シッソウスルセカイ
「ねえ、本当にボクでいいの?」
人のいなくなった夕暮れ時の教室。俺たちは向かい合い、二人ともが緊張していた。
「何言ってんだよ」
「だってボク、女の子っぽくないし。スカート穿いても似合わないし、運動ばっかりで筋肉ついちゃってるし、胸だって、その、あんまり、ない、し……」
俺は首を振る。出来ることならそっと抱きしめてやりたかった。
「いいんだよ。俺はお前のそういうところが好きになったんだから」
「あ……で、でも……」
「お前は、俺のことが嫌いなのか」
「う、ううん、そんなことない! ボクだって、君のことが好きなんだ。けど」
永劫にも思える長い沈黙だった。俺は目を瞑り、返事を待つ。いつまでだって待ち続けようと思った。
「本当にいいんだね」
するりと、衣擦れの音がする。……って、えっ? いいの、これって家庭用じゃないの? いいんですかー!? 再び目を開けると、そこには――――。
変な夢を見たような気がする。恐らく、樋山くんから借りていたギャルゲーをやっていた影響によるものだろう。
ケータイで日時を確認して、もう一度確認する。二回見ても、月曜日は月曜日だった。三回見ても変わらないだろう。シット!
学校には行きたくないが、今日のところは家にいたってギャルゲーしかすることがない。腹も減ったので、諦めてリビングに降りよう。
「おはよう、お兄ちゃん」
「うい、おはよう」
リビングでは、既にめぐがもぐもぐと朝食をとっているところだった。小学生のくせに朝が早い。いや、だからこそ早いのか?
めぐは俺の顔をじっと見つめた後、眉根を寄せた。この顔は、俺に小言を言う時の顔だ。
「お兄ちゃん、隈が出来てる。また遅くまでくだらないゲームをやっていたのね」
「否定は出来ん」
「いい加減にギャルゲーなんてやめたら? そんなものしているから高校生にもなって彼女がいないのよ」
「……それは関係ねえよ」
コップに麦茶を注ぎつつ、俺はめぐにあっかんべーをした。
「まあ、そうかもしれないわね。お兄ちゃんがゲームをやっていてもいなくても、彼女が出来るとは思えないし」
「俺に彼女が出来たら、めぐとは遊んでやれなくなるなあ」
「あら、私が遊んであげているのだと思っていたけれど」
否定は出来ん。しかし口には出さん。
「めぐよ、生意気が過ぎるとお仕置きだぞ。具体的には有無を言わさずジャイアントスイングだ」
「訴えるわ。そして勝つわ」
実の妹に訴えられるなんて耐えられない。というかこいつ、本当に減らず口っつーか、俺を兄として尊敬していない節があるな。
「はあ、どうしてそこまで達者な口になったんだろうなあ」
「お兄ちゃんのせいね、きっと」
……これからはもっと礼儀正しく、清く美しく生きよう。
食器を片づけて、身支度を済ませて、戸締りはめぐに任せて家を出る。チャリンコのかごにリュックサックを乗せて、さあ出発だ。
「……ん?」
だが、サドルに跨った瞬間、妙な感覚を覚えた。いや、これには覚えがある。パンクだ。タイヤから空気が抜けて、ゆるキャラのようにへたっとしている。まずいぞ。遅刻ギリギリの時間なんだ。こいつが動いてくれなきゃ、オーガお得意の鉄拳粉砕コース間違いなしだ。
やべえ、やべえよ。
「う、動け! 動けえええええええええええええ!」
朝っぱらから叫ぶ。しかし自転車はぴくりともせず、戦闘行動を開始することもなく、おまけにAIすら搭載されていなかった。諦めてタイヤに空気を送り込むしかない。けどめんどいしそんな暇はない。
「……何を叫んでるの? ご近所さんに迷惑よ」
ランドセルを背負っためぐが俺を睨む。
「あ、めぐ。どうしよう。パンクしちった」
「頭が? ああ、自転車の方ね」
めぐも登校する時間だ。これはいよいよ間に合わなくなる。どうしようかと思っていると、めぐは前輪の辺りをじっと見つめ始めた。そうして、訝しげな視線を俺に向ける。
「穴が開けられてるみたいね」
「まあ、パンクだからな」
「そうじゃなくって、たぶん、誰かにやられたんだと思うわ」
何? 俺は屈み込んで、タイヤを隅から隅までねめつけた。しかし分からん。穴は確かに開いていて、今も空気がひゅーひゅーと抜けているんだけど、どうして誰かがやったって言えるんだ。
「お兄ちゃん、最後に自転車に乗ったのはいつ?」
「昨日、学校から帰る時だから、夕方だな」
「その時は何ともなかったのよね」
俺は力いっぱい頷く。
「じゃあ、今の今までここに停めた自転車に触れた人はいないはずよ。でも、今も空気が抜けていってる。お兄ちゃんが帰って来た時、つまり夕方に自転車のタイヤを尖ったところにぶつけたのだとしたら、夜のうちに空気は抜けきっているんじゃないかしら」
「じゃあ、ついさっきパンクさせられたのか?」
「私はそう思うわ」
考えてみる。もう一度、タイヤを見てみる。しかし、俺には別に人為的な痕跡は認められなかったし、だいたい、空気が抜け切るような時間だってめぐには分からないはずだ。
「誰かの恨みを買ったとは思えねえし、まあ、近所のガキが悪戯したんだろうな」
「私もそう思いたいわね。ふふ、実に面白いわ」
不穏なことを言うな。
「とにかく、自転車がパンクしているのは確かね。無理矢理漕いでいったら?」
「いや、いいよ。歩いてく」
めぐはじっと俺を見つめた後、顔を逸らした。
「走っていけば?」
「……いや、いいよ。歩いてく」
学校に着いたのは一時限目と二時限目の間の、休み時間が終わろうとしている頃だった。面倒くさいが、うちの学校は遅刻したら遅刻届というものを書かなくてはならない。紙をもらって、先生にハンコをもらって理由を述べて反省してますと頭を下げるまでが遅刻届だ。とはいえ、ガチでそんなことをする必要はない。大概の教師だって暇じゃあない。一年の時ならいざ知らず、俺はもう二年だ。優しいだとか、適当な教師。つまりカモを知っている。職員室に入ってカモを探せばいい。
「失礼しまーす」
きょろきょろと辺りを見回せば、俺たち生徒からヒゲ爺と呼ばれている、禿頭で白髭の爺さんを見つけることに成功した。あの先生には前にもハンコをもらっているし、オッケーだろう。
「よし」
「何がよし、なんだ? 遅刻をしてガッツポーズとは、いやいや、私には何が何だか分からないなあ、石高」
背後から殺気を感じた。俺は咄嗟に振り向き、的を散らす為にピーカブースタイルで頭を振った。そこにいたのは担任の瑞沢である。ただでさえ迫力や威圧感があるってのに、今日は何故だか眼帯までしている。殺人犯を殺せそうな眼をしている。漏らしてしまいそうだった(嗚咽とか)。
「……い、いや、あの」
瑞沢は俺を見て笑った。笑うというのは、本来は攻撃的な行動なのだと何かの漫画で読んだ気がする。
「遅刻届で、ハンコをもらいに来たんだろう? 押してやる。紙を出せ」
俺は言われたとおり、遅刻届を差し出した。
「ん? おいおい、そんなに震えていたら受け取れないぞ。どうした? 寒いのか?」
「は、反省してます」
「そりゃあそうだろうなあ。……ん、押してやったぞ」
さて、と。そう言って、瑞沢は腕を組む。俺は目を逸らした。
「何か、言うことは?」
「く、九九をそらんじてお目にかけます! ニイチがニ! ニニンがシノブ!」
「この世にPTAがなければ体罰をくれてやっていたところだ。しかし、まあ、お前の狼狽ぶりが面白かったので反省の色、ありと判断する。次の授業には遅れるなよ」
「お、オッス!」
二時限目が始まると同時に着席出来たが、瑞沢ショックのせいで授業の内容は全然頭に入ってこなかった。
「……はあ」
休み時間になり、ようやく人心地がつく。生きてるって素晴らしい。
「おいおい、どうした禄助。民営化された刑務所から命からがら逃げだして来たって感じだぞ」
「瑞沢に捕まったんだよ」
「ああ、そりゃ、俺だったら自分からアルカトラズに行くくらいの災難だったな」
ひひひと、幼馴染の優人が笑う。意地の悪い笑みだった。優人は眼鏡の位置を指で押し上げながら、小太りのクラスメートを手招く。応じたのは樋山くんである。俺たちとはゲームの貸し借りだけで繋がっている仲だ。彼は重い腰を上げて、先まで読んでいたライトノベルをぱたんと閉じた。
「おはよう樋山くん。借りてたギャルゲーだけどさ、大丈夫アレ? CER○騙してるんじゃないの?」
「はっは、大丈夫JAR○。楽しんでくれてるみたいだな。俺としても嬉しいよ」
「お前らギャルゲーギャルゲーって気持ち悪いなあ。もっと現実に目を向けろよ」
現実に目を向けたからこそギャルゲーやってんだろうが。
「ちっ、寺嶋は顔はいいからな」
「現実とかカスだわ」
「そんなこと言っていていいのかな? 禄助、お前はまだ知らないだろうけど、転校生が来たんだよ」
転校生! えもいわれぬ魅惑的なワードに、俺の心はいやが上にも踊った。
「一組にな、すごいぞ、ハーフが来たんだ。アメリカ帰りらしいぜ」
脳内が金髪巨乳のお姉ちゃんのことでいっぱいになる。その時、小さい頃に俺が運動会のかけっこで一番になった瞬間が頭から弾き出された。そんなことはどうでもよかった。今はただ、豊かな二つの丘に顔を埋めたい。ハーフでアメリカだ。俺たち日系日本人とは違う。米帝の血が流れているのだ。そりゃもうこの世で最も強いに決まってる。
「一刻も早く揉みに行こうぜ!」
「『も』は余計だ。だがな、期待し過ぎなお前に残念なお知らせがある。一つ、その転校生は小さい。二つ、薄い」
「なあ、思ったんだけどよ、ゲームのレビューとかでBGM『は』いいってさ、大概クソゲーだよな」
転校生とかどうでもいいわ。ハーフで貧乳とか存在価値ねえわ。
六時限分の授業が終わり、放課後になる。優人と樋山くんは部活や委員会のことを忘れて、早く駅前に行きたいだのと抜かしてキャッキャとはしゃいでいるが、俺は五時限目の家庭科で削られたSAN値の回復でいっぱいいっぱいだった。
「くそう、瑞沢め。俺ばっか当ててきくさって」
「そりゃお前が遅刻するのが悪いんだよ」
「どうでもいいから早く行こうぜ。新刊にさ、OADついてっから売り切れちまう」
分かってるよ。俺は鞄を持って立ち上がり、優人たちのあとに続く。
「いやー、楽しみだなー」
「そうだな。……あっ」
その時、俺はとんでもないことに気が付いた。まずい。
「……なあ、二人のどっちかさ、ニケツ頼んでもいいか?」
前を歩いていた二人は立ち止まり、親の仇でも見るような目つきで俺をねめつけた。
「ああ? ふざけんなよ禄助、どうしてお前なんぞを乗せなきゃいけないんだ」
「すまんが、俺は男は乗せない主義だ。つーか、そんなギャルゲーみたいなイベントを石高とやりたくない」
「俺だって男とニケツなんか嫌に決まってんだろタコが!」
「お前、それが物を頼むやつの態度かよ。泣いて土下座くらいしろ」
優人はじっと俺を見た後、嫌らしい顔で笑った。
「ははあ、読めたぞ。お前、自転車が壊れたのか? それで今日は遅刻してきたんだろ?」
その通りだが、認めるのが癪で俺は返事をしなかった。樋山くんは得心したらしく、深く頷く。
「じゃあ、今日は石高抜きか」
「って、おい。俺を置いてくのかよ!」
「だって足手まといじゃん。それに、逆の立場だったらどうする? 俺たちのどっちかが今のお前と同じ状況だったら?」
そんなもん決まってる。
「唾引っかけて笑いながら置いてく」
「論ずるに値しないゲスだな」
「行こうぜ樋山くん。時間の無駄だ。五週くらいしたRPGのレベル上げをするよりも時間の無駄だ」
「ちくしょう人でなしどもが! 駅前に呪いあれ!」
「勝手に呪いかけてんじゃねえよ!」
結局、置いていかれてしまった。マジかよあいつら。昇降口や校門、駐輪場でギリギリまで粘ってみたが、優人と樋山くんはペダルを漕いでさーっと行ってしまった。一回も振り返らなかった。糞だ。本能によってのみ行動する虫だ。糞虫だ、やつらは。糞虫ペダルだ。地雷を踏み抜いて呆気なく爆発して肉を撒き散らしながら天高くまで吹き飛んで欲しい。そして誰にも認識されることのないまま烏か何かに喰われてしまえ。
失意のうちに帰宅する。役立たずになった自転車が目に入った。こいつのせいで、俺は、俺は! ……いや、違う。相棒は悪くない。悪いのは、自転車をパンクさせた屑野郎だ! 犯人を見つけたら五発くらい蹴りを入れてやる。絶対誰かのせいだ! そうなんだ! 俺が間違ってどこかにぶつけたとかじゃない!
「うおおおおおおおおおおっ!」
怒りが込み上げてきたので感情の赴くままに叫んだ。俺は叫んだ! したら、ドアがゆっくりと開いて、とんでもない目をした妹がこっちを見ていることに気づいてしまう。
「……縁を切りたい」
逆の立場だったら、俺だってそう思うだろうな。
めぐが格ゲーで一緒に遊んでくれないとか言うので、仕方なく一人きりで適当なゲームをして時間を潰す。三国志の武将を使って、民兵どもをボコボコにして無双しまくる。お、この小太りなのは樋山くんそっくりだな。念入りに殺しておこう。……しかし、今日は厄日だったな。自転車はパンクするし、そのせいで遅刻して瑞沢に殺されそうになるし、独りだけ駅前に行けず置いてかれるし、めぐには縁を切りたいとか言われるし。まあ、世の中はバランスだ。陰と陽。光と影。善と悪。北と南。ロリと年増。そういったもので世界は回っている。だから、嫌なことが起きた次の日にはいいことが起こるに決まっている。明日は明日の風が吹く。そうあってくれ。
翌朝、俺は自転車を修理に出さなかったミスを華麗にスルーしつつ「お兄ちゃん、手が震えてるわよ」朝食を平らげ、いつもよりもかなり早めに家を出ることにした。昨日の今日で遅刻したら瑞沢に何をされるか分からないし、まあ、たまには爽やかな朝の空気を楽しみつつ登校するのもいいと思ったからだ。
のんびりと歩き、学校までの坂道に辿り着いたが、正直、歩くのはここまででいい。あとはバスに乗っていこう。そう思い、まだ殆ど誰もいないバス停で時間を潰すことにした。バスが来るまであと五分もかからない。ケータイでプロデューサー業に専念しようとしたところ、一人の女の子が視界に入った。
小さくて薄い子だった。ランドセル背負っててもおかしくないような背丈で、体型である。一年生か? しかし実際のところ何年生なのかは分からない。そも、俺と同じ学校の生徒なのかもわからない。NBAかどっかのチームらしきバスケットボールのユニフォームを着ていたからだ。他に一緒にいるやつもいないし、部活動ではなく自主練だろうか。じっと見ていると、彼女は坂道を見上げ、短い息を何度も吐き出している。胸は上下していたが、揺れるものはどこにも存在しなかった。残念だと思った。……短くて不揃いな髪だ。艶やかな黒髪だったから伸ばせばいいのにと思う。勿体ない。
女の子はバスが来る前に、坂道へ向かって走り出す。綺麗なフォームだった。風を切って、ぐんぐんとスピードを上げて、次第に見えなくなる。俺は何だか嫌な気分に陥ってケータイに目を落とした。バスは来たが、俺は結局、歩いて学校まで行くことにした。
いつもより早く家を出て、いつもより早く教室につく。俺しかいない。椅子に座ると、グラウンドからアホみたいな野球部の声が聞こえてくる。朝の空気なんか爽やかでもなんでもない。そのまま目を瞑り、かちこちと時計の針の音だけに耳を澄ました。
少しだけ寝入っていたのだろう。ふっと目が覚めた時、教室の中は騒がしくて、人が増えていた。顔を上げると、優人が教室に入ってくるところが見えた。やつは目を丸くさせて俺を指差した。
「珍しいなあ、禄助。昨日の遅刻が堪えたか?」
「うるせえなあ」
「俺はさあ」と、優人はこっちを無視して、隣の椅子を引いた。
「今月は忙しいんだよ。ゲームの発売が殆ど重なっちまって、モンスターをしこたま狩りまくった後、モンスターを厳選して育てまくらなきゃあならないんだ」
鬼畜かよ。
「あーあー、なんかいいことが起こらねえかなあ」
「アホか。そんなもんな、世界人口シックスティビリオンが毎日思ってんだよ」
そりゃそうだ。幸運なんていいもんが毎日全員に配られちゃあ堪らない。だけどせめて俺だけはって、そう思ったって罰は当たらねえだろう。
「あ、そういやお前自転車修理に持ってった?」
「ああ、いや、忘れてた。今日も歩き」
「早く修理しろよ。また置いてくぞ」
面倒なので適当に手を振って答えておいた。……まあ、早く元に戻すに越したことはねえ。
「バスだってさ、毎日乗ってりゃ馬鹿にならねえんだからよ」
「歩きだから金はかかってねえよ。あ、そういやさ……いや、なんでもねえわ」
今朝に見た女の子のことを優人に聞こうとして、思い直した。聞いたところでこいつが知るわけねえし、知ってたところで何もない。
「俺も部活に入ってりゃあよかったかなあ」
窓の外からは運動部の声が聞こえてくる。頑張って体動かして汗かいて、声を張って、なんつーか、キラキラしてそうで、腹が立つ。
「……今からでも別に、遅くはないんじゃね?」
優人はこっちを見ずに言った。だから俺も優人を見ないまま言った。
「いや、もう遅いよ」
じろりと瑞沢に睨まれる。んだよ、今日は遅刻してねえだろうがボケ。と、顔に出しただけでもいちゃもんつけられるので目を逸らす。ホームルームを無事にやり過ごし、一時限目、二時限目、三時限目と時間が過ぎていく。
四時限目、体育。体育は隣の組と合同で行われるので、男子は女子の着替えを見たいなあなんて気持ちを抱えたまま隣のクラスへ移動し始めた。
「はあ、女子の下着が見たいなあ。な?」
「寺嶋は顔はいいのになあ。そういうの口に出すから駄目なんだよ」
体育は憂鬱だ。面倒だからだ。今日は体育館でバスケをするらしいが、大抵バスケ部の独擅場になる。サッカーならサッカー部の。バレー部ならバレー部の。テニス部ならテニス部の。不公平ってもんだよな。どうせならセパタクローとかマイナーな競技をすればマシだってのに。
「……しかし、女子が跳んだり跳ねたりするところを見られるのはいいことだな」
「ああ、揺れるからな」
今日の体育はバスケ部の自慰的行為を見せつけられるようなものだ。だったらハナっから適当にやって、女子バスケ部の自慰的行為を見る方がずっといい。俺はいくら頑張ってかっこつけたって球技は苦手だからどうしようもないのだ。
体操服に着替えて体育館へ。きゃっきゃとはしゃぐ女子をじっと見つめていると、近くにいた樋山くんがブルマはどうとか呟いていた。俺は別にブルマを有り難がる属性を持っていないので、純粋にこいつは気持ち悪いと思った。
「じゃ、準備体操からなー。で、適当に遊んどいていいから」
やる気のなさそうな声を放つと、筋骨隆々の体育教師はパイプ椅子にどっかと座り込み、競馬新聞を読み始めた。筋肉が泣いているぞ。
「禄助ー、チーム分けどうする? さっきな、鈴木と十字くんが俺らんとこ寄せてくれって」
「おー、じゃああと一人声掛けるか」
樋山くんがすごい形相でこっちに顔を向けてきた。
「俺も入れてくれよ!?」
「動けないデブだからなあ」
「ここが同人誌即売会場とかなら使える駒なんだが……って冗談だって。どうせ遊びなんだし」
成績に関係するわけでもなし、男子は適当に五人組になって、じゃんけんで適当なチームと対戦する運びとなった。俺たちはバスケ部員を二人擁する連中と当たることになった。が、どうでもいい。勝ち負けなんかより如何に疲れないかがポイントである。
「よーし、じゃあジャンプボールなー」
相手チームは背が高い。強そうだ。いや、実際バスケ部いるし強いんだろう。俺たち『昼休みは図書室インドア組』を見て楽勝ムードを漂わせてにやにやしている。どうぞ、ご自由に。煮るなり焼くなりしてくれ。
「えー、そんながっつり始めんのー? そっちボールでいいって。あー、もううっせーなーバスケ部はー。じゃあ、俺らん中で一番でかい鈴木が」
「いや待て」と、言いかけた俺を優人が阻んだ。
クソ眼鏡は意地の悪い顔をして、俺の肩に手を置く。殺すぞ。
「向こうのチームの小野だけどな」
小野? ああ、隣のクラスの、でっけえバスケ部か。髪型なんかも決めちゃってばっちりだ。女にもてたいが為に生きているような腑抜けたクズだ。
「こないだの放課後に俺は見たんだ。やつが彼女と校舎裏でよからぬ行為に耽っていたのを見たんだ。アニメじゃない。本当のことだ」
「……あ? だから何だってんだ」
「ムカつくよな?」
俺は頷いた。確かにムカつく。どうして、わざわざ学校でいやらしいことをするってんだ。俺たち非モテを嘲るかのような挑発行為だ。
「一泡吹かせよう」
俺と優人が密談しているのを認めて、樋山くんたちもやってくる。俺たちは輪になってひそひそ話を始めた。
「おい、いらんことしてんなって! トリプルスコアつけてやっから早く始めようや」
「黙ってろボケが! てめえはそこでピボットでもしてろ!」
「お、おい石高、煽るなって」
十字くんは俺たちの中で一番背が低く、気が弱い。誰かと肩がぶつかっただけで即座に財布を差し出すような、ハムスターみたいなやつだ。しかも、多分ハムスターの方が手強いだろう。
「けど、煽ったところでどうしようもなくね?」
樋山くんが難しい顔をして唸った。優人は気楽そうに笑った。
「大丈夫だって、禄助がいるから」
「がっはっは! そうそう、俺は天才ですから! じゃ、手筈通りにいこうぜ」
たまには頑張るのも悪くはない。しかも、それが彼女持ちのクソ男を無茶苦茶にしてやる憂さ晴らしってんだから楽しみで仕方がない。
所詮、体育でやる適当なバスケだ。ポジションもクソもない。審判はいるが細かい反則は気にしないだろう。
だが、この男、小野は違う。試合が始まる前から散々に煽ってやったから頭に血が上ってるはずだ。で、ジャンプボール。くくく、分かってるぜ。向こう側の女子がこっちを見てるってことはな。せいぜいかっこつけろ。
「石高、知ってるぜ。お前は口だけだってな」
「喧嘩腰だなー。あ、おい、キスマークついてんぞ」
「えっ」
笛が鳴る。ボールが高く上がる。俺は床を蹴って跳ぶ。ボールを優人に向かって叩き落す瞬間、小野の固まった顔が視界に入った。
「は? 今のなんだ!?」
「めっちゃ跳んでなかったか、あいつ!?」
着地と同時、ゴールをねめつける。既に樋山くん、鈴木、十字くんがゴール前に走り込んでいた。優人は気持ち悪いフォームでボールを前に送っている。それを鈴木がキャッチし、不恰好なジャンプシュートを放った。が、リングに嫌われてしまう。
「くそっ、意味わかんねえ!」
小野が走り出す。俺は遅れて走り、彼を抜き、てんてんと転がっていたボールを十字くんにパスした。
「リバン!」 とか、もう一人のバスケ部が叫ぶ。シュートは決まっていた。リングを潜ったボールを小野が拾ってコートの外に出る。優人が俺に目配せした。
「まぐれだ! 気持ち切り替えようぜ!」
小野がパスを出す。その相手は分かり切っている。もう一人のバスケ部だ。俺はボールをカットして、樋山くんにパスを出す。にっと笑った小太りがゴールを見つめた。
「左手は……」
「いいから打てよ!」
「じゃあ幻影ゥゥゥゥ!」
ボールはあらぬ方へ飛んでった。俺は追いかけてキャッチする。誰にパスするか迷ったところで、優人が打てよと叫んだ。俺は分かったと答えて球を放る。バスケットボールは弧を描き、女子のいる方へ飛んでった。向こうからキモーイとかいう悲鳴が上がった。
「なんでだよ!?」
試合には負けた。




