カカリアウセカイ(食欲堂々~グルメアラウンド~)
みんみんと蝉が五月蠅い。
さんさんと光が鬱陶しい。
……今日、一学期が終わった。クラスのやつらにはどこかへ遊びに行かないかと誘われたが、断った。とはいえ、別段やることはない。
「あっちーなあ、ここは」
俺は鞄を下ろし、手で庇を作り、太陽を見上げた。屋上からだと距離が近く感じられ、余計に暑いような気がしてくる。何もやることはないが、何かやらなくてはいけないってこともない。その場に座り込み、丸めた通知表を双眼鏡の代わりにして遊んだ。
そうしていると、扉の開く音がした。俺は通知表の穴から、誰かが来るのを認める。
「何をしているんですか?」
そう声を掛けてきたのは、三年生の原先輩であった。俺はそのまま答えた。
「こんな小さな穴から見える先輩も、変わらずに美しいですね」
「ありがとうございます」と、原先輩は表情を変えずに口にする。
俺は先輩が近くに寄るのを気にせず、青空に視線を遣った。暫く経ってから、先輩は思い出したかのように口を開いた。
「鍵。あなたが持っていたんですね」
ポケットの中にある屋上の鍵を確かめ、俺は頷く。小林先輩から受け取ったものだ。
「やっぱ、返した方がいいですかね」
「そうですねえ」
先輩はスカートの埃を払いながら立ち上がる。
「別に、その必要はないと思いますよ。先生方に見つかってしまうまで、ここを好きに使ってしまえばいいんですよ」
「生徒会長がそんなことを言っていいんですか?」
「石部金吉ってわけでもないですから。それに、石高君には借りがありましたからね」
そんなもの、とうに清算されていたような気がするが。まあ、お言葉に甘えておこう。
「原先輩。色々と、ありがとうございます」
「何のことでしょうか」
あ、とぼけてるな、この人。
「……さて、では、私は生徒会の雑務が残っていますから、ここで失礼します。石高君が良い夏休みを過ごせることを祈ってますね」
「先輩はどうして小林先輩のことを気にかけていたんですか?」
背を向け、立ち去ろうとしていた原先輩の足が止まる。
「クラスメートを心配するのがおかしいですか?」
「おかしくはないですけど、過保護っつーか、いき過ぎっつーか。そういう風に思っただけです」
先輩は振り向かず、向こうを見たままだ。小林先輩もそうだったけど、彼女にも謎が多い。答えは期待しないで、俺はもう一度空を見た。
「出る杭は打たれてしまうものです。自分の意志はどうあれ、人より目立てば味方も敵も増えるんですよ。……でも、味方って、敵とそんなに変わらないんですよね。いつひっくり返るか分からないですから」
「それって、もしかしなくても原先輩のことですか」
「敵も味方もいらないんですよ。ただ、普通に接してくれればよかった。普通であることを有り難がる人間だって世の中にはいる。それだけです」
それだけ言って、先輩は今度こそ行ってしまった。彼女が何を言おうとしていたのか、俺にはいまいち分からなかった。ただ、人付き合いって面倒くさいもので、俺は少しだけ、小林先輩の気持ちが分かったような気がした。
原先輩が去った後も、俺はしばらくの間屋上に留まっていた。が、流石に腹が減ってきたので帰ろうと思い立つ。丸めた通知表を鞄に突っ込んで立ち上がったところ、扉が開いた。誰か、教師が見回りにやってきたのだろうか。急いで隠れようとしたのだが、少しだけ遅かった。
「……ああ、ここだと思った。まだ、いると思った」
「あれ? 先輩?」
現れたのは制服姿の小林先輩だった。俺は安堵の息を漏らし、フェンスに背を預けた。金網が軋み、鉄の錆びた臭いが風に乗ってどこかへと運ばれる。
「やっと夏休みだ。長かった」
どの口で言うのか。先輩は授業に出ないで、殆どここでぼーっとしてただけだってのに。期末テストを乗り越えるのだって、原先輩に頭を下げていたに違いない。
「手続きは済んだんですか?」
「……うん、何とか」
小林先輩は体を伸ばして、気持ちよさそうに目を細める。
「やっと、自由になったような気がする」
自由を象徴するような空。この学校では誰よりもそこに近い位置に居ながら、先輩は息苦しさを感じていたのだろう。
小林先輩はやめた。
学校を辞めることを止めたのだ。ご両親に頭を下げ、先生方にも頭を下げ、あと一年だけチャンスをください、と。つまり留年続行である。その手続きをつい先ほど終えたらしい。……学校側には根回しというか、原先輩のフォローがなければ上手くはいかなかっただろう。しかしその事実を小林先輩は知らない。知る必要も、今のところはない。
「腹が減ったなあ」
学校からの帰り、坂道をゆっくりと下る。隣には小林先輩が。男女で下校。ギャルゲーなら当たり前だけれども現実では中々ないシチュエーションだ。しかし雰囲気というか、色気みたいなものはない。彼女はお腹を摩り、腹の虫を鳴らしている。
「何か食べて帰りますか?」
小林先輩はううんと唸った。俺の誘いに乗るかどうか考えているのではない。何を食べるか悩んでいるんだろう。
「カレー……焼肉……ラーメン……」
野獣のような眼光が先輩から発せられる。というか女子の買い食いでそんなんが挙がっちゃうの? もっとこうクレープとか、きゃっきゃうふふ出来るものがいい。
「ろく高くんは何か食べたいもの、ある?」
「うーん。女の子らしい、可愛らしいものを食べてる先輩が見たいです」
「……甘いものかな? じゃあ、とらとら屋のたい焼きにしよう」
先輩の歩くスピードが僅かに上がった。
「ニケツで行きます?」
「二人乗りは良くない。危ないからね」
小林先輩はバス通学だ。俺も、これからはそうしようかな。
たい焼き一個90円という高校生のお財布に優しいとらとら屋は駅前にある。俺は自転車に乗らず、ぎいこら動かし無料で開放されている駐輪場に停めた。
「……私も、これからは自転車で学校に行こうかな」
想像してみたが、なんか危なっかしいので止めておこう。
先輩と連れ立って歩き、目的地の店へとゆっくり歩く。会話が止まったので不思議に思っていると、彼女は足を止め、向かいのコンビニをじっと見つめていた。
「コンビニは凄いなあ」
「え? あ、いきなりどうしたんですか」
「一年中おでんや中華まんを売っている。頭がおかしいとしか思えない」
「でも、買う時は買うんでしょう?」
こくりと頷き、先輩は信号を渡ってコンビニへ向かおうとした。おい。
「ちょ、たい焼き食べるんでしょ!」
「……しかし、中華まんのコラボ色物は気になる。ほら、バッファローまんっておいしそうじゃないか」
よりによってそのキャラチョイス!
「牛肉、牛肉を食べる」
「アカンて!」
全くコンビニめ。無駄にオタに媚びるようなところとコラボしておまけなんかをつけまくりやがって。ありがとう。月末にはくじが待ち構えています。
たい焼きを齧りながら、近くにあったベンチに二人で座る。先輩は紙袋を覗き込み、中に詰まったたい焼きを確認して頬っぺたを緩ませた。
「冷めないうちに食べよう」
「火傷しないでくださいね」
晩ご飯が食べられなくなるというリスクを全く気にしていない先輩の食べっぷりを見つつ、俺はたい焼きの尻尾を齧った。
「……甘いものを食べていると、辛いものが欲しくなる。次はカレーにしようか」
「えっ、次とかあんの? 冗談きついっすよ、先輩」
「マスカレードなカレーでウキウキしたい」
先輩の頭の中ではドラムロールか和太鼓が鳴っているに違いない。すっかりたい焼きのトリコになっているみたいだが、やはり量が気になる。
「太っちゃうなーとか考えないんですか?」
「……ふふ、私は胃下垂だから太らない」
胃下垂さんのことを過信し過ぎだろ。
「しかし」と、先輩は唇についたあんこを舌で舐めながら、難しそうな顔を作った。
「……もしや、ろく高くんはスリムな子が好みなのか」
そんなことはないが、からかったら面白そうだと思い、俺は頷く。
「うーん。まあ、否定は出来ないっす。俺も男ですから。モデルみたいに細い子が好きではありますね」
嘘である。つーか、男の理想はアダルトなビデオの女優みたいな体系であり、モデルみたく細いのは、女の子の理想ではなかろうか。ちょっとくらいふっくらしてる方がいい。
「……じゃ、じゃあ」
顔を上げた先輩の目からは光が失われていた。
「だ、ダイエット、しよう、か、な……」
先輩は両手に持ったたい焼きを交互に見つめ、最後に俺の顔を見た。めちゃめちゃ悲しそうな眼をしている。やめて。冗談ですから。
「……全く。年上をからかうなんて酷いな」
「すみません。いやー、先輩はからかい甲斐があるなあ。っていうか、俺が何を言ったってダイエットなんてしないでしょ」
「ん? そんなことはない。私だって好きな人の為なら、死ぬほどの我慢は出来る」
たい焼きを平らげた先輩は誇らしげに言った。
「しかし、ろく高くんは好きな人に死んでしまうほどの我慢を強いる人ではないとも信じている」
「圧かけないでくださいよ。大丈夫です。先輩が二目と見られない百貫デブになっても好きでい続けますから」
美味しいと言ってくれて、本当に美味しそうに食べてくれるのだから俺としちゃあ嬉しくて仕方がない。
「その言葉を聞いて安心した」
先輩はベンチから立ち上がり、遠い目をした。たぶん、今までのことを思い出しているのだろう。
「……ソフトクリームの移動販売だ。追いかけよう」
あのさあ……いや、もういいか。明日から夏休みだけど、先輩は補習三昧の日々を過ごすことになる。俺は奇跡的に赤点を免れたので、学校に行く必要はない。が、たまには先輩を迎えに行ったり、お昼ご飯を差し入れしたりしよう。
「先輩、明日のお弁当には何を入れて欲しいですか?」
「そうだなあ。君の愛情さえあれば、他には何も。なんてな」
一回、空っぽの弁当箱を持って行ってみよう。面白いことになりそうな予感がする。
信号待ちしている間、先輩はソフトクリームを舐めながら、ラーメン屋の『冷やし中華始めました』の張り紙を凝視していた。俺は無意識の内に腹を摩っていることに気づく。夕食が待ち構えているというのに食べ過ぎた。めぐに怒られてしまう。
「先輩、そろそろ……」
「……ああ、そう言えば反対側の方に美味いラーメンの屋台があるんだ。夏だけど、もう少し遅くなれば冷える。食べ頃だと思う」
「いや、じゃなくてお開きにしましょうよ。もう結構な時間ですし」
「…………じゃあ、屋台の方に」
いや、絶対今俺の話聞いてたよなこの人。どうして無視するんだ? ……あ、そうか。
「もしかして先輩、家に帰りたくないんですか?」
肩を震わせた先輩は顔をひきつらせながら俺の方を向く。
「そ、そうなんだ。ろく高くんといるのが楽しくて楽しくてしようがないから」
「成績見せたり、進路の話するのが嫌なんでしょう」
先輩はそっぽを向いて出来もしない口笛を吹こうとした。全く、変なところで子供っぽいというか。そういうところが可愛いんだけどな(迫真)!
「俺が言うのもなんですが、もう結構色々な迷惑をかけているんですよね。今更じゃないですか」
「……君は他人事だからそういう風に言えるんだ」
「じゃあ、一緒に頭を下げましょう」
「私の家族にか?」
俺は頷いてみせる。先輩は難しい顔を作った。
「俺の家族になるかもしれないって人たちですから」
進路も成績も、俺だって人のことは言えない。先のことなんかまるで、何一つとして分かっちゃいない。でも、先輩と一緒に過ごしていきたいって気持ちはある。
「……そ、それは、もしかして。いや、やっぱりよそう。君は何も考えていない節があるからな」
なんつー言い方だよ。
「ただいまー」
ちょっと遅くなったが帰宅する。ところがおやおや、いつもならドアを開ければ顔を見せるか、声を掛けてくれていためぐさんのリアクションがない。寝てるのかな。そう思って何の気なしにリビングを覗くと、ソファでふんぞり返るめぐがいた。
「なんだ。いるんじゃん。返事くらいしてくれよ。寂しいから」
「勝手なものね。寂しいのが自分だけだと思っているんだから」
「……んだよ。寂しかったのか?」
めぐはぷいっと顔をそむけた。仕方のないやつだ。
「拗ねんなよー。お土産があるんだってー。甘いものだぞー」
「またプリン? お兄ちゃんは馬鹿ね。馬鹿の一つ覚えね。そんなもので私のご機嫌を取ろうだなんて」
「とらとら屋のたい焼きなんだけどな。じゃ、いいや。晩飯食ったら、俺が一人でいただくとするかな」
ソファから立ち上がったかと思えば、めぐはとたとたと俺の方に走り寄り、満面の笑みを浮かべた。
「お兄ちゃん、お帰りなさい!」
夏休みも一週間を過ぎた頃、先輩から連絡が来た。小林パイセンはあまりメールを、というよりも携帯電話の操作自体を苦手としているようで(本人は苦手ではなく好きではないと言っていたが)、俺としてはもう少しコミュニケーションを取りたいところである。それはさておき、先輩からメールが来たのだ。今晩、暇だったら一緒にご飯を食べよう、とのことである。断る理由はない。即座に行きますと返信し、時間が経つのを今か今かと待つことにした。首尾よく家にはめぐがいたので、とりあえず格ゲーで時間を潰すことにしよう。
「なあ、めぐ。俺さ、こないだたい焼き買ってきてあげたじゃん」
「ええ、そうね。美味しかったわ」
「感謝してる?」
「勿論よ」
「だったらさあ……」
画面の中で、俺の分身であるキャラクターがボッコボコにされていた。久しぶりに3Dの格ゲーやったらこれだよ! すぐそれ! もう!
「もうちょっと俺を気持ちよくさせてくれないと」
「だってお兄ちゃんガード甘くてバシバシ攻撃が通るんだもの。あ、今の中段だから気をつけてね」
「やってから言うなよ!」
俺の持ちキャラのウサギに変身する女の子が、めぐの操るなんか気持ち悪い出来損ないの仮面ラ●ダーの怪人みたいなやつにひたすらしばき回されている。うううううううううゆ゛る゛さ゛ん゛!!
「うおおおおお! カワバンガー!」
「ちょっと、うるさいわよ」
「ヒャッホー勝ったー! 二ラウンド目取ったー!」
「……い、いいのよ。私は二ラウンド目は遊ぶから」
とか言いつつ、めぐの手は震えている。俺のオーラ力に恐れをなしてしまったようだ。ふはは。もういい、許そう。俺はめぐのキャラを殺さない。その怨念を殺す! したらあっという間に中下段の二択を迫られて一回たりとも読み勝てずにぶちのめされた。俺は優柔不断なラノベの主人公か。
「う、うそだこんなこと」
「画面は嘘を吐かないわ、お兄ちゃん」
ちくしょう、世界で一番強くなりたい!
めぐと互角で拮抗な勝負を繰り広げた後、俺は先輩との待ち合わせ場所へ向かうことにした。時間的にはまだ早いが、その前に寄りたい場所があった。
「……おはようございます」
「あら、おはようございます。石高さん、今日はどうされたのですか」
榊原書店の主であり、俺の雇用主であるユキさんには言いたいことがあった。
「つまらないものですが、まずはこいつをお納めください」
俺は紙袋を差し出す。バイト代で得た給料を使い、百貨店まで出向いて(母親同伴)買ったものだ。お世話になったと言うことで、お歳暮のようなものだと受け取ってもらえれば幸いである。が、ユキさんは受け取るような素振りを見せなかった。
「お気持ちは嬉しく、有り難くもあるのですが、はて、私には石高さんからこういったものを受け取る理由が見当たらないのです」
たぶんこの人は気づいているのだろうが、何故かとぼけている。自分で説明するのは憚られるのだが、仕方ない。
「お膳立て、してくれたじゃないですか。あの時ユキさんが助けてくれなかったら、俺は小林先輩とは、もう二度と会えなくなってたんです」
「私は別段何もしていませんよ。棗ちゃんと出会えたのは天運というものでしょう。あるいは、石高さんの日ごろの行いが良かったから、でしょうね」
「そんなことないです」
「神様の思し召しかもしれませんよ」
そう言われてもなあ、なんて。俺は困った顔をしていたのだろう。ユキさんは薄く微笑み、紙袋に手を伸ばしてくれた。
「少し、意地悪を言い過ぎてしまいました。石高さんを困らせるつもりはなかったのです。……ありがとうございます。では、お気持ちを頂戴しますね」
俺の気持ちとやらを受け取ったユキさんだが、不思議そうに小首を傾げる。
「なんだか、思っていたよりも重たい……?」
「あ、調味料の詰め合わせなんです」
そう言うと、ユキさんはふふふと笑った。
今日は平日だが、学生は夏休みである。陽は落ちかけているが人通りは少なくない。待ち合わせの五分前、俺は駅前に到着した。地元の駅前にはハチ公のパクリみたいな不細工な犬の彫像がある。不細工な上にでかいので、この辺じゃあ待ち合わせるのに重宝されているのだった。
俺はベンチに座ろうと思ったが、ふと、自分の恰好というか、服装が気になった。ご飯を一緒に食べる。……いわばデートだ。小林先輩とは学校帰りに買い食いしたりしてたけど、こういうのは初めてだった。なもんで、出来る限りだけど気を遣ったのである。
「お。おお、ろく高くん、早いな。まだ五分前だよ」と、先輩がにこやかに手を上げた。俺は返事をしようと口を開きかけたが、彼女の恰好がいつもと同じクッソラフなものだったので、ちょっとショックを受けてしまった。どこのチームなのかさっぱり分からない野球チームのロゴが入ったキャップに、ジャージ。そして既にアメリカンドッグを両手に持っていた。
「……ん? どうして溜め息を吐いているんだ? 幸せが逃げてしまうぞ」
「いや、まあ……もう、別に大丈夫です」
「ほうは」
先輩はアメリケンドッグをもぐもぐしながら頷いた。幸せそうなのでよしとしよう。たぶん、俺から逃げても先輩のところに行くんだろうし。
「ところで、俺は誘われるまま来ましたけど、どこで晩飯食べるんですか」
「いいところがある」
「お酒を出すようなお店はやめてくださいね。俺、未成年ですし」
「……え、駄目なのか?」
何を言っているんだ、この人は。駄目に決まってるだろう。
「弱ったな。予定が狂ってしまった」
「申し訳ないです」
「これじゃあ十軒も回れそうにない」
よかった。助かった。俺の腹が悲鳴を上げることはなさそうだ。
「……とりあえず、一軒目に行くとしようか」
とりあえず? 一軒目? 俺は訳の分からない言葉の意味を尋ねようとしたが、聞いてしまえばそこまでのような気もして、ただただ先輩の後をついていくしか出来なかった。
「……ここだ」
先輩はとあるお店の前で立ち止まった。俺は頭を抱えたくなった。
「ん。どうしたろく高くん。ああ、そうか。そういうことか。心配はいらない。確かにここはチェーン店だ。有名店だ。舌の肥えた君にとって、画一化された味というのはつまらないと感じるかもしれない。しかし、味こそ平均化しているとはいっても他店のそれと比べて劣化しているということはない。むしろ万人に受け入れられる、そうだな、安心して食べられる味だ。そしてチェーン店でも味には差異がある。僅かな違いを楽しむと言うのも一興で」
「違う、違う。そうじゃない。そうじゃないんですよ」
チェーンとかそんなんどうでも良過ぎる。問題は違うところにある。
「俺は今日、楽しみにしていました。なんだかんだでデートっぽいことは初めてだと思ったからです。でもっ」
俺は店の看板を指差した。
「どうして牛丼なんですか!?」
「……そうか。牛は嫌いか」
「そういうことでもなく、もっと、こう、雰囲気? そういうのがあるところを期待していたと言いますか、あまりにも夢がないと言うか。末期のカップルじゃないんですから」
「雰囲気……よし、ならあそこにしよう。ついてきてくれ」
分かってもらえたらしい。ふう、一時はどうなるかと思ったぜ。
何故だか、先輩は路地裏へと入っていった。路地から路地へ、裏から裏へ。ずんずんと奥まったところへ向かっていく。……ちょいちょいちょい。アレか。雰囲気とか言っちゃったから、そういうお店に行っちゃうのかな? いやいやいや、ちょっとブラックっつーかピンクが過ぎやしませんかね先輩。
「ついた」
「へ?」
にやにやとしながら歩いていると、前にいた先輩がボロっちい建物の前で立ち止まった。なんすか。休憩すか。
「いや、ついたって、店なんか何もないじゃないですか」
先輩の前にあるのは、建築業者が悪ふざけで作ったような建物である。築何年なのか判別のしようもなく、人間が住んでいるとは思えない。携帯電話が薄くなりまくり、声優が顔出ししまくるようになった現代においてあり得ないような場所だった。
「いや、ここが店なんだ」
「……は?」
「……すごく、雰囲気はあると思うが。いや、うん。ろく高くんが不安に思う気持ちは分かる。でもさあ、君が言い出したんだから覚悟を決めた方がいいと思うなあ。私の腹はもう限界だし」
「こういう雰囲気じゃないですって! 確かに味に自信ありますみたいなオーラは出てますけどね!」
どこまでズレてりゃ気が済むんだこの人は。
「……じゃあ、次の店に行こう」
あ、先輩がムスッとしてる。しかし、妥協はよくない。
その後、先輩は色んな店へ案内してくれたが、まあ、お察しの通りという有り様だった。彼女は次第に無口になり、femaleに幻想を抱いていた俺も苛々し始め、隣に並ぶことすらしなくなった。
「……ちっ」
「あっ、今、舌打ちしなかったか?」
「気のせいですよ」
腹が減った。もう何でもいい。この空腹から、この時間から早く解放されたい。そう言えば何かの本で読んだことがある。相性というのはとても大事なのだと。特に、男女間での食事はやばいらしい。先輩は食べ物に関してかなりうるさいから、もし、仮に、俺と先輩が結婚したならば、想像するだけで面倒くさい。
「……ろく高くん」
「ああ、はい。なんすか」
「言いたいことがあるんなら言えばいい。溜め込む必要はない」
別にないっすよ。そう言うつもりだった。しかし、なんつーか、先輩の物言いが妙に腹立たしく感じられてしまった。
「思ってたより、年上ってのも大したことないんだなって。もっと気ぃ遣ってくれんのかと思ってましたよ」
「……そうか」
先輩は目を瞑っている。冷静だ。と、そう思うのは素人だ。彼女の拳は思いっきり握られてぶるぶると震えている。怒りを堪えているのだろう。そういや、先輩がマジで怒るのは初めてかもしれない。彼女は俺をねめつけ、それから、自分がどこに立っているのかに気づき、腹を摩った。
「ろく高くん」
「はい」
「もう限界だ。うんざりだ。ここにしよう。文句は……言ってもいいけど、とりあえず、食べてからにして欲しい」
何の変哲もない、どこにでもあるチェーンのファミリーレストランだ。アホくさい看板が何だか有り難く思えてしまい、俺は笑ってしまった。
「次は俺が店を探しますからね」
「……エスコートしてくれるのか。ありがたい」
言って、先輩は俺の頬に手を遣った。
「あんまり、私はこういうことが得意じゃないと言うか、苦手なんだ。今日はごめんな」
知っている。だけど、俺は先輩みたいには謝れない。恥ずかしかったんだ。その辺、彼女はやっぱり大人というか、なんというか。
「先輩」
「ん?」
「涎が垂れそうですよ」
「……嘘を言うなっ」




