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トジラレルセカイ(雨に解れる)



 俺の見込みが甘かったのか、それとも、台風の速度が誰も彼もの予想に反して早かったのか。

「……お客さん、来ませんね」

 ユキさんは時計を見遣ってから、店の出入口に目を向ける。

「この天候ですから。でも、何が起こるか分からないものです。それより、石高さんは平気なのですか」

「ああ、別に、台風なんかどうも思ってないですよ」

「そうではなく、お帰りになるのが大変ではないでしょうか。今のうちに上がってもらっても」

 まだ、二時間ちょっとしか経っていない。本だって読んでいる途中だ。それに、なんとなく帰りたくないような、変な気分になっている。台風のせいだろうか。ちょっとテンションが上がってるんだろうな。

「うちまで走ればいいですし、明日は休みですから。ずっとこのままってこともないでしょうし」

「そうですか?」

 ユキさんは言外に帰れと言っているわけではない。というかそう信じたい。何というか、彼女は俺の身体を、俺以上に心配している節がある。優しい人なのだろう。



 それから更に二時間が経過し、時刻は午後の六時に差し掛かろうとしていた。途中までだった本も読み終わり、そろそろ帰ろうかと思っていたが。

 ドドドドドドドドってえげつない音が聞こえてくる。さっきちらっと外を見たが、滝のような雨が降っていた。もはや持ってきた傘は意味を為さないだろう。手が塞がって邪魔なだけだ。ユキさんに断りを入れてからケータイで天気予報を確認する。

「どうでしたか。雨、止みそうですか?」

「いや、さすがに駄目みたいですね。……帰ります。たぶん、待っていても仕方なさそうですし」

 ずぶ濡れになんのはごめんだが、雨が止むまで居座るのもどうかと思う。意を決して立ち上がろうとした。が、ユキさんは緩々と首を振って俺を押し留める。

「よろしければ雨宿りなさっていっては、いかがでしょうか。この雨は、お体に障ります」

「いいんですか?」

「もちろんです」と、ユキさんは今まで自分が座っていた椅子を譲り、カウンターの方へ向かった。

「交代しましょう。ここからは、石高さんはお客様ですね。どうぞ、お好きな本をお読みになってください」

「……って、さっきまでユキさんはお客様だったんですか?」

 黙って頷くと、ユキさんは口の端を少し緩める。

「それから、うちは立ち読み厳禁じゃあなかったでしたっけ」

「座り読みなら問題ありません。それに、石高さんなら、多少の不正は見逃してしまいます」

 不正ときたか。相変わらず雨はえげつねえ勢いだし、お言葉に甘えさせてもらおう。なんか、甘えてばっかりな気がするけど。



 更に一時間。雨は止むどころか、勢いを増しているように思えた。俺は母さんにメールを打ち、帰りが遅くなること、晩ご飯は買って帰るということを伝える。了解したという旨の返信メールが届いたのを確認し、ケータイをズボンのポケットにしまい込んだ。

 七時を回った、か。さすがに腹が減ってきた。いつもなら、つまみ食いしつつ夕食の準備に取り掛かっているところだ。家を出る前に昼飯を軽く済ませていたが、俺のゲージはエンプティ寸前である。空腹をなだめてやろうと腹を摩ったら、中に住んでいる虫がか細く鳴き出してしまった。

「……少し、ここの留守をお任せしてもよろしいでしょうか」

「ええ、任せてください」

 ユキさんは本を閉じると家の中に入っていく。たぶん、色々とやることがあるんだろう。家事とか。……そういえば、彼女もお腹は減っていないんだろうか。そんなそぶりは全く見せなかったけど。大人ってすげえな。



 あくびを噛み殺す。時計を見たら、ユキさんがいなくなってから十分ほどが経過していた。ここに一人でいるだけで時間の流れがゆっくりに感じられてしまう。寂しいなんてことは言わないが、手持無沙汰だ。活字を追い過ぎて目が疲れている。新しいものに手を付けようって気は起こらなかった。

「石高さん」

「…………あ、は、はい。なんですか」

 ユキさんが顔だけを覗かせている。奥の方から、洗濯機の回る音が微かに聞こえていた。

「そろそろ八時です。お店を閉めようかと思うのですが」

「ああ、じゃあ、看板を戻してきますね」

「ありがとうございます。……この雨ではまだ、外に出るのも億劫でしょう。よろしければ、夕食を召し上がっていきませんか?」

 俺は瞬きを繰り返す。ユキさんから、お誘いだって?

「迷惑じゃないですか?」

「そんなことはありませんよ。二人分くらいなら手間もかかりません。石高さんさえよろしければ、まかない、ということでいかがでしょう。若い子が喜ぶようなものをお出し出来るかどうかは分からないのですけれど」

 俺は店の奥、ユキさんが生活している場所を見遣った。田舎のじいちゃんちを思い起こさせる、色あせた畳だ。なんだかどきどきして期待してしまう。が、ユキさんは優しい人なんだ。気を遣わせてしまっているのがありありと分かり、迷う。

「そ、それじゃあ、ごちそうになります」

 だが、淡い期待と確かな空腹には抗えなかった。



 榊原書店は個人経営であり、お店と居間が繋がっている。硝子戸を開ければ、そこはユキさんが生活している場所なのだ。いつもは開け放しにして、暖簾を下げることで中が見えづらくなっている。何故か、俺はここを懐かしいと感じていた。それはきっと、ガキの時に通った駄菓子屋を思い出すからだろう。

 俺はユキさんに促され、居間のちゃぶ台の前で正座していた。テレビには、へらへらとした顔の芸人が何か大声で喚いているところが映っている。

「お待たせしました。石高さんのお口に合うとよいのですが」

 ちゃぶ台の上、俺の前にプレートが置かれた。おお、美味しそう! って……ユキサン? あの?

「これは、なんでしょうか」

 プレートにはハンバーグや小さなオムライスが。エビフライや唐揚げが。旗こそ刺さっていなかったが、間違いない。

「ああ、こちらに乗っているのはハンバーグで、こっちが鶏肉の唐揚げで」

「そうじゃなくって! これって、あの、お子様……ランチというやつでは」

「若い子の好きそうなものを作ってみたのですが、お気に召しませんでしたか。やっぱり、難しいものですね」

 若いってよりこれじゃあ幼いって感じだ。高校生にもなってお子様ランチを口にするとは思わなかったが、ユキさんの好意を無駄にするつもりはない。

「いえ、大好きです!」

「そうですか。よかった。では、どうぞ召し上がってください。それから、お味噌汁も用意しているのですが」

「いただきます!」

 ユキさんは薄く微笑む。心なしか、いつもより嬉しそうな表情に見えた。彼女は俺の味噌汁をよそって持ってきてくれる。いやあ、いいなあ、こういうのって。……まあ、ユキさんもお子様ランチを食べることには驚いたけど。

「人様に料理をふるまうのは久しぶりなのです。あまり、期待はしないでくださいね」

「いやー、ユキさんが作ってくれたってだけでお腹いっぱいです胸いっぱいですよ」

「まあ、石高さんはお世辞が上手ですね。では、いただきます。……それから、正座していて疲れないのですか?」

 俺は何食わぬ顔を装って足を崩した。緊張していたのだが、胃の中に物が入るとそれは瞬く間に霧散した。



 作ってもらったものを残すわけにはいかない。意気込んで食べ始めたのだが、その心配はいらなかった。ユキさんの料理は美味しかった。俺も自分で料理をすることがあるので、ちょっと悔しかったくらいである。

「何だか難しい顔をしていますね。お腹がいっぱいでしたら、我慢せず残してください」

「あ、いや、そうじゃなくて。……美味いなあって。お世辞抜きで、です。俺も少しは料理が出来るって思ってたんですけどね」

「年季が違いますから」

 ユキさんは少しだけ誇らしげに言った。可愛いと、ふと、そんなことを思ってしまう。俺は気恥ずかしくなり、お茶碗のごはんをかき込んだ。

「やっぱり男の子はたくさん食べるんですね。見ていて気持ちがいいです。嬉しくなってしまいます」

「そうですか? これくらい、皆食べると思いますよ」

「主人は小食でしたので」

 箸が止まった。

「…………主人?」

「ええ、三年前に先立たれてしまいましたが。って、つまらない話ですね。ごめんなさい」

 障子を見遣る。ああ、と、俺は口の中にあった唐揚げを飲み込んだ。懐かしい。榊原書店、というか、この空間を懐かしいと思ったのは当然なんだ。昔に通った駄菓子屋に似てるし、田舎の爺ちゃん家にも似てる。い草と、線香の匂いだ。病院にも似ている。死だ。死人の臭いだ。それが、ここにも爺ちゃんの家にもあった。

「そうだったんですか」それだけしか言えなかった。……そらそうか。ユキさんくらいの年齢だったら結婚だってしてるもんな。うん。でもなんか、腹ん中が空っぽになったような気がする。そのくせ、箸が進まない。

 俺、ショック受けてんのか?

「じゃあ、このお店って」

「はい。義母から受け継いだものです」

 裏切られたなんて、んなことは思わない。ただ、ただ、なんつーか。

「石高さん、どうなさいました。お肉、固かったでしょうか」

「いえ、別に」

 ユキさんはどんな風に思って、何を考えているのか分からない。彼女は食後のお茶を啜り、俺が食べているところをじっと見ていた。

 期待は捨てろ石高禄助。やっぱ、最初から俺は子供扱いされてたってことだよ。

「そういえば、石高さんの通っている学校には、私の妹もいるのです」

「へ、そうなんですか」

「ええ、たまに、ここにも遊びに来てくれるんです」

 そうだったのか。知らなかった。こうなったら出会いを求めよう。新しい出会いを!

「ユキさんの妹さんだったら、めっちゃ美人って感じですね」

「お上手ですね。でも、そうですね。妹は私と違って活発ですから、人様に迷惑をかけていなければいいのですが」

 活発、か。ユキさんとは真逆だな。活発なユキさんを想像してみる。駄目だ。想像出来なかった。……しかし、何年だろう。同年代にそんなやつ、いたっけな。ま、先輩か後輩のどっちかだろう。

 俺はむしゃむしゃと料理を平らげ、お茶を飲み干す。ユキさんは空になったのに気が付くと、お代わりを淹れてくれた。

「石高さん、小林堂の芋羊羹はお好きですか? この間、妹からいただいたのです。よろしければ、一緒に食べましょう」

「いただきまーす!」

 小林堂といえば、ここらじゃ美味いってので有名な和菓子屋だ。俺もあそこのお菓子は数えるくらいしか食ったことがない。ユキさんの妹って気が利く大人な人なんだなあ。

 ユキさんが立ち上がり、台所の方へ向かう。俺は腹を摩り、楽な姿勢になった。もはや緊張も期待も心の中から消え失せている。なんて自分勝手なやつなんだろう、石高ってやつは。

 その時、ガタガタと音が聞こえてくる。風が強くなってきたのかと思い、店の方へ顔を向けた。硝子戸が揺れている。向こうに背の高い人影が見えた。お客さんだろうか。でも、営業時間回ってるし。ここはお引き取り願うのが筋だろうか。立ち上がり、暖簾を潜って土間に降りる。

 がたん、と、戸が開いた。

「姉さん、生きてる?」

「ひっ」

 俺は思わず息を呑んだ。恐怖で身が竦んでしまう。戸を開けたのは、雨と風で髪が濡れ、乱れに乱れた女だった。眼光はぎらりと鋭い。漂わせる雰囲気はまるで武芸者のそれである。鬼がいた。鬼すら殺せそうな女だった。

「……ん? 誰だ、おま――――」

 女が俺を指差して、口をぱっくりと開ける。

「何故、お前がここにいる。石高!」

「ぎ、やあああああああああああ!? でたああああああ! うわあああああ喋ったああああああああああああああ!?」

 榊原書店という妖精が住んでそうな谷にやってきたのは、担任の瑞沢という悪魔であった。



 瑞沢はつかつかと歩み寄り、カウンターの奥に逃れた俺の襟首を掴んだ。

「こ、殺さないでくださいっ」

「ええい、殺すか! いや、場合によってはそうなるかもしれん。答えろ。石高、何故、お前が、ここに、いる? 客だという言い訳は通らんぞ。営業時間は終わっているし、こんな天気に、こんな店に来るやつはいないからな」

 さり気に失礼なこと言ってるが突っ込んでる暇はない。

「た、助けて! 誰か助けて!」

「答えろ!」

「……石高さん? 騒がしいですが、何か」

 様子を見に来たユキさんの顔が強張った。彼女は瑞沢をじっと見つめる。気圧されたのか、オーガは俺から手を放して黙り込んだ。

「凜乃。いきなり、何をしているんですか」

「姉さん。こいつとはどういう知り合いなんだ。何故、こんなやつを家に上がり込ませている。弱みでも握られているのか」

 俺は地上げ屋か何かか。

「違います。石高さんはうちのアルバイトです」

 あ。

「……何? アルバイト、だと?」

 瑞沢は俺にガンを飛ばしてくる。しまった。恐れていたことが起こってしまった。バレた。バイトを無許可でやってたのが。よりにもよって一番バレてはいけないやつに。オワタ。

「どういうことだ? ん? お前、許可を取っていたか? いや、取っていないな。私の記憶が定かなら、お前は許可を取っていないな。そうだろう?」

「あ、あの、それはでぃすね……」

「許可?」

 ユキさんが小首を傾げる。

「凜乃。アルバイトには許可が必要なのですか。石高さんは、それを取っていなかったのですか」

「その通りだ姉さん。こいつはルールを破った。即刻打ち首……いや、クビにするべきだ」

「打ち首って!?」

「お前は今、黙っていろ」

 ひん。怖い。目だけで殺される。しかし、終わった。ああ、ここでのアルバイトにも慣れてきてすっかり生活の一部となっていたような気さえしていたのに。でも、潮時っつーか、ちょうどよかったのかもしれない。俺にとってもユキさんにとっても。

「クビには出来ません。石高さんがいないと困ります。凛乃。許可が必要なら、石高さんがここで働くことを許可してください。それで済む話です」

「無理だ。不正を見逃すつもりはない。平等に、こいつを罰する必要がある。他の生徒に示しがつかなくなるからな」

「では、えこひいきで構いません」

「……は?」

 ユキさんは至極真面目に言っているらしい。

「許可してください」目が据わってる。

「ね、姉さん。何を言ってるんだ。無理だ。出来ない」

「では結構です。私は勝手に石高さんを雇いますから。あなた方にとやかく言われる筋合いはありません。凛乃。学校がどうの、家がどうの。なんとでもなるんですよ」

「また始まった。悪い癖だ」

 そういや、この人たちって何なんだろ。姉さんとか言ってるけど、まさか。

「あの、ユキさん。瑞沢先生とはどういう関係で……」

「先ほどお話していた、不出来な妹です」

「げっ」

 瑞沢に妹属性だと? いらねー。無駄過ぎる。誰得だよ。

「何だその目は。……わがままを言わないでくれ。姉さん。もうあの時とは違う。通らないものは通らないんだ」

「もういいです。あなたと話していても時間の無駄のようですから。どうぞ、お引き取りください」

「ぐうっ、いい加減にしろ! それでも三十を過ぎた大人かっ。少しは聞き分けたらどうなんだ。こんなところで、閉じた世界に引きこもっているから姉さんの根性は捻くれるんだ!」

「あなたこそ、随分と大きな口を利くようになりましたね。学校という狭い世界で、自分よりも年少の生徒さんに『先生』と呼ばれていれば、偉くもないのに偉そうなことを言えるようになるのでしょうね」

 あー言えばこー言う。丁々発止というか、この姉妹、いつもこんなやり取りをしてるんではなかろうか。

「ユキさん。あの、俺なら構いません。悪いのは俺なんです。だから」

「やめないでください。石高さんがお辞めになる必要なんてありません。いえ、私が辞めて欲しくないのです」

「くっ、石高。お前、どうやって姉さんを丸め込んだんだ」

 なんすかなんすかその言い草は。俺は何もやってねえぞ。

「もういい。埒が明かない。姉さん、ひとまず下がっていてくれ。石高と二人で話したい」

 瑞沢をじっと見つめた後、ユキさんは俺に視線を遣った。何かあれば呼んでくださいと言い、奥へと引っ込んでしまう。

「さあ、色々と話してもらおうか」

「お、お手柔らかに」



 俺は榊原書店でアルバイトを始めることになった経緯や、どんな仕事をしているのか、ユキさんとはどんな関係なのか根掘り葉掘り聞かれて、喋らされた。

「なるほどな。……納得したよ」

 話を聞き終えた瑞沢は、つまらなさそうに鼻を鳴らす。

「納得した。私がお前に嫌悪感を抱いていた理由がな」

「大人なんですからオブラートに包んでください」

 こいつ……当たりが強いと思ってたが、俺のことをガチで嫌ってやがったのか。平等とか言ってたやつのセリフじゃねえぞ。

「お前は、義兄に似ているんだ」

「顔?」

「いや、あいつは顔だけはよかった」

 くそが!

「雰囲気というか、性根が似てるんだ。義兄もお前も……そう、クズなんだ」

「いくらなんでも口が過ぎますよ。生徒と故人に対してあんまりだ」

「気にするな。やつが生きている時にも散々言ってやったからな」

 俺を気にしろよ。

「私はお前たちのような男が嫌いだ。が、世界には奇特なやつがいる。イナゴやセミを有り難がって食べるような、ゲテモノを好んで食す悪趣味なやつが。それが、姉さんだ」

 虫と同レベルなのか、俺。もはや空いた口が塞がらない。

「姉さんは甘やかせたがりだ。過度に世話を焼きたがって干渉したがる。ダメな男が好きなんだ。姉さんから言わせると母性本能とやらをくすぐられているだけらしいが、とてもそうは思えん。女の好意に甘えるだけのやつは所詮、クズだ。ヒモだ」

「……俺が、クズですと」

「違うのか?」

 問われ、しばし考える。ユキさんが俺を雇った理由。日頃の行い。そういや、湿布貼ってもらったし今日だってタオルで髪を拭こうとしてもらってたし飯までごちそうになった。

「ユキさんが優しいってだけの話じゃあないんですか?」

「いや、違うな!」

 はっきり言い切りやがった。

「姉さんは昔からそうだった。私も危ういところまで甘やかされていたんだぞ。あの人は、魔性だ。人間をダメにする。何でもイエスと答えるし、気に入ったやつには最大限のえこひいきをお見舞いする。石高、諦めろ。お前からは義兄と同じ臭いがする。持って生まれたクズの臭いだ。吐瀉物以下の臭いだ。お前が姉さんと出会ったのはある意味必然なんだ」

 ここまでクズだクズだと言われて腹も立ったが、言い返せない。なんとなく、理解している自分がいた。そんな自分が嫌いになれなかった。

「お、俺はどうすればいいんだ」

「簡単なことだ。これ以上ダメになりたくなければ、ここを辞めるしかない。どっちにしろ、私は辞めさせるつもりだがな」

 ここを、辞める。少し、嫌な気がした。体の一部分を奪われてしまうような感じがしてならない。

「ユキさんがダメンズウォーカーってことは分かりました。けど、俺はここに残るつもりです」

「そんなに甘やかされたいか」

「じゃなくて、ちょっと、腹が立つんです。俺はユキさんに、亡くなった人の代わりとして雇われたわけなんですよね。クズだと思われて。それって、さすがにムカつきますよ。見返してやりたいって思うんです」

 瑞沢は俺の言葉が本当かどうか、確かめるようにして顔を見てくる。目を逸らしたら負けだ。野生のクマと同じ理論である。背を向ければこの女は嬉々として飛びかかってくるだろう。

「ここできちんと働きます。俺がクズじゃないって分かってもらえたら、ユキさんだって俺を無理に雇おうなんて言わないでしょう」

 残念な気もするが、俺も男だ。意地がある。

「……なるほどな。嘘ではないと信じよう」

「じゃあ、許可ください」

「やはりクズだ、お前は」

「どないすりゃいいんですか」

 瑞沢は苦虫を噛み潰すような表情で呻いた。

「仕方ない。許可は出せん。だが、今日、ここでお前を見たということは忘れよう。ということでいいな、姉さん」

「へ?」

 よく見ると、戸が少しだけ開いていた。

「これが私がしてやれるギリギリのラインだ。だが、石高がここでアルバイトをしているのが、私以外のやつにバレても何もしてやらないからな」

「……了承」



「ところでユキさん」

「はい?」

「ユキさんの、旦那さんって、病気か、何かで……?」

 ああ、と、ユキさんは息を吐いた。

「主人は当たり屋まがいの真似をしておりました。それで、距離感を測るのを失敗して、スクーターに轢かれてしまったのです。救急車に運ばれるのを拒み、スクーターの運転手の方に詰め寄っていたところ、力尽きて亡くなりました。あの人らしい最期でした」

「何故、あなたは恍惚とした顔をしているんでしょうか」

 前途多難だ。俺はそんな人と同一視されている。めちゃめちゃ頑張らないといかんぞ、これは。



 その後、俺は瑞沢の車で家まで送ってもらった。車中では大した会話がなかったが、

「姉さんは寂しがりなんだ。まあ、とりあえずはよろしく頼む」

 一応、姉妹なんだなと思った。俺には分からんが、仲が悪いってことはないんだろう。


『姉さん、生きてる?』


 何せ、こんな天気の中で様子を見に来たくらいだもんな。



 帰宅すると、十時前だってのにめぐがリビングにいた。妹は俺の顔を認めると、安心したように微笑む。

「遅かったのね」

「ごめんごめん。バイト先で雨宿りさせてもらってた」

 他にも色々とあったんだが、めぐに要らぬ心配をかけることはない。

「濡れたでしょう? お風呂が沸いてるわ」

「ああ、ごめんな」

「いいのよ。それから、着替えも用意してるから」

「うん。ありがとう」

「あと、お腹が空いたらお母さんがいつでもいいから言いなさいって。私に言っても構わないわ。頑張って何か作るから」

「お、おう」

 あれ? 俺、もしかして今世話を焼かせてないか? 甘やかされたりしてない?

「なあ、めぐ。俺ってさ、クズに見えるか?」

「何を言っているの、お兄ちゃん。誰にそんなことを言われたの? 安心して。お兄ちゃんは料理も出来るし無駄なことをいっぱい知ってるわ。ただ、普通の人よりだらしなくてやる気がなくて一度怠け始めたら取り返しのつかないところまで絶対に動かないだけよ」

「そっか。ありがとうな!」

 なんだ、俺全然クズじゃないしヒモでもないじゃん。

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