シノビヨルセカイ
「ごめんね、急にこんなところに呼び出しちゃって。あの、伝えたいことがあるの」
「うん」
俺はニヤニヤとした笑みを殺しながら頷いた。
「私、卒業しちゃうんだ。ふふ、本当は留年しようかなって思ってた。だって、ロクスケ君と離れ離れになるなんて耐えられない。あと、1年遅く生まれてたら。君があと1年早く生まれてたらなあ」
「たったの1年じゃないか」
「1年も、だよ? だから、君に悪い虫が付かないように……」
「うん」
「告白、するね。私は、ずっと、ずっと君のことが……!」
「うん」
「好きだったの……! だからっ、だから――――」
「うん?」
風景が変化する。空は曇り、雷の効果音が鳴る。BGMがおどろおどろしいものに。なにこれ。なんで急に赤い夜に引きずり込まれてんの? と、後ろ手を組んでいた彼女が包丁を見せつけた。何か、既に刀身が真っ赤になってるんですが。
「――――裏切ったら殺すからね」
「なんでやねん」
電源を落とした。興ざめだ。前振りのないヤンデレとかないわ。包容力のある先輩キャラでヤンデレとかあかん。相変わらず樋山くんの貸してくれるゲームはよく分からんところがある。
月曜日。
俺は悪夢を見て、目が覚めた。包丁持った女に追っかけまわされる夢だった。地獄である。リアルヤンデレとかただの犯罪者だから。
「おはよー」
「あら、今朝は随分と早いのね」
「ヤンデレに追っかけられる夢を見た」
「夢で良かったわね。いい経験よ」
めぐは砂糖とミルクをたっぷり入れたブラックコーヒーを飲んでいる(それってもはやブラックじゃないじゃんと言ったら涙目で睨まれたので超可愛い。今後もやっていきたいと思う)。
「俺もコーヒー飲もうかな……って、ないし」
消費期限の切れた牛乳しかない。めぐめ、全部使ったな。ふんだんに使ったな。
「ごめんなさい。代わりに、飲みかけだけど、いる?」
流石に妹のものを取り上げるつもりはない。
「いや、いいよいいよ。麦茶があるし」
トースターに食パンを差し込んで、俺はじっとめぐを見つめた。我が石高家では食事時のテレビ鑑賞は禁止されている。特に理由はないらしい。まあ、俺だって家族とテーブル囲んでアニメとか見るつもりないし。
「……何かしら。何か、私の顔についてるの?」
「いや、今からギアスかけようと思って。俺のことを馬鹿にしないでもっと『お兄ちゃん大好き』って舌足らずな声で言ってもらおうと思って」
「嫌よ。馬鹿じゃないの? ふう、シスコンって性質が悪いわね」
俺はシスコンじゃない。妹を可愛がっているだけだ。クソが。『大きくなったらお兄ちゃんと結婚すりゅー』とか言ってくれる妹なんか画面の中だけの存在じゃねえか。アニメの嘘吐き。ゲームの詐欺師。
「なんか泣きたくなってきた」もそもそとパンを齧り、麦茶を流し込む。さっさと学校行こ。俺は立ち上がり、めぐの分の皿も流しに持って行って洗う。
「んじゃ、行ってくるわ」
「お弁当。忘れてるわよ」
「おっと、いけねえ」
めぐから差し出されたファンシーな包みを受け取った。妹の気が向いた時にだけ持たされるお手製の弁当である。学食で食べるのも悪くないが出費がかさむ。毎日毎日だと馬鹿にならない。そんなんなら飯代浮かしてラノベや漫画の一冊でも買いたいところだ。
「いつも悪いねえ、ばあさんや」
「誰がおばあさんよ。そんなの気にしないでいいから、しっかり勉強してきなさい」
小学生の妹に昼飯世話してもらって諭される高校生がいた。あな情けなや。
学校の駐輪場までチャリで十分ほどだ。そこからはゲロを吐きながら坂道を上る羽目になる。今はまだいいが、夏になると地獄と化す。バスは出ているが、汗臭いやつらで混むからもっときつい。というか運賃がもったいないし。
今日はいつもより早くに出たから、こみこみの駐輪場も少しはマシだった。出しやすい場所に停めて、俺は0721のステッカーが貼られた自転車を認める。……この駐輪場に停めてもいいのは学校から配布されるステッカーを貼ったものだけだ。
「カウパーくんは今日も早いな」
思春期の子供の標的となるナンバーを割り当てられたのはサッカー部の獅童くんだ。苗字はかっこいいのに、こういうことが度々起こるので獅童の童は童貞の童という有り難くないレッテルを貼られている。
曲がりくねった坂道を半分ほど進むと、あとは直線になる。先が見えるのはいいことだが、勾配が急になってげんなりする。
が、今朝は違った。思わず声が出そうになる。原先輩の後ろ姿が見えたのだ。彼女と同じ空間にいる! と、そう認識するだけで幸せになれるというケセランパサランみたいな人である。ラッキーだ。蛇のようにストーキングしよう。
「ま、待ってよぉ……」
「うわあ!?」
びっくりして、思わず手が出てしまった。裏拳は標的の胸を強かに捉えたようで、確かな手応えを感じる。
「げぶっ……な、なんで、殴ったの? なんで殴られたの?」
まずいと思ったが、樋山くんだったので安心した。
「ごめんごめん。後ろから声をかけられたから、つい」
「眉毛の太いスナイパーかよ! 俺だよ、樋山だよ!」
「そんなコンパチキャラみたいなこと言われても……あっ、し、幸せが逃げてしまう」
幸せ? と、樋山くんが訝しげに俺の視線を追った。その先にあらせられた者を認めて、彼はなるほどと頷く。
「白雪姫か」
「その寒いネーミングセンスをなんとかしないと、死ぬまで童貞だぞ」
「ほっとけよ! しかし、ラッキーだ。原先輩見られたから、今日は何が起こっても我慢出来るし、何をされても諦められそう」
それは言い過ぎだが、つまり今日は樋山くんで好き放題弄ってもいいってことだな。あとで優人にも伝えておこう。
「なあ。初めてのエロゲを買う時にネットの巨大掲示板でスレ立てて思いっきり鬱ゲー捕まされた樋山くん」
「やめろよ。そういうのやめてくれよ本当。トラウマなんだよ」
数々のトラウマエピソードを持つトラウマイスターな樋山くんが肩を落とした。
「どうして、俺らは2年にもなって部活の勧誘食らってんのかな」
「さあ、知らねーし。春先は体育会系が盛るから嫌なんだよ。あいつら、ちょっとやりすぎじゃないか?」
確かに。俺らは適当に流せるけど、右も左も分からないパンチドランカーも同然の1年生からすればきついものがあるだろう。屈強な上級生に囲まれて『いい体してんな』とか『ほら、こっちに入れよ』とか苦痛過ぎて死ねる。断れば嫌な顔をされて肩でぶつかられたりもする。
「やっぱり時代はパソコン部だぜ、石高」
「部活カーストでいえばアンタッチャブルなのに、よくそんなことが言えるな」
「激おこ(以下略)だぞ。馬鹿にすんなよな。お前だってエロゲやんだろ。パソコンに謝れ!」
朝っぱらからうるさいやつだ。
「そんなことより原先輩の話しようぜ。あの人、彼氏とかいんのかなー」
「いるよ。頭湧いてんの? あの綺麗な髪をもふもふされてるし、脚と脚を巻きつけ合って絡ませ合ってピロートークだよ」
だとしたら、相手は誰だろう。原先輩と付き合えるんだから、一生分の運を使い切っているはずだ。早く死んで欲しい。不慮の事故で体バラバラになって生みの親ですら見分けがつかないくらいにぐちゃぐちゃになって欲しい。
「でも、未亡人の原先輩もいいよな!」
「えっ、いきなり何言ってんの。ゲス過ぎるだろ石高。人の不幸を自分の快楽に昇華するなんて信じられないよ俺は」
「……緑髪の悪魔」
「ひっ! や、やめろよ!」
誰がゲスだ。トラウマスイッチを押してやったので溜飲は下がったけど。
教室に着くと、俺の席を黒ギャル集団が占拠していることに気づいた。樋山くんは我関せずといった顔で自分の席へすたすたと行ってしまう。くそう。黒ギャルなんてAVだけで充分だ。仕方なく、俺はかばんを持って親友の元へ向かう。
「よう、親友!」
「話しかけんなよ。お前と友達だと思われたら俺の地位が修練生まで下がっちまう」
「なんだとメッキ賢者が」
死ね初心者狩り。お前なんか親友じゃない。
「おいおい冗談だって禄助。まーたあいつらに場所を奪われちゃったんだよな? おー、よしよし」
「やめろっ、俺の頭を撫でていいのはお隣に住むエロイ大学生の姉ちゃんだけだ」
「てめえの隣は空き家だろうが」とのたまうのは寺嶋優人。雰囲気だけはイケメンの(わおーん)優等生だ。図らずも俺の幼馴染である。俺史における屈辱である。どうせなら窓を開けたら幼馴染の部屋で、可愛いその子と寝る前にお喋りしたり、朝は起こしに来てもらいたかった。そういう子と幼馴染でいたかった。野郎の幼馴染とか、前世で俺は大量虐殺をしたに違いない。
「そういや、今日はここに来る途中でラーハーパイセンを見たぞ」
「マジか。じゃあ今日は何をされても仕方がないくらいに運を使ったよな? 俺とじゃんけんしようぜ! 負けた方がHRの時に意味もなく起立と着席を繰り返そうぜ!」
「受けて立つ」
じゃんけんぽんで俺がチョキ。優人がパー。
「よっええええええええええ! マジでよええな! 弱すぎなんですけどマジ! 誰こいつを委員長に推したやつは! 推したやつ出てこいよ、ぶっころしてやるよ俺が! よーえーなー、マジ『俺ってMMOじゃ神神』とか言ってマジで! (じゃんけんって)そういうゲームじゃねえからこれ!」
「うるせえよ! つーか委員長は自薦だから。他に誰も手ぇ上げなかっただけだから」
「原効果は今日も機能しているみたいだな。正直、今日の俺は無敵過ぎて怖い」
担任の瑞沢がやってきてHRが始まる。斜め後ろに座る優人の顔を見ると真っ青になっていた。やれよ。絶対やれよ。……しかし、何だ? 何故瑞沢は眼帯をつけているんだ? ちょっと迫力あり過ぎんよこれ。もっさんとか呼べるレベルじゃない。切り捨て御免で小童とか言われそうな圧を醸し出している。色んな意味で日が悪い。
しかし罰ゲームの遂行は絶対だ。優人は瑞沢が口を開くより先、一人だけで席を立った。ざわりと、クラスの皆が彼に視線を遣る。何やってんのこいつ、という目だ。
「……寺嶋」
優人は無言で着席した。瑞沢は気を取り直して咳払いをする。すると、アホがまた一人だけで立ち上がった。酷く綺麗な姿勢だった。俺は笑いを堪えるのに必死な反面、もしもじゃんけんで負けていたら自分がこんな目に遭っていたのかと気づき、慄いた。もう、いい。もういいんだ優人。三回はいらない。仏の顔も三度までだ。
「号令を掛けろ、てらし――――」
優人が座った瞬間に立った。やつは瑞沢の視線を浴び続けて頭がおかしくなったのだろう。『ふへっ』とか笑っていた。
二度あることは三度ある。やっ、やめろ! もうやめるんだー! 見てるこっちがお腹痛い! 胃も!
「起立! 寺嶋、放課後、職員室に来い」
「はい!」
すごく爽やかな声だった。
瑞沢がHRを終えて出ていくのと同時、樋山くんが俺と優人のところに駆け寄ってきた。
「さっきのって罰ゲーム? それともご褒美?」
「ご褒美なわけないだろっ。じゃんけんで負けただけだ」
「お前らのじゃんけんリスキー過ぎない?」
優人が机の上に顔を突っ伏す。今にも死にそうだった。どうせ放課後になったら死ぬけど。放課後デッドオアアライヴ。
「何もかも原先輩のお陰だな。いやあ、あの人に足を向けて寝られないなあ。というか先輩の家のある方角に足を向けることすら許されねえぜ」
「お前、先輩の家知ってんの?」
「知らん。でもすげえ知りたい。家の周りうろうろしたい。灯りのついている部屋を見て、ここが先輩の……って妄想したい」
樋山くんの俺を見る目が北斗の出来損ないを見るようなそれになっていた。
授業中の記憶がないので昼休み。
「なあ禄助。学食行こうぜ。俺、今日は弁当ないんだ」
「ああ、別にいいよ。じゃあ、なんか奢ってくれよ」
「……お前。傷心の俺にありえん提案すんなよ。むしろお前が気を遣って金を出せよ。俺はなあ、あとでオーガ瑞沢のところへ行かなきゃならないんだぞ」
五限の教材を取りに行かされるらしい。たぶん、ついでにHRの時のことで奥歯がガタガタになるくらいなことをされるんだろう。放課後よりもお小言は軽くで済むだろうが、瑞沢のジャブはヘビー級ボクサーの右ストレート並である。
「俺は弁当あるもん」と、ファンシーな包みを持ち上げて見せる。
「まーた愛ちゃんに作ってもらったのか? いいよなあ、スペック高い妹がいて」
「スペック良過ぎるのも考えもんだぞ。あいつ、気が付いたら俺が頑張って叩きだしたゲームのスコアを更新しまくってるんだ」
兄より優れた妹なんて存在しないはずなんだ……!
うちの学校の食堂は体育館と併設されている。二階部分が体育館で、一階が食堂となっている。四限が体育だと、体操服でメシを食ってるやつらもよく見かけた。
「げえ、めっちゃ混んでるな」
俺は中に入ることを躊躇った。カウンターでは食堂のおばちゃんに、男女問わず生徒が群がっている。飛び交う注文コールに、おばちゃんは懸命に答えていた。
「みんな熟専だって考えたら許せるな」
「許せねえよ。おい禄助、席とっといてくれよ。アレだったら下級生どかしていいから」
よくねえだろ。しかしまあ、仕方ない。俺は食堂中をキョロキョロと見回す。と、おっ、原先輩だ! うーわー、かーわーいーいー! 俺は当然の如く彼女の近くに座れる場所はないかと目を皿のようにする。しかし、考えることは皆同じだった。原先輩は友達と一緒に食事をなさっているらしく、彼女の周りのテーブルは完全に埋まっていた。さながら、動物園のライオンのようだ(人気者だってことを俺は言いたかった)。
無理そうだなと思っていたら、比較的原先輩から近いテーブルに顔見知りが座っているのを見つける。髪を茶髪に染めて、ツンツンに立てたアホみたいな獅童くんだ。彼はサッカー部の友人と一緒に原先輩をチラ見しながら飯を食っている。あそこにしよう。幸い、パイプ椅子だけなら食堂の端の方に用意されている。俺は椅子を二つ引きずって、獅童くんに挨拶した。
「よう、カウパー!」
「ふっざけんなよ! てめえがつけたあだ名のせいで晒し者だぞこっちは! って、しかも何勝手に座ってんだよ!」
「元気いっぱいだなあ。それにちいせえこと言うなよ。一緒に幸せを分かち合おうぜ」
俺はパイプ椅子を組み立てて、獅童くんたちを見回す。
「別によくね? スペース余ってるし」
「つーか獅童うるせえ」
「て、てめえらっ」
部活の友人に裏切られて、獅童くんは俺を睨みつけた。
「……もういいけどよ、別に。で、もう一人は誰が来るんだよ」
「優人」と俺が言うと、獅童くんたちは爆笑した。どうやら、HRでの罰ゲームのことを聞いていたらしい。いやあ、交渉が円滑に進んだようで何よりである。
俺は包みを広げて、弁当箱を開けた。二段になっていて、一段目がおかずで、二段目がご飯になっている。そこに、ラーメンの乗った盆を持った優人がやってきた。ちょうどいいタイミングだな。
「おう、悪いな獅童。俺も寄せてくりー」
「オッケー。…………ん? え? 石高、お前のそれ、何……?」
獅童くんが俺の弁当を指差す。なんだ? 急に目が見えなくなったのかこいつ。
「ベントーに決まってんだろ」
「いや、なんで、桜でんぶでハートマーク?」
「うわあ! マジだ! なんで!? アイエエエエ!?」
他のやつらも俺の弁当箱を覗きこむ。何が珍しいというんだ。
「普通だろ? いつもこんな感じだぞ」
「こええ。石高やべえ、マジかよ。っべーなー、こいつ」お前らのボキャブラリーのがやべえわ。そんなんでよく会話が成り立つよな。テレパシーでも使ってんのかよ。
飯を食いながら、俺と優人は原先輩をガン見していた。むしろ先輩を見ながら飯を食っているといった方が正しい。獅童くんたちはありえん、やべーとか言っていた。アホか。折角のチャンスだぞ。
「眼福、眼福」
「なあ見ろよ禄助。すげえ綺麗だよなあ。何やっても許される美人っているんだよなあ」
正直、原先輩のせいで同じ学校のやつらは目が肥えてしまっている。彼女はその辺のアホ面下げたアイドルよりも普通に可愛い。ドヤ顔で『ヘキサゴン』とか言っちゃう低能は芸能界から消えて欲しい。増え過ぎなんだよあいつら。名前なんて覚えられねえわ。
俺たちはここぞとばかりに原先輩を視姦する。……腰まで届きそうな銀色の髪は透き通っている。長い睫毛も、ぱっちりとした目も、小さな唇も最高だ。やべえー、マジやべー。恐るべきことに原先輩は化粧をしていない。すっぴんでアレだ。深窓の令嬢ってな、あんな人のことを言うんだろう。彼女の理知的な表情は滅多に崩れないのだと聞く。今もご学友のお話に相槌を打ち、薄く微笑んでいらっしゃる。
「あの人になら殺されてもいーなー」
「贅沢言ってんじゃねえぞ禄助。お前は脱出装置ごとタッチダウンでもされてろよ」
「てめえ悲惨過ぎるだろそれは!」
スーパーでロボットなゲームでの救済を望む。
五限が始まる前、優人は悟りきった表情で職員室へと向かった。あまりにもやべー顔をしていたので付いて行こうかと提案したのだが、彼は問題ないと一言だけ告げて、一人で行った。
教室に戻ってきて暫くすると、プリントを持ってきた優人が、それを教壇の上に置いてこっちに来る。不思議と、晴れやかな顔をしていた。
「どうだった? 骨何本持ってかれた?」
優人は微妙そうな表情を浮かべる。
「いや、なんか、悩み事があるのかって心配された」
逆に辛いわ。……お、チャイムだ。まあ、優人も無事だったことだし、安心して授業に臨めるな。
「……悪いな」
ん? 今、去り際に優人がなんか言った気がしたけど、気のせいか?
瑞沢が入ってくるなり、俺を見た。勘違いとかじゃなくて、名前まで呼ばれた。
「石高。お前、放課後職員室にこい。それから、寺嶋とは今後距離を置くように」
てめえ優人。罰ゲームのことをばらしやがったな。
五限が終わるやいなや、優人は教室を飛び出した。俺はその後を追いかけて、優人が窓から逃走する寸前に廊下のど真ん中でドロップキックを放った。背中に強い衝撃を受け、顔面から倒れ込んだ優人を引っ張り上げて、ガンを飛ばす。こいつは頭はいいが喧嘩、というか体を動かすことには弱い。
「わ、悪かったって……だって、ああでも言わなきゃ俺だけが酷い目に遭っちまうじゃねえか」
「じゃんけんで負けたんだろうがよ! 俺まで道連れにすんなよそれでも友達かよ!?」
「親友なら喜びも悲しみも分かち合うものだ」
「そんな親友いらねえ」
優人は俺を突き飛ばし、ふっと鼻で笑った。髪の毛をかき上げて眼鏡の位置まで指で押し上げやがった。
「原先輩効果もここまでのようだな」
「なんだその悪役顔は」
樋山くんたちが止めに入るまで、俺は優人の眼鏡に指紋をつけまくってやった。
「じゃあねー!」
「俺たちメイト行ってくるわー!」
死ね! あと、お前らナチュラルに委員会とか部活をサボるんじゃねえよ! ……さっさと用事(という名の説教+暴力のコンボ)を済ませて、あいつらに追いつこう。
放課後の職員室は騒がしい。俺だけでなく、色々なやつらが色々な用事を抱えて、あるいは押しつけられてやってくる。ドアは開いてたので、そのまますたすたと中に入って瑞沢の姿を探す。キョロキョロしてたら、瑞沢から声を掛けられて、椅子に座らせられる。タイマンだ。セメントだ。さあゴングを鳴らせ。
「石高。……寺嶋から、HRの奇行について聞いた。お前ら、私を、というか、学校をなんだと思っているんだ」
「い、いや、罰ゲームのことについてなら、先に話を持ち掛けたのは優人、じゃなくて、寺嶋くんですよ」
「そういうことを聞いているんじゃない。私のことを馬鹿にしているのかと聞いている」
「し、してません!」
間近でガンを飛ばされる。ヤンキーだってビビッてクソを漏らすほどの眼光だろう。事実、俺はちょっとだけ漏らしていた。
「反省文、書くか?」
「書いたら許してくれますか」
「お前……反省する人間の態度じゃないぞ」
「今の俺はカンダタと同じなんですよ。許してもらえるかもって蜘蛛の糸が見えたら、縋りついちゃうのも無理な話じゃないですか」
俺がそういうと、瑞沢は不思議そうな顔を浮かべた。
「なんだ。石高は芥川を読むのか」
「え、えっと、まあ、勧められて」
バイト先の店長に勧められて、適当にページをめくっただけの話だけど。そして、学校の許可なくバイトをしているので口が裂けてもそんなことは言えやしない。
「そうか、読書はいいことだ」
「で、ですよねー」
「じゃあ、反省文は明日までに書いておくように。HRで提出しろ」
……はい。
面倒な宿題が増えたが、お説教は短かった。今から奥歯噛んでダッシュしたら優人たちに追いつけるだろう。だが、やつらは裏切り者だ。普通、待つよなあ。待ってくれるよなあ。俺なら待たないけど、俺の友達なら待つよなあ。……嘆いていても仕方ない。帰ろう。
昇降口で靴を履き替えて校門へ向かうと、おやおや、また部活の勧誘が始まっていますよ。大変だねえ、するのもされるのも。ま、俺にゃあ関係ないにゃあ。ところで部活の勧誘チラシに混じって、俺を異世界に召喚してくれるようなチケットがあったらどうしよう。選ばれし勇者とか言われて神様からチート能力もらって無双すんの。石高無双。『出過ぎだぞ、自重せよー』って甲高い声で言われんの。けど俺は最強だから問題ない。千人斬り。戦闘が終わったらベッドでお姫様を千人斬り。どんだけお姫様おんねーん!
「精を出すのは素晴らしいことですけれど、少しやり過ぎですね。あなたたちは、ラグビー部、ですよね」
ちょっとだけびっくりした。別に妄想がばれてた? とかそんなんじゃない。勧誘に勤しんでいたラグビー部に対して注意したのが、あの原先輩だったからだ。
なるほど、確かにやり過ぎだ。放課後になると教師の監視が弱まる。だから、ガタイのいいやつらがいたいけな1年生を囲んで強引に説得していたのだ。肉体言語に訴えかけてもいいのは王者の技、関節を極めた者だけに許されている。あ、そういや、HRん時、瑞沢が部活動の勧誘について指導するとかなんか言ってたような気がする。それでか。生徒会長がお出まししたというわけだ。
「はい、もう大丈夫。君たち、うちは部活動への入部は強制していませんからね。好きなところに入ってもいいし、帰宅部でもオッケーだから。後日、部活の説明会が開かれるので、参加して決めるのもいいかもしれないよ?」
「あっ、は、はい、そうします!」
囲みを抜けた1年生がばたばたと駆け出して行く。残されたラグビー部(他の部活動連中は察して逃走した)と原先輩が向かい合う。さながら蛇に睨まれた蛙と様相を呈している。つまり勝ち目なし。
「……高城くん。昼休みにも伝えたよね。放課後の勧誘については、私が、見に、行くって」
高城……確か、ラグビー部のキャプテンだな。背が高くて日に焼けている。超遊んでそうなやつだ。
「あ、ああ、だけど、それが」
「やり過ぎです。ペナルティとしてラグビー部には説明会の不参加を要求します」
「はっ、はあ? なんの権限があってお前が……あ、いや、なんでもないっす」
「はい、以上です。朝、放課後の勧誘は構わないから、頑張ってください。ただし、度を超えたなーってこちらが判断したら、それも駄目になりますからね」
高城とやらは言い返せずうな垂れて他の部員と共に帰って行った。……なんか、結構な迫力だったなあ。原先輩って、ああいう風にもものを言えるんだ。美人って怖いなあ、なんて思いながら、俺は先輩の横を通り過ぎようとした。
「……はあ、怖かった」
えっ? 何? 殺すの? 殺す気か。殺す気か。
何、今の? えっ、あんな『氷結の魔女』みたいな対応してたくせに本当はビビってたってこと? それでラグビー部のやつらがどっか行ってようやく人心地つけて出た本音なの? マジかよ嘘くせえな。俺の存在に気がついて可愛さアピールしてたんじゃねえの? こう、胸に手を当てちゃってさ。
やべえ。可 愛 す ぎ る 。
うわー完璧だ。この人、聖女やで。女神の生まれ変わりやで。誰か、このお人にあんじょうしてくんなはれ!
とりあえず、優人たちと合流して今のラーハーパイセンエピソードを自慢しよう。いい夢が見れそうだぜ!