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カカリアウセカイ(弁当証明~ダーク・クライ・ライト~)

「あ、ろく高くん」

「こんにちは、先輩」

 昼休みに屋上へ顔を出すのも慣れてきた。今の俺にとってはライフワークのようなものである。小林先輩も俺に対して警戒することがなくなっているようだった。

「……い、いい天気だね」

 白々しい。さっきからずっと、先輩は俺が持ってきた包みに視線を遣っている。まあ、これこそが最終兵器なんだ。効果覿面っぽくて何よりである。

「先輩。今日は色々と話を聞いてもいいですか?」

「……原に頼まれたのなら、断る」

「原先輩に頼まれたのは、小林先輩を授業に参加させることだけです。興味ですよ。俺は、先輩のことをもっと知りたいだけなんです」

 それはきっと、RPGでいうところのコレクター図鑑を埋めるようなものだ。断じて恋などというものではない。俺のタイプは花も恥じらい自死するようなくらい美しい原先輩なのだから。

「どうやって屋上に出入りしてるのかなって。鍵とかあるんですか?」

「……うん。下屋先生からもらった」

 したや? はて、そんな先生いたっけ?

「もう別の学校に行ったけど。内緒だよって、これをもらった」

 小林先輩は制服のボタンを外して胸元に手を突っ込む。俺は咄嗟に手で目を隠したふりをして、そこを凝視した。すると、紐のついた鍵が出てきた。なるほど、それが屋上の鍵なのか。

「鍵、そういう風につけてるんですね」

「……私、なぜかものをなくすことが多くて。こうしているとなくさない」

 転んだ拍子に落としたりしてるんだろうなあ。ポケットに小銭突っ込んで、背中をドンと押してやりたい衝動に駆られてしまう。

「じゃ、なぜ授業に出ないんですか?」

「……ろく高くんには関係ない」

「もしかしていじめられてます? 分かりました。誰にやられてるのか言ってください。原先輩にチクってなんとかしてもらいます」

「違う。あと、原に借りは作りたくない」

 そこは教えてくれないのか。だったら、違うことを聞いてみよう。

「好きな食べ物はなんですか?」

 我ながら、小学生でも引くくらいのクソのような質問である。

「食べられるなら、なんでも好き」

「プラスチックとか?」

「いや、アレは無理だった」

 試したのかよ。

「……子供の頃の話だよ。何でも口に入れてしまう。悪い癖だ」

「本当にね」

 小林先輩のことが分かったようでまるで分からない。とりあえず、ピンクでまん丸の物体並によく食べるということは分かった。というわけで、食べ物で釣ったらなんとかなるだろうと、改めて判断する。俺は包みを解き、蓋を開け、色とりどりのおかずを先輩に見せつけた。

「……お、おお。お弁当だ。しかも手作り?」

「俺の妹が作ってくれました。友達に食べさせたいと言ったところ、腕によりをかけたからオッケーよ、とのことです」

「いただきます」

 先輩はどこからか割り箸を取り出し、それを綺麗に割った。反応早い。しかし、そうはいかん。

「おっと、待ってください。これを食べたいのなら条件があります」

「……卑怯だ」

 弁当を前にして、待て。犬でも我慢出来る状況だが、先輩は目の端に涙を浮かべている。箸をかちかちと開閉させ、息は荒くなっていた。

「授業に出てくれるのなら、このベントゥーは差し上げます」

「出なかったら?」

「米粒一つだってあげません。さあ、どうしますか?」

「……ぐ、う、うううう」

 先輩は頭を抱えてしまう。ああ、やっぱり効果覿面だった。ちょっと可哀想な気もするけど、俺たちの幸せの為にも頑張ってもらいたい。

「じゅ、授業に出れば、べ、弁当は食べてもいいんだな?」

「まあさすがにこの先ずっとってのはアレなんで。とりあえず今日、午後からの分だけでも受けてもらえれば」

「……二時限分教室にいればお弁当が。でも、うう、うううう」

 言いつつ、先輩は既に卵焼きを箸で掴んでいる。プライドがないと言うか、流されやすいと言うか、自分に弱い人だった。

「ちなみに、授業に出てもらえるんなら今日はお菓子も用意しています。ポキポキ食えるチョコレートですよー」

「いただきます」

「召し上がれ」

 瞬く間に、弁当箱が綺麗になっていく。先輩の箸捌きは素早かった。ぱくぱくと、本当に美味しそうに食べるんだなあ。ああ、そうだ。今度は俺も何か作って持ってこようかな。こういう風に食べてもらえるんなら、作る方も嬉しいってもんだ。



 お弁当を平らげた先輩は両手を合わせ、頭を下げた。

「……ごちそうさま。とても美味しかった。ろく高くんの妹さんに、よろしくお伝えください」

「了解っす。じゃ、約束は果たしてくれるんですよね?」

 先輩はお菓子をポキポキ食べながら頷く。よし。これで面目躍如ってやつだ。原先輩もさぞやお喜びになるだろう。そうなったらアレだな。結婚だな。式はいつに挙げよう。

「……では、私はこれで」

「あ、待ってください。先輩が教室に入るところを見届けます」

「え?」

 しまったと言う顔をした先輩が振り向く。ん?

「まさか、このまま逃げようと思ってたんじゃないでしょうね」

「……そんなことはしない」

 だが、先輩は決して俺と目を合わせようとしない。そういや、前も逃げようとしてたしな。第一、常日頃からサボっているような人である。信用は出来ない。予鈴も鳴っているし、ちょうどいいや。

「だったら行きましょうか、先輩」

「あわわ」

 明らかに狼狽えているが、先輩は結局、自分の教室へ戻ることを決めたらしい。屋上を出て、三年の教室が連なる廊下をずんずんと進んでいく。俺はと言えば、少し緊張していた。廊下にいる他の上級生の目が、ちょっとばかり気になってしまう。

「あ、小林さんだ」

「ホントだ。久しぶりに見たなー」

 どうやら、サボりの常連はそこそこに有名らしい。当の本人はあんまり気にしていないのか、ずんずんと教室に入っていった。その瞬間、中が騒がしくなる。俺は、開いていたドアの隙間からその様子を観察することにした。

 小林先輩は自分の椅子に座ったと、そう思っているらしいが、彼女がサボりにサボっていた間に席替えが行われていたらしい。先輩はどこに座ればいいのか分からず立ち尽くしている。が、それもつかの間だ。気を利かした女生徒が彼女を案内し、強引に座らせる。って、おい。教科書と筆記用具はどうした。……まあ、授業に出さえしてくれれば問題なしだ。

「あら、石高君? どうしたんですか?」

 振り返ると、次の授業で使うであろう教材を持った原先輩が、こっちを覗き込むようにして見ていた。

「やりましたよ、先輩。教室の中を見てください」

「少し騒がしいみたいですけれど……あ、ああっ」

 原先輩は持っていた教材を落としてしまう。どんだけの衝撃やねん。小林先輩って、いったい、いつからサボっていたんだろう。卒業とか大丈夫なんだろうか。

「小林さん、遂に私のことを分かってくれたんですね!」

 だっと駆け寄る原先輩。小林先輩は脱兎のごとく逃げた。彼女の接近に気が付くやいなや椅子から立ち上がり、教壇の上に立ち、来るなと威嚇し始める。クラスメートや廊下にいた生徒たちは、すわ何事かと渦中の二人に視線を遣った。

「なぜ、逃げるんですか?」

「……お前が来るからだ。言ったろう。私に近づくなと」

「ですが近づかなければ話が出来ません」

「お前は、距離が近い。そんなに寄らなくても話は出来る。私はしたくないけど」

「酷いっ、あんまりです!」

 ……どんだけ嫌われてるんだ、原先輩。前世からの因縁か何かか? あの原先輩をこんなに嫌ってるのは、この学校でも小林先輩くらいのものだろう。俺たちは近づきたくても近づけないってのに。贅沢な人である。

 俺もそろそろ教室に戻ろう。今は、あの二人のどちらも冷静ではない。放課後か、また明日にでも、話を聞けばいいだろう。



 放課後、優人は生徒会へ。樋山くんはパソコン部へ行ってしまった。原先輩からご褒美をもらいたかったが、特に音沙汰もない。仕方ないので、俺は久しぶりにアルバイトへ行くことにした。

 榊原書店。商店街の奥まったところにある、潰れかけの本屋だ。バイトとはいえ、たまーに掃除をしたり、店番と言う名の読書で時間を潰せばいいだけの簡単なお仕事である。しかも、店長は美人さんだった。……おや? 俺の周りには美人しかいないような気がしてきたぞ(フェードアウトしていく樋山くんの顔)。

「そんなわけで、今日はよろしくお願いします」

「よろしくお願いします。……お久しぶりですね、石高さん」

 うちの店長であるユキさんは、初めて見た時は幽霊かと思うくらいに存在感がなく、ぼーっとした人だった。まあ今もぼーっとはしているのだが。

 ここでのアルバイトは、行きたくなったら行き、帰りたくなったら帰るという、待遇がいいのかバイトなんかどうでもいいのか分からなさ過ぎる謎仕様である。給料はその日のうちに渡される。ユキさん曰く『うちはいつお店を畳むか分からないので』とのことだ。まとまったお金は手に入らないが、お小遣い稼ぎにはちょうどいい。しかも、基本的に客は来ないから、カウンターのところで椅子に座って、彼女と一緒に本を読んでると知らない間に時間が経って終わっているというありさまだ。……いいのかな?

「石高さん、甘いものはお好きですか?」

「はい。プラスチック以外の食べられるものなら、何でも好きですよ」

「まあ、プラスチックですか」

 ユキさんは、ちょくちょく俺を甘やかそうとする。何かにつけてはお菓子をくれたり、世話を焼こうとする。そして俺は彼女には抗えない。というか抵抗する意味なんかなかった。

「実は、小林堂の羊羹を頂いたのです。すぐにお持ちしますね」

「あ、そんな、お気遣いなく」

 小林堂と言えば、この辺でも有名な和菓子屋さんである。うちの両親は、あそこは老舗だから高くて美味だのと言っていたっけ。高い=美味いってのも微妙な話だとは思うけどな。それにしたって、バイト風情に出すようなものではない。

「遠慮なさらず。腐らせてしまうのも忍びない話です。一人で頂いても美味しいものは、二人だと尚美味しいと感じられますから」

 そこまで言われては食べざるを得ない。というか遠慮してるのはポーズで、本当は俺だって羊羹食べたい!

「ありがとうございます。それじゃあ遠慮なく、いただきます」



 そう言えばと、ユキさんは食後のお茶を啜った。上品な所作である。俺の周りにはいないタイプだ。

「どうしました?」

「小林堂の一人娘さんのことを思い出したのです」

「へえ、お知り合いなんですか」

「贔屓になっているのです。小林さんはうちの常連でもありますから」

 意外だ。そんな繋がりがあったとは。……そういや、榊原書店もかなり前からある店だしな。

「あそこの娘さんってことは、お金持ちで、さぞや上品な方なんでしょうね」

 深窓の令嬢とはいくまいが、老舗和菓子屋の娘という肩書きは、この国じゃあトップクラスのものではなかろうか。が、しかし、ユキさんは複雑そうな顔を浮かべ、眉根を寄せる。

「よそ様のことを悪しざまに言うつもりはありませんが、上品とは、違うと思うのです。悪い子ではないのも確かですが……」

「まあ、色々ありますよね。そう言えば、俺にも小林って知り合いがいるんですよ。一個上の先輩なんですけど」

「そうでしたか。よろしければ、どんな方かお話を伺っても」

「もちろんです。そうですねえ」

 俺は小林先輩のことを思い出す。なぜか、口の中の羊羹が苦く感じられた。

「よく食べる人ですね。あと、よく転んだりして怪我もしてます。なんつーか、不思議な人です」

「…………他人のような気がしないと言いますか、私の知る、小林堂の娘さんと似ていますね」

 まさか。いや、でも、だが、しかし。

「ただ、石高さんの一つ上と言うことは別人だと思いますね。確か、もう成人しているはずですから」

「ああ、だったら――――ッ!?」

 だったら……だったら、まさか。



 家に帰り、冷蔵庫の中身が乏しかったので、めぐと一緒にスーパーへ買い物しに行った。ふと思い立ったので、食材を多めに買って、明日の弁当を作ることにした。俺とめぐと小林先輩の三人分である。

 夕食後、俺が台所で朝の仕込みをしていると、めぐがヒバゴンでも見るかのような目つきで俺に顔を向けていた。

「なんだよ。どうしたんだ。お腹でも空いたのか?」

「いえ、お兄ちゃんが……その、明日、お弁当を作るの?」

「まあな。前に言ってた友達に」

 ふーん、と、めぐはつまらなさそうに呟き、ぼそりと言った。

「女の人ね」

 ぎくりとしてしまう。何で分かったんだ。

「だって、お兄ちゃんがわざわざ優人くんや樋山さんに作るはずないもの。それに、お兄ちゃんには他に友達がいなさそうだから」

「だ、だから女だと?」

「男の子が何かしようって時は、大抵女の人が絡んでいるんじゃないの?」

 一応確認しておこう。めぐは小学生である。俺の妹は、本当はループでもしてんじゃないのか。



 翌朝、俺はいつもより少しだけ早起きしてお弁当を作り始めた。途中、めぐがやってきて手伝いをしてくれた。味付けが薄いだの、辛いだの、姑みたいなことを言い始めたので、鬱陶しいことこの上なかったが、彼女なりに気を遣ってくれたのかもしれない。家族以外の人に、自分の作ったものを食べてもらうのは初めての体験である。初体験である。

「それじゃ、行ってくる」

「はい、いってらっしゃい。よく分からないけれど、頑張ってねって言っておくわ」

 そりゃどうも。心強い。



「なんかさ、今日お前すんげえそわそわしてねえか? 絶対無理だし無駄だって分かってんのにバレンタインで教室に居残る中学生みたいだぞ」

「やめろよトラウマ抉んなよ」

 優人に古傷を暴かれてしまった。

「石高ー、お前さ、今日も食堂行かねえの?」

「まあな。お前らは学食のおばちゃんが作ったうどんでも啜ってろよ」

「おばちゃんに謝れよ!」

 申し訳ない。

「そんなことより、樋山くんか優人さ、お菓子とか持ってないか?」

「持っててもやるわけねえだろ」

「あ、ごめん。ちくわしかねえわ」

 小林先輩は弁当だけじゃ物足りなさそうだけど、まあ、仕方ない。今朝は結構頑張った。新しいメニューにも挑戦して、失敗してしまったけど、それは俺が食べるから問題なし。ただ、美味いって言ってくれるといいなあ。



 屋上に行くと先輩の姿はなかった。だが、鍵は開いている。購買かトイレにでも行っているのだろう。とりあえず、適当に待たせてもらおうか。

 今期で一番気に入っているアニソンを口ずさみながら弁当の包みを広げる。すると、視線を感じた。ばっと顔を上げると、給水塔の向こうに人影が見えた。

「何やってんですか、先輩」

 小林先輩はじっとこっちを見つめている。警戒されているみたいだ。

「……ろく高くん、一人か?」

「ええ、まあ」

「それならいい」

 ああ、俺を、と言うより原先輩を警戒しているのか。昨日、いったい何があったんだろう。

「先輩、お昼はもう食べましたか?」

「うん。ついさっきパンを幾つか。あと、おにぎりと、それから」

 どんだけ食うんだ、この人。胃袋が宇宙で出来てんのかな。

「お弁当を持ってきたんです。よかったらどうぞ」

 先輩はさっきから弁当に視線を遣っているのが分かった。彼女はごくりと唾を呑む。

「……妹さんには申し訳ないな」

「ああ、いや、今日は俺が作ったんです」

「何? 君が?」

 すごいなと、先輩は、子供のように目を輝かせていた。それから、少しだけ哀しそうに目を伏せてしまう。

「……本当に、すごいと思う。私みたいなのが食べてもいいのか?」

「今日は条件とかもなしです。あ、感想を聞かせてもらえると嬉しいですね」

「ろく高くんに後光が差しているように思える」

 先輩はどこからか取り出した割り箸を構え、弁当箱を掴む。が、そっちは失敗作の方だ。

「あ、ちょ、ちょっと、そっちは駄目です」

 しかし、先輩は既にもぐもぐと口を動かしている。相変わらず早い。つーか迷いがないんだな。鈍いくせに判断は素早い。

「……うまいうまい」

 幸せそうにアスパラのベーコン巻や出し巻き卵を頬張っている。が、それ、俺の中では失敗作なんだけど。どうしよう。

「あ、あの、焦げてるし、そっちは味が濃過ぎると思うんですが」

「……ん? や、美味しいよ。ろく高くんはすごいなあ。料理の出来る男の人はモテると言うし」

 おかしいな。もしかして自分でも気づかない内に熟成、的なものがなされていたのだろうか。朝に食ってみた時は馬鹿ほど味が濃かったんだけど。

「一ついただきますね」

 食ってみる。噛んでみる。味わってみる。あ、アカンわ、これ。

「からっ! ちょ、すんません。これはどう考えても……」

「……美味しいのに」

「辛くないっすか?」

 先輩は首を横に振る。マジで平気そうな顔をしていた。

「こっちのもどうぞ」

「いいの?」

 と言いつつ、先輩は既にアスパラを掴んでいる。そっちは、自分的にはうまくいった方だ。

「うまいうまい」

 ……さっきと感想も表情も変わらない。なんだか複雑な気分である。うまいと言ってくれるのは嬉しいのだが、うーん。

「どっちが、その、おいしかったですか?」

「どっちも」

 あ、分かった。たぶん、この人は舌も馬鹿なんだ。



 弁当二人分を殆ど胃の中に収めてしまった小林先輩だが、全く平気な感じだった。彼女は細身なので、食べた分はどこか別の次元に飛ばされているのだろう。そうとしか考えられないスタイルだ。クラスメートの女子あたりが聞いたらブチ切れ金剛くんである。

 さてさて、原先輩とのマリッジルートは確定したし、昨日ユキさんから聞いたことを確かめておこう。気になって朝も起きれんからな。

「先輩って、榊原書店を知ってますか?」

「……ああ、あそこにはお世話に……なぜ、君が知ってるんだ?」

 俺から距離を取ろうとしたのだろう。立ち上がった先輩はフェンスに頭をぶつけた。

「なぜも何も、俺はそこでバイトしてるんです。小林堂という和菓子屋さんはうちの常連らしいですね。あ、そういえば先輩と名前が同じだなあ」

「……そ、そうか。たぶんというか、間違いなく人違いに違いない。うん」

「一人娘さんがいるらしいんですけど、よく食べて、よく転ぶ人らしいですね。まるで、小林先輩みたいな」

「失敬だな。私は確かに人より少しは食べるかもしれないが、転びはしない」

 嘘吐け。ついこないだも階段からスッ転んでたじゃないか。……しかし、どうして隠そうとするんだろうか。

「まあ、先輩がそう言うなら」

 その時、俺の腹が鳴ってしまう。先輩に半分以上食べられてしまったから、エンプティ寸前だったのだ。

「……ああ、ごめん。私が食べ過ぎたから。代わりにこれを」

 先輩が差し出したのは包装されたお饅頭だった。和菓子を手から生みだしたように思えて、とあるギャルゲーを思い浮かべてしまった。

「ありがとうございま……ん?」

 つーか。つーかさあ、饅頭の包装紙にしっかりと『小林堂』という店名が入っているんだけど。マジでやってんのかなー、この人。

「小林堂って思いっきり書いてるんですけど、それは」

「ん? あっ。違う。これはやっぱりだめだ」

「やっぱりそうなんでしょう! 隠さなくたっていいじゃないですか。いいなあ。和菓子屋の一人娘。素晴らしい肩書きですよ」

 しかし、先輩は酷く落ち込んだ様子で三角座りをし始めた。良くも悪くも分かりやすい人である。

「……別に。そんなに、いいものじゃない」

「和菓子食べ放題なんじゃ?」

「それはある」あるのかよ。

「でも、それ以上に、親がうるさい」

 ああ、と、納得してしまった。そうか。いずれ、先輩はお店を継がなくちゃいけないのか。あるいは、誰かと結婚してその人に店を継いでもらうとか。どっちにしろ、彼女の進路は決まっている。悩みも、思うところもあるのだろう。俺みたいなやつはレールが敷かれてる方が有り難いけど。

「私は店なんか継ぎたくないんだ」

「何か、夢があるんですか?」

「いや、ない」

 言い切ったなー。すっぱり切って捨てたなー。

「だけど、和菓子職人になると大変だ。仕込みなんかでずっと店にいるから、他のものが食べられなくなる。私は最近、駅前のケーキ屋さんがお気に入りなんだ。和菓子だけでこの先を生きていくことになると、想像しただけで頭がおかしくなる」

「別に、その、他の食べ物だって好きにしたらいいじゃないですか」

「だめなんだ!」

 先輩が立ち上がる。彼女の膝がぱきんと乾いた音を立てた。

「父さんも母さんも許してくれない。洋菓子を食べたら味覚が狂うなんて言うんだ。考えられない」

「それはちょっと言い過ぎかもしれませんね」

「何せ、私の舌はとうに馬鹿になっているからな」

「おい」

 信じらんねえ。自分で言いやがったぞ。昨日からの仕込み時間を返して欲しい。なんだよ。なんなんだよもう。何を食べたってうまいって言うんじゃないか。

「だけど、うまいものはうまいんだ。私は食べるのが好きだけど、そしてたぶん舌も、職人とは程遠いくらいに雑だけど、でも、だからこそ分かる」

「何をですか」

「愛情だよ」

 愛……なんだって?

 先輩は得意げな顔で、空になった弁当箱を指差した。

「料理を作ってくれている人の気持ちだ。君の作ってくれたものは、食べる人を喜ばせたいって気持ちがこもっていたように思う。だからうまかった。ありがとう、ろく高くん」

 あ。

 なんか、なんて言えばいいんだろう。頭の中がぐあーってなって、掻き回されるような気分だ。たぶん俺は今、嬉しくて、恥ずかしくて、小林先輩のことを、ちょっと好きになりかけてるんだと思う。でもドヤ顔はやめてくれないかなあ。

「料理には愛情がこもっている方がいい。味付けは濃い方がいい。ふふ、至言だ」

 一つ分かったことがある。先輩はやっぱり小林堂の娘さんだったのだ。つまり。

「あの、先輩」

「……何? ああ、明日もお弁当を作ってくれると言うのなら」

「先輩っていくつですか?」

 血の気が引くとはこのことか。先輩の顔は蒼褪めて、フェンス越しの青空と同化しかけていた。



 先輩は戦艦の名前みたいな無口キャラよろしく、一切話さず、目を合わさず、表情を変えなかった。答えてはくれなかったが、その反応でだいたい分かってしまう。

「まさか。まさか先輩が、卒業式より先に成人式を迎えていた逸材だったとは」

「い、言うな。言わないでくれ」

 QEDだ。駅前で堂々と酒を飲んでいたのは、そういうことだったのか。

「つまり、何回も留年して教室にいるのが恥ずかしいからサボりまくってたんですね」

「……ろく高くんは酷いやつだ」

 もっと複雑な理由があるのかと思ってたが、実際はそんなもんだよな。

「親からは何も言われないんですか?」

「いや、せめて高校くらいは出た方がいいって。……って、先生みたいな聞き方はやめて欲しい」

「これで謎は全て解けましたし、じっちゃんの名はいつも一つってやつです」

 小林棗。三年生(何度目だ)。和菓子屋『小林堂』の一人娘。成人。大食い。酒飲み。ドジっ子。サボり。癖毛。馬鹿舌。

「属性過多っつーか、無駄ですよね」

「……何のことか分からないけど、馬鹿にされているような気がする」

 そして案外、鋭い人である。

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