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シッソウスルセカイ(道化師よ永遠なれ)

「あー、畜生。誰かさんがスタミナ切らさなきゃあなあ。もう少し小野で遊べたのに」

 体育が終わり、着替えながらで優人がそんなことを言った。ぶっ殺すぞ。

「ふざけんな、俺だけ動き回ってりゃ当然だろ。ドリンクもらったって走りたくねえ」

 試合には負けたが、小野のいろんな顔を見られて俺たちはご満悦だ。ダブルスコアをつけられたが、島津よろしくあぐらで相手を迎え撃ったり囁き(大声)戦法で小野の彼女の悪口を言ったりでやつの精神はもうボロボロだ。どうしてここまでヒートアップしたのか分からないし俺たちに対する女子の評判はクッソ下がったが、最初から失うものなどない。無一物の境地である。

「……けど、アレだな。知らなかったな。まさか石高、そんな運動神経がいいなんて」

「はっはっは! こいつが運動!? そいつはちゃんちゃらおかしいぜ!」

 優人が腹を抱えて笑った。

「禄助は俺より少し足が速いし、少し高く跳んだり出来るだけで球技全般はカスなんだよ」

「いや、充分過ぎるくらい凄かったんだが。そういや逃げ足速いもんな。オーガから逃げる時も、やたらテクニカルなコース取りするし」

 何か気恥ずかしくなって、俺は視線を窓の外に逃がした。

「動いたから腹減った。早く弁当食おうぜ」

 鞄を持って教室から出た時、妙な視線を感じた。俺は周囲を見回したが、着替えが終わって教室から出てきた女子に睨まれた。いや、覗くとかそういうつもりじゃない。



 昼飯は食堂でいただくことにした。めぐお手製の弁当である。さっきから優人が物欲しそうな面をしているが、絶対にやらん。むしろバスケじゃあ俺が人一倍働いていたんだし、コロッケの一つでも持ってこいってんだ。

「いいよなあ石高は。妹が弁当作ってくれるとか、俺なら咽び泣くね」

「でもそれ以上に小言言われるんだぜ」

 小学生に説教される地獄である。咽ぶどころか大号泣だ。

「ん?」

 何か、背中にびしびしと刺さるような視線を感じ、俺はゆっくりと振り向く。その辺にガンを飛ばしてみたが、目を合わせてくるようなやつはいなかった。

「どうした禄助。いつにもまして挙動不審だぞ」

「いや、誰か俺を見てたんだよ。そうに決まってる」

 すると、優人は途轍もなく優しい目をして口を開いた。

「幻覚です。あなたの病気は悪化しています」

「やめろ。そんな精神科医みたいなこと言うな!」

「病気については否定しないのかよ」



 妙な視線に怯えながらも、俺は学校生活を万事順調にこなしていった。放課後になり、俺と優人と樋山くんの三人でその辺をぶらつくことにした。いつもどおりのお決まりで定番の流れである。

「駅前にでも行くか?」

「こないだも行ったじゃねえか。もう金ねえよ、俺」

 楽しいっちゃ楽しいが、マンネリだ。自販機でジュース買って、公園で駄弁るだけなんて、時間を無駄にしているようで気が気でない。昨日までの俺ならそんなことを考えなかったはずだ。身体を動かすからろくなことが思いつくんだ。失敗した。体育ではしゃぎ過ぎたな。

 ふと、公園の外に目を遣る。俺の視界に入り込んだのは一瞬だった。出て、入っていくまで、一秒とかかっちゃいなかった。坂道を下っていく女の子が見えたのである。やたら綺麗なフォームで、やたらムカつく。朝に見たやつと一緒だと気づき、俺は重たい息を吐き出した。

「お? どした、禄助」

「……バイトにでも行くわ。金もねえことだしな」

「お? お、おお、俺らはもうちょい遊んでくけど」

「ああ、じゃあ、お先にな」

 ここにいると、またさっきのを見ちまうかもしれない。俺は頭を振り、二人に手を振って帰り道を急いだ。



 ただいま、と、玄関で靴を脱ぎながら言ってみる。おかえり、と、妹がてとてととやってくる。

「あら? もうスーパーに寄ってきたの?」

 俺の提げているビニール袋を見て、めぐは眉根を寄せた。

「バイト帰りにな。確か、今日は二人とも遅くなるって言ってたろ」

 両親は共働きだ。帰りが遅くて、家事すらまともにやる時間もない。めぐも手伝いはしてくれるが、まだまだ子供だ。なもんで、俺が色々とまとめてやることも珍しくない。掃除や洗濯は好きじゃないが、料理だけは別だ。何かを作っている間は余計なことを考えないで済むし、めぐが美味いと言ってくれるだけで嬉しい。

「着替えたら準備すっから。ちな、今日はピーマンが安かったから肉詰めにします。残したらオールラウンダーな嫌がらせをするから」

「お兄ちゃんには何の才能もないと思っていたけど、妹に嫌われる才能だけはあるみたいでよかったわ」

「そういや、最近妙な視線を感じるんだよ」

 めぐはビニール袋からピーマンを取り出して睨めっこしている。

「勘違いじゃないの?」

「いや、だってバイト中も、スーパーで買い物してる時もだぞ?」

「お兄ちゃんってピーマンとそっくりね」

「どういう意味だ」

 ふっと、めぐは厭世的な笑みを浮かべた。

「中身が空っぽ」

「ピーマンの中にピーマン詰めてやるからな!」

「やーっ、それはやあの!」

 今更かわい子ぶっても駄目だが、まあ、少しくらいは心が揺れてしまったので許そう。



 夕食後、めぐを風呂に入れてやって、俺は部屋に戻る。

「何やろっかなー」と、ゲームソフトを見比べていると、頭にタオルを巻きつけためぐがやってきた。

「ちゃんと乾かしたかー?」

「あ、私もゲームやりたい」

 じゃあ二人用か。最近は格ゲーばっかりだったから、たまには対戦ではなく協力出来るものにしよう。

「うーん。これだ。戦車に乗って反乱軍とテロリストをボコボコにするこれをやろう。合言葉はテロには屈さない、だ」

「ああ、これね。ドット絵が綺麗で、ちょっと惨いけれど演出も細かくて、芋屋と呼ばれていた頃とは」

「それ以上はいけない」

 これはこれ、それはそれである。……ちなみに、俺は本当はアクション要素には一切興味がなくて、コンバットスクールの教官とギャルゲーっぽい会話を楽しみたいが為に購入したことも、これはこれ、である。しかしいいよなあ、教官って響き。

「初代って百太郎はいたかしら」

「いや、あいつは2からじゃなかったっけ」

 ゲームをスタートすると、めぐは破竹の勢いで敵兵を撃ち倒していった。ヘビーマシンガンもロケットランチャーも俺には回ってこない。どうやら、ピーマンのことをまだ根に持っているらしかった。



 翌朝、俺が奇声を上げたのは食パンにピーナツバターを塗っている時のことであった。対面に座る妹は顔をしかめ、煩わしげに口を開く。まるで、俺が実の兄だと言うことすら嫌がっている風にも見えた。

「……自転車。修理。出してない」

「分かりやすい説明をありがとう」

 めぐはカフェオレらしき液体を口に含んだ。今日も歩きで、少なくともバス停まで行かなきゃならないことに気づき、俺は天井を仰ぐ。昨日とは違い、時間にはあまり余裕がない。俺の負けだな。今、頭の中で計算してみたがホームルームまでには物理的に間に合わない。

「いやだあああああ死にたくねええええだぢげでぐでえええええ」

「遅刻くらいでそんな声を出さないでよ」

 一昨日とは違う。遅刻すると言う意味が違う。瑞沢に釘を刺された状態で遅刻するなんて自殺に等しい行為だ。刺さった釘で何をされるか想像に難くない。

「さ、私はそろそろ行こうかしら。みっちゃんたちが待っているもの」

「俺も小学校に行こうかな。なあ、戻っていい? 久しぶりにきな粉揚げパンとか食べたい」

「通報するわよ」

 どこか遠い世界へ逃げたい。そんなことを思ったが、逃げ場所なんかどこにもない。諦めて、俺はせめて早歩きで学校へ向かうことにした。



 バス停に到着し、坂道を上っていくバスを見送る。もう駄目だ。歩けない。歩きたくない。ああ、ちくしょう。あと一分。いや、三十秒でも早くついていればこんな惨めな真似を晒さずに済んだ。途中でコンビニに寄って立ち読みなんかするんじゃなかった。

 バスが来るまで十分ほど。俺はどっかりとベンチに座り込み、歩きで坂を攻める連中を見遣った。次に来るバスさえ逃さなければ、全速力で教室へ向かえば、なんとか遅刻は免れる。首の皮が繋がった。

 時間的には今が遅刻の瀬戸際ってところだ。俺より遅れてやってきて、徒歩で学校へ向かうやつらはかなり危ない。もっと遅れてきた奴らはほぼ確実にアウトである。皆バスに乗ればいいのに。

 ちり、ちり、と、嫌なものを感じた。俺は深くベンチに腰かけていたが、ゆっくりと体を起こしていく。正面。そこにやつはいた。昨日とは違う恰好をしていたが、間違いない。あの女の子だ。今日はユニフォーム姿ではなく、灰色のパーカーにデニムのパンツを穿いている。カラフルなナップザックを背負い、こっちをじっと見ている。思わず、俺は彼女の目を見ていた。

「………………」

 何か、喋った、か? 女の子はやがてついと視線を逸らし、軽い足取りで坂道を上り始めた。自意識過剰かもしれないが、まさか。昨日からの視線ってのは、あいつじゃないのか? なんでだか分からないが、そう思った。



 教室につくと同時にチャイムが鳴った。荒い息を吐きながら自分の席へ向かう俺を、瑞沢が恐ろしい眼光で捉えている。彼女は何か言いたげだったが、息を一つだけ吐いて出席簿を開いた。

「処刑……遅刻者はなし、と」

「伊達政宗だって裸足で逃げ出すな」

 なんて恐ろしいことをさり気なく言うんだろう、この人は。そしてどうして、少しばかり残念そうにしているのだろう。



 次の授業はコンピュータルームで情報について学ぶのだ。というのは建前で、割と皆好き勝手にネットサーフィンを楽しんでいる。もちろん、18歳未満お断りな場所に足を踏み入れた者は教師によって晒されてしまうが。俺や樋山くんみたいなやつは、パソコンなんか物珍しくもなんともないのでテンションに変わりはない。ただ、家にいる時みたいに落ち着けるだけだ。

 なもんで、少しばかりリラックスしていたんだろう。俺は教室に筆記用具を忘れてしまった。大した授業内容でもないんだろうが、毎回感想文めいたものを書かされる。鍵はまだ開いているらしいので、急いで教室に向かい、筆記用具を回収し、再びコンピュータルームへと向かった。

「ねえ」

「あ?」

「廊下は走っちゃダメなんだろ」

 呼び止められたことに気づき、足を止めて振り返る。生意気そうな……いや、無表情の女が立っていた。(胸が)薄くて、(胸が)小さい。ああ、と、俺は納得する。こいつだったのだ。この前から俺を苛んでいた原因がそこにいる。灰色のパーカーを着た女の子は口の端を歪めて笑った。

「走るなら、相応しい場所がある。そうは思わないかな」

 何を言ってんだ、こいつ? てっきり俺を注意してるんだと思ったが、どうにも意味が分からない。聞き返そうとしたところでチャイムが鳴り始める。俺は呼び止めたが、女の子はするりと、逃げ出すようにしてその場から立ち去った。



「そいつはアレだな。ほら、転校生だよ」

「ああ、ハーフの。帰国子女の」

 昼休み、俺は食堂で飯を食いながら、優人と樋山くんにさっきあったことを話した。

「うちの生徒なのか? 確か、制服着てなかったぞ」

「何か手違いでさ、制服が届くの遅れてるらしい。そんで私服登校を許可されてんだって。どんな間違いがあったんだろうな」

「間違いと言えば」

 樋山くんが口の中のものを飲み込んで俺をねめつける。

「どうして石高なんかに話しかけたんだろうな」

「誰でもよかったんじゃねえの? つーか、意味とかなさそう」

「外人は進んでるからなー。あいつら挨拶代わりに抱き合うし。信じられねえ。ギャルゲーだったら一枚絵でイベントどーん、だぞ」

 転校生か。まだ俺はやつの名前も、何も知らない。でも、無駄に関わりたくないと強く思った。ちょっと可愛かったとはいえ、少し怖い。……走るなら、だと? 何を知った風な口で。



 放課後。優人は委員会へ(瑞沢に睨まれて連れて行かれた)、樋山くんは部活へ(今日は創作活動の発表会らしい)行ってしまった。そして俺は独りきり。いつもは、いたらいたでうざい二人だが、いなかったらいなかったで寂しいものである。今日は大人しく家に帰ろう。そう思って昇降口で靴を履き替えていると、妙な視線と気配を感じた。はっと振り向くと、すぐ傍に件の転校生が突っ立っている。こっちを見て、何か言いたそうな顔をしていた。

「……は」

 転校生は小首を傾げる。

「はう、あー、ゆー?」

「ふ」と、鼻で笑われた。

「日本語でいいよ。向こうにいたけど、英語は得意じゃなかったから」

 帰国子女。この肩書きがえらく鼻につくのは俺だけだろうか。一週間、海外でのホームステイから帰ってきたくらいで『日本人は』とか『あっちの人は』とか抜かすピーマンみたいな頭してる女も大概だが、こいつもこいつで腹が立つ。

「なんか用かよ」

 自然、俺の口調もぶっきらぼうになってしまう。転校生はじっと俺を見据えた。

「つーか、もしかしてさ」

「視線を感じてた? 意外と鋭いね」

「あ、お前っ、やっぱり……!」

 うん、と、転校生は頷く。

「この間から、君のことをずっと見ていたよ」

「だから、何の用だよ。俺に話があんならさっさと声を掛けろってんだ」

「他人の空似ということもあるからね。少し、見させてもらってたんだ」

 やっぱりよく分からねえ。俺は話の続きを促した。

「……色々と。言いたいことはあるんだ。話したいことも」

「色々? 初対面だろ?」

 転校生は僅かに表情を変えた。落ち込んだような。失望したとでもいうような。彼女の瞳から光が消えたような気がした。

「やっぱり覚えていなかった。残念だけど、勝者の特権だからしようがない。ボクみたいなのは、君の背中を見つめるしか出来ないんだからね」

 ぴくりと、俺の身体が反応する。こいつ、やばいぞ。

「悔しいけど、改めて自己紹介する。ボクは宝野遥(たかの はるか)。…………どうしたの?」

 こいつ、ボクっ子か! まずいな。ヒッチハイクしたらマジックミラー号だった、みたいな奇跡が起きている。ちくしょう、認識を改めなければならない。帰国子女のムカつく転校生に、ボクっ子という肩書が追加された。

「いや、なんでもないよ。それで、俺に何の用かな? 俺に出来ることだったらなんでもするけど」

 宝野と名乗った女の子は訝しげに俺を見る。

「嬉しいけど、今の君には……」

 いやー、しかしボクっ子かー。貧乳だけど、まあ、そういう路線なら許してやらんでもない。優人たちにも教えてやろう。

「そうか? ああ、話もあるとか言ってたっけ。じゃ、とりあえず落ち着けるところで色々と聞くけど」

「ない」

 ん? 聞き間違いかな?

「今の君には牙がない」

 宝野は俺から顔を背けた。

「ボクの知っている君は、そんな風に腑抜けていなかった」

「……へ?」

「ボクはっ、こんなやつの為に……!」

「え、あ、あの、あのさ、ちょっと?」

 そこからはもう無視だった。宝野はぶつぶつと呟き、靴箱を蹴飛ばして、英語のスラング(たぶん死ねとかくたばれとかそういう感じの)を喚いて、走り去ってしまった。あっという間の出来事だった。



 訳が分からないながらも、どうしようもないから家に帰る。いったい、宝野遥は何者だったのだろう。口ぶりからすると俺のことを知っているみたいだが、俺は彼女のことをまるで知らない。つーか初対面だろ。間違いない。少なくとも、可愛いボクっ子(システムメッセージ:宝野遥の評価が『ムカつく帰国子女の転校生』からランクアップしました)を忘れるはずがない。

 小学校か、中学校か? それとも別の場所で会ってたのか? 気になったので、部屋中を引っ掻き回して卒業アルバムを丹念に調べてみたが、タカノハルカという生徒はいなかった。そんなことをしていると、めぐに自転車を修理に出しなさいと言われてしまう。危ない危ない忘れてた。どこの誰だか知らないやつのことよりも、明日の方が大事である。



 翌朝、めぐを小学校に送り出してから相棒の様子を確かめた。昨日、修理を頼んで完全復活を遂げた自転車くんである。とはいえ、パンクを直してもらっただけだったりする。それでも数日ぶりに跨るこいつに対して感動を禁じ得ない。

「ふふふ、俺の愛馬は凶暴だぜ」

 悦ったり浸ったりしていると、覚えのある視線を感じた。門扉のすぐ傍に宝野が立っている。

「ウワーッ! ウワ、ウワ、ギャッ!」

「……朝から楽しそうだね」

「全然楽しくねえよ! てめえ人んちの前で何してんだ!? すげえびっくりしたじゃねえか」

「勝負だ」

 宝野は涼しげな顔で、暑苦しいことを言った。

「はあ? なんでそんなことしなきゃならないんだよ。嫌だ。というか俺の家、もしかして調べたのか? ストーカーだぞ」

「え? あ、ごめん。そこまで考えていなかった。君のことで頭がいっぱいだったからね」

「俺の……ま、まあ、そういうことなら仕方ないな」

 ちょっとドキッとしたのは内緒だ。

「しかし、なんだ。つーことは、お前はこんな朝からわざわざ俺んちまでやってきて、その、勝負とやらを申込みに来たってのか」

「うん、そうなるね」

 アホなのか?

「だいたい勝負ってなんだよ。どうして俺とお前が勝負するってんだよ。意味が分かんねえ」

「勝負の内容かい? ここから学校まで、先についた方が……」

「いや、内容じゃないし。受けて立つとも言ってないし。というか、もう関わって来ないと思ってたぜ」

「どうして?」

 えー。こいつすげえメンタルしてんな。俺からしたら昨日はファッ●ンなんとかって罵られて結構ショックな出来事だったのに。全く意に介していない。ケロリとしている。

「や、だってなんか、俺にはもう用がないって言ってたじゃんか」

「違うよ。ボクは、今の君にはって言ったんだ。ボクも甘ったれた情けないやつだと思うよ。けれど、ボクはまだ君に期待しているから」

「は、はあ」

 全く知らん間に期待されていた。いったいこいつは……いや、俺は誰なんだろう。

「なんかさ、人違いしてんじゃねえの?」

「いや、してない。とにかく勝負だ。いいね?」

「いや、よくねえから」

 めんどいなー、本当。

「仕方ない。本当は言いたくなかったんだ。君に嫌われたくはなかったからね。けど、勝負してくれないのなら、はあ、仕方ない」と、全然表情を変えずに言いやがる。

「何のことだ」

「その自転車をパンクさせたのはボクかもしれないよ」

 そうして、宝野は俺の相棒を指差した。もしも事実なら磔刑の後、ガソリンの味というものを教えてやる必要がある。

「ボクが憎いだろう。さあ、勝負だ」

「分かった。もういい、分かった」

 俺は門扉を開けて自転車を出す。門扉を閉めて自転車に飛び乗る。

「ん? いや、ちょっと待って欲しい。自転車に乗るのは卑怯だ。ボクは今の君と純粋な脚力で勝負したいんだ」

「じゃあな。アンダルシアで待ってるぜ」

 俺は全速力でペダルを漕いだ。後ろから何か聞こえてきたが、無視してひたすらにケイデンスを上げた。



 教室に到着した俺を見て、優人と樋山くんだけでなく、他の連中もぎょっとしていた。

「はあ、はあ、くそう、ちくしょう」

「……な、何があったんだよ禄助。家から学校までの間に試練でも仕掛けられたのか?」

「万難地天がどうしたって?」

 どうせ来るならそっちじゃなくて俺をまもってくれ守護月天の精霊よ。

「めっちゃ疲れてんなー。また遅刻しそうで急いできたのか?」

 俺は答えられず、どっかりと椅子に座り込む。まさか、転校生に勝負を申し込まれて逃げてきたなんて誰が信じるだろうか。

「おい、誰か俺を追ってきてねえよな?」

「お前さ、マジで何してんの?」

 まあ、少なくとも一時限中は大丈夫だろう。宝野の足がどんだけ早くても自転車には追いつけまい。普通に行くんなら遅刻ぎりぎりのタイミングで飛び出したんだ。それに、俺が勝負には応じないと言うことが分かっただろう。



 不安だったが、四時限目までの休み時間も平和なものだった。諦めてくれたのだろう。今までの人生では美少女に追い掛け回されることに憧れを抱いていたが、実際、そういう立場になってみると有り難くもなんともないことに気づけた。なまじ、顔が可愛いだけに邪険にしづらい。相手も付け上がるのだ。たはは……なことになる前にビシィと言ってやらねば。

「とりあえず、飯を食ってからだな」

 食堂を見回し、やつの姿がないことを確認してから弁当に手を伸ばす。

「勝負だ」

「ひ!?」

 視線を上げると、お盆を持った宝野がこっちを見下ろしていた。

 さっきまでは『やらねば』とか思っていたのだが、急に来られても困る。覚悟が固まっていない内からなんてずるいじゃないか。

「……禄助? どういうことだよ、これ」

「ふもふもふもっふ?」

 優人がうどんの汁を啜る。樋山くんは驚きながらも箸を動かす手を止めない。俺は弁当箱を開けたばかりだった。

「転校生の子じゃないか。勝負とか言ってるけど、何かあったのか?」

「外野には関係ないよ。朝は逃げられてしまったけど、もう逃がさない」

 宝野は俺の対面の椅子を引き、日替わり定食の乗った盆をテーブルの上に置いた。どっかよそで食べてくれないかな。

「おいおい石高、穏やかじゃねえなあ。恨まれるようなことでもしたのかよ。こんな可愛い子に凄まれるとか羨ましいにもほどがある」

「だったら変わってくれよ。つーか、勝負はしないって。ほら、あっちへ行きんしゃい」

 む、と、宝野はつまらなさそうに息を吐いた。険しい目つきである。

「勝負くらいしてやれよー」

「そうだそうだ、やれやれー」

 他人事だからって好きに言うのは外野の特権だ。だが、こいつらは知らない。時にはそちらにも塁が及ぶことを。絶対に巻き添えにしてやる。

「……分かったよ。じゃあ、どんな勝負をすればいいんだ」

「早食いにしよう。ボクたちはいつだってスピードを追求してきたんだから」

 そんなレーサーみたいなことやってた覚えはないんだけどな。

「なるほどな。分かった」

「い、いいんだね?」

「この勝負は受けられん」

「Damn You! ×uc××××!」

 うわ、なんかすげえキレだした。立ち上がってめっちゃまくし立ててる。なんて言ってるか分からんが、その分だけ凄みはある。

「なあ、この子絶対地上波じゃ流せないこと言ってるよな」

「俺は昔E●Cに通ってたから分かるんだけどさ、樋山くんのことを薄汚れたクソブタとか、禄助のことをくたばれ小便野郎とか言ってるぜ」

「ホントかよ」

 ちょっと面白いじゃねえか。

 やがて宝野は疲れたのだろう。食堂中の注目を集めていたことなんかどうでもいいかのように肩で息を吐いて、力が抜けた様子で椅子に座り直した。

「……どうして、勝負をしてくれないんだ」

 恨めしい目で見られてしまう。

「いや、この弁当さ、妹が作ってくれたやつなんだよ。だからよく分からん勝負のせいで適当に食べるわけにはいかないんだ。ちゃんと味わって、感謝しながら食べたい」

 宝野は目をぱちくりさせて、めぐお手製の弁当をじっと見つめる。

「そういうことなら仕方がないと思う」

「分かってくれたか」

「早食い勝負は持ち越しにしよう。明日はボクがお昼を用意するから、君は何も持ってこなくていい」

「おい、ふざけたこと言ってんじゃ……!」

 瞬間、俺の脳内に住まう天使(基本的に俺に対して好意的で肯定的ですンごい可愛いけど何故か二挺のモーゼルで武装している)が『ちょい待ち』とタイムをかけた。宝野の勝負に付き合うのはクッソ面倒である。だが、こいつは残念ながら、今のところは、顔だけはいい。そんな子がお昼を用意すると言ったのだ。他者の手が介在したなら俺が『いや作ってくれた人に悪いから』と断りやすい。それくらいは彼女だって想定しているだろう。ならば宝野が手作りするという可能性が高い。曲がりなりにも美少女だ。カテゴリ的にはトップクラスの、とびきりの。答えは、一つだ。

「何?」

「ちゃんとしたものを用意しろよな!」

「お、二秒で切り返したな」

「やはり面倒くささよりも『可愛い子の手作り弁当』を取ったか」

 明日が楽しみだ! とは思ってない! 断じて!

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