カカリアウセカイ
「……君は不可解だな」
誰もいない学校の屋上。八月の陽は俺と先輩に燦々と降り注ぐ。だが、背中に汗をかいているのは太陽のせいではなかった。
先輩は振り向き、薄く笑う。
「だけど、不快じゃない」
「先輩」
風が吹き抜けていく。先輩の髪が揺れている。
「影は光がないと存在出来ない。私にとっての光は君だったのかもしれないと、今になって思う」
そう言って、先輩は微笑んだ。笑ってくれた。初めて見る彼女の表情だ。俺は嬉しくなり、つられて笑う。
「私は君となら死ねるよ。だから」
「皆まで言わないでください。俺は何があっても先輩と一緒です」
「そうか。……そうか、ありがとう」
それじゃあと、先輩は空を見上げた。晴天。快晴だったそこが色を変え始める。
黒だ。
どろどろと、夜を煮詰めたような漆黒色に空が犯されていく。雲は分厚く、太陽を隠してしまう。やがて光は届かなくなり、巨大な闇がこの街を、この世界を覆った。きいきいと耳障りな声が聞こえてくる。ああ、きっと、やつらが来るんだろう。
「先輩は今まで、一人きりで戦っていたんですね」
「うん。けれどもう、一人じゃない」
先輩は刀を抜いた。自分の身長ほどもある刀身がこの世に顕現する。彼女は己が得物を片手で振るい、長い息を吐き出す。
不凶。先輩の命とも、相棒とも言える日本刀だ。数多の魔物を斬り、血と肉が染み込んだであろう妖刀である。足手まといだった俺は、この刀に何度も助けられた。
でも、それも今日までだ。今の俺には力がある。先輩と肩を並べられるようになったんだ。
「往こうか」
「ええ、往きましょう。いや、でも、えーと」
…………いや、やっぱないわ。往かないっすわ。
冷静になった俺は電源を落とし、ゲームのパッケージ裏と説明書に目を遣る。どこをどう見てもこんな厨二要素は見受けられなかった。パッケージ詐欺かよ。伝奇物のヒロインには日本刀を持たせとけばいいって精神が気に食わん。セーラー服に黒髪に刀とか、もはや飽きられてるっつーの。
月曜日。
身支度を済ませてリビングに降りると、眠たそうな顔をしためぐがいた。
「……お兄ちゃん、おはよう」
「どうしたんだ? なんか、疲れてないか?」
「よく眠れなかったのよ。六時間くらいしか寝られてない」
そんだけ寝たら充分だろうと思わないでもないが、めぐはまだ小学生である。寝る子は育つ。
「寝る前に怖い映画でも見たのか?」
うるさいと、めぐはそっぽを向いてしまった。俺はご機嫌を取るべく、妹の好きなカフェオレ風のブラックコーヒー(どう考えても違うしありえないんだけど、ブラックって言わないと気分を害してしまう)を作ってやった。
「ほーら牛乳たっぷりだぞー」
「……? お兄ちゃんの飲む分がないじゃない」
「俺はいいんだよ。なんか、飲んだら駄目な気がするんだ。こう、期待を裏切ってしまうんじゃないかって」
めぐは少しだけ申し訳なさそうに微笑み、ありがとうと言った。
学校へ向かっている坂道の途中で、優人と合流した。こいつは足が遅いから、先に出たとしても追いつく場合が多い。
「やーい、お前の父ちゃんランジェリー!」
「出会い頭に狂ったのか、禄助? いや、平常運転だな」
「お前は本当に鈍足だなあ。親が亀なのか?」
「なんでだよ俺の親見たことあんだろ。それに鈍足キャラ馬鹿にすんなよ。百魔獣の王を数秒で殺すぞ」
ゲーム史上最強の病人と言われた、アレか。しかも本筋とは関係ないとはいえ、次回作で病気が治るんだよな。もはや誰にも止められねえ。
「ところでさー、お前に借りたギャルゲーだけどよー。詐欺じゃねえか。途中で変なのが入ってきたぞ。俺は学園でヒロインといちゃいちゃぬちょぬちょしたいだけで、厨二要素は求めてなかったっつーの」
「そんなんばっかやってっから駄目なんだよ」
「いいんだよ。どうせラノベとかラノベアニメなんかは殆どそんなんだから。女子高生に日本刀を持たせれば人気が出る。一理あるだろ」
「……一理どころか真理だわ」
優人は黒髪ロングが好きだからな。そんなキャラに刀持たせたら役満である。
「ああ、本当に最高だ。黒髪は俺のナイトヘーレを開門させちまう……」
「同化してるぜ」
教室に着くと、樋山くんが机の上に顔をくっつけて寝そべっていた。無視しよう。
昼休み、俺は優人と樋山くんと一緒に学食へ行こうとしていた。
だが、
「お? あれ? っかしーなー」
財布が見当たらない。今日はめぐがお弁当を作ってなかったので、昼は食堂で済ませるつもりだったんだが。
「落としたのか?」
「うーん。あ、もしかしたら家の机の上に置きっぱなしかもしんねえ。しゃあねえ。金貸してくれよ」
優人と樋山くんは顔を見合わせる。そして断るとハモった。
「……え? な、なんで?」
「いや、何でも何も、前にあなで貸してやった漫画代返してもらってねえし」
「俺もガチャガチャのやつの金を取られたままだ。五十万くらい貸してるような気がする」
「そんな借りてねえよ! っていうかちょ、ちょちょちょ、何も今そんなこと言わなくても……」
こっちは腹空かせてんだぞ! 財布がないって言ってんだろうが!
「明日返すから! 何なら今日、俺んちに寄ってくれたら全然返すって! ひもじい思いはしたくないんだ!」
「別に一食抜いたって死なねえだろ」
「ちょっと、俺たちはお前を甘やかし過ぎていたのかもしれないな」
「何を悟ったような顔で抜かしてんだっ」
行こうぜと、二人は歩き出す。こ、この野郎! 樋山くんなんか安藤みたいな体型と顔しくさって!
「禄助」と、優人がぴたりと足を止める。分かってくれたか。
「腹が減ってるか? 何とかなるって。夢はいつか必ず叶う!」
「てめえ顔面の皮剥いだろか!」
終わった。
もう午後の授業はサボってやろうか。なんてことを考えながら、俺は屋上の方へ向かっていた。腹が減り過ぎて頭がおかしくなっていたのかもしれない。何をやっているのか誰かに聞かれるのが嫌で、人のいない方へ歩いていたのかもしれない。
なんにせよ、サボるには他人がいては邪魔なんだ。
「まあ、閉まってるだろうけど」
がちゃがちゃと、屋上へ繋がる扉を開けようとしてたら、開いてしまった。……いいのか? 屋上って普通、鍵が掛けられてるもんじゃないの?
猫を殺すとはいえ、好奇心には逆らえない。俺は扉を押し開いた。陽光が目を突き刺す。風が吹く。人の気配はないらしいが、息を殺しているのかもしれない。そういや、どうしよう。今になって気づいたが、ここってヤンキーどものたまり場になってるのかもしれない。引き返した方が……なんてことを考えていると、フェンスに寄り掛かっている人影が見えた。
背の高い女の人だ。恐らく、三年生だろう。癖のある短い黒髪が揺れている。何故か彼女は腕に包帯を巻いていた。怪我、か? 割に、何とも思ってなさそうな顔をしている。というより無表情だ。
俺は思わず唾を飲み込んでいた。美人さんだ。ぼうっとしているようで隙がなさそう。どこか侍っぽい印象を受ける。彼女は俺の視線に、存在に気が付いているのかいないのか、紙パックのジュースをストローで飲んでいた。
「綺麗だ」
その呟きが風に乗って流れたのか。先輩らしき人がこっちを見遣る。袖に隠れていた彼女の指が動いた。ぼとりと、紙パックが地面に落ちる。中身がまだ入っていたので、音は少しだけ鈍かった。
「……君は」と、先輩が口を開く。彼女の声は少しばかり低かった。俺とそんなに歳が変わらないはずなのに、落ち着いている。映画の吹き替えのような。そんな声だった。その後、彼女は落ちた紙パックをじっと見つめ始めた。俺のせいだろう。そりゃそうだろう。見ず知らずの男が、急に屋上に立ってるんだもんな。怖いわ、そりゃ。
「あ、その、すんません。ジュース、よかったら……」
先輩がこっちをじっと見つめる。まずった。ジュースを弁償しようかな、なんて言おうとしたが、俺にはマネーがないのであった。
「今度、弁償します」
「……別に、いい」
ふるふると、先輩は首を横に振る。
「それよりも」
「え?」
そう言って、先輩は俺に背を向けて、空を見上げた。
「私には近づかない方がいい」
拒絶の言葉を受け、俺はなぜか、素直に従ってしまった。
午後からの授業中、教師の話も空腹も、まるで気にならなかった。頭の中は、さっきの人のことでいっぱいになっていた。いったい、誰だったんだろう。
……近づかない方がいい、か。なんだか訳ありな感じがする。昨夜やってたギャルゲーじゃないけど、似たようなシチュエーションだ。
「日本刀持ってたら完璧だったか」
「石高。なんだ。お前、そんなに斬られたいのか?」
顔を上げると、すぐ近くに瑞沢がいた。めっちゃキレてる。そういや、五限はこいつの家庭科だったっけ。
「先生。眉間にしわが寄ってますよ」
「ああ、そうだろうな。だからどうした」
「老けて見えます」
瑞沢が拳を振り上げる。俺は咄嗟に防御態勢を取った。
「くっ、素早いやつめ! もういい、次は気をつけろ」
ふふふ。俺は以前、瑞沢に頭をはたかれたことがあったが、石頭過ぎて全く効かず、それどころかあのオーガにダメージを与えたことがある。これは末代まで語り継がれるであろう武勇伝だ。
椅子に座ったままぼけっとしてたら裏切り者どもがノコノコとやってきた。
「なんだよ、腹減り過ぎてぼーっとしてたのか?」
「うるせえな、くたばれよ。しかも出来るだけ惨たらしくな」
樋山くんが息を吐き出す。憂鬱そうだった。
「荒んでんなあ」
「まあ、食い物の恨みが一番怖いからな」
訳知り顔で言いやがって。誰のせいだと思ってんだ。……まあ、そのお陰か何だか知らないが、気になる人と出会えたんだけど。
「なあ。三年生でさ、包帯巻いた背の高い人、知ってる?」
「……ああ、そういや。アメフトのキャプテンが」
「男じゃねえよ。何が悲しくてガチムチのことを知らなきゃならねえんだ」
そうじゃなくて女だよ、女の人だ。
「女生徒で、包帯で、背が高い……? いや、知らねえな。少なくとも俺は見たことがない。樋山くんは?」
「なんか聞くだけでスペック高そうな人だよな。俺も知らない」
こいつらが知らないだけで、夢幻って訳ではないんだろうけど。やっぱり、気になる。
「俺、ちょっと用事あっから」
「ん? おう、じゃあ、また明日な」
俺は屋上へと向かった。
しかし、屋上へ繋がるはずだった扉には鍵が掛かっていた。何故なんだ!
残念に思いつつも、俺は家に帰り、めぐと一緒に夕食を食べ終え、自室に戻った。
「近づかない方がいい、か」
初対面のやつに、普通そんなこと言うだろうか。学年が違うとはいえ、同じ学校に通ってる生徒に。つーか、どうして、どうやって屋上に入ったんだろう。今日は間違いなく、あそこには鍵が掛かっていた。なんで包帯を巻いてたんだろう。気になることばかりだ。もやもやとする。
「お兄ちゃん。お兄ちゃん?」
「うっ、お、おお、めぐか」
びっくりした。いつの間にか、めぐが俺の顔を覗き込んでいた。
「また馬鹿なことを考えていたのかしら」
「そんなことねえって。なんだ。宿題で分からないところがあったのか?」
「今日はお昼寝したからあんまり眠くないのよ。よかったら遊んでもらおうかと思って」
めぐからのお誘いとあっちゃ断れねえ。
「じゃ、陸上やろうぜ」
「そんなゲーム持ってた?」
「戦国の方な。宇宙遊泳も出来る」
妹は溜め息を吐き出した。
「それは恋ね。漫画に書いてあったわ」
「恋、ねえ」
宇宙遊泳している間、暇になった俺は今日あったことを、今日会った人のことをめぐに聞かせてやった。すると彼女は知った風な顔で、そんなことを口にした。恋、と。
「全くときめかなかったけどな。ちょっと気になっただけだよ」
「私も。ちょっと言ってみただけよ。お兄ちゃんはそういうことに疎いと言うか、縁遠いから」
失礼な。しかし真実であった。俺のキャラは死んでいた。
「もう一戦、やる?」
「やめとく」
翌朝、火曜日。
「ぼけーっとしてんなあ、禄助」
どうやら俺はぼけーっとしていたらしい。一時限目が終わると、優人が近くの椅子を引いて、へらへらとした顔を見せてきた。
「ああ、すげえ腹が減ってんだよなあ。どっかの誰かが昨日、金を貸してくれなくて昼飯が食えなかったからかなー」
「へー。金返せ」
じっと優人の顔をねめつける。やつは掌をこっちに出してきた。俺は無言で財布から五百円玉を取り出し、掌の上に置く。
「これで文句ねえだろが」
「まだまだ完済には遠いけどな。学食のメシをあと何回奢ってもらったらチャラになるかなー」
「もう2回くらい奢ってんだけど」
「俺は13回以上も奢らされたぞ」
ミサイル撃ち込んだろかこいつ。
「ま、こうやってコツコツ返してもらえりゃいいよ」
「そりゃどうも。ロクスケ的にもオールオッケーって感じだね」
昼飯、か。今日は大人しく食堂へ行こうかな。
「うぃー、石高ー、食堂行こうぜー」
昼休み、樋山くんからお声がかかる。優人も行く準備万端だった。が、やはり、ここにきてどうしても気になってしまう。
「俺、パンだけ買ってくわ」
「あ? 食堂で食わねえの?」
「ちょっと色々あってな。……ピロティで食うわ」
疑いのまなざしを向けられるが、俺の動向などどうでもいいのだろう。二人は適当に返事し、とりあえず一緒に食堂まで行くことになった。
パンを三つと紙パックのジュースを二つ買い、俺は昨日と同じく屋上へと向かった。自分でもどうしてこんなことをしているのか分からない。めぐは昨日、恋だと言っていたが、そんなものではないと思う。アレだ。ちょっと見てみたいって気になっただけだ。あの先輩には悪いが、動物園に新しいアニマルが入って興味を持つみたいな、そんな感じである。
「……さて」
扉の前に立つ。さして緊張はしなかった。扉は、簡単に開いた。鍵が掛かっていない。つまり、誰かがいるのだ。そしてその人物は、十中八九昨日の先輩だろう。近づくなと言われてしまったが、承服した覚えはない。第一、そんなことを素直に聞く筋合もないのである。屋上は彼女一人のものではない。俺だって、誰だって、たまには屋上で昼食というシチュエーションに唆されてしまっても仕方ないはずだ。
なんて自己弁護をしてみたが、やってることはストーキングである。
「おお」いい風が吹いた。余計な考えは頭からすっ飛んでいき、腹が鳴った。その音に反応したのか、フェンスに背を預けていた女生徒がこっちに顔を向ける。感情に乏しいその顔は昨日とは違い、僅かなりとも俺を軽蔑している風に見えた。
どうも。こんにちは。そんな挨拶はせず、俺は先輩の対面に行き、比較的綺麗なところを見つけて座り込んだ。彼女は俺の方を見ていたが、興味をなくしたかのように視線を逸らす。そうして、紙パックのジュースをストローで飲んだ。レモンティーだった。
俺は袋を開封し、焼きそばパンを食べ始める。なんとなく空を見上げた。フェンスの網目越しから見る青空は、どこか切なかった。パンをもごもご食ってると、不安感が襲ってきた。ここにいることがバレたら、瑞沢に何を言われてどんなことをされるのか。そんなことを考えてしまう。というか先輩は怖くないんだろうか。
「……ん?」
考えても仕方ない。とりあえず腹を満たそう。二つ目のパン、メロンパンに手を伸ばした時、視線を感じた。ここには俺とミステリアスな先輩しかいないのだから、彼女が見ているに違いない。顔を上げると、先輩はふいと目を逸らす。ちょっと面白い。
その時、近所に野良猫がうろついていた時のことを、ふと思い出した。俺がまだ小学生だった頃だ。めぐや優人と一緒になって猫を追っかけまわしていたような覚えがある。猫は全然捕まらず、俺たちを虚仮にしたような動きでそこらへんを行ったり来たりして、しかし、決して視界からはいなくならなかった。たぶん、遊んでいたのだろう。ちらちらとこっちを見ては走り出し、塀を越えたり、狭いところにするすると入って、俺たちを泥だらけにした。先輩を見ていると、あの日の猫を思い出す。なんとなくわかった。恋ではなく、意地なのだ。無視されると気になって、ついつい追っかけてしまう。……俺は犬か。
メロンパンを平らげて、三つ目のパンに手を伸ばす。はっきりと、こっちを見ているという視線を感じて、ばっと顔を上げた。先輩は目を逸らすのが遅れて、じっと俺の目を見つめている。俺は決して自分から目を逸らさなかった。そのままの体勢でパンの袋を開け、クリームパンを頬張る。すると、先輩は少しだけ残念そうな顔をした。
「あ、お腹減ってるんですか?」
先輩はレモンティー以外に何も持っていない。近くにごみを捨てたような形跡も見当たらない。
「……昨日」
消え入りそうな声だが、風がなかったのでなんとか聞こえた。
「近づかない方がいいって、聞こえなかった?」
「聞こえましたよ。あ、それと」
俺は紙パックのジュースを差し出した。リア充御用達のミルクティーである。ちゃんとストローもついている。
「昨日、だめにしちゃったんで。どうぞ」
先輩はジュースをじっと見つめ始めた。彼女は手を伸ばしかけ、袖の中に隠す。しかし少しずつ距離を詰めてきた。なんか。なんだか、野生動物を餌付けしているような気分になってくる。
「……毒が」
「え?」
「毒が、入っているかもしれない。知らない人から物はもらえない」
「はい?」
そう言って、先輩は立ち止まった。つーか、毒って。
「そんなもん入ってませんよ。あと、俺は石高禄助って言います。二年です。先輩のいっこ下ですね」
「……ふうん」と、何故だか先輩は微妙な顔になった。
「いりませんか?」
「いや、もらう」
先輩は首を横に振る。彼女は俺からジュースとストローを受け取り、それを飲み始めた。妙な達成感が生まれて、俺の気分が高揚する。
「どうして、近づくなって言ったんですか?」
「……そうは言ってない。近づかない方がいい、と」
「似たようなもんじゃないですか」
それは。先輩は口ごもった。こっちとしては聞いてみただけだし、どぎつい答えが返ってくるのも嫌なのでどっちでもよかった。けど、彼女は答えてくれるらしかった。
「私に関わると、良くない目に遭う」
……お、おう。真顔で言われてしまった。まさかの訳ありである。不幸キャラかなんかか? そういや、毒とか言ってたな。もしや、常日頃から毒を盛られるような生活を送ってるんだろうか。どこの暴君だよ。
「具体的にはどんなことが起きるんですか?」
「……具体的には、具体的には……」
「やっぱりいいです」
ホント面白いなこの人。パッと見は侍のような、我が校の誇る生徒会長みたいにクールビューティーなんだけれど。喋るといろいろ面白い。
「ジュースはありがとう。でも、とにかく、これ以上はよした方がいい」
しかし俺の性質は自他共に認める天邪鬼である。やれと言われれば拒否するし、するなと言われたらしたくなる。嫌な目に遭うらしいが、具体的な例を挙げられていないので今のところはどうでもよかった。
「なんか、先輩ってちょっかいかけたくなる感じなんですよね」
「……困る」
だろうな。
会話に詰まったその時、予鈴が鳴る。そろそろ戻らないと。
「先輩は、教室に戻らないんですか?」
「……私は」
言いよどんでしまう。もしかして、アレか。先輩は孤立しているのだろうか。やばいな。すげえ似合う。腫れ物扱いされてるとか似合い過ぎてやばい。
「サボるからいい」
「さいですか」サボりだった。意外と悪い人である。
俺は先輩に一方的に別れを告げ、教室へ戻った。
放課後、俺はまた屋上へ向かおうかとも考えたが、開いてなさそうなのでやめた。それよりも今日は優人たちと駅前で遊ぶ。漫画の新刊が出てるはずだし。駅前をぶらついてファミレスのドリンクバーで粘るつもりである。
「お。原先輩だ」
何ィ!?
樋山くんが校門を指差した。俺と優人は雷十太先生もびっくりするくらいの鎌鼬すら起こせそうな速度でそっちに顔を向ける。……なるほど。可愛い。
校門の近くで原先輩が立っている。相変わらずお美しい。屋上の先輩も美人さんだが、原先輩は中身も美人だ。そうに決まってる。あ、そう言えば、部活動の勧誘がやり過ぎてるとか、昨日くらいに瑞沢が言ってたっけ。生徒会長である彼女は、その見張りみたいなものをやらされているのだろう。
「話しかけられたいなー」
「じゃ、俺たちも部活作ろうぜ。ポスターに縦読み仕掛けて友達募集すんの。そんでもって行き過ぎた勧誘をして原先輩に『めっ』されたい」
「樋山くんはパソコン部だし、禄助はお前、部活入ってなかったっけ?」
んなもん知るか。どうせ行ってねえし行く予定もない。そんなことより原先輩だ。彼女の姿を見ているだけで心にぐっとくる。
「まあ叶わぬ夢だけどな」
「……うん。くだらないこと言ってねえで、帰んべ」
靴を履き替え校門に近づく。先輩の顔や下腹部をちらちらと横目で見ながら通り過ぎようとした。
「あ、君」と、誰かが呼び止められる。しかし俺たちには一切合財心当たりがないので無視して校門を抜けようとした。が、俺は肩を叩かれる。叩いたのは、原先輩だった。何故に?
「え、あ、え? す、好きです」
「え? あ、ありがとう?」
しまった。焦って告白してしまった。しかし原先輩はキュートな笑顔で俺の戯言を流してくれる。
「今、お忙しいですか? 少しお話ししたいことがあるんですけど」
後ろから優人と樋山くんのオーラを感じる。『お前は今忙しいよな? 俺たちと駅前に行くんだもんな』という無言の圧力だ。しかし俺の精神コマンドには友情という文字がない。自爆と捨て身と突撃と隠れ身と挑発と原先輩への愛しかない。
「いえ、死ぬほど暇です。家に帰ったらメルニクス語を丸暗記しようかと思っていたくらいです」
「どこの言葉なのか分からないですけど、勉強熱心なのはよいことだと思います。じゃあ、申し訳ないですけど、少しだけお時間をくださいね」
「いくらでも! 何ならこれから先の俺の一生をあなたに捧げます!」
「ありがとうございます。でも、それは結構です」
マジか。マジかよ! やったぜヒャッハー! 原先輩からお声がかかるなんてもう死んでもいい!
「じゃあ、一つだけ」
「なんなりと!」
先輩は笑顔で言った。
「今日、屋上に入り込んでましたよね」
俺は咄嗟に首を横に振る。
「確か、あなたは二年生の石高禄助君、でしたね。あなたが屋上に続く階段を降りてきたところ、私は見ていたんです。気づきませんでしたか?」
ちっとも。って言うか、これってアレか。もしかしなくても怒られる流れ? 優人と樋山くんはとっくに避難していて、遠くから俺たちを見ていた。
「嘘はいけませんよ」
笑顔が、怖い。
「ご、ごめんなさい。すみません。あの、つい。……はい。僕がやりました」
「あ。あ、その、責めるつもりはないんです。ただ、屋上に行ったってことは、小林さんと会ったってこと、ですよね?」
コバヤシ?
「もしかして、包帯をしてる人のことですか?」
「ええ、その人です。三年生の小林棗さん。彼女は私と同じクラスなのですが」
そこで原先輩は口ごもってしまう。なんとなく察しはついた。件の小林という先輩はサボりの常連なのだろう。生徒会長である原先輩は小林という人のことも気にかけているんだ。エンジェルかよこの人。
「様子はどうでした?」
「様子……普通だと思いますけど。話をした限り、ちょっと面白いって感じの」
「話を、したんですか?」
原先輩は目を丸くさせた。何か、そんなに驚くようなことを言ったっけ。
「小林さんは私を、その、警戒しているみたいで。授業に出た方がいいと伝えたいのですが、するりと、まるで猫みたいに避けられてしまうんです」
猫。
なるほど。俺が昔追っかけてた猫を思い出したのも無理からぬ話だ。
「もしかしてお願いというのは」
「違う学年の生徒を気にしてくださいというのも酷な話です。でも、もしこれからも小林さんと話をする機会があったのなら、思い出した時で構いません。それとなく、授業に出るように伝えてはもらえないでしょうか。彼女、単位が足りなくて、また」
「はっはっは! 何を仰いますか、他ならぬ原先輩からのお願いですよ。聞かないはずがありません。任せてください。小林先輩が真面目人間になるように、私めから言っておきましょう! 大船に乗ったつもりでオッケーです! あと、成功した暁には結婚してください」
「ありがとうございます、石高君。お礼は別のことを考えておきます。それに、私と結婚すると、大変だと思いますよ?」
何を言ってんだこの人。原先輩と結婚とか、その後の人生ばら色に決まってんじゃーん。まあ、先輩のお願いがあったにせよ何にせよ、小林先輩とはもう少し話してみたいって気持ちはあったんだし、余禄だよな余禄。
原先輩と別れた後(笑顔で手を振ってもらえた。もう死んでもいい)、優人と樋山くんは俺を親の仇でも見るような目つきで睨んできたが、心底どうでもよかった。
よし、明日も昼休みに屋上へ行こう。




