タイジスルセカイ(金城鉄壁My Fair Lady)
2学期になった。体育祭と文化祭にはまだ早いが、イベントが結構控えている時期である。俺としても色々と楽しみだ。
「おい禄助、焼きそばパン買ってこいよー」
「俺はへたれな公務員じゃねえんだぞ。断固拒否するね。樋山くんに頼めばいいだろ」
「無理だ。それは出来ない」と、優人は首を振る。
「なぜなら樋山くんは、待ち望んでいたシリーズ最新作がソシャゲだったことにたいそうお怒りのご様子」
それは酷い。
「でも、しばらくしたら嬉々とした感じで課金してそう」
「それは言えてるな」
樋山くんは良くも悪くも『豚』なのだった。
「どうするよ。今日も駅前行くか?」
「うーん。やめとくわ。欲しいもんはだいたい買ったからさ。今日はバイトにでも行くつもりだよ」
「ユキさんとこ行くのかー。俺も行っていい?」
「いいけどぶん殴っていい?」
「やっぱやめとくわ」
放課後、俺はバイト先の榊原書店へ向かった。商店街の奥まったところにある、オンボロな古書店である。しかし店長のユキさんは無類の美人であった。儚げで、名前の通り雪のようである。
「こんにちはー、ユキさん、いますかー」
ユキさんはカウンターのところでぼうっと突っ立っており、長袖のシャツにジーンズという簡単な格好の上に手作りのエプロンを着ている。エプロンとか超家庭的。どっかの誰かさんにも見習ってもらいたい。
「ああ、こんにちは、石高さん」
「バイトに来ました。今日は途中までですけど、お願いします」
俺がそういうと、ユキさんはすっと目を細めた。
「こちらこそ、よろしくお願いします。それよりも石高さん」
「はい?」
「春に会った時と比べたら、なんだか、少し逞しくなったように見えますね」
俺が? 逞しく?
「体を鍛えたってわけじゃあないんですけど、そう見えますか?」
なんか照れるなあ。
「はい。…………残念です」
ユキさんは物憂げな吐息を漏らした。何故に。逞しくないよりは、逞しい方がいいに決まってるじゃないか。しかし、まあ、タフになったと言われれば心当たりはある。あんまり、嬉しくない心当たりだけど。
家に帰ると、何だか騒がしかった。部屋に入ると、めぐが困った目でこっちを見てくる。
「おーす、お帰りー」
「お兄ちゃん。助けて」
俺の妹はベッドの上で、黒ギャルに後ろから抱きかかえられていた。借りてきた猫のように大人しくなっている。
テレビ画面を見るに、二人はどうやらさっきまで格ゲーで遊んでいたらしい。
「なんだよ。俺も混ぜろよ」
「んー? じゃ、あんたは前からめぐに抱き着きなよ」
「いや、そっちじゃなくて」
全く相変わらずアホだな、こいつ。
丹下院と付き合い始めてすぐに、彼女は俺の家に来たいと言い出した。夏休み明けに逆デビューを果たした丹下院だったが、
「ちょりーす」
それも一週間で終わった。俺の彼女は深窓の令嬢から黒ギャルにランクダウンしてしまったのである。なんてこったい! まあどんな外見でも好きだからいいけど。
けど、ナチ○ロンもびっくりの丹下院はめぐに間違いなく悪影響を及ぼすだろう。石高の家の敷居を跨がせるわけにはいかなかった。しかし強引に押し切られてしまってはどうしようもなかった。こうしてめぐと二度目の対面を果たした丹下院だったが、意外にも年下の面倒見は良く、めぐもすぐに懐いたのである。何だか悔しい。
「……お姉ちゃん、離して」
「もうちょいだけー」
めぐは丹下院をお姉ちゃんと呼ぶ。いや、正確には丹下院がそう呼ばせている。
「ゲームやんないならテレビ見ていい?」
「どうせアニメ見んでしょ。あー、きもちわるーい」
「お前だって一緒になって見るくせに」
俺がバイトへ行く日、そしてめぐが早めに帰宅する日とが重なった場合、丹下院はめぐと遊んでくれるのだった。正直、助かっている。いや、有り難いと言うべきか。ただ、余計なことを教えないかどうかが心配ではある。
「いいよねー、こういうの。仲良し兄妹って感じで」
「あー、お前姉ちゃんしかいないんだもんな」
「妹が欲しかったなー」
丹下院はめぐの頭に顎を乗せた。ぐりぐりと動かし、めぐは途轍もなく嫌そうな表情を浮かべる。
「妹が欲しいのね。じゃあ、お兄ちゃんと結婚する?」
「……ん、え?」
狼狽する丹下院。その隙を見逃さず、めぐが拘束から脱出する。
「う、そ。さて、お茶でも淹れてくるわ」
小学生に翻弄させられる俺の彼女は、ベッドの上に突っ伏した。
アニメのAパートが終わってCMになると、丹下院は体を伸ばして寝転がる。
「あ、そういや昨日買った漫画どうだった? 面白かった?」
「キャラがエロくて可愛かった」
「あー、つまんなかったってこと?」
「いやいや、最高だった」
丹下院はベッドの上で寝ころびながら、近くにいた俺の背中を蹴飛ばした。
「じゃ、今度読ませて」
「面白くはないと思うぞ」
「あんたの読んだやつはあたしも読みたいの」
CMが終わり、Bパートが始まる。俺たちは口を開かないまま、アニメに見入った。気まずくはない。なんかもう、ずっと前からこうしてるのが当たり前みたいな感じだった。
「……最近、虫の出てくるやつが流行ってない?」
「俺んちにもそういう漫画はいくつかあるけど」
「火星でゴキブリ殺すやつとか」
「主人公が糸使って戦う女の子のやつとかな(絶対アニメ化するわーアレ)。お陰でやたら虫に詳しくなるっつーの。でも最強はやっぱりカブトムシだと思うわ、俺は」
「あたしはハチ派」
じゃあ戦争だな!
「つーか、結婚かー。結婚って……ありえなくねー?」
俺は少しだけ考える。丹下院とそうなったら、家族とは仲良くしてくれそうだけど、浮気とかしそう。めっちゃしそう。帰ってきたら間男と鉢合わせしそうだ。丹下院がハチ派なだけに。
「そうだな。お前と結婚とか、ちょっと考えられん」
「なんでだよ!」
枕で頭をしばかれる。何度も。
「なんで怒るんだよ。ありえねーって言ったのはそっちだろ」
「んだよ、したくねーのかよ。つーか、あたしと別れる気かよ」
「そこまでは言ってないけどな。なんかさ、やっぱ、想像出来んわ。だから俺を見捨てないで、もうちょい待ってくれよ」
丹下院は枕を置き、四つん這いで移動して俺の顔を覗き込む。
「優人や樋山くんみたいなところには行けないけどさ、もっと勉強して、大学入って、会社に入って、そっから考える」
「ふーん。養ってくれんの?」
なんだその言い方は。
「うちに来たらさー、もっと楽してだらだら遊べると思うけどなー」
「それって、婿入りってことか?」
「それそれ。で、どうする?」
「死ぬほど迷う」
逆玉の輿なんて都市伝説かと思ってたけど、まさか、俺の前にこんなチャンスが転がっているなんて……! すげえぜ金持ち! 親が金持ちは強い!
「でもしない。お前が嫁に来るんだからな」
「な、なんで」
「めぐが寂しがるだろ」
丹下院は呆けた顔をした後、にししと笑って立ち上がり、俺の頭を強めに叩いた。
「めぐ優先かよシスコン!」
「嫌だったら別れようぜ」
結婚相手は家族を大切にしてくれる人だからな。
「え、う、嘘っ。やだっ、捨てちゃやだあああああ」
わーっ急に泣き出した。躁鬱かよどうなってんだ丹下院さん。
「お兄ちゃん、何をやっているの……?」
「別れようぜって言ったらこうなった」
「馬鹿なの?」
泣き止んだ丹下院と格ゲーをする。隣にいる彼女の顔は、中々見られなかった。めぐはいつの間にかいなくなってるし。
「……ねえ、石高」
「んー」あ、くそ、コンボミスった。
「あたし、結婚してもいい」
上から目線だなー、こいつ。
「ごめん。嘘。結婚したい。やっぱだめだ。あたし、あんたのことどんどん好きになってく」
だめだ。集中出来ん。俺はコントローラを投げ出し、その場に寝転がって目を瞑る。
「まだ高校生なんだぞ、俺たち。俺はやだぞ。その辺のDQNみたいに出来ちゃった婚みたいなー、とか。地元から出ないで郷土愛謳うんだ。いや。そんで生まれた子供の襟足伸ばすんだ。やだ。死ぬ」
「んなことあたしだってヤに決まってんじゃん。なんかあっても大丈夫だってー、うち、金はあるから」
「作法のない誘惑には一切乗らん」
金欲しい金欲しい金欲しい金欲しい。
……でも、それ以上に俺は丹下院が好きだ。
「なんか焦ってないか? 心配すんなって、俺はお前に惚れてるんだ。この弱みは死ぬまで誰にも渡さない。だから、想像するだけでも嫌だけど、お前が俺を見捨てない限り、俺たちはずっと一緒だよ」
「マジで? ホントに言ってんの?」
「嘘吐くかよ」
「ありがと。超嬉しい。けど、そんだけじゃ足りないかな」
丹下院が、仰向けになっていた俺の身体にのしかかる。ふわりとした、女の子の匂いが広がった。ああ、そういやこいつ、たばこも酒も、変な香水もやめたんだっけ。軽くって、柔らかい。当たり前なんだけど女の子って感じがする。
「結婚すんのはまだ早いけど、これくらいならいいよね?」
にししと笑い、丹下院は舌を伸ばした。
嫌いなやつと向き合って、嫌なものと向き合った。
だけどよかったと思える。そのお陰で俺は何よりも大事なことを学んで、大事な人と出会えたのだから。
だから、幸せだ。今の俺はどんなやつよりも幸せだ。……ただ、ちょっとだけ思うことがある。気になってしまう。たとえば、俺は腹を下して丹下院と出会えたけれど、もしもそうじゃなかったら、そうなっていなかったのなら、どんな人生を送ることになるんだろうって。
考えられない。正直、考えたくもないことだ。
だから、俺じゃない俺がどこかの世界にいたとして、どんな風にどんな人と出会うのか。少しくらいなら気にはなるけど、どうでもいいってのが本当のところだ。
だけど一つだけ。一つだけは知っている。石高禄助は、丹下院と出会えれば幸せになれるってことが。それだけは知っている。見るまでも、向き合うまでもない話なのだ。




