シッソウスルセカイ(熊蜂と非行)
宝野は明日の約束をして食堂から立ち去った。今になって後悔もしているが、同時に期待もしている。明日は明日で、勝負のことはどうにかしてうやむやにしよう。
「あ、こいつ『なんだかんだで明日の勝負のことはうやむやにしよう』とか思ってんな」
「何言ってんだボケメガネ。俺も男だ。二言はない。ただ、俺の意にそぐわないものが用意されていた場合には断固として抗うべきだとも思っている」
「鮮やかな返しだな。まるで政治屋だ」
「独裁サイコー」
樋山くんが舌打ちした。
さて、放課後だ。そしてまた一人きりだ。優人は『それじゃあ私、生徒会に行くね』と旅立ってしまったし、樋山くんは創作発表会の続きに行ってしまった。仕方ない。今日も大人しく帰ろう。そう思って昇降口で靴を履き替えていると、
「……また出やがった」
「勝負だ」
予想どおりというか、宝野に捕まってしまった。
「勝負なら明日の昼休みに受けるって言ったろうが」
「明日は明日だよ。今は今だ」
宝野は体型も平坦なら口調まで平坦だ。どこまでも抑揚がない。
「なんでそんな付け狙うんだよ。俺と勝負したってしようがねえって」
「ボクにとっては君以外と勝負する理由がない」
びしばしとした敵意を感じる。
「一人で暇をしてるんならボクに付き合ってくれてもいいじゃないか」
えー、と考え込んでしまう。考えたら負けだった。こいつを撒くには理由なんかいらない。適当に理由つけて逃げの一手を打つしかない。
「何で勝負すんだよ」
「君が体育の時に活躍したと言うのをクラスメートから聞いた。バスケットボール。ワンオンワンだ」
「やだよめんどい。だいたい、放課後はバスケ部が使ってんだぞ」
この辺にはアメリカとは違って屋外にバスケットのゴールなんかない。しかし、宝野はそんなもの知っていると言わんばかりに体育館へ向かった。恥をかいても知らないぞと思いながら、しかし放ってはおけないとも思って、仕方なく靴をもう一度履き替えて、彼女の後ろをのこのことついていくことになる。
「退いてくれないか。ここを使いたい」
体育館に着くや否や、宝野はバスケ部に向かってそんなことを言い放った。俺は帰ろうと思った。
案の定というかなんというか、いきなり出てきたちびっこに対して、男子バスケットボール部一同は憤る。一年坊主や同学年の二年ならともかく、やっぱり上級生はでかくて怖い。
「えーと、いや、いきなり言われてもなあ。先生の許可とか取った?」
と、キャプテンらしき人は意外にも理性的であった。いきなり現れたアホ相手にしては破格と言ってもいい対応の良さである。
「いいから退いてくれないか」
「……えーと」
だが、そんな人の良さそうなキャプテンを相手にしても宝野は自分を曲げなかった。
「ほっとけって、つーか誰だよそいつ」
「あー、二年の転校生っす」
「もしかして入部希望? でもさ、頼むんならこっちじゃなくて、あっちだろ」
部員は反対側のコートできゃっきゃとプレイしている女子バスケ部を指差す。俺もそっちに混ざりたい。
宝野の乱入により、バスケ部がああだこうだともめ始める。彼らにとって不運だったのは、この場に顧問の教師がいなかったことだろう。もしもここに顧問なり、指導者がいたんなら、俺たちは何も出来ないままさっさと追い出されていたのだろうから。
「ん? つか石高、なんでお前もいんの? この子、いったい何よ」
「俺が聞きてえよ。連れてこられたんだ」
「……鬱陶しいな」
宝野さんまさかのイライラである。彼女はその辺に転がっていたボールを手に取り、じろりとバスケ部を見回した。
「一分でいいんだ。それが嫌なら僕と勝負しよう」
うわ、と、俺は両手で顔を覆う。こいつ、どこまで勝負事が好きなんだ。
「そっちは五人でいい。ボクがシュートを決めたらボクの勝ち。止められてもシュートを外した時点でもボクの負けでいい。その時は大人しく出ていくよ」
「五対一で?」
宝野は大きく頷く。無駄に自信満々だ。まあ、アメリカのストリートで鳴らしてたかもしれないが、うちのバスケ部だって弱小って訳じゃない。女子を止められないなんてことはありえないだろう。ここで彼女の鼻っ柱を折ってもらえば、少しは大人しくなるんじゃなかろうか。
バスケ部連中は顔を見合わせる。彼らは勝負することを躊躇っていたが、説得するよりもさっさと終わらせて帰ってもらった方が楽だと判断したらしく、要求を呑んだ。
一分後、男子バスケットボール部はコートから退いていた。宝野を止められるやつがいなかったのである。俺も驚いた。ちびだからすばしっこいとは思っていたが、それ以上に上手かった。俺は経験者じゃあないからよく分からないが、バスケ部のドリブルとは違って、マジでボールが手にくっついてるみたいだったし、するするとディフェンスをすり抜けていったのだ。しかも無駄にテクかった。
「ば、馬鹿な……」とか呟いてたのは小野である。今となってはこいつなんかどうでもいいわ。
「さて。邪魔者もいなくなったところで改めて勝負だ」
半面コートの真ん中で、我が物顔で居座るのは宝野である。ここが自分の領地だと言わんばかりの振る舞いだった。
「ちょっと待て。お前、すげえ上手いなあ」
「……別に。向こうじゃこんなの当たり前だったよ。ボクなんか下手な方だ」
「でも一応やってたんだろ」
「まあね」
俺はなるほどと頷く。
「じゃあフェアじゃないな。この勝負、受けられん!」
宝野が何事か叫んだ。スラングだ。
「いや、俺の負けは目に見えてんじゃん。早食いとか、かけっことかさ、身体能力っていうか、そういうのは乗るよ。けどなー、球技って、こう、技とか経験とかによって左右され過ぎてると思うんだよなあ」
「先に言えばよかったじゃないか」
「さっき気づいた」
「一つ分かったよ。ボクは君との勝負で絶対に勝てないものがある。それは口喧嘩だ。そのよく回る舌にはうんざりだよ。呆れを通り越して感心するね」
バスケットボールを叩きつけると、宝野はずかずかと歩き、俺の目の前で立ち止まる。涙目だった。
「じゃ、まずは俺の一勝な」
「なんだって?」
「いや、今さっき負けを認めたじゃん。口喧嘩勝負は俺の勝ちだって」
宝野は低く唸った。めちゃめちゃ悔しそうだった。褐色のボクっ子が涙目で悔しがっている。俺は確かに勝利したのだ。そう実感した。
バスケ部をしっちゃかめっちゃかに掻き回した後、宝野は物凄い勢いで走って帰ってしまった。俺も彼女の尻拭いをするのはごめんだったので、体育館から逃げ出した。そうして警戒しながら家に帰ることに成功したのである。
「明日はどうしようかなあ」
夕食の味噌汁を啜りながら、明日の勝負はどうやって避けようか考えてみる。
「明日の晩ご飯? 私、シチューがいい」
「おー、そうかそうか、シチューか。めぐ、シチューにとってどうしても忘れちゃいけないものが何が分かるか?」
「そうね、ブロッコリーは必要ないってことだけは分かるわ」
なんかそれっぽい口調で言ってるが、要は『お兄ちゃん、ブロッコリー入れちゃダメだからね』ってことだ。もうちょい素直になれないかなあ、我が妹は。
「あ、そうだ。明日は俺の分の弁当はいらないから」
「そう? じゃあ、明日は少し遅く起きても大丈夫ね」
俺が料理をするのが好きなように、めぐも料理をするのが好きだ。もう少し前のめぐはただただ可愛かった。俺が仕込みとかしてる横で邪魔をしないようにじーっと見てるだけ。そんで、私もやりたーい、とか言って。
「……めぐ、もっと妹っぽいことを言ってくれないか。俺には妹分が不足している。これを欠如することは日常生活にとって」
「はあ? バッカじゃないの?」
くっそう、明日はブロッコリーだ。
翌朝、俺は門扉のところで襲撃者を警戒していた。自転車に跨っていつでも漕ぎ出せるようにしているが、宝野というやつはどこからやってくるのか分からない。と思ったら、割と普通に歩いてこっちへ向かってくる彼女が見えた。
「よう、今朝も勝負とか言うんじゃないだろうな」
「……勝負は昼休みだ」
ん? なんか、覇気がないな。いや、常から張り切ってる感じではないが、てっきり今朝も学校まで競争だとか小学生みたいなことを言うと思ったのに。気になってよく見ると、宝野の目の下には隈が出来ていた。
「はっは、なんだよ。昨日は悔しくて寝られなかったのか?」
「うるさいな」じろりと睨まれる。
「ふーん? じゃ、まあ、昼休みにな」
一瞬、学校まで一緒に行こうかとも考えた。が、宝野はきっと断るだろうとも思った。俺は自転車で、一人で走り出す。振り向くことはしなかった。
そしてあっという間に昼休みになる。俺たち三人は昨日と同じ場所を陣取り、宝野を待ち受ける形だ。
「そういや昨日も勝負とか言われたんだよ」
「俺らが行ったあとか?」
「おう。あのバカ、バスケ部に喧嘩売って、しかも勝ったんだよ」
「あー、そいで小野とか、バスケ部のやつらテンションが低かったんだな」
げらげらと笑っていると、寒気すら起こる殺気を感じた。宝野の登場である。彼女は宣言通りに昼飯を用意していたらしく、二つの包みを持っていた。優人と樋山くんは既に昼飯を平らげ、勝負とやらを見物する気満々である。
「……勝負だ」
「メニューは? ハンバーガーとかだったら拒否するぞ」
宝野は無言で俺の対面の椅子を引き、包みをテーブルの上に置いた。
「ホットドッグでもないから」
ぱっと、姿を見せたのは白い塊だった。そうか。俺は今から、これを食うのか。……どこからどう見ても、それはおにぎりである。しかし形は酷く歪だ。例えば、俺やめぐは三角形にきっちりと握るのが好きだ。母さんは俵型にする。宝野の持ってきたおにぎりは、強いて言うならアメーバだった。不定形だ。定まっていない。ある意味均等ではある。どれも平等にぐちゃぐちゃだ。
「おむすびだよ。さあ、これをどっちが先に十個食べられるか……」
「あのさあ、お前さあ……いや、早食いだからな? 確かに? 俺もそこまで凝ったものじゃないとは思ってたよ? けど、いくらなんでもないんじゃないのか? つーか、これ味とかついてんの? これだけで十個食うなんか並の拷問だぞ」
「塩は振ってる」
つまり具はない。
「米の国から来たくせに米を冒涜しやがって。もういい。樋山くん、代わりに食ってくれよ。ほら、待ち望んでたんだろ?」
「いやー、流石の俺も(白米だけってのは)きついっす」
「ま、また逃げるのか?」
宝野が俺を睨みつける。彼女の隈は嫌でも視界に入ってくる。しかし思うのだ。いや、こんなの作るのに隈も糞もないだろう、と。同情する余地はない。
「こんなもんなあ……!」
言いかけた時、俺の脳内に住まう悪魔(基本的には俺に好意を寄せているし俺の敵を排除してくれるし和服の上にエプロンをつけたすンごい可愛い子だが何故か笑顔が怖い)が『ちょっと待ってくださいよー』と間延びした声でタイムをかけた。そうだ。これは手作りである。形が悪くて恐らく味も悪いんだろうが、冷静になれ。これは『美少女』が『自分の手』で『握った』ものなんだ。俺はじっと宝野の手を見る。綺麗な指だった。ちっちゃくて可愛らしい。きっと舐めたら甘いんだろう。舌なめずりしてみる。
「……う、何、その目は」
間接的にではあるが、目の前の女の子の手を楽しめると言うわけだ。ならば導き出されるアンサーは一つ。
「いただきます!」
「禄助がいったー!」
まず一つ。感触を楽しみながらおにぎりじみた名状しがたいものを口に運ぶ。うん、不味い! おにぎりがまずいなんて生まれて初めてだ! 塩加減も握り加減も恐ろしく最悪だった。逆に感動した。
「く、油断した」
宝野が自分の作ったおにぎりを口に入れる。その瞬間、彼女の動きが止まった。不思議に思っていると、宝野は食べかけのおにぎりっぽい何かを置き、お茶を飲み干し、ぱんと手を合わせた。
「ごちそうさま。ボクの負けだ」
俺は口の中にあるものをゆっくりと噛み砕き、ゆっくりと飲み下す。ふ、ふはは、勝利の味とはこんなものだと言うのか。人間とはなんて愚かで悲しい生き物なんだ。もう滅ぼすしかない。
「おお、もう……あの禄助が悪態一つまともに吐けないとは」
「何、そんなにまずいの?」
樋山くんがおにぎりを口の中に押し込んだ。
「…………ああ。すごい。すごいぞ寺嶋。俺はこんなおにぎり、食べたことがなかった!」
「俺は遠慮しとく」と、優人が見切る。こいつの危機回避能力は兎よりやばい。
俺は宝野を見た。彼女は目を逸らさなかった。
「お、お前が食えよ。こんなものを作ったやつに責任があるんだからな」
「ボクもそう思って、余分に食べられるように朝ごはんは抜いておいた。正直に言って今もかなりお腹が減っている。けれど駄目なんだ。身体が受け付けない」
「バーカ! ホントバーカ!」
「うーん、悪口に自信ありの禄助のボキャブラリーが駄目になっている。すげえな、あのおにぎり」
宝野は何を思ったか、おにぎりをもう一度包み直して、そいつを俺の方に差し出した。
「勝利者の特権だ。何も言わずに受け取って欲しい」
俺は逃げ出した。
「……? ……! 勝負だね」
宝野は俺を追いかけた。
逃走の果て、俺は屋上へと続く扉の前まで追いつめられていた。どうして逃げるやつは高い場所へ向かってしまうんだろう。
「な、なんだ、君、やっぱり走れるんじゃないか。思ってたよりも速くてびっくりしたよ」
「ええい、寄るな! って、おうあ!?」
力を込めてぶんぶんと手を振り回していると、バランスを崩して扉に体がぶつかってしまう。そのまま、俺はちょっとした浮遊感に包まれた。咄嗟にブリッジで体を浮かせて事なきを得たが、危ないところだった。
「……ど、どうなったんだ?」
青空が見えている。なにがなんだか分からず、俺は目を瞬かせた。
「鍵が開いていたみたいだ。大丈夫、怪我はない?」
「追っかけといてどの口で言ってんだよ」
俺は一人で立ち上がり、周囲を見回す。……屋上か。初めて来たな。でも、待てよ。確かここは封鎖されてるんじゃなかったっけ。
すると、給水塔の向こうで何かが動くのが見えた。不良のたまり場になっているのかもしれない。
「なんかやばそうな雰囲気がする。おい、行こうぜ」
「あ、人がいるみたいだね」
宝野は警戒心ゼロだった。俺は慌てて彼女を追いかける。
「誰かいるんだったらやばいって」
「平気だよ。銃を持ってるって訳でもないだろ」
「……ん、誰っ?」
ばっと、影が躍るようにして飛び出してきた。俺は咄嗟に半身になって身構えた。現れたのは背の高い女生徒である。何故か、腕に包帯を巻いているし、膝小僧には絆創膏をいっぱい貼っている。ようく観察すると美人さんだった。クールビューティーな感じである。
「……君たちは?」
「怪しいものではございません。二年の石高禄助と、宝野遥というしがない生徒です」
「……原の回し者、だったりする?」
原? もしかして、生徒会長の原先輩のことだろうか。呼び捨てにしてるってことはこの人も先輩みたいだな。……原先輩とはお近づきになりたいが、彼女は俺みたいなやつとは違う。同じ学校に通っちゃいるが、彼女は遠い世界の高嶺の花だ。
「や、違います。なんか、たまたまここが開いてたみたいで」
「そうだったのか。驚かせて済まない。それから、ここのことは黙っていて欲しい」
どうやら屋上はこの先輩の秘密基地になっているらしい。
「別に俺たちは風紀委員でもないですし、言いふらすつもりはないですよ。お前も言わないだろ?」
「うん。君が言わないならボクもそうするよ」
包帯の先輩はほっとしたように笑んだ。
「ああ、そうだ」
「……ん、それは?」
「よかったらどうぞ」
宝野は何を思ったのか、あのおにぎりを先輩に差し出した。俺は止めようとしたが、処分出来るかもしれない可能性の芽を潰したくなかった。仮に、クソまずいおにぎりのせいで先輩が怒ったとしてもだ、俺は別に悪いことをしていない。
先輩は包みを受け取り、中身を確認した。
「ほほう、おにぎりじゃないか」
俺は宝野の耳に顔を寄せる。彼女は生意気にもくすぐったそうにしていた。
「おい、あんなもん渡してどうすんだよ。つーかお前、意外と強かだな」
「日本にはこんなことわざがある。たで食う虫も好き好き、と」
すす、と、宝野は俺から距離を取る。何意識してんだボケ。
先輩から目を離したのは僅かな時間だった。
「ありがとう。美味しかった。あ、全部食べてしまったけど、ごめん」
「え?」
俺たちは目を見開いた。宝野が恐る恐る受け取った包みは、包みでしかない。中身はない。布とおにぎりをくるんでいたラップだけになっている。……あ、あのアメーバはどこへ消えてしまったと言うんだ。
「食べ物をもらっておいて文句をつけるつもりはないんだけど、塩はもっと少なめの方がよかったかもしれない」
「……た、食べたんですか?」
先輩は小さく頷く。嘘だ。彼女は線が細い。おにぎりはまだ二十個近く残っていたはずだ。アレを全部、胃に収めたってのか? 何者なんだ、この人は。いや、しかし、これでいい。先輩は俺たちにとって最高のお助けキャラだってことに違いはないんだ。
屋上を出た俺と宝野は顔を見合わせた。
「凄かったな」
宝野は頷いたが、どこかつまらなさそうである。
「これで勝負はお預けか」
「いや、誤魔化すなよ。お前、自分で負けを認めてたじゃねえか。あと、付け足すなら俺はお前にもう一つ勝ってるぞ」
「……嘘だ」
「料理の腕」
俺は自分の腕を宝野に見せつけてやった。
「待って。あのおむすびを作ったことで、ボクは確かに料理が下手だと明らかになったかもしれない。だけどボクは君の作ったものを食べていない。勝負はまだついていないんだ」
「ああ、つまり、俺の料理を食べたいのか」
「走ることを捨てた君の料理だからね。興味はある」
なんか棘のある言い方だけど、無視しておこう。
「ま、気が向いたら作ってやってもいいな」
「首を洗って待っておくよ」
「いや、首じゃなくて手ぇ洗っとけよ」
放課後、俺は優人と樋山くんを連れて学校から離れたかった。しかしこいつらは悪魔だった。
「いやいや、俺らがいたら転校生ちゃんが勝負を仕掛けにくいかもしれん」
「話聞く限り、お前が一人の時に狙われるパターンが殆どなんだ。だから俺はお前とは一緒にいられない。残念だが、今日も真面目に部活に行くことにする」
ふざけんなよマジで。
「なあ、聞いてくれよ。確かにはたから見たり聞いたりしてるだけなら楽しいよ。愉しいだろうな。けどよう、実際に被害に遭ってんのは俺なんだぜ」
「あ? 見方変えろや非モテが。確かに面倒くさいかもしれないけどな、実際、お前は可愛い子に付きまとわれてるってことなんだぜ。ああ、羨ましくて涙が出ますよ」
「もっと上手いこと利用しろって。な?」
言うは易し。あと楽し。いとおかし。優人の言ってることも尤もかもしれないが、宝野遥って女は俺の手に余るような気がしてならない。ちっちゃいくせにパワフルなんだ。
「た、頼む……!」
「ヒヒヒ、嫌だ。嫌だね!」
学校一ハイエースの似合いそうな樋山くんは最高に楽しそうだった。
「さ、行こうぜ寺嶋。俺は部活に」
「ああ、俺は委員会に!」
この腐れコンビを敵に回して勝利する絵なんて、俺にはイメージすら出来なかった。
俺は二日連続で宝野に見つかっている。昇降口だ。そこは危ない。時間をずらすしかない。安全な場所を探し求めて、俺は図書室に目を付けた。
図書室は昼休みと放課後に解放されている。だが、何故かいつも空いている。文学少女に出会えないのは残念極まりないが、今となっては都合がいい。俺にとってのパラダイスになると信じて……!
がらがらと、重たい扉を開けた瞬間、妙に香ばしい臭いが鼻についた。
「あっ」
「ん……?」
中にいたやつと目が合う。女子だ。本の貸し出しを行うカウンターに腰かけていたのはクラスメートの丹下院という黒ギャルである。そういやこいつ、こんなツラして図書委員だったっけ。まあ、それだけならまだいい。クラスメートとはいえ、この手の女子とは一切関わり合いがない。オタの俺とは水と油のようなものだ。……この馬鹿女が、タバコさえ吹かしてさえいなければの話だが。
「何見てんだよ、あ?」
ガン飛ばされる俺。どうやら丹下院は人の来ない図書室で、図書委員という立場を利用し、喫煙所代わりにしていたみたいだ。よく部屋の中を見れば、外から覗かれないようにカーテンを閉め切っている。逆に怪しいわ。しかも図書室に鍵をかけてなかったし。とはいえ誰かに告げ口するつもりはない。俺はただ安息の地を求めていただけなのだ。アホは無視して奥の方へと移動する。
「あー? 石高さー、面白いじゃん。ね、ね、なんで無視すんの?」
馬鹿かこいつ。ついてくんなよ。俺は何も見てないし、黙ってやるつもりだってのに。
「おい返事くらいしろって。……なあって。おいっ。このっ、明日の朝刊載ったゾ、テメー!」
「ああ、もう、分かったって。ここでお前がタバコ吸ってたとか誰にも言わないから、ちょっとほっといてくれねえ?」
「は? なんで上から目線なん?」
加○あつしみたいな言語センスしくさって。
「上から目線もクソもねえだろ」
「えらそうにごちゃごちゃ言ってんのが気に食わねえっての!」
「だからさ、俺は何もしないし、チクりゃしねえって」
「うるっさい、信じらんない」
なんだこいつ。なんでこんな絡んでくんだよ。俺の周りにはアホしかいないのか。助けてくれ! 神よ!
「ああ、ここにいたんだね」
「お?」
「わあああああ!?」
ぬっと、宝野が姿を見せる。そんな予感はしてた。だが、まあ、助かったと言えば助かった。まさかこいつの登場を有り難がる時が来るなんて。
「あっ、転校生!」
腰を抜かしてへたり込んでいる丹下院が宝野を指差す。俺は、乱れたスカートの奥に覗く下着を網膜にしっかと焼きつけた。丹下院はビビり過ぎててパンツ見えてるのにまだ気付いてない。
宝野は丹下院を無視して、ちょっと煙たくなった図書室を見回した。
「……ボクは嬉しいよ」
「は? こいついきなり何言ってんの?」
「いや、俺にも分からん」
「新しい勝負を用意してくれていた訳だね。君はここで速読対決をやろうってつもりだったんだ」
そんなつもりさらさらないんですが。
「勝負とかここでやんなくてもいーじゃん! 出てけよもうお前らはさあ!」
「どうして? ここは生徒に解放されている施設じゃないか。ボクたちが好きに使ったっていいはずだよ」
「図書室だから騒がしくしたら駄目なんだ」
「そっか。じゃあ、静かにやろう」
丹下院が奇声を発した。図書委員が一番うるさかった。




