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カカリアウセカイ(模範屋上~パラダイス~)

 翌日、水曜日。

 昼休みが待ち遠しいのはいつものことだが、今日はいつにもまして待ち遠しかった。何せ、原先輩とお近づきになれるチャンスである。件の小林という三年生を授業に出るように仕向ければ、結婚ルート間違いなしだ。ひゃっほい完璧。

 既に俺は朝、昼食用のパンをコンビニで買っている。飲み物もめぐから持たされた水筒の麦茶で事足りる。完璧だ。フゥーハハハハ!

「おーい禄助ー、食堂行こうぜー」

「ゲームの話しようぜー」

 おやおや、クズどもが何か囀っておりますなー。

「いや、行かねえ。俺はお前らと飯を食う暇なんか、ない」

「……あ? どういう意味だよ?」

 優人が前に出る。しかし威圧感の欠片もなかった。条件反射で眼鏡を割りそうになったくらいだ。

「いや、そういや石高は昨日、原先輩と何か話してた。こいつ、この野郎! 何かあるっ、このクズは何か掴んでやがる!」

 樋山くんは察しがいい。俺が何をしようとしてるのか教えるつもりはないけど。手柄は俺一人のものだ。

「原先輩と仲良くなろうとしてるんだ、こいつは!」

「何っ、させるか! その権利、殺してでも奪い取る!」

 やってみろモヤシが。俺は突進してきた優人の足をひっかけ、転ばせる。そんでもってこいつの背中にケツを下ろし、樋山くんをねめつけた。

「お、お前なあ、なんつー目で友達を見るんだよ。悪魔よりも悪魔みたいな探偵かよ」

「すまん。今はまだ何も言えない。だが、俺には使命がある。邪魔をしないでくれ。使命を果たす為なら、俺は親友だって手にかけることが出来る。こういう風にな」

 俺は優人の眼鏡を奪い、レンズにべたべたと指紋をつけていく。

「ぐっ、ぐあああ! よせ、やめろ! 脂をつけるなァーッ! お願いだ、やめてくれえ! 何でもするから!」

「ん? 今何でもするって言ったよな? じゃあ邪魔すんな。時期が来たらちゃんと説明してやっから」

「分かった、分かったから! 樋山くんも逆らわないでくれっ、俺の眼鏡が! 眼鏡が!」

 伊達のくせに何言ってやがるボケが。眼鏡党員にしばかれろ。



 アホを振り切り、俺は屋上へと続く扉をばーんと開け放った。その音にびっくりしたのか、小林先輩がこっちを見つめている。

「こんにちは、小林棗先輩!」

「……なぜ、私の名前を」

 先輩はじりりと、俺から距離を取った。しかしそっちは行き止まりだ。唯一の出入り口は俺が塞いでいる。ふはは、逃げても無駄だ。

「とある人から聞いたんです。別にストーカーとか、そういうのじゃありません」

「それならよかった」

 すんなりと納得してくれた。もしかしてこの人、ちょろいんではなかろうか。これなら原先輩のお願い事もすぐに片付きそうである。

「またここでご飯食べていきますから、お気遣いなく。あ、それと、よかったらどうぞ。お近づきのしるしです」

「……それは」

 昨日は紙パックのジュースを差し上げたので、今日は固形物にした。コンビニで見つけた新しい種類のおにぎりである。わさび梅マヨネーズという、明日には店頭から消え去ってそうな色物だ。先輩が難色を示すところを見たかったのだが、彼女はともすれば嬉しそうにそいつを受け取る。

「もちろん毒も薬も入っていません」

「君のことは怪しんでいるけど、食べ物に罪はない。いただきます」

 先輩は迷わず、おにぎりにかぶりついた。そして、俺が目を離した一瞬の隙におにぎりはなくなっていた。

「ん? えっ」

「おいしかった」

 しかもおいしかったとか言ってるし。捨てたんじゃなくて、もう食べたの? やばい、くそう。気になる。どんだけ早食いなんだ。もう一つ渡してもよかったが、俺の食べる分がなくなってしまう。今日は諦めよう。

「私、ろく高くんはいい人だと思う」

「ろくじゃなくてこくです。石高です」

「ん、ああ、ごめん。ろく高くんは」もうどうでもいいや、名前くらい。



 相変わらず微妙に距離が空いているが、なんとなく、溝のようなものはなくなったと信じたい。話を切り出すなら今だろう。しかし、原先輩の話が本当なら、猫のような警戒心を持つ人だ。直線的に切り込んでも躱されるのがオチだろう。上手く、頭を使って……。

「小林先輩は授業に出ないんですか? 出た方がいいと思いますよ。勉強は素晴らしいですし、先生方のお話も大変、その、素晴らしいですから!」

 しかし口は勝手に動いて止まってくれなかった。先輩はまた俺から距離を取り、じっと、こっちを見つめてくる。

「……なぜ、そんなことを」

「いや、実は原先輩って人から……って、あ!」

 逃げた!

 小林先輩が背を向けて一目散に扉へと! 思っていたより彼女は俊敏だ。だがしかしここで逃すわけにはいかない。俺と原先輩の新婚生活の為にも、小林先輩には話を聞いてもらう必要がある。俺はすぐに追いかけた。

「は、速い」

 俺は先輩を抜かして回り込み、扉の前に陣取った。

「な、なんで逃げるんですか」

「君が原の回し者だとは思っていなかった」

「回し者て。んな物騒なもんじゃないですよ」

「き、君は」

 小林先輩は俺を指差そうとして、その手をひっこめる。

「……原の恐ろしさを知らない」

 まあ、原先輩は恐ろしいくらいに美しいけど。

「そんな怖い人じゃないでしょう。もしかして、何かされたんですか?」

「私の本能が訴えている。『近づいてはいけない』と」

 人に近づくなと言うような小林先輩が近づきたがらない原先輩、か。

「それは気のせいです。原先輩は素晴らしい方です」

「何をさせようとしている?」

「俺はただ、小林先輩にですね、普通に授業に出て欲しいだけなんです」

 小林先輩はぶんぶんと首を振る。

「嫌だ。今更だし」

「今更?」

「ろく高くんには関係のないことだ」

 そりゃそうだけど、困る。だが、ここで無理強いして小林先輩に嫌われてしまうと、後がない。今日は諦めて、また明日にチャレンジしよう。

「分かりました。じゃあ、もう何も言いません」

「……う」

「先輩?」

 小林先輩はその場に膝をつき、胸を押さえて苦しそうな息を漏らした。

「く、くるし……」

「まさかの病弱設定……! ま、待っててください、保健室の先生を、いや、救急車を呼んだ方が」

「大丈夫」と、先輩は手を上げて俺の動きを制止させる。

 全然大丈夫そうに見えないんだけど、いいのか?

「あの、我慢しない方がいいと思いますけど」

「いや。食べたばっかりで急に走ったから、息が」

 やけに太陽の光が眩しく感じられて、俺は空を仰ぎ見た。ああ、馬鹿みたいに青い。そして小林先輩はもしかして、馬鹿なのではなかろうか。体調の良くなった彼女は何事もなかったかのように、冷め切っているであろう俺の視線など気づいていないかのように立ち上がる。

「ふう。それじゃ、私は行くから」

「あっもしかして教室に? 授業に出てくれるんですか?」

「保健室でベッドを借りる。私は、あそこの常連なんだ」

 先輩は少し、胸を張って答えた。なんだろう。こう、なんていうのか、とにかくもやもやとする。無駄に疲れた。俺も教室に帰ろう。先輩の背中を追いかける形で屋上を出る。

「そう言えばろく高くん」

「なんですか」

「……原のことなんだけど。ん?」

 先輩の身体ががくんと傾く。

「わーっ、先輩!?」

 彼女は階段をとんとんと降りていたが、振り向いた時に足を踏み外した。バランスを取ろうとしてふらつくが、結局無理で、しかも無駄に足掻いたせいでおかしな体勢のまま、結構な勢いでごろごろと転がり、踊り場の壁に顔をぶつけてひっくり返ってしまう。スケ○ヨよろしく両足が上がり、下半身に隠れているせいで俺の位置からは彼女の顔が見えなくなっていた。そして、転んだ拍子にスカートがめくれてパンツが丸出しになっている。黒かった。色気はまるでなかった。違う意味で見てはいけないものと化している。

「そんなビビッドアングル見たくなかった……。先輩、大丈夫ですか」

「慣れてるから、平気」

 すっ転んだままで先輩が口を開いた。あの、スカートを元に戻してください。

「しかし、驚いた。これも原の呪いか」

「いや、先輩が鈍いだけです」

 小林先輩は俊敏な動作で立ち上がり、制服についた埃を手で払う。パンツを見られたという羞恥心はなさそうだった。

「あ。ろく高くん。具体的な例だけど、今思いついた。私と関わると、こういうことが起きる」

「またパンツが見られるってことですか?」

「目に毒だろう? 毒はよくない」

 ふふん、という顔で小林先輩が俺を見る。分かった。この人は駄目な人なんだ。すみません原先輩、ちょっとこの人、手強いです。



 五時限目が終わり、休み時間に入る。廊下がにわかにざわついていた。何かあったのか?

「野良犬でも入ってきたのか?」

「犬くらいでなんだよ。どうでもいいわ」

「でもな禄助、影虎みたいな犬だったらどうする?」

「……ちょっと見に行ってみようぜ!」

 俺は優人と一緒に教室の窓を開けて、廊下の様子を確かめた。人だかりが出来ている。その中心には、原先輩がいらっしゃるではありませんか! いったいどうしたんだろう。二年の教室にやってくるなんて、珍しい。

「あ、ご、ごめんなさい。すみません、通してください」

 まるでスターだ。いや、その辺の女優なんかより全然いい。原先輩はきょろきょろと視線を動かしていたが、俺を見て微笑んだ。

「ああ、石高君、こんにちは。あの、少しだけお時間をいただけないでしょうか」

「なっ!? よりによって石高だと!?」

「原先輩がご乱心だ!」

「うるせえザコがっ、よろこんでー!」

 俺は窓枠を飛び越え、原先輩の傍に着地する。

「あ、そういうことをしてはいけませんよ」

「あはは、すいません! もう二度としません!」

「ちくしょう意味分かんねえ!」

「ぶっ殺してやる!」

 あ、今の甲高い声は樋山くんだな。



 原先輩が人払いをしてくれたおかげで、廊下からは人が消えた。なんかもうやり過ぎである。

「あの、話って。小林先輩のこと、ですか?」

「はい。昨日の今日で性急だとは思われるでしょうが」

 やべえ。今原先輩の口から『性』って聞こえたぞ。オラ、なんかすげえワクワクしてきた!

「……すみません。俺の力不足です。話は聞いてもらったんですが、その」

「どうしました?」

 原先輩がにっこりと微笑む。どうしよう。小林先輩は原先輩を警戒しているし、あげくに呪いとか、そういう単語が出てくるレベルで恐れている。このことを本人に告げると言うのは、あまりにもな話ではないだろうか。

「もしかして、私のことを何か言っていませんでしたか?」

「え、えーと。まあ、そう、です。とても、警戒されているみたいで。きっと、何かの勘違いだとは思うんですけど」

「そうですか。……やっぱり」

 原先輩を嫌うだなんて、人として軸がぶれているっつーか、どこかに欠陥があるに違いない。うん。そうに決まってる。

「申し訳ありませんが、石高君さえよかったら、また、小林さんに伝えておいてください。あ、それから、彼女は放課後、まっすぐに学校を出ていると思います。その後、どこに向かっているのかまでは掴めませんでしたが」

「分かりました! 石高禄助にお任せください!」

「ふふ、頼りにしていますね」

 やったー! 原先輩に頼られちゃったー!



「きめえ。顔が緩みっ放しだぞ」

「フヒヒヒ、何とでも言えやボンクラが」

 放課後、俺たち三人は駅前に自転車を停め、ゲーセンに向かっていた。ゲーセンで二丁拳銃を振り回す為である。体感型のゲームは、たまにやる分には素晴らしく面白い。調子こいてると筋肉痛になっちゃうけど。

「今日は誰でいこっかなー」

 優人はサブカ作りまくって初心者を狩るクズなので、プレイ中に後ろから固いもので殴ってやろうと思う。



 ゲーセンからの帰り道。だらだらと歩いている途中、見覚えのある人を発見した。制服ではなかったので、注意していなかったら気づけなかっただろう。プロ野球チームのキャップを目深に被り、紺色のジャージを着て、ロールアップしたデニムとスニーカーを履いた女がいた。背は高く美人だ。彼女は周りの男どもの注目を惹いているが、その何とも言えない格好と、手に持った缶ビールと、コンビニで買ったであろう焼き鳥を嬉しそうに頬張る姿に、皆が溜め息を吐いている。俺も思った。優人も樋山くんも思っただろう。もったいない、と。

「会社帰りのOLかなんかかな」

「まだ新卒って感じの歳なのに、課長くらいの哀愁が漂ってるのは気のせいか? なあ、禄助」

「ん、あ、ああ」

 俺は何も言えなかった。だって、知ってるもん。その人、知ってる人だもの。なんてこったい。駅前のベンチに座り、焼き鳥を缶ビールで流し込んでいるのは、小林棗先輩であった。って、飲酒かよ! だめじゃん! なんであんな堂々としてるんだよ!

「行こうぜ。早く。出来るだけ遠くに」

「なあ、気のせいかな。あの女の人、お前の方じっと見てないか?」

「きっ、気のせいだから!」

 小林先輩は不良だった。でもなんか、悪いことをそうだと分かっていないような、性質の悪い感じの人だった。



 ただいまと家に帰れば、妹がお帰りと言ってくれる。石高家はそんな、温かい家なのです。

「お兄ちゃん。少し、疲れた顔をしているわね」

「まあな」

「じゃあ、今晩は期待出来そうね」

「……まあな」

 俺は嫌なことがあると家事に逃げるらしい。冷蔵庫の中身を確認し、凝ったものを作ろうと決意した。野菜を切ったり、肉を炒めたりしている間は、どんなことも忘れられる。料理こそが俺のオアシスでありジャスティスだった。

「ご飯を食べ終わったら、ゲームで遊びましょう。今日はね、お兄ちゃんが帰ってくるまで起き攻めの練習をしていたのよ。中々にえげつないものが出来上がったと思うわ。ところでお兄ちゃん。ライオンの出てくるアレはまだ移植されないのかしら。ジャムでは満足出来ないのよね」

 世界広しと言えども、ウォー○ードの家庭用移植を待ち侘びている小学生は俺の妹くらいのものだろう。

「他のキャラはゲストで出てるけど、ボクっ子チャイナはまだだもんな」

「どうして、あのキャラじゃなくてイカや恐竜を出したのかしら。未だに謎よ」

 ……こんなに可愛いめぐも、いつの日か、小林先輩のように酒をかっ喰らったりするのだろうか。嫌だ。嫌過ぎる。

「めぐはさ、大人になってもお酒を呑んだら駄目だぞ」

「どうして?」

「け、健康に良くないからだ」

 めぐは俺に向き直り、きょとんとした顔をした。

「でも、お父さんは、酒は百薬の長って言ってるじゃない」

「あんなもん酒飲みの言い訳に過ぎない」

「でも、私は将来、お兄ちゃんやお父さんのお酒に付き合ってあげたいわ」

「それならいい。ロクスケ的にもオールオッケーだ」

 じゃあ、俺は美味いつまみを作れるように頑張ろう。



 翌日、俺はちょっと気が重かった。小林先輩に授業へ出るように話すのは構わないが、相手が悪い。色々な意味でガチなのだ、あの人は。

「こんにちはー」

 しかし行かねばなるまい。ばら色の未来を勝ち取る為に、俺は!

「……あ?」

「ああ?」

 昼休みの屋上。小林先輩はいなかった。ただ、別のやつがいた。見覚えがある。それどころかクラスメートじゃん。……しまったなあと頭を掻く。よりにもよって、あの丹下院がいた。

 こいつは苦手だ。俺たちオタとは正反対。真逆に位置するリア充集団、黒ギャルの一味であり、その頭目と目されている女だ。ここは戦略的撤退の場面だが、面白いものを見てしまった。丹下院は紫色の煙をぷかあと吐き出している。動かぬ証拠だ。こいつたばこ吸ってやがる。

「何見てんの? うぜーんだけど」

 そう言って、丹下院はたばこを落とし、火の消えていないそれを踏みつけた。上靴で。灰がつくんじゃねえの? 馬鹿だな。証拠引きずって歩くようなもんだぞ、それ。

「あー、気分わるー」

 丹下院はちらちらとこっちの様子を窺いながら、屋上を出ようとする。彼女が俺の横を通り過ぎようとした時、扉が開いた。現れたのは購買のパンを抱えた小林先輩である。あんな大量に買い込むんなら袋をもらえばよかったのに。と、思ってる場合ではない。どうしよう。

「あ? 何、あんた?」

「……君は」

 小林先輩が、さっそく丹下院に因縁を吹っ掛けられている! やべえちょっと面白そう。少しだけ黙って見とこう。



 丹下院は思い切りメンチを切っているが、小林先輩は動じた様子を見せない。彼女はパンを抱えたまま、丹下院に顔を寄せて鼻をすんすんと鳴らす。どうやら臭いを嗅いでいるらしかった。獣か。

「な、なに? キモいんだけど」

「……たばこの臭いがする」

「あ? だったら何? つか関係なくね?」

 自分から喧嘩売っといて関係ないもクソもなくね?

「君、いくつ? 未成年?」

「だったらなんだっつーの!」

 小林先輩はパンを脇に抱え、足を一歩踏み出し、丹下院の顔にメロンパンを突きつけた。彼女が混乱している内に、

「ひ……!?」

「あった」

 おっぱいを揉んだ。片手で鷲掴みにした。俺は見た。丹下院の胸がむにゅってなったのを。ありがとう、先輩。

 まあ、本当のところはそうじゃなくて、先輩は制服の内ポケットにあるたばこの箱を確認したのであった。

「なっ、何すんだよ!? レズかてめえ!」

「……違う。私が掴んだのは胸ではなく、証拠。停学や退学が嫌だったら、ここで吸うのはやめて欲しい。私に変な疑いがかかるから」

「ふ、ふざけんな!」

 ここいらで助け舟を出しておこう。収まりがつきそうにない。

「まあまあ待てよ。先輩はお前を見逃すって言ってんだぜ。で、先輩がそうするんなら俺も見逃す。お前は屋上になんかいなかったし、たばこを吸ってるやつなんか誰もいなかった」

「あ? 何様だよ石高」

「……じゃあいいけどな。瑞沢に言う。したらお前はここでリアルハングドマンになるはずだ。頭に血が上って馬鹿になって死ぬんだ。まあ、それは冗談だとしても、オーガは酒とかたばこが一番嫌いなんだよ」

 丹下院は俺と小林先輩をかわりばんこに睨みつけていたが、ここで意地を張っても損だと気づいてくれたのだろう。小さく頷き、そっぽを向いた。

「まだ負けてねーからな! あたしは!」

 ふん、と。鼻息も荒く、屋上から立ち去った。

「……何か、勝負してた?」

 いいえ、全く。しかし、あいつとは戦わなければならないような気がする。恐らく気のせいだろうが。



「ところで先輩。たばこはいいけど、お酒ならいいんですか?」

 先輩は首を横に振る。完全に自分のことは棚に上げてるな。

「でも先輩、昨日は駅前でビール飲んでましたよね」

「……あ。やっぱりアレろく高くんだったんだ」

「やっぱり先輩でしたか。……お酒、飲んでるんじゃないですか」

「私はいい」

 いや、駄目だろ。けど、何を言っても無駄そうだ。

 さて今日はどう攻めようか。のらりくらりと躱されてしまいそうだが、守ったら負ける。とりあえず飯でも食いながら考えようか。

 俺はイチゴのジャムが挟まったコッペパンをのしゃのしゃと食べ始める。やはりというか、先輩がこっちを見ていた。自分の買ってきた分を食べればいいじゃないですかと言おうとしたが、なかった。そう。既にパンはなかったのである。この世にまるっと存在していなかった。おかしい。時空が歪んでいるとしか考えられない。いつ食べた? というか、え? んん? 聞きたいけど、聞くのが怖い。

「そ、そう言えば、その包帯って」

 小林先輩は腕に巻いた包帯を見遣った。

「……ああ、これ」

 先輩の横顔は、どこか物憂げである。もしや、誰かに……いや、何かにやられたのか? 訳ありな感じがする。

「これは、ちょっと言えない」

「す、すいません。立ち入ったことを聞いてしまって。その、大変なんですね。先輩も」

 やはり、色々とあるのだろう。

「大したことじゃない。この前一人で焼肉に行ったんだけど、網にお肉を乗せ過ぎたんだ。いっぱい脂が跳ねて、ここを火傷した。とても痛くて店員さんに助けを求めたら、包帯を巻いてくれた」

 さすさすと、先輩は包帯を撫でる。年長者に対して申し訳ないが、馬鹿なんじゃないのか?

「よく見たら、膝小僧にも絆創膏が貼ってありますね。というか、もっとよく見たら、指とか、あ、おでこにも」

「……そこは見ないで欲しい」

 恥ずかしそうにしてデコを両手で隠す先輩。そうか。パンツはいいのにおでこは駄目なのか。あと、聞き逃した感があるが、一人焼肉て。女子高校生の所業ではない。つーか男子高校生の俺にだって難しい。

「ところで」と、先輩が俺を見遣る。

「ねだっているとは思われたくないんだけど、今日は、ええと」

 あからさまに食べ物をねだられてしまった。俺は制服の内ポケットからポケット菓子を取り出す。飴だ。こんなもので誤魔化されるような人間はいない。しかし物は試しである。

「あの、こんなものでよかったら」

「……ありがとう。では遠慮なく」

 ころころと、口の中で飴を転がす先輩。これ、アレだよな。俺は、ハムのおじさんみたいな感じで、食べ物をくれるやつってポジションに落ち着いてしまったのか。

「先輩は、どうして学校に来るんですか?」

「んん?」

 飴玉で頬っぺたを膨らませる年上の女性がいる。ネッシーとかより珍しい。

「いや、だって授業に殆ど出ないんだったら、意味ないじゃないですか」

「……家に、いたら、怒られ、る、から」

「飴舐めるか喋るかどっちかにしてくださいよ」

 こくりと頷き、先輩は黙り込む。喋れよ! 飴玉の方選んじゃうのかよ!



 その後、先輩は予鈴が鳴るまで飴を舐め続けていた。聞きたいこととかいっぱいあったけど、俺は彼女につられて授業をサボるわけにはいかない。小林先輩は、放課後は学校におらずどこかへ行ってしまう。つまり、今日はここで石高チャレンジ終了である。

「……駄目でしたか」

「俺の力が及ばないばっかりに」

 放課後になると、原先輩が二年の教室まで進捗というか、小林先輩の様子を尋ねに来た。人払いもばっちり。これはラッキーである。夕暮れ時の教室に男と女が二人きり。何が起こってもおかしくはないシチュエーションだ。が、芳しくない。何せ、何一つとして進展していないのである。小林先輩の謎だけが、ただただ深まるばかりだ。

「いったい、あの人は何者なんでしょうか」

「私の口からは、あまり」

「俺が聞いた話だけで判断するに、あの人はよく怪我をしたり、転んだり、一人で焼肉に行ったり、よく食べます。あと、女生徒のおっぱいを揉みます」

 ちなみに駅前でビール飲んでました。とは言えなかった。

「あなたたちは屋上で何をしているんですか?」

 ち、違います。誤解です。

「一応、生徒は屋上への出入りが禁止されています。先生に見つかるまでは私も秘密にしておきますけれど、おかしなことはしないでくださいね。庇いきれませんから」

「そう言えば、小林先輩はどうやって屋上に行ってるんですか?」

「もちろん、鍵を使っているんでしょうね」

「鍵、ですか」

 そりゃもちろんそうなんだろうけど。屋上の鍵なんて、そんな簡単に手に入るものなのか?

「小林さんは、私でも把握しきれない方なんです。だから、ついつい気になってしまって。ふふ」

「原先輩は優しい人だなあ」

「そうですか? ……そうだといいですね」

 さっきまでの笑顔とは違い、原先輩の表情には影があった。どうしてだろうと気になったが、彼女のことよりも、小林先輩の方がどうしても気になってしまう。明日はもう少し突っ込んだこと……ああ、いやいや、そうじゃない。俺の使命はあの人のことを知るんじゃなく、あの人を授業に参加させるってことなんだ。そいつを忘れてはならない。

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