カカリアウセカイ(馳走奔走~ファイナルファンタジー~)
「ちょっと味付けが濃いような気もするわ」
「…………そうかあ?」
「そうよ」と、めぐは言い切った。
九月一日。午前六時四十分。夏休みが終わり、二学期の始まる日の朝。俺は三人分の弁当を作っており、そいつをめぐが味見しているという状況だった。
「どうせあの人は味なんか分かってないんだって」
「年上で、しかも自分の彼女になんて口の利き方かしら」
「だって本当なんだからしようがねえんだよ」
めぐはじろりと俺をねめつけ、何故だか、嬉しそうに微笑む。
「でも、なんだかんだ言って、お兄ちゃんはその人の為に楽しそうに作るのね」
その通りだし言い返せないし、気恥ずかしくなって頭を掻いた。
今日から、先輩と一緒に登校することになる。が、待ち合わせ場所である商店街の入り口付近でどんだけ待っても来やがらない。ケータイに連絡しても全くでない。もしや、腰が引けているのではなかろうか。
「……仕方ない」
俺は小林先輩の家、つまり、小林堂へ向かうことにする。少しばかり緊張するが、初めての経験ではない。先輩の家へは夏休み中、何度か遊びに行ったことがある(とはいえ、先輩の部屋には入れず、何故か先輩のパッパと一緒に和菓子を作っていたりしていた)。店はまだ開いていないが、先輩を迎えに来たと言えば、彼女を呼んできてもらえるだろう。
小林堂の裏口へと回り、勝手口の扉をノックする。こっち側は台所に通じており、この時間なら先輩のマッマがいるはずだ。予想していた通り、ほどなくして扉は開かれた。
「ああ、禄助くーん? おはよう。今日はどうしたの?」
先輩のお母さんは先輩に似ず背が低くて優しそうな顔だちをしていらっしゃる方である。割烹着を着て忙しそうにしていた。朝食の支度をしているのだろう。ちなみに、俺の母親よりも若く見えて羨ましい。何歳くらいなんだろう。聞いたら殺されるかな。
「おはようございます! あの、先輩を迎えに来ました」
「へ? 棗を? あれ? 禄助くん、なんで制服……?」
「いや、今日から学校なんで」
「……明日からじゃなかったの?」
俺は首を横に振る。先輩の母上はにっこりと笑い、ちょっと待っててねと言うと、ぱたぱたとどこかへ行ってしまった。一分後、ドスの利いた怒声と、誰かがベッドから転がり落ちるような物音が響き渡った。
「……どうして家まで来てしまうかな、君は」
「いや、先輩がサボろうとしたせいじゃないですか。悪事千里を走るって言いますし、いやー、悪いことは出来ないですね」
先輩と二人そろって駐輪場に自転車を停める。先輩は不満そうで、不機嫌そうで、眠たそうな顔をしていた。いつもと大して変わらなかったりもする。
「全く。朝ごはんをあんまり食べられなかった」
しこたまお代わりしていたくせに何を言うかこの人は。
「ちゃんと弁当持ってきましたから、機嫌直してくださいよ」
「……私がいつまでも食べ物につられると思ったら大間違いだからな」
しかし知っている。今、先輩の頭の中は弁当箱に何が入っているかでいっぱいになっているはずだ。
「あ、そういや、急げばバスに間に合いますよ。走りますか?」
「いや、いい。カロリーを無駄に消費することはない。学校まで歩いて行こう。ろく高くんと話したい気分なんだ」
学校までの坂道を上っている途中、先輩はお腹を摩り出した。
「まさか、もうお腹が減ったんですか?」
「……そんなことはない。少しだけだ」
燃費悪いな。どっかの正空母じゃあるまいし。
「私は常々思っていた。食事とは、孤独で、自由なものなのだと」
「はあ」
「しかし、違うんだな。今朝、ろく高くんを交えての朝食はいつもよりおいしく感じられた」
俺は、そもそも朝飯食って出てきたからあんまり食べられなかったし、針の筵に座っているみたいで料理の味なんかよく分からなかったけどな。
「……ああ、楽しみだ。ろく高くん家のおべんとう、早く食べたいな」
「始業式だけなんですから、我慢してくださいよ」
「分かっているさ。空腹は最高の調味料とも言う。尤も、君の料理ならどんなに満腹であっても平らげてしまいそうだけど」
先輩が満腹って、そんな状況に陥ることがあるんだろうか。
昇降口で先輩と別れ(捨てられる寸前の子犬みたいな目で見てくる彼女を引き剥がすのに苦労した)、教室に入る。すると、おやおや、優人と樋山くんから睨まれちゃったよ。どうしたんだ?
「ういーす。なんか久しぶりだな、オフタリサン」
「……ああ、だな」と優人。
「ちっ」と樋山くん。
「お? どうしたよ。なんか機嫌悪いなあ? んん?」
優人は露骨に嫌そうな顔をして眼鏡の位置を指で押し上げる。
「朝っぱらから鬱陶しいもん見ちまったからに決まってんだろ。あーあー、いいよなあ彼女がいるやつはよォー。俺も自由な空でラブしてえなあー」
夏休み前から、俺の付き合いが悪くなったとかで優人たちのご機嫌パラメータは下降気味であった。しかしこいつらのご機嫌伺いとか想像するだけで反吐が出る。勝手にふて腐れてそのまま土に還ってしまえばいい。
「禄助。お前謝れよ。樋山くんなんかな、きんモザが終わった時以来の死にそうな顔してたんだぜ」
「なんで俺が謝らなきゃいけねえんだよ。しかも、一週間経ったら新しい嫁見つけてへらへらしてたじゃねえか。お前らは基本的にタフなんだよ」
「いや、このショックには耐性がつかん。よりによって、どういう星が巡り廻ったらお前なんかに彼女が出来るんだ。ラゴウか? ケイトか?」
「…………ゆ、許せん。やはり許せんし、羨ましい」
あかんこれ。樋山君ったら本当に死にそうじゃねえか。
「気にすんなって、昨今、中二病でも恋が出来る世の中なんだから、キモオタのお前らにだっていい人が見つか……ひゃひゃひゃ無理だよなあやっぱ!」
「て、てめえ、この鬼畜が! ……ん? 樋山くん?」
「いや」
樋山くんはぬっと立ち上がり、ゆらゆらと身体を揺らし始めた。
「俺は樋山じゃない。スーパー樋山だ」
「アレだぞ。その台詞かませっぽいぞ」
「ぐあああああああああっ! ちくしょおおおおおお絶対に許したくねええええええ!」
「うわああああああ!?」
「やばいっ、誰か止めてくれ! 樋山くんが禄助絶対殺すマンに変身しちまった!」
教室中を逃げ回っていると、物凄い勢いで扉が開かれた。俺たちはぴたりと動きを止め、そっちに目を向ける。瑞沢が立っていた。それだけで途轍もなく恐ろしかった。
「二学期から楽しそうじゃないか」
「あ、い、いや、別にそんなことは……」
「そうか? ああ、私のことなら気にするな。先までの続きを、ん、どうぞ?」
スーパー樋山くん→禄助絶対殺すマン→飛べない樋山はただの樋山に成り下がった彼はすごすごと自分の席に引き返していった。いやー、今日から愉しい学校生活の始まりだなあ。
さて、終わった。本格的な授業が始まるのは明日からで、今日のところは午前中に解放されたのである。なもんで、俺は教師の目を気にしつつ、屋上へ向かった。鍵はまだ俺が預かっている。先輩に持たせておくと、すぐにサボりそうだからだ。
「今日も危なかったしなあ」
独り言ちながら、扉を開く。9月とはいえまだまだ暑い盛りだ。熱気に加え、日差しが照りつけてくる。俺は給水塔に向かい、日陰になっているところに腰を下ろした。鞄からペットボトルのお茶を取り出し、キャップを開けようとしたところで、扉が開くのが分かった。
「……って、来るのが遅いと思ったら」
やってきた先輩は学食で買ったであろうパンを抱えている。朝とは違い、機嫌はよくなっているらしかった。
「ああ、待ち遠しかった」
「俺に会うのがですか?」
「……あ、ああ、そうだ」
絶対嘘だ。
「パン。食べるのもいいですけど、先にこっちから食べてくださいよ」
俺は弁当箱を取り出し、蓋を開ける。我ながら会心の出来である。先輩は低く唸りながら、俺の横に腰を下ろした。彼女は弁当をじっと見つめている。おや? いつもの先輩なら、箸を取り出して三分の一くらいを食べちゃっている頃だけど、どうしたんだろう。
「お腹でも痛いんですか?」
「いや、そうではない。お腹がいっぱいなんだ」
「はっ?」
先輩はあまり冗談を言う人ではない。真顔で意味の分からないことを言う時はあるが、本人にそのつもりはない。
「……改めて思うんだ。私は幸せなんだなって。美味しいものを食べられるし、それに、君とこうして一緒にいられる。そう思うと、少し、胸が苦しくなった」
そして、先輩は嘘を吐かない。吐いたとしても二秒でばれる。小林先輩は色々な意味でお馬鹿な人だけど、まっすぐだ。俺とは違う。本当の気持ちをぶつけることなんか、中々出来ることじゃあない。
「お腹いっぱい。幸せなんだ」
「じゃあ、この弁当はいらないということですね」
「……馬鹿な。何を言うんだ。君は私を殺す気か」
「殺す気って……先輩には言われたくないですよ」
この人に会えてよかった。好きになってよかった。俺はこの人にありがとう、とか、美味しい、とか、そう言われるだけで満たされる。決して口には出して言うまいが、お腹いっぱいなのはこっちの方だ。お腹いっぱいということは、幸せだということだ。俺は先輩が望む限り、いつでも、いつまでも、この腕を振るい続けよう。そうして、俺もまた満たされるのだから。
俺は思う。
ああ、お腹いっぱいで、幸せなんだなあ、と。
……いや、違う。ああ、いや、違わなくはないんだけど、先輩と出会えて、一緒にいられるだけで幸せなんだ。きっと、どんなに美味いものを食べたって、彼女と一緒にいられることに比べればどうだっていいと感じるのだろう。問題なのは、何を食べるかじゃなくて、誰と食べるかってことなんだ。
だけど、思う。考える。
俺は今、この世界で一番幸せなやつなんだ。けれど、もしも、先輩と、小林棗という人と出会えなかったらどうなっていたのだろうかって。そんで、どんな人生を歩むことになるんだろうかって。……ああ、やっぱり嫌だ。考えたくない。
だから、こうしよう。俺じゃない俺がどこかの世界にいたとして、あるいは、違う星にいたとして、どんな風に、どんな人と出会い、どんな人生になるのか。ちょっとだけ気になってしまう。気になるが、まあ、考えたって仕方のないことでもある。それだけ。
ただ、なんとなくは分かる。俺は今までも、そしてこれからも色々な人とかかわり合って生きていく。やがてその人たちとは別れたりもするだろう。だけど絶対、先輩だけは離さない。たとえどんな病にかかったって、先輩となら乗り越えられる。そんでもって俺が料理を作って、先輩がいただきますって言って、幸せに生きるんだ。歳を食っても、自分たちの子供や孫が引くくらいいちゃついてやるんだ。で、ごちそうさま、なんて言われたりするんだろう。




