前んちに行こうと思ってな。で、なんか転校生ちゃんに見つかってさ」

「ついてきたのか」

「そんな感じ。どうする?」

 どうするもクソもお引き取り願いたい。学校でならまだしも休日まで勝負勝負と口にされては敵わない。

「……よう宝野。よく来たな、帰れ」

「酷いじゃないか」

 今日の宝野はいつもと違う服装をしていた。緑と白の縞々シャツの上から薄手のパーカーを着ている。色は黒だ。あとホットパンツ。生足だった。生の足だった。思わず舌なめずりしてしまうのも無理からぬことである。

「つーか、マジでまた勝負とか言いに来たのか?」

「そのつもりだったけど友達と遊ぶみたいだからやめとくよ」

 安心した。しかし優人は不満げな顔をしている。

「えー? 別に一緒に遊んでもいいじゃんよー。いつもは華のない俺たちなんだからさ、たまにはいいんじゃねえの? 転校生ちゃんもせっかくここまで来たんだし」

 何抜かしてんだこいつ。いつもなら気を遣うからとか言って絶対に女子なんか呼びたがらないくせに。……この野郎、俺を困らせて楽しもうとしてやがるな。

「いいよ。彼が嫌がっているみたいだから」

「あ。あーあーあー、いいのかよー禄助ー」

 宝野は背を向けてしまう。俺は咄嗟に呼び止めてしまっていた。彼女は不思議そうな顔で振り向く。

「勝負とか、そういうの言わなかったら、入ってもいい」

「どういう意味?」

「そのまま。一緒に遊ぼうぜって言ってんだ」

「……休みの日くらいは、そうか。分かった。今の君がどんな生活をしているのかも興味がある。お邪魔させてもらうよ」

 言って、宝野は薄く笑った。



 お邪魔しますと、宝野は靴を脱いで家の中を見回した。アメリカ帰りのコイツだから、靴を履いたままのボケをかますかと警戒していたのだが、杞憂に終わった。

「なんだよ。珍しいものなんかねえぞ」

「いや、てっきりトロフィーや賞状を飾っているのかと思ってね」

「そんなもん禄助の家にはないって」

 優人は軽い足取りで、二階にある俺の部屋へと向かう。俺と宝野はやつのケツを見ながら後を追いかけた。

「そうか。あったって邪魔なだけだからね」

「そういう意味じゃあないんだけど……」

 部屋に入ると、コントローラを握っためぐが俺たち三人を認める。優人はともかく、宝野とは初対面だ。紹介する必要があるだろう。

「あら、新しいお友達?」

「妹さんかい? はじめまして、宝野遥だよ。先日、コクダカのいる学校に転校してきたんだ。これからもよろしくね」

「お兄ちゃんの……? あ、石高愛よ。こちらこそよろしくお願いします。それから、お兄ちゃんたちのこともよろしくね。頼りない兄だから」

 俺はふて腐れながらベッドの端に腰を下ろした。

「聞いて驚けめぐ、こいつはしかもハーフで、帰国子女だ。ムカつく設定だろ?」

「コンプレックスの塊ね」

「あれ? 愛ちゃんも一緒に遊ばねえの?」

「お菓子と飲み物を持ってくるわ。お客様ですもの」

 めぐは立ち上がり、部屋を出ていった。宝野は所在なげに立っていたが、優人が勝手に座布団を敷いて、彼女をそこに座らせた。

「ちなみに、俺が来た時には何も出ないんだよなあ」

「お前はお客様って感じじゃねえんだ。だいいち、お前が来るたびに菓子とジュースを出してたら俺んちから食料が消える」

 宝野に視線を遣る。彼女は一応、座ってはいたが、やはり部屋の中を見回していた。落ち着かないのだろうか。いや、そんなタマじゃないな。

「凄い部屋だね」

 俺は改めて自分の部屋を見る。壁にはアニメのポスターやタペストリー。テレビや勉強机の上には露出度の高いフィギュア。ベッドの下には本棚に入りきらなかった大量の漫画が置いてある。幸いというか、ベッドもあるし、四人が身体を伸ばして寛げるスペースはある。ここにいるのが宝野じゃなくて樋山くんだったらとんでもない圧迫感を覚えるのだが。

「そうかあ? 普通だろ?」

「君とボクの普通は同じじゃない。価値観を共有出来ないのは残念だ」

 一々気に障る言い回しだ。俺は優人に助けを求めた。アホメガネは好き勝手にゲームを漁り、セットしている。

「いつも、君たちはどういう風に遊んでいるの?」

「もっぱらゲームだよ。飽きたら適当に喋ってる」

「格ゲーとか、対戦出来るやつが多いかな。禄助の家には協力プレイ出来るのが少ないんだよ」

「あ、馬鹿」

 対戦。そう聞いた宝野の目が僅かに鋭くなった。優人は口の端を歪めていた。

「お待たせ。持ってきたわよ。宝野さんは炭酸のジュースでも……何かしら、この一触即発の雰囲気は」



 勝負というか、とりあえず間も持たないし、ゲームで遊ぶことになった。宝野に選ばせた格ゲーをやることにする。彼女は食い入るように説明書やコントローラを見て予習中だ。その間、俺と優人は軽く対戦することにした。めぐはと言えば、ベッドの上から高みの見物である。ヒエラルキーで言えばめぐが頂点だからな。

「ビデオゲームはあまりやったことがないけど、負ける気はしない」

 何故か宝野は自信満々である。彼女が選んだのは最強のウェイトレスを決める大会を開くとか未だに意味が分からないストーリーの格ゲーだ。それもアドバンスドな2である。操作やシステム自体は簡単だから止めはしなかったが、原作はアダルトだったり。

「どうして女の子のキャラクターしかいないんだろう?」 とか、宝野は首を傾げている。

「やっぱりキムタカは最高だぜ。……今だ霧島式!」

「ああ、だな。おっと、久保田バスター!」

 勝負とは言うが、格ゲーでの対戦くらいならどうでもいい。実際、宝野みたいな初心者に負けるはずないし。



 つーわけで、自信満々の宝野をボコり始めてから小一時間は経過していた。彼女は負ける度にキャラをコロコロと変えるが、そんなん無駄である。キャラ対策とかそういう話ではなく、満足に操作出来ていないのだ。戦いにおける年季の違いである。

「もう一度」「もう一度だ」「もっかい」

 そんなことを言い続けて、宝野さんは超無言。しまいにはお得意のスラングを喚きまくる始末だ。めぐの教育に悪いのですぐに黙らせたが。

「お兄ちゃん、一回くらい負けてあげなさいよ」

「……う。て、手加減なんかいらない。さあ、勝負だ」

「取り返せないくらい勝ち星ついてんだけどな」

「××××! いいから勝負だ!」

 宝野は、いつもは涼しげにしていて表情だってろくに変えやしないのに、勝負事となると熱くなる。こういう時の彼女は見ていて飽きない。

「もう、仕方ないわね。私が仇を取ってあげるわ」

 めぐが宝野からコントローラを受け取り、俺をねめつける。

「ふはは、いいだろう。俺は勝てば勝つほど調子が上がる男だ。妹と言えども手加減は出来ない。二人で涙を流し合うがよろし」

「どこまでクズなんだお前は」

 黙ってろ。

「秒殺よ」

「どうかな? ……あっ」

 めぐが選んだキャラにはお手軽な永パが搭載されている。立ち回りこそ不安の残るキャラクターだが、めぐが使うならそんなことは些末なことだ。というわけで宣言通り開幕から二秒くらいで永パを決められてしまい、俺はあっという間にやることがなくなる。

「ゲームは楽しくしないと駄目よ、二人とも。分かった?」

 はい、と、俺と宝野は頷いた。



「君の妹は凄いね。ボクなんかよりもずっと大人だ」

 めぐの背中を見ながら、宝野は居住まいを正した。

「兄貴がクソだから、反面教師でね」

「うるせえボケが」

「勝負は引き分けだ」

「あ?」

 宝野は黒いソーダ水をぐっと一気飲みしてから俺を見た。

「バスケットボールで君がボクに言ったように、ゲームにも技がある。やっぱりこの勝負はフェアじゃない」

「お前、自分から持ち出しといてそんなん言うかよ」

「さっき気づいたんだ」

 しれっとした顔で言いやがる。

「今日のところは君の妹の勝ちだけどね」

 優人は遠慮しないでさっきからお菓子を馬鹿食いしていたが、何か思いついたような顔をする。つまり、意地の悪い顔だ。

「ま、ゲーム勝負はまた今度でいいじゃん? 来週の土日のどっちかでもいいし、月曜日の放課後でもいい。また遊びに来なって」

「なんでお前が決めんだよ!」

「うん。こういうのもたまにはいいかもね」

「なんで乗り気なんだよ!」



 月曜日。俺は優人の作った樋山くんbotのツイートを読みながら坂道を上っていた。

「俺的には『脇は性器』とか名言過ぎると思うんだけど」

「『買ってから叩け』、『ラグ過ぎてやる気失くした。麩菓子食うわ』も捨て難いな」

 優人はこのbotを更新する為、樋山くんにはばれないように、彼の発言を逐一メモしている。色々な意味で酷い。ちなみに語録と化した樋山くんbotだが、本人はこのアカウントの存在を知らない。彼が今頃ブヒブヒ言いながら歩いている間にも、フォロワーは着実に増えている。

「今度、樋山くんの子供の時の写真をアイコンにしようと思うんだけど」

「流石に悪ふざけが過ぎると……お、宝野じゃん」

 俺たちの前をチビッ子が歩いていた。

「そういや、転校生ちゃんって友達出来たのか? 正直、お前に勝負とか言って絡んでるくらいで、クラスメートと一緒にいるところもあんまり見たことないぞ」

「や、なんかこの前は女子と一緒にいるところ見たぜ。ガールズトークしてたんじゃねえの?」

「お、なんだよ禄助。ナンダカンダ言って心配してんのか。ちゃっかりチェックしてんじゃねえの」

 偶々だ馬鹿野郎。

「……ん? あ、気づかれたな」

 俺は立ち止まる。何の気なしに後ろを向いた宝野は動きを止めた。そうかと思えば次の瞬間にはもう動き出している。だっと坂道を駆けおりてきて、俺たちの前で急ブレーキをかけた。

「勝負だっ」

「午後のロードショーのラインナップみたいにブレないなあ、お前は」

 無視して歩き出すと、裾とか袖をぐいぐいと掴まれる。

「伸びるからやめろ。アイロンかけるのも面倒くさいんだぞ」

「あ、ごめん。でも勝負したいんだ」

「学校まで競争か? 朝から動き回るのなんか嫌だからな」

 ならばと、宝野はどこからかメモ帳を取り出して、それをつらつらと眺め始めた。いったい、そこには何が書いているのだろう。だいたい分かってしまうが。

「決まらないんならやめとこうぜ、また今度な」

 ……また今度?

 俺は自分で何を言ってしまったのか。いつの間にか、こいつと勝負することが当たり前というか、そこまで嫌ではなくなっていた。の、かもしれない。



「勝負だ」

「中間テストの見せ合い? まあ、俺には失うものなんかないからいいけどよ」

「うわ。君は頭が悪いんだね」

「お前だって大概じゃねえか!」

「ボクはこの国に来たばかりだから」



「勝負だ」

「じゃあ、じゃんけんな。最初は……」

「子供をあしらうようなやり方はやめて欲しい」

「運も実力のうちって言うだろ。それとも勝負するのが怖いのか?」

「いいよ。受けて立つ。最初は……!」



「勝負だ」

「えー? また? 何で勝負すりゃいいんだよ。じゃんけんもあっちむいてほいもめちゃくちゃ弱いじゃんか、お前」

「エクストリームスポーツというのを知っているかい?」

「アイロンかけとか、そういうのか」

「知っているなら話は早い。パルクールをしよう。君とならいい勝負が出来そうだ。次の土曜日がいい」

「その日は優人たちとカラオケに行くんだよ」

「……そうなの?」

「あー、じゃあ、カラオケの採点で勝負すっか?」

「歌にも自信があるよ、ボク」



「××××ッ! ××××!」

「なあ、誰か転校生ちゃんからマイク取り上げろって」

「石高なんとかしろよ。俺たち今、すごい音量で罵倒されてんだぞ」

「いつもは大人しいんだけどなあ」

「この採点機能は壊れてる! どうかしてるよ!」

「どうかしてんのはお前の音程だろ」



 宝野に勝負を挑まれるのも日課で当たり前になりつつあった。俺は色々な事柄にさして疑問を抱くこともないままで、気づけば1学期も終わった。

 通知表を鞄に押し込めた帰り道。坂道を下る俺たちの後ろを、いつものように宝野がぴったりとマークしていた。

「そういや、成績とかどうなってんだ?」

「……成績? なんの?」

 優人は眼鏡の位置を指でくいと押し上げる。

「いやいや、転校生ちゃんとの通算成績だよ。どっちが勝ってんだ?」

「知らん。ドローばっかりっつーか、ノーコンテストばっかりな気がする」

 なんだそりゃ、と、樋山くんが微妙な顔をした。

「飽きないなあ。石高と遊んだっていいことなんかねえのに」

「どの口で言ってんだよ。この後も駅前へ繰り出す予定のくせに」

 ただ、気になった。俺はなんとなく宝野を見る。彼女は鋭い目でこっちを見返した。どうしてこいつは俺を敵視というか、ライバル視するんだろう。

「さっきさ、原先輩と話してたじゃん。あれ、なんだったんだ?」

「君には関係ないよ」

 すげないやつだ。……帰りしな、宝野は校門で生徒会長の原先輩に声を掛けられていたのである。話の内容は気になるが、彼女の反応から見るに穏やかなものではないだろう。

「ま、いいけどな。あ、お前さ、夏休みにも押しかけてくるとか言わないよな」

「勝負のこと?」

「毎日なんか身が持たないからな」

「ボクもそこまで暇じゃないよ」

 ホントかよ。



 俺は気づくべきだったのかもしれない。いや、気づくべきで、考えるべきで、思い出すべきで、傷つくべきだったのだろう。もっと早く、もっと深く、もっと優しく。

 例えば、どうして宝野が原先輩と話していたのか。どうして彼女が俺に突っかかって来るのか。……俺は目を逸らしていたに過ぎない。真実というものは、えてして手近にあって、つまらない。分かってはいた。ただ、やはり、俺は嫌だったのだ。



 きっかけというのは些細なものだ。

「転校生ちゃんって足早いよな。石高もなかなかのもんだと思ってたけどさ。なんか部活とか入らないの?」

 夏休み。夕方。ファミレス。ドリンクバーで三杯目のお代わりをした樋山くんが、何気なく口にした言葉。それだけだった。

「……部活にはもう興味がないんだ。競いたい相手は一人しかいないからね」

 宝野が俺を見る。まっすぐに、じっと。

「昔は何やってたん?」

「陸上」と、宝野は短く答える。『知っているだろう』とでも言いたげな目をしていた。

 俺は何も言わない。優人も口を開かなかった。樋山くんだって変な空気が流れ始めているのに気づいている。だけど、何が変で、何のせいでおかしくなっているかには気づけなかった。

「ふーん。石高も何かやってたのか?」

「……ああ、いや、禄助は」

「陸上だよ」

 宝野が答えた。恐らく、樋山くんは特大の地雷を踏んだ。

「陸上? へえ、一緒じゃん」

「ああ、ボクもそう思ってた。けど、違うんだ。彼は、ボクの前から姿を消したんだからね」

「んー? えー、あー。……ああ、そうか。すまん、石高」

 察されて、謝られてしまう。俺は苦笑し、頭を掻いた。

「ボクもその部分に触れるのは避けていたのかもしれない。無意識のうちに。ボクだって本当のことを聞くのは怖かったんだ。だけどもう駄目だ。教えて欲しい。中学二年生のあの日、君はどうして、来なかったんだ?」

 やはり宝野は俺のことを知っていた。俺の、一番嫌なところを。

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